グランオルグ歴147年。王子エルンスト十五歳の祝賀に、国中が沸き立っていた。国王の第一子にして長男でもあるエルンストは、少なくとも公式には、国政への関与はしていない。だがそれにも関わらず、彼の力によって成し遂げられた偉業が数多く存在する――少なくとも、そういった噂は国中に知られている。道を整え、橋をかけ、教育施設を建築し。エルンスト王子は民衆のため、個の利を捨てて尽くしてくれているのだと、グランオルグ国民の多くが思っていた。彼が成長し、父の後を継ぎ王となった日には、グランオルグをさらなる繁栄に導いてくれるのだと。
 それは実際、間違ってはいない。エルンストが国民のため、数々の事業を押し進めてきたのは、公言されていないが歴とした事実だ。彼の賢さと胆力は、十五歳の今ですら目を見張るものがある。利権に捕らわれた腹黒い貴族共を相手にして一歩も引かず、実を知りつつ理想を忘れることもない。彼が王となって君臨したならば、グランオルグは確かに、今よりもずっと良き国となることだろう。
 だが、それだけでは無いのだ。エルンストが城外で行っている活動は、国民に噂として知られているような、道や教育の整備だけでは終わらない。勿論、下水道の探索などといった、可愛い冒険で済むものでもない。彼が、誰にも知られぬよう密かに行っているのは、もっとずっと大胆なことだ。正式な国交のない国の住人達との秘密裏の会合、それが彼の行っている秘事だった。フォルガにグランオルグ、そして――アリステル。
 アリステル。今日の目的も、アリステルの研究者と会うことだった。会合を終え、去ってゆく相手を見送りながら、オットーはぼんやりと考える。アリステル。数十年前にグランオルグからの独立を宣言し、長い間小競り合いを繰り返してきた国。グランオルグにとっては、長く続く因縁のある相手だ。時の王の方針により、争いの頻度は変わるが、敵国であるとの認識は変化していない。
 そのアリステルの人間と、エルンストは何度も会合を重ねていた。今回のように研究者が相手のこともあれば、軍に所属する人間が居ることもある。そしてどんな立場であれ、若者が相手となることは変わらない。どのようにして連絡を付けているのかは知らされていないが、アリステルに内通者が居るか、隠密に長けた手ゴマでも持っているのだろう。
「どうした、オットー」
 声をかけられ、思考を現実に戻す。訪問者の姿は既に無く、視線は誰もいない宙を泳ぐばかりだ。振り向けば、怪訝な表情のエルンストと目が合った。この数年ですっかり背は伸び、もはや視線を合わすのに顔を傾ける必要も無い。何とはなしにその顔立ちを眺めていると、訝しげに見詰め返される。
「何か気になることでも?」
「いや。……そういうわけじゃ」
 懸念も疑問も、数え上げればきりがない。だがオットーはそれを言葉にせず、首を横に振る。
「王子、中へお入りください。オットー、お前も」
 エルンストは何某か言葉を重ねかけたようだったが、ウィルの誘導に発言を飲み込み、大人しく室内に戻る。オットーも促され、部屋の中へと引き返した。
 扉を閉ざし、この場が三人だけになると、緊張を解いて息を吐く。コルネ村はエルンストに協力してくれているが、それを全面的に信用できるわけでもない。村長がそのつもりでも村人の誰かが裏切ればそれまでだし、そうでなくとも部外者が忍び込んで害を成そうとすれば、それを防ぐ力など無いだろう。聞き耳を立てる間者が居ないと確信出来るのは、こうして密室に閉じこもった時だけだ。
 室内はけして広くはないが、数人が着席できる卓と、簡易的な寝台が設えられている。村長が、エルンストの活動のためにと用意してくれた部屋だ。家具は村の側で用意してくれたものだが、壁沿いに並べられた本棚とその中身は、エルンストが持ち込んだものである。大陸の歴史について書かれた本が殆どらしいが、読み書きが得手ではないオットーにとっては、字がやたらと細かい本という程度の認識だ。
 それらの背表紙を見るでもなく眺めながら、オットーは席に着いた。机の上に残されたままだった紅茶を、未使用のカップに注ぎ分ける。保温性の高い容器に入れてはあるが、エルンストと研究者の長い話の間に、随分冷めてしまっているようだった。
