今日は何の日だ、そう聞かれてありのまま正解の回答を述べられる男子高校生は少ない。彼らの肥大した自意識とそれに見合って過剰なプライドは、自分がその日を意識しているという真実に対して、正面から向き合うことを許さないのだ。彼らにとってその日はただの平日、あるいは誰かの誕生日、あるいは少しばかりの知識を動員して全く関係のない記念日を挙げてもいい。とにかく、その日当日――ばかりでなく前一ヶ月後一週間程の間、その名を躊躇いなく口に出せる者は数少なく、別の答えで自分と他人を誤魔化そうとしてしまう。それは、全国共通の何とも哀しい現実だった。
しかし勿論、それに全く当てはまらない者も、居ないではない。日々何も考えていない者、女性に対して直情であることが個性と周囲から認識されている者、そもそも女性に興味が無い者。そして本当に数少ないが、思春期の巨大な自意識を満たせる程女性から想いを向けられる者も、確かに存在する。
「にしても」
その、全国単位で見てもどれくらい生息するかわからない、モテる男のうち一人。ストックが手にした袋を見て、ロッシュが驚嘆の声を上げた。
「すげえ量だよな。何個あるんだ?」
「……知らん」
可愛らしくラッピングされた色とりどりの包みが、袋の中に溢れんばかりに詰め込まれている。袋といっても気の利いた紙袋などではない、色気も素っ気もないスーパーのビニール袋なので、外からでもそれらの華やかさがぼんやり見て取れる。
世間一般の男子生徒が見たら怨嗟と呪詛を吐き出すこと間違いなしの女心詰め合わせセットだが、それを持つストックは全く嬉しくもなんとも無さそうに、呻き声に近い溜息を零した。
「相変わらずだな、罰当たりな奴だぜ。他の奴らが見たら、変な声上げて殴りかかってくるぞ」
その態度はけして外面を気にしたポーズなのではなく、本気でチョコレートの山を鬱陶しく思っているのだと、親友であるロッシュにはしっかりと伝わっている。真っ当な男子の反応からはかけ離れた反応に、慣れているはずのロッシュですらも、軽く苦笑を浮かべた。
「女嫌いってわけじゃねえんだから、素直に喜んどきゃいいだろ。欲しくたって貰えない奴は大勢居るんだぜ」
「知るか」
機嫌が悪いのは見れば分かるし、それを承知で行動を共にしているのだから、多少の八つ当たりは覚悟している。だがそれにしても、二回続けて似たような一単語で返されるとは、あまりに無愛想過ぎる応答だ。ロッシュの表情が微妙に嫌そうに歪められ、溜息に近い呼吸が口から漏れる。
「つーか、そんなに嫌なら貰わなきゃいいだろ。断れよ、その場で」
呆れ混じりのその言葉は、この上なく正論を言い当てていると、発した当人には思われた。しかしストックは、口元だけに薄い笑いを浮かべて、ゆるゆると否定の意を示す。
「直接渡されたものは、全て断っている」
「へ。……そうなのか」
「ああ。これは、放り込まれていた分だ」
「靴箱に?」
「……随分、発想が古風だな」
昭和の時代から時を越えやってきた情景に、さすがの不機嫌も消しとばされたのか、ストックが皮肉でない笑いを零した。低く笑い声を上げながらロッシュの顔を見て、何故か一瞬沈黙した後、再びにやりと笑みを浮かべる。
「な、なんだよ!」
「いや、何でもない。……机だの生徒会室だのに、置かれていたんだ」
「ああ、成る程な。確かにそりゃ賢い」
校内随一の綺麗な顔を持つこの男は、その容貌で大量の女性を引きつけるにも関わらず、今のところ恋愛関係にあたる異性を持たない。それどころか、例え女生徒の側から告白されたとしても、十割の確率で断ってしまっている。当然二月十四日だとてそれは同じ筈で、手渡しでは受け取って貰えない可能性が高いと推測するのは、思考として自然な流れだ。ならば顔を合わせないことで突き返す機会を奪うというのは、何が何でも受け取って貰うための、乙女の切ない知恵だったのだろう。そしてその計略が見事図に当たったことは、ストックの手にぶら下がるビニール袋を見れば分かる――まあ、だからといってその結果、何が起こるわけでもないのだが。
「去年は、これ程の量は無かったんだが……」
「あー、まあ生徒会長になって顔が売れたからな。そりゃ仕方ない」
深い溜息を吐くストックの背を、ロッシュが優しく叩いてやる。女生徒に絶大な人気を誇る男に対して、現役の男子高校生が取るには出来すぎた態度だが、ロッシュから見れば女性にモテるという特性など、特に嫉妬の対象にはならないのだろう。勿論、ロッシュが女に興味が無いということでははなく、単に特定の想い人が居るというだけの話なのだが。
「どうすんだそれ、捨てるのか?」
「幾ら何でも、それは勿体無い。毒入りというわけでもなし、適当に食うさ」
「ま、さすがにそうか。んじゃ、ちょっとくれよ」
「……まあ、構わんが」
毒ならぬ愛情がたっぷり込められたチョコレートも、腹を減らした男子学生二人にとっては、単なる夜食としか見えていないらしい。その事実を贈った当人たちが知ったらどう思うだろうか、態々そんなことを知らせに走る者は何処にも居ないのは、彼らの平和にとって非常な幸運だったと言える。
当面のカロリー摂取源を確保し、機嫌よく笑みを零すロッシュだったが、ふと。何事かに気づいた様子で瞬きを繰り返したと思うと、その表情が、くるりと悪戯めいたものに変わった。
「んで、レイニーからは貰えたのか?」
からかい混じりの声音で尋ねれば、それまでに倍して険しくなったストックの視線が、ロッシュを射抜く。
