その日の夕方にささやかな宴が開かれることになった。
目的は、勝利の宴だ。
アスガルドの女神フレイヤは単身でニブルヘイムへ乗り込み、ヘルを倒してアスガルドそしてミズガルドから死霊を駆逐した。
そのフレイヤと合流し、さらには逃げ延びていたレギンたちとも再会したので、これはめでたい、宴を開こうということになったのだった。
とはいえ、大したものが用意できるわけではない。
携帯食糧しか持っていなかったし、酒などは何故かレギンたち狂戦士が携えていたもので、全員が一口飲めば終わってしまう程度の量だ。
それでも彼らは満足だった。
北の民たちはお互いが生き残っていたことを口悪く罵り合い、その上で笑いあった。
助けに来てくれた神の勇敢さとフレイヤの美しさを褒め称えた。
その場に居た誰もがその時だけは浮かれきっていた。



酒代わりだと言うただの水を飲みながら、フレイは隣に座っているシグムンドと話し込んでいた。
「この戦いが終わったら、お前たちはアスガルドに帰るんだろうな」
フレイヤの勇敢さを称える話がひとしきり落ち着いた後、シグムンドはそんなことを言った。
「何だ、もう巨神たちに勝ったつもりなのか」
たった一口だけの酒で酔ったわけでもないだろうが、それにしても気が早い。
「いや、そういうわけでもないがな」
シグムンドは笑って受け流したが、フレイもそれを本気で咎めるつもりなどなく。
「いずれにせよ、この戦いに勝利したら帰るんだろう」
「まあ、そうだな。だがオーディンに叱られるかもしれない」
「何故だ?お前たちはロキを倒し、ヘルも倒してくれたじゃないか。ミズガルドはお前たちのおかげで守られているんだぞ」
「私たちの力だけで守れたわけでもないが」
「いや。俺たちの力だけでは到底敵わない相手だったさ。しかし何故」
真剣な様子でシグムンドがフレイを見ている。フレイはそんなシグムンドが面白くなり、少し口を滑らすことにした。
「私たちは最初オーディンに止められていたんだ、ミズガルドに来るのを」
フレイの言葉にシグムンドは驚いた様子だった。
「そうだったのか」
「ああ。結果的にはそれが功を奏したわけだ。お前たち人間を守ることができ、結果的にアスガルドも守ることになった」
「なら余計にわからないな。オーディンに叱られる理由が」
シグムンドは腕組みをして頭を傾げている。
「命令に背いたからな。一時的にアスガルドから追い出されるくらいのことはあるかもしれない」
「……そんなにオーディンは心が狭いのか?」
その眉間の皺が深くなり始めて来たので、フレイは笑って発言を修正した。
「いや。そんなことはない」
「何だ、冗談か」
神が冗談を言うとはな、とシグムンドが意地悪く言ったので、フレイも真顔で、神が冗談を言ってはいけないのか、と返しておいた。
「ともかく。もし本当にアスガルドから追い出されたら、いや追い出されなくとも、退屈したら俺の村に来れば良い」
「おまえの村に?……さっきのは冗談だと言ったはずだが」
「これも冗談の一つだ」
そういう割にはシグムンドの声に茶化した様子はない。
「おまえたちは俺たち人間を救ってくれた。手厚く歓迎してもし足りないくらいだ」
「……おまえはそう言ってくれるが、私はそんな大したことはしていない。人間たちが受けた被害は甚大だ」
実際問題、北の民の村々は巨神の攻撃のおかげで壊滅状態だ。
もっとも南の国々も似たような状態ではあるが。
「例えそうだとしても、お前たちが助けてくれたからこそ俺たちは今こうして生き残っている」
「だが」
「北で四つの村を治める村の長が言ってるんだ。信じろ」
「――良いのか、それでも」
思わずそんな言葉が零れ出てしまった。
「ああ。森での生活も悪いものじゃない。今よりは多少退屈かもしれないが」
シグムンドはそんな言葉を返してきた。
微妙に話が掏り変わっているが、敢えて別の意味で捉えたのか、フレイには判断が付かなかった。
いずれにせよ、これ以上フレイには何も言えない。
一方のシグムンドはさして気にした様子もなく、話を続けた。
「大体、歓迎してくれるのは俺だけじゃない、ヴェルンドたちだって歓迎してくれるだろう。もっとも……レギン達はどうするかわからないが」
「神にも牙を剥いて来るか」
「可能性はあるな」
狂戦士の噂はアスガルドまで届いてくるほどのものだ。フレイも何度かオーディンから話を聞いたことがある。
とは言え、神に対して戦いを挑んでくるとも思えない。
そう、これはまだ冗談の続きなのだ。
「何か言ったかシグムンドよ」
それまで仲間たちと騒いでいたレギンがいきなり口を挟んできた。
森の民は基本耳が良いものだが、それはレギン達も同じなのだ。
「いいや、何でもないさ。狂戦士は勇敢だと、フレイが言ってただけだ」
「ほう、良くわかってるじゃねえか」
レギンが大きな声で笑い始めると、周りの狂戦士たちも途端に笑い出す。
狂戦士以外の北の民は微妙に引きつり笑いを浮かべていたが、それまで黙っていたヴェルンドが軽口を叩いた。
「勇敢ではなく野蛮、或いは獰猛、の間違いだろう」
「なんだとぉ?」
途端に狂戦士たちが息を巻く。狂戦士は好戦的、つまり喧嘩っ早いことでも有名だ。
「お、おい!やめろって」
近くに座っていたヘルギが慌てて双方を止めに入るが、ヴェルンドは口を止めない。
「随分と気が短いんだな。いや、元からだったか狂戦士は」
「てめぇ……!」
狂戦士が立ち上がり今にも殴りかかりそうになったところで、レギンがそれを止めた。
「やめねえか!」
身近で聞いた者は竦んでしまうほどの大声だ。辺り一面に響き渡る。
「今はくだらねえことで争ってる場合じゃねえ。わかってんだろ」
自らの長の言葉に狂戦士達は押し黙った。
レギンはそう狂戦士の仲間達に言い聞かせたところで、ヴェルンドの方を向いた。
「ヴェルンド、お前も一口しか飲んでねえってのに良く口が回るもんだな」
「……おかげさまでな」
ヴェルンドの方もこの場がどういう場なのかわかっていたのか口を閉じた。
何とか場は収まったもののぎすぎすした雰囲気を一変させたのは、宴の主役、勝利の女神だった。
「北の皆さんは仲がよろしいのですね」
「……へ?」
フレイヤはにこにこと笑いながら言った。
信じられない思いでヘルギはもう一度聞き返す。
「今、な、なんて」
「仲良しなのですね、と」
フレイヤは少しだけ言葉を変えて律儀に繰り返した。
「そうですよね、兄様」
「そうだな」
いつもならば兄であるフレイの側から離れないフレイヤだが、北の民に取り囲まれてしまったため、今は離れたところに座っている。
そんな妹を見つめながらフレイは続けた。
「何だかんだと言いながら今は助け合っている。信頼にも色んな形はあるが有り体に言ってしまえば、仲良し、だ」
そんなフレイの言葉に、レギンがこれまた大声で笑い始めた。
「じゃあ俺たちは仲良し集団ってわけか?そりゃあいい!」
何かがレギンのツボにはまったようで、レギンは只管爆笑している。
それにつられたのか他の狂戦士たちも笑い始めた。
その声にヴェルンドは顔を顰めていたが、これ以上何かを言う気はないらしい。
場は賑やかなものへと戻っていった。



