裁きの断崖を出てから、休憩を挟みつつも進み続け、もう何時間が経っただろうか。周囲の光景が移り変わるにつれて、憎たらしいほどに照りつけていた太陽も少しずつ傾き、一行の影は段々と長いものに変わり始めていた。
「……アト。水場があったら教えてくれ、そろそろキャンプを張ろう」
「はいなの!」
リーダーであるストックの言葉に、アトは元気良く手を挙げて答える。彼女が持つサテュロス族特有の鋭敏な感覚は、旅の間何度も一行を助けてくれていた。そしてその重要度は今朝を過ぎてから一層増しつつある、小さな湧き水でも察知できる力は、砂漠の旅において何より有り難い存在だ。
「もう停止するのか。日のあるうちに、もう少し距離を稼いだほうが良いんじゃないか?」
「何言ってるのさ、隊長さん!」
傾き始めたとはいえ、太陽はまだ十分高い位置にあり、もうしばらく沈む様子は見られない。砂漠に入る前は日暮れ近くまで歩を進めていたのにと、首を傾げつつロッシュが異論を唱えると、くるりと振り返ったレイニーが指を突き付けてきた。
「砂漠じゃ思ってる以上に体力を消費するから、普段の調子で歩き続けたら倒れちゃうんだよ。水場だって丁度良く見つかるとは限らないし、夜を越す算段は早めに付けておかないと」
「お、おう、そうか。成る程な」
その勢いに圧されつつも、ロッシュは素直に首肯する。そして感心した様子で、もう一度首を振った。
「しかしレイニー、お前随分砂漠に詳しいな」
「え? えーっと、うん、傭兵団に居た時にね。来たことあるから」
「そうそう、シグナスは仕事が多いしね。ロッシュさんこそ、砂漠に来るのは初めてですか?」
横から話に入ってきたマルコの助け船に、レイニーがちらりと感謝の視線を投げた。マルコの密やかな優しさに気付いたのは、当のレイニー以外ではストックだけだっただろう、他の者たちはそれが助け船だったということすら分からないはずだ。
「本格的な行軍はねえなあ。基本的に進軍するのはグランオルグ方面だからな、こっち方面は砂の砦に居る間、寄ってきた魔物を退治に出張ったくらいだぜ」
「そっか、それはそうですよね。でも砂漠が初めてで、これだけ付いてこれるのは凄いですよ」
しかもその鎧で。付け加えられた一言に、マルコも大きく頷いて同意の意を示した。
「確かに! 僕くらいの装備でも結構辛いのに、その鎧とガントレットですもんね」
「ほんと、普通だったら一時間もたないで倒れちゃいますよ」
「まあ……軍人だからな」
仲間達から寄せられた折角の賛辞を、しかしロッシュ自身は気のない様子で聞き流すだけだ。しかしさすがにそれでは空気を壊すと思ったのか、取り繕うように言葉を紡ぐ。
「しかし、思ったより水場が多いのは助かったがな。砂漠っつーのはもっとこう、砂って付くくらいだから、乾き切ってるもんかと思ってたぜ」
彼ら一行が砂漠に入ってから、何度か水場を訪れ、水分補給を兼ねた休憩を行っている。アトの能力で小さな水場も発見できるとはいえ、一般のアリステル人が思い描くよりも遙かに水の多い環境であるのは確かだろう。
それに天高く輝く太陽も、確かに強くはあるが『殺人的』と形容される程ではない。厳しい環境なのは確かだが、事前に抱いていた想像ほどではない、というのがロッシュの実感だった。
「ああ、それはそうかも。何て言うか……順番が違うから」
「順番?」
不思議そうに聞き返すレイニーに、くるりとマルコが向き直る。
「うん。暑いから砂漠になったんじゃなくて、砂漠になって植物が無くなったから、暑くて乾いてるんだ」
「それは……どう違うんだ?」
「どうちがうの?」
「ええっと」
どう説明したものかと考えるマルコの前に並ぶのは、いつの間にかレイニーとロッシュだけでは無くなっていた。ストックの隣を歩いていたはずのアトが寄ってきて、二人の間からわくわくと視線を送ってきている。時ならぬ教室とと化した場で、臨時の先生となったマルコは生徒達に向かって口を開いた。
「この砂漠ができた経緯って、知ってる?」
「……あれ、そういえば知らないや」
「前にソニアに、帝国が滅びたあたりから砂漠化が始まったって聞いたが」
「はい! アト、知ってるの!」
手を挙げて主張するアトに、全員の視線が集まった。注目を浴びて少々緊張した様子ながら、アトは胸を張って回答を披露する。
「砂漠にはマナが無いの。ずっと昔の国がマナを無くしちゃったから、砂漠は砂漠なの」
「……えーっとマルコ、合ってるの?」
「うん、大体正解。アトちゃん、凄いね」
「えへへへ……」
