一般兵士用の食堂にロッシュが顔を出したのは、1時を大分回った時間だった。入口から中を覗いてみるが、時間が外れているにも関わらず、まだ多くの兵が食事を摂っている。最近また志願兵が増えたらしいが、その影響だろうか。入るべきかどうしようか、迷いながら様子を伺うロッシュは、訓練時に着用していた鎧姿のままだった。真っ直ぐ着席出来ない理由はそこにある、ロッシュが愛用している全身鎧は普通の鎧より遥かに頑丈で、防御力が高い代わりに普通にしていても縦横共に普通の人間の倍近くになってしまう代物だ。兵士用の食堂ということで、装備を着けたまま食事を摂っている者は少なくないのだが、それと比べても相当に大きい。邪魔にならぬよう、普段は鎧を外してから食堂に行くのだが、今日に限って鎧を外す時間を惜しんでしまった。時間が遅いのだから人も減っているだろうと、希望的観測を素直に信じた結果が、入口で立ち竦む現状である。
着替えてから出直すべきか、しかし腹はすっかり減っていて、戻る時間は正直惜しい。逡巡するロッシュの視界に、ふと、ある人物の姿が飛び込んできた。
「ん、あいつ……」
誰と話すでもなく、一人で黙々と食事をしているその男は、最近ロッシュと同じ隊に配属された兵だ。名前は知らないし会話を交わしたこともない、殆ど面識のない相手であるにも関わらず直ぐに存在に気付いたのには理由がある。その男は、一般兵卒としては珍しく配給の鎧を着用しておらず、代わりにやたらと目立つ赤色の服を着ていたのだ。同じ形状の灰色で埋められた食堂で、彼の姿は朱色の印のように浮かんで見える。普段からその格好を貫いている男の姿を、ロッシュも顔を覚える程度には見知っていたが、会話を交わしたことは無い。彼は寡黙な性質らしく、自由時間にも他の隊員と関わる様子はなかったため、関わる機会も生まれなかったのだ。
しかしそうなると逆に気になってしまうのが、ロッシュという男の性分である。折良く男の傍の席が空いたのを見て取ると、急いで自分の食事を確保し、ロッシュは目的の席に着いた。
「ここ、良いかい?」
「……ああ」
男はちらりとロッシュを見遣り、短い返事を返しただけで、後は黙々と自分の食事を続けている。無反応に近い応対だが、しかしロッシュは怯みもせず、さらに男に話しかけた。
「お前、こないだ配属された新兵だよな」
「……そうだが」
「俺もお前と同じ隊に居るんだ、ロッシュってんだが」
「ああ、知っている」
「へ」
男の意外な返答に、ロッシュは目を丸くした。その気配を感じたのか、男が初めてロッシュのほうを向く。
「自覚が無いのか? 隊の中では有名人だぞ」
「そうなのか――いや、ああ」
確かに、ロッシュが付けている魔導製の義手――ガントレットは、一兵卒が持つことなど考えられない特殊な装備だ。士官でもない普通の隊員が着けていれば、他の者にとって印象に残るのは間違いないだろう。彼にとってはガントレットは当たり前に傍らにあるもので、周囲からどう見られているかなど全く意識していなかったロッシュだが、指摘されて納得の声を上げた。
「そうか、まあそりゃ目立つよな、こんなん着けてりゃ」
「……いや、それだけでも無いと思うが」
「ん?」
ぼそりと男が呟くが、食堂のざわめきに紛れ、ロッシュの耳には届かない。男もそれ以上は言及せず、また食事を口に運んだ。
「だがよ、俺も大概かもしれんが、お前だって隊の中じゃ知られてる方だぜ」
「……そうなのか?」
今度は、男が目を丸くする番だった。整った顔を支配する無表情が少しだけ崩れ、驚いたような色が浮かぶ。
「何だ、そっちも自覚無しか」
「……俺はあんたほど、目立つことはしていないはずだが」
「何言ってんだ、んな格好で」
「…………」
