男ばかりの集団につきものな話といったら、まず猥談だろう。
 断定してしまえば、反論する者も出てくるかもしれない。だがロッシュの経験上、軍隊で酒が入った時の話題は、八割方猥談に行き着いていた。敗戦後などはさすがにその余裕もない、などと考えるのは素人である。その場に居るのはつまり、敗戦後であっても大した怪我をせず、酒が飲める程度に余裕のある男達なのだ。平和な時は暢気に、状況が悪い時は深刻な顔で。その表情は場合により異なるが、大同小異の中身――女達の身体や寝台の上での事象について話し合っているのが、残念な事実であった。
 しかし、軍に所属する全員がそれに参加しているかと言えば、そんなことは無い。数は少ないが、そういった下卑た話にけして加わらない男達も居る。信条の問題か、単に雰囲気を厭うているのか。何が理由かは本人以外分からないが、ともかく一部の男達は、頑なに猥談に参加しようとしなかったのである。
 そしてその中の一人が、ストックだった。常に冷静で寡黙なこの男は、その手の話が始まっても一切興味を示そうとせず、まして話に加わることは無い。あからさまに不快を示すわけではないが、言葉無く淡々と酒を重ね、適当なところで離席するのが常だ。残された男達が交わすやっかみ混じりの噂――武勇伝が多すぎて語りきれないだの、一度ならず刃傷沙汰になっている過去に触れられたくないだの――など、どこ吹く風。そんな姿を見ていると、ストックなら仕方がないと思えるようになってくるから、なんとも不思議なものだ。

 この夜もそうだった。前線での任を解かれ、久々にアリステルに帰ってきたロッシュの部隊が、当然のようにとなだれ込んだ酒場でのことだ。最初のうちはくぐり抜けた死線について熱く語っていた男達だったが、酒が進むにつれて、やはり下半身事情の方へとその矛先を向けてきていた。
 一人の男が、大げさな嘆きと共に卓に突っ伏す。彼の身に起きた悲劇が滔々と語られているが、簡潔に纏めれば、賭の代償として気に入りの『ネタ』を奪われたという話だ。
「一体誰だ、ズリネタを賭けに使うなんて思いついた奴は!」
「最初にやったのが誰かは知らないが、乗ったのがお前だってことは間違いないな」
 男達が大笑いする。長期に渡り、娯楽のない場所に閉じこめられる任務中には、刺激を求めてちょっとした賭けが行われることが多い。それはカードやチェスといったゲームであったり、訓練を兼ねた力比べであったり、実際の交戦における戦果であったりする。そして勿論やり取りされる質が存在するのだが、今回はそれが隊員の大事な『お供』であったようだ。
 男は身も世もなく嘆いているが、別段それが稀な悲劇というわけではない。むしろ笑っている男達の殆どが、同様の憂き目を経験したことがある。勿論同時に、相手の『お供』を巻き上げることもあるから、平然と笑っていられるのだが。
「まあ、元気出せよ。今度俺のとっておきを貸してやるから」
「とっておきったってな、お前のは趣味が悪いんだよ。ああ、気に入ってたのになあ」
「その顔で何我が儘言ってるんだ」
「いや、生の女が選べないから、センズリの時くらい拘りたいんだろ」
「違いない!」
 とかく、同性ばかりが集まる集団というのは、容赦が無くなるものだ。異性が居るならば間違っても口にしないような内容を話しながら、大声で笑っている。ロッシュはそれに加わるでもなく、適当に相槌を打ちながら、ちらりと親友の様子を見た。
 ストックはやはり、興味など無さそうな顔で、手にした酒を啜っている。本当に興味が無いのか、それとも気取っているだけなのかは、親友のロッシュでも分からない。一見にして不機嫌に見える態度だが、無口なのも無表情なのも常態なので、誰も気にしてはいなかった。
 話を合わせずとも良いのは、確かに気楽なことだ。しかし気にされないというのは、同時に、気遣いの範囲外にあるということにもなる。
「ストック、お前はどうなんだ? あるんだろ、こだわりの逸品」
 唐突に話をふられて、ストックは目を瞬かせた。反応が返ってきたことに、ロッシュを除いた周囲は目を輝かせる。
「そういやストック、賭けの時にもネタを出したことは無いよな」
「ああ、まあ乗って来たら来たで、根こそぎ巻き上げられちまうだろうが」
 何につけても優秀な男は、当然賭の勝率も非常に高い。純粋な運で決まる勝負以外であれば、大抵は勝利を収めている。もしストックが性的なことに積極的であったなら、隊員秘蔵の逸品は、残らずこの男の元に集まっていただろう。世の中は存外うまく出来ている。
「しかし、誰も見たことないんだろ? それはそれで気になるよなあ」
「そもそも持ってないんじゃないか。女を取っ替え引っ替え、ナニが乾く暇も無いだろうしな」
「街ならともかく、遠征中はそうはいかないだろう。やっぱり何か物凄いもんを持ってるんだって」
 好き勝手なことを言い散らす周囲に対して、ストックは無言で目を瞬かせるばかりだ。殆どのことを器用にこなす男だが、唯一、人間関係だけは彼の能力に含まれていない。今の無言が肯定でも拒絶でもなく、言うべき言葉が見付からないだけなのを、ロッシュはあっさりと見抜いていた。
「やっぱり見てみたいな、どんなもんで抜いてるのか」
「ロッシュ、お前はどうだ? 借りたことあるか」
「いや、残念ながらな。こいつ、秘密主義なんだよ」
 ロッシュの側は、軍隊生活が長いのもあり、降り懸かった火の粉を受け流すくらいは訳無く出来る。ついでに、ストックに過度の追求が向かないようにと、軽く牽制を入れることも忘れない。こういう時に助けに入るのは、親友である自分の役目だという自負もあった。
「そんなに気になるなら、賭けでも仕掛けてみたらどうだ? 手合わせで勝ったら包み隠さずご開帳、ってな」
「無茶言うな、俺がストックに勝てるわけないだろう。ロッシュ、お前がやってくれよ」
「嫌だよ、面倒くせえ」
 げらげらと笑う仲間と、苦笑するロッシュの顔を、ストックが交互に見ている。その仕草に酔いの気配を感じて、ロッシュは軽く机を叩いた。
「大分遅くなっちまったな。そろそろ開くか」
 その言葉をきっかけに、男達はもぞもぞと動き、宴席を仕舞にするための準備を始める。まだ飲みたがる者もいるが、明日も仕事が待っていることは、皆承知していた。酔いすぎた者を他の者が解除し、卓の上に金を積み上げ、三々五々店を後にしていく。
「ストック、歩けるか?」
「……当たり前だ」
 ロッシュも自分の分の代金を放り投げ、同様に立ち上がったストックの脇に立った。酩酊が顔に出ない性質の親友を気遣うが、今日のところは、正気はきちんと残っているようだ。安心し、連れ立って兵舎へと戻っていく。数分前の話など、既にロッシュの頭からは消えていた。恐らく他の者も同様だろう、飲んだ席での話などそんなものだ。
 そしてその日の夜は、それ以上何も起こらず、平和に過ぎていった。

