ストックは持っていた書類を整えるため紙束の端で机をとんとんと叩いた。
部屋の壁に掛けてある時計に目をやると、既に時刻は日付が変わってから30分ほど経っている。
ストックは執務室の鍵とあの部屋の鍵を手に立ち上がった。
今日は元から遅くなる予定で、先日借りた城近くの部屋に泊まるつもりだった。
部屋の入口近くに置いてある持ち歩き用のランプを手に取って手早く火を入れると部屋の扉に鍵をかけ、ストックは己の執務室を後にした。
さすがにこの時間まで残っている者はいないらしく、夜闇に包まれた静かな城の中を歩く。
戦後、マナの消費を抑えるためにアリステルの夜を照らしていた常夜灯の使用は禁止された。代わりに用いられているのがストックが手にしているような昔ながらのランプだ。昔ながらと言いつつも、グランオルグなどでは今でも普通に使われているものだが。
と、ストックの目は廊下の奥から漏れている微かな明かりを捉えた。
そこは軍関係の重職の執務室があるエリアであり、ストック自身も何度も通っているため間違えるはずもない場所だ。
現在、軍を統括しているビオラ大将は病気の治療中であり、こんな時間まで残っているはずがない。となれば、当然選択肢は一つ。
ストックはため息を一つ吐くと、彼の親友の執務室に足を向けた。
人気の無い廊下にストックの足音が響き渡る。勘のいい親友のことだ、恐らく扉の前に来た時点で誰が来たのかわかっているだろう。
それでもストックは親友の執務室の前で一度立ち止まると、その扉を二度叩いた。
空いてるぜ、と低い声が返ってくる。扉を開ければ、予想通りの姿があった。
さすがに机が埋もれるほどではないにしろ、彼が向かっている机の両脇には山ほどの書類の束が積み重なっていた。
「相変わらず凄い量だな」
「ああ、まあ半分くらいはもう済んだやつだからな。今度捨てねえと」
ストックが残りの紙束に目をやると、ロッシュはストックが次に何を言うのか想像ついたのか、先に口を開いた。
「一応言っとくが、全部が明日までとかじゃねえぜ。明日までのはこれで最後だ」
「……それなら良かったが」
「これから家帰るのか?」
手にしている書類をひらひらとさせながらロッシュが聞いてくる。
「いや、今日はあっちに泊まる。明日も朝早いからな」
あっちというのは先日ストックが借りたアリステル城近くのアパートの一室のことだ。日付が変わっても仕事をしなければならないことが多かったのでストックは城の側に部屋を借り、こういう時のためにすぐに休める場所を確保した。
その鍵をロッシュにも渡してある。家賃も折半となった。
「お前はどうする、帰るのか」
「いや、あっちに泊まるつもりだったぜ。俺も明日早いんだよ」
はぁ、とロッシュがため息を吐いた。聞けば、2・3日中にアリステル近郊の村に魔物退治に行かなければならないという。
それ自体は大したことないが、その間に締め切りを迎える書類が多数あり、その事務処理に時間を取られているらしい。
「忙しいな」
「ま、お互いさまだろ。よっと」
ロッシュは手を伸ばして鍵入れから3本の鍵を取りだすと立ち上がった。
「んじゃ行くか」
「ああ」
ストックは先に部屋を出て、執務室に鍵をかけるロッシュを待った。
* * *
「ロッシュ将軍、遅くまでお疲れさまです!」
「おう、そっちも夜勤お疲れさん」
「いえ、これが自分の仕事でありますから」
城門のところで夜勤の兵士に声をかけながら、ロッシュとストックは同じ道を歩いた。
そこから見えるアリステルの街並みは城内と同じく、戦争が終結する前と比べると遥かに暗い。辺りを煌煌と照らしていた街灯はただの置き物と化し、今はもう少し低い場所にランプが灯っている。
戦後まだ間も無いことと、明かりが少なくなったことによる治安の悪化を防ぐ目的で、大通りには夜勤の兵士が立ち、街中も兵士たちが交代で見回ることになっている。
「お前は偉いな」
「あ?何がだ」
歩きながらぽつりと呟くストックにロッシュは疑問の視線を投げかけた。
目指す場所は角を曲がってすぐの建物だ。
「きちんと兵に声をかけて」
「んなことか。当たり前だろうが、部下なんだから」
ロッシュは戦後、将軍職に就いた。その見かけに伴わず実年齢はかなり若いため、最初は拒否していたのだがラウルとビオラ二人の強い説得により、最終的には将軍位に就くことを了承した。
そんな彼は軍内で、アリステル軍トップのビオラに継ぐ、人気者となっている。
その人気の元となってるのが先ほどのような声かけだ。
「当たり前のことを当たり前にできる人間ばかりじゃない」
「そうかあ?俺は普通だと思うんだが」
そこが凄いのだと何度言ってもこの親友は理解しようとしない。
それさえも彼の長所の一つなのかもしれないが、時折不安になることは事実である。
目当ての建物の前まで来て二人は口を閉じ、足早に階段を上っていった。
部屋に入ると、ロッシュは大きく伸びをして寝台に腰掛けた。
ストックは上着を脱ぎながら、ロッシュに尋ねた。
「どうするロッシュ、先にシャワー浴びるか」
「ああ、俺は明日の朝でいい。昨日も遅かったからな、眠いんだよ」
「そうか、なら早く寝ろ、良く休め」
「ありがとよ」
