歴史を紡ぐ糸は、複雑に絡まりあい。

『答えてくれ、ストック』

ひとつの結果をねじ曲げるためには、別の何処かを変えねばならず。

『終わったんだよ、戦いは……最悪の結末でな』

それを変えるためには、また他の何かが必要で。

『俺に、お前のような強さがあれば』

幾重にも張り巡らされた糸。それに閉ざされた可能性の扉。

『放り出したんじゃない。……俺が、放り出されたんだ』

糸の端を手にし、扉を開くために必要な鍵。

『ストック。お前は、俺の』

それを手に入れるのに、成さねばならぬこと。


『――ストック』


彼は。彼は一体、後何回死ねばいいのだろう。
世界のために開き続けた扉、その先で幾度と無く繰り返された彼の死。ストックの目の前で。あるいは見届けぬことが出来ぬ遠方で。あるいは――ストックが振るった刃の、その下で。
何度も、何度も、何度も。彼は命を落とし、屍を曝してきた。正しい歴史を選び、世界を救うという大義名分の中で、切り捨てられた時間の多くに彼の死が刻まれている。
ストックは、歴史を操る書を持つ男は、その全てを見てきた。あらゆる時間で、何度となく、親友の命を失い続けてきたのだ。

そして、これからも。

ヒストリアの双子が言う、ひとつの歴史でロッシュと戦う未来を避けるため、もうひとつの歴史で彼の心を変えなければいけない。
また別の場所で双子が言う、鋼鉄の義手を再び動かさなければ、彼を立ち上がらせることはできない。
ソニアは言う、義手を動かすためには特別な部品が必要で、それは容易に手に入るものではない。
複雑に重なる糸、その端に位置するひとつの部品。
その部品を手に入れるためには。
その部品が、確実に存在し、手に入れることが出来る歴史は。

