ストックがシャワー室から戻ると、ロッシュは壁に向かって、つまりこちら側には背を向けて布団を被っていた。
扉の開閉音で気づいたのか微かに身じろぎしたものの、それだけだ。
ストックは構わず髪を拭きながら寝台に近づき、腰を掛ける。充分に髪の水分を拭き取ってからタオルを投げ出して、同じ布団に潜り込んだ。
その時ロッシュの濡れた髪が枕を湿らせているのに気づいたストックは眉を顰めた。

「……きちんと髪を拭いたか」
「そりゃ拭いたが、なんだよ」
「濡れてるんだが」

髪が乾かないうちに布団に潜り込めば寝具が湿ってしまうのは当然のことだ。それは今のストックとて同じである。
しかしロッシュの場合は髪の毛が長いのも相成ってか、少し湿るという言葉では済まされない程度になってしまっている。
ストックが指差した先をロッシュも身体を起こして確認し、ああそりゃ悪い、と謝った。

「黴が生えたらどうする」
「大丈夫だろ、こんくらいなら」
「…………」
「んな睨むなよ」

ロッシュとてさすがに黴の生えた寝台に横になりたいわけではないのだろう。
しかしロッシュは苦笑しながらストックの頭を軽く小突いた。憮然としたままのストックに謝ったつもりなのか、次は髪をくしゃくしゃに乱された。
お返しとばかりにストックはロッシュの腰に抱きついて、不安定な姿勢のまま寝台に押し倒してやった。

「おわっ」

結果的に背中から抱きつく姿勢になり、ストックはそのまま身体を密接させた。羽交い絞めのような形でロッシュの身体をぐいぐいと引きつける。
ロッシュが苦笑する気配が伝わってくるがそれ以上は何も言ってこない。
今日が何度目の逢瀬になるのかなどさすがに数えてはいないが、いい加減慣れてきたのか或いは諦めているのかもしれない。
それならばそれでいい。受け入れられている、拒否されない。
それだけでストックには充分だった。
ストックは無意識のうちに上機嫌になりながらロッシュの身体に触れた。
既に行為は済ませた後だから、強い刺激は送らない。肩を後ろから撫でたり、腕をロッシュの前に回して心臓の辺りに掌を置いてみる。
愛撫と呼ぶには微妙な行為で、特にロッシュは皮膚感覚が鈍く、苦笑している気配はするが反応は特にない。
それでもやりすぎるといい加減にしろと止められるので、ある程度は加減しつつ肌の温もりを全身で感じ取っていく。

「なあストック」
「……なんだ」

声をかけられてもストックの手は止まらない。ロッシュが眠りに就くまでの残り少しの時間も無駄にしたくないのだ。

「前から思ってたんだが」
「前から?」
「ああ。この体勢だとよ、おまえの背後がら空きだよな」
「…………」

言われた言葉が停止しかけていた思考回路を動かし、ストックの動きが止まった。
背後ががら空き。勿論その通りだ。
ロッシュは壁に向かって横になった状態で、ストックも全く同じ姿勢で前のロッシュにくっついているのだ、当然である。

「……それがどうかしたか?」

ロッシュの意図を測り損ね、ストックは疑問を口にする。
確かに問題は皆無ではない。例えば外部的要因だが、今この瞬間に誰かが部屋に乱入する者が完全に居ないとは言い切れない。
そんなことを考えていると、ロッシュは今度は具体的に聞いて来た。

「もし、玄関から暗殺者でも入ってきたら、おまえはどうする?」

思わず、ストックはため息一つ吐いてしまった。
こちらが熱心に身体に触れていると言うのに暢気な――というのは、今ロッシュが考えているのが物騒な事柄なだけにおかしいのだろうが。
ストックの心に一瞬魔が差した。
ストックはロッシュの長い髪を襟足から持ち上げるようにし、そのうなじへと口付ける。
さすがにロッシュも慌てて制止の声を投げてきた。

