「そういえば」
話の区切りに発せられた言葉に、場に居る者達の視線が集まった。自分以外の四人に見詰められ、しかしガーランドは怯むことも無く泰然と構えている。玉座に居るのと大差ない威厳で、その顔を特定の一人へと向けた。
「お前、何かあったのか」
そう問いかけられ、ロッシュは目を丸くする。隣に座るストックも、そんな質問が飛ぶとは予想していなかったのか、似たような表情を浮かべていた。レイニーとマルコも似たようなもので、目を瞬かせながら、ガーランドとロッシュを交互に見る。
「何か、ってのは?」
「それは俺が聞いてるんだよ」
とぼけたようなロッシュの回答に、ガーランドは苦笑しつつ杯を傾ける。アリステルの一角にある場末の店の酒だ、とても一国の王に捧げられるような味ではない。度数が高いことだけが取り柄の、紛れもない安酒だが、ガーランドは気にした様子もなく飲み続けている。場が始まってからずっと、それこそ水でも飲むかのように喉に流し込んでいるが、酔いが回った気配は一切感じられなかった。
酔いに任せての無意味な発言ではない、しかしロッシュはその意図を理解できないようで、困惑を隠しもせずに手元の杯を弄っている。
「さっきから、妙に落ち着かんじゃないか。嫁が浮気でもしたか?」
巨体に似合わぬ態度を揶揄するつもりも含められてか、続けられた言葉は下世話極まりないもので、ロッシュもさすがに顔を顰めた。他のことならば苦笑ですませたのだろうが、愛妻家の彼のこと、妻を貶める発言を聞き流すことは出来なかったのだろう。表情を変える程度で済んでいるのは、ガーランドが本気でないのを理解しているからだ。だがそのまま談笑を続けられる筈も無く、険悪な雰囲気がその場に漂う。
「言葉が悪いぞ、ガーランド」
それを割いたのは、ストックの声だった。彼も本気で起こっているわけではないが、呆れと不愉快の色が、言葉の端に色濃く現れている。一国の王が相手にしては厳しすぎる物言いだが、今更それを咎める者は居ない。ガーランドも面白がって笑いながら、さらりと酒を煽った。
「そりゃ悪かった。だがこいつがぼうっとしているのは事実だろう」
「すいません、ご一緒してるのに失礼を」
「そうじゃねえよ。だから、何かあったのか、って聞いてるんだ」
ロッシュの返事は相変わらず四角四面だ、親友と違い、位が上の者に対しては敬意を示すものだという意識がある。生真面目に下げられた頭を、ガーランドの分厚い掌が、軽く叩いた。これもまた、王が他国の将軍に行うにしては、近しすぎる行為である。乱暴で率直なその態度に、引き締められていたロッシュの顔も、たまらず苦笑の形に緩んだ。
「仕事で何かあったんですか? 気になることがあるなら、僕が戻って見てきますけど」
少しばかり和んだ空気に乗じて、マルコが口を挟んむ。しかし部下の気遣いに対して、ロッシュは少しだけ笑って首を横に振った。
「いや、大丈夫だ、もう片付いてはいる。心配かけてすまんな」
「本当に何かあったのか?」
そう言いながら、ストックがガーランドに視線を投げたのは、部外者の耳を気にしてのことだ。信頼のおける仲間とはいえ、アリステル国内の問題を軽々しく話すわけにはいかない。ロッシュに目線で問いかけると、彼は首を横に振る仕草で、ストックの危惧を否定してみせた。
「だから、大したことじゃねえって。ただちょっとキールと、昔の部下だった奴らがな」
「キール君? 何か失敗でもしちゃったんですか」
レイニーもロッシュの側を向き、話を聞く体勢に入る。夜も更け、積もる話も落ち着きかけた時分だ、新しい話題への食いつきは強い。特に、既に軍には居ないレイニーは、心配と同じ程の興味をその顔に浮かべていた。
場にいる全員が話を聞く気になっているのを察して、ロッシュの口元に苦笑が浮かぶ。一拍間を置き、本当に大したことじゃないんだが、との前置きが述べられる。
