何がどうしてそうなったのかは後になってから知った。
ただその時はどうして、何故、そんな思いしかなかった。



仲間が一人、また一人倒れていく中、僕は最後まであの人の背中に守られていた。
あの人の言う方向に全力で走った。しかしそれで二人が逃げ延びることが出来るほど、相手は容易くなかった。
観念するんだな、とか月並みすぎる言葉を言われたような気がする。
それでも、完全に囲まれてもまだ僕とあの人は別働隊の合流を信じていた。
あと少し、時間が稼げればきっと来てくれる!
最後まで希望は捨てなかった。
しかし、その最後というのは、僕にとっては気を失うまでの間のことで。
あの人にとっては、命を失うまでの時間のことだった。



幸せなのかそうでないのか良くわからないけれど、僕はその『瞬間』を覚えていない。
包囲網が段々と狭まって、僕はあの人よりも先に倒された。脇腹に熱さを感じたと思ったら、頭に鈍い衝撃が走った。
てっきり殺されたのかと思った。それならそれで良かった。
僕の方が先に殺されたのならば、それもまた時間稼ぎになるからだ。
つまり、あの人が助かる可能性があるということだ。もう足手まといを庇って戦う必要などない。
そうであって欲しかった。
しかし僕が次に『見た』のは最悪な光景だった。
どこからか複数の足音が聞こえてきて、怒号と共に誰かと誰かが斬り結ぶ音が響いた。
僕がそこで聞いた人の言葉は、撤退、だの、用は済んだ、だの、そんなことだったような気がする。
その後しばらくして、誰かが僕を抱き起こしてくれたんだと思う。
僕の名を呼ぶその声に、一瞬だけ、僕は意識を取り戻した。
そしてうっすらと目を開き、即座に閉じることになった。
目の前に広がっていたのは赤い色。あの人の鎧の色だ。でもその時はそれだけじゃなかった。
あの人の血の色。夥しいほどの血が草地を染めていた。
そして、横になって倒れていたその身体には首が無かった。
僕は再び昏倒した。
意識を失う間際ちらりとだけ、鎧の向こう側で呆然と立ち尽くしている、あの人と同じ赤い色の服を来た人の姿が目に入った。



次に目が覚めた時、どこにいるのかわからなかった。目の焦点が合っていないようだ。
身体が岩のように重かった。頭にも鈍い痛みを感じる。
一度目を閉じて再度開くと、今度は少しはましになった。
見慣れない天井が見えた。辺りを見回したが明らかにここはアリステルの病院ではなかった。
柔かな日差しが入り込み、暖かい室内。ここはどこなのだろう。
と、仕切りのカーテンが揺れ、隙間からひょっこりと顔を出した女性とばっちり目が合った。
「キール!」
レイニーさんは目を輝かせて、早足で寝台に駆け寄って来た。
「良かった、気がついたんだね!」
それから数回僕に言葉を掛けた後部屋を出て行き、またソニアさんとマルコさんを連れて戻ってきた。
「キール君、調子はどうですか」
「…………」
「とりあえずここは安全ですから、ゆっくり治してくださいね」
そう言って優しく微笑むソニアさんの雰囲気は今までと何ら変わらないように思えたが、前よりも顔がほっそりして見えた。
それからレイニーさんとマルコさんは、ここがどこなのかをざっと説明してくれた。
ここはサテュロス族の国、セレスティア。縁あって匿ってくれているらしい。
出入口に結界が張られていて、サテュロス族と一緒じゃないと人間は出入りも自由にできないらしい。
そこまでの話を聞いて、僕は少し咳き込んだ。少しだけ身体に響く。
マルコさんは慌てながら、ちょっといっぺんに話しすぎちゃったかな、と気遣ってくれた。
「じゃあとりあえず僕たちは行くね。村長さんに呼ばれてるんだ」
「ゆっくり休むんだよ!これからのことは後で考えればいいんだから」
「はい」
「じゃあソニアさん、あたしたちはこれで。すいませんが後はよろしくお願いします。ソニアさんも…あまり無理なさらないでくださいね」
「えぇ、ありがとうございます」
そうして二人は慌ただしく部屋を出て行った。
今度はソニアさんが僕の怪我の状態を説明してくれた。僕は重い怪我を負っていたものの回復傾向で、ここセレスティアでは尚更傷の治り早くなっているとのこと。すぐに歩けるようになるだろうと。
説明が終わると、何かあったら呼んで下さいねと言って、ソニアさんも部屋を出て行った。
きっと気を使ってくれたのだ。
レイニーさんとマルコさんからあの後の話を僕は聞かなかった。ソニアさんも口にしなかった。
そう思った途端、身体が震えてきた。
無理やりにでもゆっくりと深呼吸して、時間をかけて落ち着かせた。
ソニアさんは強い人だなと思った。
この僕に対してさえも以前と同じように振舞おうとするその姿勢を、本当に強いと思った。
とても真似できそうにない。
僕よりもあの人に対して強い想いを持っていたソニアさんはこんなにも気丈なのに、僕の方といえば。