ロッシュも立ち上がって靴やら上着やらを脱ぎながら応え、ストックはそれを背後に感じながら自身の着替えを持ってシャワー室に入った。
ストックがざっと汗を流してシャワー室を出たその頃には、ロッシュは寝台の布団に包まって寝息を立てていた。
軍人は起き上がるのと眠りに落ちるのは早い。そのための訓練さえあるほどで、休める時に休んでおかないと時には生死にも関わるからだ。
ロッシュもその例外ではない。
ストックはロッシュを起こさないように身の回りを後片付けをすると、そっと同じ寝台に潜り込んだ。
横で規則的な寝息を立てるロッシュをしばし見詰める。
先ほど聞いた話が頭をよぎった。また遠征に行かなければならないと言っていた。
正規の軍を率いて行くのだから勿論兵力に余裕を持たせて行くのだろうし、そんな危険は無いとわかっている。
しかし、それであっても心配は心配なのだ。
ストックも己の心配具合に若干の危機感を覚え始めているが、こればかりはどうしようもない。
知らずと腕がロッシュの身体に伸びた。
胸より少し下の辺りにそっと腕を置く。と、その手に同じものが触れた。
「……何だ、起きていたのか」
「いや、起きたんだよ。寝首掻かれたら軍人の恥だからな」
「馬鹿を言うな」
ストックは冗談を言うロッシュに応じながら身体を寄せると、ロッシュが若干顔を顰めるのがわかった。
「言っとくがべとついてるぞ。演習もあったしな」
「構わない。大体、一つの寝台に隣り合って寝ている時点で同じだろう」
「そりゃそうか」
接している布越しに感じる体温をストックは味わった。この温もりを感じるのも久しぶりだ。
「最近また忙しかったから久しぶりだな、二人でここに来るのも」
「……そうだな」
前回ここへ来たのもいつだったか、思い出してみれば1ヶ月くらいは経っている。
お互い忙しくしているから当然なのだが、そう考えれば今日は偶然でも一緒に眠れて幸運だ。
例え約束したとしても、許されるのは一晩という限られた時間だけだ。お互い家庭もあるのだし、丸一日一緒に居れることなど有り得ない。
ふとストックは呟いていた。
「……もし」
「ん?」
「一日完全に暇になる日があったらどうする」
「はあ?」
ロッシュは当然だが意味がわからないようで、素っ頓狂な声をあげた。
「えーと…それは休暇がもらえたらってことか」
「そうなるな」
「そしたら勿論、家族サービスするぜ」
余りにロッシュらしい答えに、ストックは微笑みながら首を振る。
「……もし、ソニアがいなかったら」
「ソニアがいねえって…どういうことだよ」
「例えばそうだな、レイニーとソニアとお前の子供とでどっか出掛けていたら」
「…………」
ロッシュはそこでストックが何を言いたいのかわかったのか、苦笑した。
「……それはつまり、その日はお前も休みって前提だな?」
「……そうだな」
「ったく、どんだけ飢えてんだよ」
触れ合っていたロッシュの手が離れたかと思うと身体の向きを変え、今度はストックの頭にそれが乗せられた。
わしゃわしゃと濡れたままの髪の毛が乱暴に撫ぜられる。
ストックは言葉を続けた。
「もしそんなことになったらどうする」
「まずならねえから大丈夫だ」
「わからないぞ。たまには女同士で積もる話があるとか」
「……確かにな」
ストックの妻のレイニーとロッシュの妻のソニアはとても仲が良い。
ストックとロッシュ、またはソニアの誰かが夕飯時に家にいないことがわかっていれば、互いの家の夕飯に誘い合うことなど日常茶飯事だ。
二人の仕事が忙しい時はそんなことはしないだろうが、ひょっとしたら未来にはそんなこともあるかもしれない。
「つーか、どうするじゃなくて、お前の場合は、やりたい、だろ?」
「…………」
「黙るなよ」
ストックは言葉足らずで無表情だが、変なところでわかりやすい。
しかしロッシュはそこでにやりと笑った。
「ま、一日中やるとしてもお前の方が先にバテてるだろうけどな」
「……そんなことはない」
「そうか?」
「そうだ」
「本当かよ」
「……試してみるか」
ストックの眼に強い光が灯る。
ロッシュはその様子を苦笑しながら受け流した。
「機会があったらな」
「覚えておけ」
「わかったわかった」
ストックはむっとして、一旦身体を起こすとロッシュの上に覆い被さった。
ロッシュの自由な右腕を掴んで寝台に押しつけ、口付ける。
舌も滑り込ませて、ロッシュのものと絡み合わせた。
息が苦しくなるまで蹂躙してから唇を話した。
「……今日は無理だぞ」
「わかっている。……俺だって眠い」
そう言って再びロッシュの横に身体を横たえた。
先ほどと同じように身体に腕を置けば、その手にロッシュが触れてくる。
そこで一つロッシュが大きな欠伸をした。
「…………」
ロッシュはストックが口を開く前に言った。
「遠征が終わって落ち着いたら、な……」
「ああ、待っている」
おう、と低い返事がして、少し経つと寝息が聞こえてきた。
余程疲れていたのだろう。
昨日も遅かったといっていたが、ここのところずっと忙しかったに違いない。
ストックは横からロッシュの寝顔を見つめた。
そして、せめて眠りは深く安らかであってほしいといつものように心の中で念じ、ストックも眼を閉じた。
平上作
2011.08.08 初出
RHTOP / RH-URATOP / TOP