触れて、抱き合って、重なって。親友の域など遙かに越えた深さで繋がって、共に目眩のような時間を越えた、奇跡とも思える瞬間。あの時確かに、不安は明るく取り払われていた。深い信頼を抱え、包まれ、何も恐れるものなど無いと立ち上がり。
 だがそれは、長く続く時間の中の、ほんの一部を切り取っただけのものにすぎない。切り拓かれたように見えた行く先は、時を進めるに従い、じわりじわりと周囲の闇に蝕まれていく。過去の幸福に縋っても、未来を信じて歩んでも、消える光を留めることは出来ない。始めは小さく、だが確実に広がっていく絶望の虚は、かつて抱えていたものだけに酷く恐ろしく感じられた。
 一度の接触で、満足してくれれば良かったのに。悪夢から目覚めたストックは、肺に籠もった熱と共に、自責に彩られた息を吐き出す。定期的に訪れる夢は、かつてのような頻度こそ無くなったものの、完全に消えてくれる気配が無かった。悪夢が途切れることはない、それ自体はあの時既に覚悟していた。幸福で塗りつぶしたとしても、傷自体を消すことはできない、それが生み出す恐怖もきっと残ってしまうと。だから夢自体は仕方がないと思う、恐ろしいのは、一度減った回数が最近少しずつ増えてきていることだ。
 不安は、恐怖は、無くならない。いつかは消えてくれるのだとしても、それはストック自身が少しずつ変容し、長い時間をかけて削った結果だろう。何かをきっかけにして魔法のように消えて失せるなど有り得ないと、ストックは自分でそう理解していた。だが分かっていても、広がる穴は、溢れる絶望は、耐え難いものがある。
 逃げても逃げられない、忘れても忘れられない。それが出来るなら、最初から何もしなかった。直ぐ足下まで迫る絶望から、逃げ続けた先に何があるのか、ストックは既に理解している。そしてそれを防ぐために、何をするべきかも。
 開いた穴の内側に落ちて、全てを失う前に。例え一時の誤魔化しであっても、埋めてしまわなくてはならない、だから。



「ロッシュ、今夜は空いているか」
 唐突に執務室を訪れ、挨拶もそこそこにそんなことを訪ねてきたストックに、ロッシュは目を瞬かせて応えた。勿論それが回答というわけではなく、単に唐突すぎる問いに反応が遅れているだけだろうが。
「飲むぞ」
 たっぷり数秒はあった沈黙を、ロッシュが途切れさせるよりも先に、ストックが言葉を重ねる。それでようやくロッシュも、話の流れが掴めたようで、不明瞭な呻きと共に手にしたペンを放り出した。
「今日は無理だ、仕事が終わらん」
 あっさりと断られたストックの眉根に、深い皺が寄るのを横目に見ながら、ロッシュは卓上の暦を手に取る。仕事の予定を確認している、ということは一応、誘いに応じてくれるつもりはあるのだろう。現金にも表情を緩めたストックに、ロッシュも苦笑を浮かべながら、束になった書類の山をぱらぱらと捲る。
「いつなら良い」
「まあ……一週間後なら、何とかなるな。それで良いか」
「分かった、譲歩しよう」
「何偉そうに言ってんだ、お前は」
 冗談の強さで背を叩かれ、ストックが拗ねたような顔になる。そんな顔すんなって、とロッシュに言われたが、対して返すのは態とらしい溜息だ。
「この間は、言ったその日に付き合ってくれただろう」
「ん? あー、そりゃまあ、あの時はなあ」
 一瞬、ロッシュの視線が宙を泳ぎ、言及された記憶に辿り着いたのか表情が微妙なものに変わる。そんな親友の顔を、ストックは不機嫌なふりのまま観察した。初めてロッシュを抱いた夜は、大切な記憶としてストックの中に残っている。だが人というのは残酷なもので、同じ出来事をどう受け止めているかは人それぞれだ。ストックにとっては幸福な真実でも、ロッシュにとってはどうだったかは分からない、一夜限りの過ちとして脳から追い出していることも考えられるのだ。
「あの時はお前、随分切羽詰まってたみたいだし」
「今はそう見えないか」
 普段と違い、視線を真っ直ぐに合わせようとしない親友に焦れながら、ストックはロッシュを見詰め続ける。その気配を感じたのか、ロッシュがふっとストックを見たが、やはり直ぐに視線は逸らされた。断り文句を考えてでもいるのだろうか、悪いことばかりが脳を巡る、そんなストックの顔をロッシュが軽く叩いた。
「だから、そんな顔すんなって。一週間くらい待てよ」
 苦笑混じりに言う親友が何を考えているのか、ストックには分からない。喜んで枕を交わしてくれたとも思っていないが、ならば一体どんな思いであの時自分を許してくれたのか。そして今も。
「……飲む場所だが。また、お前の部屋で良いか」
 明確な意図を示すために、選択された場所に、ロッシュの表情が微かに動く。だがそれは想像していたよりも遙かに小さなもので、動いたと思ったら消えてしまったそれがどんな形だったのかすら、見て取ることはできなかった。驚きなのか嫌悪なのか、それとももっと別のものか。ふと、ロッシュの目が動き、ストックと視線を絡めた。静かな色に、ストックの心臓が動く。
「ああ、分かった」
 ロッシュは分かっているのだろうか、ストックが望むものが何なのかを。分かっていて、その上で受諾を返してくれたのなら、ストックの心も救われる。いや、もっと理想的なのは、ロッシュも同じ気持ちで――
「心配するな。今度は妙な酒は持っていかない」
「当たり前だ、馬鹿」
 だがそれは、余りに贅沢な望みだ。ロッシュは男だ、男と肌を重ねるのを積極的に望む筈が無い。それでも誘いを受け入れてくれる、その事だけでも十分だと、ストックの口角が微かに持ち上がる。
「では、一週間後にお前の部屋だな」
「分かった。仕事、終わらなかったら手伝ってくれよ」
「自分の仕事だろう、自分で終わらせろ」
 普段の調子を取り戻したストックに、ロッシュの表情も少しだけ柔らかくなった。一週間後、口の中でそれを繰り返して、ストックは小さく頷く。
「それじゃあ、せめて邪魔してないでとっとと自分の仕事に戻れ。こっちはお前程仕事が速く無いんだよ」
 冗談めかして、だが恐らくある程度の本気を含めての追い出しを受けて、ストックは立ち上がった。呆れたように肩を竦めるのは、冗談を冗談で返すためでもあるし、内心の高揚と恐れを隠すためでもある。
 一週間後、ロッシュがどんな反応をするのか、まだ分からない。同じ部屋に行くのを承知してくれたのだから、望みが無いではないと思うが、それでも恐怖は残っている。だが今はこれ以上を知ることは出来ない、昼の光の中では、ロッシュは何も言ってくれないだろう。全ては一週間後、あの部屋で。
「……ストック」
 一瞬のうちに巡った思考、その間に注いだ凝視に、ロッシュは逸らしかけた視線を再びストックに戻す。僅かの間見詰め合った、その強さに呼吸が止まって。
「また、来る」
 ストックは耐えきれず視線を外し、踵を返す。駆け出す勢いで飛び出した扉の後ろ、残されたロッシュがどんな表情をしていたか、確かめることは出来なかった。



――――――



 そして、長いようで短い一週間が過ぎた後、やってきた約束の夜。向かい合う二人が交わしていたのは、口づけでも甘い言葉でもなく、鋭く剣呑な視線だった。
 一応は酒宴の用意もしたのだが、二人とも喉を湿らせる程度の量しか飲んでいない。杯を一つ、干すか干さないかのうちに、耐えきれなくなったストックがロッシュの座る寝台に移動したのだ。ロッシュは少しばかり驚いた、というか引き攣った顔をしていたのだが、それを気遣う余裕はストックに無い。拒まれないのを良いことにロッシュの隣、密着は出来ないが手を伸ばせば触れられる程の近さに腰を下ろして、ロッシュを見遣る。些か強引に接近してきたストックに、ロッシュも拒みこそしないが、受け入れるともいえない表情でストックを見返した。
