「隊長、見なかったか?」
 キールが投げかけた問いに、数人の隊員達は揃って言葉を切り、一瞬の後にやはり揃って首を横に振った。何度目かの同じ返答に、キールは肩を落とし、彼らに礼を言う。砂の砦は入り組んでいて構造が分かりづらく、隊長であるロッシュが訪れそうな場所も多い。ロッシュも隊長という立場柄、居場所をはっきりさせることは心がけているようだが、今日は何故か行方を知る者を見付けられていなかった。
「何か用事でもあるのか?」
「いや、特にってわけじゃないけど、何処に居るか把握しとかないとって」
 キールの言葉に、彼らも納得して頷く。正式な役職があるわけではないが、キールはロッシュ隊の纏め役だ。副隊長といえばストックなのだが、彼の役目はロッシュの補佐という色合いが強く、新兵達が気軽に話しかけられる気質でもない。それを補う形として、キールが細かい意見の集約や、雑務的な部分を担っているのである。いざという時にロッシュの元に駆けつけ、皆への指示を仰ぐため、ロッシュの居場所を把握しておこうというのは納得できる心理だ。
「俺らよりストック副隊長に聞いたらどうだ」
「副隊長も姿が見えないんだよ。どっちも、哨戒に入るなんて聞いてないよな」
 追加された隊に、今度は揃って首が縦に振られた。
「食堂は見たか?」
「見た。後、見張り台と門にも行った」
 ロッシュが行きそうな場所を並べあげ、皆で首を捻る。可能性があるとすれば食堂で准将と話しているか、砦内を見回っているかなのだが、どちらの場所でも捗々しい手がかりは得られなかった。
「入れ違ってるだけじゃないか? 待ってりゃ部屋か食堂に戻るだろ」
「そうかもしれないけどなあ」
 連絡も無しに砦の外に出ることは有り得ない以上、彼の言う通りいずれは共有区画で姿を見るのは間違いない。だがそれまでの間連絡がつかない状態で良いものかと、キールは渋い表情になる。仕事熱心な仲間の姿に、隊員達の間に笑いが零れた。
「後行ってないところは何処だ? 武器庫とかは回ってみたか」
「いやそれはさすがに。っていうか、何で隊長が武器庫にいらっしゃるんだよ」
「可能性の問題だろ、砦の中には間違いなく居るんだろうから、虱潰しに当たればそのうち会えるさ。後はそうだな、訓練所はどうだ」
「あ、そこはまだ見てなかったな」
 己に向けられた笑い声に憮然としていたキールだったが、一人が出した意見を聞いた途端、現金にもぱっと目を輝かせる。今の時間、ロッシュ隊の中で訓練を行っている者は居ない筈だが、だからこそ誰も居ない訓練所を使っている可能性はある。
「行ってみるよ。ありがとな」
「おう、頑張れよ」
「居なかったら次は武器庫な」
 軽口を叩く男を小突いてから、キールは隊員達にもう一度礼を告げ、訓練所へと足を向けた。


――――――


 果たしてそこにロッシュは居た。前線基地である砂の砦の中では、当然専用の訓練室があるわけもなく、ある程度面積のある広間を訓練所と呼び、走り込みや素振りを行うことになっている。今は誰もいないその片隅に陣取り、ロッシュは黙々と、己の身体を鍛えているようだった。廊下の角から広間をのぞき込んだキールは、ロッシュの姿を認めて顔を輝かせ――るのとほぼ同時に、その表情を硬直させた。
「キールか?」
 声をかけてきたのはロッシュではない、ストックだ。ロッシュと同じく姿の見えなかった副隊長は、やはりロッシュと行動を共にしていた。ただしどうやら、彼の側は訓練をしていたわけではなさそうである。身体を動かすでもなく、腰を下ろして剣を抜き、その手入れをしている最中のようだ。
 そのこと自体には、何らおかしなことはない。おかしいのはそれが、床の上ではなく、ロッシュの背の上で行われていることだった。
「おう……キールか。……どうした」