 ――だが。



――――――



 部屋の扉が叩かれる音に、ロッシュは身を起こした。気配と足音で誰が来たかは察しが付いたから、出迎える手間を省き、声だけで入室を促す。はたして入ってきたのは彼の親友、ストックだった。
「おう、どうした」
 ロッシュと同じく、彼は既に夜着に着替えている。その手にぶら下がった酒瓶を見て、ロッシュは身体を起こし、戸棚から杯を摂りだした。皆が寝静まった夜中にストックが訪れ、酒を飲みながら二人で時間を過ごすのは、今までにも時折あったことだ。ストックの側も勝手知ったるもので、許可を得る前から部屋に入り込み、一脚だけの椅子に腰を下ろす。
「寝ていたか」
「いや。眠れなかったのか?」
 軍事機密の粋を左腕に持つロッシュは、整備の際の機密保持の為、兵舎においても個室を割り当てられている。だが一介の兵士であるストックは、通常の志願兵と同様、数人が起居を共にする大部屋に寝台を置いていた。同室の者が騒いで眠れないのだろうか、とロッシュが首を傾げる。
 何度か経験のある出来事だったが、今回に限っては違う話であったらしい。振り返ったロッシュの視界に、首を横に振るストックが写る。
「聞きたいことがある」
「ほう? 何だよ」
 ロッシュが取り出した杯に、ストックが酒を注いだ。差し出されたそれをロッシュが受け取り、遠慮無く口元に持っていく。
「せんずり、とは何だ?」
 ぶほ、と酒の一部が舞い上がった。口に含む前であったことは、望外の幸いと言えただろう。吹き出した息が波立たせる酒の表面を確認し、ロッシュは深く息を吸い込むと、一度杯を卓に戻した。
「……どうした?」
「いや、どうしたも何も。つーか、そりゃこっちの台詞だ、どうしたよいきなり」
「先日飲んでいる最中に、話題に出ていたことだ」
 ストックの言葉を取っ懸かりに、ロッシュは頭の中を掠う。そして数日前、酒場で行われた馬鹿馬鹿しいやりとりを思い出した。自慰の際のお供について盛り上がった記憶が、思い出したくないのに思い出される。
「皆知っている様子だったので、その場で聞くのも憚られてな」
「あー、そうか、成る程。それで黙ってたのか」
 ストックの言葉が少ないのは常のことだから、皆気づかなかったのだろう。黙り込んでいたのは、肯定でも否定でも対処に困ったわけでもなく、純粋に周囲の話が分からなかったということか。親友であっても読めなかった真相に、ロッシュは額を抑えて呻く。
「ああ。で、せんずりとは一体」
「いや、その、そう連呼すんな」
 躊躇う様子もなく単語を発するストックは、意味は勿論、それがどういった方向性の言葉であるかも分かっていないのだろう。整った顔で隠語を連発されるのは落ち着かないが、子供では無いのだから、とにかく黙れといったところで聞く筈も無い。止めることに対しての疑問も含めて、ロッシュをじっと見詰めてくる。
 ロッシュはしばし考え込み、仕方なしに答えを口にした。
「あー、まあつまり、オナニーのことだよ」
 ロッシュからしてみれば知らないのが異常とも思えるようなことだが、考えてみれば単なる俗語だ。場所が違えば言葉も違うのかもしれない、と自らを納得させる。
 しかしストックの反応は、そんな常識的な解釈を完全に飛び越えたものだった。首を傾げて少し考えたストックは、眉を顰めて呟く。
「……オナニーとは、何だ?」
 数秒、ロッシュの動きが止まる。頭の中では、色々なことがぐるぐると回っていた。オナニーはどれくらい一般的な言葉なのか、とか。他に言い方があったのかどうか、とか。こいつ何処で育ったんだ、といった疑問まで、その中には含まれる。
「えーっと……お前、じゃあ、何て言ってるんだよ」
「だから、何のことか分からないと言っているだろう。分からないものを何と言っているかなど、答えられるか」
 ロッシュと異なり冷静なストックの訴えは、至極正当なものだ。正当過ぎて、なんと言ったものか分からなくなる。ロッシュは取り敢えず、同意の頷きを返すと、必死で頭を回した。
「だからまあ、アレだ。自分のナニを擦ってアレを出す、ってことだ」
「……すまない、何のことだかさっぱりわからない」
「だよなあ……だからほら、イチモツ?は分かるか?」
 ストックにイチモツという俗語の心当たりは無かったかもしれない。しかし思わず該当の個所に落ちていたロッシュの視線を辿り、ようやく相手の言わんとすることを理解したようだった。
「ああ、成る程、男性器か」
「そ、そうだな、男性器だ!」
 男性器、というのもまた妙な言い回しだと首をひねるが、それよりも今は話が通じた安堵の方が大きい。
「その男性器を擦って、抜く……じゃなくて、出す、っていうか」
「出す――そうか、子種を」
「子種っ!?」
 しかし直後発せられた単語は、さすがに聞き流せる範囲を逸脱していた。思わず大声で聞き返したロッシュに、ストックが目を丸くする。
「……違うのか?」
「あ、いや、うん。違わないな、子種だ、子種」
 違うわけではない。むしろ正しすぎて馴染みが無い。ロッシュの周囲で、精液のことを子種という人間は、記憶を浚う間でもなく一人も居なかった。
 その、人生初めて出会った言葉遣いの相手は、納得した様子で頷いている。
「せんずり、そしてオナニーというのは、子種を出す行為のことか。すまない、勉強になった」
「お、おう。そりゃよかったぜ」
「もう一つ聞きたいことがある。ズリネタ――ネタ? というのは何のことだ」
 二度目ともなれば、さすがに極端な動揺を表に出すことはなく、一度深呼吸して間を取るくらいのことは出来た。気を取り直すため、置いたままだった杯を手に取り、酒を舐める。普段よりも良い酒なのは、教えを乞うことに対しての気遣いのつもりだろうか。妙なところにばかり頭の回る親友を、恨めしげに眺める。
「そうだな……お前、自分で抜いた――自分の手でナニを扱いて子種を出したことはあるか?」
「失礼なことを言うな、当たり前だろう。俺が種無しだとでも言いたいのか」
 種無し。確かに侮蔑的な言葉ではあるが、男同士で使うには、やはり中々に独創的だ。どちらかというとタマ無しの方が適当なのでは無いだろうか、とロッシュの頭にどうでもいい感想が浮かぶ。
「いや、とにかく、やったことあるなら分かるな。その時に使うオカズ、まあ、女の絵とかそんなんだ」
 反応を見ればわかる。全く話が分からない、という顔を、ストックはしていた。オカズという単語が理解されないのは予想の範疇だが、付加した説明の側すら分かっていないようだ。
「使うというのは? 絵を、何に使うんだ」
「何にって、そりゃ、無いと勃たな……勃ちづらい奴も居るんだよ。想像だけで出来る奴も居るけどな、実物があった方が捗るだろ」
 フォローのつもりで付け加えたのは、ネタに拘る男達が、種無し認定されないかと危惧した為だ。が、ストックの理解度は、ロッシュの想像の範囲を超えたところにあった。
「たたない、というのは」
「は」
「たつというのは、おそらく勃起のことだな。だが、子種を出そうという時点で、既に勃起しているだろう? 勃起していないものを強引に勃起させて、子種を絞り出すのか?」
 ロッシュは考え込む。親友といえど、全てを分かり合えるわけではない。特にストックは頭が回るから、ロッシュの理解が追いつかないことは多々ある。だが、何もかもを分かり合うのが親友かといえば、それは違うとロッシュは考えていた。理解できない部分があったとしても、もっと深い部分で繋がることは出来る、それがロッシュの持論なのだ。
 ということで、ストックの思考を自力で追跡することを、ロッシュはあっさりと諦めた。分からないことならば、聞けばいいのである。
「すまん、ストック、ちょっと何を言っているのかわからん。まずそうだな、お前、勃ってない時に抜いた――子種を出したことは無いのか?」
「……ああ。子種が溜まると性器が勃起――肥大、硬化するから、刺激することで射精して平常の状態に戻す。俺はそうしているが」
「ああ、成る程なあ」
 確かにそれは、処理だ。あるいは排泄、それ以上の何ものでも無い。ならば確かに、お供とするものは必要としないだろう。勃起する前のモノを無理矢理勃たせて射精するなど、ストックの認識の中では完全に想像の範囲外だったということだ。
「普通は、違うのか?」
「ああ、まあ、そうだな。普通は結構、完全に勃つ前に抜いちまうこともあるんだよ。そもそも処理ってより、自分が悦くなるためにするって奴の方が多いだろうし」
「……良く?」
「気持ちよく、ってことだ。お前、抜く、じゃなくて射精する時、気持ちよくはならんか?」
 真剣に考え込む親友の顔を、ロッシュは何ともいえない気持ちで眺める。
「……いや。むしろ気持ち悪いというか、妙な感覚がある」
 異常なのだろうか、と肩を落とすストックに、ロッシュは哀れみに似た感情を覚えた。彼がどんな育ちかは知らないが、随分と偏った性教育を受けてきたらしい。ストックの知識はどれも、間違ってはいないが、重要な部分が抜けている。前々から妙に物知らずな部分はあったが、ことこの件に関しては、それが顕著だ。
「そんなことねえだろ。慣れてないから上手くいかねえだけだ」
 殊更穏やかな声となるよう意識して、ロッシュは軽くストックの肩を叩いた。この手の事柄に関する引け目は、時として酷い傷に繋がりかねない。果たしてストックが、縋るような視線を向けてくる。
「気持ちひとつでも違ってくるもんだしな。処理だなんだってのは置いといて、楽しむつもりでやってみたらどうだ?」
「楽しむ……か」
「まあ、あんまりハマりすぎてもよくないだろうがな。お前は色々、真剣に考えすぎるんだよ」
 ストックが周囲とぶつかった時、折衝するのはロッシュの役目だった。ならば今回も、親友としての義務を果たしてやろうと。
 そう考えたのが、間違いの根元だったのかもしれない。
「そうか……有り難う、ロッシュ。分かった、試してみる」
 ロッシュの励ましに力を取り戻したストックは、目を輝かせて深く頷く。そしてズボンの前を寛げると、自らの性器を取りだした。
 ――一拍遅れて、ロッシュがその頭を叩く。
「ま、まてまてまて」
「……何だ。痛い」
「痛い、じゃなくてな、何してんだお前」
 衣服の隙間から取り出されたそれは、重力に従って垂れ下がったままだ。だが対照的に、ストックの目は、力強いやる気に満ちている。
「お前の言ったことを、試してみる。間違っていたら言ってくれ」
「最初から全部間違ってる! 人の部屋でそんなもん出すな!」
「……何故だ?」
 心底不思議そうに聞き返され、ロッシュは頭を抱えた。ロッシュと違う常識の中で生きてきたであろうことは、これまでのやり取りから推測できる。だがしかし、ここまで感覚が食い違っているとは。
「何故も何も、他の奴が人前でセンズリこいてるの見たことあるか?」
「他人の前ですることじゃ無いとは、俺だって分かっている」
 だがお前は親友だろう、と自信満々に続けられ、ロッシュは言葉を失った。親友とだからといって、自慰行為を見せ合うようなことはしない――筈だ、とロッシュは心中で呟く。途中勢いを失ったのは、親友と呼べる仲の相手が出来たのは、ストックが初めてだったからだ。
「大体、今に始まったことじゃ無いだろう」
「は!?」
「お前の性器など何度も見ているし、そっちも同じことだ。何故今更になって騒ぐ」
 だらりと垂れ下がったストックのイチモツを見ながら、ロッシュは必死で考え込む。今までにストックの前で性行為に及んだことはあったか。どれだけ頭の中をかき回しても、そのような事実は出てこない。
「……いつの話だよ、それ」
「先日の出陣時もだし、もっと前にもだ。一々隠したりしないだろう? 着替えの時も、体を洗う時も」
「って、そっちかよ!」
 勢いよく怒鳴ると、脱力して肩を落とす。確かに性器を露出するのは、性行為の際に限らない。体を清める時は勿論だし、戦いの後に下着まで血が染みていれば、着替える際に当然下半身を晒すことになる。ストックが指摘しているのはそういった日常的な露出のようだった。
「そういうのとは違うんだよ。人に見せるもんじゃないんだって」
「だが」
「たとえば、ほら、便所みたいなもんだ。便所に連れ立って入るってことは」
 そこまで言って、ロッシュは己の失策に気付いた。着替えと同じことだ。普段はともかく、戦場でまでそんなことを気にしている余裕は無く、野天で連れ立って小便をすることも珍しくはない。意識に留めたことはなかったが、当然そこでも互いに性器を見せ合っていることになる。ロッシュが訂正の言葉を発するよりも早く、ストックは納得した様子で頷くと、自らの男根を握った。
「……ストック。頼むから、ちょっと話を」
「何だ? 何か間違っているか」
 ストックに妙な意図は無く、唯真剣に己の未熟を正そうとしているだけだと、ロッシュにも分かる。しかし、だからといって目の前で自慰行為に耽られて落ち着いていられるかは、全く話が別だ。背筋を伸ばして、大真面目に自分の股間を弄る親友を、直視など出来ない。
「間違っていたら言ってくれ。……勃起する前から始めるので、問題無いんだな?」
「あ、ああ。いや、そうなんだが、ええっと」
 冷や汗を流して頭を整理しているロッシュを余所に、ストックは性器を擦っては首を傾げている。手の中のものは質量を失ったままで、肥大の兆しは見えない。既に勃ち上がっている状態からしか自慰を行っていないストックは、その気の無いものに快感を与えるやり方など、全く分からないのだろう。人前で性行為を行っているという緊張も、恐らくは影響している筈だ。
「……上手くいかないな。やはり、ズリネタ――オカズ? が無いと、勃起しないのだろうか」
「いや、そりゃまあ、人それぞれだろうが」
「ロッシュ、お前のズリネタを貸してくれないか」
「勘弁してくれ!」
 直截な提案を、ロッシュは必死で拒絶する。絵の一枚や二枚、と言う考えは、この場合においては通用しない。完全に私事の範囲内で、親友であろうとも入り込んで欲しくない領域なのだ。
 見たことの無いような勢いで首を振るロッシュに、ストックは不満げに眉を顰める。だが、押しても無駄であることは悟ったのか、それ以上要求の言葉を重ねることはしなかった。
「なら、他に何か方法があるのか? やはり、やり方が間違っているんじゃないのか」
「ま、まあ、そうだな。ええっと、もっとそっと触った方がいいんじゃねえのか。まだ勃ってないんだから」
 冷や汗を流しながら、ロッシュが指示する。ロッシュの感覚からすれば紛れもない変態行為を助長するのに躊躇いはあったが、さりとて彼を止める有効な方策も思いつかない。きちんと射精して快感を得るまでこの話が終わらないであろうことは、ストックの頑固さを知るロッシュには、容易に想像できた。そしてこのまま納得しなければ、出ていかないどころか、さらにとんでもない要求が飛び出しかねない。ロッシュも必死である。
「実物じゃなくても、女の裸を思い浮かべてみるとか」
「裸……」
「いや、そりゃまあ絶対必要なわけじゃねえが」
 聞かなくとも分かる、女の裸など一度も見たことが無いのだろう。自慰だけでなく性交も未経験らしい、とロッシュはこっそり納得する。軍の中では、ストックといえば女に困らないという噂がまことしやかに流れているが、所詮は無責任な噂だ。
「後はそうだな、擦るだけじゃなくて揉んでみるとか。な、どうだ?」
「成る程。試してみる」
 素直にロッシュの助言を受け入れ、ストックは手の動きを色々に変えていく。真剣極まりない態度だが、傍から見れば実に滑稽だ。しかしロッシュの側にも笑う余裕など無く、ひたすら唇を引き攣らせるばかりだ。
 そんな二人の、努力と呼ぶべきか迷うような情熱により、ストックの男根は徐々に熱を帯び始めているようだった。多少の芯が入り、指が離れても有る程度の角度を保つようになっている。ストックは頷き、そしてまた首を傾げた。
「勃起してきたな」
「そ、そうだな」
「だがやはり、気持ちが良いかというと」
「これから先だって! このままイけば、ちゃんと気持ちよくなるっての!」
 ストックも真剣だが、ロッシュもまた真剣だ。というよりも、必死だ。とにかくこの男を落ち着かせなければ、もっと酷い混沌に巻き込まれない。しかしそんなロッシュの必死の努力も、思うようには実を結んでくれない。半ば勃起した性器を弄りつつ、ストックは納得行かない様子で、捻った首も元に戻らない。
「慣れていないから、やり方が上手くないのだろうか」
「あ、ああ、そうかもない。だからもうちょっと慣れたら」
「ロッシュ、手本を見せてくれ」
 そしてロッシュが恐れていた通り、ストックはまたも予想外の提案を放り投げてきた。ロッシュの動きが一瞬止まり、ストックが言ったことの意味を咀嚼する。相手の期待を込めた視線が、自分の股間に注がれていることを悟った瞬間、堪えきれずロッシュは頭を抱えていた。
「どうしてそんな発想になるんだ……!!」
「手本を見て真似をするのが、一番上達する」
「剣の練習みたいに言ってんじゃねえよ! 無理だ、絶対無理、人前でするようなことじゃねえって言っただろ!」
「親友だろう? ……ズリネタが必要というなら、遠慮無く使ってくれ」
「断る!! お前な、親友だから、って言ったらなんでも許してもらえると思ってるだろ」
 妙に期待した目を見るに、ロッシュのオカズについても興味を持っているのかもしれない。だがロッシュの側は、同性の親友の前で公開自慰をして悦ぶような性癖は、幸いにというべきか持ち合わせていなかった。殆ど決死と言っていい勢いで首を振り、全身で拒絶を示すロッシュに、ストックが不満げに眉根を寄せる。
「嫌か」
「当たり前だ!」
「分かった。なら、手伝ってくれ」
 言いながら、視線が自らの股間に落ちる。半勃ちのまま放置されたそれを仕舞うのを手伝えと、そんなことを言っているのであれば良いなと、ロッシュは現実逃避気味に考えた。勿論間違っている。ロッシュが最も考えたくない方向、つまりは既に思いついてしまっている方向に向けて、間違ってしまっている。
「俺のを擦ってみてくれ。その真似をしてみる」
「……阿呆か!!」
 頭を抱える勢いは、先程よりもさらに鋭かった。相手への殴打に到らなかったのは、距離を縮めるのを忌避したためだ。例え殴る蹴るであろうとも、半勃ちの股間を丸出しにした男には触れたくない。できれば、同じ部屋にも居たくない。
「嫌なのか」
「当たり前だ! 二度も言わせんな!」
「先程とは別のことに対しての質問だ。あれも嫌、これも嫌と、我が儘な男だな」
「我が儘!? 我が儘っていうのかこれが!」
 ずきずきと痛む頭を、ロッシュは右手で強く押さえた。この常識が欠如した男にどんな顔で相対したものか、比喩でなく頭が痛い。
「どうにも上手くいかないんだ、一度手本を見せてくれれば良い。後はそれを覚えて試してみる」
「いや、そのな。落ち着け、ちょっと冷静に考えろ」
「考えた結果だ。本来であれば自分で学ぶべきことかもしれないが、これまでの状況を考えると、俺一人で鍛錬しても効果は薄い」
 確かに、自慰行為を処理としか考えていない現状を考えると、ストック一人で股間を弄り回したところで一般的な自慰にはたどり着けないかもしれない。いや、むしろ、やり方を間違えて妙な性癖に目覚めてしまう可能性もある。
 そんなことを考えてしまうこと自体、既に救いようのない袋小路に迷い込んでしまっているのだが、ロッシュもそろそろ正気が消え失せてきている。
「お前が自分で擦るか、俺の性器を擦ってくれるか。どちらか、好きな方でいい」
 そして、二択。二択は残酷だ。本来ならば無数にも広がっている行動の自由を、たった二つの選択肢にまで減らしてしまっている。如何に重要な選択でも、いや重要な選択だからこそ、いくつもの道があってしかるべきなのにだ。
 それでも冷静であれば、二択のうちどちらも選ばない、という選択が思いつけただろう。だが今ののロッシュは、徐々に良識を削り取られ、一種の錯乱状態にあった。故に考える、これは重要な決断だ、と。
 提示された二つの選択肢の、どちらにより救いが残されているか。あるいは、どちらに与えられる傷が、より浅く済むのか。
 この場で自慰行為を晒す。駄目だ、想像しただけで逃げ出したくなる。何より、この状況で勃起させる自信が無い。あれだけ色々と教えたロッシュ自身が勃起しないとあっては、より状況が拗れてしまうだろう。
 ならば残された選択肢は、ストックのものをロッシュが擦ってやることだが。
 ロッシュはストックを見た。真剣な、しかし期待を込めた目で、ロッシュのことを見詰めている。視線を落とすと、相変わらず半勃ちになっている男性器。――考えた末、ロッシュは決意した。
「よし、分かった。やってやろうじゃねえか」
 息を吸い、ストックを手招きする。他人の自慰を手伝うなどぞっとしないが、自分の自慰を観察されるよりはマシだ。多分、小指の先くらいは。ストックは、当たり前だが抵抗することなく、寝台に座るロッシュの隣へと移動した。
 傍らに股間を丸出しにした親友が居るという事実から出来るだけ意識を反らし、ロッシュはストックの性器に手を触れる。他人の肌が触れる感覚に、ストックがひくりと身体をふるわせた。ロッシュの指が、ストックのものを刺激する。自慰を手伝うなどロッシュにとっても初めての経験だが、相手は自分にも備わっているものだ。一般論で感じやすい部分を、力を込めすぎないようにして刺激していく。はたしてそのあたりの感覚は一般的だったようで、半勃ちだったものが、徐々に硬さを増していった。
「っ……成る程」
 そんな身体の変化を、ストックが感心した様子で眺めている。真剣な眼差しと上気した顔のアンバランスに、ロッシュは微妙な気持ちになった。いや自慰の時など真剣で当たり前なのだが、それとは異なる真剣さなのだ。
「ど、どうだ?」
「なんというか……むずむずする」
 勃起しているのだから、感じているのはまず間違いないだろうが、ストックにとっては初めての真っ当な――という言い方が正しいかは議論の余地が残るが――自慰行為だ。何が快感であるかも分かっていないに違いない。
「痛いか?」
「……いや。熱い」
「じゃ、悦いんだろうな」
「気持ちが良い……か。成る程」
 それでも、身体の側は一般的な男性のものだ。ロッシュが刺激を与えれば、それに反応して硬く震え、快感を生み出す。間近で触れるロッシュには、ストックの息が荒くなっていくのが、はっきりと分かった。
 裏筋を辿り、括れの部分に指を添えて、親指で先端をぐにぐにと揉む。男根を刺激しながら、自分の身体に快感が返らないというのは、少しばかり妙な気持ちだった。手の中のものが自分の代物でないことを、理性は理解していても、身体の側が疑問に思っている。
「何か、出てきた」
 戸惑ったままのロッシュと違い、ストックの側は、しっかりと快感を追えているようだった。先端から先走りの液が分泌され、ロッシュの手を汚し始めている。こんな部分も普段は通り越しているのだろう、不安げなストックに、ロッシュは苦笑した。
「感じてると、射精の前に出てくるんだよ。変なもんじゃないから安心しろ」
「……そうか」
 子供のように素直に頷くと、ストックはまた、ロッシュの手の動きに集中し始めた。手持ちぶさたになったためか、いつの間にやらストックの手は、ロッシュの服を握り締めている。子供が親に縋るような、あるいは、性交の相手を掴まえるような――脳裏に浮かんだ妙な連想を、ロッシュは慌てて振り払った。
 しかし冷静になって考えてみれば、今の状況は、そのまま性交の一部分と考えてもおかしくは無い。自慰の手伝いをするつもりでストックの男根を刺激しているが、他者が介在した以上、そもそも自慰では無くなっているのである。距離が近すぎて、逃げようとしても視界に入ってくるストックの顔を、ロッシュは横目で見た。白い頬は血の気を帯びて薄赤く染まり、整った唇は僅かに開き、熱を纏った吐息を零している。同性に欲情する趣味はロッシュに無い、無いのだが、それでも妙な感覚を覚えてしまう顔だった。
「どうだ、いいか?」
「っ、ああ……いい、と、思う」
 荒い息の合間に、ストックが頷く。そしてその言葉以上に、身体の側ははっきりと訴えかけてきていた。ロッシュの手の中で、ストックのものがどくどくと脈打ち、集まった血の多さを告げている。もう少しで達せられるだろうと、ロッシュは刺激する手を強めた。訳の分からない感覚は無視して、さっさと目的を遂げさせてしまうに限る。
「あ、ロッシュ、待……!!」
 そして勿論、抵抗する程の技術など、ストックの側にある筈も無い。強まった刺激に耐えかねて、服を掴む指が強く縮まる。それを合図としたかのように、ストックのものが大きく脈打ち、精液――ストックの言を借りるなら子種、を吹き出した。青臭い匂いが、周囲に満ちる。
「ふ、う……」
「よし、こんなもんだな。大体分かったか?」
「あ、ああ。こういうのを、良いというんだろうな」
 息を切らしたストックは、それでも射精によって少しは冷静になったのか、落ち着いた表情でしきりに頷いている。ロッシュの呆れた視線に気付いてか否か、指やら服やらに付着した精液に目をやり、少しばかり申し訳なさそうな色を浮かべた。
「すまない。汚したな。――借りるぞ」
 ストックは、部屋の隅に置かれた手巾を取り上げ、飛び散った精液をふき取る。ロッシュは少しばかり顔を顰めたものの、親友のするがままにさせた。片腕が効かない身で、汚れた右手を清めるのは、確かに面倒なのである。
「洗って返せよ」
「分かった」
 頷いたストックが、そのまま自分の性器を拭いているのを見て、ロッシュはまた顔を顰めた。やはり返さずともいい、と言うよりも前に、股間を仕舞ったストックが寝台から立ち上がる。
「有り難う、ロッシュ。色々と勉強になった」
「ああ、まあ、お前が納得したんならそれで良いけどな。……他の奴の前じゃあ、絶対にやるなよ。今日のことも言うな、絶対言うな」
「分かっている」
 お前以外には決して言わないと、力強く頷くストック。親友に特別扱いをされるのは、普段であれば心地良いものだが、今回ばかりは何とも言えない感情しか湧いてこない。
 満足げなストックの背を見送り、ロッシュはごろりと横になった。ストックは射精して落ち着いたろうが、ロッシュの側は、もやもやとしたものを腹に抱えてしまっている。それは妙な行為に付き合わされた弊害であり、断じて親友の姿に欲情したものではないと、自分に言い聞かせてはいるが。
「あーもう、くそっ……」
 さりとて、その熱を解消する為に自慰に及ぶ程、開き直ることも出来ない。すっきりしない身体を抱えながら、とにかく眠りに逃げてしまうべく、ロッシュは硬く瞼を閉じた。