「キールの奴がな、馬鹿なことを言い出しやがって」
「ミスですか。最近少なくなってたのに、珍しいですね」
戦時中はロッシュの部下として隊員達を纏めていたキールは、今は軍から抜け、ロッシュの秘書として働いている。初めのうちこそ慣れぬ職務に失敗の連続だったキールだったが、今では将来有望な秘書として活躍するようになっていた。同じ組織で働いているマルコは勿論、そんな話をストックから聞かされていたレイニーも、評判とそぐわぬ話に首を傾げている。
「ミスってわけじゃ――」
向けられる疑問の念に、ロッシュは首を横に振――ろうとして、そのまま考え込んでしまった。元々険しい顔かたちを、さらに厳しく顰めているものだから、傍から見れば激しい怒りを抑えているようにも見える。声をかけるのが躊躇われ、レイニーとマルコは顔を見合わせた。
「何かそいつがやらかしたのか? 単に部下が馬鹿やった、って話じゃ無さそうだが」
しかしさすがにガーランドは、その程度で怯むことも無い。あっさりと重ねられた問いに、ロッシュも少し表情を緩め、考えつつも口を開く。
「そんなに大事じゃ無いし、そもそもあいつ一人の問題ってわけでもないんですよ。戦争中、俺の隊に居た奴らから、妙なことを提案されまして」
「……何だ?」
「俺の自宅と外出先を、個人的に警備したいっていう」
マルコが手を滑らせ、食器と杯がぶつかる酷い音が響く。瞬間、全員の視線が集まり、マルコはひきつった笑いを浮かべて頭を下げた。マルコほど派手な反応は示さないが、ストックの表情もまた、微妙に嫌そうな顰め面に変化していた。レイニーはまだ話が分かっていないようで、マルコのたてた音に驚き、二人の様子に目を丸くしている。
「警備って、前からやってなかったっけ? うちの近くもだけど、軍の人たちが巡回してるじゃない」
レイニーの言う通り、ロッシュとストックの自宅付近は、軍による警備が行われている。正確に言えばこの二家族に限ったことではなく、地区全体を対象にしてのことだ。彼らが住んでいるのは、新政府において高官となった者達の家が集まる地区である。その一帯には、不穏分子による破壊工作、あるいは家族を狙っての誘拐といった事件を防ぐため、一帯を警備するための兵が常駐していた。それは国の安全を保つために必要なもので、提案されたからといって落ち込むようなものでも、ましてロッシュが勝手に却下して良いものでも無い。
そんなレイニーの疑問に対して、ロッシュは唇を曲げ、半笑いの顔で首を肩をすくめる。
「だから、個人的に、って言ってるだろう。軍を通した話じゃないんだよ」
付け加えられた言葉について、レイニーが数秒考える。そしてその意味に思い至り、彼女も相棒と同じ、引き攣った笑いを浮かべる。ストックが、何かに思いを馳せる表情で、何処か遠くを見詰めた。彼が思い出している時代を共有する者は居なくなったが、例え別の歴史であっても、人のすることは変わらない。隊が解散しても結束力を緩めず、行動に移し続けているのは、中々に見上げた根性とも言える。
「さすがに却下しましたが、あいつらだって仕事があるってのに。ただ納得はしてないみたいでしたんで、まさかとは思いますが、勝手についてきてないかと思いましてね」
「成る程な。それでさっきから周りを気にしてるのか」
納得して頷くガーランドの横で、ストックもまた周囲に視線を走らせた。満席に近い店の中に、覚えのある顔が無いことを確認して、小さく息を吐く。その安堵も、マルコが零した「外に居るかも」という呟きに、直ぐ掻き消えることになってしまった。
「お前も苦労するな」