「他の奴は大体同じ格好……従軍時の支給品だろ? お前みたいに自前で固めてる奴は、結構目立つんだよ」
「ああ」
男は、それで多少は得心がいったようだった。アリステルは若い国だ、世襲で従軍する者は殆どおらず、殆どの隊は志願兵で固められている。元々市民や農民、もしくは難民であった彼らに自前の鎧を用意できる者は少ないから、軍の支給品には防具一式が含まれているのだ。一般の兵が着けている装備はほとんどがそれで、司令官クラスでもないのに他と異なる防具を着けていれば、それだけで他からは区別される見た目となる。
いや、傭兵経験者などで装備を持ち込むものも、居ないわけではないのだが。しかし男の装備、特にその色は、それらの者とすら明らかに異なっているのである。
「おまけにその色だ、皆気になってしょうがねえ」
「待て、あんたにそれを言われたくない」
豪快に笑うロッシュに、男は渋い顔を作った。ロッシュが普段着けている全身鎧は、確かに男の服と同様の鮮やかな赤だ。むしろ普通の服よりも面積が大きい分、目立つことにおいては男のそれを凌駕しているだろう。
「普段はいいが、戦場では敵兵の良い的だろう」
「ああ」
ロッシュは得心して頷く、確かに男の言う通り、普段以上に戦場でこの鎧は目立つ。目印になると言っても過言ではないほどで、乱戦の中でも敵兵に見つけられ易く、狙って集中攻撃されることもしばしばあることだった。
だがロッシュは気にした様子も無く、不敵ににやりと笑ってみせる。
「良いんだよ、それで」
「……何がだ」
「目立ったほうが、敵兵を引きつけられるだろ」
その台詞を聞いた男の表情が、呆れを示す形へと変化した。
「何だ、その顔」
「いや……だが、功を焦っても碌なことはないぞ」
「ああ、いや別にそういうつもりは無いんだが」
「ならどうして、自ら敵兵を呼び寄せるようなことをする」
どうやら真剣に憤っている男の様子を見て、ロッシュは密かに驚きを覚える。周囲に興味の無い、一人を好む人間かと思っていたが、意外とそうでもないようだ。
「その腕では普通の鎧が使えないのは分かる。しかし特注しているなら尚更、色を選ぶことなど簡単だろう。何故もっと目立たない色にしない」
「いや、駄目だ。目立ったほうが良いんだよ、俺に取っちゃ」
「…………」
不機嫌な様子を隠そうともしない男に、ロッシュはちらりと笑みを零す。
「だが、ありがとよ」
「…………」
男は不機嫌な顔をしたまま、それ以上は何も答えなかった。ロッシュもそれ以上話を続けようとはせず、改めて自分の食事に向き合ったが、ふと男に向き直り。
「そういや、名前を聞いてなかったな」
「……ストック」
男――ストックはそれだけ言うと、席を立った。そして空になった食器を手に、器用に人をすり抜けて食堂を出ていく。
ロッシュは苦笑しながらその背を見送ると、今度こそ食事を済ませるべく、すっかり冷めてしまった目の前の料理に向き合った。





 ――――――――――――――――――――







ラズヴィル丘陵とグラン平原の間に建てられた、砂の砦。グランオルグとアリステルの丁度中間に位置し、両国とって相手の領地に攻め込むための足がかりにできる、戦略上最重要として挙げられる拠点の1つだ。ここの支配権を奪うことには相当の重きが置かれており、それ故この砦とその周辺では、歴史上数え切れない程の先端が開かれている。
交互に繰り返される侵攻だったが、当然ながらその全てが成功に終わるわけではない。攻城戦の難しさを謳った戦術書は数多いが、それらの例に漏れず、砂の砦攻めも多くの場合が戦果を得られず終わっている。今回ロッシュたちが参加した作戦も、結果を出せぬまま、無情な日暮れを迎えようとしていた。
「……ちっ」