――そのために、ストックがしなくてはならないことは。





セレスティアの最奥、結界樹の前で佇むロッシュの逞しい身体には、遠くからでも分かるほどに目立つ包帯が巻かれていた。ソニアの手によるものだろう、手厚く施されたその処置は、彼が受けた傷の深さを思い出させる。先程までストックが居た時間では、心は未だ折れていたものの、体の傷は殆ど癒えていた。そこから時を戻り、こうして改めて傷ついた彼を目の前にするのは、分かっていても辛いものがある。
「ロッシュ」
ストックが近づいても、彼は動かない。無言のまま立ち続ける親友に、ストックはそっと声をかけた。
「もう、身体は大丈夫なのか」
「……」
「どうなんだ、ロッシュ」
気配で接近には気付いていたのだろう、振り向かぬまま彼は、ストックに言葉を返す。しかし、戻ったのは問いに対する答えではない。
「……俺の部隊……」
「……」
「俺の部隊は、どうなった?」
返されたのは、無情な問いかけだ。ストックはこの会話を知っている、繰り返す歴史の中で以前にも交わされたやり取りなのだから当然だ。ストックが黙り、ロッシュが激昂して問いを繰り返し、その答えに絶望する。普通の時を生きる者は一切知らぬ、時間を行き来するストックだけが知る奇妙な予定調和が、今もまた繰り返されそうとしていた。
しかし、定められた答えを、ストックは喉の奥に飲み込む。今まで諾々と従ってきたそれを、彼は始めて、己の意志を以て打ち壊そうとしていた。
「お前の小隊は、お前を残して壊滅した。恐らく……生存者は、居ないだろう」
「……!!」
無慈悲な宣告、容赦のない真実を目の前に突きつけられ、溜まらずロッシュが振り返る。その顔は他の時間のそれよりも随分と痩け、この短期間で彼に与えられた酷い試練を否応無く連想させた。痛々しさすら覚える容貌、それは彼自身の咎ではなく、明らかに理不尽な悪意によって生み出されたものなのだ。もう、こんな顔はさせたくない。そのためにストックは、一時の痛みを省みることなく言葉を続けた。
「俺が助けられたのは、お前だけだった。キールもあの後、お前を助けるために囮になって……生死は、分からないままだ」
「そんな……くそっ、何だって、そんな……誰も、助けられなかったのか……!」
与えられた絶望が、怒りに変わる前に。ストックは畳みかけるように、彼の前へと真実を積み重ねていく。それがロッシュを打ちのめし、大きな傷を作ると知っていて。いや、むしろそれこそを狙って、敢えて彼の心を抉る単語を選んで話を続ける。
「ロッシュ。お前は……いや、俺達の隊は、裏切られたんだ」
「……何?」
「お前を助ける際に倒した敵隊長が、作戦指示書を持っていた。どうやらアリステルとグランオルグの間で、密約が交わされていたらしい」
「なっ」
その真実は、今のロッシュにとってにわかに信じることが出来ないものだったに違いない。言葉を無くし、驚愕に目を見開くロッシュは、悲痛と言って良い空気を纏っている。発言者が他の誰かであれば、馬鹿を言うなとはねつけられて終わりだったかもしれない、だが相手はストックだ。ロッシュの親友であり篤い信頼を勝ち得た男、そのストックが言った言葉だからこそ、ロッシュも言下に否定することは出来なかったのだろう。
「奴らはお前たちの動きを伝えられ、最も効率的に迎撃出来る位置に部隊を展開していた。死んだ隊員達は、陰謀のための生け贄にされたんだ」
「……そんな」
愕然とするロッシュを、ストックは感情の籠もらない目で見詰めた。驚きと絶望、それは彼が再び立ち上がる力になるだろうか。以前の歴史を考えればその可能性は低いだろう、そうであって欲しいと、ストックは願う。
もう、彼が立ち上がる必要はないのだから。
「くそっ、俺のせいだ、俺の……俺が、あいつらを護ってやらなくちゃいけなかったのに」
「ロッシュ……」
後悔と、絶望と、自責と。前に進む力を奪う感情の渦、それに絡め取られていくロッシュを、ストックは何もせずにただ見守っている。親友が苦しむのは辛い、だがこれは必要なことなのだ、彼を戦いから遠ざけ、これから先の歴史で穏やかな生を過ごさせるために。
「……お前はこれから、どうするつもりだ」
「どうする、だって?」
ストックの投げた言葉、ロッシュをさらに追いつめるための残酷な問いに、ロッシュの目が絶望に彩られた怒りに染まった。
「俺に、選ぶ道があると思うのか? あいつらを失って、アリステルを追われて、戦うこともできない……そんな、俺に」
「…………」
「俺に、どうしようがあるっていうんだ。護る相手はもう居ない、戦って仇を取ろうにも、俺に戦う力は残っていない」
「ロッシュ、お前は」
「このガントレットは、もう、動かないんだ! これじゃあ戦えない、戦場に戻ることなんて出来やしない……! 俺に、選べる道なんて、もう何処にも残されちゃいないんだよ!」
叩きつけるように叫んだロッシュの言葉を、ストックは敢えて否定しない。ただそっと彼に近づき、寄り添うようにして、動かぬ義手に手を置いた。
冷たい金属の感触が手のひらを通じて伝わってくる、かつて彼の上司によって与えられたという、戦うための力。今は動くことのない、ただの鉄塊へと変わってしまったそれは、その冷たさと重さをもってロッシュの歩みを阻害している。そしてその束縛は、同時に歴史の扉にかけられた鎖でもあった。動かぬ義手がロッシュの心を縛り、その事実がもう一つの未来で彼の行動を縛り付けている。因果を解かねば世界の未来は無い、だがそのことをロッシュ自身は知る由もない。彼だけではなくストックの他に誰も知らない事実だ、ロッシュの義手をもう一度動かし、彼に力を取り戻させれば、未来のへ扉は開かれるということは。
だが――そのために、ストックが取るべき手段は。
「ロッシュ」
「ストック、俺は」
「聞いてくれ、ロッシュ。俺はもう、アリステルには戻らない」
ストックの言い出した内容に、ロッシュは目を見開く。微かに震える薄青い虹彩を、じっと覗き込みながら、ストックは言葉を続けた。
「アリステルはもう駄目だ、国のトップが敵国と通じて利を得るなんて、まともな状態じゃない。俺はそんな国のために命を投げ出すのは御免だ」
「ストック」
「隊の奴らは……もう、居ない。ソニアもお前も、こうして連れ出すことができた。だから俺はもうアリステルには戻らない、戦争には関わらないで、ここで静かに暮らすことにしたんだ」
「ストック、お前」
その選択は、この先紡がれる予定の歴史で、ロッシュ自身が口にしたことだ。戦いを避け、セレスティアで静かに暮らせば良いと――その考えは、今はまだはっきりとした形になっていないだろう。だが固まっていないだけで、望みとしては確かに存在する筈なのだ。
だからこの選択を、彼はきっと否定しない。そう信じて、ストックは言葉を紡ぐ。
「だからロッシュ、お前も……もう、戦う必要はない」
それが、ストックの成した選択。
ロッシュを立ち上がらせるために、その義手をもう一度動かすために、もう一度あの歴史を繰り返さなくてはならないのなら。

