・2013年1月〜9月、twitter上にて行っておりましたリレー企画のまとめです。
・参加者は「みずのほらあな」管理人のまきろンさん(主催)、平上、セキゲツです。
・本文中、この色はセキゲツ、この色は平上、この色はまきろンさんが書いた部分です。





ロッシュには固有の執務室が宛がわれている。
もちろん当初ロッシュは拒否したが、ラウルがそれを許さなかった。

曰く、「君ねえ。自分の立場ってものをもう少しわかってくれなきゃ困るよ。君はもう将軍なんだ、そんな君が大部屋に居たらどうなると思う? どうでもいい雑用まで押し付けられて大変なことになるんだから、頼むから執務室でやってくれないか」

実際、一週間だけロッシュは大部屋で仕事をしたが、ラウルのいう通り全く仕事が回らなかったので大人しく今の部屋で日々の仕事をこなしている。

そんな、本人の意図とは無関係に宛がわれた執務室だが、それでも役に立つことは多い。
ラウルの言う通りここに居れば雑事は飛び込んでこないし、書類仕事に頭を抱える情けない姿も他人に見られることはない。
そして何より、機密に属する報告を、誰にも聞かれず受け取ることができる。
その日もまた、気配を消して扉から入ってきた男に、ロッシュは表情を険しくした。

「何かあったか」

城内では逆に目立つはずの、しかし何故か印象に残らないローブを着た男は、ラウルが再編成した情報部の人員だ。
彼らがもたらすのは、大抵の場合、水面下における重大な事件の発生。


「食中毒?」
「はい。恐らくは会合前を狙った人為的なものかと」

報告を聞いたロッシュは険しい表情のまま男に詳細を話すよう促す。
男の報告によると、グランオルグ王宮内で不自然な食中毒が発生したのだと言う。
先日、昼食後に王宮の兵士達が次々と激しい腹痛を訴え倒れたのだが、同じ物を食べた筈の使用人達には誰一人として同様の症状は出なかったという。
結果、グランオルグの兵力は一時的に激減し、王宮の守り以外に兵を割く事が難しくなった。

「会合直前を狙う事で日時の調整を不能にし、エルーカ女王がアリステルに向かう際の護衛を減らす事が目的かと」

「なるほどな……」

そうなれば、エルーカ女王がアリステルに来る際に何かしらの襲撃があるとみて間違いないだろう。
今回の会合は大陸の国々の首長が集まるかなり大掛かりなものだ。
当然、その襲撃者の思惑通り今からの予定変更はほぼ不可能である。
とはいえ、エルーカ女王の命が掛かっているのだ。無視することなど出来やしない。
となれば、アリステルに出来ることも限られてくる。

「このことは首相には?」

ロッシュが聞くと「既に報告してあります」ぬかりなくそう言う使者に対し、ロッシュは労いの言葉を掛けた。


「では、私はこれで」

退出する諜報員を見送りながら、ロッシュは考えを巡らせる。
態々ロッシュに話を持ってこさせたのは、軍側で何か手を打てということなのだろう。
とはいえアリステルを会場として会談が行われるのだから、軍はその警備で忙殺されている。
兵を出すにしても、大人数を裂くことはとてもできない。
それに動かすならば一般兵だけとはいかない、友好国に対しての礼儀を欠かず、勿論戦力的にも十分な護衛隊でなければならない。
ロッシュの脳内にいくつかの案が過ぎったが、結局最終的に残ったのは、馴染み深いひとつの顔だった。

エルーカ女王が会談のためグランオルグを発つ日、王宮内は緊張に包まれていた。
食中毒騒ぎの為同行者の人数は当初の予定より大幅に減り、護衛は難を逃れた兵が数人に元レジスタンスのピエールを加えただけとなった。
侍女であるマリーを加えても、一分隊にもならない人数である。
かと言って、護衛が減った事で簡単に襲撃を許す程エルーカは弱くはない。
大陸を守る責務を負い、長い間鍛練を続けていたエルーカは類い稀なる魔力と姿を消す技術を備えている。
とは言え何事にも不測の事態というものは必ず存在するし、それに対応できる者は多い方が良い。

加えて今回の場合は信用の置ける人物であることも重要となる。
会合を狙った暗殺計画の危険がある以上、臨時で傭兵を雇うわけにもいかない。
シグナスに要請すれば良い人物を紹介してくれたかもしれないが、傭兵の身元審査にも時間がかかる。とにかく時間が足りなかった。
そんな中、素早く手を貸してくれたのがアリステルだった。
会合の開催場所であり自国警備にも忙しいはずだが、ラウルの動きは素早かった。
人数は割けないが選りすぐりの人物を数名向かわせる、と書簡をもらったのだ。
そこに書かれた名は確かに信用の置ける人物のものだった。


