目を閉じたいのをを必死で堪えて、口を開いた。その言葉を発した瞬間は思わず瞼を閉じてしまったが、直ぐに開くことが出来たから何とか長めの瞬き程度で済んだはずだ。一瞬の闇から復活したキールの視界の中心で、ロッシュは相変わらず驚いたような困ったような、実に微妙な表情をしている。就寝前の部屋に押し掛けたのだから当然だが、砦の中なのに鎧も着けずに薄手のシャツを一枚着ただけで……その姿を意識したらたまらなくなり、気づいたらもう一度同じ言葉を繰り返していた。

「好きです」

一度口にしたらもう歯止めは効かなくなってしまったようで、今度のそれはするりと発することができた。しかしそれで、同性の部下から告白されている、というロッシュの状況が変わるわけでもない。むしろ繰り返された分だけ、先ほどよりももう少し、ロッシュの困惑は深くなったように感じられる。

「ああ、そりゃ……ありがとよ」

そしてしばらくの間を置いてようやく返ってきた言葉に、キールは軽い脱力感を覚えた。多分彼は自分が何を言いたいのか分かっていない、恐らくこれが愛の告白だとも気づいていないだろう。しかしそれも仕方が無いことなのかもしれない、まさか自分の部下に恋焦がれられているだなんて、普通なら想像もできないことだ。

「そうじゃなくて……好きなんです」
「何だ、どうしたいきなり?」
「好きなんです、隊長のことが」
「そりゃ有り難いが、夜中にいきなり部屋に来て言うことか? 何かあったんなら……」
「だから、そうじゃなくて」

何とか伝えたい、しかし伝わらない思いに気持ちは焦れるばかりで。焦燥が走るままにロッシュの言葉を遮り、自らの感情を叩きつける。

「愛してます、隊長!」

しかし口に出してしまえば、それはいっそ恥ずかしい程に直裁な言葉にしかならなかった。ただでさえ冷静さを失っていたキールの頭に、さらに血が集まるのが感じられる。顔が熱い、キール自身は自分の顔を見ることは敵わないが、ロッシュの目からは茹でたにんじんのように赤くなっている顔が確認できただろう。
だがそれに対して、ロッシュの表情は変わらないままだ。驚き混じりの困惑を浮かべ、どう答えようかと考えているのが丸々伝わってくる顔で、キールを見据えている。

「お前……」
「好きです、愛してます! あなたのことが好きです!」

何度も積み重ねれば、それが相手の心に届くかのような。いや、それともただ抑えていた気持ちを伝えられることに酔っていたのかもしれない、もはやロッシュの反応を伺う余裕もなく、繰り返し感情のままに言葉を重ねていく。ロッシュはそれを呆然と見守っていたが、やがて小さくひとつ溜息を吐いた。

「……分かった、分かったから落ち着け」
「自分は、落ち着いていますっ!」
「何処がだ。良いからとりあえず黙れ、そんで一回深呼吸しろ」

決死の覚悟で行った告白に返ってきた反応として、これは当然満足のいくものではない。しかし短期間ではあるが徹底的に絞られた軍隊生活により、上の者からの命令は絶対だと教え込まれた身体が、勝手に動きを停止してしまう。そして何より敬愛する隊長の言葉には逆らえるはずもなく、しぶしぶながらキールは一度言葉を止めた。そして大きく息を吸って吐き出す、その隙にロッシュが言葉を紡ぐ。

「そうか、分かった……」
「わ、分かってくれましたかっ!」
「お前が疲れてるのが、よく分かった。悪かった、気付いてやれなくて」
「……!」

妙にしみじみと言われてしまい、キールは一瞬、反論すら忘れて絶句する。

「そっ、そんなんじゃあ……自分は……」
「こっちに駐留して結構長いからな、色んなとこで無理が溜まってたんだろ」
「違います、そうじゃない!」

嫌悪されるかもしれない、とは思った。いや、むしろ受け入れてもらえるなんて、最初から考えてすらいなかったのかもしれない。男に恋情を抱かれても普通の男は喜ばないものだ、キール自身にしても他の相手から愛の告白などをされたら、全力で逃げ出す自覚がある。ロッシュにしたところでそれは当然同じことで、だからこの思いを伝えたところで何がどうなるとは考えていなかった。
ただ、伝えたかった。嫌われても疎まれてもいい、もう一人で抱え込むことには限界が来ていた。
全て自分の我儘だと分かっている、だから否定される覚悟は出来ている、そのつもりだった。だがこの感情自体を否定されるのは、存在自体を無かったことにされるのは、あまりに辛い。

「少し落ち着いて考えれば分かるだろ、お前結構とんでもないことを言ってるぞ」
「それは、重々承知の上です。ですが」
「いや、今のお前はまともな判断が出来てねえ状態だ。今考えたことは信用するな」
「そんな……」

取り付く島もない、とはこういうことを言うのだろうか。真剣な顔で、でも少しだけ困った色を浮かべて話すロッシュは、優しいくせに頭からキールの言うことを否定して掛かっている。

「まだ経験が浅いから分からんだろうが、最前線に居るってのは、例え待機中でも、思った以上に抑圧がかかるもんだ。意識できないうちにちょっとずつおかしくなって、ある日とんでもない形で爆発したりする」
「隊長は……俺が、おかしくなってるって言うんですか」
「まあ、言葉は悪いがな。俺もお前には色々頼っちまってたから、それが一因かもしれんし」
「それは、むしろ光栄ですから!」