――――



 一夜の経験を経て、ストックとの関係がおかしくなってしまうのでは無いかというロッシュの危惧は、結論からすれば全くの空振りであった。
 諸々あった翌朝、気まずい思いをしていたのは、どうやらロッシュの側のみだったらしい。ストックは相変わらずの様子でロッシュの前に現れ、行動を共にしてきた。むしろ常より機嫌が良いことが、見る者が見れば分かっただろう。
 ロッシュとしても、相手が何事も無かったとして振る舞うならば、一人で拘るつもりは無い。妙な経験ではあったが、完全に忘れてしまうのが礼儀だ。そう考えて、今まで通り背中を預け合う相手として、ストックとは友人関係を続けていた。
 もっとも、以前と変わったことが無いではない。ロッシュから色々と教わったストックは、仲間の間で交わされる性的な会話にも、多少の耐性が付いたようだった。以前と異なり、そういった方向に話が及んでも、立ち去ることなく話を聞くようになってきている。さすがに会話に混じることまではしない――というより出来ないのだろうが、ともかく場が開くまで、男達の馬鹿話にじっと耳を傾けるようになっていた。
 悪い変化ではない、とロッシュは思っている。ストックは、あの口調と態度で、近寄り難い男だと周囲に思われていた。実際付き合ってみればその印象は覆るのだが、そこまで踏み込める人間は数少ない。ストックを取り囲む見えない壁、それが少しでも低くなるのであれば、猥談も悪いばかりのものではないだろう。
 それは確かに、余裕だった。事態がこれ以上変化しないという、根拠のない楽観による余裕。だが誰がロッシュを責められただろうか。そもそも問題とすべき事態が何なのか、それすらはっきりしなかったというのに、警戒など出来る筈が無い。
 まして回避など、大陸中の誰にも出来なかったに違いなかった。



