スカラを解放した後に作られた、臨時の本陣。グランオルグへ攻め込む起点となる重要な箇所……ではあるのだが、元々のスカラは単なる交易都市に過ぎない。陣といっても本格的なものには出来ず、単に軍議用の部屋と将校達の個室を確保するため、宿を借り受けた程度のものである。ロッシュは一応実戦部隊を纏める総大将的な立場であるから、その宿に個室をひとつ充てがわれていた。ロッシュ本人は、部隊の者達と同じように街の外の天幕で休めば良いと訴えたのだが、ラウルの判断でそれは却下されたのだ。各国、各人種から集まった急拵えの軍であるから、誰が頭であるかを明確にするため扱いを差別化する必要があるというのがその理由である。そうはっきりと命じられてしまえば、それこそ総指令はラウルであるのだから、その決定を覆すわけにもいかない。
そんな経緯でスカラに居る間は個室を使うことになったロッシュだが、基本的に実務で忙しくしており、部屋に戻る時間はほとんどない。作戦実行が翌日に迫ったその夜も、各部隊を見回って声をかけた後、ようやく自分の部屋に戻って身体を休めていた。それでも明日からの行軍に備えるため、普段より早い時間ではある。鎧を脱いで軽装になり、ガントレットも外せる部分は外して、体力を回復することに集中する。セレスティアの戦いではストックと共に中央突破して将を叩いたから、本格的に部隊を指揮するのは、あの戦い――部隊を失い、己も死の淵を覗き込む大怪我を負った作戦行動以来のことだ。恐怖があるわけではない、ただ不安を一切抱かないといったらそれは嘘になる。だから問題となる要素は、可能な限り排除してしまいたかった。
そして全ての装備を取り去り、少し早いが寝台に横になろうとした時。

「……ロッシュ?」

小さく扉を叩く音がして、ロッシュの名が呼ばれた。声の主は、よく知った……それこそ、ここしばらくずっと行動を共にしていた相手。

「ストックか。開いてるぜ」
「ああ、入るぞ」

ロッシュが応えを返すと、扉が細く開かれ、ストックが滑り込んでくる。薄明かりの中で浮かび上がるその表情が妙に緊張しているように見えて、ロッシュは首を傾げた。明日作戦を開始するのだから、緊張しているのは不自然なことではない。しかしそれは普通の兵士の話で、どんな状況であろうとストックが緊張に襲われているというのは、かなり珍しい話だ。

「すまない、突然」
「別に構わんが、どうした? 何かあったのか」
「いや……そういうわけではないが」

言葉を切り、しばし考え込むように沈黙するストックを、ロッシュはじっと見守った。言葉を強いるつもりはない、普段不必要なことを(時に必要なことも)喋ろうとしないストックが相手であれば尚更だ。言いたければ言えばいいし、結局言葉にならずとも傍に居るだけで力になることもある。それは目の前の男自身が教えてくれたことだ。

「……頼みが、あるんだが」

そんなロッシュの様子に、心が決まったのか。ストックはようやく口を開くと、そんなことを言い出した。

「おう、何だ?」
「…………」
「俺に出来ることならするぜ、何でも言ってくれよ。まあ、明日からの行軍に差し支えない範囲にはなるが」
「……有り難う」

ロッシュの言葉に、ストックはふ、と息を吐いた。その割に表情の硬さが消えないことを心配し、ロッシュはストックを見守る……そんなロッシュに、ストックはぎこちなく頷くと、言葉を続けた。

「大したことじゃない。その……少しそこの寝台に、横になってくれないか」
「寝台に?」
「……嫌ならば、別に構わない」
「いや、んなことは無いが」

唐突な発言に、ロッシュの目が丸くなった。しかし親友の真剣なことには気付いていたから、特に問い返すことはせず素直に寝台に乗り、言われた通り仰向けに寝転がる。

「これで良いのか?」
「ああ。……そのまま、じっとしていてくれ」

そう言うと、ストックもロッシュに続いて寝台に上がり。仰臥したロッシュを跨ぐようにして、上に乗ってきた。

「…………」

太股のあたりに腰を据え、片手はロッシュの右手首に、もう片手はガントレットの部品が食い込む左肩に添えられる。その状態でしばらく考え込んでいたが、やがて右手も肩へと移動し、両肩に手を置いて上半身を押さえ込むような体勢になった。