「久しぶりだね、ストック。まさか君が来てくれるとは」
護衛部隊の代表として現れたのは、グランオルグとも深い縁のある男だ。
確かに彼なら、実力も信頼も十二分である。
彼が、国内で重要な役割を果たしている高官という点も、アリステルのグランオルグに対する誠意なのだろう。

「忙しいところ、申し訳なかったね」

しかしそれだけの地位と実力があれば、国際会議を前にして、仕事は山積みになっていたことだろう。
よく護衛隊に組み込めたものだと、ピエールはしみじみ感心する。目
の前のストックが妙に疲れた様子なのは、移動の疲労だけではないのだろう。


「いや、気にするな」

ストックはそう答えると、ロッシュがラウル首相に薦めずともきっと自分から護衛を申し出ただろうと付け加えた。
ストックのその言葉に『兄』としての感情を探した自分に、ピエールは苦笑した。
自分はウィルやオットーと違い生前のエルンストの事を知らない。
知っているのは、目の前にいるストックがかつて一度死んだエルーカの兄エルンストである事くらいだ。
もちろん、エルンストの人柄は聞き及んでいるし、ストックを助ける為に単身儀式を行おうとしたエルーカの事を考えれば、良い兄であったであろう事は容易に想像できる。

だが実際のストックは話に聞くエルンストとはあまりにも雰囲気が異なっている。
ピエールにとっては、ストックは最初からストックだったのだ。
これは個人的な感情だが、ピエールにも妹が一人いる。同じ兄という立場で、共通点を探しているのかもしれない。
或いは今は一人でも心強い味方が欲しいのかもしれなかった。
剣の腕が立つ、かつ、信頼の置ける人物は今回の旅の生命線だ。
エルーカはいつにも増して気を張っている。それは当たり前のことだが負担を少しでも軽くしたい、と思うのは当然だろう。


「今後の予定はどうなっている。直ぐ出発するのか」

そんな感慨に気付いてかどうか、ストックは淡々と話を進めてくる。
性格が実務一辺倒、というより、状況の厳しさを正確に把握しているのだろう。
ピエールもそれに応え、女王を護る忠臣の顔に戻る。

「すまないけど、そうさせてくれ」

援軍の到着を待っての出発としたせいで、会合に間に合うためには、今から出発してもギリギリの日数しか残されていない。

「到着したばかりで、申し訳ないんだけど、準備が出来次第出発する」

ストックの側でもそれは予想していたようで、直ぐに肯定の意が返ってきた。


「今日中に砂の砦まで行けそうか?」
「できれば、そうしたいね」

ストックの問いにピエールはそう答えた。
砂の砦はアリステルとグランオルグの国境にある砦だ。
戦時中は軍事上重要な拠点として奪い合いが繰り返されていたが、現在は関所兼宿として二ヵ国協同で管理をしている。
短期間で調べられただけでは、今回の襲撃者達はグランオルグでの暗躍が中心で、アリステルやシグナスの反政府組織とのつながりは薄いと見られている。
油断できる訳ではないが、国境を越えアリステルに入ればグランオルグ国内に比べ襲撃の危険は少なくなるだろうと考えられている。

かなりの強行日程だが仕方ない。
会議に間に合わせるためにもエルーカの身の安全を確保するためにも、それが最良の策だった。

「なら、今すぐ支度しよう。そんなに時間は掛からないはずだ」
「ああ、頼むよ。僕たちもすぐに準備する」

ストックは踵を返し、仲間たちの元へ戻っていく。
ピエールはその姿を見送りながら、自分たちも準備するために城の中へ入った。
護衛隊に出立の連絡をし、エルーカ女王にも即準備してもらわなければならない。
確かエルーカは会議室でぎりぎりまで調整を行っているはずだ。ピエールは早足で階段を駆け上がっていった。


それから全部隊が体勢を整え、出発するまでは、一時間とかからなかった。
迅速な行動は、エルーカ女王の、身分を省みぬ協力あってのことでもある。
本来ならば何人もの女官を連れ、道程もアリステルに着いてからも不自由の無いようにするべき立場だが、今回同行するのはマリー一人だ。
衣装や身の回りの道具も極少なく、一国の君主とは思えぬ軽装だが、それに不満を覚えるエルーカではない。
軍の者達に混じって歩を進める姿からは、彼女が民に愛される理由を感じることが出来た。
だが、如何にエルーカが尽力しようとも、女性を含めての移動は限界がある。