「淹れ直すか?」
 儀礼的な問いかけにたいして、二人が否定を返したのを確認しオットーも腰を落ち着ける。自分用にと注いだ紅茶を一口含む。やはり温い。王子が飲むために用意した高級な茶葉を、こんな劣悪な条件で口にするなど、趣味人が見たなら激昂しかねない光景である。しかし三人とも、そんなことを気にする余裕は無い。エルンストは何やら――恐らくは先程の会談についてを考えているし、オットーも見張りの緊張を解し、今後について頭を巡らせている。ウィルに関しては、内心を読むことは難しいが、やはり何事かを考え込んでいるように見えた。
「……ん。何だ、それ」
 と、何気なく泳がせた視界の隅に、奇妙なものが移った。エルンストが何かを持ち、くるくると回しながらそれを観察しているのである。両手から少しはみ出す程度の大きさであるそれは、金属の棒を半ばで折り、片方に持ち手を取り付けたような形状をしていた。よく見れば棒と思われたものは中空の筒で、丁度折れ曲がったあたりの部分に、二周りほど大きい円筒が組み込まれている。その直ぐ下に細長く曲がった棒が飛び出ているのは、指でもかけるためのものなのだろうか。見慣れない代物に、オットーとウィルが目を凝らしていると、エルンストがにやりと笑みを浮かべた。
「今日来た研究者が置いていった。アリステルの魔動機械だ、銃というらしい」
 魔動機械、という単語に、オットーは目を丸くする。グランオルグでは馴染みのないものだが、噂では幾度も名前を聞いていた。魔法として行使される力を無機物に込め、誰でも使えるようにする技術。生活を劇的に楽にする素晴らしいものだとも、製造と使用には大きな代償を払う忌避すべきものだとも、人々の間で語られている。戦争相手の国のこと、後者の論調の方が、圧倒的に多いのだが。
 エルンストの手の中にある小さな固まりが、その魔動機械だというのか。片手で握って持ち上げられるような大きさのそれを、オットーは信じられない思いで見詰めた。
「魔動機械ですか。噂では聞いたことがありますが、そんなに小さいものだとは」
「ああ、魔動機械にも様々な機能のものがあるらしい。これは携帯用の武器として作られたのだと聞いた」
 ウィルも驚いてはいるようだが、オットーほど顕著ではない。彼はシグナスの出身だ、戦争において驚異となっている魔動技術に対しても、大きなこだわりは無いのだろう。エルンストの手中に注がれる視線も、畏怖や警戒は薄く、純粋な興味に彩られている。
「武器とは言っても、さほど力は大きくないらしい。使用者の中にあるマナ――魔法の力を源とし、この筒の先から発射するのだとか」
「成る程。しかしそれは、普通の魔法とどう異なるのでしょう」
「より高精度に、炎や氷と言った媒介を用いない純粋な力を打ち出せるのだと言っていたが……まあ、使ってみないと分からないな」
「使うのか? それを」
 警戒も露わなオットーの反応に、エルンストの唇が僅かに持ち上がった。
「アリステルの魔動工学というのがどんなものか、興味はある。今日、一通りの説明は聞いたが、実際に触れてみて分かることも多いからな」
「危険だろう。ちょいと無茶が過ぎるぜ、王子様」
「どうした、今日はやけに過保護だな」
 愉快そうに笑うエルンストに、オットーが苛立ちを露わにする。厳しいその表情に、エルンストも笑みを引っ込め、ひょいと肩を竦めた。 
「そこまでの威力が無いことは分かっている。先程の男が試しに撃ってみせたが、床を焦がす程度のものだったよ。私が使えばもう少し威力は出るだろうが、危険となる程ではないだろう」
「そういうことじゃなくてな」
「心配ならば、次に彼らと会った時に試そう。勿論お前も同席して」
「だから、そうじゃない!」
 声を荒らげるのは、これが初めてのことだった。エルンストは言葉を中途で途切れさせ、オットーを見詰める。
「危険の意味が違う。分かってんだろう、あんたの持ってるそれがアリステルで作られたもんだなんて、馬鹿でなけりゃ誰でも分かる。そんなもんを振り回して、アリステルと通じてることがバレたら、どうなると思ってるんだ」
