扉を数度ノックし、返事を待たずに扉を開く。慣れた態度で室内に入り込もうとしたストックは、そこに広がっていた見慣れぬ光景に、一瞬動きを止めた。
「おう、やっぱりお前か」
 部屋の主であるロッシュは、いつものように寝台に寝ころんでいるわけでもなく、かといって鍛錬に勤しんでいるわけでもない。殆どストック専用となっていた椅子に腰掛け、酒以外は置かれていた覚えの無い小机に、その左腕を乗せている最中だった。
 それだけならば、珍しくはあるが、絶句する程の姿ではない。問題は、彼の左腕が、肘近くで取り外されていることだ。
「……取り込み中だったか」
 硬直から脱したストックが、状況を察して取り敢えず扉を閉める。ロッシュの左腕が、魔動工学を用いて作られた最新型の義手であることは、ストックも知っていた。一介の兵士でしかない彼が何故そんなものを持っているのかまでは分からないが、既に生身の左腕が無い彼にとって、唯一無二の片腕であることは承知している。そしてロッシュが個室を使っているのも、ガントレットの機密を守るためだと、以前に聞いた覚えがあった。今行っているのがガントレットの整備ならば、扉を開いて廊下から見える状態にしておくのは不味いと、そんな咄嗟の判断だった。
 だがよく考えれずとも、部外者というならばストック自身もそうだ。出ていくべきかと考える、その迷いを遮るように、ロッシュが口を開いた。
「気にすんな。どうした、何か用か」
「いや、特には何かがあるわけじゃないが」
「そうか。んなとこ突っ立ってないで、座れよ」
 あっさりとした誘いに、応じて良いものか躊躇して、ストックはその場に立ち尽くす。そんな親友に、ロッシュはちらりと視線を向けて、不思議そうに首を傾げた。
「どうした。人の寝台が気に食わんって程繊細だったか、お前」
「そうじゃあない。……俺が居ても、いいのか?」
 ストックも魔動工学には詳しくないが、それでもガントレットに使われているのが、先端技術に類するものであることは分かる。持ち主の意思に反応して自在に動くそれは、燃料が無くとも光る灯りなどとは、全く次元が違う代物だ。本来ならば研究所でなければ見ることすらできないそれの、一部とはいえ構造が見える状態で、全くの部外者が入り込んでも良いものだろうか。
 そんなストックの逡巡を、しかしロッシュはあっさりと笑い飛ばした。
「ああ、気にすんな。どうせ見たってわからんだろ」
「……そういう問題か」
 機密保持など気にかける様子もない親友に、ストックは苦笑を浮かべる。確かにロッシュの言う通り、見たところで何を理解できるわけではないのだが、それは彼が判断できることでは無い筈だ。
「俺がグランオルグの密偵だったらどうするんだ。大問題だぞ」
「お前が密偵? そりゃ面白い冗談だな、お前みたいな変に目立つ密偵が居てたまるか」
 話しながらもロッシュの手は止まらない、片腕だけで器用にガントレットの外殻を外し、内部を清掃している。ストックもそれ以上の問答は不要と、扉は閉めたまま室内に入り込み、寝台に腰を下ろした。狭い部屋のこと、その位置からでも、ロッシュが弄っているガントレットの様子はよく見える。勿論、見えたところで中身の複雑な仕組みなど、全く見当すら付かないのだが。
「それにこの部分は、そこまで重要でも無いらしいからな。一番の機密は、根本のとこなんだそうだ」
「……そうか」
「やっぱり分かってないだろ」
 笑うロッシュに仏頂面と、ついでに手に持ったままだった酒の小瓶を放り投げる。ロッシュは僅かに慌てた様子で、工具を持ったままの左手で、器用に酒瓶を受け止めた。金属と硝子のぶつかる音が響き、ロッシュの叱責がそれに続く。
「危ねえな、何するんだ」
 割れが無いことを確かめ、ロッシュが瓶を寝台に放った。堅い布団の上に、ぼすりと間抜けな音を立てて落ちた酒を、ストックが片手で弄ぶ。
「飲むつもりで来たんだが」
「ありがとよ、だが少し待ってくれ。このまま飲むんじゃ、お前だって落ち着かんだろ」
 ストックが見る前で、ロッシュは手際よくガントレットの手入れを続けていく。彼自信の肉体から外れ、部品の一部を取り外されて見慣れた姿を失ったそれは、どうにも無骨な鉄の塊にしか見えない。
「普段は、整備も研究所でやってもらってるんだが、戦いに出てる間はそうもいかんからな。こうして、自分で手入れできるように練習してる」
