ガーランドの私室がある階は、シグナス城でも高層にあたる。防犯上の都合を考えて決められた配置だが、人々が活動している階層から離れているその部屋には、同時に邪魔する者も無く静かな時間を過ごせるという利点もあった。階下で続いている宴の喧噪も、城下の賑やかさも、ここには遠く届かない。同行しているロッシュも、いつも通り堅苦しく口を噤んでいるため、周囲は静寂に包まれていた。
そんな中に、部屋の扉を開く、低い音が響く。

「さ、入れよ」

前回の遠征時、強引に取り付けた約束通り、ガーランドは再びロッシュを連れて自らの居室を訪れていた。宴席を辞させる時点でロッシュが渋るかと思ったが、意外にもさしたる抵抗を見せず、今のところ存外素直に付き従っている。所詮は口約束、強く拒めば反故にすることも出来ただろうに、彼らしい律儀さにガーランドはひそりと笑いを零した。
とはいえ勿論喜んで同行しているわけでもないようで、その顔は未だ険しく顰められている。宴会場からここまで移動する間一言も口を利かず、ひたすらガーランドの後に付いて歩く姿は、知らぬ者が見れば戦場に向かうのではないかと思われるほど厳しいものだった。しかしガーランドにそれを気にするつもりは無い、そもそも将軍としての外面を拒否したのは彼自身であり、感情を取り繕われないというのはむしろ望んだ反応である。ロッシュとは真逆の上機嫌な態度で、部屋の中に入り込んだ。

「――失礼します」

続いてロッシュも、一礼の後に入室してくる。前回ロッシュがこの部屋を訪れた時と同じく、机の上には2人が酌み交わすための飲み物と杯が用意されていた。以前と異なるのは、置かれているのが酒と茶の組み合わせということだ。招く条件として交わした約束を、ガーランドもまた忠実に守っている。
それ自体は予想出来ていたことだろうが、しかし飲み物と共に並べられていた品々は、さすがに想像の内に無かったようだ。皿の上に盛られた品々を認めたロッシュが、首を傾げる。

「何ですか、こりゃ?」
「ああ、茶菓子にと思ってな」

色とりどりの飴、肉を刺した串、小麦を焼いた生地で包まれた何か。日常的な食べ物もそうでないものも含めて、妙に庶民的な食べ物の数々を、ロッシュは不思議そうに眺めた。それを横目に眺めながら、ガーランドは部屋の窓を大きく開く。

「気づいたか分からんが、今日は城下で祭りが開かれているんだ」

開かれた窓から、風に乗って微かに喧噪が届く。露台に出て見下せば、街には多くの松明が焚かれ、道なりに屋台が設置されているのが見て取れた。遠距離からで詳細までは分からないが、店の間には多くの人々が闊歩し、祭りを盛り上げているのだろう。ロッシュもガーランドの隣に並び、その様を眺める。

「そういえば昼間、準備をしているようでしたね。兵達が騒いでいましたよ」
「ああ、あの中にも居るだろうな。楽しんでくれりゃあ何よりだ」
「有り難う御座います、騒ぎを起こしてなけりゃ良いんですがね」

話が部下達のことに飛んだ途端、お馴染みの心配性が首をもたげ、ロッシュの顔が一瞬顰められた。しかし直ぐに気を取り直し、表情を明るくしてガーランドに問いかける。

「結構規模が大きいですが、何の祭りなんですか?」
「昔の収穫祭だな、まあ口実は何でもよくて、単に騒ぎたいだけだろうが」

シグナスの民は血の気が多い、物騒な方向に発露することの多い性質だが、対象が祭りとなれば珍しくそれが平和的に作用してくれる。賑やかに騒ぐことで日々の鬱憤を晴らし、平時の治安向上にも役立つということで、国としても積極的に支援を行っているのだ。今回は特に、他国の兵が訪れている中での開催ということで、騒動を防ぐための警備に兵を多く配置させていた。ここからでは見えないが下に降りれば、街の要所で警戒にあたる衛兵の姿が、嫌でも目に入ってくるはずである。

「それで、折角だから屋台の食べ物を持ってこさせたんだ。豪勢とは言えんが、偶にはこういうのも良いだろう」

言いながら、身体が冷えぬうちにと、ロッシュを促して室内に戻る。机を挟むように座ると、客人に茶を入れるため、茶器を手に取った。保温容器から湯をポットに移し、しばらく蒸らした後傾ければ、濃い色をした茶が茶碗に向けて流れ出す。

「アリステルには、祭りはあるのか?」
「ええ、地方でやってるようなのは知りませんが、首都では建国祭や……ノア、様の聖誕祭が開かれていますよ」

湯気を上げる茶をロッシュに手渡すと、ガーランドは代わりに自らの杯を持ち上げた。ロッシュも礼を返すべく酒瓶を手にして、ガーランドの杯に注ぎ入れる。

「ああ、何処でも似たようなもんだな。うちでも建国祭は派手にやってるぜ」
「そうでしょうね、アリステルはシグナスほど賑やかじゃありませんが、それでも祭りの間だけは皆騒ぎまくってますよ」

離れた故国の光景を思い出したのか、ロッシュの目元が僅かに綻んだ。それを楽しげに眺めながら、ガーランドは酒で満ちた杯を掲げ、同様に手向けられたロッシュの茶碗と打ち合わせる。勢い良く酒を干すと、直ぐにロッシュが酒瓶を取り、空になった杯を満たした。自分が飲まなくて良いというのは随分と気楽なようで、その表情に以前程の気負いは見られない。ガーランドはふと零れた笑いを誤魔化すため、目の前に並んだ皿から適当な品をひとつ手にして、ロッシュに差し出した。