日が暮れかけた頃、それまでうつらうつらしていた僕に再び来訪者があった。
馴染みのある足音を響かせてやってきたその人は一度口を開きかけ、しかし噤んでしまった。
その人は少しの間僕をじっと見ていて、僕も目を離せなかった。
やがて、その人は静かに言った。
「ペールゼン隊だそうだ」
「…………」
話が急すぎて何を言っているのかすぐにはわからなかった。
「おまえたちを急襲した部隊の名だ。わかるだろう」
「………はい」
気のせいかもしれなかったが、おまえたちの『たち』の部分に力が入ってるように思えた。
口の中はからからなのに、僕は無理やり唾を飲み込んだ。
身体の奥に力を入れておかないと何かが口から出てしまいそうな気がした。
意識を他に持って行かないと、内なる声に負けてしまいそうだった。
頭がすごく重い。
そんな僕の状態を知ってか知らずか、その人は淡々と言った。
「俺はグランオルグへ行くつもりだ」
何をしに、とは僕は聞かなかった。
この人は言ったことは必ずやり遂げる人だ、一緒の隊になって少ししか経っていないのに僕にはわかっていた。
あの人から話を聞いていたから。
その代わり僕はこんなことを聞いてしまった。
「……いつ、出発するんですか」
それを言葉にしたことで、僕は内なる感情と向き合わなければならなくなってしまった。
ただ、この感情は僕だけのものじゃない。
特に、今は。
「五日後だ。……来るか」
その人は本当は僕なんかを連れて行く気はなかっただろう。
怪我の程度のこともあるが、僕はこの間まで新兵だったのだ。
一緒に行ったところで足手まといにしかならないのは目に見えている。
それでもその人は僕にそのことを伝えに来て、当然のように僕は首を縦に振った。
それまでに身体をしっかり治しておけ、と言い置いてその人は去って行った。



やがて夜になったが、僕に眠気が訪れることはなかった。
そもそも、正確にはあの出来事から何日が経ったのだろう。
出された食事を一口二口だけ口にして横になったのだが、身体も頭もとても重いのに睡魔が訪れてくれない。
寝なければその人に同行することすらできないのに。それでも眠れなかった。
何だかんだと次の日になり、眠れて居ないのに身体の重みはかなり取れてきていた。
横になっているだけでも人間の身体は回復するようになっているらしい。
相変わらず頭は重かったが、昨日よりはご飯も食べられた。
早く治さなければ、その人について行くために。
しかし気ばかりが焦り、その日も結局眠れなかった。
その次の日はようやく眠れたものの、酷い夢を見てすぐに目が覚めてしまった。
さすがにまずいと思い、ソニアさんに話しかける勇気が無かった僕はマルコさんに相談した。
マルコさんは快く、良く眠れる薬湯を作ってくれた。作り方も教わっておいた。
これから先、何があっても眠れるように。
マルコさんはそんな僕のことを本気で気遣ってくれた。
「キール君も……大変だったね」
それに対して、僕は自然と苦笑を浮かべていた。
「いえ自分は守られていただけですから」
自分の言っている言葉が自分を苛んでいくのがわかった。じくりじくりと。
「……せめて、これで少しは眠れるといいね」
優しい言葉をかけてくれるマルコさんに頭を下げ、僕は心の底からお礼を言った。
僕はその後、結界樹のところに出かけた。
ここの広場は普段人間に厳しいサテュロス族でも、人が立ち入ることを拒まない。
ありがたかった。
大きくそびえる結界樹を見上げる。
神聖な雰囲気が漂うこの樹の側にいると、全ての苦悩を洗い流してくれるような錯覚を覚えるのだが、そんなことは断じて無かった。
あくまでも錯覚は錯覚で、僕の脳裏にはあの光景が焼き付いている。
思い出さないように思い出さないようにと、昼間起きている間は自制できるのだが、夜の夢までは制御できなかった。
だがこれからは違う。
その人は道しるべを作ってくれた。
悪夢を追い払うために行動することができるのだ。
傷の治りは驚くほど早かった。悪い夢で余り眠れないものの、確実に体調は良くなってきている。
出発まであと数日。とにかく身体を休めよう。