「っておい、何してんだよ」
「……無粋なことを言うおまえが悪い」
「何言ってんだ」

それなりの力を出せばあっさりこの体勢をひっくり返せるだろうがロッシュにもそこまでする気は無いようで、それ以上の動きは見せない。

「俺は真面目に言ってんだぜ」
「…………」
「おまえも耳にしてんだろ?この間騒ぎもあったしな」
「……エルーカか」
「ああ」

国家の上層部にいる人間にとってはグランオルグのエルーカ女王がたまに暗殺者に狙われていると言うのは有名な話だ。ましてやエルーカはストックの血の繋がった妹であり、ストックがそれを憂慮しているというのもロッシュは知っている。
つい先日、グランオルグでエルーカを狙った騒ぎもあった。この時は事前に情報があり詳細も掴めていたので、グランオルグ軍が事前に鎮圧でき大事にはならなかったのだが。
勿論、アリステル自体にもそのような騒ぎはいくつもあった。戦争後色々とごたついていたアリステルも今は落ち着きを取り戻し始めてはいるが、不穏分子の排除はまだ完全ではないのだ。
ストックとロッシュがこうやって肌を合わせていることはさすがに漏れてはいないだろうが、この部屋にたまに泊まっているという情報はどこかに漏れていてもおかしくはない。
二人の実力を知っている者であれば二人が揃っている時をわざわざ狙ってくるとは考えづらいが、一人で居る時に襲われない可能性というのはゼロではない。
そういうことをロッシュは言いたいのだろうか。大体今は二人揃っているからこの体勢になっているというのに。
ストックは少し考えた。玄関に鍵は掛かっているが、そんな乱暴な侵入者の場合には役に立たないだろう。
しかし。

「玄関から侵入される場合なら、その間に対応できる」
「だな」

ロッシュは口の奥で笑いを噛み殺している。
玄関からならば短い廊下を経て、もう一度この部屋へ通じる扉を開けなければならない。
扉を挟んでいるとはいえ、ストックは元情報部の腕利きだ。玄関の鍵を開けられたのならばその気配で察知できる。
自分の能力に過信しては駄目だが、その能力を低く見積もりすぎるのも戦の上では致命傷となる。
それなら、とロッシュはさらに言葉を続けた。

「そこの窓から入ってきたらどうする?」
「窓か」
「縄でも何でも使えば、入って来れるぜ」

カーテンを閉めていれば、こちら側の様子もわからないが外の様子もわからない。
だがそれも先ほどの玄関からの侵入者と同じだ。

「確かに玄関から侵入される場合よりは時間が無いが、同じことだ。窓を破って入ってくる間に対処する」
「頼もしいぜ全く」

ロッシュがにやけているのが見なくてもわかった。
大体ロッシュもアリステル最強の軍人と呼ばれるほどの戦士なのだ。彼は重装甲兵だからストックより速度は落ちるが、蹴散らすことは簡単だろう。
だが、とロッシュは少し声を低くして言う。

「窓から爆薬でも投げ込まれれば終わりだがな」

ストックは手を止めて思案顔になった。

「だがそれでも爆薬の量と質にもよるだろう」

爆薬は戦争にも良く使われていたが、その質はあまり良くなかった。それなりの量が無いと攻撃力の高い爆発物として用を足してくれないのだ。
ストックが実際使っていたものでも、大樽一杯に爆薬を詰めて漸く大きな岩一個を壊せるほどの威力に過ぎなかった。
小型で人を殺せるほどの爆発力のあるものなど、今はまだこのヴァンクール大陸には存在しない。
もっともその点が解消されれば暗殺が容易になり、各国の要人にとってかなりの脅威となるだろう。

「それなら魔法はどうだ、窓からGファイアを叩きこまれるとか」
「爆薬よりは現実的な脅威だな」
「まあだが」

と、ロッシュは一呼吸置いてから窓の方に目を向けて言った。
炎系魔法は一般的にその熱量で相手を攻撃するものだ。爆発力で相手を退けるものではない。
そのためにはどうしても窓を割る必要が出てくる。

「窓も割らなきゃ入れんからな。結局、玄関と同じか」
「そういうことだ」

部屋に侵入するには結局は窓や玄関から入らねばならない。鍵の閉め忘れなどが無ければ当然、それを破って侵入する必要がある。
鍵を盗むなり合い鍵を作るなりして部屋に忍び込んで待ち伏せという手段もあるにはあるが。

「待ち伏せなんてな…それこそ俺やおまえの仕事の具合を知らなきゃできねえことだし」
「そんなことになったら、少し厄介だな」
「ああ、俺たちに近い人間が暗殺に関わってるってことだからな」

当然のように、ロッシュやストックの仕事の予定などは彼等に近しい上司や部下しか知らないことだ。
もしその彼らが情報を漏らしていたとなると、大分ややこしいことになる。