ガーランドの発言は、ロッシュとストックのどちらに向けられたものだったのか。傍観の立場を隠そうともしないガーランドの笑みを、ストックは鋭く睨み付ける。だが歴戦の覇者である武王ガーランドのこと、その程度の威嚇は気にする様子も無い。
「だが、そう嘆くこともないだろ。部下に慕われるのは悪いことじゃない」
鷹揚に宥められ、ロッシュは困った笑みのまま気の抜けた声を返し、ストックは益々表情を渋くする。一般的な尺度で考えるなら、ガーランドの言葉は間違っていない。だが個々の行動を鑑みて、部下としての敬愛だけでは納得できないものがあると捉えるのも、決して不自然なことではないだろう。いくら慕っているとはいえ、普通の部下であれば、私的な時間を割いてまで上司の自宅を警備したりはしない。しかもそれは非常時でも何でもない、極平和な時分に申し出られているのだ。
絶対にそれは一般的ではないと、レイニーとマルコは言葉に出さずに頷き合う。口に出して反論しないのは、意識せずとも発せられるガーランドの威圧感のためだ。武王と対等にやり合うためには、彼らの神経は常人に近すぎる。ガーランドを前にして対等に渡り合うには、普通よりも遙かに太く、剛胆な肝が必要なのである。
その肝を多少なりとも持っているのか、あるいは自分が話題を出した責任を感じてか、反論の言を口に上らせたのはロッシュだった。
「それはそうかもしれませんが、仕事を外れてまで俺に付き合わせるってのは、ちょっと度が過ぎてるでしょう」
常識的な主張に、他の三人は大きく頷く。だがガーランドは動じた様子も無い、余裕の表情のままだ。
「部下なんてのはそんなもんだ、こっちが要らんといっても着いてきて世話を焼きたがる」
「そういうもんですかね」
ガーランドも王、しかも争いの多い土地を一代で纏めあげて平和に導いた、稀代の名君だ。下の者に慕われることでいったら、確かにロッシュなど及びもつかないだろう。考え込むロッシュの横で、ストックは流されることなく、冷たい視線をガーランドに注いでいる。
「お前の場合は一国の王だ、公私に関わらず警護を受けるのは当然の扱いだぞ。位が高いとはいえ、一役人のロッシュと同列に語れるか」
「確かに、休みだからって王様を放っておく兵士は居ないよね」
こちらもまた真っ当な主張に、レイニーも頷く。ガーランドも大陸有数の武人だが、その腕を過信して警備の手を抜くなど、まず有り得ない。特にシグナスでは、少し前まで引きも切らずに刺客が来ていたというのだから、尚更である。ロッシュの部下が申し出たこととは違って、純粋に職務としての話なのだ。
だがガーランドは、ストックのその弁を、鼻で笑って返してきた。
「そりゃまあ、警備程度ならそう言えるんだがな」
そう言って視線を遠くに投げるガーランドに、ロッシュが首を傾げ。
「他にも何か?」
慌ててマルコが目配せを送るが、それに気づく前にロッシュは言葉を発してしまう。その問いに、そして忠告が間に合わなかったマルコの嘆きに、ガーランドは片頬を持ち上げて応えた。
「一から十まで、朝から晩までだ。起きあがったら呼ばれてなくても来るし、休んでても気付いたら部屋の隅に居るし、寝るときも張り付いてようとしやがる」
「それは、その」
聞き捨てるのが難しい内容が混じってたのに、ロッシュも気付いていたようで、頬が僅かに引き攣っている。幸いにして彼がそれを指摘することは無かったが、だからといってガーランドの発言も、ましてその裏の事実も、消えてはくれない。マルコなどは既に諦念に達した様子で、何とも言えない表情で二人を眺めている。
「――仕事熱心、ですね」
「熱心も通り過ぎりゃ単なる毒だ。部屋の中までの警備は要らんと、何度言っても聞きやしねえ」
その時のやりとりでも思い出しているのか、珍しくガーランドが溜息を吐き出した。
「身を清めるのに身体を拭いてこようとした時は、さすがに殴り倒したがな。やっぱり身体に教えてやるのが一番だ」