時間はあっという間に流れ、出発の日がやってきた。
マルコさんが調合してくださった薬と環境のおかげもあってか、体調は悪くない。
外傷は良くなったと言えど病み上がりに変わり無い僕は、その人のペースに合わせられる自信は無かったが、何としてでも付いて行く気力だけはあった。
入口で先に待っていたその人は、僕の姿を認めるとすぐさま歩き始めた。
門番のサテュロス族の人には、先発した人達と合流すると伝えておいた。
実際、その人がそのようなやり取りするのを僕は見ていた。
レイニーさんやマルコさんは僕たちと一緒に行きたがったが、その人が拒否していた。
二人は不満そうな顔をしていたが、その人の話を聞いてるうちに何とか納得してくれたようだ。
レイニーさん、マルコさんとサテュロス族の人達はアリステルに侵入することになっている。
僕たちは先にグランオルグ方面を探ることになっていた。
ただし無理はしない。行けるとこまでしか行かない、様子だけ見てすぐさまレイニーさんたちと合流すると。
その人がどこまで本気で約束を取りつけたのかはわからない。
こうして僕とその人の奇妙な二人旅は始まった。



意外なことに、その人は僕に無理のないペースで進んでくれた。
道中に現れる魔物もその人が退治してくれた。
何故その人がそこまでしてくれるのか、僕は深く考えなかった。
その人の助けを借りながら、第一の関門、グランオルグ側の検問所近くまで辿り着いた。
レイニーさん達との話では、ここら辺までが偵察の範囲だ。
僕はその人に聞いた。
「……どうするんですか」
「強行突破する」
その人は揺ぎ無い声で即答した。
騒ぎを起こしたらまずいのでは、などと僕も言わなかった。
「おまえはここに隠れていろ。合図したらすぐに走って付いてこい」
「……わかりました」
僕は茂みの中に身を隠し、その人は検問所へ向かった。
それからは早かった。その人が検問所へ近づくと、グランオルグ兵が怪しんで仮設のテントから出てくる。
ある程度人数が揃ったところで、その人はすぐさま動いた。
あっという間だった。
その人は一撃でグランオルグ兵を斬り伏せていった。あっという間に距離を詰め、突きを放つ。余計な動きなど一切ない、人をただ絶命させるための行動。
素人目にも関わらず、一緒の隊で見ていた時よりもその剣は鋭くなっているように見えた。
背筋にうっすらと冷たいものが走る。
そうこうしているうちにその人が合図をくれたので、僕は考えを止めて飛び出して行った。
見周りの仲間の兵がいつ戻ってくるかわからない。
僕たちは全速力で検問所を突破した。



僕はその夜、その人に一つお願いをした。
「剣を教えてくれませんか」
その人に聞こえる程度の小声で言った。木に背中を預けているその人は中々返事してくれなかった。
「僕も、あなたのお手伝いをしたいんです。勿論あなたにまで追いつけるとは思いません。ですが、少しでも…せめて、自分の身は自分で守れるようになりたいんです」
お願いします。
僕がもう一度頭を下げると、その人は小さく、わかった、と言って了承してくれた。
そこでふと思った。
その人は僕の傷が良くなっていっていることを知っている。その目で見ている。
そんな僕が未だこの命を惜しむようなお願いをしている。
どんな思いで了承してくれたのだろう。