 しばらくそうして、互いに鋭い視線を交わし合う。勿論、僅かな間に親愛が憎しみにすり替わったなどということではなく、ただひたすらに緊張のためだ。初めの一度は、追い立てられる勢いのままにストックがロッシュを押し倒し、行為を進めていた。薬が入っていたせいもあり、二人共に余計なことを考える隙など無かったのだが、今回もそうなるわけにはいかない。再び勢いのみで抱き合ってしまえば、ロッシュの意思は分からないままで、ストックにいつまでも怯える心が残ってしまう。だから今日は、酒や薬で理性を麻痺させることなく、そのままの心で向き合おうとストックは決めていた。その結果が、今の睨み合いである。
 触れることを望むストックの指が震えたが、それらは希望とは逆の方向に握り込まれる。共に部屋に来てくれて、酒も口にしてくれた。だがそれ以上、ストックが本当に望むところまで進むことが出来るのか、どうしても自信が持てない。触れた瞬間に、ロッシュの表情が嫌悪で歪みでもしたら、どんな感情が宿るのか自分でも自信が持てなかった。
「ストック」
 ぐるぐると思考を巡らせるストックを、ロッシュが呼ぶ。と同時に、ロッシュの指が、ストックの眉間を押さえつけた。
「何て顔してんだよ、お前。ちょっと落ち着け」
 そしてそのままぐりぐりと、指先を押しつけてくる。皺を伸ばしているつもりなのだろうか、しかし愛嬌のある動作も、ロッシュの馬鹿力で為されては少しばかり痛い。ストックは、伸ばされた筈の眉間をさらに顰めつつ、ロッシュの手首を掴んで強引に下ろさせる。
「何をするんだ」
「そりゃこっちの台詞だ、負け戦の時より険しい顔して睨み付けやがって」
 押さえる力に抗うつもりは無いようで、大人しく退いた手は、ストックによって寝台の上に押し付けられている。どう進んだものかと思っていた一線を、勢いのまま踏み越えて触れた肌に、一拍遅れてストックの心臓が動いた。
「ちょっと落ち着け、つか何か喋れよ。睨み合いたくて呼んだわけじゃねえだろ」
「――当たり前だ」
 握り締めていたストックの掌に比べ、ロッシュの手首はひやりとしている。少しばかり飲んだ酒では、体温を上げるまでには至らない。それともここは外気に触れる末端だからか、内臓に近い体幹はもっと暖かなのか。その温度を想像して、思考の一部が熱く疼いた。
「だが、良いのか」
 触れても。手ではなく、もっと深い箇所に。本来ならば、親友同士では有り得ない接触を、ストックは求めている。確かに一度抱き合いはした、だがその時は卑怯な手段で正常な状態から追い落としての話で、今と条件は全く異なる。肉体の逼迫を失って、それでも触れ合ってくれるのかと、問いかけを込めてストックはロッシュを見詰めた。
「まあ、そう、改めて聞かれると何だがな」
 ロッシュは気まずそうに目を泳がせ、視線を逃がす。肯定とも否定ともつかない曖昧な反応に、焦れたストックの目付きが険しくなる。
「やはり嫌なのか」
「そういうわけじゃねえって」
「ロッシュ。嫌なら嫌だと、言ってくれ」
 欲しいのはロッシュ自身の許し、傍らに居て特別を許してもらっているという確信なのだ。いくら心身が強く求めていようとも、強引に事に及ぶ気など無い。そんなことをしても何も得られないのは、実行せずともよく分かっている。
「嫌だっつったら、止めるのか?」
「ああ」
 ストックの衝動を、求める行為を、嫌悪しているのならば正直に言って欲しい。既に遅いかもしれないが、これ以上ロッシュに嫌われたくないと、その思いは本当だった。だがロッシュは、迷い無く頷いたストックを、懐疑の目で眺めている。
「止めて、それでお前はどうするんだ。一人でどうにか出来るのかよ」
 そして投げられた指摘は、残念ながら過たずストックの真実を抉っている。確かにここでロッシュに拒絶され、部屋から去られてしまえば、揺らいでいる精神がどうなるかは分からない。それが当然の結末だと納得するのは、理性だけなら可能かもしれないが、感情の領域までは不可能だと断言できた。封じ込めようとも湧き出す絶望が、悪夢を通じて現実世界まで侵食し、また均衡を崩してしまうことが容易に想像される。悲愴な顔で黙り込んだストックの前で、ロッシュは静かに苦笑した。
「ったく、お前は」
 押さえる、という形骸だけを残して置かれていた手の下から、ロッシュの手が消える。無造作に引き抜かれたそれを、ロッシュはストックの肩に置き、ぐいと抱き寄せた。
「良いから、好きにしろよ。覚悟が無かったら、ここに来る前に断ってるって」
 身体の前面に、体温が触れる。宥めるような口調で、望んでいた言葉を与えられて、ストックの息が詰まった。両手をロッシュの背に回して、恐るおそる大きな身体を抱き締める。抵抗が無いことを確認して、もう少しだけ強く。同じだけの強さで、ロッシュの腕も力を返してくれる、それが嬉しかった。
「いいんだな」
 そしてストックは顔を上げ、ロッシュの頭部に近付けて、一瞬躊躇った後唇を触れさせる。引き結ばれたロッシュの口は、驚きにか微かに震えて、だが逃げることはせず接触を受け入れてくれた。
「本当に、良いんだな」
 少しだけ頭を話して、隙間から押し出した言葉に、ロッシュが苦笑する。
「何度も聞くなよ。断らせたいのか」
「まさか。だが」
 抱擁は、口付けは、幸福だ。体温を分け合い、近くに居ることを実感させてくれる、その行為が嬉しくないわけがない。勿論拒否されれば苦しい、苦痛は絶望に、そして新たな悪夢にも繋がるかもしれない。だがそれでも、先に待つのが苦しみだけでも。
「お前が嫌なら、意味が無い」
 触れて得るものが、単なる行為のみなら、それこそが悪夢だ。そんなことをストックは望まない、身体だけを繋げて終わるなら、もうこの先は知らない方が良い。
 ストックの真剣な面持ちに、ロッシュも何かを感じたのか。背に回していた手が前に戻しされ、ストックの頬を包み込んできた。こつりと、額同士がぶつけられる。
「本当に、不器用な奴だな」
 近付きすぎて顔は見えないが、それでも苦笑する気配は伝わってきた。頬に触れた掌が暖かい。誘われるように、ストックも片手を外し、ロッシュの手に重ねる。
「知ってるだろうが、俺は別に男が好きってことはねえんだ」
「……ああ」
「だから、まあ……大喜びで挑むとか、そういうわけにはいかんが」
 呟かれ、ストックは低く呻いた。暗くなったストックの表情を察したのか、手に軽く力を込められ、親指で頬を撫でられる。ざらついた指先の感触がくすぐったく、ストックは軽く目を細めた。
「お前がしたいんなら、それを拒むつもりはねえ」
 ロッシュの声音は真剣で、嘘や誤魔化しではないということが、ストックには感じられる。ロッシュはこんな時に、都合のいい嘘を吐ける男ではない、付き合いの長いストックはそれをよく知っていた。
「ストック、お前のそんな顔が消えるなら、いくらでも」
 そこにあるのは、ひたすらに真摯な思い。友情とだけ呼ぶには、それはあまりに強すぎたかもしれないが。
「抱くなり何なり、好きにしろよ。俺は、構わんから」
 ただの友人が、ここまでを許してくれる筈が無い。彼らは恋人ではない、まして夫婦になれる筈もなく、だが間違いなく誰よりも深く近い距離にある。ロッシュの覚悟は、それをはっきりと証してくれていた。
「ロッシュ」
 それこそが、ストックの欲しかったものなのだ。痛むほどに高鳴る心臓を抱えて、ストックは両手でロッシュの顔を包んだ。拒みも逃げもしない顔に、今度はもう少し強く長く口付ける。
「――まあ、出来れば、何でこんなことをしたいのかは知りたいが」
 何度か角度を変えてから離れた口で、ロッシュがぼそりと呟いた。吐き出された息が唇に当たる、その距離のままでストックは動きを止める。
「……それは、この前」
「それだけじゃねえだろ。心配かけてるのは分かるが、それだけでお前がここまでなるとは思えん」