 部屋の扉が叩かれる音に、ロッシュは身を起こした。少しだけ胸騒ぎがしたのは、戦士の勘というものだったのだろう。だがロッシュが自分の勘を信用するのは、主に命のやり取りにおいてだ。何をするでもなく寝台に寝転んでいる時に予感を感じても、それを活かそうとは思わない。結果としてロッシュは声をあげ、扉の前の人物を中に招き入れてしまった。
 入ってきたのは、勿論ストックだった。片手を上げて諸々の挨拶を省略すると、勝手知ったるといった様子で、一脚しかない椅子に腰を下ろす。その手に折り畳まれた布が収まっていることに、ロッシュは既に気付いていた。
「遅くなってすまなかった」
 ロッシュの視線に反応し、ストックがその布を押し出す。ストックがロッシュの手により射精した際に持ち出した布だと、少し遅れてロッシュは思い出した。直ぐに分からなかったのは、付随する記憶の再生を脳が拒否した為だろう。あの日から一週間、自然に忘れ去るには短い期間だ。
「気にすんな、布の一枚くらい」
 気にして欲しいのは、もっと別のことなのだが。そんなことを考えながら、ロッシュはストックが差し出す布を受け取った。しかしストックの側は、口に出されない願いなど斟酌してはくれない。
「せんずりとは難しいな。何度か自分でもしてみたが、お前がした時程気持ちよくはならなかった」
 避けておきたかった記憶を目の前に突き出され、反射的にロッシュが遠い目になる。
「あー、そりゃまあ……そんなもんじゃねえのか」
「やはり、慣れないと上手くいかないものか」
「上手くいかないって、まさかイけなかったのか? ……あーいや、射精できなかったのか?」
「いや、射精はするんだが」
 一瞬青ざめかけたが、幸いストックは首を横に振ってくれた。ほっと胸を撫で下ろすのは、複雑な男の心理というものだ。
「気持ちの良さが違う。多少気持ちは良いが、お前がしてくれた時のようにはならない」
「まあ、ああいうのは他人にしてもらった方が感じるもんだからな。だから皆、店に行ったりするんだし」
「店?」
「娼館に行って、はいないよな」
 自慰行為もおぼつかない状態で店で女を抱いていたら、それはそれで心配だ。しかし幸いにも、そういった店に足を向けてはいないようで、疑問の眼差しをロッシュに投げてきている。
「金を出して女を買う――抱かせてもらう店だ。だがまあ、そういうところは程々にしとけよ」
「そうなのか。何故?」
「ハマりすぎると不味いだろ。俺のせいでお前を色狂いにしちまった、なんざ洒落にもならん」
「そうか……色々と、難しいんだな」
 神妙に頷くストックに、ロッシュは溜息を吐き出した。本当に、妙なところで世間知らずな男だ。だがそれを助けて、真っ当な常識を身につけさせてやるのも、親友である自分の役目だろう――そう、ロッシュは思おうとする。
「ところでロッシュ。前回はお前に色々と教えてもらったが、その礼をしていない」
「は? いや、いいよ別に。っつか、あの酒は礼じゃなかったのか、そのまま貰っちまったぞ」
 あの夜、ストックが持ってきたいつもより高価な酒は、諸々あった後そのまま部屋に置き去りにされていた。返すのも不自然だと思い、迷惑料と割り切って全て飲んでしまっていたのだ。あれが礼のつもりでは無かったのか、とロッシュは首を捻る。
「質問に対する礼のつもりではあった。だが、手伝ってもらったことに対しては、礼をしていない」
「妙なとこ律儀だな。いいよ、ついでみたいなもんだ、礼をしてもらう程じゃねえ」
「そうはいかない、あれだけしてもらって何も返さないわけにいくか」
 ロッシュの本音は、礼など良いからとにかくその話題を引っ込めてくれ、といったところだ。しかし、何度と無く思い知ってきた通り、ストックは頑固な男である。こと親友相手には、その傾向が強い。押されれば引いてしまうロッシュの側にも、その原因はあるのだろうが。
 そして今回もロッシュは、今までと変わらぬ道を選んだ。つまり、頑固な男に矛先を引っ込めさせるよりは、好きにさせてしまった方が早いということだ。
「分かった、んじゃ有り難く貰っとくぜ」
「そうか、良かった。それなら、まず目を閉じてくれ」
「目?」
「ああ、目を」
 予想外の要求に、ロッシュの目が、頼まれたのとは逆にはっきりと見開かれた。また酒でも持ってきたのかと思ったが、考えてみればストックは布以外何も手にしてきていない。
「閉じてどうするんだよ」
「閉じれば分かる。良いというまで、そのままでいてくれ」
 疑問は勿論大量にあったが、今それを問いかけても、答えは返らないだろう。ロッシュは取り敢えず、大人しく目を閉じる。
「そのままだぞ、そのまま」
 瞼に閉ざされ、闇になった視界の中で、気配だけが動いている。ロッシュの手にストックが触れた、かと思うと、手首に何か柔らかい感触が巻き付いてくる。布か何かを巻かれているのだろう、と判断した。軽い圧力を感じるのは、手首に布が結ばれているのだろうか。
 次いでその指が触れたのは、ロッシュの頭だ。常人よりも高い位置にある目元に触れられ、瞼をそっと一撫でされると、そこにもまた柔らかな布の感触が触れた。いや、目元だけで終わらず、両方のこめかみへ。髪で感触までは分からないが、後頭部にも何かが触れる。目元からずっと一繋がりの、恐らくは幅広の布だ。それが目元にぎゅっと押しつけられ、後頭部に結び目らしき塊が――
「って、ちょっと待て」
 許可を待たずして、ロッシュの目が開く。何も見えない。予想通り、布で目が覆われているのだ。
「なんだ」
「なんだ、じゃねえよ! なんだこりゃ」
 布を引き剥がそうと手を上げ――ようとしたが、その動きは途中で阻まれた。
 ここでもまた、布だ。手首の布は、薄ら想像していた通り、手首を巻くようにして結ばれていた。予想外だったのは、もう片側が何か、恐らくは寝台の支柱に結ばれ、ロッシュの動きを阻害していることだ。
「おいストック、ちょっと待て」
「何だ」
「どういうことだ?」
 腕を上げようとすると、結び目が締まり、先程よりも強い圧力が手首にかかってきた。意図してのことだったのかどうか、ロッシュの動きで拘束が完成してしまったらしい。親友の手による緊縛に、ロッシュの表情が強張る。
「だから、礼を」
「何処が! 礼だ! 縛ってるじゃねえか!」
 ロッシュが思い切り腕を上げたせいか、手首の布はかなりきつく締まっている。ロッシュは頭を強く振り、なんとか目元の布をずらすことに成功した。半ばほどまで回復した視界の中では、ストックが驚いた顔でロッシュを見えきている。
「どうした」
「こっちの台詞だ! なんでいきなり縛られなきゃいけねえんだよ、畜生が!」
「色々と話を聞いて、得た情報なんだが」
 ロッシュがもう一度頭を降ると、完全に目隠しが外れ、視界が明らかになった。しかし右腕はそう簡単に解放されてくれない。思ったよりも太い布で、想像の通りに寝台へと繋がれていた。
 もっとも、太いといっても所詮は布一本。ロッシュが本気になれば引き千切ることは可能、不可能だとしても寝台ごと引き摺って歩けば済む話なのだが、どちらにしろ今は体勢が悪かった。ストックが寝台の上に乗っていては、さすがのロッシュも寝台を動かすことは難しい。布ごと引き千切ろうと試みても、ストックが気配を察して阻止してくる。
「縛られ、目隠しのまま他人と性行為に及ぶと、普段よりも快感が増すらしい」
「……は?」
「俺はまだ、技術が拙い。だからお前に満足してもらうためには、色々な手段を併用する必要がある」
「満足、って、おいストックちょっと待て」
 再度目隠しを試みるストックを、ロッシュは頭を振って牽制する。不満げではあるが、諦めた様子で布を引いた。ロッシュは息を吐いたが、ストックの動きは止まらない。ロッシュの右腕を押さえるのと逆の手を、ロッシュのズボンと下着にかけてくる。そしてロッシュが混乱している隙を突き、強引に性器を引き摺りだした。外気の冷たさに、ロッシュ自身が縮みあがる。
「俺にしてもらったのと同じように、お前にもよくなって欲しい。技術が無いのは分かっているが、精一杯努力する」
「そ、そういう問題じゃなくてな。ストック、ちょっと待て、ほんとに待て」
 ロッシュの制止が耳に入らないのか、それとも意図的に無視しているのか。ストックの手は躊躇い無くロッシュの男根に触れ、刺激し始める。
「ぐ、」
「他人に触られた方が快感が強いなら、少しはマシだろう。悪かったら言ってくれ」
「わ、悪い、明らかに悪い! なんでお前、ちょっと一度手を止め……っ」
 悪いことに、ロッシュはここしばらく禁欲状態だった。一週間前の記憶が、自慰に向かうことを躊躇わせていたのだ。しばらく抜いていない、ということは、性欲が高まっているということになる。普段ならば堪えられるような刺激でも、強烈な快感を呼び起こす種となってしまうのだ。
「良かった。勃起してきたな」
「い、言うなっての」
 ストックに指摘される間でもなく、ロッシュの男根には血が集まり、首をもたげ始めていた。息を吐き、股間の刺激から気を逸らそうとする。しかし一度集中し始めた血流は、そう簡単に止まってくれない。
「ここをこう……だったか」
 ストックの指が裏筋を辿り、括れの部分に指を添え、先端をぐりぐりと弄った。いささか力が強すぎるが、触れている点は紛れもない性感帯だ。背筋に電流が走り、血の温度が上がっていく。
「つっ」
「痛いか? すまん、力が強すぎたかもしれん」
「いや、いいから」
「そうか、良いか、よかった」
「そうじゃなくて、礼とかいいから! とにかく一度落ち着いて、手を離してくれ」
「俺は落ち着いている。それに、このままだと辛いだろう」
「何処で覚えてきた、そんな言い方!」
 荒い息のロッシュに対して、確かにストックは冷静だった。冷静に、ロッシュの反応を見ながら、男根を刺激していく。その動きは、確かに拙くはあるが、自称する程下手なものでは無かった。
「皆が話していることを見聞きした。色々と勉強になった」
「勉強にする材料が間違ってる! 酒の上の与太を本気にすんんな!」
「そういうものなのか? 難しいな」
 右腕に力を込め、拘束を破ろとするが、股間に血が集まっている状態では、満足に力を出すこともできない。かといって左腕を振るうのは、こんな状況でもやはり躊躇われた。何しろ鋼鉄の塊だ、いくら出力を加減しても、事故が起こらないとも限らない。
 不自由な状態で暴れるロッシュには構わず、ストックはロッシュの足を押さえ、股間に柔らかな刺激を与え続けている。先程苦痛を思わせる反応を返したからか、力加減はかなり弱いものになっていた。撫でるのに近い力での接触は、快感以上に、もどかしい辛さを生みだしてくる。
 もっと強くを望めば、ストックはそれに応えてくれただろう。だがそこまで開き直ることは、ロッシュには難しかった。
「もう分かった、礼なら十分もらった。だから離してくれ」
「いや、だがまだ射精に至っていない。そういえば汁も出ていないな」
「自分で何とかする! てか頼むからそうさせてくれ!」
「気遣いは無用だ」
 むっとした声音なのは、自尊心を傷つけられたからか。何度か繰り返しロッシュの男根を撫で、震えるばかりで射精の気配が無いのを見ると、真剣な顔で考え込む。
「やはり難しいな。お前はあんなに上手くやっていいたのに」
「お前の腕がどうこうってだけじゃなくてな、色々あるんだよ。人前じゃその気にならんとか」
「だが、他人にしてもらうと快感が強いんだろう?」
「状況によるんだよ! 後は体調とか、色々影響して、女の前だって勃たない場合もあるし」
「……本当に、難しいんだな」
 嘆息するストックの整った顔には、憂いを帯びた表情が浮かんでいる。女であれば、こんな姿にも魅力を感じるのだろうなと、ロッシュは回らない頭で考えた。無責任な噂話ではないが、ストックが本気で口説けば、大抵の女はあっさりと落ちるだろう。手首の拘束など無くとも、自ら脚を開くに違いない。女であれば、の話だが。
「な、お前のせいじゃないし、無理してやること無いから。まずこの手を解け」
「いや、方法を変えれば何とかなるかもしれない」
 決然とストックは言い放ち、身体の位置をずらす。何をするのかと問いかける言葉は、しかし発せられることなく喉の奥に飲み込まれた。唐突に、全く前触れなく、ロッシュのものをストックが口に含んだのだ。ひゅ、とロッシュの喉が鳴る。
「ちょ、ま、ストック」
「……手でするよりも気持ちが良い、んだそうだ」
 熱い粘膜にものを包まれる感触は、相手の技術に関係なく、強い快感を呼び起こす。既に冗長な刺激を受け、半端に勃ち上がっていたものが相手ならば、尚更のことだ。ストックが篭もった声を出し、もごもごと口を動かす度、刺激となって背筋を走った。
「ストック、ほんとに、ちょっと不味いって」
「……塩辛い」
「当たり前だ! あのな、誰に聞いたかしらんが、こんなこと普通はっ」
 ストックが舌を動かし、男根の輪郭を辿る。生々しい、肉の蠢く感触。先端を圧迫する舌の根がぐにぐにと動き、寒気に似た何かが、ロッシュの全身を硬直させた。
「大きく、なってきたな」
 口を離してロッシュのものを見ると、ストックは満足げに頷いた。引き剥がそうと無意識に手を動かし、そこが拘束されていることを思い出す。布の長さの限界まで腕を持ち上げ、ストックの顔に触れた。
「ストック、お前の気持ちは分かった。よく分かった、だから」
「ロッシュ」
 ストックが、ロッシュの手を掴んだ。節くれ立った指を撫で、そっと握り込む。顔を見上げてにやりと笑ったその表情に、妙に狼狽えるのを、ロッシュは自覚した。
 紅い唇から、もっと紅い舌が伸び、ロッシュの男根に触れる。唇が近付き、再びそれを口腔に収めた。少ない空間の中で滅茶苦茶に舌が動く、それはでたらめな軌道だったが、奇妙なことに、そのぎこちなさが興奮を煽るのだ。動きだけではない、息の継ぎ方も下手くそで、時折唇と肉の間から、吐息の一部が溢される。熱い呼気に敏感な肌を撫でられ、ロッシュは慌てて声を堪えた。
「っ、ふ……苦い」
「そりゃ、そうだ、って」
「味が、変わった。汁が出ているな」
「っ――説明すんな!」
 指摘される間でもなく、状態の変化については、ロッシュが自分で分かっていた。先程までの単純な勃起ではなく、気を抜けば射精に至ってしまいそうな、心情的には危機的な段階だ。口腔の感触がそうさせるのであり、誰にされているかは関係ないのだと、ロッシュは内心で言い訳する。
「気持ちがいいか」
 声をかけられ、反射的に顔を向けた。視線ががちりと合う。上目遣いでロッシュを見るストックの瞳に、心臓がごとりと動いた。
「また、大きくなった」
 嬉しげなストックの声に、反論する余裕も無い。というより、事実なので反論できない。ロッシュの男根は完全に充血し切り、どくどくと脈動していた。唾液で塗れているため分かりづらいが、先端からは先走りの汁が零れているのだろう。理性を裏切る身体の反応を、ロッシュはどう受け止めたものか分からなかった。ただひとつはっきりしているのは、直ぐにでもストックを剥がさなければいけない、ということだ。
「す、ストック。とにかくちょっと離れてくれ」
「……何故?」
「不味いんだよ、ほんとに! なあ、頼むから」
「だが、もう少しで射精しそうだ」
「それが不味いんだって!」
 親友に射精させられることへの抵抗もあるが、それ以上に体勢が問題だ。ロッシュの男根を口から出そうとしないストックは、ロッシュの懇願を無視して、無心に愛撫を続けている。口だけでは半ばほどまでしか刺激できないことに気付いたのか、根本に指を添え、唾液を絡めて肉を擦り始めた。中身が押し上げられるような感触。ロッシュの目の前が、ちかちかと瞬く。
「っ、ストック」
 ロッシュは必死で右腕を持ち上げ、渾身の力を込めた。体長程もある大槍を振り回す筋肉だ。妨害さえ無ければ、布の一枚や二枚、引きちぎるのはたやすい。鋭い音を立てて半ばから千切れた布に、さすがにストックが驚いて視線を遣る。その一瞬の隙に、ロッシュはストックの肩に手をかけ、力任せに引き剥がした。
「……!!」
 ストックの口がロッシュの男根から離れる。反射的にストックの指に力が込められ、最後まで縋ろうとした舌が背面をずるりと舐め上げる――それが、決定的なものとなった。
「っう……!!」
 瞬間的に加えられた刺激に抗しきれず、ロッシュの身体が震え、ついに射精に到る。溜め込まれた熱い精液が、目の前のストックの顔に向け、容赦なく吐き出された。紅潮した頬に、乱れた金糸の髪に、咄嗟に閉じられた瞼の上に、ロッシュの白濁が撒き散らされる。
「……だ、だから不味いって、言ったんだよ」
 堪えに堪えた上での吐精が身体を痺れさせるが、ロッシュとしてはそんな余韻に浸る暇も無い。親友に射精させられたという衝撃と、目の前の惨状に、呆然と頭を抱えるばかりだ。
 精液を顔面で受け止めたストックは、ゆるゆると瞼を開き、ロッシュの顔を見詰める。そして数秒考え込んだ後、首を傾げた。
「顔射、というやつか」
「何処で覚えたそんな言葉!」
「皆が話しているのを聞いて」
「禄でも無いことばっかり覚えてるんじゃねえ! ああもう」
 平然としたストックのに、ロッシュはがくりと肩を落とす。本人は気にしていないようだが、実際のところ彼の現状は、まさしく惨状というにふさわしい状態だった。なまじ整った顔で、しかも男であるから余計に、張り付いた精液が痛々しい。身体を弄ばれたのはロッシュの側であるのに、まるで自分が無体を働いたかのように錯覚してしまう。
「悪かったよ、くそっ」
 毒づいたのは、一体誰に対してなのか。ロッシュは、卓の上に置かれていた布を手にとると、ストックの顔を拭ってやった。
「……すまない。また汚してしまったな」
「気にするのはそっちじゃねえだろうが」
「また洗って」
「返さなくていい!」
 語気の荒いロッシュを、ストックは不思議そうに見詰める。
「どうした、何を怒っている」
「怒ってるっていうかなあ」
「……ひょっとして、悪かったか」
「当たり前だ! 悪いも悪い、ちょっと考えりゃ分かるだろ!」
 同性の親友を押し倒し、性器をくわえて射精させるなど、ロッシュの感覚でいえば正気の沙汰では無い。平然としているストックが、ロッシュには全く理解できなかった。
 殆ど怒鳴りつける勢いで言い募られ、ストックもさすがに、少しばかり落ち込んだ態度を見せた。
「そうか、悪かったか。……努力はしたつもりだが、まだまだ未熟だな」
「努力の方向性がおかしいんだよ、お前は……」
「すまなかった」
 ストックは、ロッシュの腕に巻き付いたままだった布の切れ端を解くと、精液で汚れた手巾と共に手元に纏めた。まだ少し、髪に白濁が残っているのを、ロッシュがこそぎとってやる。ストックは微かに目を細めると、寝台から立ち上がった。
「次はもっと良くなるようにしてみせる」
「……次?」
「ああ。もっと練習する。今度こそ、はお前を満足させてみせるからな」
「満足って、おいストック」
 認識の齟齬に気付いて、ロッシュが顔を上げた。しかしその反応は少しばかり遅く、ストックは足音をたてて、ロッシュの部屋から出ていってしまう。
「――頭は洗っておけよ!」
 混乱しながら辛うじて発せられたのはそんな言葉だったが、それすらストックに届いたかどうかは分からない。閉じた扉を見詰めながら、ロッシュは一人で頭を抱えた。
 ストックは何かを勘違いしている気がする。それも、色々なことを。次に、と言ったのは本気か否か――恐らくは、本気だろう。
 ふと、悪かったか、と問いかけたストックの表情を思い出す。以前にロッシュはストックに、良いというのは快感を覚えているという意味だと教えた。では悪いというのは何か。先入観を抜きにして考えれば、悪いとは。『良い』の逆だ。ロッシュは呻き声を上げた。やはり何か、とんでもない勘違いを、ストックはしている。そして勘違いをしたまま、行動を続けようとしている。
 この次に親友がどう出るのか、不安で仕方がない。そして同時に、これから先どんな顔をしてストックと相対して良いのかも分からない。ロッシュの心は、増水した川の如くに乱れていた。
 恐らくストックは、常の通り、まるで何も無かったかのように振る舞うだろう。ひとつの寝台に二人で体重をかけ、ロッシュの精液を頭から浴びたことなど、何ひとつ無かったかのように。ロッシュもそれに追随すべきなのだと分かっているが、感情の整理をつけられる気がしていない。
 あの馬鹿、と呟いて、ロッシュは頭から布団を被った。問題は山程ある。それらの全てを解決し、道を開くことができる言葉を、ロッシュはひとつとして思い浮かばなかった。
「あの馬鹿。今度会ったら殴り倒してやる」
 悪い予感ならば、いくらでも数え上げられる。そして同時に、己の変化も。呟く内容のどれくらいが本心かは、自分でも分からない。ただ一つはっきり分かっているのは、恐れ。得難い親友が、これをきっかけに親友では無くなってしまうのではないかと、そんな恐れだ。
 低く唸って、ロッシュは瞳を閉じた。願わくば、今夜起こった全てが幻で、目覚めたら何もかもが今まで通りであればいい。
 それが全く敵わないことを何処かで察しながら、ロッシュは今だけは瞳を閉じ、考えることも感じることも止めようとするのだった。



