こつこつと、ノックの音が部屋に響いた。返る応えを待たずに開かれた扉、その先にあるのは当然ながら、客人たるロッシュの姿だ。この部屋ではすっかりお馴染みになった仏頂面に、ガーランドは気分を害することもなく、むしろ上機嫌な笑顔を浮かべながら手を挙げた。

「よし、今日もちゃんと来たな」
「そりゃ、まあ、呼ばれたんですから来ますって。ご招待頂き、有り難うございます」

そう言って頭を下げる、言葉と所作には一応の礼儀正しさを残しているが、上を見れば不機嫌な顔のまま笑みのひとつを浮かべるでもない。ガーランドが繰り返した遠慮するなという言葉に従った結果として、公的な場であれば絶やすことのない礼儀上の愛想というものを、完全に取り去ってしまっているのだろう。確かに促したのはガーランドなのだが、遠慮をなくした結果が警戒丸出しの無表情というのは、考えてみれば大分酷い話である。しかし当人であるガーランドはそれを気にした様子もなく、自らも礼儀を省略して長椅子に座ったまま、楽しげに客人を眺めていた。

「まあ、座れや。今、茶を入れてやる」

それに従いロッシュが着席し、茶と酒を互いに手にして、奇妙な宴を行う――この部屋における、いつもの流れだ。しかし今日はそれが始まるより前に、ひとつ、普段と異なる出来事が発生した。

「有り難うございます。ああ、その前にこれを」

言いながらロッシュが差し出したものを見て、ガーランドが目を瞬かせる。丁寧に包装された長細い箱は、どう見ても他者に対する贈り物の態を示していた。素直に考えれば、ロッシュがガーランドに対して手土産を持ってきたと受け取れる状況だ。勿論それ自体は別段不自然なことではない、私室への訪問を繰り返しているのだから、個人的に世話になっている礼として土産を持参するのは至極真っ当な発想である。しかし今まで一度たりとて無いことであり、彼もこの訪問にすっかり馴染んだ今になって何故、という感が否めないのも確かだ。驚きを隠せず見上げる武王を、ロッシュはやはり無愛想な仏頂面のまま見下ろした。

「何だ、こりゃ?」
「何だも何も、酒ですよ。ご馳走になりっぱなしじゃ申し訳ないと思って、持ってきたんですが」

受け取るのも忘れて目の前の包みを睨み付けるガーランドに、ロッシュは焦れるでもなく、辛抱強く箱を支え続けている。それに気づいたガーランドがようやくそれを手にすると、ロッシュはこれで役目が終わったとでも言うように、指定席となった椅子に腰を下ろした。

「何ですか、奇襲でも食らったみたいな顔をして」
「馬鹿、奇襲だったらこんな顔しねえよ、飛び出して蹴散らすだけだ」
「まあ、あなただったらそうでしょうね。……そんなに、驚かなくてもいいじゃないですか」
「驚かずに居られるか、ってか一体どういう風の吹き回しだ? いつもこんなもん、持ってきたこと無いだろ」
「別に、何ってわけじゃありませよ。むしろ今まで手土産も持たずに来てた方がおかしいでしょう」
「だからそういう気遣いは要らんと、何度言ったら分かるんだ」

久々に水掛け論が始まりかける気配を察したのか、ロッシュはそれ以上反論することはせず、苦笑して口を閉じた。そして気を取り直させるように、ひらりと手を振ってみせる。

「そんなに深い意味があるわけじゃなくて、単に思いついただけですから。大したもんじゃありませんし、気にしないでください」
「まあ、折角持ってきてもらったもんだし、貰ってはおくがな。別に一々持ってくる必要は無いぜ」
「はいはい、次はまた手ぶらで来ますから」

他の者が聞けば首を傾げかねない会話だが、ガーランドにしてみればかなり真剣に言っていることである。ロッシュの真面目さと律儀さは付き合いの短いガーランドにも伝わってくる程のものだ、ここで言い聞かせておかねば、本当に次から毎回手土産を持参しかねない。本来ならば問題になるようなことではない、というか礼儀上を言えばその方が正しいのかもしれないが、それがガーランドが求める関係性と異なるのは確かだった。

「開けるぞ?」
「ええ、どうぞ」

だがそれはそれとして、今回持ってきた物までを突き返すつもりはない。今まで素振りも見せなかったことを突然行っているのだ、彼としてもそれなりに思うことがあって取った行動なのだろう。最近ではロッシュも大分この部屋に慣れ、先日など愚痴のような言葉を零していったから、あるいはそれが理由なのかもしれない。弱みを見せた分はきっちり返しておかねばならないと、妙なところで負けず嫌いな男は、そんなことを考えているのかもしれなかった。あるいは本当に、世話になっていることへの感謝という可能性もあるが――そう考えるのは、あまりに楽観的に過ぎるだろう。そんなことを徒然と考えながら、ガーランドは整えられた包装を解いていく。

「お、こりゃ……良い酒じゃねえか」

箱を開けて中の瓶に書かれた銘を確認すると、それはワインを蒸留して作る、かなりの高級品に分類される酒だった。ワイン自体ではなく敢えて蒸留酒の方にしたのは、シグナス産の強い酒を飲み慣れているガーランドに配慮してのことだろう。

「しかも、コルネ村の産か。シグナスじゃあ、物自体が入ってこない奴だな」

グランオルグ領内にあり、王宮にも品を納めているコルネ村の産物は、人気がありすぎて他国では中々流通していない。戦時下よりは多少品物が出回るようになってきたが、それでも経済的に不利のあるシグナスでは、殆ど見ることが出来ないものだった。王であるガーランドにしても条件は同じで、コルネ村の酒など、グランオルグを訪れた際に供された以外で口にしたことは無い。先程とはまた違う驚きを浮かべたガーランドに、ロッシュは安堵した様子で微笑んだ。