 ストックの目が揺れる、それが見えた筈も無いのに、ロッシュは優しくストックの背を撫でてくれた。お互いに閉じようとしない瞳の中で、互いの虹彩がぼやけた色で浮かんでいる。
「この間も、言えないことがあるって言ってたな」
「ああ」
「今もやっぱり、言えねえか」
 薄い青が広がるストックの視界に、朱が滲んだ。幻だ、ロッシュの言葉が引き出した、記憶の中の光景。誰かに、あるいはストック自身に命を絶たれたロッシュの姿が、ぼやけた中に過って消える。
「……すまない」
 微かに手が震える。言ってしまえば良いのかもしれない、だが口に出すことはやはりどうしても出来ない。それはロッシュに負担をかけたくないためか、それとも言葉にすることで過去が現実に近付くのを恐れているのか。
「全くだ」
 あるいはその全てなのかもしれない、あらゆる不安がストックの口を閉ざし、記憶を表にすることを拒んでいるのかも。どちらにしろ、ロッシュに真実を告げることは出来ない、肩を落としたストックの顔を、ロッシュがまた優しく撫でてくれる。
「だがまあ、聞かなきゃ出来んってわけでもねえ。無理だっていうなら、仕方がない」
「ロッシュ」
「いつか、話してくれよ。そのうちで良いから」
「……ああ」
 ロッシュの目には穏やかな慈愛が湛えられていて、それがストックの痛みを和らげてくれる。優しい眼差しに誘われて、ストックは再び、ロッシュに口付けた。ロッシュも、まだ緊張を残してはいたが、受け入れる形でストックの唇に触れてくれる。少しの間、身じろぎせずに接触を続け、その感覚を噛み締めた。そして、意識せずに止めていた呼吸を継ぐタイミングで、角度を変えて深く触れる。
「ロッシュ」
 一度踏み込んでしまえば、後はもう止まらない。柔らかだが薄い、見た目の印象通りの感触に心臓を踊らせながら、僅かに離れては押し付ける動きを繰り返す。ロッシュの方には、さすがにそこまでの積極性は無かったが、それでもストックに合わせるようにして動きを返してくれていた。頬を包んでいたストックの手が後頭部に回り、硬い髪を掻き回す。
「ストック」
 呼吸の合間に名を呼ばれ、さらに心臓が高鳴った。一度強く押し付けてから唇を離し、距離を取ってロッシュの顔を見詰める。焦点を結んだ視界の中で、ロッシュの目は真剣な、強い眼差しを以てストックのことを見ていた。
 そこにあるのは、拒絶ではない。嫌悪でも怒りでも糾弾でもなく、ただストックに向けられた、痛い程の愛情だ。
「……ああ」
 肩に手を下ろし、柔らかく掴む。はっきりとした衝動が、ストックの身体を動かしている。己ですら持て余す強さのそれを、ロッシュは受け入れてくれるのだ。恐怖と幸福がない交ぜになった心持ちで、ストックは左腕に手を滑らせ、金属に触れた。
「外すか?」
「あ? ああ、おう」
 以前に抱き合った時のことを思い出し、ガントレットに注意を向けると、ロッシュもその存在を意識して視線を遣る。金属で出来たロッシュの左腕は、戦いの時にはこの上無く頼れる武器になるが、寝台の上でまで付けているものではない。外してしまおうとストックが手を伸ばすと、ロッシュがそれを遮り、自分で接続部に指を滑らせる。
「自分でやるよ、これくらい」
「遠慮せずともいい」
「いや、遠慮っつーかな。別に良いから、自分の服でも脱いどけ」
「……脱がせるのが良いんだろう」
 不満げに零すストックに、ロッシュの呆れた視線が刺さった。それをさらりと受け流し、ストックはひょいと肩を竦める。
「分からないか」
「さっぱり分からん」
「呆れた男だな。入れて出せばそれで満足、とでもいうのか」
「……お前なあ。平然と言うなよ、そういうことを」
 くだらない会話を交わしながら、ロッシュが手早くガントレットを取り外す。肘にある稼働部の固定を解除し、そこから先を身体から切り離すと、寝台から降りて部屋の隅にある卓へと向かった。脱いだまま放り出していた上着で、ガントレットをぐるりと包み込むと、卓の上に置く。そしてそのまま、自分の服を脱ぎ捨て始めるのを見て、ストックも諦めて自らの服を脱いだ。
「機微の分からん奴だ」
「知るか。ほら、やるんならやるぞ」
 下着までを取り去り、あっさりと全裸になったロッシュが、再び寝台の上に乗る。同じく肌を晒したストックが、逞しい裸身の上に走った幾筋もの跡を、指でそっと辿った。いくつかの傷は先日の遠征で加えられたもののようで、まだ僅かに生々しさを残している。治療で既に塞がってはいるが、元は深かったであろうそれらに触れ、ストックは瞼を伏せた。
「痛むか」
「いや? もう治ってる、大丈夫だ」
 傷を気にして行為を中断するとでも思ったのか、ロッシュが軽い口調でそんなことを言う。ストックが抱える思いを、やはりこの親友は分かっていないのだろう。戦いで受ける傷、そしてその先にある結末への恐怖を、ロッシュは何度説明しても理解してくれない。ここでもう一度繰り返したとしても、結果は同じだろう。だからストックは、静かに苦笑するのみで、ただロッシュとの距離を詰める。
「ロッシュ」
 握り締めた手の温度は、ストック自身が自覚できる程熱い。性欲を抱えて親友の身体を見るのは久し振りだが、その感覚は不思議な程自然に、ストックの身体に兆している。少しずつ上がる息と体温を抱え、肌が触れる程近付いた。一息に抱き締めてしまいたい欲を抑え、胸のあたりを擽るように触れながら、軽く口付ける。
「……やる気は、十分みたいだな」
「何を今更。ここまで来ておいて、俺から引くわけがない」
「まあな、そりゃそうだが」
 ロッシュの方は、ストックよりももう少し余裕が感じられる。右手をストックの頭に回して柔らかく髪を梳く、その表情は相変わらず、困ったような微笑だ。それが不満で、挑むような視線を投げるストックに、一瞬ロッシュの目が揺らぐ。
「だが正直、その場になったら役に立たない、ってことも考えてたんだよ」
「……それは、お前がか?」
「いや、お前が」
 苦笑しながら言われ、ストックがじっとロッシュを見る。ロッシュの手がストックの髪をかき回したが、さすがにそんなことでは誤魔化されない。
「ロッシュ、お前ひょっとして、前のことを覚えていないとか」
「いやいや、そりゃねえって、ちゃんと覚えてるよ。だがほら、あの時はその、まともな状態じゃ無かったわけだし」
「そうだな、催淫剤を飲んでいた」
 あからさまな単語に、ロッシュが顔を引き攣らせ、僅かに視線を泳がせた。
「ああ、うん。だからほれ、素面でいったらどうなるか分からんかなあと。そう思ってたんだが」
「そうか、気を遣わせたな。だが無用な心配だ」
 雰囲気も何も吹き飛ばすようなロッシュの言動に、ストックは仏頂面を浮かべつつ、それでも退かない熱でロッシュに身体を押し付けた。剥き出しの脚に、芯を持ち始めた中心を触れさせてやると、ロッシュがひくりと身を震わせる。
「お、おう。その分なら大丈夫そうだな」
「ああ。……お前はどうだ? ロッシュ」
 近付いた距離はそのままに、顔を寄せながらロッシュの中心に指で触れ、柔らかく掌で握り込んだ。堅さはまだ無い、だがストックの動きに抵抗することもなく、体温を分けられるまま手の中に収まってくれている。指で刺激してやると、ロッシュから慌てたような声が上がった。
「おい、馬鹿やめろって」
「何がだ。触れずに出来るか」
「そりゃそうなんだが」
 言葉よりはもう少し素直な身体は、触れた分だけ熱を帯び、手の中のものも屹立の兆しを見せていた。引き攣った顔でロッシュはストックの手を掴み、動きを妨げようとする。む、と不機嫌になったストックを、ロッシュは至近距離から睨み付けた。
「一足飛びに行くなよ。こっちも色々、心の準備ってもんがあるんだ」
「生娘のようなことを言うな」