「ほら、折角だから食え」
「有り難う御座います、頂きます」

ガーランドが差し出した菓子、鮮やかな彩色を施され可愛らしく捻りあげられた飴は、大柄なロッシュが持つと酷く小さく玩具めいて見える。躊躇わずにそれ口に入れたロッシュだが、しかし一瞬後には眉を顰め、一齧りした飴を口から取り出した。

「……甘いですねえ」
「そりゃ、砂糖の塊みたいなもんだからな」
「子供なら喜ぶんでしょうね、こういうのは」
「ああ、久々に食べると懐かしいもんだろう?」
「そういうもんですか……」

苦笑しつつ飴を眺めるロッシュの表情を見れば、ガーランドのように郷愁を感じているわけでもなさそうだ。食べることに積極的で無いのならば無理して食べさせるつもりは無い、ガーランドは彼の手から飴を奪い、皿の上に戻す。

「まあ、大人になると味覚ってのは変わるからな。それともこういう菓子は、アリステルには無かったか?」
「いえ、アリステルもここにあるのと、あまり変わらんですよ。変な色した菓子とか、果物を飴で包んだ奴とか、そんなもんです」
「祭りの菓子なんざ、何処でも同じか。トカゲの串焼きなんぞは、さすがにうちくらいしか無いだろうが」
「……それは確かに、アリステルじゃ見ないですね」

笑いながらロッシュが、示された串焼きを手に取り、一口頬張る。筋張って堅い肉を難なく咀嚼する彼に、ガーランドはまた笑いを零しながら、杯を傾けた。

「お前はガキの頃から、肉ばっか食ってたんだろうな。飴を食ってそのガタイになるとは思えん」
「さあ……どうでしょうかね。屋台のもんなんて、食った覚えが無いもんで」

その言葉にふと違和感を覚え、ガーランドは内心首を傾げた。子供であれば、祭りの屋台に並ぶ俗な食べ物を魅力的に思わぬはずは無いと思うのだが、それを手にした経験が無いとは。

「何だ、親に禁止されてたのか?」
「そういうわけじゃありませんが……」

語尾を濁して否定する彼は確かに、祭りを禁止されるような良家の出には、とても見えない。観察眼に長けた王の目は、過剰な庇護を受けぬくぬくと育つ富裕層とは全く異なる気配を、彼の挙動に見出していた。遠慮を知らず注がれるガーランドの視線に、ロッシュは少々困った様子で、苦笑を深める。

「まあ、良いじゃないですか、そんなこと」

言いながらもうひとつ、串に刺された肉片を口に含んだ。その表情を見たガーランドの脳裏に、ふとひとつの想像が浮かぶ。シグナスにも残念ながら一定数存在する、祭りに参加するだけの資格――一定以上の収入を持てぬ者たち。もしくはそもそも、庇護者となる親を持たない子供たちの姿を、ガーランドは思い浮かべた。彼らは祭りが開かれても屋台に群がることは出来ない、国から無償で配られる食べ物や酒のみで我慢するか、正当な取引を経ずして屋台の売り物を奪取するかだ。あるいは祭りの喧噪に紛れて、直接参加者の懐を狙う不届き者も居るかもしれないが、どちらにしろ暢気に屋台の味を楽しむような状況ではないだろう。

「……そうだな、どうでも良いか」

ガーランドの口元が、苦笑に近く歪む。自らも目に付いた品を手に取り、一口齧りついた。小麦を焼いた生地で野菜と肉を包んだそれは、甘辛い汁の味がやたらと濃い。べたついた口の中を洗うため、ぐいと酒を煽る。そして改めてロッシュに向き合うと、またひとつ皿の上から料理を取り上げた。

「まあ、食ったこと無いなら色々試してみろや。これなんか良いんじゃないか、甘いぞ」
「また甘いやつですか?」

示された品、砂糖漬けの果物を細かく刻んで混ぜた飲み物に、ロッシュは渋々口を付ける。やはりこれも彼の口には甘すぎたようで、顔を顰めて口から離す様子に、ガーランドは楽しげな笑い声をたてた。ロッシュは苦い顔で、機嫌良く笑う王を睨み付けている。

「ガーランド王も、食べてみたらどうですか? 美味いかもしれませんよ」
「俺は酒飲んでるんだぞ、甘い菓子が食えるか。ほら、甘いのが嫌ならこれはどうだ」
「……まあ、飴よりはマシですかね」

ガーランドが食べたのと同じものを差し出せば、文句を言いつつ素直に齧り付いている。美味そうな顔ではないが、それでも離さず食べ続けているあたり、甘いだけの菓子よりはまだ良いと判断したのかもしれない。その現金な態度が実に面白く、ガーランドはまた声を上げて笑う。

「何ですか、一体」
「いや、気に入ったなら何よりだ」
「そこまでじゃあ無いですが……」
「そうか、それなら他のだな。これも食ってみろ、小麦に野菜と肉を混ぜたもんだが、腹に溜まるぞ」
「宴会でも色々頂きましたから、腹が減ってるってわけじゃあないんですよ」
「まあ、気にするな。口に合わなきゃ残せば良いさ」
「贅沢ですねえ」
「王だからな、たまにはこれくらいしても良い」

ぶつぶつと言いながら、進められれば断らず口にするロッシュは、態度に反して意外と味見を楽しんでいるのかもしれない。ガーランドは勝手にそう思うことにして、次に何を勧めようかと、機嫌良く皿の上を見渡した。



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セキゲツ作
2011.10.11 初出

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