「成る程……実力行使は有効ですか」
王の態度に、自らに通じるものを感じたのか、ロッシュは一転して真剣な表情になる。大まじめに頷いているのは、同じ境遇になった際に参考にするつもりなのだろう。その態度に気を良くしたのか、ガーランドも揶揄の姿勢を無くし、ロッシュに向き直る。
「あまり押さえつけすぎるのも問題だがな、何からなにまで突っぱねたんじゃ、やる気も殺げちまう。我慢できる程度のことなら、好き勝手やらせておいた方が良い」
「どれだけ我慢しなくてはならないんだ、一体」
思わずといった様子で呟かれたストックの言葉は、問いかけではなく呆れを示すためのそれである。だがガーランドは至極真面目な顔で首を捻り、数秒唸りながら考え込んだ。
「――その時々だな、何をしたらってわけじゃなくて、調子に乗るようなら釘を刺すんだ。重要なのはどっちが主かを忘れさせないようにすることだからな」
「なんか、動物の調教みたいですね」
引き攣った笑顔で、レイニーが呟く。立場を弁えさせるために力の差を示す、怯えや嫌悪を抱く前に褒美を与える、それは動物を飼い慣らすための一連の流れを思い起こさせた。厳しい中で優しさを与えるというのは、動物相手でも人間相手でも通じる手段らしい。シグナスの人間は、飼い慣らされる必要も無く王に心酔している筈だが、直接接するとなると微妙な調整が必要ということか。
「確かにあいつら、調子に乗ると際限無いですからね。熱心にやってくれるのは有り難いんですが」
「加減が難しいんだよな。その辺りは追々見極めるしかねえさ」
しみじみと語るロッシュに、ガーランドも深く頷く。語れるものの少ない話題を共にして、彼らの壁も急速に低くなっているようだった。その代わり、周囲の者との間には大きな障壁が出来ている。壁の外側に閉め出されてしまったストックは、もはや何も言うことができず、肩を竦めて酒を煽る。杯を持つ手つきが些か乱暴になっているのを、攻められる人間は居ない。
「訓練が熱心だの、報告役を争うなんてのは、可愛いもんなんですがね。遠征先で飯をよそう当番を奪い合ってる時は、どうしたもんかと思いましたよ」
「うちもそれはあったな、最終的によそう役と持ってくる役が分かれたりしてなあ」
「そう、それもありました。何だ、何処でもやってるもんなんですね」
「それは違うと思うんだけど……」
小さな声でマルコが呟くが、盛り上がっているガーランドとロッシュの耳には届かない。レイニーが、そんなマルコの肩を、同情を込めて叩いた。彼女は結婚と共に軍から抜けているが、マルコは明日もその先もそんな組織の中で働かなくてはならないのである。元相棒の優しさに、マルコは息を吐き出し、力無く笑みを浮かべてみせた。
「うちの奴らだけが変なのかと思ってましたよ。いや、安心しました」
「何処の国も多かれ少なかれそんなもんだろうが、特に軍隊で長い間生活を共にしてると、区切りが曖昧になってくるんだろうな。適当に牽制しながら放っておけば良いさ」
「そうですね、放っておけば害も無いわけですし、気にし過ぎでしたね。いやあ、お恥ずかしい」
すっかり打ち解けた様子で杯を酌み交わす二人の脇では、ストックが頭を抱えている。その会話が肯定する異常点にを、耐えきれずストックが指摘するのは、どれくらいの後になるだろうか。レイニーとマルコは、とにかくそれを待ちながら、居心地の悪さに耐えるだけだ。
友人たちの煩悶には一切気付かず、男二人は豪快な笑い声を上げる。それをストックが遮るまで――レイニーとマルコが救われるまで、あともう少し。
セキゲツ作
2013.11.19 初出
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