それからのグランオルグへの旅路は当然のように先を急ぐものとなった。
出来る限りの速度で歩いた。以前のような僕に合わせたスローペースではなく、ほとんど小走り状態で進んだ。
そして、実戦を踏まえながら僕はその人の剣を学んでいった。
少しずつ、戦えるようになったとは思う。
それから間もなくして、僕たちはグランオルグへと着いた。
門のところには哨兵が何人か立っていたが、そこに緊張感はない。時折笑い声が聞こえてくるくらいだ。
検問所のことはまだ知られていないのだろうか。
かといって油断はいけない。
その人の提案で僕だけ先行することになった。草陰に隠れていた僕は顔が割れている可能性は無い、そのまま入れるはずだと。
万が一、何かがあったらその時はちゃんと助けに行くと。
僕はその人の言葉を信じ、普通の旅人の振りをして城門を通り過ぎた。
見事作戦は成功し、怪しまれることもなくグランオルグの街中に足を踏み入れられた。
その人は後から来ると言っていたが、そう遅くはならないだろう。
僕は大通りを見渡せる場所で待った。
程なくその人は現れた。
「どうやって通ってきたんですか」
疑問に思った僕はその人に聞いたが、答えは返って来なかった。
どうでもいいことなのだろう。騒ぎが起きている様子もないので、僕もそれ以上問わなかった。
僕は気持ちを切り替えて次はどうするのかをその人に聞くと、その人は一枚の紙を僕に手渡してきた。
受け取った僕は中に書かれている内容を見て、目を見開いた。
それはグランオルグ軍の武勲を称える記事だった。
内容は、ペールゼン隊、アリステル最強の兵士を討つ。
その後にもグランオルグ軍優勢だの今後の展望だのなんだの書いてあったのだが、僕の目には入らなかった。
その人は静かに言った。
「近々、祝賀パレードが開かれるそうだ」
アリステルで行われたのと同じようなものなのだろう。僕も……あの人と一緒に参加した。
沿道の人から惜しみない歓声を聞かされる、あれだ。
グランオルグのそれがアリステルのものと似てるとも限らないが。
「そのときがチャンスだ」
「……はい」
その人が何を考えているのかはすぐにわかった。僕も同じことを考えていたからだ。
事前に兵士の服を奪って成りすまし、城に潜り込むことになった。
パレードは一週間後。それまでに準備を進めることになった。



そして短いようで長いような一週間が過ぎた。情報収集し、兵士の服を奪い、僕たちは万全の準備を整えた。
パレードには直接参加せず、城での待機役になった。グランオルグ兵もアリステルと同じで、常時人手不足だ。
軍服を着て兜を被ってしまえば顔つきなどわからなくなる。
パレードが終われば彼らは城に戻ってくる。その時を狙うことにした。
パレードからペールゼンが戻ってくる間、僕の思考回路はぐるぐると回っていた。
心臓がどきどきと高鳴っている。
大歓声が遠くから聞こえている。
やがて、城の玄関に大勢の軍人が帰還した。途端にざわざわと騒がしくなる。
こんなに近くにいるのに、ざわめきはとても遠くのものに感じる。
僕はその人と目を合わせ頷いた。その人はそっと、騒々しいこの場から抜け出して行った。
後は僕の仕事だ。まずペールゼンの居所を探した。苦も無くすぐに見つけられた。
忘れるはずのない顔だ。
仲間と冗談を言い合って笑っている。それを見ていたら、ぐるぐるしていた心が驚くほどに静まった。
ペールゼンと仲間の掛け合いが落ち着いてからタイミングを見計らって、僕は声を掛けた。
「ペールゼン隊長、お疲れさまであります!」
「おぉ、ご苦労」
声も震えていなかったはずだ。
「ペールゼン隊長に極秘にお会いしたいと言う方がおられます。こちらに来て頂けますか」
「わかった、今行く」
僕は手はず通りに、ペールゼンを誘導した。
ペールゼンは部下と思われる兵士に軽口を叩いてから、僕の後ろに付いてきた。
陽が差し込み、装飾品も綺麗に飾られている廊下をひたすら歩く。
城の奥へ入りこむにつれて、玄関のざわめきが遠くなっていく。
僕とペールゼンの足音がはっきりと聞こえるようになった頃、とある会議室の前で足を止めた。
今日は誰も使う予定もないはずの目的地だ。下調べは済んでいる。
「こちらになります」
静かに扉を開けてペールゼンに入るよう促して、何も疑問を感じていない奴はすんなりと中に入ってくれた。
僕はその後に続き、扉の脇に控えた。
「……誰もいないんだが」
「いえ、いらっしゃいます」
「どこに」
そうペールゼンが言った瞬間、ペールゼンの喉元に剣が突き付けられていた。
ペールゼンにとってはいきなり目の前に人が現れたように見えたことだろう。単に扉の影に隠れていて、ペールゼンがその人を見つける前にその人が姿を現しただけだ。と言っても、僕の目にもその人の動きは見えなかったのだが。
心底驚いたのだろう、ペールゼンは声を出さなかった。出せなかったのかもしれないが。
「な、」
ペールゼンが後ろに一歩引いた。それと一緒にその人の剣も一歩先へと移動する。
「覚えているか」
そう言うと、その人は兵士の兜を脱ぎ去った。
ある程度重みのある兜だが、床にはじゅうたんが敷かれているため、大した音はしなかった。
綺麗で少し長めの金の髪がその人の特徴だ。
それで一気に思い出したようだった。
「お、おまえは」
しかしそれから先は言わせなかった。より一層、剣がペールゼンの喉元に迫る。切っ先が皮膚を薄らと傷つけている。
赤い血が一滴伝うのが見えた。
あの人と同じ、赤い血だ。
しかしそんな状況でもまだペールゼンは諦めていなかった。
「ま、待て、何が望みだ……!」
「…………」
これには、僕は勿論、その人も大きな失望を感じたと思う。
こんな人間にあの人は殺されたのだ。
僕たちが黙っているのを見たペールゼンは早口に言い放った。
「ここはグランオルグだ!俺を殺したところで、」
すぐに捕まるだのばれるだの、そういうことを言いたかったのだろう。
しかしペールゼンは次の言葉を告げれられなかった。
あの人の剣は深くペールゼンの喉元を貫いていた。
僕はペールゼンが倒れるのをただ見ていた。
人が死ぬ瞬間を、ただ見ていただけだった。