男性だけならばまかり通るような無茶な行軍も通用しない。
皆の逸る気持ちとは裏腹に陽は容赦なく傾き、宵闇は刻一刻と迫る。

「……そろそろ、野営の準備をした方がいいね」
「そうだな」

ピエールが諦めたようにそう言い、ストックは肯定の意を示した。
砂の砦まではまだ時間がかかる。松明を点して行軍すれば今日中に到着する事も十分可能だが、松明を目印に暗闇から襲撃されれば元も子もない。
ならば、完全に日が落ちる前に野営を組み襲撃者を迎え撃つ態勢を整えておく方が無難だろう。
すぐにピエールは見通しの良い場所で野営の準備を始めるよう部下に伝えた。

「エルーカ様、申し訳ありません。今日はここ近辺で野営することになるそうです。無理をすれば今日中には着けるそうですが……」

野営地が整うまでに作られた簡素な天幕の中でマリーはエルーカにそう報告した。

「当然の判断だと思います。マリーが謝ることはありませんよ」
「ですが……」

行軍が遅れたのは己のせいではないかとマリーは言いたいのだ。
エルーカも女性だが、エルーカは自分の身を守るために暇を見ては訓練している。
軍人とは比べられないものの、同い年の女性の中では体力のある部類に入るだろう。だがマリーは普通の侍女である。

エルーカ付きの侍女として各国へ赴く機会は多いが、それにしても普段は他の女官も共に居り、日程も余裕を持ったものだ。
軍人達に合わせて、軍事行動下と大差ない速度で歩き続けるのは、相当に辛かったことだろう。

「無理はしないで、マリー」

悔しげに俯いたマリーに、エルーカは 優しく微笑みかける。

「こうして共に来てくれただけで、本当に感謝しているのです」

危険を伴う辛い道程を共にしてくれた侍女に対する、それはエルーカの心からの本音だった。
だがマリーにとって、それは逆に痛みを生じるものだったのかもしれない

「…私、外を見て参ります」


マリーはそう言うとエルーカに背を向け外へ出て行った。
黙ってそれを見送るエルーカはつい俯きそうになる。

「何かあったのか」

だが、入れ違いに投げ掛けられた問いに顔を上げた。

「ストック……」

丁度野営の支度が済んだのか、ストックは天幕の入口に立ちエルーカを見下ろしていた。

「……思いを伝えるというのは、やはり難しいものですね。嘘偽りなく伝えたつもりであっても、思った通りに伝わるとは限らないのですから」

エルーカは暫しの躊躇の後、小さな声でそう語り、その言葉でストックはエルーカとマリーの間でなんらかの齟齬が生じた事に気がついた。

これだけの情報ではストックに詳しい内容は推測できない。
兄としては何かを言うべきなのはわかった。
しかし事情を良く知らぬまま、安易なことを言い出せるようなストックではない。
かと言ってそのまま黙っているわけにもいかない。
そこまで考えてストックが口に出した言葉は単純だった。

「大丈夫だ」

そしてエルーカの頬にそっと手を当てた。
エルーカは装飾物を付けているので、適切に触れられる箇所が無かったというのが言い訳だが、実の兄とはいえいきなりそんなことをされて驚かないはずもなかった。

外気に晒されて冷えていた指先に、頬のぬくもりはとても暖かく感じる。
だが次第に体温が移り、彼我の温度差はゼロに等しくなる――筈だったが、ストックの指に伝わるのは、己のそれよりも高いままで有り続けた。
理由は、エルーカの白い頬に上った朱を見れば、明らかである。

「エルーカ?」

妹の、予想外の反応に感じた戸惑い、それはそのまま声に出てしまっていたようだった。
エルーカの、どこか遠くを見るようだった視線が即座に定まり、同時に身体が引かれてストックの指が外される。

「すいません、少し驚いてしまって」
「ああ……そうか、すまない」


エルーカの言葉にそう返して、ストックも手を引いた。

「野営の準備はもう出来ている。今日はなるべく早く休め」

ストックはエルーカにそう言うと天幕を出て行った。
エルーカはそれを見送ると、先程ストックに触れられた頬にゆっくりと自らの手を当て呟いた。

「記憶は、戻らなかったのですよね?ストック……」

ストックがエルンストであった間の記憶は戻らなかったと、エルーカは聞いていた。
当然、エルーカとどう接していたかも覚えていない筈であり、実際ストックとエルンストの対応に共通点は少ない。
だが、先程のストックの対応はかつての兄と同じものだった。

