ストックは洗面台に立つと、長い前髪をヘアバンドで抑え、普段は隠されている額を露出した。その状態で先ず手洗い用の石鹸を使い、泡を立てて手を奇麗に洗い上げる。それが終わるとようやく洗顔料を手に取り、顔を洗い始めた。

「……毎度思うんだが」

ロッシュはその横で既に洗顔を終え、濡れた顔をタオルで拭き清めている。ストックはその声に反応し、泡に塗れた中から視線だけをちらりと動かし、ロッシュを見た。

「やたら丁寧に顔洗うよな、お前」

半ば呆れた声で呟くと、ロッシュはストックの前に置かれた洗顔用品を見遣る。ニキビ予防に、と銘打たれた洗顔料はともかくとして、洗顔前に手を洗うための石鹸に、挙句の果てには洗顔後に付ける化粧水や乳液までがそこには並べられていた。普通の男子高校生が行う数倍の時間をかけて、毎朝毎晩彼は丁寧に顔を洗っているのだ。おかげで10代後半という年齢にも関わらず、ストックの顔にはニキビ跡ひとつ無い。その清潔感も彼が女生徒に人気な理由なのだろう、モテる男を羨むのならこれを真似してみれば良いと思うのだが、しかしこんな面倒なことを毎日こなせる男は中々居ない。
好奇心から化粧水の瓶を持ち上げて眺めているロッシュに、ストックはひとつ溜息を吐いて。そして顔を覆う泡を、これまたしっかりと時間をかけて洗い流した。

「以前のことだが」
「ん?」
「顔に、ニキビが出来たことがあったんだ」

顔から滴る水分を拭き取りながら、ストックが言葉を紡ぐ。手にしたタオルは柔らかそうなふわりとしたもので、しかも擦らず上から抑えるようにして、水気を丁寧に吸い取っていた。タオル越しのくぐもった声は、それでもはっきりとした不機嫌に満ちていて、ロッシュは首を傾げる。

「中学生の頃で、その時はまだ妹と同居していたんだが」
「ああ」
「妹が、その翌日……これらを買ってきた」

指し示されたのは、当然ずらりと並んだニキビ予防のための品々だ。ロッシュはストックの顔を見た、タオルを外した彼の奇麗な顔は、不満と、しかしそれを主張することへの諦めに支配されている。

「……何でだ?」
「予防のため、だそうだ」
「まあ、そりゃそうだろうが。何でこんなにいろんなもんを用意したんだろうな?」
「さあな……勿体ないだの何だの言っていた気がするが、よく分からん」

ふっとストックの視線が遠くなる、例え納得できない理由であろうとも、妹を溺愛している彼にとって彼女の頼みは絶対のものなのだろう。洗顔料を用意され、毎日の手入れを懇願されれば、従わざるを得ないに違いない。

「でも、そりゃ中学生の時の話なんだろ? 今は自分で買ってんのか」
「いや……定期的に、送ってくる」
「…………」
「……これもだ」

言いながらストックが、手にしたタオルをひょいと掲げた。

「……何でタオル?」
「刺激が少ないように柔らかいものを使え、ということらしいが」
「…………」
「…………」

遠い目のまま化粧水を手にしたストックの肩を、ロッシュは優しく叩いた。

「大変だな、お前も」
「……いや、もう慣れたからな」
「そうか……」
「お前も使ってみるか?」
「いや、俺は別に」
「使ってみろ」
「そこまでは必要無いと」
「使え」
「…………」
「…………」

無言の圧力を与える親友の視線に耐えきれず、ロッシュはそっと洗顔料を手に取り、顔を洗い直そうとした……しかしその腕をストックが掴み、首を振って否定の意を示しながら、目の前に手洗い用の石鹸を突き出してくる。

「……これ、からか」
「これ、からだ」
「…………」
「…………」

大きく溜息を吐いてロッシュは手を洗い始める。その顔には、先程ストックが浮かべていたのと同じような、不満とそれを主張できない諦めが満ち始めていた。




セキゲツ作
2011.08.21 初出

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