ロッシュが小さく舌打ちをする、身を潜めた茂みから伺った限りでは、周囲にあるのはグランオルグ兵の姿だけだ。本隊はとっくに撤退済みであり、ここに隠れている数人の兵は、完全に敵陣の中に取り残されてしまった形になる。アリステル側の陣からそれほど離れてはいないが、そこに到達するためには、グランオルグ兵の囲いを突破していかなくてはならない。交戦の真っ最中では無いのだから、致命的という程の危険を伴うわけではないが、それでもかなりの度胸と実力と運が必要になる選択肢であるのは確かだった。
彼らにそれがあるだろうか、共に身を隠している兵達の顔を、ロッシュは見渡す。皆一様に、緊張と恐怖で強張らせている――ただ一人を除いて。
ストックだった。いつも無表情な男だが、今も少し眉を顰めたくらいで、動揺した様子も見せず周囲の様子を伺っている。中々胆の太い奴だ、とロッシュは内心舌を巻いた。期待しすぎるのは厳禁だが、いざ動くとなった時に、ある程度頼ることはできると思って良いだろう。
そこまで考えると、ロッシュは兵たちに向き直り、口を開いた。
「聞いてくれ」
居場所が悟られないように低く抑えてはいるが、身を寄せ合って隠れている者たちには十分に届く声量だ。そこにいる全員がロッシュに視線を向けたのを確認し、言葉を続ける。
「ここを突破し、アリステル陣に帰還を謀る」
そして発せられた言葉に、ざわりと動揺が走った。
「どうやってだ? 周囲は囲まれているぞ」
「今居るのは数人のようだが、直ぐ近くに他の部隊も居るだろう。呼び寄せられたら、完全に固められてしまう」
「だが、確かにこのままでは埒が明かない。可能性に賭けて、突破を試みるのも……」
「今から」
小声で交わされる議論を、ロッシュの言葉が遮る。内容よりもよほど雄弁に意図を語る、抗い難い力が込められた声音に、他の兵の言葉がぴたりと止んだ。沈黙が戻るのを待ち、ロッシュは改めて口を開き。
「俺が、あの林に向かって走る」
そう告げながら、開けた草地を挟んで反対側に位置する林を、視線で示した。
「周囲の奴らが俺に向かったのを確認したら、残りは陣に向かって走れ。2方向に分かれれば敵の混乱が見込める、その隙に俺も追随する」
「お、おい……」
その内容に、兵の間に新たな動揺が走る。当然だろう、ロッシュは自らが囮になると言い切っているのだ。しかしそれが収まるのを待たずにロッシュは視線を動かし、説明を続ける。
「ストック、先頭はお前が走れ」
「……」
先ほどから沈黙を保っていたストックに、全員の視線が集まった。静かな無表情のまま、ストックはそれを受け止めている。その顔に戸惑いや怯えは見られない、ロッシュに見て取れるのはその程度だが、この場においてはそれで十分だ。
「先導と、何かあった時の露払いを頼む」
「……分かった」
ストックが動かない表情の内で何を考えているのか、ロッシュだけではなく他の兵達も、察しようも無かっただろう。それでも、返ってきた同意の言葉は、その場の雰囲気を堅く張りつめさせた。先程までとは異なる緊張に支配された兵達の顔を、ロッシュは睥睨する。
「全員、生きて戻るぞ」
「ロッシュ」
そして言い放ったロッシュに、ストックが言葉を返した。
「『全員』……の中には、あんた自身も入っているんだな?」
「ああ、勿論だ」
彼が投げた問いかけに、ロッシュは間髪を入れず応える。そして口の端を上げて笑みの形を作ると、鋼鉄で覆われた胸を、生身の腕で軽く叩いてみせた。
「そう簡単に死ぬように見えるか? お前らが離脱したら、俺も直ぐ抜ける」
その応えに納得したのかどうか、ストックはひとつ頷きを返す。そしてそれ以上は何も言わず、彼自身の得物に手をかけ、動く準備が出来ていることを示した。
「お前らも、いいな?」