(もう一度、お前を殺さなくてはならないのなら)

ロッシュの義手を動かすのに必要な部品、それを手に入れるため、何度も歴史を繰り返した。過去のアリステルで研究部に接触し、あるいはもう一つの歴史でソニアに頼み込んで。彼が飛べるあらゆる時間、あらゆる歴史で、ガントレットを蘇らせる道を探して。
だが。結果は全て、空振りに終わった。失われた部品は相当に重要で貴重な品らしく、強引に盗み出そうにも、そもそも予備部品が存在しなかったのだ。ソニアに頼んで作って貰おうとしても、詳しい事情を説明せずに有効な説得が成せるはずもない。親友として頼み込み、手を尽くすと約束してもらいはしたが、それが実ることは結果として成らなかった。
正攻法でそれを手に入れることは、どうしても出来ない。
――ならば、残された道は、ただ一つ。もう一つの歴史、その何処かでロッシュのガントレットを入手し、こちらの歴史に持ち込むことだけだ。
そして、その機会があるのは。ロッシュが黙ってガントレットを手放す可能性があるのは。
ロッシュが命を落とし、抵抗する力自体を失ってしまった、その時だけなのだ。
「もう、戦いのことは忘れよう」
彼を立ち上がらせるためには、もう一度彼の命を奪わなくてはならない。ストックの手に、肉を切り裂く刃の感触が、血に染まる親友を抱く冷たさが、耐え難い絶望を伴って蘇る。ガントレットに置かれた手が微かに震えた、あんなことをもう一度、繰り返さなくてはいけないのなら。それが世界を救うために、必要なことだと言うのなら。
「俺に戦う理由はもう無い、お前に戦う力も無い。それなら……無理に戦わなくたって、良いじゃないか」
それならば、世界など、滅びても構わない。
誰か一人を犠牲にして続く歴史など、間違っている。いずれ書き換えられるとしても、ロッシュが死んだという事実は消えない。
ロッシュを殺した傷は、ストックの中に残り、けして消えることはない。
「……ストック」
迷い無く注がれるストックの視線、それから逃れるように、ロッシュが目を伏せる。その姿に先程までの激情は見られない、そこにあるのはただ深い悲しみと、ストックに対する気遣いだけだ。
彼は感じているのかもしれなかった、ストックがひとつの、とても重要な決断をしてしまったことを。その意味はまだ、今の彼には分からなかっただろう。しかし、親友の心に生じた穴の存在に、ロッシュは確かに気付いていたのだ。
「お前は」
「ロッシュ。今は何も考えなくて良い」
しかしそれが彼の意識を変える前に、ストックがそっと蓋をする。優しさで絡め取り、親愛で視界を奪い、穏やかな袋小路に閉じ込めて。そうすれば、もうロッシュが死ぬことはない。ずっと、世界が滅びるまで、その生を続けることとが出来る。
「お前は十分戦った、今はゆっくり休むんだ。少し経てば、きっと……成すべきことも、見えてくる」
そうして、世界の誰も気付けないうちに。
可能性の扉は閉ざされ、世界は滅亡に向けて進み始める。
その中に閉じこめられた人々は、誰一人としてその事実に気付かぬまま、決められた未来に向けて歩むしかないのだ。
「……」
答えることが出来ずに黙り込むロッシュを、ストックは黙って見守っている。そしてその瞳に、未だ戦意の炎が宿らないのを見ると、安心して微笑んで。
「大丈夫だ。お前とソニアは、俺が護る……誰にも、指一本触れさせはしない」
決意を込めて、そう言い残し。
ストックは何も言えぬ親友を後に、己の成すべきことを成すため、決然たる足取りで外の世界へと歩きだしていった。



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セキゲツ作
2011.10.30 初出

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