――――――



 それからしばらくの間、ロッシュはストックを避け続けた。ストックを嫌悪しているわけではないが、親友にして戦友であった相手に性的な関係が付加されてしまったのだ。どんな顔をして向かい合って良いか分からず、ひたすらストックとの同席を避け、逃亡を続けていた。
 そんな親友の態度を、ストックがどう感じていたかは分からない。ロッシュがストックを避けている間、ストックもまたロッシュに近付こうとしなかった。これまでの蜜月はどこへやら、互いに顔も合わせようとしない彼らの態度に、周囲では様々な噂が流れていたようだった。
「ロッシュ、お前とストック、喧嘩でもしたのか?」
 同僚の何人かは、疑問を直接ロッシュに問いかけてきていた。彼らの不審も当然で、ストックとロッシュは、今まで本当に多くの時間を共に過ごしてきていたのだ。少しばかり言い争ったり、多少殴り合ったことなら何度かあったが、二週間以上に渡って不仲が続いたのは今までに無かったことだ。異常と捉えられても仕方のないことだろう。
 そして彼らは、ロッシュに質問を投げるばかりでは無く、新たな情報をもたらしてもきた。ストックの側に、明確に今までと異なる傾向があるというのである。彼がロッシュから離れている間に、何やら今まで全く興味を示さなかった内容のことに、積極的に首を突っ込んでいるというのだ。
 思うにストックは、ソニアを狙っている。そうロッシュに語った兵が居た。
「間違いない。あいつ最近、妙にエロ関係の話に割り込んでくるようになったんだ」
 冗談のような話だが、その男は真剣だった。その男以外の、ロッシュに忠告をしてれた男達も、すべからく真剣だった。彼らが言うには、ストックはソニアに対して恋情を抱き、近いうちに実力行使に到るつもりだという。その時のために、酒の席で語られる余他も含めて、様々な性遊技の趣向を収集しているのだと。
 情報を寄せてくれた男達は皆、ロッシュがソニアに対して恋愛感情を抱いていることを――ロッシュは秘しているつもりであったが、何故か――知っていた。だから、ストックがソニアに対して『既成事実』を作ってしまわないかと案じ、助言をしにきてくれたのだ。
 ロッシュは彼らの忠告を、有り難く、そして真剣に受け入れた。ストックが妙なことに興味を持ち始めた、それは実に危機的なことだ。もし傍らに居たならば、断固として阻止したことだろう。
「ロッシュ、ちゃんとストックと話し合ったほうが良いぜ」
 深刻な顔で訴える知人に、ロッシュもまた真剣に頷く。ただしロッシュの抱いている危惧は、周囲が言うそれとは、全く異なっていた。ロッシュは、ストックが聞き回っているそれが、何に使われる予定かを正確に把握していたのである。