エルーカの天幕を後にしたストックは辺りを見回した。
野営の準備を整えたことはエルーカに告げた。同じくマリーにも報告しなければならない。
エルーカの天幕の中はエルーカ一人になるが、周りは兵たちが当然のように用心深く見張っている。
ストックは警備の兵に油断するなと告げ、さらにはマリーが去って行った方向を聞いた。
そう離れたところには行っていないだろうが、もしも一人でいるところを暗殺者に見つかりでもしたら大変なことになる。ストックは早足で歩き始めた。


――エルーカの天幕が見えなくなるまで走り、ようやくマリーは脚を止めた。
周囲を警護する兵達が奇異の目で見てくるが、それを気にする余裕も無い。
女性の扱いに慣れぬ軍人達が、声をかけあぐねている隙に、そのままさらに距離を置こうと、早足に歩みを再開した。追う気配は、無い。
当然だ、命を狙われる女王が、態々侍女一人を追って、危険な野外に姿を現す筈も無い。
それに、マリーと入れ替わりとなって、エルーカの元にはストックが訪れていた。
エルーカが最も心を許し、頼りにしている人物。
彼が居れば、エルーカも安心して休んでいられることだろう。

そうでなくても、天幕の周りには警備の兵達がいる、特に不自由は無いだろう。
自分が居なくとも、何も問題は無い。
一度そう思ってしまうと、その考えは中々消えてくれない。
暗い感情に纏わり付かれながら歩いている内に、マリーは自分が思っているよりずっと野営地から離れていた。
それに気づき足を止めて初めて、マリーは自分の失態に気づいた。
己が非力なのは理解している。
護身術こそ身につけているものの、自分だけでは襲撃者には太刀打ち出来ないであろう事も。
そんな者が部隊から離れ一人でいる事は、襲撃者に自分を狙ってくれと言わんばかりの行為である。

マリーはにわかに顔色を悪くした。
もしもそんなことになってエルーカ様に迷惑を掛けてしまったら、それこそ自分はただのお荷物ではないか。
急いで戻らなければ。そう思うのだが、足取りはなおも重い。こんなところでしょげていても、誰も助けてはくれない。
それどころか、自分の主を窮地に陥れるかもしれない。
早くこんなところから離れてエルーカの傍に戻り、一言謝るべきだ。
マリーは一度辺りを見渡した。野営地にと選ぶだけあって、見晴らしは良い。
しかし側には小さな林があった。マリーの耳に木の葉の音が響く。風の仕業だろうか。

ほんの僅かに浮かんだ希望は、次の瞬間聞こえてきた話し声で、完全に打ち砕かれた。
相手の姿は見えない、だが葉ずれと共に聞こえる金属の擦れる音は、そこに居るのが武装した男達であることを知らせてくる。
林に隠れた武装した集団、その意図など考える間でもない。
逃げなければ、いや、戻ってストックやピエールに伝えなければ。
そう考えても身体は動かない、先程のような躊躇いのためではなく、相手に気付かれては大変なことになるという恐れのためだ。
単なる襲撃ならば防げるだろう、だがここで彼らがマリーという人質を得てしまったら。

それが襲撃者を優位に立たせる要素になる事は、火を見るより明らかだ。
マリーは震える身体をなんとか抑え、息を潜めその場を立ち去ろうとしたが、足がもつれて転倒してしまった。

「……っ!」

なんとか声は堪えたものの、敵にこちらの存在を知られた事は間違いないだろう。
逃げなければ。
マリーは慌てて立ち上がろうとするが、足首を刺す痛みがそれを妨げる。捻ったのかもしれない。
そうしている間に、武装した数人の男が林の中から現れ、立ち上がる事すらできずにいるマリーを捕らえようと近づく。

――が、襲撃者の手がマリーに触れる事はなかった。

ひゅっと風を切る音がして、それはマリーと見知らぬ男たちの間を遮るように地面に落ちた。どこにでもあるような小振りのナイフである。
マリーと襲撃者たちはナイフの飛んで来た方向を同時に見やって、そこに人が佇んでいることに気づいた。
その顔を見てマリーは反射的に叫んでいた。