 張り詰めた沈黙と共に、エルンストがオットーを見た。驚きが彼の顔を覆っている。だがその奥に、酷薄に様子を伺う光があることに、オットーは気づいていた。
「人前で使う必要はない。この性能を、いやアリステルの持つ技術の一端でも確認できれば、それで良いのだからな」
「隠したつもりだって、何処かで誰かが見てるもんだぜ。その玩具のことだけじゃない、こうしてこの村でアリステルの奴らと会ってることだってそうだ。他の奴らに知られたらどうなる? 英雄扱いもここまで、手のひら返しで裏切り者扱いだ。最悪、あんたが王位に就くのを反対する奴らだって出てきかねんぜ」
 エルンストがオットーを見ている。驚きを浮かべていた筈のその目からは、いつの間にか一切の表情が取り払われていた。無感動な視線を真正面から浴びせられ、オットーは拳を握りしめた。
「お前の言いたいことは分かった。私のことを気遣ってくれていることも」
「じゃあ」
「だが、アリステルと関わるのは、必要があってのことだ。止めるわけにはいかない」
 淡々と切って捨てるエルンストの顔を、オットーは睨み付ける。その勢いが普段の反論とは異なることを、エルンストも理解している筈だ。それでもエルンストの中には、戸惑いも怯えも無い。揺るぐことなく、臣下の怒りを受け止めている。
「必要とは? 確かに以前から、国外の者と交わる必要性については、語られておりましたが」
 こちらはこちらで、オットーの怒りと緊張など知らぬ顔のウィルが言葉を挟んだ。だがあるいは、それは意図してのものだったのかもしれない。普段と何も変わらぬ、平静な態度のウィルに触れ、オットーも少しばかり安定を取り戻す。
「……ああ、そうだ。必要なんだ、全てのことが」
 そしてそれは、エルンストの側も同じであったらしい。強固な威圧の壁が消え、普段と同様の無表情が、オットーとウィルに向けられる。
 彼は長い間、逡巡しているようだった。即断即決の多い彼としては珍しいことだと、オットーは思う。考えるエルンストに、何も言葉をかけなかったのは、彼が何か重大な決断を成そうとしていると感じたからだ。横に座るウィルを見ると、同意を示す目配せが帰ってきた。
「話すべき時なのだろう。お前達にも、国民にも」
 やがてエルンストは決断し、改めてオットーとウィルを見た。手が強く握られているのは、緊張の為だと、オットーは気付く。本当に珍しいことだ。つまりそれだけの重大事を、今から話そうとしている。
「長くなる。そしてにわかには信じがたいであろう話だ。全て、子供の妄想だと切って捨てられても仕方がない程の――だが、今から私が話すことは全て真実であると、ここに宣誓する」
 緊張は伝染する。オットーも、意識の外で、自らの拳を握り込んでいた。ウィルが頷いたのに気付き、オットーも慌ててそれに追随する。
「この世界は、滅びに向かっている」
 同意を示すために上下に振った首が、続くエルンストの言葉で、そのまま停止した。一瞬遅れて頭に入ってきた言葉の意味を、直ぐには理解できず、潜められている筈の含意を探ろうとする。戦争、領土争い、腐敗した貴族政治。そんなものが断片的に頭を過った。
「比喩的な話ではない、純粋な破滅だ。シグナスで発生している砂漠化の話は聞いたことがあるか?」
「……はい。大陸西部より徐々に、森が消え、砂漠が広がっていると聞きました」
 だがそんな思考を、エルンストはあっさりと断ち切る。シグナスで砂漠が広がっているという話は、オットーも漏れ聞いたことがあった。その時は単なる噂と流していたが、シグナス出身者であるウィルの話ぶりからすれば、オットーが思うよりも信憑性のある話なのかもしれない。
「元来、この大陸は緑で覆われていた。しかし遙か昔に起こった事件により、マナのバランスが崩れ、植物が繁殖できない土地が広がりつつある。このまま砂漠化が進めば、人間の住める土地は無くなるだろう。いや、生物そのものですらマナの乱れの影響を受け、生息できなくなってしまうかもしれない」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 滔々と語られるエルンストの言葉を、オットーが遮った。理解の範疇を越えた話に、すっかり頭を抱えてしまっている。これを語ったのがエルンストで無ければ、そして彼に対する信頼がもう少し薄ければ、愉快な妄言だと切って捨てていたことだろう。