 そんな状況であったから、夜更けに扉を叩く音がした時、余程無視して眠り込んでしまおうかと思った。そうしなかったのは、ストックに対する友情が、未だに強く残っていたからだ。ロッシュにとってストックは、得難い親友だった。共にいて心地良く、互いに学び合う部分も多くある。こんな状況においても、ストックが隣に居ない日常は、物寂しいと感じてしまう程だ。だから、可能で有れば元のような親友同士に戻りたいと、心のどこかで望んでしまっていた。
 二度目のノックを聞きながら、ロッシュは寝台から起き上がり、部屋の入り口へと向かう。息を整えてから扉を開くと、そこには思った通り、ストックが立っていた。扉が開いたことに安堵したのか、緩やかな表情を浮かべている。
「ロッシュ」
手に持っているのは、例によって布だった。ロッシュの部屋から持ち去った布を、返さずとも良いと言われていたのに、律儀に返しにきたらしい。用事がそれだけなのかどうかは、ロッシュには分からなかった。
「入ってもいいか?」
 その言葉には多少、考え込まざるを得なかった。否、と言えば、ストックは立ち去るだろうか。いや、なんとかして押し入ろうとするかもしれない。何しろ、頑固さにおいては並びの無い男だ。そしてロッシュは、この男の頑固さに弱い。
「入れよ」
 ロッシュの招きに従って、ストックは部屋の中に入る。椅子に座ったストックの脇をすり抜け、ロッシュは寝台に腰を下ろした。一瞬躊躇うが、意識しても仕方がないと割り切る。大体、部屋に椅子は一つきりで、二人で居るならどちらかが寝台に座るしか無い。
 緊張しているロッシュに対して、ストックは妙に嬉しげでいるようだった。例によって表情は動いていないが、漂う気配で察せられる。
「お前の部屋に来るのも、久し振りだな」
「そうだな。なんかお前、最近忙しかったみたいだし」
 そしてロッシュも、ストックのことを避けていた。その事実、そして避けるに至った事情にいついては触れられず、ロッシュは苦笑する。そして、ストックが何に忙しくしていたのかも。
「ああ。色々と、勉強してきた」
 しかしそんなロッシュの繊細な気遣いは、ストックには通用しない。やる気に満ちた表情で頷き、身を乗り出してくる。
「この間は悪くしてしまったが、今度はもっと上手くやってみせる。方法も調べてきた、まずは」
「いやいやいや、ちょっと待てストック」
 折角譲られた椅子を放棄し、寝台に乗ってロッシュに圧しかかろうとするストックを、ロッシュは力尽くで押し返した。勢いを殺がれ、不満げなストックに、低く息を吐く。
「そうだな、まず最初に言っとく。悦いの反対は、悪いじゃない」
「……どういうことだ?」
「どういうことも何も、そういう風には言わないんだよ。普通の使い方じゃねえんだから、使い方も普通と違うんだ」
 ロッシュの雑な説明に、ストックは少しばかり納得いかない様子だったが、反駁はせず頷く。そんなところばかりは素直なんだな、とロッシュは深い溜息を吐いた。
「慣用表現ということか……。では、通常悪いというべきところでは、どう言えばいい」
「そうだな……良くない、とか」
「成る程」
 もっと言うなら下手だの何だのと言った方が意味としては適当なのかもしれないが、直接的過ぎて、初心者には使い方が難しい。何故自分がこんなことに頭をひねらなくてはならないのかと、ロッシュは内心で毒づく。だが取り敢えず今は、ストックが納得すればそれで良い。
「分かったか? この間俺が悪いって言ったのも、だからそういう意味じゃなかったんだよ」
「そうか。ということはつまり、気持ち良くはなっていたのか?」
「い、いやそれはまあ」
 答えならば否ではない、だがそれをはっきり口に出して言うのは躊躇われた。別段ロッシュが潔癖というわけではなく、男としての矜持故だ。
 不明瞭に言葉を濁すロッシュの態度を、ストックは一応、肯定と受け取ったようだった。口元に笑みを浮かべ、そうか、と言葉を零した。
「良かった。きちんとお前を満足させられていたんだな」
「あ、ああ、そんなとこだな。だからまあ、そういうことで」
「自信がついた。今日も全力を尽くす、期待してくれ」
「って、まてまてまて!」
 珍しくはっきりと嬉しげな笑顔を浮かべてストックが圧しかかってくるのを、ロッシュは再び押し返した。
「……どうした」
「そりゃこっちの台詞だ! それが分かってどうしてそうなる、元々俺に礼だのなんだのってんで、その……色々してきたんだろう」
「そうだな、だからお前が満足したというなら良かった」
「お、おう」
「だから今日は、改めてよろしく頼む」
「……は?」
「知っているか、といっても俺も先日聞いたんだが、男同士でもセックスができるらしいぞ」
 今度こそ、ロッシュが硬直する。ストックは笑顔だ。無愛想な男にしては珍しい程の笑顔で、ロッシュの右手を握る。
「ロッシュ、お前はセックスをしたことがあるか?」
「え、いや、女となら」
「そうか、俺は無い。間違っていることがあったら、教えてくれ」
 ストックの右手がロッシュの頬に添えられ、顔が近付いてきた。何事かと驚く隙も無く、ストックの唇がロッシュのそれに押しつけられる。
 一秒。二秒。三秒を数えたところでロッシュが息を吹き返し、大きく背を反らして唇の接触から逃れた。
「おまっ、な、何しやがる!!」
「キスだ。セックスをする時は、ただ挿入するだけではなく、しっかりと触れ合うことが大切らしい」
 そう言って笑うストックの目を、ロッシュは見たことがあった。戦場で、いよいよ交戦に挑もうという時の顔だ。己と友の力を信じ、どれほどの強敵であろうと勝利を引き寄せんと決意した、強烈な意志を宿した瞳。
 そして同時に、戦場ではけして見られない喜悦の色が、そこには付け加えられていた。聞き齧った知識をひとつひとつ確かめ、己の血肉とする欲求。これまで踏み込んだことの無い領域に触れるのが、楽しくて仕方がないのだろう。好奇心と性欲が混じり合い、瞳の中に溶けている。
 ストックの指がロッシュの唇に触れる、その間も、顔が逸らされることはない。ロッシュの反応を余さず観察しようと、緑の瞳が見開かれている。
「っ……あのなあ、ふざけんな!」
 その気配に、ついにロッシュは爆発した。寝具を強烈に叩き、怒りを示す。衝撃に、寝台が軋んだ。
「馬鹿にすんのも大概にしろ! 俺はお前の玩具じゃねえぞ!」
「ロッシュ? どうした、何を怒っている」
「何をも何もあるか、親友に実験台扱いされて、怒らない方がどうかしてる! 好き勝手弄れる身体が欲しいなら余所へ行け、そこいらで女でも男でも買ってこい!」
 激昂の激しさに、ストックが驚いて身を強張らせる。ロッシュは扉を指し示した、去れ、という意思表示だ。だがストックは動こうとせず、寝台にしがみついている。目は真剣で、じっとロッシュを見据えたまま、僅かにも逸らそうとしなかった。
「何を言っているんだ。お前じゃないと意味が無い」
「勝手言うんじゃねえよ、いくら親友だからって、そんなことまで付き合ってられるか」
「それは困る。ロッシュ、俺はお前とセックスがしたい」
「安心しろ、お前のツラだったら、直ぐ相手が見付かる。見付からないなら金で買え、後腐れなくて良いぞ」
「そうじゃない、俺はお前が良い」
 透き通った緑の奥に、怒りに似た炎が煌めく。左手が、ロッシュの右手に重ねられた。体温の熱さを、ロッシュは感じる。
「お前とするのが重要なんだ。ロッシュ、分からないのか」
 ぐ、とストックがロッシュに近付いた。ロッシュは後退して間隙を保とうとするが、狭い寝台の上だ、逃げる空間など無い。
「お前と、だから意味がある。興味が先走って、不真面目に見えたのなら、それは謝る」
「ストック、お前何か勘違いしてないか? セックスってのは、友人同士でやるもんじゃないんだよ」
「……念のため言っておくが、男同士で子作りが出来ないことくらいは知っているし、お前と子供を作るつもりも無い。だが、子供が出来ないという前提でなら、男同士でもセックスは出来ると聞いた」
 如何にも心外、という調子で言うストックだが、問題の本質はそこでは無い。そして、やはりセックスは子作りという認識だったのだなという、的外れな感心がロッシュの脳裏に思い浮かぶ。
「そりゃまあ、ヤることはヤれるだろうが」
「ああ。だから、俺はお前とセックスしてみたい」
「あのな、ストック。そもそも何で俺としたいんだよ」
「何故?」
 ロッシュの問いに、ストックは首を傾げた。数秒、沈黙が落ちる。だがその間も、捕らえた手は離されず、視線が外されることも無い。
「セックスは、好きな相手とするのが一番気持ち良いと聞いた。それならお前としようと思った、他の人間とすることなど、考えつかなかった」
 そして、当たり前のような顔で、そんなことを言い放つ。あまりと言えばあまりの言いぐさに、ロッシュは絶句し、天井を仰いだ。
「理由になってねえ」
「……そうか。なら、どんな理由なら納得する?」
「それは――」
 答えられないのは、ストックの答えが正解に近いものだからだ。ロッシュの常識から言えば、同性の親友に対して言うべき内容では無いのだが。
 ストックはじっと、親友の言葉を待っている。だがロッシュが黙り込んだままでいると、焦れた様子で手を伸ばし、ロッシュの胸元に触れた。
「ロッシュ、お前は、俺のことが嫌いか」
「まさか」
「なら、やってみよう。お前が俺のことを好きでいてくれるなら、きっと気持ちが良い筈だ」
「……それも、誰かに聞いたのか?」
 無邪気に頷くストックに、ロッシュは盛大に溜息を吐いた。仕方のない奴だ、と小さく呟く。勤勉なのは間違いないのだが、情報源の取り方と、真偽の見極めが致命的にずれている。そのくせ、困ったことに、最も大切な一点だけは間違っていない。
「好きだって言っても、別にお前に恋してるつもりはねえんだが」
「当たり前だ。俺たちは親友だろう」
「そこは分かってるんだよなあ……ほんと、よく分からん奴だ」
 彼らは親友同士で、間違っても恋人ではなく、今後そうなる予定も無い。そもそもロッシュが性愛の対象とするのは女性で、男に欲情したことなど一度たりとて無い。
 だがそれなのに何故か、寄せられる素直な好意は、嫌では無かった。触れた体温の熱さも。
「ロッシュ」
 ストックの指が、唇に触れた。硬い指先の感触。ロッシュが抵抗しないのを見て、じわりと身体が近づき、膝の上に体重が乗った。
 ストックの整った、美しいとも言える顔が近付く。
「……そうだ、すまない。順番を間違えたな」
「ん?」
「まず、好きだと言うべきだった」
 生真面目に、ストックが言う。そんな親友に、ロッシュはとうとう根負けし、くしゃりと苦笑を浮かべた。