「ピエール様!」
「その様ってのは止めてくれといつも言ってるんだけどな……」

ぶつぶつ言いながら、ピエールは隙のない動きでマリーの側に近寄った。
襲撃者はまだ動かない。一歩、また一歩と近づく。ピエールがあと一歩で自らの間合いに入るというところで、襲撃者たちが動いた。

地を蹴り走ったのは、三人。それぞれの手に剣を構え、僅かに散開してから、ピエールを囲むようにして襲い掛かる。
発見されたとはいえ相手は一人、数に任せて始末してしまおうという考えが、無言の行動から滲み出ていた。

「ピエール様!」

マリーが叫び、腰に括り付けた短刀を握る。
武器といえる程の武器も持たず、戦いの経験も無い。
自分が加勢したところで何の力にもならず、むしろ足手まといになるばかりだと分かっているが、それでもマリーは反射的に銀色の刃を襲撃者達に向ける。
ピエールはそれを見て柔らかく笑うと、マリーを庇う位置へ片足を踏み出した。

襲撃者達はそれを予測してか、一人がマリーを狙い飛び込んで来る。
一人がマリー目掛けて先行し、ピエールがマリーを庇い攻撃を凌いでできた隙を残る二人で突く、それが彼らが瞬時に考えた作戦であり、ピエールは彼らの思惑通りマリーを庇い斬撃を手持ちの短剣で受け止めた。
直後に左右から同時に繰り出される攻撃がピエールを仕留める筈だったが、散開していた二人の襲撃者は既に何物かに昏倒させられ地面に倒れていた。

「……!?」

残された一人はそれに気づくと慌ててピエールから距離を取り辺りを見回すが、周囲にピエールとマリー以外の姿は無い。

襲撃者は舌打ちを一つ打つと、身を翻した。

「待て!」

ピエールが反射的に声を発するもののそれで思い留まってくれるわけもない。
だがピエールも深追いはしなかった。一人は逃がしたものの、二人は昏倒しているのだ。
もっともピエールが彼らに打撃を与えたわけではない。
襲撃者が逃げるのと同時に近くから誰かが走り去る音が聞こえたような気もしたが、それよりもまずはこの二人をどうにかする方が先だ。
ピエールは油断無く辺りの気配を伺った。とりあえず周囲からは敵の気配は感じられない。
マリーが駆け寄ってくる。


「おっと、まだ近づかないでくれよ」

その足を止めたのは、ピエールの一声だ。

「まだ意識があるかもしれないからね。もう少し待ってくれ」

そう言いながら、襲撃者の服からベルトを抜き、それで腕を縛り上げた。

「脚も縛れたら良いんだけどね。取り敢えずこれで危害は加えられない」
「あ……も、申し訳ありません」

もしも襲撃者の意識が戻った場合、無防備なマリーが近くに居ては危険だ。
己の不用意な行動を悟り、マリーが身を縮める。

「申し訳ありません、私……ご迷惑ばかりおかけして」

手早く、二人目の襲撃者も拘束したピエールが、その言葉にマリーを見た。


「気にする事ないさ。こっちはこうやって戦う事が専門だからね」

ピエールはマリーが野営地から離れた事には触れずにそう言ったが、マリーの表情は暗いままだった。
今日の行軍の様子からして、マリーは自分が足手まといなのだと思っているのではないかと感じたピエールは立ち上がるとマリーに尋ねた。

「もしかして、自分が今日の行軍を遅れさせたと思っているのかい?」

ピエールのその言葉に、マリーは驚いたような表情をした後、躊躇いがちに小さく頷いた。

「それこそ、気にする必要はないさ。むしろ、俺の方が無理をさせた事を謝罪しないといけないくらいだ」

「こんな時こそ慎重に行動しなければならないのに、焦りすぎてしまった。結果として、こんな危険な目に遭わせてしまって」
「いえ、それは私が!」

マリーは遮ったが、ピエールは頭を振った。

「何度も同じことを言うようだけど、気にすることはない」
「ただ君に何かあったら、必ずエルーカ様が悲しまれる。そのことは忘れてはいけないと思う」
「……はい」

そこでピエールはふと顔を緩めた。

「もっとも、君だけじゃなくて、この行軍に参加している人間全員が対象だろうけどね。エルーカ様はお優しい方だから」
「……そうですね」


そう語るピエールの表情は、微笑んではいるが、何処か寂しげな色を浮かべている。
グランオルグの国民全てに愛され、そして愛する女王は、けしてその中の誰か一人を特別にはしない。
その事実に胸が塞がれるのは、きっとマリーだけではないのだろう。