 砦の中では珍しく肌を晒しているロッシュの身体は、床に対してほぼ水平になっている。行っているのは腕立て伏せだが、彼の場合はそれを、生身の右腕一本でこなしていた。左腕のガントレットはさすがに外されており、肘あたりまで延びた金属部品が、邪魔にならぬようわき腹に添えられている。そしてその、安定しない背の上に、ストックは堂々と座り込んでいた。長い足を器用に折り畳み、刃がむき出しのままの剣を持ったストックがロッシュの上に居る様は、見る者に異様な印象を与えてくる。
 硬直したキールの様子に、ロッシュは気付いていないようだった。ちらりと視線を遣り、低い声を絞り出しはしたが、意識は未だ身体を動かすことの方に向いている。見ているキールの前で、ゆっくりとその大きな体が上下した。身体が下がる度右腕の筋肉が膨れ上がる、上に乗っているストックの体重も共に支えていることになるのだから、掛かっている負荷は相当なものだろう。鎧と鎧下を脱いだ上半身からは、その厳しさを示すように、滴るような汗が吹き出していた。
「どうした。何か用があるのか」
 対して、ストックの顔は涼しいものだ――背の上に座っているだけなのだから、当たり前とも言えるが。ロッシュの声も頭に入らず、完全に固まってしまった部下の様子に不審を覚えたのか、剣からキールへと視線を移す。刃物から注意を離されてしまい、キールの頭に激しい焦りが満ちたが、さすがに相手はストックだ。不用意に事故を起こすような真似もなく、剣を持ったままロッシュの背から降りて、投げ出してあった鞘にそれを納めた。
 親友が背から降りたことで、ロッシュもようやく訓練を止める気になったのか(あるいは、重石が無くなってようやく動くことが出来たのか)大きく息を吐き、ゆっくりと身体を起こして立ち上がった。
「何だ? 喧嘩でもあったか」
「い、いえ、その」
 荒い息を整えながら歩み寄るロッシュに、何とはなしにキールの背筋が伸びる。
「異常はありません! ただ、お姿が見えなかったもので」
「ああ、探させちまったか。悪いな」
「いえ! く、訓練中……? に、申し訳ありませんでした」
 先ほど見た光景を訓練と称して良いものかわからなかったが、否定の言葉が来ないところを見るに、間違った解釈では無かったようだ。汗を拭き取る様から目を逸らすと、剣を腰に戻したストックと視線が合う。
「ええと、副隊長もご一緒だったんですね」
「ああ、手伝ってもらってたんだよ」
 ロッシュはそう言うが、背の上で剣の手入れをするのが、一体何の手伝いだというのか。キールの顔に浮かんだ疑問を察したのか、ストックの口元に微かな苦笑が浮かんだ。
「重石代わりだ」
「は、え、重石?」
「ああ。普通にやったんじゃ足りんからな」
 ロッシュが、先程まで行っていた過酷な訓練の効果を確かめるように、右肩をぐるりと回す。力が抜けてすらそこは、キールのそれと比べるのが馬鹿らしくなる程、太く逞しい。
「左は始終重りがぶら下がってるからな、放っておくとそっちばっかり太くなっちまう。右の方も合わせておかんと、まともに動かなくなるからな」
 ロッシュの言葉に、ようやく少し納得して頷く。身体は一箇所だけが強くてもうまく動かない、全体の均衡を整えながら鍛え上げていかないと、実践で役立つようにはならないのだ。それを教えてくれたのも目の前の上官だが、確かに片腕が普通のものではない彼自身にとって、それは普通の兵士よりも余程重大に影響してくる問題だろう。
「成る程。大変ですね」
 軍人として通常の訓練をこなすので精一杯、自主鍛錬を繰り返しても未だ一人前には届かないキールにとっては、想像もつかない領域の話である。真剣な顔つきのキールに、ロッシュは照れたように笑う。
「そんなご大層な話じゃねえよ。ストックが居る時は、こうやって手伝って貰えるし」
 ロッシュがちらりと視線を遣ると、ストックもちらりと笑みを見せ、肩を竦めた。
「気にするな。乗っているだけだ」
「それだけでも有り難いんだよ、何か乗せるったって、右一本じゃ大変だからな。お前が乗ってくれれば、随分効率が良くなるってもんだ」
「そうか、それなら良かった」