緊張の色は消えぬままだったが、それでも覚悟を決めたのだろう、他の者も各々の武器を手に持って構える。全ての者の体勢が整ったことを確認すると、ロッシュ自身も飛び出す構えを取った。
「行くぞ……」
弦を引き絞るように、自らの体に力を溜めて、意識を研ぎ澄ませて。
すう、と雑音が遠ざかるのを感じた。感情が遠くに消え、温度の測りがたい本能が身体を満たすのを感じる。そして。
「……おおお!」
弦が放され、解き放たれた鋼鉄の矢の如く。ロッシュは隠れ場所から、敵兵の真っただ中へと飛び出していった。
突如現れたロッシュの姿に、散らばっていたグランオルグ兵達が色めきたち、戦闘体制に入る。
「なっ……あ、アリステル軍か!」
「よし、囲め! 捕らえるぞ!」
良い流れだ、ロッシュは口元に笑みを浮かべた。全員の意識がロッシュを追うことに向いてしまえば、他の者たちの脱出も容易になる。もっと注意を引きつけようと、ロッシュは足を止めぬまま槍を構え、斜め前に迫った相手を薙ぎ倒した。
「ぐあっ……」
「こいつ一人か、他にも伏兵っ、がふっ……」
余計なことを言うなとばかりに、続けざまに二人目の兵を貫き、その口を閉じさせる。さすがに走りながらでは精度が定まらず、右肩を貫いただけに終わったが、今は動きを封じるだけで十分だ。
「くそっ、落ち着け! たかが一人に何ができる、全員で抑えろ!」
距離を詰めれば槍を繰り出す、そのためうかつには近づけないようだったが、それでもロッシュの周囲には確実に敵兵が集まっていた。事前に目算した通りさほどの人数は居ない、それでもざっと五人。
(いいぞ、そろそろ……)
それらが皆ロッシュを取り囲む形になった、瞬間。
「走れっ!!」
茂みが揺れる音と、複数の金属音が遠くで生じる。視線を流せば、赤衣の影を先頭に、兵装の男たちが走り抜けていくのが見えた。素晴らしいタイミングだ、ロッシュは内心喝采を送る。
「ち、残りが居たか!」
「居たがどうした!」
言葉よりも雄弁に語る槍が、踵を返そうとしたその先を遮る。追わせはしないと、ロッシュの全身から気迫が滲み出ていた。
「いい、今からでは間に合わん! それよりもこいつに集中しろ!」
リーダー格と思われる兵が叫ぶ。功を焦らず確実に潰せる相手を狙う、悪くない判断だとロッシュは評価を下す、だがしかし最善というわけでもない。この程度の人数であれば蹴散らす自信が、彼にはあった。それが過信でない証拠に、一閃した槍はまた一人、的確に敵兵の腹を食い破っていく。
「さて、俺も行かせてもらうぜ」
「貴様……」
「大人しく退きゃあ、余計な怪我は……」
余裕の笑みを浮かべていたロッシュだったが、次の瞬間、一気にその表情が強張る。視界の端に捕えたそれは、新たに現れたグランオルグ軍の小隊だった。しかもその場所が、明らかにロッシュよりも退避する仲間たちに近い。先頭を走るストックが剣を構える姿を視認する、その瞬間、考えるより前にロッシュの身体が動いていた。
「……おおおおおおおおっ!」
雄たけびと共に、横薙ぎに槍を振り回す。本来の用途とは異なるはずの動作だが、渾身の力が込められた一撃は、人間の身体を破壊するに十分な威力を持っていた。運悪く軌跡に居た兵の2人がまとめて吹き飛ばされ、嫌な音を立てて草地に着地する。
「はぁっ!!」
それを確認する間も待たず、手近な敵兵に向かって一歩を踏みこむと、その身体にガントレットを叩きこんだ。金属がぶつかり合う耳障りな音が響き、白目を向いた相手が崩れ落ちる音が続く。そのまま僅かに身体の向きを変えて右手に持った槍を突き出す、それだけで最後に残った一人の動きも完全に停止した。
これで周囲を囲んでいた敵兵は、全て片づけたことになる。そして。
「お、おい、あそこだっ!」