慌てて叫ぶ、これをきっかけに隊長補佐の役割を外されてはたまらない。空位となっている副隊長の代わりとしてロッシュの手伝いをしているキールだが、彼自身はそれを何より嬉しく、また誇りに感じていた。敬愛し、憧れる人物の直ぐ傍で手伝いができるのだから当然である、それを取り上げられてしまってはたまらない。しかも嫌われて、というならまだ諦めも付くが、単なる誤解が原因では泣くに泣けないではないか。

「ともかく、今のところは忘れておけ。今直ぐってわけにはいかんが、次の作戦が終わったら、一旦アリステルに帰還できる予定だ」
「そ、そんな」
「戻ったら娼館にでも行ってすっきりしてこい、奢ってやるから」
「……そんな……」

ロッシュの言葉に、すう、とキールの頭から血が下がる。

「隊長は……自分が単に、その……」
「まあ、若いうちは仕方ねえさ。結構そいうことってのはあるもんだ」

ふ、とキールの中で、何かが落ちる感覚があった。この人は、自分の気持ちを単に性欲が溜まっての暴走だとしか考えてくれていない。どれだけ言葉を尽くして語っても、それは何ひとつ届いていなかったのだ。
だったら。それなら。

「……隊長っ!」
「うわっ……おい、馬鹿やめろ」

寝台に腰掛けたロッシュに、キールは思い切り飛びかかり、身体を押しつけた。布越しに感じるロッシュの体温に、理性など一瞬で消し飛んでしまう。こんなふうに触れてみたかったのだ、ずっと。

「隊長、隊長……好きです」

殆どうわ言のように呟きながら、その身体を寝台に押し倒そうと体重をかける……が、逞しいそれは当然のようにびくともしてくれない。両肩に手をかけて渾身の力で押しても、同じだけの力で押し返されてしまう。

「だから、落ち着けって言ってるだろ!」
「じ、自分は本気です! 隊長……!」

それでももっと近くに行きたくて、口付けようと顔を寄せる。しかしそれもやはり、ロッシュの手によって阻まれてしまった。額を大きな手で押さえられてしまえば、キールがどれだけ力を込めても、それ以上近づけることはできない。手首を掴んで額から引き剥がそうと試みても同じ事だった、普通より遥かに重量のある鎧を着こなす肉体は、数ヶ月間鍛えた程度のキールに歯が立つものではない。

「隊長、愛してるんです……本当に、自分は、本気で」

情けなさに涙が出そうになる。思いを込めた言葉をまともに受け取ってすらもらえなくて、実力差も考えず押し倒そうとして見事に失敗して。むしろ嫌われて断られたほうがマシだったんじゃないか、とすら思えてきた。
押すことを諦め、ロッシュにしがみついたまま項垂れるキールに、ロッシュはやはり困った様子で息を吐いた。

「本気ってのは、本当に本気か」
「本当です! 錯覚なんかじゃなくて、本当に隊長のことを愛してます!」
「そうか……」

ふ、とロッシュの表情が厳しくなる。

「本気だってんなら、少しくらい待て」
「え……」
「本当に本気なら、待つくらい出来るだろ。今ここでしか言えないなら、それは単なる勢いだけってことだ。聞く価値もない」

キールの脳に言葉の意味が浸透するまで、しばらくの時間がかかった。そうして理解できた内容は、彼の表情を困惑に変える。

「ええっと……それじゃ自分は、いつまで待ったら良いんですか」
「だから、この任期が終わって町に戻って、それからしばらくして疲れが抜けるまでだ」
「そんなの、ずっと先じゃないですか!」
「それくらい待てない程度の本気なら、今聞いたって同じことだろう」
「……」

ずるい、と心の中で呟く。そんな正しい言葉を並べられたら、それ以上無理に押すことなどできなくなってしまう。

「……それなら、それだけ待ったら、次はちゃんと聞いてくれますか」
「ああ。落ち着いてから改めて考えて、それでもまだ言うことが残ってるんなら、ちゃんと聞いてやる」
「本当に、ですか? その時になって、まだ冷静じゃないとか言いませんか?」
「くどい。聞くと言ったら聞く、だから今は何も言うな」

それなら、とキールは呟いた。それなら信じて待とう、だってこの気持ちは少し時間を置いたくらいで消えるものではないから。それを証明して、今度こそ彼に思いを伝えてみせる。

「……分かりました。戦いが終わって、町に帰ったら……今度こそ自分の話を聞いてもらいますから」
「ああ。その時まだ言うことがあれば、な」

相変わらずキールの言葉は信じてもらえていないようだが、今はそれで構わない、と思える。全てを否定されたわけではない、戦いが終われば、聞いてもらうことができるのだから。
そう、次の戦いが終わって、アリステルに戻るまでは。

「よし、分かったなら今日はもう寝ろ。作戦まであと3日だ、体調を整えるのも準備のうちだからな」
「はい! その……夜中に押し掛けて、申し訳有りませんでした!」

名残惜しく触れていた身体を引き剥がし、いつもの距離に戻る。
今は、この距離のままで待とう。彼に本気を納得してもらえるまで。
次の戦いが終わったら。そして町に戻ったら。

心の中で呪文のように繰り返しながら、キールはロッシュの部屋を辞した。




セキゲツ作
2011.04.24 初出

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