朝起きて、隣に眠るストックの顔を見て、それがとても綺麗なことに気付いた。
今初めてそれを目にしたわけでは、勿論ない。彼が軍に居た時は年中、情報部に移ってからもそれなりの頻度で、そして戦争が終わってからはまた毎日のように――回数を数え上げたら日が暮れるのではないかというほど、突き合わせてきた顔だ。造作が整っていることなど既に十分知っている、その筈なのに何故かふと、そんなことを思ったのだ。
例えて言うなら、知っているだけだった情報が、経験を通じて本当の知識として身についたとでも言うのだろうか。今この時、窓から差し込む日に照らされている顔を見た瞬間。
ああ、綺麗な顔だな、と。
その事実が、初めて実感として、ロッシュの心に迫ってきたのだった。
「……ん」
隣のロッシュが身じろいだからか、それとも度を超えた凝視に何かを感じたのか、ストックが呻いて身を捩った。だが覚醒には到らず、そのまま穏やかな睡眠へと戻っていく。
まだ起き出す時間ではない、だからストックも眠り続けている、それを良いことにロッシュは彼の顔をじっくりと観察した。日を受けて薄らと光る肌は、戦場に長く立っていたにも関わらず、不思議な程に白く滑らかだ。技量に長けた彼だから傷痕が無いのは納得出来るが、厳しい環境で生活していても肌理の細かさが失われないのは、考えてみれば不思議なことである。手入れをしている姿など見こともないから、維持に努力をしているわけではなく、単に生来の体質によるものか。男であるロッシュには羨ましさなど無いが、異性から見れば、魅力を通り越して妬みを覚えるようなものではないだろうか。
いや、それを言うならばそもそも、整った顔の形自体が羨望の対象だろう。ロッシュにとって男の顔など個人を識別するためのもので、良いも悪いも無いと思っている、そんな彼でさえもストックの顔は美しいと感じた。それだけ整った顔を欲しいと思う女はいくらでも居るだろう、あるいはロッシュが知らないだけで、女職員達の間では話題になっているのかもしれない。
彼の顔が何故そんなに美しく感じられるのか、理由は色々考えられる。鼻筋が真っ直ぐに通っているだとか、唇の大きさが適度だとか、そんなどうでも良いことで美醜というのは決まるらしい。やはり均衡が取れているというのが一番の原因なのだろうか、じっくりと見ても、彼の顔に妙な形状の部品は見受けられない。人の顔などどこか一カ所くらいは不格好な部分があってしかるべきだが、不思議なことにストックの場合は、それがどうしても見付からなかった。
完全にバランスの取れた、それこそ作り物でなければ有り得ないような造作を、ロッシュはぼんやりと見詰める。あるいは眠りに落ちている、つまり表情が静止しているからこそ、これだけ見事に整って感じられるのだろうか。今までロッシュが見てきたのは、戦場であれ日常であれ、覚醒し動き回る姿のみだ。だが今は動かない、それが今この瞬間、唐突と言って良い勢いで彼の美しさに気付いた理由なのか。そうかもしれない、だがそれだけでも無いのかもしれない。例えば、彼らが男同士で抱き合う関係になったことも、原因の一つかもしれないのだ。日の光の下で夜の気配は消える、だが意識の底に残った記憶が、親友を見る目に影響を与えている可能性はある。
本当のことは、分からない。ただ一つ確かな事実として、ロッシュはストックの顔を、とても美しいと思ったのだ。
「ん……」
意識が無くとも見られれば落ち着かないのか、もぞもぞと身を寄せてくるストックの頭に、ロッシュはそっと掌を置く。さらりと細い金色の髪は、彼の出自を知らぬものにすら、貴族的な優雅さを印象づけた。日の光を反射して輝くそれが、見た目だけでなく心地よい触感をも併せ持つことを、ロッシュはよく知っている。掌で触れるだけでもその柔らかさは感じられるが、指を絡めるのはもっと良い。思い浮かんだ衝動には逆らえず、ロッシュは出来る限りそっと、ストックの髪を指で梳いた。頭部に刺激を与えられ、さすがに眠りも破られかけたのか、ストックの瞼がひくひくと動く。ロッシュはそれをぼんやりと見詰めた、白く薄い皮膚の下に隠された瞳は、綺麗に透き通った緑色だ。見えずともその色は、はっきりとロッシュの中に焼き付いており、現実の視覚を介さずに視線を送ってきていた。意識せずとも思い出される、暗闇の中、情欲を湛えて自分を見詰める緑。宝石のように光るそれが、鮮やかに脳裏に蘇って、ロッシュは少しだけ口元を緩ませる。
と、瞬間生じた思考の隙を突き、いつの間にか。
「…………」
ストックが本当に瞼を開き、視線をロッシュに向けていた。
現実の光の下で煌めく瞳は、想像よりも記憶よりも遙かに綺麗で、ロッシュは密かな満足と共にそれを眺める。
「……おはよう」
「おう、おはようさん」