風に乗ってざわめきが届く。自らの図が当たったことを確信して、ロッシュは息を吐いた。見晴らしの良い草地だ、真紅の鎧は酷く目立つだろう――多少近いところに居る数人の兵士など、目に入らない程に。
(そうだ、こっちを見ろ)
駄目押しとばかりに槍を振り回して威を示す。ざわめきが大きくなり、完全にロッシュに向かっての戦闘準備に入ったのが見て取れた。改めて相手を確認する、兵の数は二十は居ないが十は軽く超えている、これだけ多いと咄嗟には把握し切れない。さすがに一人で相手をするには厳しい人数だ、加えて弓兵も何人か組込まれているのが、あしらいの難しさに拍車をかけている。配備されているのが威力の弱い短弓だったのは、不幸中の幸いと言っていいのかどうか。
「まあ、良いぜ。やってやろうじゃねえか」
踵を返すにしては近すぎる、第一彼らの居る方向にロッシュの帰るべき道があるのだ。ここで逃げたとしても直ぐに陣には戻れない、厳しくなった捜索を掻い潜って移動するよりは、多勢を相手にでも突破したほうがいくらかは楽である。
「俺一人なら、何とでもなるってもんさ」
誰に言うとでもなく呟くと、ロッシュは槍を構えなおし。
「……はあああっ!」
腹の底から気合を発すると、敵隊に向かって突っ込んでいった。そしてロッシュが駆け出すと同時に、相手の前衛もこちらへ向けて突進してくる。数十メートルあった距離は数瞬のうちに縮まり、双方が激突しようとした、その直前。
「撃てっ!!」
掛け声と共に短弓から矢が放たれる、しかしそれは予想済みだ。生身の頭部をガントレットで庇い、残りは鎧で受け止める。威力の強いクロスボウならともかく、短弓程度でロッシュの鎧を貫くことはできない。そしてそのまま勢いを殺さず、擦れ違いざまに一人を槍で一撃する。
「はぁっ!」
気合と共に槍を振り、突き刺さった身体を投げ飛ばした。巻き込まれて一人が倒れたが、直接的なダメージにはならないだろう、直ぐに体勢を整えてしまうはずだ。さらに斬りかかってきた相手の勢いを利用してガントレットの一撃を食らわせる、神経の通った鋼鉄が骨と肉が潰れる感触を捕らえた、これで二人目。
「くっ……」
立て続けに仲間が倒され、さすがに攻撃の勢いが弱まる。だがまだ人数が多い、突破するには壁が厚い。ロッシュはさらに数を減らさんと槍を繰り出したが、防御に転じた相手はそれを紙一重のところでかわし、致命傷には至らない。その動きを隙と見たか、斜め後ろから突き出された槍があったがロッシュに一撃を与える程のものではなかった。僅かだけ身体を逸らして切っ先を避けると、そのまま槍をガントレットで引き寄せる、柄を離すのが間に合わず体勢を崩したところに鋼鉄の一撃。三人目が地に伏せた。
双方の攻撃が一瞬止まり、緊迫した硬直状態が発生する。
「……」
その間にロッシュは相手の装備を確認する、分かる限りでは剣と槍、そして弓。重装歩兵にとって最も厄介な槌や斧を持った相手は、幸いながら居ないようだった。しかし八方を囲まれ、弓で狙われた状態では、それがどれほどの有利になるものか。
僅かな間に巡らされた思考は、再度飛んできた矢のうなりに遮られて途切れた。今度もガントレットで弾き飛ばしたが、同時に再開された剣撃が数箇所鎧を掠める。
「効くかよっ!」
頑丈な鎧を着込んでいるロッシュにとって、片手剣程度完全に避ける必要もない。僅かに身を動かして直撃を避けてやれば振るわれる力は横滑りし、表面を掠めるのみで何のダメージにもならないものだ。しかしそれでも剣を振るわれるほどに近寄られればこちらの動きが阻害される、それを嫌ってロッシュは身を回し、剣の持ち主を槍の柄で殴りつけた。吹き飛んだ相手の居た空間に身を進めると、引き絞った槍を細かく突き出して周囲をけん制する。囲まれた状態で大振りの攻撃は危険だ、攻撃を受けつつも少しずつ相手の力を削いだほうが良い。突き出される槍を避けながら、手の届く腕に拳を叩きつけて本来とは逆の方向に折り曲げる、これで五人。それでもまだ、向けられる武器が減ったようには感じられない。