「助かった。元はと言えば俺が発端だったかもしれない」
「私の力ではない。妹の機転だ」
フレイはそう謙遜した。当のフレイヤは今はまた北の民に囲まれて笑っている。
その笑顔は周りの男たちを捉えて離さない。
「機転なのか素なのかは疑問なところだがな」
「素とはなんだ」
「……わからないのか?」
そう言ったシグムンドの口調には明らかにからかいの色が含まれていたので、フレイは一つ咳払いしてから少し強めに言ってやった。
「人間とは、本当に面白いものだな」
「神の方が面白いさ。何しろ、アスガルドより人間を優先してくれる神がいるくらいだからな」
「……おだてたところで何も出ないぞ」
「何かをもらおうなんて考えちゃいないさ。力を貸してもらっているだけで充分だ」
「おまえは変わった人間だな、シグムンド」
「それこそお互い様だろう。フレイ」
そんなことはないと応えた声が重なって、二人は声を立てて笑った。






ヘルギは騒がしさを取り戻した周囲を見渡しつつ、そっとフレイヤに話しかけた。
「さっきは助かったぜ。さすが女神さんだな」
「私は何もしていませんよ」
相変わらずフレイヤはにこにこと笑っている。男ならば誰でも見とれてしまうような笑顔だ。
ヘルギはさりげなく視線をずらしながら心配事を口にした。
「しかしレギンの声で、巨神族に気づかれちまうんじゃねえか……」
「そんなことはないでしょう。大丈夫ですよ」
フレイヤがそう言った途端に大地が鳴動した。
何かとても大きなものが大地を踏みしめるような音が聞こえてくる。
今まで何度も聞きすぎて、その音が何を意味しているのか、考えなくてもわかってしまう。
魂を震わす恐怖の音だ。
誰かが余りにもわかりきったことを叫ぶ。
「巨神族の襲撃だー!」
ヘルギの心配は残念ながら現実になったのだった。



平上作
2012.07.16 掲載

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