「そういえば」

事後の片づけを終え、並んで寝台に横たわろうという時、ふとロッシュが呟いた。隣で、やはり身体を横にしようとしていたストックが、その動きを止めてロッシュに視線を向ける。

「お前、目を閉じないよな」
「……寝るときに、か?」
「んなわけねえだろ! それじゃあ化け物になっちまう」
「魚は目を閉じずに寝る。しかし化け物では無いな」
「ほーう、ならお前は魚か。そりゃ知らなかった」

呆れた様子で、ロッシュはストックの頭を軽く叩く。

「そうじゃなくて、口付ける時の話だよ」
「……ああ」

納得したのかストックが頷く、そして今気付いた、という表情でロッシュを見詰めた。

「そういえば、お前は閉じているな」
「まあ、そりゃな。普通は閉じるもんだろ」
「……閉じるのが、普通なのか? 俺は聞いたことが無いが」
「いや、そんな改めて真剣に聞かれても困るんだが……」

真顔で聞き返され、ロッシュは困惑した様子で頭を掻いた。普通、というものをきっぱりと論じられるほど経験が豊富なわけではない、ただ何となく閉じるのが当たり前なのだと思っていただけなのだが。
とりあえず普通が何かというのは、談義しても不毛になるばかりだろうと判断し、勝手に打ち切ってしまうことに決める。

「開けてても、何も見えないだろ?」
「そんなことはない。お前の顔が目の前にあるんだ、それが見えないわけがないだろう」
「顔ったって、あんだけ近づいてるんじゃ、禄に見えやしないだろ」
「確かに焦点は合わないが……陰影程度は分かる」
「いや、見えてねえじゃねえか、それ」
「見える、という意味の取り方によるな」
「……その手の議論は受けねえからな。頭が痛くなるのは御免だ」
「情けないな……」
「うるせえ、お前と頭でやり合って、勝てるわけねえんだよ」

不機嫌に睨み付けられ、ストックが軽く肩を竦める。――その表情にふと、何かを思いついた時の色が浮かんだ。

「なら、試してみるか?」
「あ?」
「……顔が見えるか見えないか。実際に、試してみればいい」

言葉と共にストックの手が肩にかけられ、身体がロッシュのそれに寄せられる。

「閉じるなよ」

低く囁かれ、反射的に下りそうになっていた瞼を慌てて止めた。そして目を開いたままで、ストックの接近を受け入れる。
視界には、ゆっくりと近づくストックの顔が広がっている。普段よりも数段近接したそれを、ロッシュはぼんやりと観察した。すっきりと通った鼻筋や男にしては長い睫を眺める、しかしそれらはやはり、ある距離を超えれば輪郭を失った曖昧な色彩の固まりとなってしまう。透明感のある濃い緑色の瞳が目の前に広がる、と思った瞬間、唇に慣れた暖かさが押し付けられた。

「…………」

視界は金色と白と緑色に埋められ、それが口付けの角度を変えるたび、ゆらゆらと動く。彼の姿は確かに近くにあるのに、はっきりとした形が掴めない。それが少しばかり寂しく、焦点を合わせようと努力するが、しかしこれだけ近付いてしまえば目の動き程度で調整できるものではない。

「……寄り目になっているぞ」

一瞬口を離したストックに囁かれ、ロッシュは渋面を浮かべた。うるせえ、と短く返すと、それ以上の発言を禁止するようにストックの唇がロッシュのそれを再び塞ぐ。

「……ん」

そしてそのまま、舌を絡めるまではいかない、温度を分け合うだけの軽い口付けを繰り返す。ロッシュの右手がストックの背に回ると、応えるようにストックもロッシュの頭部に指を這わせた。

「……どうだ」
「ん?」
「見えたか?」
「あー」

言葉を紡ぐためにほんの少しだけ離れたストックの顔は、先程よりも多少見易くはあるが、それでもまだぼんやりとした影でしかない。ロッシュの側で身を引き、それがはっきりとした輪郭を持つまで距離を取る。見慣れた顔を認識し、それで少しだけ安心を覚えた。

「見えねえこともないな、色くらいは」
「ああ。色くらいだな」
「だがな、色だけだろ?」
「別段、色だけでも構わない」

それを追うようにストックの顔が近付く、重ねられる唇を、今度は目を閉じて迎える。……と、添えられていたストックの手が、軽くロッシュの頭を叩いた。

「……閉じるな、と言っただろう」
「もう確かめたぜ」
「だが、開いている方が良い。お前の目が見えるからな」

距離を失ったために再びぼやけた視界の中で、炯々とした緑色の色彩がロッシュを見据えている。ストックの側からも、ロッシュの瞳の色が見えているのだろう。自分の目などじっくり見たこともない、見て楽しいものとも思えないが、しかしストックが望むのであれば瞼を開いたままでいることくらいは構わない。
ふとストックの唇が離れる、と思うとその感触が目元に移動した。

「…………」
「っ、おい、こら」

瞼の端に押し付けられる温度、しかしそれも一瞬で離れ、そのまま顔中に唇が触れて回る。目元に、額に、鼻の頭に、頬に……撫で回されるような感触に、ロッシュはたまらず抗議の声を上げた。

「くすぐってえって」
「……気にするな」
「お前な、何やる気になってんだよ」

頭に触れていたはずの手も気付けば下ろされ、首を辿って肩口を指で弄っている。先程解放したはずの熱がストックの身体に宿り始めているのを感じて、ロッシュは少々呆れた声を上げた。

「別に、構わないだろう」
「明日も仕事だろ? 大丈夫かよ」
「俺はな。……お前は、もう無理か?」
「……そういう言い方は、卑怯だろうが」

家庭を持ってそれなりに落ち着いたとはいえ、その手の言葉……特に親友であるストックから発せられる挑発に、対抗心を煽られないわけがない。勿論ストックも分かって言っているはずで、それが理解できるのに乗ってしまう自分も大概甘い、とロッシュは内心嘆息する。

「……本当に辛いなら、止めておくが」
「当たり前だ。……だがまあ、今日のところは大丈夫だ。明日は一応、事務仕事だけの予定だしな」
「そうか」

ロッシュの言葉に頷いて、改めて唇を触れさせるストックの顔は、ぼやけて見えないはずなのに何故か嬉しげに感じられる。今度は深くまで差し入れられた舌に応えながら、ロッシュは何となく、ストックが目を閉じない理由が分かった気がした。




セキゲツ作
2011.06.06 初出

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