「き……お前なあ」
 大きく溜息を吐き、肩を落とす。状況にそぐわぬ反応に、益々機嫌を降下させるストックの手を、ロッシュは強引に引き剥がした。そして視線を上げると、真正面から親友の顔を見据える。
「……何だ」
「だから、心の準備って奴だよ」
 茶化すでもない、勿論拒絶するでもない真剣な眼差しを、ストックは戸惑いながらも受け止めた。どういう意味だ、と口の中で問い、意識してきつく視線を返す。
「そんなに準備が必要か」
「当たり前だ、親友と寝るんだぞ」
「嫌なのか」
「嫌だったら断ってる。だがな、混乱するんだ」
 意味が分からない、とストックが訴えても、ロッシュは明確な答えを返してくれない。強い光を湛えた瞳にストックを写し、そして前触れもなく顔を近づけ、唇を触れさせた。
「っ――ロッシュ!」
「お前は親友だ、まさかこんなことになるなんて思ってなかったからな。未だに頭がついていかん」
「……そうか。で、納得はできそうか?」
「分からんが」
 一度離れて、直ぐにもう一度。言葉を挟みながら何度も、それこそ確かめるように押し付けられる唇に、ストックの脳が熱くなる。先程から何度も口付けてはいるが、ロッシュの側から仕掛けられるそれは、同じ行為の筈なのに全く別の意味を以て内側に火を付けた。微かに開いた唇から少しだけ舌を忍ばせると、躊躇いを多分に含んだ動きで、ぎこちなく舌に触れてくれる。
「まあ、何とか、いけるだろう。大丈夫だ」
 それを僅かに絡めてから唇を離し、ロッシュはストックを見詰めた。ストックもロッシュを見詰める、ほんの少しの触れ合いでは、まだロッシュの息を上げるまでにはいかないようで、その肌は白く治まったままだ。
「そうか。……なら、止めないぞ」
 その身体を暴きたい、顔に、身体に血の気を巡らせて、呼吸を乱して声を発させたい。暴走した本能に導かれるまま、ロッシュの背と後頭部に腕を回し、抱き寄せて口付ける。表面上の接触は飛ばして、今度こそ真っ直ぐ深くへ。突然無遠慮に差し込まれた舌に、それでもロッシュの舌は絡みついて、刺激してくれた。
 さほどの技巧があるわけではない、淡々とした粘膜の接触に、それでも体温は大きく上昇する。互いに上を争いでもするように、二つの舌がもつれあい、唇の間で暴れまわっていた。粘膜への直接的な刺激を、身体は異物と判断し、多量の唾液を分泌する。双方のそれが舌を伝って混じり、やがて生じ始めた濡れた音が、行為の始まりを聴覚に訴えていた。鼻孔から継がれる呼吸が皮膚を擽るのを、意外な程冷静な部分で認識する。徐々に勢いが強く、頻度が短くなってきたことを察して、ストックは一度唇と舌を離した。
 溜まっていた唾液が、離れた途端に顎を伝う。指の腹でロッシュのそれを拭き取ると、向こうもまた同じようにストックの顔を拭ってくれた。少し荒くなった息が逞しい胸を動かし、頬には軽く朱が差している。あからさまなものではないが、確かな高揚の兆しを見て取り、ストックの口元に笑みが浮かんだ。
「いけそうだな」
「ああ……何とか」
「頼りない返事だ」
 胸に掌を当て、力を込めながら大きく撫でる。傷跡の凹凸を感じながら、心臓の動きを探った。愛撫とは言えぬほど穏やかな接触で、それが性感を高めるとも思えないが、ストックにとっては心地よい触れ合いだ。ついでのように突起を弄ると、くすぐったいのか身を縮めており、その様子がおかしくて笑みが深くなる。
「その調子だと、今回も俺が入れる方が良いか」
 そのまま、からかうように零された問いに、ロッシュがまた顔を引き攣らせた。俺はどちらでもいいが、と付け加えても、困惑をありありと示した表情は変わらない。
「や……まあ、その辺は任せる。好きにしてくれ」
 男同士で抱き合う、まして身体を繋げるというのは、やはりロッシュにとって敷居の高い行為なのだろう。目線を反らし、掠れた声で言葉を発するその姿から見るに、意識してそのことには思考を遣らなかったに違いない。
 それで拒否はしない、ストックの意思に任せると言ってくれている。それは勿論言葉だけではないだろう、ストックがこのまま組み敷いて進み続けても、拒絶は無いに違いない。今はそれでいい、とストックは密かに頷いた。この行為はストックの我が儘で、ロッシュに対して積極性までを求めるのは酷だ。受け入れてくれる、それだけでも十分幸福なことだと、心底そう思いながら胸を撫でる力を強くする。
「分かった、任せろ。ちゃんと、気持ちよくしてやる」
「いやっ、そこは別に良い、俺はっ……」
 そのまま顔を首筋に寄せ、ぺろりと舐め上げた。汗の塩気を舌に感じて、笑みを零す。唐突な感触に身を縮めるロッシュを、落ち着かせるのとは逆の目的で胸を弄った。突起を捏ねながら首を舐め上げ、顔を逸らしたことで近くなった耳に口付けて、軽く息を吹きかける。びくりと、あからさまな強さで、ロッシュが身体を震わせた。
「こら、馬鹿……何すんだ」
「何というようなことではないが」
 反応に気を良くして、耳朶を唇で挟み、舌を這わせながら形を辿る。例によって古傷なのか、一部が妙な形に凹んだそこは、どうやらロッシュにとってはあまり触れられたくない場所らしい。そうなるともっと煽りたくなるのは必然で、そろそろと耳の中に舌を差し入れ、内側に近い部分を侵していく。唾液が入り込まないように注意しながら、擽るように舌で愛撫すると、不機嫌な獣のような低い唸りが響いた。
「いい加減にしろ、お前」
「だから、何をだ。これか」
 言いながら、弄り続けてきた突起をぐりっと押し潰す。元々、男の乳首など大した性感は無い筈だが、弱い部分と同時に刺激されることで、その効果も少しは増しているのだろうか。身体を硬くした反応で、ストックが望んだ感覚を、ロッシュが受け取っていることが分かる。
「馬鹿野郎」
 色気も何もない低い声で綴られる罵倒を、ストックは意に介することもない。言葉で言っても無駄なのだと、ロッシュも悟ったらしく、直ぐに実力行使に切り替えてくる。
 といってもさすがに、状況が状況だ。暴力に訴えることはせず、代わりにストックがしていたのと同様の行為を、そのまま返してきた。右手が胸元を撫で、顔を埋めた首筋を軽く齧ると同時に、指の一本が突起を擽る。
「っ、おい」
「痕は残してないから安心しろ」
「ああ、頼む……いや、そうじゃなくて」
 首筋に歯形が残りでもしたら、その後どんなことが待つものか。身体を重ねるのは恋愛的な感情故ではない、しかしそれを言って妻が納得してくれるとは、さすがにストックも思わなかった。それは勿論ロッシュも同じで、どちらから言い出すでもなく、身体に痕は付けないことが共通の約束として認識されている。
 だが、今ストックが言いたいのは、そういうことではなくて。
「くすぐったい」
「当たり前だ。俺はさっきからずっとくすぐったい」
 ちらりと睨みながら、ロッシュは首筋を唇で辿り、鎖骨まで辿り着くと、それを伝って喉元へと舌を運ぶ。そうしながらも胸を弄る手は止められず、ストックは息を潜めて眉を顰めた。
「どうだ、少しは気持ちいいか」
「……いや、どうだろうな」
「だろう。俺だってそんなもんだ」
「そうか? お前はもう少し、良さそうに見えたが」
「そういうことしか言えんのか、お前は」
 身体に沿わせた顔がどんな表情を浮かべているのかは、視界に入らないから分からない。だが気配は苦笑を示している、そう思考が回っているうちに鎖骨の間に生じた窪みを舌で擽られ、ストックは軽く身を捩った。
「お前だって、そこそこきてるだろ」
「俺は、最初から、やる気だったからな」
 そのまま舌は移動を続け、手が弄るのとは逆の突起に触れると、そこを愛撫し始めた。薄い皮膚の上に粘膜を押しつけられ、濡れた柔らかい感触で神経の集まった部分を嬲られると、さすがに背筋に妙な感覚が走る。その気配を察して、ロッシュが低く笑い声を零した。