「……?」

腕を前に突いているから、ストックの上半身はやや斜めに傾き、ロッシュに覆い被さる形となる。ロッシュから見れば、視界がストックの身体で覆われた状態だ。僅かな灯りが遮られてさらに暗くなった中で、ストックの金色の髪と白い顔だけが浮かび上がって見える。
ストックはそのまましばらく、何も言わずじっとしていた。ロッシュはその顔を見上げながら、ぼんやりと思考を巡らせる。頭の中は疑問で満ちていたが、普段あまり要望というものを出さないストックが言うのだから、余計なことは言わずに応えてやりたいという気持ちがあった。

「…………」

とはいえ、動きもせずずっと同じ体勢で居るというのも退屈なものだ。持て余した時間で頭が勝手に動き出し、押さえ付けられている感覚を追い、分析を始める。
上に乗られて両肩と太股を押さえ付けられている状態、ここから如何にして抜け出すか。上に乗っているのは自分より軽い男だが、体重の8割近くを自分を押さえるために使っているため、単純に筋力だけで態勢を変えるのは難しい。自由な箇所といえば右腕だが、そこだけを暴れさせても難しいだろう。もしくは動く範囲の脚を振り回して相手の体勢を崩してみるか、体重移動を誘発してやればそれに合わせて身体を飛ばすことができるかもしれない。しかし上手くいくかは相手の技量次第だ、相手が格闘に長けていればその程度の計算はできるだろうし、であれば逆に重心を移動することによりうまく自分の抵抗だけを押さえられる可能性が高い。中々難しい状況だが、とはいえ逆に考えれば、相手も自分を押さえるために両手両足を使っているのだ。どちらの手にも武器となる物は持っていないから、ここから攻撃に入るためにはどうしてもどちらかの手を外す必要がある。狙うとしたらその瞬間か。
……そこまで考えてロッシュは、上に乗っているのが自分の親友であることを思い出した。攻撃を警戒する相手でもないのに、放っておくとそんな方向にしか思考が動かないことに、若干の呆れを覚える。ストックに申し訳ないと思う反面、これが自分の性分なのだから仕方ないという諦めもあった。
そんなロッシュの考えを読んだわけでは無いだろうが、ストックは入ってきた時と同じように唐突に。ぽつり、と言葉を零した。

「……どう思う?」

答えるのが遅くなったのは、別段考えに没頭していたからからではなく、それがあまりに漠然とした問いだったからだ。話の流れが読めず、ロッシュは何度か瞬きをする間黙り込み。

「……えーっと、何をだ?」

結局考えても理解は難しく、間抜けにも問いに問いを返す羽目になる。しかしストックはそれに答えを返さず、ただじっと動かぬまま、ロッシュの目を見詰めていた。その真剣さにロッシュもそれ以上問いを重ねることもできず、ならば今までの行動で彼の言いたい事が示されているのだろうか、と思考を回して答えるべき事項を探し。

「……この状態から逆転する方法」「違う」

考えた末の答えは、やはりと言うべきか言下に否定さてしまった。それならば何を言いたいのか、分からぬ故の不満が顔に出ていたのかもしれない、ストックの表情が困った風に歪む。

「……例えば……何か、落ち着かないとか」
「落ち着かない? って、お前がか」
「いや、そうではなく……」

何度か、口を開いては閉じることを繰り返すが、結局続きの言葉は出てこない。見守るロッシュの前で、ストックは諦めたように口を閉じてしまった。

「…………」

そして左肩を押さえていた手を外すと、それをロッシュの胸に置く。撫でるというには強いが、押さえるという程には弱い。その圧力は何かを探り、確認しているようにも感じられた。
ロッシュは何を言って良いのか分からず、黙ってその動きを受け入れて、されるがままにストックを見上げていたが。しかしふとその掌が、じわりとした熱を持っていることに気づいた。発熱、というほど顕著な熱さではないが、平常よりは……少なくともロッシュの体温よりは高い、そんな微妙な熱。