それからのことは余り詳しく覚えていないが、僕とその人はどうにか城を脱出し街に戻った。
着ていた兵装は勿論処分して、僕は旅人の服装で、その人はいつもの服装に戻った。
目立ちすぎるのではなどとは思わない。その人はどうとでもしてしまう人だ。
一先ず宿屋に行くことになった。あんなことをした後で危険ではないかと思ったが、堂々としていれば逆にばれないものだと言われた。
僕は深く考えられず、そんなものかと思い同意した。
観光区の宿屋に落ち着いて、寝台に腰掛けぼーっとしている僕にその人は聞いてきた。
「これからどうする」
窓からは光が差し込んでいる。その明るさに耐えられず、僕は立ち上がってカーテンを閉めた。
「――さんはどうするんですか」
「決まっている」
そう言って、その人はそれが当然でもあるように言った。
「次は首謀者だ」
「……首謀者?」
僕は言葉を覚えたての子供のようにおうむ返しに問い返した。
「当たり前だろう、ペールゼンが一人で考えてやったことだと思うか」
「…………」
確かに当然だった。ペールゼンはグランオルグ軍の一小隊の隊長に過ぎないのだ。
上からの命令を受け実行したに過ぎない。
そして驚くことにその首謀者の見当もとっくに付いているという。
僕が意識を失っている間、或いはセレスティアで休んでいる間に調べ上げたと。
その人は何の感情もこもっていない口調で、極めてわかりやすい言葉で、淡々と告げる。
「セルバンとヒューゴだ」
「ひゅ、ヒューゴ大将が!?」
セルバンの方は予想外では無かった。セルバンとディアスの名前は何度も聞いたことがある。
グランオルグの実権を握っているのもプロテアではなく彼らだという噂も前から聞いていた。だから納得できた。
だがもう一人は、ヒューゴ大将。僕――僕たちの、一番の上官だ。アリステル軍の、総大将だ。
「キール」
はっ、と僕は息を呑んだ。
その時呼びかけられた声が今までと違って、強いものだったから。
今までにないほどの厳しい視線が僕を射抜く。
僕は竦み上がった。
「俺は言ったな。気をつけろ、と」
「…………」
確かに言われた。僕はその人から頼まれたのだ。気をつけろと。
警告のメッセージを受けていたのだ。
僕は。それなのに。僕は。
「これからセルバンを討つ」
そこでその人は僕から視線を外して言った。
先ほどまでの強い敵意は既に無い。
しかし僕は何も言えなかった。口を開けなかった。
「グランオルグを出るなら今のうちに出ておけ」
セルバンがやられたらさすがに大騒ぎになる。
それだけ言い置いて、その人は部屋から出て行った。



