まず大前提を述べると、寮の部屋にはシャワーがある。
高校の男子寮にしては豪勢な代物だが、別段、アリステル高校に金があるわけではない。むしろ真逆で、アリステル高校に一から寮を建てる金が無かったのがその直接的な理由となっている。金は無いが苦学生の生活を支援するための学生寮は欲しい、それらを両立させるために、丁度手放されようとしていた企業の独身寮を安く買い叩いたのだ。寮とはいえ一応は社会人用の建物、広くもないワンルームには、それぞれユニットバスと狭苦しいキッチンが付いている。食堂や大浴場など、必要な施設は追加されたが、既存の設備を一々取り外すなどという無駄な金がある筈もない。結果として上述するような、高校生には不釣り合いな状態が、アリステル高校の寮には存在していた。
「……」
響いていたシャワーの音がようやく止まる、それを契機に、ストックはすっと身構えた。ファンヒーターの吹き出し口の前に丸めておいた毛布、その端を手に取り、いつでも動き出せるように体勢を整える。
微妙な経緯で付いているシャワーだが、一応使うことは可能だ。ただし、前述した経済的理由により、その機能は大きく制限されている。シャワーとしての体裁は整っている、しかし普通の者であれば使用を躊躇う程の重大な特性が、それからは奪い去られていた――端的に言うと、お湯を出すことができなかった。
水音が消えたユニットバスだが未だ物音は続いている、何をしているのかは見ずとも分かる、濡れた身体を拭いて部屋着に着替えているのだ。水しか出ないシャワーなど、通常は頼まれても使いたくない代物だが、他に代替品が無いなら話は別である。寮には大浴場が存在するが、夜九時以降は使用できなくなってしまう。労働基準法抵触寸前の時刻までバイトに励んでいるロッシュが風呂に入ろうと思えば、例え湯が使えないとしても、部屋のシャワーを使う他に選択肢が無いのだ。
しかしそれも、夏の間であれば問題ない。問題となるのは季節が巡り、気温が一定以下に下がってしまった時だ。秋から冬にかけ、初夏に至るあたりまでは、震えながら身に注ぐ冷水に耐えて身を清めることとなる。
そして勿論、今は冬だ。霜も降りる、氷も張る、厳寒の真冬だ。
「――っだああ、さみぃ……!!」
叫びと共にバスルームを飛び出してきたロッシュに、ストックはばさりと毛布をかけた。まるでマタドールのような動き、通常であれば軽口の一つも叩かれただろうが、歯の根も合わぬ程震えている状態でそれは不可能だ。下がりきった体温を取り戻すべく、ぬくもりを移された毛布で身体を包み、代わりにヒーターの前を占領している。
「当たり前だ。さっさと炬燵に入れ」
「お、おう……」
背にヒーターを当てながら下半身を炬燵に突っ込み、それでようやく人心地がついたのか、未だ止まらぬ震えの中で少しだけその表情を緩めた。
「はー……生き返るぜ」
「それは何よりだ。全く毎日、よくあの冷たい水を浴びられるな」
「仕方ねえだろ、それ以外出ねえんだから。俺だって風呂に入りてえよ」
バイトが無ければ大浴場の開場期間に間に合うのだが、苦学生のロッシュがその恩恵に預かれる日は、週のうち半分も無い。
「まあ、入れるだけマシだからな。文句言ったらバチ当たるってもんだ」
「……その前向きな姿勢は、評価に値するがな」
確かに、アルバイトの汗と油で汚れた身のまま翌日を迎えることを考えれば、多少寒いくらいは耐えるべきとも言えるかもしれないが。しかしそれにしても、限度があると考えてしまうのは、ストックの根性が親友のそれより不足しているということなのだろうか。
(いや、それは無い)
普通の人間であれば、最低気温が零下を下回った状態で、水を浴びることを良しとはできない筈だ。いくら汚れをそのままに出来ないといっても、少し考えれば方法はいくらでもある、そう例えば。
「湯を沸かして身体を拭いても良いと思うぞ。少なくとも、冬の間くらいは」
「あ? んー……いいよ、面倒くせえし」
完全に予想通りの反応を返され、ストックは盛大に溜息を吐いた。炬燵の中で手を握ってみれば、しばらく暖かい場所に居たにも関わらず、未だに上がり切らぬ温度が感じられる。
「いつか、風邪を引くぞ」
「ああ、気をつけるって」
いっそ一度酷い風邪を引けばいい、そんな本末転倒な思考に到ってしまった彼を、攻めることは誰にもできない。
気のない返事に、ストックは冷水より冷たい視線を注ぎながら、もう一度だけ溜息を吐いた。




セキゲツ作
2012.02.12 初出

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