「そうなんですか? それなら良かったです」
「これはアリステルで入手したのか? 随分流通経路が整ってきているようだな」
「ええ、そうですね。まあ、うちでも本数は出回らないから、金持ちかツテのある人しか買えないみたいですが」
「だろうな。よくこんなもん手に入れられたじゃねえか」
「それは、首相が口を利いてくれたんですよ」

感心した様子のガーランドに、ロッシュは何気ない表情でさらりと説明を述べる。しかし言われたガーランドにとってそれは、発言者本人程自然に聞くことは出来ない内容だった。完全に思考の外にあった名を唐突に告げられ、眉が剣呑な形に釣り上がる。

「……ラウル首相に? 態々頼んだのか」
「はい。王に贈るのに良い酒は無いかと聞いたら、手配してくれたんです」
「って、他人に選ばせたのか! しかもあの……首相に!」

怒りと呆れが混じった叫びの意味を、ロッシュはやはり理解できなかったようで、驚きに目を見開いている。

「俺じゃ、酒の善し悪しは分かりませんからね。首相は、ガーランド王程飲みませんが、それでも俺よりよっぽど詳しいですし」
「そりゃそうだろうが、そういう問題じゃなくてだな……」
「どうかなさったんですか?」

ひょっとして好まない酒だったのか、と全く見当違いの心配をするロッシュに、ガーランドは大きく溜息を吐いた。悪意は無い、むしろ全くの好意、贈った相手がより喜ぶようにという気遣いからの行動であることは良く分かる。それ自体は否定しない、ガーランド自身は気持ちがあれば物の善し悪しは気にしないが、妙な物を贈られても困るだけだという価値観の者が少なからず居るのは確かだ。だがしかし、自分以外に選ばせたという事実を贈った相手の目の前で言ってしまうのは、やはりどうかと思うのだが。

「いや……何て説明したら良いか、考えてるところだ」

しかも聞いた相手が、よりによってラウル首相だとは。ロッシュのことだ、部屋に招かれ2人で酒を――片方は茶だが――酌み交わしていることも、馬鹿正直に告げてしまっているに違いない。彼からすれば隠す理由など無いのだから当然ではあるが、ガーランドにとっては最も嫌な相手に知られたくないことを暴露されてしまったことになる。あの男は、ガーランドがストックとロッシュをシグナスに勧誘したことを何処からか聞きつけ、顔を合わせる度面倒な嫌味を投げつけてくるのだ。ロッシュをこうして部屋に招いているのは、シグナスへの引き抜きとは全く違う目的で行っていることだが、そんな論などあの政治家相手に通じるものではないだろう。国の中心人物に手を出した他国の王に対して、次に会った時に、それはそれは痛烈な皮肉を喰らわせてくるに違いない。
頭痛を堪えるガーランドを、ロッシュは心底不思議そうな表情で眺めている。その、あまりにも無自覚な様子に、ガーランドは諦めて低く息を吐いた。分かっていない相手を怒鳴りつけたところで何の効果も無い、まずは何が悪かったのかを教え込むところから始めなくてはならないのだ。

「まあ良い、取り敢えず今日の酒はこれだな。お前も付き合え、今杯を持ってこさせる」
「え、俺は良いですよ、いつも通り茶で」
「いや、こういう場合は、お前も一緒に楽しむのが普通だぜ。持ってきたからにはその覚悟は出来てるんだろう?」
「高い酒の味なんて分かりませんから、俺が飲んでも勿体無いだけですよ。王に持ってきたんですから、王が楽しんでくだされば、それで」
「良いわけあるか……ったく、無駄なくらい律儀なくせに、妙なところで抜けやがって」

嘆息しつつ瓶を箱に戻し、立ち上がって部屋の棚に納める。飲まぬのかと、疑問符を浮かべてその動きを眺めているロッシュを、振り返ってぐいと睨み付けてやった。

「これは、お前が付き合う気になるまで置いておくからな。飲む気になったら言えよ」
「……はい? 何でそうなるんですか」

人の心を掴む能力には長けている割に、相手の微妙な機微を悟ることが出来ないという奇妙な齟齬は、彼が若くして高い役職に就いてしまったが故のものなのだろうか。考えてみれば彼の親友であるストックも、彼とはまた別の形ではあるが、普通であれば当たり前に出来ることが出来ないという問題を抱えてしまっている。若いうちから戦争の中で生きている彼らだ、人付き合いについて学ぶ機会など無かったまま今に到ってしまったのだろう。
ならば、それを教えてやるのが、年長者の役目というものだ。ガーランドは直接の上司というわけではないが、関わってしまった以上放っておくことも出来ない。

「今から説明してやるよ、色々とな」

半眼で睨み付けながら言ってやると、ロッシュはやはり分かっていないようで、警戒の色を浮かべてガーランドを見返している。この頑固者に常識を教え込まなくてはいけないのだ、さすがのガーランドでも相当な苦労を強いられることだろう。面倒をかけてくれる、と内心呟くが、それでも。

「今夜は長くなるぞ、覚悟しとけよ?」

言いながらにやりと笑うガーランドの表情は、本人の認識とは大きく外れて、実に楽しそうな色を湛えていて。年若い者を教え導く喜び、意識しているかどうかも分からないそれは、虎と呼ばれた王にもしっかりと息づいているようだった。



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セキゲツ作
2011.10.18 初出

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