 だがストックも、勿論されるがままでいるつもりは無い。眼下に、無防備に晒されている身体に指を這わせて、するりと身体の前面へと手を差し入れる。
「っ、こら」
「ちゃんと感じているな」
 握り込んだロッシュの中心は、先程よりも明らかに温度と体積を増していて、ストックは安堵の息を吐いた。これで反応が皆無であったとしたら、さすがに先は続けられない。互いに快感を得なければ意味が無いのだと、心の中で語りかけながら、手の中のものを軽くしごく。
「そりゃ、お互い様だろ」
 ロッシュも対抗するように、ストックの中心に触れた。指摘されるまでもなく、それは既に硬く、形を作って勃ち上がっている。無骨な指が接触する僅かな感触から、下肢に軽い電流が走り、ストックは眉を潜めた。
「だから、何度も言っているだろう。俺は、最初からそのつもりで来ている」
 抱く、抱かれる、役割はともかく性交を行いたいと思った相手を前にしているのだ。その上で身体に刺激を与えられれば、反応しないわけがない。ロッシュはあくまで受け身のままこの場に臨んでいる、その身体が反応してくれているのは、ストックのそれとは全く別の意味を持つ。
「俺だって別に、嫌々やってるわけじゃあ、っ」
 文句を言いたげに開いたロッシュの口が、中途で途切れて閉じた。原因は明らかにストックの動きである、前から差し込まれた手は中心から外れて、これから使う予定の口を指先で撫で始めていた。濡らしているわけではないから、侵入する意図は無く、位置を確かめるような単調な動きだ。だがそれでも、普段は意識すらしない場所だけに、他者の温度が触れるだけでも妙な感覚を生じさせるものらしい。物理的な刺激は少なくとも心理的な要素が身体に働きかけているのだろう、眉間に強く皺を寄せて睨んでくるロッシュは、険しい顔で何かに耐えているようにも見えた。
「ロッシュ」
 名を呼び、応えが返るよりも先に口付ける。中心に触れる手はそのままに、深い口付けを交わし合った。執拗に口腔を這うロッシュの舌は、何かを確かめているような動きをしている。何を、おそらくはこの先に進む意思を。身体の中に入り込み、内側の熱を感じる、それはこれからストックが行おうとしていることと同一だ。
 舌を絡め、吸い、刺激に溢れた唾液を混ぜ合う。二人分のそれは、直ぐに留めておける量を超え、飲み下す余裕も無いまま唇の端から溢れて顎を伝った。ロッシュに触れるため伸ばした腕にそれが滴り、一瞬の熱さとその後の冷たさを意識に差し込んでくる。思考と切り離された部分で指が動き、ロッシュの中心を刺激しつづけていた。手の中のそれは熱く、行為には十分な段階に至ったことを、視覚に頼らずに訴えてくる。ストックも同じだ、いやロッシュ以上に昂り、包み込む指と掌に熱を主張していた。
「いいか」
 口付けの合間、興奮に上擦った声で問いかければ、分かっているだろうにロッシュの視線が戸惑いの色を帯びる。何が、と声に出さずに問われて、触れ合う唇の端が微かに持ち上がった。
「抱いても」
 直截な言葉はロッシュの意を逆撫でると知って、敢えてそんな表現を選んだのは、どんな心理によるものか。明確な意思表示に、ロッシュは微かに頬を赤らめた気がしたが、それはストックの気のせいかもしれない。刺激と、それにより乱れた呼吸で、ロッシュの顔はずっと前から上気している。
「ああ」
 応える声も、潜められてはいるが、迷いの無いものだ。ロッシュの心は、ストックが思うよりずっと強い力で、その道を選び取ってくれていたのかもしれなかった。唇が離れ、焦点も合わぬほどの近さで見詰め合う。薄青い瞳に宿る光が、真っ直ぐにストックを射る。
「好きにしろよ。お前が、思う通りに」
 そして優しく笑われれば、ストックの心に深く根付いた不安ですらも、それ以上抵抗することはできない。
「……ありがとう、ロッシュ」
 感謝と歓喜と、それ以外の何かで心臓を高鳴らせながら、ロッシュの頬を撫でる。そのまま、何度目かの深い口付けに入る誘惑を、一旦退けてストックはロッシュから離れた。ここから先には準備が必要だ、男同士で繋がる行為は、自然に任せて進められるものではない。寝台の脇に置いておいたタオルを掴み、ロッシュの方に放り投げると、自分は一旦寝台を降りて横の机へと移動した。引き出しの中には、事前に準備しておいた細かいものが、いくつかしまってある。
「何だ?」
「下に敷いてくれ。敷布よりは洗いやすいだろう」
 言いながら、香油と手布を取りだして寝台へ戻る。ロッシュに渡した布は、引き出しから持ってきたものよりも大きく、広げれば腰を置くくらいの範囲を覆えるものだ。手に持った布を溜めつ眇めつしているロッシュに苦笑し、代わりに寝台の上に広げてやった。二枚を重ねて敷き、その上に横になるようにとロッシュを促す。
「態々準備してたのか、これ」
「当たり前だ。泊まるたびに敷布を洗っていたのでは、何をしているのかと思われるだろう」
 体液で汚れた寝台をそのままにしておくわけにもいかない、前回は帰る直前に慌てて洗って干したのだが、毎回それをやっていては怪しまれるのは必定だ。
「マメな奴だな、そんなことまで考えてたのか」
「当たり前だ。気づかれるのが一番困る」
 多量のタオルを洗うのも、普通でないことには変わらないが、それでもまだ言い抜けは利く。ロッシュも一応は納得したようだったが、しかしその顔には気遣わしげな色が浮かんでいた。
「確かにな。だが、これにしたって、続けばやっぱり妙だとは思うぜ」
「ああ、分かっている。また、別の手を考えておくさ」
 次の時は、という含みを持たせた言葉に、ロッシュが応えるよりも先にその口を塞ぐ。重ねた布の上で上体を起こしているロッシュの、逞しい肩を押せば、多少躊躇いつつも身体を横たえてくれた。そのまま覆い被さり、左手でロッシュの右手を押さえると、もう片手で胸元を撫で回す。存在を確かめるようにして広く触れると、同じ動きで胸から腹を辿り、熱を孕んだままの中心を捕らえて刺激した。
 ロッシュの顔が歪み、低い呻きが唇の端から零れる。何かを言いたいのか、右腕に力が篭もったが、分からぬふりでそれを押さえ込んだ。行為を返してもらう必要などなく、ストックのそれは変わらぬ硬さを保ってる。緩く開かれた脚の間に膝を置き、完全に押し倒す体勢になると、改めてロッシュを見下ろした。ロッシュは目に戸惑いの色を浮かべて、ストックを見上げている。視線が僅かに逸れ、戻り、そしてまた逸らされた。
「どうした」
「いや。ちょっと、混乱してる」
「またか」
「親友がおっ勃てて伸し掛かってきてるんだぞ。あっさり受け入れられたら、そっちのが問題だ」
「……気持ちは分かるが、言い方というものがあるだろう」
 あまりにも飾りのない物言いは、塗れ場の雰囲気など欠片も感じさせず、どうにも盛り上がりに欠ける。ひょっとして萎えさせて止めさせたいのだろうか、と益体もないことを考えるストックを、ロッシュはじっと睨み付けてきた。真面目で実直な性情そのままに、揺らぐことも逃げることもせず、真っ直ぐに。姿と、その内にある心を刻みつけるような視線を、ストックはそれ以上何も言わずに受け止める。
「ストック」
 上体が浮かされて、意図を悟ったストックは、迎えるようにして唇を合わせた。何度か軽く触れ、近くで視線を交わし合う。間近に迫った暖かな身体に、触れたい衝動を堪えて、ロッシュの反応を待った。長いようにも思われる一瞬が過ぎると、やがてロッシュは戸惑いの色を消して、再びその身体を横たえる。
「よし、待たせたな」
「気持ちの整理はついたか?」
「ああ……いや、まあ何とかなるだろ。大丈夫だ」
 頼もしい口調で心ともないことを言われ、ストックは苦笑しながら、再びロッシュに覆い被さった。言葉の内容こそ投げ槍に聞こえるが、その実強い覚悟を抱いてくれていることが、ストックには分かっている。