「そんなことにならんようにしねえと」
「そうだな」

ストックは首を縦に振って肯定の意を伝えると動きを再開し、またロッシュの身体に触れ始めた。
ロッシュが再び苦笑したのがわかった。

「それにしても良く飽きねえな、面白みのあるもんじゃねえだろうに」

ストックが触れることを止めはしないロッシュだが、性的な接触ではなくこうやってじゃれあうような触れ合いを求める理由はわからないのか、いつもそんなことを言ってくる。確かに意味の無い行為に見えるのだろうロッシュには。
当然ストックには説明のできる明確な理由はあるのだが、根本的なことは既に何度も口にしている。
それを改めて口にしたところで理解されるとは思えない。

「眠くなったら言え」
「もう眠いんだが」
「……気にするな」
「言っても聞かねえじゃねえか!」

面と向かい合っていたならば頭を叩かれていただろう、しかし今はロッシュの背中にストックが張り付いている体勢なのだ。ロッシュの手はストックの頭には届かない。
ストックはそのまま行為を続けることにした。本気で拒絶したいのならば取れる手段はいくらでもある。
まず、背中にそっと手を伸ばした。寝間着越しにほんのりとした体温が伝わってくる。
ロッシュの背中はかなり広い。ストックは肩や肩胛骨、背骨、と満遍なく様々なとこに触れていった。ロッシュは何も言わず、黙って好きなようにされている。
と、ストックは思いついて唇を背中に押し当てた。
寝間着の上からの接触では多少物足りなさを感じるが、それでも行為を止めずに続けていく。
背中の真ん中ほどに来た辺りでロッシュが呆れたように言ってきた。

「さっきから何してんだよ」
「気にするな」
「気にするっての」

べたべた触られてるとさすがに眠れん、というロッシュの訴えにストックはようやく行為を止めた。

「続きはまた次の時だな」
「……どんだけ続けるつもりだそれ」
「俺の気が済むまでだ」
「あのな、誰の身体触って言ってると思ってんだよ」

ロッシュの至極真っ当な訴えに、ストックは正々堂々と言い放った。

「おまえのだが」
「……わざと言ってんな?」

ロッシュは肩でストックを押し退け仰向けとなり横にいる男を睨みつけるが、退けられた本人はこのようなやりとりには当然慣れている。少しも怯むことなく、ストックは別の話題を持ち出した。

「ロッシュ、さっきの話の続きだが」
「さっきのってなんだ」
「侵入者の」
「ああそれか。つーか人の話、無視すんなよ」
「無視などしていない。終わった話だろう」
「ほーう。じゃあ何の話が終わったのか説明してもらおうか」

人の話をちゃんと聞けと軽く小突いてくる。
しかしその手もストックの目から真剣さを嗅ぎ取ると大人しくなった。かと思いきや、

「真面目な顔すりゃ済むと思ってんじゃねえだろうな」

先ほどのはただの"振り"だったらしい。
ロッシュは右腕を動かして、ストックの頭の下に差し込むと首を抱え込んだ。
本気で首を絞められる感覚にさすがに観念し、ストックはロッシュの腕を叩く。
腕の力はすぐに弱められ、首の下から腕が引き抜かれた。

「わかったか」
「……悪かった」

ストックは素直に謝り、ロッシュもそれに満足したのか、軽く笑みを浮かべて機嫌良さげに先ほどストックが言いかけた話の続きを促した。

「で、さっきの侵入者の話がなんだって?」
「ああ……いや、例えばこの寝台の下に潜んでたらどうする、という話がしたかっただけだ」
「なんだ、そんなことかよ」
「そんなこと、じゃない。もし実際にあったらどうする。可能性はいつだって0ではないだろう」
「危険はいつでもどこにでもある、か」
「そういうことだ。ある程度想像できていればその分冷静に対応できる。おまえだって将軍なんだ、軍の演習の重要性くらいわかっているだろう」
「当たり前だ。が、一つ忘れてることがある」
「何だ?」

ロッシュは険しい目線をストックに向け、声を絞り出すように低い声でこう言った。

「俺はな……眠いんだよ。いい加減寝かせろ」
「もう少しくらい良いだろう」
「もう少しってあとどれくらいだ」
「…………」
「あのな、そこで黙るなよ……」

ストックに解放されたのは、結局それから30分ほど経ってからのことだった。



平上作
2011.10.08 初出

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