本来、多勢を相手にするのにこの平野は圧倒的に不利だ。もっと狭いところにおびき寄せ、囲まれない状態で各個撃破が定石ではあるのだが、それではロッシュ自身の動きも阻害されてしまう。長大な突撃槍とガントレットを武器とするロッシュの真価が発揮されるのは、ある程度の広さを持つ空間での乱戦であり、今は相手との距離が詰まりすぎていた。隙を作らないようにするために小出しの攻撃しか行えず、相手の武器を避け続けるために体勢が完全には整わない。鎧の継ぎ目を狙って振るわれる剣は、避けるには容易いがとにかく手数が多く、鬱陶しいことこの上無かった。
「頭を狙え、頭だ!」
そして、散発的に飛んでくる短弓の矢が。ロッシュはその軌跡を見極めると、今度は手近なところに居た相手を強引に引き寄せ、その身体を盾にしてダメージを避ける。これでまた1人、いや今のものでは致命傷になっていないかもしれない、それを確かめる余裕も無い。ロッシュの表情に、あるかなきかの焦りが浮んだ。せめてもう少し間が取れれば、存分に槍が振るえる程度の間合いに持ち込めれば、もっと楽に片付けられるのだが。
「くそっ」
振り上げられた剣を避け切れず、鎧とかみ合う嫌な金属音が響いた。意気を上げた相手が、勢いのまま畳みかけようとした、その時。
「――ロッシュ!!」
声と共に飛び込んできたのは、赤い影。その姿が視界に飛び込み、正体を認識した瞬間には、既に弓兵二人が仰け反り倒れこもうとしていた。
「ストック!! お前、何で……」
既に自陣に退避したはずの姿を認め、ロッシュが驚きの声を上げた。その間にも歴戦を潜り抜けた身体は意思と無関係に動き、生じた隙を逃さずに待望の力を込めた一閃を敵兵の群れに叩きこむ。声もなく吹っ飛んだ仲間に怯んだ他の兵に、ストックの剣が容赦無く浴びせられた。
「逃げたんじゃねえのか、他の奴らは!」
予想外の伏兵に相手はうろたえ、先ほどまでの勢いを失っていた。その隙を突いて滑りこんだストックが、ロッシュの横に足を止める。間合いを崩されて動きの鈍った敵兵は、彼に捧げられた獲物に等しい。明確に精彩を取り戻した槍が、捕らえることも難しいほどの勢いで相手を屠っていく。
「話は後だ!」
それでも相手は人数の有利を頼みに、動揺から立ち直った者から攻撃を再開してきた。確かにかなりの人数が戦闘不能になっているとはいえ、未だ向こうは十人以上が残っている。一人が二人になったところで大した違いはない、実に妥当な判断だろう、大抵の場合においては。
問題は今この時が、数少ない例外だったということだ。
「よし、ならとにかく道を開くぞ。援護を頼む!」
「……分かった!」
一人が二人になった、それだけで完全に身体の四方を囲まれることはなくなる。さらに言えば、ストックの剣撃によって自由な動きを阻害された相手は、ロッシュにとって格好の的だった。瞬きする間に二度三度と振るわれる剣、それを避けようと身を動かした兵は、呼び寄せられたかのようにロッシュの間合いに飛び込んでくる。そしてそれを貫くのを阻害する相手もいない、不用意に近寄ればストックの剣か、ロッシュのガントレットが振るわれると分かっているからだ。
「くそっ、こいつら! 誰か狼煙を、他の隊に連絡を……」
隊長の叫びに応えて一人の敵兵が離脱を試みるが、その背にも容赦無く、ロッシュの槍が浴びせられる。深く踏み込んだため生まれた隙は、しかし攻撃の対象となる前に、滑りこんだストックによって潰された。ロッシュに向けられていた凶器は全て弾かれ、次撃が発せられる前にはロッシュの体勢が整えられている。