 ストックに説明しているのか、それとも独り言の域を出ないのか、視線は手元に向けたままでロッシュが呟いた。太い指が持つと玩具のように見えてしまう工具を、器用に操って進める手つきは、とても付け焼き刃の技量とは見えない。勿論、昨日今日に始められた行為では無いだろうが、経験を差し置いてもその技術は見事なものに感じられた。
「大したことじゃない」
 ストックの感嘆を察したのか、ロッシュが否定の言葉を発する。
「さっきも言ったが、この部分はそこまで重要じゃないんだ。動きを伝えるのが主な機能らしいからな、制御したりとかそういうのは根本の方にあるんだ」
言われてのぞき込むが、やはりストックの目には、無機質な部品が組み合わさっているようにしか見えない。それがロッシュの言うように動作を司るのか、持ち主の意思を動きに変える機能を持つのかまで、見た目で判断出来るとは思えなかった。恐らくはロッシュもストックと同様なのだろう、ストックに説明する口調は、伝聞であることを隠していない。ガントレットの持ち主として研究所に出入りする際に、あるいは手入れの方法を教わった時にでも、研究員から聞いたのだろう。
「その、根本の部分は、手入れをしなくて良いのか?」
 ロッシュが取り外しているのは、肘にあたる部分から先、彼の言葉を借りるのならば動きを伝える部分のみだ。最も重要と思われる制御部に関しては、今もロッシュの身体に取り付けられたままだった。ストックの視線を追って、ロッシュも自らの左側に目を向けると、肘までしかない左腕を軽く振ってみせた。
「こっちは俺の手に負えるもんじゃんからな。研究所でちゃんと調整してもらうんだ」
「成る程」
「外すのはともかく、付け直すのが難しくてな。ちゃんと付けないと、まともに動かなくなっちまうんだよ」
 説明され、得心してストックが頷く。魔動機械の仕組みは分からないが、無機物の塊を実際の身体と同じ程自由に動かすのだから、相当に複雑な接続であろうことは想像に難くない。注がれるストックの視線に対して、ロッシュは腕の付け根を隠すでもなく、むしろそれがストックの正面となるように示してみせる。
「だが、外すだけなら簡単だ。ここに金具があるだろ」
 右手で指し示された部分をストックが確認すると、確かに全体を固定していると思われるものが見受けられた。片方は肘に、そしてもう片方は根本に向かって固定されているそれは、一見して二つの部品を接続しているとは思えない程大きい。だが支える物体の重量、そして片側が生身の腕であることを考えれば、確かにこの程度の大きさは必要なのだろう。その部品が接続されているのはどちらも金属の部品だが、今は服で隠れた肩口に、ロッシュの肉体と繋がっている部分がある筈である。見えないそれへと注がれるストックの視線を引き戻すように、ロッシュがガントレットを叩いた。
「五つあるんだが、ここから順番に外すと全部が外せるようになってる。そうしたら、後は中のコネクタを引っこ抜くだけだ」
「……コネクタ?」
「魔動機械の部品だよ。ええと……ほら、こういう感じのもんだ」
 少し考えると、ロッシュはテーブルの上のガントレットの、肘側の断面を示した。金属部品が整列しているのみに見えるが、よく見れば外殻の内側にも、接続用と思われる金具が飛び出している。ロッシュが指さしたそれは、よく見ればただの金属ではなく、何かが塗られているらしかった。周囲の部品とは異なる光沢を持つその部品は、一度気づけばはっきりと目に付くようになる。取り外された側だけでなく、ロッシュの腕側の断面にも同じ部品が存在することに、ストックは気付いた。
「こっちとこっちで、位置を合わせて突っ込むと、それでガントレットが動くようになるんだ。後は周りの金具を留めれば良い」
「……ふむ」
「んで、外すときはその逆だ。金具を外して、本体ごと引っこ抜く」
「案外単純な仕組みなんだな」
「使うのは俺みたいな素人だからな。色々工夫されてんだよ」
 確かにロッシュは、研究所に出入りしてはいるが、戦場にまで研究員を同行させることはない。今までは気付かなかったが、他の者の居ないところで、こうして手入れを行っていたのだろう。魔動機械を使うことに慣れないストックからすれば、腕を動かすのに定期的な手入れが必要というのは、面倒で仕方がなく感じられる。
「ちょっと見てろ」
