「しかしお前も、出世したもんだよなあ」

アリステル二番街の酒場「レッドテイル」。城の程近くに店を構えるこの店は、二番街の住人だけでなく、城勤めの兵士達にも贔屓として利用されていた。当番が終わったばかりの鎧姿のまま、一人で、あるいは気の合う仲間同士で訪れて騒ぎながら酒を酌み交わしている光景は、この店ではよく見られるものである。
今もそんな兵士が数人、店の片隅に陣取り、賑やかに卓を囲んでいた。

「へへへ……自分の力じゃないですよぅ、ロッシュ隊長が凄いんですから……」

その中心に座っているキールが、すっかり酔った様子でぶつぶつと呟く。今アリステル軍で最も有名な隊と言われているロッシュ隊、そこで隊長補佐を勤めているキールだが、今日は隊員以外の新兵と飲みに繰り出していた。ロッシュ隊は初陣以来転戦が続いていたため、中々アリステルに腰を落ち着けることも出来なかったのだが、明日から3日は久々の完全な非番となっている。近々大きな作戦行動が控えているためだという噂を聞いたが、取り敢えずそれは今から緊張するべきことではない。入隊以来とも言える纏まった休みに隊員達は歓声を上げ、休み前夜である今のうちから既に、思い思いの方法で羽を伸ばしていたのだ。
キールもそれに倣い、従軍直後に知り合っていた同期の兵と、久方ぶりの交流を深めるために酒場にやってきた次第である。……より正確を期すれば、ロッシュ隊の評判を聞いた者達がキールを拉致同然に連行したとも言えるのだが。

「それはもう聞いたって」
「ほんと、何度目だよ。ってか何で軍隊口調に戻ってるんだよ」
「酔いすぎだな。顔真っ赤だし」
「何を言われますか! 自分はまだいけますよ!」
「いや、どう見ても完全に酔っぱらいだろ。敬礼すんな、馬鹿」

席が始まって2時間ほど、その間に数杯の酒を干したキールは、顔を赤くして力無く椅子にもたれている状態だった。話す調子も、少し前までは同年代に対する気軽な言葉遣いで話していたのだが、今は何故か任務時の堅いそれに変わってしまっている。一見して明らかな酩酊の様子に、卓を囲む兵は揃って苦笑した。その会話を聞きつけてか、店員が彼らの席にやってくる。

「随分酔っていらっしゃるようですね。城に使いを出しますか?」
「ああ、悪いが頼む。ロッシュ隊のキールって奴だ」

軍属の者が多く利用するこの店では、酔い潰れた兵が居た場合、城に連絡して同じ所属の者に引き取ってもらうのが通例だった。同行の者が居るのだから彼らが送り届ければ良いようなものだが、そう言っているうちに席が続き、最後は全員潰れて転がっていたという場合も少なくはない。正気の者が残っているうちに連絡を取っておくのは、賢い選択と言えるだろう。所属と名を控えた店員は、丁寧に一礼して引き下がる。

「ほら、キール、もうちょいで迎えが来るからな。それまで起きてろよ」
「大丈夫ですっ、こんなところで潰れたら、ロッシュ隊長に合わせる顔がありません!」
「既に無いと思うがな」
「……無いですか」
「無いな。完全に無い」

やはり酔っているはずの自分達を棚に上げ、隣の男がキールをぐりぐりと小突く。

「意識があるだけで正気は無いだろう。潰れてるようなもんだぞ」
「潰れてませんっ! まだ全然正気ですよ!」
「よし、それなら今から店の前を5往復だ!」
「はいっ!」
「馬鹿、迷惑だから止めろ!」

掛け声に合わせて立ち上がりそうになったキールを、比較的冷静な一人が慌てて止めた。キールを煽った男は、それを見て腹をかかえて笑っている。どう見ても大同小異な酔漢の集団に、店のマスターがこっそり苦笑を浮かべていたが、彼らのうち誰もそんなことには気づかない。

「うう、やっぱり駄目ですか、自分……」
「駄目だな、全く駄目だ。非の打ち所のない駄目っぷりだ」
「そ、そんなあ……申し訳ありません隊長!」
「って、そこで何で大尉に謝るんだよ」
「キール、お前これで隊長って言ったの、何回目だ?」
「言い過ぎだな。どんだけ懐いてるんだよ」

一同が呆れ混じりの笑いを見せるが、キールは一切気にした様子もなくむしろ誇らしげに胸を張り、堂々と言い放った。

「何言ってるんですか、そんなの当たり前ですよ、大好きな人なんですから!」

その言葉にまた笑いが起こる……が、酩酊の段階が低い一人がふと違和感に気付き、首を傾げた。

「……ん、大好き?」

その呟きは極小さい、問いかけるでもない独り言に近いものだったが、酔っている割に感覚は鈍っていないらしいキールがそれを聞きつけ、ぐるりと首を向ける。

「はい、大好きです!」

きっぱりと言い切られた内容に、今度は全員が同じ違和感に捕らわれたようで、場に不自然な沈黙が落ちる。

「……ロッシュ大尉のこと、だよな」
「勿論じゃないですか!」
「そ、そうだよな……尊敬する隊長だもんな」
「そうです、だから大好きなんです!」
「…………」
「…………」