それにしても速い、ロッシュはストックの動きに舌を巻いた。重装のロッシュと比べてという話ではない、ロッシュが今まで戦場を共にしてきた中でも指折りの速さ、そして正確さ。複数の刃に狙われる状態でそれら全てを掻い潜り、上着にかすり傷すら付けていない。彼の装備は急所のみを護る極軽装のものだったが、それすら必要と言えるかどうか。
「ロッシュ!」
「おおっ!」
ストックの攻撃によって体勢を崩した相手がロッシュに向かって倒れこみ、ロッシュはそれを出迎えるようにガントレットで殴り飛ばす。吹っ飛んだ身体は同方向に居た兵を巻き込み、纏めて倒れこんだ身体が完全に倒れこむ前に、翻るストックの剣が彼らの戦闘能力を奪っていった。流れるように繋がる連携は相手に攻撃する暇を与えない、そして着実に人数を減らした壁は、やがて包囲する能力を無くしていき。
ついに、道が見えた。
「ストック、走るぞ!!」
抜けられる、と確信出来るだけの隙が見えた、その瞬間ロッシュは叫んでいた。深く踏み込んだ足が爆発的に身体を加速させる、その横では同じようにストックが走り始める気配。激しく攻撃していた相手が突然逃げへと転進したことに、敵兵は対処できていないようだった。対象を見失った攻撃は明後日の方向に繰り出され、無為に攻撃者の体勢を崩させるだけの行動に成り下がる。
「く……追うな、深追いはするな! くそ、被害状況は……」
背後から、敵隊長の声が響いてくる。この場は逃がしてこれ以上の被害を防ぐ、最善の判断だ、ロッシュは内心で評した。そして何よりこちらにとって都合が良い、追ってきたところで返り討ちにはできるだろうが、危険が少ないにこしたことはない。そして命令は無事受け入れられたようで、走る二人を追ってくる気配は感じられなかった。単に他の兵も、功よりも自分の命を優先しただけかもしれないが。
しばらく二人で走り続けたが、戦場が完全に見えなくなったあたりで、ストックが脚の動きを緩めた。
「ロッシュ、あそこで」
横を走るストックが指し示したのは、崖に出来た大きめの窪みだ。脇に生えた樹と茂みでうまく目隠しが作られており、少しの間なら十分休むことができそうである。
「よし、一旦休むか」
「ああ」
ロッシュも速度を落とし、茂みを崩さぬように注意して中に入り込む。横にストックが滑りこむ、狭いが何とか二人で入れないこともなさそうだ。ロッシュが腰を下ろすと、ストックはその鎧に身体を預けるようにして、隣に座りこんむ。

――しばらく、お互い何も言わなかった。

ロッシュは深く息を吸い込み、緊張に強張った筋肉を解す。隣でストックも大きく息を吐いているのが、鎧越しに感じられた。右手の指が槍を握り締めた状態のまま固まっている、それを一指ずつ意識して引き剥がし、何とか掌から離れてくれた槍を脇に置く。
それでようやく、身体から力が抜けた。
「……他の奴らは?」
「あのまま行かせた。陣に入るところは確認しなかったが、見えるところまでは行ったから大丈夫だろう」
「そうか……良かった」
辺りはもうとっくに暗く、遠くの空を両軍の陣営が照らし出している。話しながら周囲の様子を伺うが、追っ手の気配は感じられない。どうやらうまく逃げ切れたらしい、ロッシュは改めて息を吐いた。
「ったく、無茶しやがって」
「……あんたがそれを言うのか」
ぶすりとした声に、ロッシュは低く笑う。
「だがまあ、ありがとな。一人だったら、ちと厳しかったぜ」
「……だろうな」
「ああ。助かったぜ」
さらりと言うロッシュに対して、ストックはしばらく何事か考え込んでいる様子だったが。やがて、ぼそりと呟きを溢した。
「その鎧」
