「さ、入った入った」
ここまで来たというのに未だ覚悟の座らぬ様子で、ロッシュは部屋の前に立っている。さすがに立ち竦む、という弱さはさ感じさせないが、さりとて開き直って堂々と入り込む程強くもない。礼を失しない程度に己を主張する、将軍として立っている時と大差無いその態度に、ガーランドは隠すこともせず盛大に舌打ちをした。
「入れ、つってんだろ。ほら、遠慮すんな」
声を低めて腕を掴み、強引に引き入れてようやく、彼は室内へと足を踏み入れる。失礼します、と妙にドスの利いた挨拶を述べられ、ガーランドの口元に苦笑が浮かんだ。他人の居室に招かれるというのは、それほど緊張する事なのだろうか。ロッシュにとってはそうかもしれない、何しろシグナスに居る間は、如何なる時も真面目を絵に描いたような挙動で居る男だ。私的な誘いだと前口上を入れたところでそれが緩まるわけではない、いや一対一の差し向かいで杯を交わし合うなど、礼を保とうと堅苦しさが増すのは目に見えている。
しかしそれでは、態々宴席を早めに上がり、強引に部屋に連れ込んだ甲斐が無い。戦場でも酒の席でも全く態度を変えない男の、仕事を外れた顔を見てやりたいと、常からガーランドは思っていたのだ。ストックも同じように、何処であろうと振る舞いを変えようとしないが、それは彼の異常と言って良い図太さが要因にある。ロッシュの場合はそれとは異なると、ガーランドは感じていた。場合によって態度を変えないのではない、シグナスに居る間、そして恐らく王であるガーランドと対峙している間は、将軍としての顔を崩そうとしないだけだ。例えば仕事中であっても、ストックが横に居る間は、僅かではあるが仮面が外れて砕けた気配が覗くことがある。垣間見える個人としての顔、それを目の前から見てやりたいと考えて、まずは公の場から引き離して二人だけになってみたのだが。
「そのへん、適当に座れや」
「はっ」
「そんなに堅くなるこたねえ。これは王だの将軍だのじゃねえ、俺個人としての招待だからな」
「はあ……有り難う御座います」
「頼りねえ返事だな、まあとにかく座れって」
再三促し、ガーランド自らも長椅子に腰掛けて、ようやくロッシュは勧められた椅子に腰を下ろした。目上の者より先に座ることは失礼にあたると思っているのだろう、何処までも軍隊気質な彼の所作に、思わず嘆息が漏れる。
「……どうか、なさいましたか?」
「いや、難物だと思っただけさ」
「は?」
「こっちの話だ。いや、ぐだぐだ言うのは後だな、とりあえず飲めや」
二人が挟んで向かい合っている机の上には、既に酒と肴の用意が成されている。少し前まで宴席でも飲んでいたのだが、ロッシュがさほど杯を重ねていないのは確認済みだ。公の場で酩酊し、行動に影響を出すわけにはいかないと、以前に彼自身の口から聞いたことがあった。
「はっ、有り難う御座います」
「……よし、まずはその肩肘張った口調からだな。お前、もうちょい適当に喋れ」
「へ、何ですかいきなり」
ガーランドの発言は、彼自身にとってはそれまでの思考の流れに沿った自然なものだったのだが、ロッシュから見れば随分唐突に思われたらしい。普段は鋭く光る目を丸く見開いた、間抜けな表情を晒している。
「堅苦しいんだよ、個人的に飲むっつってんのに軍隊口調持ち込むなってんだ」
「そうですか? そんなに堅いですかねえ」
「堅い。自覚が無えのか?」
「むしろ、ちゃんとした話し方は苦手だと思ってるんですが……」
申し訳なさそうなロッシュの表情に嘘は無い、確かに彼の話し方は、正式な軍隊口調というにはやや砕けたものだ。彼の性格からしてみれば、王との対話で使うには乱暴すぎると考えていても、不自然ではなかった。しかしガーランドが言う堅さと、彼が考えるそれには、程度に大きな隔たりがある。
「そりゃ、認識が甘すぎる。もっとこう、ストックみてえに適当で良いんだよ」
「ストックですか!? それはさすがに、ちょっと」
「無理か?」
「当たり前です! あいつの真似なんざしたら、礼儀もへったくれも無くなっちまいます」
「だから、それで良いっつってんだろ」
「良くありませんて」
「あのなあ、今は軍も国も離れた席だって、何度言えば分かるんだ」
「仕事でもそれ以外でも、目上の人間に対して友人と同じには出来ません」
「ストックはそうしてるがな」
「……あいつの真似は、俺には出来ませんから」
妙に深く溜息を吐くロッシュに、ガーランドはまた舌打ちをする。どうやらこの男の頑固は、生半なことで崩せるものでは無いらしい。それならば攻め方を変えてみるかと、ガーランドはロッシュに杯を押し付ける。
「まあいい、とにかく飲め。話はそれからだ」
「はあ……」