「有難うございます、ピエール様」

それに気付いた途端、胸の支えがすっと取れた気がして、マリーは心からの微笑みを浮かべた。

「だから、様は止めてくれって」

彼女の心境を理解しているのか否か、ピエールはただ苦笑して、視線を逸らしている。
と、足元に転がっていた襲撃者が呻き声を上げた。

襲撃者は腕を封じられているにも係わらず素早く立ち上がり逃げようとしたが、ピエールもそれを許す程甘くはない。
襲撃者に足払いし転倒させた後、すかさず当て身を喰らわせ再び昏倒させる。

「やれやれ、のんびり話している場合じゃなかったな」

ピエールは呆れたようにそう言うと、少し困ったような顔をした。

「ピエール様?」
「さて、早いところこいつらを連れて野営地に戻らないといけないわけだが、問題はどうやってこいつらを運ぶかだ。」

そう言われて、マリーは足元に転がっている襲撃者達を見た。
特別大柄なわけでもないが、歴とした成人男性である。

当然のようにマリーが運ぶわけにはいかない。
一番良いのは誰かが仲間を呼びに戻ることなのだが。

「私が陣営に戻って、応援を呼んで参ります」

マリーは毅然とそう言った。

「確かに陣営からは少し離れてはおりますが、もう同じような失敗はいたしません」
「何かありましたら周囲にわかりますよう、大声を上げますので」

余りに真剣に話す表情にピエールは一瞬笑みを浮かべそうになったが堪えた。

「それなら頼むよ、僕も見える限りは後ろから見守っているからね。くれぐれも茂みからは離れて行ってくれ」
「わかりました」


マリーは頷き、周りに注意を払いながら野営地に戻ろうと足を踏み出す――と、しかしその歩みは、三歩目を重ねる前に停止した。

「……手伝おう」

何処に居たやら、唐突と言って良い勢いで現れた赤い姿に、ピエールが苦笑を浮かべる。

「手伝うなら、最初から出てきて欲しかったですね」

ピエールの台詞を無視して、ストックは転がっている襲撃者の片方に近付き、その身体を持ち上げる。
力の抜けた身体を運ぶのは相当に大変な筈だが、ストックの顔色はちらりとも変わらない。

「行くぞ」

平然とした様子に、ピエールは肩を竦めて、残された側の襲撃者に手を伸ばした。

拘束が緩んでいないか確かめてから襲撃者の身体を担ぎ、心配そうな顔でこちらを見ていたマリーに声をかける。

「マリー、君が先頭を行ってくれないかな。後ろにいると何かあった時直ぐに対応できないからね」
「は、はいっ」

ピエールの指示に従い、マリーが二人の少し前を歩き始める。

「本当に、手伝うなら最初から出てきてほしかったね。こいつらを倒してからは身を隠す必要はなかっただろう?」

歩きながら、ピエールは半ば独り言のようにそうこぼした。

「……一応、気を遣ったつもりだったのだが」

間を置いて返ってきたストックの言葉に、ピエールは苦笑した。


「そんな気遣いは無用だよ。変に気を回しすぎだ」
「そうか。それは悪いことをした」

淡々と謝るストックにピエールの苦笑は止まらない。

「……嘘だよ。助かった」

より小さい声でぼそっと呟いた言葉は、果たしてストックに届いたかどうか。
しかしおしゃべりはここまでだ。何しろ襲撃者を一人逃がしてしまっている。
この襲撃者達を陣に連れ帰ったらまず尋問する必要があるが彼らが口を割るとも思えず、かと言ってこのまま諦めてくれるとは思えない。
最低でももう一度くらいは襲撃があるかもしれないと考えるべきだろう。


「相手は、さっきので全員かな」
「さすがにそれは無いだろう。王宮内の食事に毒を仕込める規模の組織だ、数人程度で終わる筈が無い」
「……そうだね。たった三人で終わるわけがないか」
「恐らく先ほどの奴らは偵察隊だろう。いずれ本格的な襲撃がある」
「そ、そんな!」

男二人から距離を取りつつ傍らに付いていたマリーが、ストックの言葉に反応する。
先ほどの襲撃だけでも十分な恐怖であっただろうが、それがさらに大人数で続くとあれば、怯えても当然だろう。

