過去が過去になる日は。


罪が償われる日は。


いつか、やってくるのだろうか。


いつか、いつか、彼の元に本当に未来がやってくるのなら。


そのためなら。


何を捧げても、構わないから。




――――――




墓地に、弔いの鐘が鳴り響いている。


その音にまた涙を溢れさせそうになり、ソニアはそっと俯いた。
若すぎる死者を悼むかのように、空は陰鬱な雲に覆われている。参列者は誰もが彼の功績を称え、早すぎる死を惜しんでいた。基処かしこでしめやかな会話が交わされており、だがその中の誰もソニアには話しかけようとしない――かける言葉を、持てない。ただ一人の肉親を失い、世界の中孤独に残された彼女は、まだたった16を数えたばかりなのだ。それでなくとも、彼ら兄妹の睦まじさを知っていた者達からすれば、慰める言葉など浮かぶはずもなかった。

「……部下を守るために、矢面に立って」
「最後まで……人だったな」

ソニアの存在を気遣ってか、極抑えた声量で交わされるやり取りは、しかし切れ切れに彼女の耳まで届いてしまっている。兄の死は誇りを持って語られるに値するものだったらしい、しかしそんな事実はソニアにとってどうでもいいものだ。
ただ、生きていて欲しかった。
空虚と知りつつ、そう思わずには居られない。優しい兄、ソニアのことを誰より愛してくれた兄への最後の我が儘、英雄などにならずともいいからただ生きていて欲しかった。瞳を閉じたその先の暗闇に、何度も何度も語りかける、敵わぬ願いだと分かっていても。けして答えが返らぬとさえ、分かっていても。
――と、視界を遮断された黒い空間の中で。己の意志では閉じることのできない聴覚が、人々のざわめきを捕らえた。

「っ……」

ソニアは瞼を開き、何が起こったのかを確認する。周囲の人間が一様に視線を送る先をソニアも見て。
そして、反応の意味を理解した。
墓地の入り口に現れていたのは、ソラスの部下だった男だ。これが正装であると言いたいのか、全身鎧に喪を示す標を付けた姿で、墓の間を歩いてくる。その片腕は酷く巨大で歪な、人体が支えるには負担が大きすぎる鉄塊に置き換えられていた。ガントレット、兄の研究成果。それを身体に宿した彼は、ソラスがずっと、それこそ命を落とす直前まで心に掛けていた存在だ。

「…………」

ロッシュはソラスの墓前で祈りの姿勢を取り、しばらくの間そのまま動きを止めていた。長い長い祈りの間、死者に何を語りかけていたのか、彼以外の人間が知る由も無い。ただ彼が漂わせる厳粛な空気は、乱すことを躊躇わせる奇妙な迫力があり、それが周囲の者から言葉を奪っていた。不可避に発生してしまった沈黙の中、やがて彼は立ち上がり、頭を巡らせる。
そして、参列者の中心に位置するソニアと視線を合わせると、ゆっくりした動きで彼女の元に歩み寄った。

「あ、の」
「……隊長は」

静かな、低い声。浮かべる表情は生真面目で、しかし何処か痛々しいさも感じられた。薄青い瞳は、じっとソニアの顔に向けられている。

「ずっと、あなたのことを気にかけていました」

知らず、視線がガントレットに吸い寄せられていた。これが彼に与えられた時のことを、ソニアは今でも鮮明に思い出せる。苦しげな兄の叫び、零された涙。全てが変わってしまったあの事件の後、彼は過酷な鍛錬を経て無事戦場に復帰し、誰もが認める戦士として今もアリステルのために戦い続けていた。結果的に兄の行動は正しかったのだ、しかしそれでも最後まで兄は、罪の意識から逃れることができなかった。ソニアはそれを知っている、しかし目の前の彼はどうなのだろうか。兄が気にかけていたのはあなたのことです、そう口にしようとして寸前で止める。
ロッシュは、そんなソニアを見詰めていた。真っ直ぐに、揺るぎのない、しかし悲しみを秘めた目で。

「俺は、以前隊長に助けてもらいました……いや、今も、助けを受け続けています」

ロッシュのガントレットが動き、鎧の胸部に添えられる。丁度ソニアの目の前にやってきた鉄塊を、ソニアはロッシュの顔と交互に見遣った。兄の最後の研究、どのような経緯であれ、彼が最も心を注いで進めてきた研究の成果。これはきっと、彼に捧げられた兄の想いが結実したものなのだ。彼は、ロッシュはそれを掲げ、ソニアと向かい合ってくれている。

「だから。今度は俺が、隊長のためになりたい」

ぎこちなく言葉を紡ぐ彼の瞳は、どこまでも真摯な色を湛えていた。ソニアはそれに、吸い寄せられるような感覚を覚える。

「俺が、あなたを護ります。隊長の代わりに、あなたを護ってみせます」

言葉と共に、ガントレットが差し伸べられる。兄の形見、兄が遺した魂そのもの。ソニアはそっとそれに触れた、金属の堅さと冷たさを肌が感じ取る、しかしそこに宿るのは暖かく優しい心だ。

「隊長がくれた、このガントレットと共に。俺は、あなたの傍に居ます」

ソニアの目から涙が溢れだした、兄はここに居る。命を失っても再び戻り、彼と共に自分の傍に居てくれる。ソニアは縋るようにガントレットに頬を寄せた、涙がガントレットに伝い、金属の表面に濡れた跡を遺していく。
兄に伝えたかった、あなたのしたことは正しかったのだと。あの日の兄に、今この時を伝えてやりたかった。

死者の遺した想いは、志は、生きる者が受け継いでいく。
失われた生身の代わりに与えられた、機械の腕を証として。


暖かな鋼鉄を中心に、2人がそっと寄り添い会う。


その頭上には、弔いの鐘が鳴り響いていた。




END



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セキゲツ作
2011.08.12 初出

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