これはさすがに覚悟していたのか、けして乗り気ではないが、それでも注がれる酒を拒むことはしなかった。手にした杯が満たされると、酒瓶を受け取り、返礼としてガーランドに注ぎ返す。無色透明な酒が満たされた器が、二人の中央で軽く打ち合わされた。そしてまずは無言のまま、双方が杯を干す。
「酒宴でも出しているが、これはシグナスの名産でな。アリステルじゃ中々見ない酒だろう」
「そうですね、シグナスに来て初めて頂きました。独特な味、ですね」
「だろうな。サボテンが原料なんだ」
ガーランドの言葉にロッシュが目を丸くし、まじまじと瓶の中の液体を凝視する。その反応の良さに、ガーランドは呵呵と笑いを飛ばした。熱い視線を浴びている瓶を掴み、再びロッシュの杯を満たす。
「砂漠化が進んで作物が取れなくなった時期に、穀物や果物以外を使った酒が出来ないかと試してみたんだよ。サボテンなら砂漠でも成長するし、育てる手間も少ない。今じゃ国内で作られてる酒は、殆どがこれだな」
「なるほど……色々、苦労があったんですね」
「まあな。だからほれ、もっと飲め」
「だから、の意味がよく分かりませんが」
苦笑しつつロッシュは、促されるままに口を付ける。今度は干すことはしない、杯には半ばほど液体が残ったままだ。用意した酒はかなり度数が高く、さらに酒宴で出している時とは異なり、生のままを注いでいる。味で酒精の強さを感じ取って飲む量を加減しているのだろう、しかしガーランドは構わず、減った分だけ再び酒を注ぎ足した。
「……有り難う御座います」
礼を述べるその表情には、しかしよく見れば微かに困惑が漂っている。一応口に運びはしたが、減った量は先程よりもさらに少ない。
「進みが悪いな、もっと勢い良くいけや」
「いや、強い酒ですからね。勢いで飲んでたら、あっという間に潰れちまいますよ」
「別に構わねえだろう、ここにお前の部下は居ないし、出発は二日後だ。たまには潰れるまで飲んでみろ」
「そういうわけにはいきませんって」
「礼儀に反する、か? ったく、宴席でもこっちでも対して変わんねえなあ」
ぼやきつつ酒を干すガーランドに、ロッシュは苦笑を浮かべた。
「それだけでもありませんよ、飲み過ぎると後が大変ですから」
「何だ、お前酔うと人が変わるタチか?」
「いえ、二日酔いが酷いんです」
ガーランド自身は、浴びるほど飲もうと思考にも身体能力にも影響は出ないし、不調として後に残ることもない。だからその症状は話にしか聞いたことが無いのだが、歴戦を潜り抜け数多の傷を身に負ったこの男が顔を歪めて忌避するくらいなのだから、よほど辛いものなのだろう。しかしやはり、自分に経験の無いことでは、想像するにも限界がある。まして気遣うつもりがあまり無いのであれば、尚更扱いは適当だ。
「そりゃ大変だな。だが大丈夫だ、治まるまで休んでいっても、誰も文句は言わねえ」
「そういう問題じゃありませんって!」
ロッシュの言葉に口先ばかりは同情する態を見せつつ、手は酒を注ぐことを止めないガーランドに、ロッシュは些か荒い語調で抵抗の意を示した。目線で促してやれば、一応杯を口に運びはするが、舐める程度しか口に含もうとしない。
「一国の将軍ともあろうもんが、頭痛が怖いでもねえだろう。良いから飲め、吐いたって構わんぞ」
「前から思ってたんですがね、何でそんなに飲ませたがるんですか? 歓迎の気持ちだってんなら、十分頂いてますよ」
「それもあるがな、そもそもお前がくそ真面目過ぎるのが悪い」
ガーランドの言葉から意図が理解できなかったのか、ロッシュは不審げな顔で首を傾げる。
「仕事で来てるにしたって、面でも被ってるみたいに真面目くさりやがって。ちょっと酔わせて、将軍面をひっぺがしてやりたくなるじゃねえか」
「何ですか、そりゃあ」
ガーランドの主張は、彼からすれば酷く理不尽に感じられるものだろう。国の代表として軍を率いる責任感と他国の王に対する礼儀、普通であれば当然発生するそれらによって堅い所作になっているというのに、そのことを責められ尚且つ止めろと言われているのだ。まともに考えれば言いがかりに近いものだ、しかしガーランドは至極真剣に、ロッシュを見据えてる。
「詰まらんだろう、もっと面白い奴だと分かってるのに、その顔が見られないんじゃな。ちょっと荒療治だろうと、仮面をひっぺがしたくなるもんさ」
「評価頂いてるのは有り難いですがね、俺はそんなに面白いもんじゃありませんよ。そんな器用に、表だ裏だと使い分けられるようなタチじゃねえですからね、今お見せしてる顔で仕舞です」
「器用じゃねえのは分かるがな、意識してねえところで切り替わってるんだよ。お前だって、友人を相手にしてる時と今で態度が違うことくらい、分かるだろう」
「そりゃまあ、そうですが」
渋い顔で考え込むロッシュに、ガーランドが畳みかける。