「心配しないで、それを防ぐのが僕達の役目だ。なあ、ストック?」
「……そうだな」


マリーを励まそうと努めるピエールの言葉を、ストックは素直に肯定した。

「野営地に戻れば襲撃に備える事ができる。それに、襲撃までにはある程度情報を得られるだろう」
「ん?尋問してもすぐに口を割るとは思えないが、何か手があるのかい?」

どことなく自信がありそうなストックの言葉にピエールが問い掛ける。

「ああ、ソニアとマルコが薬をくれた」
「く、薬!?」
「その薬を使えば質問に素直に答えるようになるらしい。試作品だから敵を尋問する機会があれば使ってみてくれと言っていた」
「そ、そうか……」

ストックの説明にピエールは辛うじてそう返した。

ピエールはマルコには認識があった。以前ストックと一緒に行動していた、薬草に詳しい軍人だ。
一方ソニアという女性には直接の面識は無いが、アリステルのロッシュ将軍の奥方で、軍の医療部関係者だということは知っている。その二人が共同開発したという薬。
ピエールはたった今話を聞いただけだが何かとてつもない気配を感じた。
決して開けてはいけない宝箱を開けてしまうような――だが今は緊急非常事態だ。
そんなことに捕われて、大事なものを失うわけにはいかない。
ピエールは意を決するために一度深呼吸をした。


「分かった、戻ったら直ぐに使ってみよう」

ピエールの言葉に、ストックが頷く。

「味方に使うわけじゃなし、どんな結果になっても構わないしね」

ぽろりと零れた発言に反応が返らないのは、ストックなりの礼儀なのか。
引き摺られる襲撃者の顔が歪んでいるのは、意識が無い中にも 己の不穏な運命を感じ取っているのかもしれない。

「ええ、エルーカ様のお命を脅かした輩ですもの。情けは無用です」

至極真面目な顔のマリーに、ピエールは引きつりそうになった顔を辛うじて抑えて、誤魔化すように脚を早めた。
野営地が近付き、他の兵士も彼らの姿に気付いたようだ。

近づいて来た兵士に襲撃者を引き渡すと、件の薬を取りに行くのかストックは無言でその場を離れた。
ピエールも自分が運んでいた襲撃者を部下に預け、簡単に事情を説明する。
説明が終わる頃に、ストックが小瓶を片手にこちらに戻って来た。

「それじゃ、何かわかったら報告してくれ。僕はマリーと一緒にエルーカ様の所へ行ってくる」

ピエールはそう言うと、マリーを連れ半ば強引にその場を後にした。
あの場に残ってストックの持って来た薬の説明を聞く度胸はない。
先程の場所にそっと目をやると、部下はやはり少し引き攣った顔でストックの話を聞いていた。


「ストック様は大丈夫でしょうか」
「え? ああうん、そりゃ大丈夫だと思うけど……」

エルーカのいる天幕へ向かって、ピエールはマリーと並んで歩いた。
勿論ストックは大丈夫だろう、ストック自身が何かをされるわけではない。寧ろする側なのだから問題はない。
とりあえずピエールはその薬が効果覿面で、エルーカ暗殺計画が明るみに出ることを祈った。
そうこうしている間にエルーカの天幕の前までやってきてしまった。
衛兵に挨拶をすると、ピエールは天幕の中にいるはずのエルーカに声を掛けた。


「エルーカ様」

その続きを声にする暇も無く、天幕の入り口が開き、エルーカが姿を見せる。

「ピエール。……それに、マリー」

目の前に立つピエールと、その隣で身を縮めているマリーを見て、状況を察したらしい。
侍女の無事を確認した安堵が、その顔に広がる。

「無事だったのですね。 ピエール、有難う御座いました」
「いえ、僕は何も。殆どストックのおかげですよ」
「そんなことはありません、ピエール様も戦ってくださって」

命がけで助けてくれたことへの恩義か、マリーが上げた抗議の声に、エルーカは微笑んで返した。

「それで、ストックはどうしました?」

「ストック様は、この後の襲撃に備えるため捕らえた襲撃者の尋問にあたられています」

エルーカの問いに、ピエールの返答を待たずにマリーがそう告げる。

「まあ」
「とは言っても、つい今し方戻って来た所なので何か情報を得られるとしても時間はかかると思いますが」

マリーの説明にピエールがそう付け足していると、俄かにマリーがそわそわし始めた。
ピエールはマリーが一人で野営地を離れた事と、襲撃を凌いだ後に交わした会話でマリーとエルーカの間に何か擦れ違いが起きた事には気づいていたので、マリーがエルーカに謝罪しようとしている事が予想できた。