「有り難う、ロッシュ」
 そう言って微笑むストックを見上げる目に、先程の迷いは見られない。逸らすことなく注がれる視線を存分に受け止めると、ストックはロッシュに口付けた。相変わらずロッシュの右手を押さえたままで、片手で胸の突起を弄り、脚を中心へと押しつける。広く硬い圧力は、先程までの緩やかで丁寧な愛撫とはまた違った感覚をもたらして、ロッシュの身体を震わせた。顰めた眉から快感を読み取ったストックは、それがさらに増すことを願って、脚に込めた力を少しだけ強くする。片脚に体重をかけて膝を浮かせると、根本から袋にかけてを、膝頭で擦るようにして刺激した。反り返った熱い茎は、確実な硬さで以てストックの接触を押し返してきてくる。引き締められたロッシュの唇から、低く荒い呼吸が零れた。
「ロッシュ、好きだ」
 握り締めた手が熱い。長く武器に親しんだ掌は分厚く、柔らかさなど欠片も存在しないが、その感触もまた愛おしかった。戦場に立ち続け、あらゆる場所で死を潜り抜けてきた男だが、今はこうして己の下に居てくれる。こうして触れ合い、抱き合っている限り、どこにも行くことはない。伝わる体温からその事実を実感し、ストック微笑んだ。
 だが、これで満足できるわけではない。もっと深く繋がり、誰にも途切れさせられぬ絆を確認することこそ、ストックの望みなのだ。ストックは一度身体を起こすと、横に置いておいた小瓶を取り、その蓋を開いた。
「良いか」
「……おう。来い」
 その用途もストックの目的も、既にロッシュは分かっている。瓶の中から花の香りが漂った一瞬、僅かに顔を引き攣らせたが、直ぐに覚悟を決めた様子で頷いて返した。ストックも真剣な顔で頷き、自らの指に香油を垂らすと、それをロッシュの秘部へと触れさせる。冷たさにロッシュは身を竦ませたが、それは一瞬のみのことだ。直ぐに互いの体温で油は暖まり、むしろ熱を吸って暖かさを与えるようになる。その感覚と触感に、ロッシュが慣れたのを見計らい、ストックは己の指をロッシュの体内へと押し込んだ。
 油の滑りを借りて、熱い中へと指が滑り込んでいく。纏わりつく肉の感触に、脳の一部が刺激され、触れていないというのにストックの中心が硬さを増した。見下ろす瞳の色からそれを察したのか、苦しげに眉を顰めていたロッシュが、微かな苦笑を浮かべる。
「どうした」
「いや……何でもねえよ」
「きついか」
「まだ、そこまででも無えかな」
「そうか。無理はするな」
 二度目の行為ではあるが、一度目からはある程度の時間が置かれている。慣れを期待するわけにはいかない、丁寧に身体を緩めようと、ストックはゆっくりと指を蠢かせる。ロッシュも呼吸を大きくし、筋肉を弛緩させようと試みてくれていた。硬く拒んでいた感触が、少しずつ力を減らすのを感じると、それに乗じて動きを大きくしていく。
「もう少し、滑りがあった方が良いな」
 入れる前に纏わせた油は、自然に濡れない部分に塗り込むのに、十分な量では無かったらしい。指の移動に逆らう力に気づいたストックが、一度指を抜き、さらに油を足してもう一度差し込む。先程よりも楽に挿入できるのは、増やした油が滑りを良くしたからか、ロッシュの身体が少しは解れてきたためか。
「手間かけて……すまんな」
「何を馬鹿なことを言っている。謝るのは、俺の方だ」
 どこまで本気なのか分からない台詞を吐くロッシュに、ストックは苦笑する。敷布を握り、違和感を逃がそうとしてか大きく息をするロッシュは、同性であるというのに奇妙に扇情的に思われた。差し込んだ指を揺らせば、抵抗する力も薄まり、ある程度自由に動くのが確かめられる。
 さらに先へと進むために別の指に油を垂らすと、入ったままのものに添えるようにして、ゆっくりと押し込んだ。感覚を散らすため、それと同時にロッシュの中心を握り、刺激していく。痛みと不快感で萎えかけたそれが力を取り戻せるように、指の節で揉みながらゆっくりと擦ってやった。ロッシュが低い息を吐き出したのは、快と不快のどちらによるものか。震える内部を割り開きながら指を進め、入り込める最も深くまで差し込むと、ストックは一度動きを止めてロッシュの胸を撫でた。
「どうだ」
「……何がだよ」
「大丈夫か」
「ああ、まあ、何とかな」
 荒い呼吸に上下する胸板に手を置き、心臓の動きを探る。おそらく常よりも速い、だが異常を感じる程の速度ではない。それが緊張によるものか、それとも痛みを受けての反射的なものなのかは、ストックにはわからなかった。
 体積を増した異物を締め付ける強さが、ある程度まで弱まるのを待ち、動きを再開する。勢い余って柔らかな内部を傷つけてしまうことを恐れているために、その速度は極ゆっくりとしたものだ。緩やかな動きで内壁を探り、指の先や関節であちこちを押して、体内に埋まる存在を知らしめていく。指が蠢くたび、ロッシュの身体が震え、吐息がさらに荒く乱れた。
「感じる部分はあるか?」
「……馬鹿なこと、聞いてんじゃねえよ」
 男の体内にも性感は存在すると話には聞いている、以前に抱き合った時には、事実それらしき反応が得られていた。だが記憶に頼って同じ場所を刺激しても、捗々しい成果は得られない。場所を探り当てられずにいるのか、それとも薬が抜けてしまえば、あれほど大きな反応は返らないものなのか。
「良いから、さっさと先に進め。お前も、いい加減きついだろ」
「馬鹿はお前だ、ロッシュ。焦って、傷でも負ったらどうする」
 どうにも真剣さが分かっていない様子のロッシュを睨みながら、十分慣れてきたのを確かめ、また指を一本増やす。指に垂らされた香油が、肉を伝ってロッシュの内に入り込み、動きと共に微かな水音を立てた。逃げるように顔を逸らしたロッシュの、その動きで露出された耳に、そっと口付けを落とす。
「一方的に抱きたいわけじゃない。お前にも感じて欲しいんだ」
 内耳に息を吹きかけると、組み敷いた身体がびくりと跳ね、差し込んだ指がきつく食い締められた。舌での愛撫を続けようとすると、ロッシュは嫌がって顔を戻し、ストックを正面から見据える。朱の掃かれた目元には、困惑と羞恥が滲んでおり、それが愛おしくてストックは優しく微笑んだ。
 三本の指が入り込んだそこは、さすがに狭すぎて、自由きままに動かすことはできない。それでも時間をかけて存在を慣らし、ロッシュも力を入れぬよう努めてくれれば、段々と余裕が生じてくる。様子を見ながら、じわりと指先を折り曲げ、また戻して。そうして少しずつ、動かせる範囲を増やし、本当の目的に耐えられるように身体を変えていく。
 その、這うような速度の刺激は、受け入れる側にも痛みではない感覚をもたらしているようだった。ロッシュの中心は、手による愛撫を受けているとはいえ、硬く張りつめたまま萎える様子が無い。先端から滲む体液を塗り広げる、その感触に強く煽られるのか、ロッシュが身体を震わせた。眉を顰めた表情は、苦痛を堪えるものと似て見えるが、ざわつく体内がその見た目を裏切っている。
「ロッシュ」
 指を受ける圧力が、先への期待を昂らせ、ストックの身体も硬くした。耐え続けてきた衝動が限界に近くなり、焦慮を滲ませた声で、親友の名を呼ぶ。ロッシュも、ストックの状態は理解していて、呼びかけに応えて小さく頷いた。
「大丈夫だ」
「すまない」
「何で謝るんだよ。無理矢理、やってるってわけじゃねえだろ」
「……だが」
 例え合意の下行われる行為であっても、そこに生じる負担は、明らかにロッシュの方が大きい。抱き合う時でも男女のようにならず、対等な友人として向かい合いたいストックにとって、それは心に圧力を生じさせる事実だ。
 しかしロッシュは、辛そうに顔を歪めるストックを、軽く笑い飛ばしてみせた。