 ストックの身体がさらに寄せられ、距離が零に等しくなる。服越しに密着した胸板は、女性のような柔らかさは無いが、その分芯の熱さが伝わってきた。左手がロッシュの右手に絡み、そのまま背に回される。胸の内側で響く心音が、身体に直接響いた。
 ロッシュの視界の中に、ストックの瞳がある。それは見る間に面積を増し、焦点を失い、ただ一面に広がる緑となった。同時に、唇に暖かな感触。同性のものであろうと、その柔らかさは変わらないものだと、ロッシュは改めて実感した。あまり実感したいものでは無かったが、してしまったものは仕方がない。
 ストックの側がどのような感想を抱いたかは分からないが、少なくとも不快には思わなかったのだろう。唇を押しつけ、少しだけ離れたかと思えば、僅かに角度を変えてまた押しつけてくる。表面だけの穏やかな口付けが、しばらく続き――そこから踏み込む気配は、感じられない。
 何度目かに唇を押し付けられた時、ロッシュの唇がもぞりと動いた。僅かに開いていたストックの唇の隙間から、ロッシュの舌が入り込む。
「……――!?」
 びくりと、面白いくらいの勢いでストックが硬直した。ロッシュは、少しだけストックの上顎を舐めると、直ぐに舌を引いて唇を離す。
「なんだ。これは聞いてないのか」
「……無い。今のは、何だ?」
「これもキスだよ」
 恐怖と好奇心の入り交じった声音に、ロッシュが笑いを零す。ストックは、少しの躊躇いと共にロッシュに近付き、再び唇を重ねた。おずおずと差し出される舌を、ロッシュは口を開いて受け入れる。ぬるりとした粘膜が接触し、絡み合った。
「っふ……ふ、ぅ」
 ぎこちない動きで口の中を辿るストックを導き、ロッシュもゆるゆると舌を動かす。互いのそれを絡め、口の中を探った。軽く吸って歯を立ててやると、唾液が溢れ、混じり合って音を立てる。興奮のためか、ストックの舌は酷く熱かった。
「はっ、……ん、ふっ」
 苦しげに呼吸を継ぎつつ、必死でロッシュの真似をし、慣れぬ動きで口腔を刺激してくる。背に触れる手が、強く服を掴んでいた。ロッシュもストックの背に手を回し、宥めるように優しく撫でてやる。
「……はっ」
 一度口を離すと、ストックが大きく息を吸い、吐き出した。白い頬は興奮の血の気に紅潮し、瞳は微かに潤んでいる。紅く染まった唇が、なんとも扇情的だった。
「……凄いな」
「何がだ?」
「今のキスが。凄く、気持ちが良い」
 溶けたような目で身を寄せるストックの自身は、既に勃ち上がり始めているようだった。素直な反応にロッシュは感心し、太股でそこを刺激してやる。ストックは少し息を詰め、お返しとばかりにロッシュのものを服越しに撫でてきた。
「……お前は、気持ち良くなかったか?」
「いや。そんなことねえよ」
 ロッシュの側は、多少熱が入り始めてはいるが、まだ本格的に勃起しているわけではない。別段ストックの技術に不満があるわけではなく、まして不感症というわけではなく、単に経験の差だ。舌を絡めるどころではないことを何度もしたことがあるのだから、多少の辛抱は効く。
 だがストックは、それが不満であるらしい。少しだけむっとしたような表情になり、性急にロッシュのズボンを寛がせ、手を差し入れる。熱を帯びた指がロッシュの男根に絡み、ゆるゆると刺激を始めた。
「どうだ」
「何、意地になってんだよ」
 その動きは確かに、先日触れられた時に比べ、格段に上達していた。男性の感じ易い部分を、的確な強さで刺激してくる。自慰の際に、大真面目に触り方を研究するストックを想像し、ロッシュは思わず苦笑を浮かべた。
「……何だ」
「いや。なんつーか、まあ……やっぱりお前はお前だな」
 訝しげに首を傾げるストックに手を伸ばし、服の留め具を外していく。片手ではやりづらい部分もあったが、なんとか衣服を緩め、腕を差し入れる隙間を作ることができた。ストックも逆らわず、ロッシュの手が男根を取り出すのに任せる。既に充血したそれにロッシュが触れると、ストックの口から低い息が吐き出された。
 勿論、ストックもされるのみにはなっていない。ロッシュのものを握る力が強まり、同時にもう片方の手が上着を捲り、胸元へと這わされた。何をするのかと思えば、ロッシュのささやかな乳首を捉え、弄ってくる。
「何すんだよ」
「気持ちが良いか?」
「ん、どうだろうな……」
 指で挟んで摘み上げ、刺激に尖ったところを押し潰す。肉に埋もれたところをくりくりと押し回されると、僅かに痺れたような感覚が生じてきた。快感と呼ぶには微弱だが、似たものではある。
 反応の薄いロッシュに構わず、ストックは真剣な表情で、ロッシュの胸と男根とを弄り続けている。ロッシュもやり返してやろうかと思ったが、片腕ではどうにも具合が悪い。
「ストック。そんなとこばっか弄ってんなって」
 気を逸らそうと、手の内のものを強く擦ってやる。ストックの身体が震え、朱を掃いた目元が剣呑な形になった。
「……お前は、探求心というものが足りない」
「この際そんなもん要らないだろ。それとも、お前も弄って欲しいのか?」
 答えを待たずに手を移動させ、ストックの胸元に指を触れさせる。乱れた着衣に隠れた尖りを見付け、自分がされたように刺激を与えた。鼻にかかった吐息が、ストックから零れる。意外と快感を得ているらしい。
「お前、感じやすいんだな」
「うるさい。……お前が鈍いだけだ」
 誤魔化すように身体を寄せ、口付けられた。近付いた身体の間隔では胸を弄ることはできないから、もしかしたらそれが目的だったのかもしれない。男の矜持が出てきているのか、とロッシュはまた感心した。これだけ諸々のことにつきあっていると、相手の成長がちょっとした感慨になる。
 しかしそんなことを考える余裕が残っているというのは、ストックにとって面白くないものだ。舌を吸って呼吸を奪われ、男根を強く扱かれた。と思うと触れるだけの圧力で表面を辿られ、焦らすように先端のとば口をなぞられる。ロッシュとて感じていないわけでは無い、その証拠として滲み出てきた体液を、ストックは嬉しそうに指先で塗り広げた。
「……ふっ」
 低いロッシュの吐息が、部屋に響く。ストックの顔が離れ、緑の瞳がロッシュを覗き込んだ。そこに浮かんだ得意げな色に、ロッシュも対抗心を刺激され、ストックの身に快感を送り込もうと指の動きを速める。十分に感じているものをさらに追い込むと、慌てた様子で、ストックの手がそれを止めた。
「ロッシュ、待て。射精してしまう」
「何だよ、イきたくねえってのか?」
「当たり前だ、まだ挿入していないだろう」
 真剣に訴えるストックの顔を、ロッシュは思わず見返した。
「挿入って」
「……お前、まさかセックスの仕方を知らないわけじゃ」
「殴るぞ」
 弁明するのも馬鹿馬鹿しい、成人男性が持つべき当然の知識として、性交の方法はロッシュも知っている。ついでに、男所帯に長く所属した弊害的な知識として、男同士での挿入を伴う性交の手順も知っている。
 だからストックが挿入を求めるのに対して、何処に何を入れるのかは、即座に把握できた。
「男とヤるってのも、まあ、聞いたことはある。お前こそ分かってるのか? ありゃ、かなり難しいらしいぞ」
「……そうなのか?」
「ケツにイチモツをぶち込むんだから、そりゃそうだろ。自分のケツにそんなもん入ると思うか?」
 有り体なロッシュの物言いに、ストックは首を傾げると、唐突にロッシュから身体を離した。
「……だが、十分に準備をすれば大丈夫だと聞いた」
「ん? 何してんだよ」
 ストックが手を伸ばしたのは、半ばまで脱いだ己のズボンだ。それの隠しから、ロッシュも見覚えのある小瓶を取り出す。戦場においては傷薬として使われる膏薬を詰めた小瓶だ。ついでとばかりにズボンを脱ぎ捨てるストックを、ロッシュは呆然と見詰める。
「おい、何だそれ――いや、傷薬なのは分かるんだが」
「摩擦を軽減出来る。痛みを麻痺させる効果もあるから、挿入する際助けになる筈だ」
「……態々準備してきたのか?」
「ああ」
 周到な準備は、ストックのこの行為が、思いつきでも気まぐれでもないことを思い知らせてくる。唖然とするロッシュに再び圧しかかり、ストックは瞳を煌めかせた。
「どうする。まず、どちらが挿入する」
「どちらがって、いやちょっと」
「お前は、女とセックスした経験があると言っていたな。俺は無い、だから出来れば挿入する側に回ってみたい」
 ストックの手が裾から潜り込み、ロッシュの肌をまさぐった。乳首を弄り始める手を止めさせ、ロッシュは必死に頭を巡らせる。
「いや、お前男と寝たことなんて無えだろ? 俺も無えよ、そんなんで上手くいく筈無いだろ」
「やってみないと分からない。大丈夫だ、俺が挿入する以上、準備も俺がやる」
「いやいやいや! てかお前が突っ込むって確定なのか!」
「何だ、挿入する側になりたいのか?」
 大真面目に問われ、ロッシュは言葉を呑み込んだ。挿入するかされるか、またしても酷い二択に思考を押し込められる。挿入されたいかと言えば断じて否だが、かといってストックに挿入したいかといえば、それも考えさせられる。何しろ男根を尻に挿入するわけだ、相当の痛みが伴う。ロッシュの男根は、体格に比例して標準よりもやや大きめだから、苦痛も大きいことだろう。痛みに顔を歪めるストックを組み敷き、イチモツで身体を貫く。その光景は、性交というよりは、もはや暴力であるように感じられた。
「ロッシュ? どうした、勃起が収まっているぞ」
 首を傾けかけているロッシュのそれを見て、ストックが不思議そうに首を傾げた。ロッシュは答える余裕も無く、がくりと頭を下げる。戦いの中で加虐嗜好に目覚める者も居ないではないが、、ロッシュの趣味は完全に標準だ。想像だけで萎えかけているのだから、完遂することはほぼ不可能と思われる。
 ロッシュのそれを再度擦り、復活を試みているストックに、ロッシュは引き攣った笑みを浮かべた。
「いや……うん、まあ、俺は良い」
「そうか? なら、俺が挿入させてもらう」
 気持ちが落ちかけているロッシュとは対照的に、ストックは瞳を輝かせ、ロッシュの身体に圧しかかった。単純に身体を寄せていた先ほどまでとは異なり、押し倒すのに近いような体勢を求めてくる。挿入して良いとは言っていない、などという弁明は、全く効きそうにない勢いだ。
 こうなれば、死なば諸共。ロッシュも内心で覚悟を決めると、ストックの力を受け入れ、身体を横にした。視界の中に、天井と、服を乱したストックの上半身が映る。ごそごそと身体を動かしたかと思うと、ロッシュのズボンを引き抜きいてきた。肌に空気が触れ、この異常な状況を改めて自覚させる。
 だがそんな感慨に浸る間も無い。ストックは真剣な顔で、完全に露わになったロッシュの男根を弄りながら、唇を重ねてきた。先程のような耽溺は無く、互いに確かめ合うような、あるいは様子を見るような、慎重な口付けだ。それでも、口の中を這い回る熱い粘膜は、気持ちと身体を煽ってくる。ストックの手の中で、ロッシュのそれは、元の硬度を取り戻しつつあった。
 それを確認して、ストックはひとつ頷くと、改めて傷薬を取り上げる。
「痛かったり嫌だったりしたら、言ってくれ」
 ロッシュの脚を広げ、まずは中心に指を滑らせる。男根の表面を辿り、その下の皮膚、そしてさらに下の窄まりに触れた。確かめるように表面を撫で回した後、首を傾げる。
「……本当に、ここに男性器が入るのか?」
「俺もそう思うぜ」
「まあいい。試してみよう」
 だが、疑問で脚を止めないのもストックという男だ。ひとつ頷くと、傷薬の容器から中身を掬い出し、ロッシュの身体に指を押し当てた。薄い皮膚にひやりとした膏薬を塗りたくられ、びくりと身体が縮まる。
「怖いか?」
「いや、冷たいだけだ……って、こら、揉むな!」
 身体と一緒に縮んでいた陰嚢をストックに揉まれ、ロッシュは反射的に声を上擦らせた。敏感な部分への刺激で身構えてしまい、下肢にも力が入る。
「……ロッシュ、力を抜いてくれ」
「お前が余計なことするからだ……っ」
 ただでさえ狭い箇所のこと、ロッシュが拒む力を入れれば、指を入れることもままならない。懇願の眼差しを向けられ、ロッシュは溜息を吐きつつ、身体を弛緩させようと試みる。それが成功しているのかいないのか、ストックの指はもどかしげに入り口の上を行き来し、やがてゆっくりと体内に進入してきた。軟膏の滑りを借りてすら抵抗は大きく、異物の存在を身体が拒むのを自覚する。必死で下肢から意識を逸らしていると、指が強引に押し込まれ、根本に近いところまで埋め込まれた。
「……入った、な」
「指が、な。お前のナニの太さは指程度か?」
 ロッシュの軽口にストックの眉が顰められ、己の存在を誇示するように、男根をロッシュの太股に押し付けてくる。勿論それは指より遙かに太い。
「確かに、もう少し準備は必要だな」
 身体の中で、ストックの指がぐにぐにと動く。一本のみとはいえ、内側の肉を押し上げられるのは、お世辞にも気持ち良いものではない。深く呼吸をして不快感を逃がし、力を抜くように勤める。ストックは一度指を抜き、傷薬を指に絡め、穴の奥まで滑りを広げてきた。指が全て収まると、何度か動かして肉を解し、引き抜いてもう一度。と、今度は二本の指が、ロッシュの内側に潜り込んでくる。
「っ……」
 二倍に増えた質量でも、意外な程直ぐに、ロッシュの身体は受け入れることが出来た。しかし、入るというだけで、快感を得られるわけではない。肉が広げられる痛みに顔を顰めると、ストックの指が頬に添えられる。
「ストック、痛いんだが」
「そうか……すまん」
「謝るだけかよ」
 苦笑するが、ロッシュとて男だ、止まれないストックの現状はよく分かっている。太股に押し付けられている男根は、さしたる刺激を与えられているわけではないのに、熱くたぎったままだ。肉を貫く感触を求める本能を抑えられているだけでも、大したものだろう。
 いや、完全に抑えられているというわけでもないかもしれない。ロッシュの身体は相変わらず狭いが、ストックの指はそれを強引に和らげようと、遠慮無しに蠢いている。指先を広げる動きに肉を圧迫され、ロッシュは盛大に顔を顰めた。
「そろそろ入ると思うか?」
「いや……まだちょっと無理じゃねえか」
 ストックの切羽詰まった表情など中々見られるものではないが、その勢いで無理矢理に貫かれたのでは、見物の代償が高価過ぎる。ストックも、ロッシュの身体を気遣うつもりはあるのだろう。強引に事を進めようとはせず、なんとか穴を広げようと、指を動かし続けている。
 幸いにして、傷薬の沈痛成分が効いているのか、思ったより痛みは無い。ストックが指を三本に増やした時も、辛うじて受け入れることが出来た。
「何とか、なりそうだな」
「まあ……どうだろうな」
「試してみるか」
 自分の指とモノを見比べ、ストックがひとつ頷く。指を引き抜き、男根に傷薬を塗りたくると、ロッシュの穴に当てがった。
 止めようと思えば止められただろう。力を込めれば挿入は難しいし、そもそもロッシュの体格で暴れれば、行為を続けるどころの話では無くなる。だが、常の冷静さをかなぐり捨てて自分を求めるストックを見ると、拒絶する気も失せてしまうのだ。
 ロッシュ、とストックが囁く。相変わらず、女性であればとろけずにはいられないような色香だ。だが男であるロッシュにはその効果は無い、筈である。
「はっ……はあっ」
 ゆっくりと、ストックのものがロッシュの中に入ってくる。ロッシュは深く呼吸をし、生じる苦痛を全て受け流そうと試みた。先端が入り口をこじ開け、じりじりと身体に割入ってくる。本来の用途とは異なる箇所で感じるそれは、さすがに、指三本を合わせたよりも太いものだった。苦痛に息を深くするが、指と違ってばらばらに動きはしないので、一度受け止めてしまえば耐えられないことは無い。傷薬の効果で痛みが軽減されていることもあり、またロッシュが苦痛に慣れているのも大きかっただろう。肉をこじ開けられる痛みも、内臓を圧迫される不快感も、死に至る程のものではない。
「ロッシュ。大丈夫か」
「ああ、まあ、何とかな。……左腕が切れた時に比べりゃ、大したことねえよ」
 ストックが顔を顰める。何故か体内の男根も少し縮んだ気がして、ロッシュは目を瞬かせた。
「……どうした?」
「いや、何でもない」
 しかしそれは一瞬のことで、直ぐにストックは行為を再開した。何とか根本まで押し込むと、一度半ばまで引き、抜かれた部分に膏薬を追加する。そしてまた中に入り込む、そんなことを何度か繰り返すと、動きも随分滑らかなものになってきた。たっぷりと潤滑材を流し込まれた穴の中で、ストックが動く度に水音が響く。
「はっ、ロッシュ」
 動いているうちに快感が増してきたのか、ストックの男根が体積を増し、動きも伴ってロッシュの内側を押し上げてくる。痺れた肉でそれを受け止め、ロッシュは大きく息を吐き出した。丸太のように転がったままであることも罪悪感を覚えるが、肉体的な負担が大きく、下手に動くことも出来ない。それに、女のように腰を振ることへの心理的抵抗もある。仕方なく、ひたすら力を抜くことに意識を注いでいると、ふいにストックが手を伸ばしてロッシュの男根を掴んできた。
「っ……こら、ストック」
「収まってきていた。やはり、痛かったか」
「そりゃまあ、ってか、んなことすると力が入っ……」
 確かにロッシュの男根は萎えかけていたが、力を抜いておくには、むしろそちらの方が都合が良い。しかしストックは納得しなかったようで、快感を煽ろうと、ロッシュの男根をしごいてくる。
「大丈夫だ、もう入っている。セックスをするのだから、お互い気持ちが良くならないと駄目だろう」
 膏薬のぬめりを借りた愛撫に、ロッシュの男根も再び硬さを取り戻し、快感がせり上がってきた。ストックの指が性感を生み出す度、ロッシュの身体に力が入り、ストックのものが締め付けられる。
「熱い……どんどん、熱くなってきている。ロッシュ」
 男根に力を加えられれば痛みもあるだろうが、今のところは快感の側が上回っているようだった。熱に浮かされた瞳で、腰を動かしている。片腕でロッシュの脚を持ち上げ、角度を変えてより深くへと楔を打ち込んできた。空気を含んだ粘液が穴を出入りする音に、肉がぶつかる音が重なる。無理を強いる埋め合わせとばかりに、ロッシュの男根をしごく勢いも強くなってきた。と、ストックが上半身を傾け、顔をロッシュに近付けてくる。
「ロッシュ」
「……何だよ」
「キスがしたいんだが」
 深くまで貫いたまま、出来るだけ身体を折って距離を縮めようとするが、唇を触れさせる程には近付いてくれない。無理な体勢にロッシュが呻き、ストックの肩を押して元に戻させようとする。
「止めろ、挿れたままじゃ無理だ。苦しいって」
「そうか……」
「後ですれば良いだろ」
「……そうだな」
 ロッシュの言葉に頷いて微笑すると、ストックは身体を起こし、また律動を開始した。ストックの顎から汗が滴り、ロッシュの腹へと零れ落ちる。
「っ、ロッシュ」
 譫言のようにストックが呟いた。ロッシュを気遣う優しさが、徐々に快感に飲まれ、動きも荒々しくなっていく。腰の速度は増し、強い力でロッシュの内臓を押し上げてきた。一際強く内側をえぐられ、ロッシュも呻き声を吐き出す。
「ロッ、シュ。射精、しそうだ」
 ストックの訴えの通り、体内の男根は熱と体積を増し、限界を示してきている。ロッシュは一瞬、視線を彷徨わせた。女では無いのだから、体内に射精されたとしても妊娠の心配は無い。だが、だからといって問題が無いかといえばそんな訳は無く、そもそも男に中出しされることに対する抵抗心も大きい。
「ストック、ちょっと」
「……くっ」
「待て、っつぅっ……」
 だが、制止の声は、残念ながら遅きに失した。ストックの男根が体内で震える。そして一瞬の後、子種がロッシュの中へと吐き出された。ひどい熱が内側に広がるのと共に、中の体積が減じ、熱の本体が収まっていくのが分かる。
「っは……はぁっ」
「馬鹿が、勝手に、出しやがって」
「……すまない」
「まあ良いけどな、女じゃねえんだから」
 後始末が大変というだけで、人生に関わる重大事が起こるわけではない。諦めて息を吐くロッシュの内側から、ストックの男根が引き抜かれる。摩擦に身を縮めるロッシュの男根を、ストックの指が強くし扱いた。
「っ、」
「先に、すまない。お前も」
 苦痛と快感に焦らされてきた性感は、ようやく分かりやすい刺激を得て、一気に上り詰めていく。やがてストックの手の中で、溜め込んだ白濁を吐き出した。
「っう……ふぅっ」
 低い吐息と共に、ロッシュの精液が、自らの腹に降り注ぐ。着崩したままの着衣に付着した白濁に、ロッシュは顔を顰めた。
「あー……服にひっついちまった」
「……そうだな」
「つか、布団も汚れちまったなあ」
 傷薬とストックの体液が混じった汁が、結合部の下へと滴り、寝具を汚してしまっている。目立たないように洗う算段を考えなければならない。軍の人間関係は狭い、妙な噂が立てば、あっという間に広まってしまうことだろう。今後の面倒を考えつつ、ロッシュは頭を押さえた。
 ――その手にストックの手が重ねられ、顔を上向けさせられる。
「ロッシュ。良く無かったか」
 今度は間違った言葉は使わず――といって、正しいとも言い切れないものだったが――ストックが尋ねる。この上無く真剣なストックの目が、ロッシュを見下ろしてきていた。快感の幕を取り去った後の、真摯な視線。
「いや……まあ、男とヤッたのは初めてだしなあ。それでいきなり感じてたら、それはそれで」
「つまり、良くは無かったんだな」
「まあ……そうだな」
「すまない」
 酷く沈んだ様子のストックに、妙に罪悪感を覚えて、ロッシュはストックの背を叩いた。
「落ち込むなって、お前、ヤるの自体初めてなんだろ。初めは誰だってそんなもんだ」
「……そうなのか?」
「ああ。初めっからよがってる女が居たら、そりゃ演技か、女の方が相当慣れてるってだけだ。だからまあ、気にすんなよ」
「そうか……そういうものか」
 ロッシュの慰めが適当かどうかは分からないが、取り敢えずストックの心はいくらか楽になったらしい。納得した様子で頷くと、微笑んでロッシュの頬に手を這わせた。
「なら、ロッシュ。キスをしても良いか」
「……それは、誰かに聞いたのか? ヤった後はキスするもんだって」
「いや、俺がしたいだけだ」
 そう言って笑う姿は、やはり、全ての女性を魅了できるであろう程度には魅力的だ。ロッシュに男色の趣味は無いから、その美に心動かされることはない。だが。
「……そうか」
 それはそれとして、この親友に好意を抱いていることは、紛れもない事実だ。命を預けても良いと思える程、そしてキスくらいは構わないと思っている程に。
 ロッシュの手がストックの後頭部を這う。と、ストックの唇に己のそれを重ねた。
 ストックの目が、驚いた様子で見開かれる。だが直ぐにその目は細められ、やがて完全に瞼を閉じて、幸せそうに微笑みを浮かべた。