「ん?」
「さっきのような時のために着ているのか?」
何を言われているのか分からず、一瞬ロッシュが考え込む。その気配が通じたのか、ストックはさらに言葉を重ねた。
「敵をおびき寄せるためのものだ……と、以前言っていただろう」
「ああ」
その言葉でようやく話の流れを理解する。しばらく前に食堂で交わした会話のことを、忘れていたわけではないが言われるまでは思い出さなかった。
あの切迫した局面でそんなことを考えていたというのだろうか、妙な余裕に、ロッシュは堪え切れず笑いを溢してしまう。
「どうした?」
「いや、何でもねえ。――まあ、そんなとこだな」
「……そうか」
首を回してストックの様子を伺うと、眉間に皺を寄せた真剣な顔をしている。どうかしたのか、とロッシュが言葉を発する前に、再びストックが口を開いた。
「普段も、そうなのか?」
「あん?」
「敵兵を引きつけるつもりで、目立つ鎧を着ているのか? ……他の兵に集中しないように」
「ああ……まあ、それもあるが」
ストックの聞き方は淡々としていて、それがロッシュには有難かった。言葉にしてしまえば確かにその通りなのだが、別段崇高な自己犠牲でしていることでもない。妙に感心だの何だのをされていたら、たまらず笑い飛ばしてしまっていただろう。
「それだけでも無えよ。言ったかもだが、この腕に合う鎧ってのは少ないしな」
「……そうか」
「ああ」
ようやく熱の引いてきた身体に、ひやりとした夜風が届く。よく晴れているから星が綺麗だと、ロッシュは考えるともなく思った。灯りの多いアリステルでは見えない小さな星でも、戦場でははっきりと輝きを見て取れる。
「……すまなかった」
また、ストックが呟く。
「何がだ?」
「お前のことを、誤解していたようだ」
「へえ。敵を倒すことしか考えてねえ、戦闘馬鹿かと思ってたか?」
「ああ、そんなところだ」
「……はは」
直裁なストックの物言いに、思わず気持ちの良い笑いが零れた。
「気にすんな、そうだろうとは思っていたさ。……それに、大して間違ってるわけでもねえしな」
「そんなことはないだろう」
「いいや、あるさ」
戦うことしかできない人間だというのは、きっと正解だ。アリステル軍の中に居る、他の道を捨ててでも国のために戦っているような、そんな人間と自分は違う。
言葉に出さないその声をストックが聞き取れたはずは無い、だからその気配が不満げなのは、きっとロッシュの気のせいだろう。
「それに、それなら俺もお前に謝らねえとな」
「……何をだ?」
「お前のこと、誤解してたぜ。無口で無愛想で、他の奴のことなんて興味無い奴かと思ってたからな」
「それは……」
くっ、とストックが噴出した。
「それこそ、誤解ではないな」
「んなことねーって。少なくとも、こうして助けにきてくれたしな」
「…………」
「ありがとよ」
ストックは応えない、しかしそれが単なる照れ故であることは、見えずとも伝わってくる。面白い奴だ、とロッシュは小さく笑った。
「もう少し夜が更けたら、陣まで戻るか」
「……ああ」
ぶすっとした応えに、ロッシュはまた笑って。
そしてふと、戦場で誰かと肩を並べるというのが、自分にとって酷く久方ぶりだということを思い出した。
「……面白い奴だ」
「何か言ったか」
「いや、何も言ってねえよ」
その不思議な安心感を、今だけは心地よく味わいながら。明日以降の戦いに向けて、再び意識を研ぎ澄ませていった。



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セキゲツ作
2011.02.22 初出

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