「今更グダグダ言うなって。そんなんが気になるなら最初からしねえって、何度も言ってるだろ」
「ロッシュ」
「大体、大変なのは俺よりお前の方じゃねえか。さっきから我慢しっぱなしで」
「これくらい、耐えるうちにも入らない」
 ロッシュの気遣いは嬉しい、だが彼の方はこれから、ストックよりももっと辛い状態を強いられるのだ。自分の苦痛に構おうとしない態度は、親友の持つの大きな悪徳のひとつだと、ストックは密かに溜息を吐く。そうして人のことを優先し過ぎるから、いくつもの傷を負うことになるのだ。肌に刻まれた傷跡を、ストックの指がそっと辿った。
 だがロッシュは、ストックの気持ちなど、気づかぬ様子で相手を見上げている。右腕が持ち上がり、ストックの中心を握って、緩い愛撫を与え始めた。
「やせ我慢するなよ」
「っ……ロッシュ」
「自分の身体のことは分かってる、大丈夫だ。それに、ほんとにキツかったらちゃんと言うから」
 射精に至る強さではないが、性感を的確に煽るその動きに、ストックの眉が顰められる。ロッシュに指摘された通り、芯が入ってからずっと堪えてきたそこは、吐き出すことを望んで鼓動を刻んでいた。
「ロッシュ」
 見上げる青い目に、真剣な色が宿っていることに気付いて、ストックは息を吐き出した。埋め込んだ指を一度、緩やかに蠢かすと、全てをそっと引き抜く。
「信じるぞ。……止めて欲しかったら、言ってくれ」
「ああ」
 開かされた穴が閉じ切らぬうちにと、口に己の切っ先を押し当てた。先端に感じた、香油に濡れた暖かな感触に、中心が期待で脈打つ。
「入れるぞ」
 その宣言に、ロッシュが頷くのを確認して。
 ストックは、ロッシュの中へと、押し入った。
「……っぐ」
 いくら時間をかけて広げていても、それよりも大きな中心が入り込めば、痛みも負担も相当に大きなものとなる。先の少しが収められただけで、そこは酷い圧迫を以て、それ以上の進入を拒んでいた。圧力が与える痛みを何とか堪え、硬度を保ったままで、もう少しだけ身体を埋める。そして一応の安定を得られるまで侵入を深くすると、一旦腰を止め、大きく息を吐き出した。
 眼下のロッシュも、眉をきつく顰めて、痛みと違和感に堪えているようだった。深く呼吸をし、苦痛を逃がす様子が痛々しく、ストックの心臓が鈍く軋む。少しでも感覚が散るようにと、頬から首を辿り、大きく上下する胸を撫でる。引き締まった腹の下部、萎えかけた中心に手を添えると、ロッシュがちらりと視線を寄越した。
「こら」
「……何だ」
「人が必死で力抜いてるってのに、何しようとしてんだお前は」
「何と言われても……この状態で、先に進めるか」
 制止の意が込められた言葉を無視し、握り締めたそれを柔らかく刺激した。ロッシュの身体が強張り、必然的に硬直した筋肉がストックのものを締め付け、強い痛みをもたらす。
「堪えるからいけないんだ。大人しく感じてくれれば、力は入らない」
「勝手、言うなよ」
 それでもロッシュは、ストックの身に生じている苦痛を理解しているようで、何とか力を抜こうと苦慮してくれていた。ストックも、中途半端な挿入に焦れる本能を宥め、ロッシュが落ち着くのを待つ。体内の存在に慣れてくれるように、腰は動かさぬまま、そっと身体を撫で回した。中心への愛撫も、けして激しくならないように加減しつつ、柔らかな力で繰り返していく。
 そうしているうちに、段々と内側の強張りも解け、きつい力は変わらないものの、動くだけの余裕は生じてきた。ストックはゆっくりと身体を動かし、様子を探っていく。柔らかくはない、だがそれでもストックの動作を止めるだけの強さは無くなってきている。そのことに安心し、それでも油断はせずに、既に繋がっている部分を試すように揺らした。
「っ、く」
 浅い位置での、極ゆっくりとした律動に、ロッシュは苦しげな呻きを漏らした。眉をきつくしかめ、しかしそれでも身体に力は入れるまいと、意識して制御してくれている。それが嬉しいような申し訳ないような、複雑な感情を持て余しながら、ストックはロッシュの中心を撫でた。既に硬さを取り戻しているそれの先端を、体液を絡めつつ捏ねるようにして刺激してやれば、さすがに堪えきれずロッシュの身体がびくりと跳ねる。
「おま、スト、ック」
「すまない」
 謝罪は形ばかりのもので、愛撫も腰の動きも、止まることはない。短い範囲の抜き差しに、ロッシュの内側が慣れてきたのを察して、もう少しだけ深くまで身体を進めた。入り込んだ異物に、内壁が拒絶を示し、ストックのものを締め付ける。だが事前の行為とロッシュの意志によって抑えられた反応は、苦痛をもたらすには少しばかり弱く、むしろ堪らない快感の源となっていた。ストックの口から熱い息が零れ、中心の体積がさらに増す。隘路を割り開き、位置を前後させながらさらに腰を進め、やがて指では届かぬ程の深くにまで入っていった。
「は、……」
 いつの間にか滲んでいた汗が、額からこめかみを伝って顎に至る。ロッシュがふと手を伸ばし、滴る寸前のそれを拭った。繋がった部分より遙かに低い、だがそれ故に優しい体温に触れられ、ストックの鼓動が大きく響く。ストックも腕を持ち上げ、ロッシュの無骨な手に触れると、力を込めずに表面をなぞった。骨ばっていて太い、幾多の傷にまみれたそれを、そっと手にとって口付ける。
「ロッシュ、好きだ」
「……ああ」
 気むずかしげに曲げられた口は、単なる照れであると知っている。有り得ない行為を強いられながらも抵抗せず、むしろ組敷くストックを気遣ってくれる、その態度が何よりの証だ。溢れる幸福をロッシュに伝えたくて、何度も指に唇を押し付けた。直接口付けが交わしたかったが、繋がったまま顔を近付けるには、互いに負荷の大きい姿勢を取る必要がある。既に随分と辛そうなロッシュに、これ以上の負担を強いるわけにはいかない――少なくとも、理性が残っているうちには。
「……続けるぞ」
 だが、なけなしの理性と思考力は、そろそろ底を尽きつつあるようだった。長い間解放を許されずに、中途半端な刺激で放置されていた中心が、限界を訴えて脳を乗っ取ろうとしている。もっと深く、完全に繋がれる場所を目指して、ストックは腰を進めた。激しくは無いが、先程よりも明らかに増した速度に、ロッシュの口から呻き声が零れる。今度こそ止まることなく押し込まれるそれは、入り込める最も奥に到達しても、しばらく緩められることはなかった。加える力に返るのが、侵入を拒む内圧ではなく肉体の質量自体であると、納得するまで身体を押し付けてようやく力を抜く。
「っふう……」
 互いの口から、安堵と疲労の混じった息が吐き出される。ストックの中心は、ようやく完全にロッシュの中に飲み込まれていた。外気に晒される部分が殆ど無くなり、完全に肉に包み込まれた状態に気付けば、感慨と満足感に目眩のような光が見える。
「……大丈夫か、ロッシュ」
「ああ……まあ、何とか。思ってたより何とかなったな」
 ロッシュはさすがにストックよりも辛そうではあったが、それでも言葉通り、ある程度の余裕は残しているようだった。ストックに向けては苦笑が向けられ、視線を落とせば形を保ったままの中心が目に入る。当然痛みはあるだろうが、予想していたよりも遙かに穏やかな反応は、やせ我慢というだけではなさそうだ。
「さすがだな。怪我し慣れているだけのことはある」
「ああ、だから大丈夫だって言っただろ」
「……皮肉だ。まともに受け取るな」
 平然と己に降り懸かる危険を認めるロッシュに、ストックは吐き出したい息を堪え、頬に触れた。ざらりとした皮膚を指で撫で、掌で顔を包み込んで見詰める。
「まだ、混乱しているか」
 薄青い瞳の中に、戸惑いと迷いが無いか、ストックの視線が探る。それにロッシュは、柔らかな笑みで応えた。
「いいや」