「お前の言ってることを疑うわけじゃない、砂漠化って話は、確かに俺も聞いたことがある。けどな、それはほんとにここ最近出てきた話だぜ。お前の言ってるような、ずっと昔の大事件が、本当に関係あるのか?」
「そう思うのも、不思議ではない。お前達は今まで、何も知らされずに生きてきたんだから」
 混乱を隠せないオットーを、エルンストは悲しげにも見える目で見詰めて、小さく息を吐いた。数秒の間沈黙し、やがて続きの言葉を絞り出す。
「長い話になる。この国が出来るよりも以前から、連綿と続く話だ」
 そしてエルンストが語ったことは、彼が自ら前置きした通り、絵空事というにも荒唐無稽が過ぎる話だった。滅びた国の発達した文明。暴走した技術。その爪痕が未だに大陸を蝕んでおり、崩壊に向かう大陸をグランオルグの王家が『儀式』を行うことで繕っている――
 オットーの内心に、この少年は狂っていたのだろうかという、酷く率直な思いが生じる。平静を装ったつもりでも、浮かんだ考えは表に出てしまっていたのだろう。エルンストが、苦い笑みを浮かべた。
「言いたいことは分かる、信じられずとも当然だ。だが、これが大陸の真実だ――残念ながら」
 その表情を、オットーは何度も見ていた気がする。十五という若さに似合わぬ、老成した、しかし激しい激情を秘めた顔。オットー達と行動している最中も、彼は度々そんな顔を浮かべていた。
「証拠は? 証拠は、何かあるのか」
「私がここに運び込んだ歴史書を読み解けば、それを裏付ける記述が見付けられる。それに、実際に進み続ける砂漠化も、今後は何よりの証拠となっていくだろうな」
 オットーは思わず、室内を見渡した。狭い室内に運び込まれた大きな本棚、そこにはエルンストが城から持ち出したという書物が収められている。城に残して処分されては困る、そう語っていた書物の数々だ。
「ここにある本は全て、城の書庫に納められていたものだ。一見しただけではただの歴史書に過ぎないが、注意深く記述を繋ぎ合わせれば、過去の真実を導きかねない代物だからな」
「だから、俺達みたいな奴らからは隠してたって?」
「ああ、お前達だけではなく、貴族も含めた殆どの人間からだ。王家はこれまで、大陸の現実を厳重に秘匿してきた。ひとつには、民衆の信を得るのが難しいという問題。長い間ですらお前達ですらこうなのだから、民衆が容易に信じる筈も無い。そして信じさせることが出来たとして、起こるのは混乱と暴動だ」
 エルンストの言葉に否は無い。世界が滅びに向かっているなどという絶望的な情報を信じたいものは居ないし、未来が無いと断じられた人々が何をするかは、想像だに難くない。オットーも、こうして落ち着いていられるのは、未だにエルンストの言葉を信じられていないからだろう。彼が嘘を語っていないのは分かるが、それが真実だともまた、思えずにいる。
 だが、普段から自分の世界を崩さぬ剣士は、こんな時でも奇妙に冷静だったようだ。オットーの横でしばし考え込み、エルンストの言葉が途切れたのを見て、言葉を挟んだ。
「ですが、王子。先程の話では、砂漠化は王家の力によって止められているのだとおっしゃいましたが」
 確かに、大陸が滅びに瀕しているとしても、防ぐ手立てが確立しているのであれば大きな問題にはならない。だがオットーは、楽観の可能性を示されても尚、表情を明るくすることは出来なかった。この賢い少年が、それほど明確な希望を見逃す程、愚かなわけは無いのだ。
「『儀式』って奴だな。それをちゃんとやってりゃ、取り敢えずのとこは問題無いんだろ?」
 エルンストが語る話の中に、儀式の詳細は出てこなかった。それが一体どのようなものなのか、オットーの背に奇妙な悪寒が走る。
 そしてその感覚は、見事に的中することとなった。
「それが、真実の公開が止められている理由の一つだ。砂漠化を止めるための儀式、それを行うためには、大きな犠牲が必要となる」
「犠牲?」
「ニエだ。生け贄――儀式を行うには、グランオルグ王家の直系に連なる者の命を捧げなくてはならない」