 和んだ雰囲気で笑い合う親友達を、キールは些か引き攣った笑みで眺める。訓練の理由に関しては理解できたが、それにしてもやはり、目的のために採った手段が釈然としない。負荷を増やすだけならもっと他に方法があるだろう、敢えて友人を背中の上に載せる必要は無いように感じられるのだが。
「……大変、ですね」
 しかし、やはりと言うべきか、ロッシュ達にそういった感覚は無いようだった。普段よりもぎこちない反応のキールが不思議なのか、視線を見交わして首を傾げている。
「どうした?」
「え? いえ、その……ストック副隊長は、何をなさっていたんですか」
「……だから、重石を」
「そ、それは分かりました! それと、その、剣を」
「ああ。手入れだ」
 実に端的な問いに、キールは一瞬意味を捉えかね、目を瞬かせた。
「座っているだけでは、退屈だろう」
 その間に説明が追加されるが、それもやはりすっきりとするものではなく、はぁ、と気の抜けた声が零れる。いくら退屈であっても、腕立て伏せをしている友人の背で剣の手入れをするという選択肢は、中々生じないものだ。
「悪いな、いつも」
「気にするなと言っているだろう。これくらい、大した手間じゃない」
「っていうか、いつもやってらっしゃるんですか。普段はあまり、見た覚えが無かったんですけど」
「まあ、ここに来てからはな。何しろ着いて早々に敵襲があって、落ち着いたと思ったら帰還命令だ。身体を動かす暇もありゃしねえ」
 先日までの慌ただしさを思い出したのか、ロッシュが一瞬、渋い顔になる。
「それに、お前等が使ってる最中に邪魔するのもいかんからな。俺達が横に居ちゃ、落ち着いてへばってられんだろう」
 その言葉にはキールも、心からの同意を示して、深く頷いてみせた。横であんな、曲芸まがいの行為を見せられては、己の訓練に集中することなどとても出来ない。
「それで結局、何も用は無いんだな?」
「あ、はい。申し訳ありません」
「謝るこたあねえよ、探させて悪かったな。俺達はもう少し続けてるから、先に戻っといてくれ。終わったら、一度食堂に顔を出してから部屋に戻るからな」
「はい、了解致しました!」
 敬礼するキールに首肯を返すと、ロッシュは再び踵を返し、腕立て伏せの体勢に戻ろうとする。ストックも律儀に付き合うつもりのようで、剣の鞘を腰から外して、上に乗る準備をしているようだった。
「また、手入れをなさるんですか?」
「ああ」
「……熱心ですね」
「他に、することもない」
 さらりと言われ、キールも仕方無く頷く。今まで何度もロッシュの鍛錬を手伝っているというが、その度ひたすら剣の手入れをしてきたのだろうか。確かに、動く背の上に座っていては、出来ることも限られているだろうが。いや、普通の人間であれば、そもそもそこに剣の手入れなど入らない筈だが。
「どうせだったら、ストック副隊長もそこで訓練すればいいじゃないですか」
 安定感の無い場所で刃物を扱えるくらい器用なら、そこで訓練のひとつくらい出来ない訳が無いだろうと。殆ど冗談のつもりで言ったのだが、残念ながら、返ってきたのは至極真面目な思案顔だ。
「そうだな」
 端的な同意の言葉と共に、再び床と水平になったロッシュの背に、ストックが乗る。
「そ、それではお先に失礼しますっ!」
 その後の行動までは確認出来ず、キールは慌てて踵を返すと、振り返りもせず大急ぎでその場を離れた。背後では大道芸でも始められそうな光景が広がっているのだろうが、振り返って確かめる余裕も無い。何となくだが、見たら悪夢に魘されそうだという恐れすらある。
 二人とも、基本的には常識的で頼れる上司なのだ。その事実を思い出し、今のことは忘れようと己に言い聞かせた。
 願わくば、他の隊員達が気まぐれに顔を出して、彼らを目撃しないようにと祈りつつ。






セキゲツ作
2013.06.29 初出

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