 きっぱりと言い切り、ストックの手を握る。ひとつだけ残された手は、強い力でストックを捕らえ、離れぬようにと指を絡めてきた。汗ばんだ掌が重なり、吸い付いて離れなくなる、そんな錯覚。表面的な接触なのに、繋がった箇所と同じだけの温度を交わし合えている気がして、ストックもまた強く握り返す。
「なら、分かっているのか。誰と、何をしているのか」
「当たり前だ、分からんわけがあるか。ちゃんと分かって、俺の意志でお前を受け入れてるよ」
「ロッシュ」
 覗き込んだ瞳に、嘘は無い。ただ真摯な愛情と、全てを受け止める深さが、惜しみなく存在しているばかりだ。繋いだ手を寝台に押し付け、ストックはロッシュに伸し掛かる。挿入している箇所に力が加わり、ロッシュの顔が微かに歪んだ。
「だから、謝るな。俺は、構わないんだから」
 突き上げる欲求に抗いきれず、身体を寄せて口付けを交わす。不安定な姿勢では長く触れ合うことは出来ないが、暖かく柔らかな感触が、心の中にすとんと落ちて広がっていく。触れたいと、当然のように生じた衝動を、抑える理性はもはや存在していなかった。胸を探り、傷跡をなぞって、身体の形を確かめる。再び寝台に身を投げ出したロッシュの、見上げる瞳に見出した情欲の色が、脳の芯が焼き切った。
「……有り難う、ロッシュ」
 脚を抱え上げて角度を変え、より深く繋がれるようにと、腰を強く押し付ける。これ以上は不可能というまで入り込んだら、今度は一旦退き、また直ぐに奥へ。浅い部分と同じように、最も深くを、狭い振幅で揺らしていく。身体の奥を抉られるのは、鍛えたロッシュにとっても、けして楽な行為ではないのだろう。辛そうに顔を歪める親友に、せめて少しでも多くの快感が与えられるようにと、ストックは律動に合わせて中心をしごいた。
「ぐ、……」
 そこは、先程からずっと角度を保ったままで、それもまた辛い要因のひとつなのかもしれない。痛み混じりの、限界に達するには少し足りない快感が、ロッシュの身体を苛んでいるようだった。だがそれを言うならストックも同じで、何とか我慢してきた射精の衝動が、そろそろ苦痛に近い程になってきている。意識して緩く打ちつけていた腰の動きが、欲に負けて段々と激しくなっていく。粘液を介して肉が擦れる、強烈な刺激に脳裏が白く瞬いた。朦朧とし始めた視界の中で、ロッシュの青い目だけが浮かび、快感に喰い尽くされそうな意識をつなぎ止めてくれている。
「ス、トック」
 苦しげなロッシュの声、堪えるために敷布を握りしめた指。強い力で握られた布は、大きく皺を作り、動きと共にうねっている。ストックが腰を叩きつける度に、寝台が鈍く軋む。部屋の備品を壊しかねない勢いに、常なら投げるであろう注意の一言を、発する余裕もないようだった。体液と油が混じった液体が、結合部から音を立てて飛び散る。交わりの激しさを示すあらゆる記号が、思考と感覚を塗りつぶしていく。
 そして。
「ロッシュ、っ……」
「……ぐっ」
 一息に深くを貫いた、その熱さに堪えきれず、ストックの欲が吐き出された。同時に、熱を込めた指がロッシュの先端を強く刺激し、それに導かれてロッシュも限界に達する。体液が皮膚を汚し、濃い精の臭気が鼻を突いた。
「ロッシュ……好きだ」
 萎えたものを抜き取ると、注ぎ込んだ体液が流れ落ちる。それを手布で拭ってやりながら、ストックはロッシュを抱き締めた。けして心地よい状態では無いのに、精神はこの上無い幸福感で満ちている。
「好きだ。ロッシュ」
「ああ。……ああ、分かってる」
 視線が合った、と思った瞬間には口付けていた。今度こそ体勢にじゃまされず、望むままの深い口付けを、心行くまで味わって貪る。子供のようにじゃれるストックを、ロッシュは拒まずに受け止めてくれた。右腕がストックの背に回り、あやすように叩く。
「俺も好きだ。だから、安心しろ」
 離れた唇から、言葉が零れて。それを受け取ったストックは、心の底からの笑みを浮かべて、またロッシュに抱きついた。



――――――



 飽きることなく皮膚を触れ合わせていた二人だが、さすがに二度目の行為に至るだけの余力は無い。持ち込んでおいた水と布で簡単に身を清めると、後は大人しく寝台に身を収めていた。部屋の中には体液や香油の匂いが残り、互いに気恥ずかしくはあるが、さすがに窓を開けて換気するのも躊躇われる。汚れた水に放り込んだタオルの山も、この時間に片付ける訳にもいかず、洗うのは明日に持ち越しとなった。
「やっぱり、怪しまれるだろうなあ」
 部屋の隅に押し遣った桶を見て、ロッシュはため息を吐く。水に混じった汚れの正体に、気付くものがいるかどうかは分からない。だが一晩飲んだだけで、これだけの汚れ物が生じるというのは、不自然であることは確かだ。
「誤魔化せるさ、これくらい。ロッシュが酔って吐いたことにすればいい」
「お前な」
 相変わらずべたりと抱きつきながら、そのくせ酷いことを言う親友を、ロッシュは冷たく睨み付けた。
「まあ、一回ならそれで何とかなるかもしれんな。だが毎回は無理だろう」
 淡々と正論で返され、さすがにストックも大人しく頷く。ロッシュに言われずとも考えていたことではある、男二人で身体を重ねる行為は、何かと痕跡が残りやすい。ロッシュとストック以外が使用することが、稀にではなく有る場所で抱き合っていれば、誰かに何かを見られる可能性も増えてくる。僅かにでも異常を気取られれば、そこから何を覚られるか、分かったものではない。
「ここでするのは、不味いかもしれないな」
「ああ。つっても、宿に行くってのもなあ」
「それこそ、店の者に気付かれるだろう。寝台ではない場所でするなら別だが」
「いや、それはちょっと」
 げんなりとした表情を浮かべたロッシュの頬を、ストックがふと掌で包んだ。疲労の残る顔を覗き込むと、ロッシュが不思議そうに瞼を瞬かせる。
「どうした?」
「……ロッシュ。俺と抱き合うのは、辛いか」
 その目は、ストックが吐き出した言葉によって、一瞬にして驚きの色に染まった。いきなり何だ、と呆れ混じりの声が零れる。
「拒みたいのか、と思って」
「は? ああ、ひょっとしてやる場所に文句付けたからか」
「嫌なら嫌だと、正直に言ってくれていい。俺は」
「あのなあ……いい加減にしろ」
 ぼすっと、間抜けな音を立てて、ロッシュの拳がストックの頭にぶつかった。極軽い、叩くというよりは乗せると称した方が相応しい力の殴打を受けて、ストックが眉根を寄せる。
「何回同じこと言わせりゃ気が済むんだ。嫌なら言ってる、変に遠回しになんかしねえよ」
「本当か」
「本当だって。ったく、長い付き合いだが、お前がこんなに心配性だってのは知らなかったぜ」
 そのまま拳を開いて、ストックの頭をかき回した。太い指で髪を乱され、ストックが心地よさげに目を細める。
「信じろよ。続けても良いって思うから、先のことを言ってるんだろ」
「……そうか。そうだな」
 微笑んで抱きつき、ロッシュに身体を押し付けた。暖かな皮膚を撫でる、幸福な感触にうっとりとする。ロッシュは拒まない、抱き締められるままに、ストックの背を撫で返してくれた。
「けど、もう今日は無理だぞ、さすがに」
「分かってる。触れていたいだけだ」
 顔は苦笑だが、掛ける声音は優しい色合いをしている。それに甘えて、存分に体温を楽しんでいたストックだが、ふと真剣に戻って顔を上げた。
「場所のことは、考えておく」
「ん? ああ……そうだな、すまんが頼むぜ」
「任せておけ」
 その言葉を、ロッシュが否定しないという事実に、深い満足を覚えて。再び幸福に相好を崩すと、眠りに落ちるまでの間にさらに充足を得るために、全身でロッシュへと抱きついた。







セキゲツ作
2012.11.28 初出

RHTOP / RH-URATOP / TOP