「ったく、今週は疲れたぜ」
そう言って、ロッシュは片手に持った酒瓶を机に叩きつけた。
ストックの前には四角い古びたテーブルがあり、さらにその先にはロッシュがいる。
テーブルの上には仕入れておいた酒の肴が少しと、二人のコップ、ロッシュが先ほど叩きつけた酒瓶、後は普段ほとんど使わないコースターが置いてある。
「珍しく荒れてるな、ロッシュ」
ストックはコップの中の酒を口に含みながら言った。
二人がいるこの部屋は忙しくて家に帰れないほど仕事が忙しいときに身体を休めるためにストックが借りた、アリステル城にごく近いアパートの一室である。
本来の用途である仮眠室として使うことも多々あるが、こうやって週末男二人で飲みたい時などにも使っている。
それにしてもロッシュがこのようにくだを巻くのは珍しい。
責任感を背負って歩いているような彼でも愚痴や不満の一つや二つあるに決まっているが、それを滅多に表には出さないのだ。
「別に珍しいってわけでもねえだろ」
「何かあったのか」
ストックは直裁に聞いた。ロッシュがこんな風になっている理由を知っておきたい。
仕事に支障を来したら、ロッシュに関係する人々は皆一様に困るのだ。
何しろロッシュは将軍なのだ。ロッシュの上司のビオラ大将が療養のため、今の軍では事実上ロッシュが一番上の立場となっている。
その将軍が何か悩みを抱えていて、仕事に影響を与えていては軍自体の損失になる可能性もありうる。
今までの様子を見るにそこまで深刻なことでもないのかもしれないが、親友としてもそんなロッシュは放ってはおけない。
「何かしっくりこねえんだ」
「何がだ」
尚も食い下がると、ロッシュは詳細を教えてくれた。
キールが立て続けにミスをしたこと。
日頃の激務で疲れてるんだろうと思い、次は気をつけろと注意する程度にしておいたのだが、今日もミスをし、つい思わず怒鳴ってしまったこと。
そのときのキールの態度がなんだか変で、さらにはマルコまで妙な言葉を残していったこと。
「なるほどな」
ストックは話を聞いて納得した。
「まあ、話してみりゃあ別に大したことじゃないんだがな」
「そうだな」
「……っておい、なんだその言い様は」
「その通りだ」
途端にロッシュの眉が顰められる。
「なんだそりゃ」
「わからないか?大したことじゃないってことだ。おまえが気にすることでもない」
「…マルコと同じことを言うな」
ロッシュはストックをぎろりと睨んだが、ストックはため息一つでそれをかわした。
「大丈夫だ、おまえが心配するようなことじゃない。来週からキールはまた熱心に働いてくれるさ」
「何か納得いかねえんだがなあ」
「気にするな」
「気にするなってもよ……」
ストックの気にするなは逆に気になるのだろう、ロッシュはコップの中の酒を一気に煽った。
「ったくどいつもこいつもなあ。ひょっとして俺は舐められてんのか」
「それは逆だろう」
「……どういう意味だ」
「だからそのままだと」
「…………」
はあ、と余りにロッシュが余りに長いため息をついたのでストックは少し気の毒になった。
「おまえは何も悪いことはしていない。今のまま、そのままでいいんだ」
「だからそれがどう言う意味だっつってんだよ」
「それこそそのままだ。褒めたいときは褒めればいい、怒りたい時は構わず怒ればいい。それでいいんだ」
「……それだけか?」
「ああ。それだけだ」
しかしロッシュはまだ納得できていないようで、不満そうに頭をぼりぼりと掻いている。
「今までもそうやってきたつもりだが」
「そこは認識の相違だろう」
また眉間の皺が深くなってしまった。
「……良くわからん話だな」
「それならこれはどうだ。おまえは今までどうやって部下を育てて来た」
「どうやって…って言われてもな。特別なことは何もしてねえつもりだが」
「隊のやつらはどうだ。あいつらは新兵だっただろう。それをどうやってここまで成長させた?」
「特に何したってわけじゃあねえよ。まあそりゃあ」
ロッシュは自分の顎を撫でながら数秒間考え込んでから口を開いた。
「最初は基礎を叩きこんで、できねえ奴には叱り飛ばしながら何度も…そう考えるとあいつらも中々根性あったな」
「それだろう」
「……だからなんだそれってのは」
「まだわからないのか」
今度は再びストックが呆れる番だった。
「おまえが将軍職に就いて、隊のやつらとは距離ができてしまっただろう」
「そりゃあなあ。悪いとは思ってんだが」
「やつらはどう思ってると思う?」
「どうもこうもねえだろ別に。あれから結構時間経ってんだぜ?あいつらだって、立派に仕事してるんだしよ」
「そうかもしれない。だが俺は物寂しさを覚えているやつらもいるだろうと思う」
「はあ?」
ロッシュは素っ頓狂な声をあげた。
「あいつらだって馬鹿じゃない。隊に居た頃におまえが叱り飛ばしてたのだって、やつらの身を考えてのことだとわかっている」
「…………」
「だから、自分がまずいことをしたら怒られて当然なのに怒られない、それが不安だったんだろう」
そんな現象が今のキールにも起こっていたのだろうと。
「あー」
ストックがそう言うと、ロッシュはようやく納得したようだった。
「そうか、そういうことだったか」
「あくまでも推測に過ぎんがな」
言ってストックはロッシュのコップに酒を注ぎ足した。
「ったく面倒くせえな、キールのやつも」
「おまえの気遣いはたまに空振るからな」
「空振るとか言うなよ」
「本当のことだろう」
「失礼なやつだな……」
しかしロッシュも本気で言い返すつもりは無いのだろう、反論することはなくコップの酒を一気に煽った。
「ともかく、キールも隊のやつらも同じなんだ。叱られるようなことしたら適度に叱ってやれ。喜ぶぞ」
「その言い方どうにかなんねえのか」
ストックはロッシュの言葉を無視した。
「キールはそれで良いが、隊のやつらは多少は不憫だな」
「今となっちゃあ、稽古つけてやることくらいしかできんしな。それも最近は時間無くて訓練所に顔出せてねえし。とはいえ、俺の方も身体動かしてた方が良いからな、もう少し時間見つけてみるか」
「そうだな。隊のやつらがいたら大喜びするぞ」
「だからその言い方どうにかしろっての…」
ロッシュの本能は何か危険なものを察知しているようだ。
それに対しては返さず、ストックは立ちあがった。
「そろそろ寝るぞ」
言いながら寝台の方へと向かい、上着を脱ぎ捨てる。
「寝るじゃなくて、やるの間違いだろうが」
「……今度からそう言った方がいいか」
「冗談だっつーの」
ロッシュは苦笑しつつも立ち上がった。ストックは早々に上半身裸で準備万端である。
ある程度の期間軍にいたこともあるし、動作としては当然着るよりも脱ぐ方が時間は短くて済むのだからさして特別なわけでもない。
のだが、ロッシュは何か、ここにも納得のいかないものを感じるのだった。
「早く脱げ」
「ったく急かすなよ」
ロッシュが大げさにため息を吐くと、
「……そうか、わかった」
ストックはいきなりそう言って、ロッシュの方へと歩み寄って行く。
「……なんだよ」
「脱がしてもらいたいんだろう」
「はあ?」
「そうならそうと言えば、いくらでも」
その言葉を終わりまで言わせずに、ロッシュはテーブルの上に置いてあったコースターをストックの頭に向けて全力でぶん投げた。
至近距離からの投擲はしかしストックには命中せず、壁に当たって乾いた音を立てた。



平上作
2012.03.17 初出

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