ピエールは二人きりにした方が良いと考え立ち去ることにした。

「簡易的な報告で申し訳ありませんが、警備兵たちへの指示もありますので僕はこれで。またわかり次第、報告させて頂きます」
「ピエール様」

立ち去ろうとしたピエールをマリーは呼び止めた。

「本当に有難うございました」

深々と身体を折り、礼を述べるマリーにピエールは苦笑した。

「それはストックにも」
「はい、もちろんです!」

声に元気が戻ってきたマリーにピエールは安心した。
ピエールは一度エルーカに辞儀をし、その場を後にした。背後を振り返るとエルーカがマリーと共に天幕に戻る姿が見えた。



――去っていくピエールに向けて深く礼をすると、マリーは天幕の入り口を開け、エルーカを中へと導く。
自分がこの場所、戦場に立つエルーカの傍らに立っていてはいけないと、そう思っていた。
だが戦場であろうと彼女は女王だ、そして女王の傍らに立ち、不都合の無いように計らうのが 女官としての彼女の役割である。
マリーが開いた入り口を、エルーカは当然のように潜り、幕の中へと歩を進めた。

「エルーカ様、大変失礼致しました」

その背に向け、マリーは深く頭を下げる。
エルーカは振り向くと、柔らかな微笑を浮かべた。

「構いません。無事でいてくれて良かった」


エルーカの穏やかな声により、無事にエルーカの隣というこの場所に帰って来られた事とエルーカを危険に晒さずに済んだ事による安堵、そして結果的にそうならなかったものの自分の行いはこの人を危険に晒しかねないものだったという強い自責の念の両方がマリーの中を駆け巡り、マリーは直ぐには顔を上げる事ができなかった。
マリーが涙がこぼれそうになるのを堪えていると、それが痛みに耐えているように見えたのかエルーカがどこと無く不安げな表情でマリーの顔を覗きこんできた。

「マリー、大丈夫ですか? 何処か怪我をしているのではありませんか?」

「いいえ、違います。エルーカ様、マリーはこの通り無事でございます」

マリーは震える声でそう言った。
覗き込んできたエルーカの目とマリーの目が合った。
マリーは目の端に涙を溜めながら、頭を下げる。エルーカはマリーの肩をぽんぽんと優しく叩いた。

「もういいのですよマリー。貴方が無事だったならば、それで」

マリーはその言葉でいよいよ堪えきれなくなったのか、すすり泣くような声を漏らしている。エルーカはしばらくその背を撫でてやった。
マリーが落ち着き始めた頃、エルーカはいたずらっぽい声で言った。


「さ、マリー、泣いている場合ではありませんよ。あなたが居なくて、私、とても困っているのですから」

主人の言葉に、マリーは慌てて顔を上げる。
その様子にエルーカはくすりと笑って、マリーの手を取った。

「淹れてくれるあなたが居ないから、私、紅茶を飲めなかったんです。 大変でしょう?」

笑いながら手を引き、天幕の奥へと導こうとするエルーカに、マリーの胸が詰まる。
無邪気を装ったその態度は、マリーの気持ちを労わるが故のものだろう。
そしてそれは確かに、マリーにとって最も大切なものだ。

「……はい。申し訳ありません、直ぐお淹れいたします」


マリーはそう言うと天幕の奥に進み紅茶を入れる準備を始め、エルーカは笑顔でそれを見届けると黙って椅子に腰掛けた。
慣れた手つきでお茶の用意をしていると、身に染み付いた作業のおかげかマリーは自分が落ち着きを取り戻していくのを感じた。

戦い、武力を以てエルーカを守るのが兵士達の領分ならば、こうしてエルーカを傍で支える事が女官である自分の領分であり役目なのだ。
兵士達と同じように行軍する事が出来なくともそれを恥じる必要などなく、ただ自分の役割を全うするべきだったのだ。

そう考えているうちに、紅茶のたおやかな香りが天幕を満たした。

香りが出てきたところで器に入れ、エルーカの前へ差し出す。

「頂きますね」

そう言ってエルーカが静かに紅茶を口に運ぶ。
一口飲みこんで器を皿に戻す。
器も皿も普段使っているものとは異なる簡素なものだ。この行軍では余計なものは持ち運べない。
だが茶葉だけはいつも使っている物を用意していた。

「いつも通りおいしいです、マリー」

エルーカが笑顔をマリーに向けて頷く。
マリーはまた零れそうになる涙を堪え、ありがとうございます、と笑顔で返事をした。






まきろン様・平上・セキゲツ競作
2013.09.28 まとめ初出

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