「……ストック」
「っ……!」

自由な右手でストックの右手を掴む、途端にストックが弾かれたように震えた。その目が驚きに見開かれているのを不思議に思ったが、それについての追求はせず、まずは掌を重ねてその体温を確かめた。……やはり、普段より少し暖かい。

「お前、体調でも崩したか? 何か手が熱い気がするんだが」
「…………」
「ストック?」

押さえつけられる力はとっくに消えていたから、ロッシュは無造作に上半身を起こし、ストックを間近から覗き込んだ。右手を離して額に手を当て、体温を確認する。

「熱は……ねえな、良かった」
「……お前は……」
「ん、どうした?」
「…………」

はあ、とストックが溜息を吐く。それは呆れというような、疲れたような、諦めたような……実に複雑な色合いを有していたが、ロッシュにその全てを読みとることは出来なかった。

「身体は大丈夫だ。別段不調は無い」
「まあ、確かに熱は無さそうだが……本当に、大丈夫なのか?」
「ああ。心配かけて、すまない」
「いや、そりゃ別に良いんだが」
「突然すまなかった。……そろそろ戻る」

ふ、と苦笑に近い笑みを浮かべると、ストックは寝台から下りる。その様子が平静だとはロッシュにはとても思えなかったが、だからといって何がおかしいのかも指定できず、結局何も言えずにその姿を見送るしかできない。

「……明日は、行軍を開始するからな。不安なことがあるなら、ちゃんと言っておけよ?」
「本当に大丈夫だ。お前こそ、気になることは無いのか?」
「別に俺は何も無いが……」
「そうか、それなら良かった。明日から、宜しく頼む」

そう言い置いて扉に向かうストックの後ろ姿に、ロッシュは追いかけるように声をかけた。

「ストック」

明確な考えがあったわけではない、しかし彼の様子が普通で無いことには気づいていた。だから、ふと思いついた可能性を、そのまま口に上らせた。

「お前、何か悩みでもあるのか?」
「…………」

扉を開こうとした手が止まる、しかし振り向かないままの背に、ロッシュは言葉を続ける。

「……言いたくないなら無理には聞かんさ。だが、説明なんぞしなくても良いから、俺で出来ることがあれば何でも言ってくれよ?」
「…………」
「お前はすぐ、一人で抱え込むからな。ちゃんと頼ってくれよ。……親友だろ」
「……そうか」

ストックが振り向き、ロッシュを見据える。その表情は、付き合いの長いロッシュであっても読み取ることのできない、複雑な感情が入り交じったものだった。

「そうだな、いつか……いつかお前に、言うことがあるかもしれない」
「おう」
「その時は……その時、まだその気持ちが残っていたら……」
「?」
「…………その時は、頼む」

そう言って、ふっと緩められた、その笑みにも似た表情に。込められた思いが読み取られることは、今はまだ無い。

「ああ、任せとけ」

だからロッシュは、親友を安心させたいとそれだけを考え、今の彼が考えられる精一杯の笑顔を浮かべる。それが当の相手に、どう見えているかは気づかないままに。

「……では、俺は部屋に戻る」
「おう。しっかり休めよ」
「お前もな、ロッシュ。……明日から、しっかり働いてくれよ」
「任せとけって。今までサボってた分、倍にして返してやるぜ」
「……ああ、頼りにしている。ではな」

最後に僅かな笑みを残し、ストックは扉の向こうに消えた。その様子がいつもの通りに戻っていたかは、ロッシュには分からない。彼はいつでも表情を消して自分の感情を隠すから、親友であっても分からないことはいくらもある。
ただ、その心に宿った憂いが晴れればいい、と。いつかその為に協力を求められるなら、その時は持つ力全てで支えてやろうと、思いを決めて。

「……よし、寝るか」

そのためにはまず、明日からの戦いに勝利し、世界の未来を繋がなくてはならない。万全の態勢で軍を率いるため、改めて寝台に潜り込んだ。



セキゲツ作
2011.05.05 初出

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