 しん、とした沈黙が生まれた。冗談だろう、とは、オットーですら言えなかった。出来の悪い冗談のような話が、真実――彼にとっての真実であることは、疑う気すら起きない程明確に伝わってきている。
「儀式の存在は、王家が王家たり得る理由。そして同時に、秘さねばならない暗部でもある。私の祖先達は、民衆に知らせぬまま密やかに犠牲を重ね、この大陸を維持してきた。そして、私も……私達もまた、それを求められている」
「おい、待てよ。生け贄ってどういう」
「儀式は二人一組で行われる。片方は術を遂行し、儀式を完遂させる執行者。そしてもう片方がニエ、大陸のマナを安定させるため、魂――すなわち命を捧げる生け贄だ。オットー、お前は以前に聞いたな、私の目的が何かと」
 言葉を挟ませる余地など、エルンストの口調には存在しなかった。炎のように激しく、緑の瞳を煌めかせ、オットーとウィルを睥睨する。
「儀式を止めることだ。この大陸の仕組みを解明し、儀式に頼らずに済む世界を取り戻すことだ。その為にこの国の王となる、それが私の目的なんだ。私が王となり儀式を止める、そうすれば」
 息を継ぎ、言葉が止まる一瞬。エルンストの顔が、強く、苦しげに歪んだ。
「エルーカは、死なずに済む」
 絞り出すようにその一言を発すると、エルンストはきつく拳を握りしめる。妹姫の名を呼ぶ彼の声は、愛しさと、それを上回る苦痛に満ちていた。オットーはようやく、何故彼がこれ程までに生き急いでいるのか、その理由を理解した。彼らの世代に、王族は二人。エルンスト自身と、その妹であるエルーカ王女――儀式が二人で行われ、片方が命を落とすとしたら、その役目が王位継承者であるエルンストに向かう筈は無い。
 彼は、妹を救うために、今まで戦ってきたのだ。
「歴史を探り、大陸を成す仕組みの根幹を探る、そのためには大きな力が必要だ。グランオルグの国力、近隣諸国の協力。特にアリステルの持つ魔動技術は大きな力となるだろう。無駄な小競り合いなど直ぐにでも止めて、協力体制を整えなければならない。セレスティアやフォルガの力も借りねばならないだろう、正式に支社を立て、彼の国の鎖国を解くよう訴えなければ。どれも、国自体の方向性を決めるような決断だ」
「その為に、自ら王になられると」
「いやちょっと待てよ、そりゃお前が自分でやろうと想ったら、王にでもなる他無いだろうよ。けどな、ヴィクトール王だって儀式のことは知ってるんだろ? だったら態々自分でやらなくても、王様に動いてもらえばいいじゃねえか」
 正当な後継者とはいえ、エルンストはまだ若く、現王のヴィクトールも壮年の域だ。あまりに早い世代交代を望むよりも、現体制のままで目的を達する方が、遙かに効率的である。オットーの主張は至極理にかなったものに思われたが、エルンストは硬い表情で首を振るばかりだ。
「そう、ヴィクトールは儀式のことを知っている。だが何も動こうとはしていない――つまりは、そういうことだ」
「そういう、って。けど、父親なんだろ」
 エルンストはそれ以上を応えず、冷たい顔のまま、唇だけを引き攣らせたように持ち上げた。オットーの胃の腑が、氷でも流し込まれたかのように冷たくなる。
「……儀式の効果は数十年、とおっしゃられましたな。つまり前回の儀式は、前王の時代に行われたと」
 ウィルは、オットーと様子を異にしていた。厳しい表情だが、常の空気を崩さぬまま、考えを巡らせているようだ。投げかけられた質問に、エルンストが首肯を返す。
「前回の儀式は、およそ四十年前。ヴィクトールが産まれるよりも前、彼の父とその妹によって行われたとある。それから三十数年後に儀式の効果は切れ、大陸の砂漠化が進み始めたというわけだ」
「もう儀式の効果は切れてるってのか……だが待てよ、それならどうして次の儀式をやってないんだ?」
「私達がまだ幼かったからだ。儀式に挑むには強い心の力が求められる、十にもならぬ子供には不可能だと思われたのだろう。だが、それももうすぐ」