キールは卓に満ちた微妙な雰囲気にも気付かない様子で、上機嫌な笑顔を振りまいている。やや引き攣った笑みを浮かべた一人が、取り繕うように言葉を紡いだ。

「いや、お前直ぐそういうこと言うもんな。あれだろ、確かストック小尉のことも大好きなんだろ」
「副隊長殿ですか? 勿論です、凄く尊敬しています!」
「…………」
「…………」
「ストック副隊長は自分の目標ですから! 自分もいつか副隊長のようになりたいです……!」
「……ロッシュ大尉は」
「大好きです!」
「…………」
「…………」

全員、話の継ぎ穂を失って黙り込む。表情は判で押したかのように微妙な笑い顔で揃えられており、その中で一人、もの凄く楽しげに笑っているキールの眩しい笑顔だけがどこまでも浮き上がっていた。

「自分、ロッシュ隊に配属されて良かったです……」

それはそうだろうな、と全員の心の声が合唱する。声に出して相手をする気力のある者は、酒の勢いがあったとしても居ないようだった。賑やかだった卓に落ちた沈黙に、店の者が不思議そうな目を向けている。……と、それを破るように、店内に入ってきた者が居た。

「……邪魔するぜ」

扉が開く音に、野太い声と鎧が立てる金属音が重なる。たった今話題に出ていた人物の姿に、キールを除いた全員が驚きの表情を浮かべた。

「ロッシュ大尉!」
「隊長!」
「おう、居たかキール。随分ご機嫌じゃねえか」

酒精の影響で顔を赤く染めたキールを見て、ロッシュが呆れに顔を顰める。しかしキールは気にせず、嬉しげに席を立ち、ロッシュの元へと駆け寄った。

「隊長、迎えに来てくれたんですか!」
「すいません、大尉が来てくださるとは思っていなくて」
「気にすんな、たまたま上がるとこだったからな」
「嬉しいです隊長、自分のことを態々迎えに来てくださるなんて……光栄です!」
「あー分かった、分かったから寄るな酒くせえ」

ロッシュの傍らへと寄ろうとするキールだが、その頭をロッシュが押さえ、腕の長さ以上に近づくのを拒む。かなりぞんざいな扱いだが、それでもキールは気にならないようで、笑顔を浮かべたまま、玩具めいた動作でじたばたと、敵わぬ接近を続けていた。

「やれやれ、すっかり酔っぱらいやがって。すまんな、迷惑かけて」
「いえっ、誘ったのは自分達ですから…」
「そう言ってくれると有り難いぜ」

にこりと気さくな笑顔を浮かべるロッシュに、席に居た者達も何となく気持ちが浮き立つのを感じる。その空気を感じたのかは分からないが、じたばたを続けていたキールが、ようやくその動きを止め、そして。

「隊長、大好きです!」

発せられた言葉に、再び場の空気が凍り付く。先ほどまでの、何とも言えない微妙な笑みを取り戻してしまった男達に対して、しかしロッシュは呆れた表情を僅かに深めたのみだった。全く、と溜息と共に呟き、キールの襟首を生身の右手でひっ掴む。

「お前は酒癖が悪いから飲むな、って言っただろ」
「すいません、ご迷惑をおかけしました!」
「謝るなら最初からすんなってんだ」
「すいません、でも大好きです!」
「それはもう分かった、とにかく帰るぞ」

そして、半ばつまみ上げるような状態で、キールを引きずり出口へと向かう。キールは、首元が締まってやや苦しげではあったものの笑顔は崩さず、それに付いて歩く。よろけるような足取りなのは、酔いが回っているためか、それとも首を掴まれて平衡が取れていないためか。

「じゃ、お前等も程々に解散しろよ。揃って潰れねえようにな」
「はいっ、ご心配有り難うございます!」
「隊長ー、自分、隊長の部下で幸せです……!」
「あーそうか、そりゃ良かったぜ」

酔っぱらいの戯れ言にも律儀に(しかし適当に)応えを返しながら、ロッシュは酒場の外へと消えていった。後に残された者達は、何とはなしに顔を見合わせ、ひとつ息を吐いた。

「…………まあ、本人幸せそうだから」

誰かが呟き、全員が深く頷く。取り敢えずキールは間違いなく良い奴だし、その彼が幸せなのは悪いことではない。相手も納得……しているのかどうかは微妙なところだったが。しかし今問題が無いのだから、放っておくのが一番だ。
誰が口にするでもなく結論に達した彼らは、何ともいえなくなってしまった雰囲気を払拭するため、改めて酒を煽る。――何だか微妙な味がしたのは気のせいと思うことにした。



セキゲツ作
2011.07.14 初出

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