僕は半分だけその忠告を受け入れた。
それから暫くの間を街で過ごし、セルバン伯爵が暗殺されたという話を聞いてからすぐにグランオルグを出たのだ。
混乱に乗じて上手く出られたと思う。
向かってくる魔物から逃げながら、グラン平原を回った。
試しに検問所のところまで戻り様子を伺ったがさすがにもう検問所は通れない、最初の時よりは倍ほどのグランオルグ兵が詰めていた。
僕は静かに平原に引き返した。



グラン平原で何日野宿をしただろうか。
幸い、自分の命を食い繋ぐだけの食糧と水は平原で全て調達出来た。
夜は若干冷えたものの、マルコさんから教わった薬のおかげでゆっくり眠れたから問題なかった。
その材料も有難いことにグラン平原で手に入れられた。
睡眠薬で眠っている中魔物に襲われて、朝目覚めることがないのも覚悟していたがそんなこともなかった。
昼間、平原を闊歩している魔物の目から逃れ、時折姿を見せるグランオルグ兵からも身を隠す。
自分が一体何をやっているのかもわからない日々を過ごした。
あれだけうなされていた悪夢ももう見なくなっていた。ペールゼンが討たれたからだろうか?わからない。



そして良く晴れ渡ったある日。
僕はあの人が亡くなった場所を訪れようとしていた。
何故その日に行こうと思ったのかわからない。そもそもそこへ行くべきなのかどうなのかもわからなかったのだ。
ただ、その日の朝目覚めて、そうだ、行かなければと思った。
そういえばあの人の墓はどうなったのだろうか。
他の隊員たちの墓も、アリステルに作られたのだろうか。
しかし謀略にはめられたのだ、作ろうとも思われないかもしれない。
いや、仮に作りたいと思ってくれる兵士たちが居てくれたとしても、上を恐れて作れないかもしれない。
ならばせめてあの人が亡くなった現場に一輪の花だけでも添えられれば。
グラン平原は砂漠化が進行する一方で、まだまだ緑が多く残っている土地だ。
草木は力強く芽吹き、青々と茂っている。野花もそこかしこに咲いている。
僕は名も知らない花をいくつか摘もうとし、摘んでるうちに腕いっぱいに抱えるほどになってしまった。
苦笑しながら僕はそれを運び歩いた。
不思議と魔物に出会うこともなく、程なくしてその場に着いた。
当然だがただの草地だった。
何度も風雨に晒されたのだ、戦場の痕跡など何も残っていない。
だが場所は正確に覚えていた。
あの人が倒れた箇所は覚えていた。
僕はそこへ立つと、花をそっと下ろした。
しばらくそこで僕は目を瞑っていた。
風自体の音と、風が立てる音が聞こえている。
やがて、それらの音に異なる音が混じってきた。
ある程度の重量を持った何かが草を踏みつける音だ。
徐々にその音は近くなってくる。
僕は目を開け、ゆっくりと後ろに振り向いた。
そこには、いつもの赤い服を纏ったその人が抜き身の剣をぶら下げて立っていた。



僕も剣を抜いた。敵わないのは百も承知だ。
剣の腕でその人に敵うはずがない。何しろ、アリステル最強と謳われたあの人に剣の腕が最高だと言わせるような人なのだ。
僕などの雑兵が万が一にも勝てる可能性なんてない。
それでも僕は何もしないでやられる気は無かった。
「どこに行ってたんですか」
「……言わずともわかるだろう」
確かに想像はついていたが、今の言葉で確認した。
きっとこの人は単身アリステルに乗り込んでいたのだ。
そして、グランオルグと同じようにその目的を果たした。
だからここにいる。
最後の目的を果たすために。