――――――



 さて、いくつか付け加えておくべきことがある。
 まず二人の行為だが、幸いなことに周囲に気付かれることは無かった。どこまでも器用なストックが、他人に気付かれないよう汚れ物を洗い、片づけてしまった為である。一体どうやったのかとロッシュは訝ったが、ストックはいつもの通り淡々と布を返してきただけだった。
 彼らの関係も、今まで通り何も変わっていない。最も信頼し合える親友同士として、時にぶつかり合いながらも、親しい交わりを続けている。
 そしてストックの周囲で、少し話題になったことがある。彼が元の通り、猥談に対して興味を失ったという話だ。一時期の熱心な反応はどこへやら、厭いはしないが話に加わることもない、以前のままの反応に戻っている。噂好きな男達などは、結局ソニアは諦めたのだ、いや実際に告白して玉砕したのだと、まことしやかに語り合っていた。一部の男は、ロッシュに直接祝いの言葉を伝えに来て、苦笑を浮かべさせりなどしている。
 勿論、ロッシュは真相を知っている。ストックはもう、噂から収集できる知識を必要としていないだけだ。不確かな他人の話を一々検討するよりも、直接実践で試した方が、より効率良く成長することができる。
「ロッシュ。そのうち、お前の部屋で飲みたいんだが」
 期待に目を輝かせて、ストックがロッシュに誘いをかける。その約束が締結されたことは今のところ無い、しかし。
「ロッシュ」







 最後にひとつ。

 ロッシュは相変わらず、ストックの我が儘に、弱い。













セキゲツ作
2015.07.02 「アナザーコントロール」にて発行
2017.01.09 web再録

RHTOP / RH-URATOP / TOP