 だがロッシュの側では、さほど気にした様子も無い。あるいはそれにも慣れているのかもしれない、ロッシュがいつからガントレットを付けているのかは知らないが、少なくとも数ヶ月前出会った時、既に左腕は義手になっていた。常人が着けるには明らかに大仰なそれが、ロッシュの身体に存在する経緯を、ストックは未だに聞けずにいる。
 黙り込んだストックの前で、ロッシュは手早く部品を戻し、ガントレットを元の形に組み上げた。そしてそれを右腕一本で支えると、左肘を近づけて断面同士を押し当てるようにする。
「こうやって押し込むんだ。突き当たるまで入れたら、右に回す。そうすると引っかかって落ちないようになるから、そこで金具を留める」
「ふむ」
「外す時は逆だ。金具を外してから軽く奥に押し込むと、左に回るようになる。後は引っこ抜けばいい。根本側も同じ風に抜ける」
 やってみろ、と促されて、ストックは躊躇った。機密事項だという事実よりも、身体の一部をもぎ取ることに感じる生理的な恐怖感が、指の動きを止める。ガントレットはただの機械だ、だがその傍らで戦ってきたストックにとっては、それもまた親友の一部なのである。
「何故、俺にそんなことを教える? 次から手伝えとでも言いたいのか」
 それを誤魔化すため、揶揄うように言葉を発して、肩を竦める。ストックの真意がわかっているのかどうか、ロッシュは笑いながら首を振った。
「まあ、それも無いことはないがな。別のことを頼みたいんだよ」
「何だ?」
「俺が死んだら、こいつを外して持って帰ってくれ」
 そして笑ったまま、そんなことを言い放つ。あまりに自然に発せられた言葉に、ストックは一瞬反応できず、ロッシュの顔を見詰めた。
「死体の代わりにな。でかい図体を無理に運ぶ必要は無い、その代わりこれを、ガントレットを持ち帰って欲しいんだ」
「……何を、馬鹿なことを言っている」
「馬鹿なことあるか、真剣な話だぞ」
 そう言ってはいるが、ロッシュの表情は相変わらず笑みの形のままで、そこだけを見れば己の生死についてを語っているようには感じられない。見もせずにガントレットの金具を止め、再び身体の一部となったそれを、軽く掲げてみせる。
「俺の身体を引き摺って歩いてたんじゃ、敵の良い的だ。こっちだけならもう少し簡単に持ち運べるからな」
「だからって」
「それにこれは、軍の機密だ。グランオルグに魔動工学があるとは聞かんが、万が一解析でもされたら大変なことになる」
 その一瞬だけ、ロッシュはふっと真顔になり、ガントレットに視線を落とした。魔動工学の粋を集めて作られた義手は、ロッシュの一部でありながら、ロッシュのものではない。理屈は理解できる、だが感情の側を追いつかせることが出来ずに、ストックは厳しい顔でロッシュを睨み付けた。
「そんなに大事なものなら、自分で持ち帰れ。そんなことを俺に頼むな」
「勿論そうするがな、万が一ってことがある。万が一、俺が死んじまった時の話だ」
「そんなに不利な戦いなら、俺だって死んでいる」
「そんなことは無いさ」
 ストックの睥睨を真っ直ぐに受け止め、ロッシュは静かに笑った。気負いも何も無い静かな笑顔が、怒りを抑えようとしないストックに向けられる。
「お前はそう簡単に死ぬ奴じゃない、俺よりはずっと逃げるに向いてるしな。だからそうなったら、俺の代わりに生きて、アリステルに帰ってくれ」
 その目の中に、恐怖は無かった。かといって戦いの高揚や、戦勝の名誉に眩んでいるわけでもない。ただ、目の前に起こりうる現実を受け止めている姿に、ストックもそれ以上は責める言葉を無くしてしまう。
 こいつは軍人だ、奇妙に素直な気持ちでストックはそう考えた。ロッシュは、ストックの親友は、根っからの軍人だ。己に固執せず、集団に所属する個として、戦いの中で消費され得る運命を受け入れている。良いことだと思える筈もない、だが責められる訳でもない。何も言えず、ストックはただ息を吐き出した。その態度をどう受け取ったのか、ロッシュは笑みを苦笑に似た形に歪める。
「まあ、確かにそんな状況じゃ、お前にも余裕は無いだろうからな。出来たらで良い」
 ロッシュもストックも軍人で、戦いの中に生きる男だ。殺すことも殺されることも、同じくらいに起こり得る話である。目の前の男が死ぬ瞬間を、ストックは想像しようとした。敵に囲まれて、あるいは弓の一撃で、それとも魔法を放たれて。だがそれも確かな形を結ばず、脳裏でぼやけて消えてしまう。だがロッシュの中には、己が死ぬことに対する、はっきりとした像があるのかもしれない。ストックにはどうしても想像することが出来ない、未来の可能性に対するイメージが。