旅路で僕のペースに合わせて歩いてくれた理由。
魔物を倒してくれた理由。
僕をグランオルグへ、そしてペールゼン暗殺に連れて行った理由。
言わずもがな、すべてこの日のため、だ。
あの人の生命を奪った者たちへの、何だろう。
復讐だろうか、憎しみだろうか、怒りだろうか?
グランオルグの宿屋で斬らなかった理由はきっと単純だ。
僕を斬るのは最後にしたかったのだろう。
予測でしかないが、何となく当たっている気はした。
彼は僕を憎んでいる。当たり前のことだ。
彼の、大事な親友が亡くなって、その大事な親友の『お荷物』であった僕は生き残ってしまった。
至極当然の感情だ。
僕は口元が緩むのを感じていた。
それこそがまた、僕の望みでもあったからだ。
彼は眉根を顰めていたが、やがて一歩僕に向かって踏み出した。
その歩みはすぐに疾走へと変わる。
僕も駆け出した。その人に向かって。

もう少し、もう少しだ。
もう少しで。

その人の姿が目前に迫る。
彼の瞳の色が何故か目に焼き付いた。



気が付けば、僕は胸を深々とその人の剣に貫かれて、地面に転がっていた。



身体の奥から熱いものが込みあげてくる。
ごぼ、と僕は血を吐いた。
腕を残った気力で動かし、何とか口元の血を拭った。
赤い、赤色だ。あの人と同じ。
そこで腕が力尽きて草の上に落ちた。もう腕を上げる力は無い。



随分狭くなった視界の中、見上げれば、その人が僕を見下ろしていた。
荒い息を吐いている。
僕は最後の力を振り絞って声を出した。その人に届けば良いと。
聞こえるだろうか?
「……ク、さん」
「…………」
名前も呼べなかった。だが、きっと聞こえたのだろう、その人と目が合った。
「……勝ち、です……ね、ぼく、の」
「…………」
その人は一言も喋らず、僕の方を見つめていた。
いつ、この喉元を掻っ切られるか、内心どきどきしていたが、それでも構わなかった。
「あなた、には敵わない、ぜ、ったい……」
そんなことは誰が見ても明らかだ。
僕の方が実力も付き合いの長さも劣る。
全てにおいて劣っている。
あの人は僕のことは大事な部下だとしか思っていない。
その人のように、肩を並べて立つことなど許してくれない。
あと二十年、三十年の時間があれば違っただろうか?いや、きっとそんなことはない。
どっちにせよ、そんな時間はもう無いのだ。
あの人は僕を庇いながら死んでしまった。
そして僕ももうじき死ぬ。
それでも、唯一つ、その人に勝てた、と思うことがあった。
そのことが嬉しくてたまらない。
肉体的には正にどん底で、身体は熱いし痛いし意識も朦朧として、何が何なのか良くわからない状態だ。
だが、喜んでいた。これまでにない程の喜びを感じていた。
その人に勝てる。
ただ一つでも勝てることがある。
勝てることがあった。
勝てることが出来た。
「ぼく、のがさき、に……先に、会える」
「…………」
「たいちょ……に、会え……も……少しで…」
僕には最初からわかっていた。
その人の気が済むには何をしたら良いのか。
最後にその人は何をするか。
当たり前だ、僕を殺すだろう。許しはしないだろう。
つまり、そういうことだ。
その人は必ず僕を殺す。僕はそのまま殺される。
元情報部一の腕利きから身を守るほどの戦闘技術など、僕には無い。
そんな僕がその人に勝てることと言えば、それだけだ。
隊長に、早く会える。
ただそれだけ。
ひょっとしたらその人も後を追いかけてくるのかもしれない。
それまで、たった五分でも一分でも構わない。
その人よりも早く、隊長に会える。
その間だけは、隊長は僕を見てくれる、きっと。
それだけで充分だった。
そもそも、死んだ人間は天に還ると言われてはいるものの、具体的にどんな世界なのかもわからない。
会えない可能性だってあるかもしれない。
でも僕は絶対に会ってみせる、せめて少しの間だけでも。
絶対に。



目の前がいよいよ暗くなってきた。その人の顔も見えなくなる。
苦しいから空気を取り入れようとしているのに、逆に息がゆっくりとなっていくのが自分でもわかった。
ゆっくりになるにつれ、耐え難い温かな眠気を感じ、苦しみが少しずつ和らいでいく。



意識を失う今際の際に、僕は笑っていられたと思う。
あの人に笑顔を見せるため。
怒鳴られても構わない
情けないと言われても構わない。
殴られたって良い。
あの日から、僕の願いはただ一つ。



隊長、早く、あなたのそばに。



平上作
2012.02.15 初出

RHTOP / RH-URATOP / TOP