「どうした? ひょっとして貰えなかったんじゃあ」
「……いや」
しかしロッシュも、伊達にストックの親友ではない。鋭い目で睨みつけられても一切堪えぬ態度に、ストックもそれ以上の攻撃を諦め、嘆息しつつ袋を掲げる。
「貰ったぞ。一応」
「一応?」
「世話になっている礼、だそうだ」
如何にもレイニーらしい文言だが、それを口にするストックの声には、親友だからこそ気付ける一筋の暗さがある。
「ふうん……どれだ?」
「それだ。その、赤い包みの」
詰め込まれたチョコレート達の、一番上に乗せられていたそれを、ロッシュはひょいと手にとって眺める。流行ものに疎いロッシュには詳しく分からないが、包装紙の上品さからは、かなり上等なものに見えた。ロッシュと同じく、奨学金とアルバイトで生計を立てているレイニーにとっては、相当に背伸びをした贈り物の筈だ。
「随分、高そうだな」
「そうだな。……律儀な奴だ」
苦笑混じりに呟くストックの横顔を、ロッシュはちらりと見る。どうやら本気で言っているらしい親友に、口を衝きそうになる指摘を抑え、『礼』の品を袋の中に戻した。こういうことを周囲が妙につついて、こじれてはいけない。頑固さに定評のあるストックであれば尚更に、余計なことは言わぬ方が良いだろう。
「まあ、良かったじゃねえか、貰えて」
「まあな。で、お前は」
軽く流して話を終わらせようとした、そんなロッシュの言葉に続けて、ストックが何気なさを装った声を上げる。
「どうなんだ。貰えたのか」
「……ん?」
その問いが来るのを、ロッシュもある程度は一応は予測していたのだろう。驚いた様子もなく、かといって喜んで食いつくでもない、何とも微妙な表情だ。応とも否とも取れない親友の反応を、ストックは横目で見つつ、先程のお返しとばかりに意地の悪い声で問いかけを繰り返してやる。
「ソニアからは、どうだったんだ」
「ああ、まあ」
好奇心と多少の悪戯心、そこに悪心が無いのをロッシュも分かっているから、気分を害したりはしない。特に今は、機嫌を上向きに保つ強力な材料があるのだから、この程度で臍を曲げる筈もなかった。
「一応な。貰ったぞ」
「お前も一応か」
「ああ」
ロッシュは鞄の中から包みを取り出し、興味を示すストックに向けて示してやる。上品な茶色の包みにレースのリボンがかけられたそれは、まるで市販品のように整ってはいたが、どうやらソニアの手製であるようだった。
「……手作りか」
「お兄さんに贈るからってんで、毎年作ってるんだよ。俺はそのおこぼれってわけだ」
ソニアの兄は確かに、海外で働いていると聞いた。毎年チョコレートを贈っているのも嘘ではないのだろう、が、それにしても。
「随分、丁寧な包装だな」
「マメだよなあ、女らしいっていうのかな。お兄さんも嬉しいだろうぜ」
「……俺は貰っていないんだが」
「ああ、そうだったのか? そりゃ残念だったな」
にやけた顔で笑う親友を、ストックは半眼で見詰める。照れ隠しだの関係の隠匿だのではなく、ロッシュの反応は、完全に素だ。本気で、気合いの入った包装の手作りチョコレートを、「兄のついで」だと思っているのだ。
「……なんだよ」
「いや」
しかしストックは、それに関して言及することはしなかった。万が一、万が一だが全てストックの思い過ごしで、このチョコレートは本当に幼なじみへの礼儀に過ぎないという可能性もある。そうであれば、あらぬ希望を抱かせた後に手酷い裏切りを与えることになる、それはあまりにも惨い。
一瞬のうちに思考を巡らせたストックの沈黙を、ロッシュはどう誤解したものか。
「やらんぞ?」
「いるか!」
いい具合に的外れな言葉を返され、ストックは半眼でロッシュを睨みつけた。そしてふと思いついた様子で、袋の中からレイニーから貰ったチョコを取り出し、鞄に仕舞い直す。
「何だよ」
「……お前が持て」
そして、ひとつ以外のチョコレートが詰め込まれたビニール袋を、ぐいとロッシュに押しつけた。
「何でだよ。お前の荷物だろ、自分で持てって」
「お前も食べるんだろう? その分を労働で返せ、でなければ食うな」
不満げな反論も相変わらずの調子ではね除け、さらに袋を突き出せば、ロッシュも舌打ちしつつそれを受け取る。薄っぺらいビニールの中に労りも無く押し込まれた上、本来の持ち主からは引き離されるという憂き目に遭ったチョコ達が、がさがさと抗議めいた雑音を立てた。
「まあ良いけどな。持ったからには、遠慮なく食わせて貰うぜ」
「好きにしろ。……その袋の中にある分はな」
「んな、変な心配せんでも」
ぼそりと付け加えられたストックの言葉に、ロッシュは堪えきれずに意地の悪い笑みを浮かべる。
「そっちは取りゃしねえって。一人でじっくり、味わって食え」
親しさ故に遠慮のないロッシュを、ストックの視線が再度突き刺す。しかしそれでも止まらぬにやにや笑いに、気遣い無用との判断が下されたのか、ロッシュの脚に容赦なく蹴りが入った。
「ってえ!」
「くだらないことを言うからだ」
「へいへい、分かったって。……ったく、乱暴な奴だぜ」
「今更、何を言っている」
文句を言いつつもやり返さないロッシュの腕で、揺らされた袋ががさりと音を立てる。乙女達の繊細な想いなど一切介さない、朴念仁の腹の中に、贈られたチョコレートは消えていくのだろう。

残念だがそれは、変えようのない未来だ。





セキゲツ作
2012.02.11 初出

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