「だから、気持ちごと切り替えちまえ、って言ってんのさ。将軍だの他国に居るだのって意識は一旦外しとけ、そんでたまには甘えてみせろ」
「は? 甘えろ、と言われましても」
「年上相手なんだから、ちょっとくらい許されるぜ? 大体お前は真面目過ぎるんだから、それくらいで丁度良い」
「…………」
真意を探るような、あるいは単純に呆れたような視線で、ロッシュがガーランドを見た。ガーランドはそれを受けてにやりと笑い、杯を掲げてみせる。気負った気配の一切無いその表情に、ロッシュもついに諦めを覚えたのか、目を伏せて大きく溜息を吐いた。
「それじゃあ、ひとつだけ言わせて頂きますが」
あるいは、ここで譲歩せねば、本当に本気で潰れるまで飲まされかねないと思ったのかもしれないが。甘える、という形容詞を冠するのは躊躇われる程低く険しい声で、ロッシュは呟きを零す。
「俺、実は酒は好きじゃないんですよ。歓迎するつもりなら、酒責めにするのは止めて頂けると助かります」
その言葉に、ガーランドは虚を突かれて黙り込み。しかしそれも一瞬のこと、やがてその表情を楽しげなものに変えると、大きく声を上げて笑いだした。
「ははははは、そうか! そうかよしよし、それで良いんだよそれで」
「はあ……」
王が歓喜する理由を、しかし当のロッシュは全く理解できていないようで、困惑の態でガーランドを見詰めている。そのどこまでも無自覚な様子に、ガーランドはにやりと笑って、その手から杯を取り上げてやった。
「そういうことはちゃんと言え。我慢して付き合わせても、面白くもなんともねえ」
「……申し訳ありません」
「全くだ、だから常々遠慮するなって言ってんだろ」
本気の憤りではないが、鼻を慣らして不機嫌を示してやる。ロッシュの反応は、困惑したものか不機嫌を返したものか迷っているような、実に微妙なものだった。耐えるのが美徳とでも思っているかのようなこの男にとって、馴染めない主張であるのは、確かなのかもしれないが。
「まあ、勝手にガタイでだけで酒飲みだと判断してた俺も悪かったがな」
「飲めないわけじゃあないんですがね、好きではないってだけです」
手元から酒が無くなったのが良かったのか、少し気が緩んだらしいロッシュが、肩を竦めてそんなことを言う。無類の酒好きであるガーランドからすれば、身体が受け付けるのに好まないというのは全く理解できない感覚ではあるが、分からないからといって即否定に走る程彼の器は小さくない。
「分かった、じゃあ次からは酒は無しだな。何なら大丈夫だ?」
「いえ、別に飲めはしますから、適当には付き合いますよ。部下の前で茶を啜ってるわけにはいきませんからね」
「そりゃ宴席での話だろう、そうじゃなくて、次に俺の部屋に来る時の話だ」
至極当然に発せられた単語の羅列に、ロッシュは今日何度目になるか、驚きを露わにしてガーランドを見た。
「……は?」
「は、じゃねえ。また次の遠征でも、こっちで飲むぞ」
お前は酒無しでな、と当然のように言い放つ。それを聞いたロッシュの表情が、慌てたそれに変わるのを、ガーランドは楽しげに眺めた。
「い、いや、ちょっと待ってください」
「何だ、嫌か?」
「嫌、ってわけでは無いですが……」
「嫌じゃねえなら構わんな、よし、次もちゃんと来いよ。茶は用意するが、他に飲みたいもんがあるなら先に言っとけ」
甘えろ、と言った舌の根も乾かぬうちに、意見を差し挟ませぬ勢いでまくし立ててしまう。その態度にロッシュは、あからさまな呆れを示して、深く息を吐いた。
ガーランドとしては、本気で拒絶されれば無理強いはしないつもりだったのだから、そんな反応をされるのは心外というものなのだが。嫌なら言えとは先に伝えてあるぞ、と内心呟きを零す。
「……分かりました。日程に余裕があったら、伺います」
諦めたような一応の抵抗は示したいような、そんな複雑な表情で首肯するロッシュに、ガーランドはにやりと笑いを浮かべた。取り敢えずの本音を引き出せたこと、そして次の約束を取り付けられたことで、今夜の目的は果たせたと言って良い。――勿論、それで即解放するつもりも、全く無いのだが。
「よし、決まりだな。少し待ってろ、今茶を持ってこさせる」
「へ、まだ飲むんですか?」
「当たり前だ、まだ来たばっかりだろうが。他にも色々、話を聞かせてもらうぜ」
物騒な笑いを浮かべるガーランドに、ロッシュは引き攣った笑いを浮かべて。どうやって逃げ出したものかと考えているのが、ありありと分かる様子で、本日何度目かの大きな大きな溜息を吐くのだった。
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セキゲツ作
2011.10.08 初出
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