朝の挨拶を交わしながらも動こうとしない視線に、ストックは数度瞬きした。落ち着かないのか、整った綺麗な顔に困惑の色を浮かべ、微かに首を傾げる。
「どうした?」
間の抜けた問いに、ロッシュもまた首を傾げ、そして思い出したように髪を梳いていた手を退けた。
「いや、どうってことは無いんだが」
ストックからすれば、覚醒した瞬間からロッシュに見詰められているということとなり、常に無いその状況に戸惑ってもおかしくはない。
「お前の顔が、綺麗だなあと思って」
だが理由を答えても納得した様子を見せない、むしろ驚きにか大きく表情を歪めているのは、一体何故だろうか。何だって、と意味の無い問いを繰り返すストックの顔を、ロッシュは飽きずに眺めた。静止しているから整った印象が際だっているのかと思ったが、それはどうやら間違いだったらしい。妙な形に歪められていても、その顔は相変わらず美しかった。むしろ、感情を伴い動くそれの方が遙かに魅力を増しているように感じられ、ロッシュは満足して頷く。
「何だも何も、そのままだって。お前の顔見てたら、そう思ったんだよ」
「……意味が分からん。何だそれは」
問われるまま素直に繰り返してやれば、ストックは心底困惑した様子で、ロッシュから目を逸らした。
「意味はまあ、無いがな。ふっと思っただけだって、お前随分綺麗な顔してるから」
どうしたら良いか分からない、と全身で言っているようなストックの様子だが、よく見ればそこに嫌悪が無いことは直ぐに分かっただろう。目元にはむしろ、照れに近い色が薄らと浮かんですらいた、しかし。
「女性職員に騒がれるのも無理ないなって」
「いや、ちょっと待て」
ロッシュが言葉を続けた瞬間、そんな淡い色は掻き消え、その分を倍増しして上乗せした怒りと不機嫌が取って変わった。
「何故、そうなる!」
「は? だから意味とかはねえんだって、ただ何となく思ったんだよ」
「いや、それは良いんだが……何故、その流れで女がどうこうという話になるんだ」
真剣な、驚くほど険しい目付きで睨みつけられ、今度はロッシュが困惑に目を瞬かせる。
「何故って言われてもなあ」
「こういう状況で、他に言うことは無いのか、他に!」
「他ぁ? ……例えば、どんなだよ」
滅多にない剣幕で詰め寄るストックだったが、本当に何も理解していないロッシュにそう問い返されれば、矛先を鈍らせ黙り込んでしまう。むぐ、とか何とか聞こえるうめき声を上げる親友を、ロッシュは不思議そうに見詰めた。
「まあ、気にすんな。見た目で女が寄ってきたって、口開いたら直ぐ、女向けじゃない奴だって気付くだろうしな」
「……待て! さらに待て!」
取りなすつもりで言ったことだが、落ち着くどころかより一層いきり立ったストックが、掴みかからんばかりの勢いでロッシュを睨みつけた。恐らく、お互い全裸でなければ胸ぐらを掴みあげていただろう、それくらいの気迫が彼の表情には感じられる。
「その言葉、お前だけには言われたくないぞ……!」
「俺は良いんだよ、最初っから女なんて近づかねえし。お前のその、綺麗な顔との落差が悪いんだろ」
「褒めるか貶すか、どちらかにしろ。……いや、それ以前に、俺はそんなに酷い性格か……?」
そんなに女性の扱いが悪いだろうか、と真剣に悩み始めたストックの頭を、ロッシュは優しく撫でてやった。やはり、柔らかな髪の感触が、指に心地良い。
「気にすんな、とっつきは悪いが、慣れりゃそんなには気にならねえって。まあ慣れない奴も居るだろうが、レイニーが気にしなけりゃ、それで良いだろ」
「……そうかもしれないが、しかし……」
「それともお前、女にもてたかったりするのか?」
面倒が増えるだけだから止めておけと、至極真剣に窘め始めるロッシュを、ストックはじっと見詰める。そして、ひとつ大きなため息を吐いた。
「……お前も少し、人の心の機微というものを学んだ方が良い」
「は?」
「愛想が良いくせに口を開くと酷いのを、何とかしろと言っているんだ」
そして、ついに振り切れたらしい怒りを込めて、拳をロッシュの腹に叩き込んでやる。珍しく油断していたロッシュは、防ぎきれず直撃を受けてしまい、派手な打音とロッシュの呻きが部屋の中に響いた。
「っげほ……おまえなあ、俺が何言ったってんだよ」
「分からないのが悪い」
「は? あのなあ、殴っておいてそれはねえだろ」
ちゃんと説明しろ、と憤るロッシュをストックは冷たい目で睨みつける。考えても、その表情の理由がさっぱり分からないロッシュは、諦めて肩を竦めた。
「ったく、分からん奴だぜ」
「こっちの台詞だ……お前に何かを期待する方が、馬鹿だった」
そんな風に怒るストックも、やはり綺麗だとは思ったのだが。それを口にしたところで、また殴られるだけだと思い、ロッシュはそっと口を閉じた。






セキゲツ作
2012.05.01 初出

RHTOP / RH-URATOP / TOP