見渡す限り、砂が広がっていた。遮るもののない平坦な大地を、陽光を照り返す分厚い砂が覆い、そこから生命の気配を消してしまっている。
いや、それらの砂こそ生命なのだ。だがそれはかつての話で、マナを奪われた今は単なる物質と化して、誰のものとも分からず混じり合うばかりである。
大地にもはや木々は無い、人も動物も、小さな虫さえ見られない。水が穴に流れるように、全ての命は時空の虚ろに吸い込まれて、何ひとつとして残りはしなかった。語るものもなく、僅かな動きすら無い空白の空間。そこにはただ、風に流されさらさらと鳴る、耳鳴りのような砂の音が響くばかりだ。
そんな、死の大陸の中に。
「……まただ」
数瞬前までは、彼らは確かに存在していなかった。動くものなど僅かとてない茫漠たる空間の直中、瞬きする間に現れた、ただ二つだけの生命。いや――本当に命ある存在なのかどうかは、彼ら自身にも分からないだろうが。
「また、世界を救えなかった。……全てが、砂になってしまった」
呟いた少年は、隣の答えを待たずして、その場に屈み込む。そして立ち上がった手には、一冊の書物が持たれていた。何の変哲も無く見えるそれは、砂の中に埋もれていたというのに、不思議なことに僅かな汚れも付着していない。埃の一粒すら纏わせることなく、今作られたばかりのような顔をして、少年の手に収まっていた。
「……そうね」
その横に立つ少女の手にも、少年のそれとよく似た本がある。白示録と黒示録、歴史の行く末を決める二つの書は、大陸の滅亡を後にしてヒストリアの案内人の手へと戻っていた。旅を終えた魔動器を手にしたリプティは、弟の横に立ち、果てしなく広がる砂原を見渡す。無限とも思われる砂粒の中には、書の使い手であった者達の身も混じっているのだろう。これまで幾度と無く繰り返された、終わりの時と同じように。
「今回は、上手くいっていると思ったのに……」
書を見詰めるティオの目は、随分と疲れているように見えた。十に満たぬ外見からは考えられぬ程老成した疲労が、彼の双眸に浮かんでいる。
「そうね……ストックも白示録に覚醒し、その力で歴史を切り拓いてくれていた」
「上手くいっていたんだ、黒の力を退け、己と仲間の命を守って」
それはリプティに関しても同じことだ、書の使い手達を導くのが案内人の役目、そのために時の流れから切り離された彼らは常人が考えつかぬ程の年月を精神に刻んでいる。手にした書に記された無数の歴史、使い手ですら全てを見ることは出来ないそれらを、案内人は見守り続けてきた。正しいものも、過ちに終わったものも、全て。
「でも、今回も失敗してしまった」
ティオの手が白示録を開く、そして枝分かれした道のうち一つを、指でなぞった。途中でぶつりと切れたそれの終端は、世界の終わりを示す禍々しい紅で染まっている。リプティが確認する間でもなく、黒示録にも同じ道が記されているだろう。双子が見る場合に限り、白示録と黒示録が示す内容は完全に同一――即ち、繰り返される歴史そのものの形をしている。
「何がいけなかったんだろう? どうして……また、世界は滅びてしまったんだろう?」
疲れきった様子でティオが呟く、幾度かの儀式を見届けた彼らだが、今回はそこに辿り着くまでの道があまりにも長い。前代のニエによる執拗な妨害を避けるのは、歴史に対する直接の介入を禁じられている彼らにとって、中々に難しいことだった。ストックはよくやってくれている、だが彼とて道を間違えることもある、この歴史のように。
「――岐路は、はっきりしています。ストックは、ロッシュを二度、殺すことができなかった」
砂原を見たまま、リプティは語る。袋小路に追いつめられた歴史の起点、全ての終わりが始まった場所が、彼女には見えていた。今は砂となり他との区別も無いが、彼らが立つこの場所、セレスティアの中心地こそがそれだった。結界樹の下、ストックが覚えた絶望の中で、世界の帰趨は決まってしまったのだ。
「ストックにとってロッシュの存在は、あまりに大きい。歴史を紡ぐか、彼を殺すか。ストックにとってすら、その選択は残酷すぎたのでしょう」
「……一度は殺しているのにね」
「だからこそ、です。それがどれ程の苦しみを伴うか、知ってしまったからこそ選ぶことができなかった」
避けられない道で踏み越えた絶望を、もう一度意図的に行えと言われて、歩を進められる者がどれだけ存在するか。ストックは強い、だがその強さにも限界がある。彼の強靱な精神に甘えすぎた結果が、死しか残らぬこの光景だ。
「ストックにロッシュを殺すことはできない、いえ、殺すと分かっている歴史を選ぶことはできない」
「そうだね。なら、殺させないようにする?」
「それが早道でしょう」
語り合う言葉の中に光を見出したのか、双子は互いに視線を向け合い、頷いた。
「だけど、ロッシュの死に致る陰謀は厚い。あれを無かったことにするのは、さすがに難しいよ」
彼がストックの親友であるからか、ロッシュの死は執拗と言って良い程周到に、歴史の中に組み込まれてしまっていた。それを完全に回避することは、力を制限された案内人の立場からは、おそらく不可能だ。
「そうですね……ならばストックには、一度は苦しんでもらう他無いでしょう」
突き刺さった牙を、全て抜くことができないのならば、せめて致命傷は避ける。リプティの言葉に、ティオも興味を引かれた様子で、丸い目を光らせた。
「問題となるのは二度目、彼自身の意志でロッシュの殺害を決意させることです。それさえなければ、一度目、不可避の状況でストックが逃げないのは分かっています」
「……ロッシュを殺す理由は、コアパーツの奪取。それが必要になることが、ロッシュの死より先に分かっていれば」
「あるいは、知らずにロッシュを殺した時にも、ガントレットを回収していれば――ストックは必要としていた部品を手にし、二度ロッシュを殺す必要は無くなる」
その言葉に、ティオは力強く頷いた。ヒストリアの案内人に許されることは、その力に比して酷く限られている。しかしその僅かな範囲、世界に対して働きかけるほんの少しの影響によって、彼らは歴史を正しい方向へと導き続けてきた。今までずっと、そして今回もまた。
「とにかく、ロッシュの一度目の死でガントレットを入手させる。そういうことだね」
「ええ。そうすれば、ストックが足を止める理由は無くなる筈」
頷き合う二人の表情には、未だ少しばかりの疲れが滲んでいた。長く、気の遠くなる程長くを、彼らは世界のために歩み続けてきた。人より遙かに優れた彼らといえど、重ねられた時間は重く、背負うは辛すぎるものだったのだろう。希望を前にしても絶望は消えない、長い繰り返しの中で味わい続けた哀しみは、あまりに大きすぎる。
だが彼らはそれでも、歩むことを止めない。自分たちが止まったそこが歴史の終端になると、理解しているのだ。
「道は見えました。……さあ、やり直しましょう」
「そうだね……やり直そう」
彼らの手にした二つの書が、独りでに浮き上がり、ばらりと表紙を開く。触れる手も無く踊る頁から、目を焼く程の光が溢れだしてきた。それは二人を包み、大地を包み、世界を包み込んでいく。
「僕たちの力は、そのためにあるんだから」
「そして今度こそ、正しい歴史を――」
光の中で姿も見えなくなった彼らの声が、何処からか響いた。
そして、全てを飲み込んだ光は、やがて収縮し。
後には何も、時すらも残らぬ、無だけが横たわっていた。

物語の終わりは、未だ――遠い。



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セキゲツ作
2012.06.21 初出

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