 エルンストが言葉を切り、拳を握り締める。もう彼は十五、妹のエルーカは十二だ。儀式というのが何歳から行えるものかは分からないが、その日が刻々と近づいてきているのは間違いない。だからエルンストはこれ程までに強硬になっているのだと、オットーは理解する。妹の命を救うため、それが彼の目的なのだ。彼の背に乗せられた重圧を想い、迫る期限の短さを考えると、当人ではないというのに強い苛立ちを感じる。運命はあまりにも、エルンストに対して厳しい。
「王弟殿が生きてりゃあな……」
 オットーが呟くと、エルンストは弾かれたように顔を上げた。まじまじと見詰められ、オットーは驚きに怯みそうになるのを堪える。。
「王弟? そんな人物が居たのか」
 ウィルが戸惑うのは、彼がグランオルグ人では無いからだろう。グランオルグ程の大国であっても、その動向が全て対外に伝わるわけではない。
「ああ。ヴィクトール王にはちょいと年の離れた弟が居てな、十年くらい前に死んじまってるんだよ」
「……その話は、何処から聞いた?」
「何処からもなにも。王宮の動向なんて、結構皆知ってるもんだぜ」
 オットーを見据えるエルンストの視線に、何処か平静でない強さを感じて、オットーは首を傾げた。
「確か年は俺よりちょいと上くらいだった筈だ。エルーカ王女の成長を待つより、そっちで儀式をやろうって話になった筈じゃないか?」
「物故なさったのが十年前であれば、二十にいくらか足りない程の年か。確かに、生きていらっしゃったのなら、その方が儀式を行っていただろうな――いや、むしろその訃報、儀式による犠牲を隠すためとも考えられる」
「けど、砂漠化は止まってないんだろ? 儀式が行われてたら、それで砂漠化は止まるはずなんだよな」
「……ああ。父の代では、儀式は完遂していない」
 エルンストの言葉に、オットーとウィルは顔を見合わせて肩を落とした。
「そうか……まあ、そりゃそうだよな」
「申し訳ありません、くだらぬことを。しかし、そのような推移があったとは、天命というのは残酷なものです」
「天命」
 暗い声で呟き、エルンストは目を閉じた。吐き出された息は、酷く深い。肺の中の空間全てを絞り出すかのような、苦しげな深呼吸を二度繰り返し、視線を伏せたまま、薄く瞳を開く。
「……去った者は戻らない。もしもの話を論じるのは、貴重な時間を投げ捨てるに等しい」
 その言葉は、口調の平坦さとは裏腹に、重い何かが込められているように聞こえた。だが真意をオットー達が問うより早く、エルンストは顔を上げる。
「今は過去よりも今のことだ。この国を変え、私達の運命を変える。変えてみせる」
 そう言って握り締めた掌の中には、アリステルの魔動器具がある。その道具
は、彼の目的を示す指針であり、確かに道を歩んでいることを示す一里塚なのかもしれない。彼の話を聞いて、オットーにもその心情が理解できるようになってきていた。安穏と王位が落ちてくるのを待っている暇など、彼には無いのだ。彼が抱く目標は困難極まりないものだが、それを理解させたところで、エルンストはけして歩みを止めようとしないだろう。彼にとって何より大切なものが、その道行きにかかっているのだ。
 仕方がない、オットーは内心嘆息した。何度目かの決意だ、止められないのなら、支える他無い。それが、臣下たる自分の役目なのだ、と。
「お前達に話すことが出来て良かった。……これからも力になってくれ、ウィル、オットー」
 そう言って微笑むエルンストの顔は、急に幼い印象を帯びて、オットーの心を落ち着かなくさせた。エルンストと居る時にしばしば感じられる、無形の不安。
 彼の多くを知った今、それは消えるどころか、より強さを増しているように感じられた。



 ――そして、その不安は、最悪の形で現実に顕れることとなる。


 知らせは、唐突に国を駆け巡った。
 第一王子エルンスト、反逆剤にて捕縛。
 国中が混乱を極める中、オットーは一人、呆然と現実を受け止めることしかできなかった――
 





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セキゲツ作
2014.07.21 初出

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