「……どうして、俺に頼む」
「お前だから頼めるんだよ。お前なら、信頼できる」
「勝手なことを言うな」
「頼むぜ、親友だろ?」
 まるで酒を奢れと頼み込むような、気軽な態度で手を合わせられ、ストックは反射的に眉を顰める。だがそれが、何に対しての不快なのかは、自分でも分からない。言うべき言葉も見付けられずに、ただロッシュを見詰め続け。
「無理なら良い。だが出来ればこいつを、部品のひとつでも良いから、ソニアに返してやりたいんだ」
 ――そして、何かを言う前に発せられたロッシュの言葉に、吸い込んだ息はそのまま嘆息となった。何を言っても無駄なのだろう、という奇妙に強烈な諦念が、ストックの頭を過る。ロッシュはそういう男だ、例え己の命を失おうとも、信念のために戦う。ストックは彼の親友だ、だが最も親しい友人であろうと、ロッシュが持つ性質を変えられるものではない。
「分かった」
 だからストックは頷いた。ロッシュの顔から左腕に視線を落とし、そしてまた目を合わせる。
「お前が死んだら、そのガントレットをアリステルに持ち帰る。約束しよう」
「そうか。……ありがとな」
「ああ。だから、お前も一つ俺と約束しろ」
 ロッシュの顔に、疑問の色が浮かぶ。静かに揺れる薄青い目を見ながら、ストックは。
「死ぬな」
 きっぱりとそう言って、唇を引き結んだ。ストックが見る前で、ロッシュが目を見張り、そしてその表情が苦笑に変わっていく。
「――ああ、分かった」
 その矛盾を、理解していないわけでは無いだろう。だがロッシュは何も言わず、生身の右手でストックの肩を叩き、にやりと笑ってみせた。
「約束する、俺は死なん。それで良いな」
「……ああ」
 加減無しで打ちつけられた掌の痛みに、ストックはやや頬を引き攣らせ、それでも何とか笑みに近い形を作る。お返しとばかりに肩に平手を打ちつけるが、ロッシュの側は応えた様子も無いようだ。本気の喧嘩ならば互角なのだが、単純な力比べではさすがにストックの分が悪い。仏頂面を浮かべるストックの背を、今度はもう少し弱い力で、ロッシュの掌が叩く。
「何だよ、不満そうな顔して。まだ何かあるのか」
「いや。……約束だからな。絶対に、忘れるな」
「ああ、お前もな」
 平然と言い放ち、ロッシュは寝台に腕を伸ばすと、転がったままだった酒瓶を手に取った。
「んじゃ、飲むか」
「……飲むのか?」
「何だよ、飲みに来たんだろ? それとも、飲む気も失せたか」
「いや」
 首が横に振られるのを見て、ロッシュが机の上を片づけ出す。その金属音を聞きながら、ストックは二人分の杯を求めて、戸棚に向かった。
 傍らで動く気配を感じながら、ロッシュが見せた未来を、再び考える。誰しも皆いつかは死ぬ、戦場に生きる彼らであればその可能性は尚高い。今はこうして生きているロッシュも、いつかどこかで命を落とし、冷たくなってしまうのかもしれない。そして自分は一人になる。共に戦うことも、馬鹿を言って笑うことも、今日のように酒を酌み交わすことも無くなって。
 理性はそう考えて、だがやはりどうしても、具体的な情景は浮かんでこなかった。ずっと二人で並んできたような気がして、それがずっとこれからも続くような気がしている。軍で、あるいは軍を離れても、互いの道が分かれたとしても。立つ場所が変わったとしても、傍らに在る魂は変わらない。
 もし、それが終わる時がきたら――
「そこにあるだろ?」
 ロッシュの声に、ストックは頷き、戸棚から杯を取り出す。綺麗に晒された机の天板にそれらを並べると、ロッシュが酒を満たした。
「んじゃ、飲むか」
「ああ」
 笑顔に笑みで返すと、杯を持ち上げ、ロッシュのそれと打ち合わせる。
「――約束に」
 するりと滑り出た言葉に、ロッシュが一瞬目を見開き。そして、ストックと同じ台詞を繰り返した。その真摯な瞳に、ストックも密やかな息を吐き、手の中の杯を握り締める。
 この時はきっと、永遠だ。例え何があったとしても、ロッシュは死なない、殺させない。そう自らに誓い、しかしそれを表に出すことなく、ただ静かに口元を歪ませて。
 そして、背にあるうそ寒さを打ち消すように、ストックは一気に酒を煽った。
 






セキゲツ作
2013.08.13 初出

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