先生役であるマルコに誉められ、アトは照れてレイニーの陰に回り込んでしまう。その可愛らしい様子に、つかの間砂漠の熱気を忘れた、ほのぼのとした温かい空気が流れた。
「アトちゃんの言う通り、砂漠にはマナが無いんだ。だから植物が育たない」
「水があっても、か」
「うん、生き物が生きるにはマナが必要で、それは植物も同じことだからね。で、はっきりしたことは分からないけど、砂漠化が始まったのが帝国が滅びた時期と重なっていて」
「そっか、アトちゃんが言ってた『昔の国がマナを無くしちゃった』ってのがそれなんだ」
「そう。帝国の崩壊が砂漠化の原因だっていうのは、アリステルでは可能性のひとつ、っていう程度の仮説だったんだ。けど、サテュロス族に伝えられている話を考えると、かなり事実に近いのかもしれない」
「ほーう、成る程なあ」
「でもマル、それと砂漠に水があるのと、どう関係があるの?」
「だから、順番の問題なんだ」
気分が盛り上がってきたのか、先生らしくぴしりと人差し指を立てて、マルコが言う。
「元々ここは水もあるし、極端に暑い土地でもない。何も無ければ砂漠になるような要素は無かったんだけど、マナが無くなったから、植物が枯れて砂漠になってしまった」
「ふーむ。確かに、順番が逆だな」
「うん。そして植物が無ければ気温は安定しないし、水も普通よりはずっと溜まりづらくなる」
「でも本来は植物が育つはずの土地だから湧き水とかもある、ってことかあ」
「そうだね。でもそれは普通の土地の近くだからで、砂漠の中心部はもっと水が少ないみたいだけど」
「へえー、マル、あんた詳しいんだねえ」
「へへ、実はソニアさんの受け売りなんだけどね」
「あ、成る程。それなら納得」
他の者には話さない、いや話しても逃げられてしまうような専門的な話題でも、マルコならば嫌がることなく付き合ってくれる。そんな相手は相当に珍しい存在なためか、ソニアは好んでマルコと話をしているようだった。薬学が趣味なマルコとしても医者であるソニアと話すのは楽しいもので、ロッシュ隊がアリステルに居る時から、二人は良い茶飲み友達として付き合っている。
「ソニアさん、こんな時じゃなければ砂漠にも行きたいって言ってたし」
「何だって? あいつ、そんなこと言ってるのか」
恋人本人からは聞いたこともない話に、ロッシュが目を丸くする。
「うん、マナが無くなった土地を実際に見てみたいって。戦争が続いてる間は、危険だから無理だけど」
「……そうか。あいつにも、色々と我慢させちまってるからなあ」
「あ、でもセレスティアも凄く興味深い土地だ、って言ってましたから。大丈夫じゃないかな」
軍には医師として籍を持っていたソニアだが、同時に自然とマナについてを研究対象とする魔動学者でもある。逃げるようにして訪れたとはいえ、マナに関しては人間よりも遙かに深い知識を持つサテュロス族の村への滞在は、得る物も大きかったのかもしれない。それぞれの胸中に離れた仲間の面影がよぎり、一瞬場に沈黙が落ちる。
――と。
「ストック! 見つけたの!」
ぴょこんと飛び上がったアトが、小さな指で砂礫の彼方を指し示した。今はまだ人の目で感じることはできないが、その方向には確かに水場があるのだ、仲間達の中にそれを疑うものはいない。
「大きな岩があって、その向こうに水が湧いてるの」
「……そうか。よし、あの岩まで進んだら、今日は終わりだ。野営の準備をするぞ」
黙って先頭を歩いていたストックが、足を止めて宣言する。そして足下に駆け寄ったアトの頭に手を乗せ、無愛想な顔に似つかわしくない優しい仕草で、角の間を撫でてやった。
「有り難う、アト」
「えへへ、任せてなの! さあ、皆あとちょっとなの、がんばるの!」
砂漠を歩き続けてきたとは思えない元気さで、アトはストックに代わって先頭に立ち、一行を水場へと案内する。そしてたどり着いたそこには、オアシスと言えるほど大きくはないものの、六人の渇きを癒すには十分な水量を保つ小さな水辺があった。数時間ぶりに感じる水の匂いに、誰からともなく歓声が上がる。
「やれやれ、これでようやく休めるな」
「あれ、隊長さん、もう少し歩きたいんじゃなかった?」
「いや、そうは言ってねえって。んな苛めるなよ」
「どのみち、今日はもう休んでもらうぞ。……アト、最後に一仕事、頼めるか?」
「はいなの、アトに任せるの!」
「ああ、宜しく頼む。ガフカ、アトの手伝いと護衛をしてやってくれ」
「うむ、承知した」
二人はストックの指示に快く頷き、野営場所から少し離れた場所へと歩いていく。アトが行う一日の最後の仕事は、野営地の周囲に結界を張ることだった。サテュロス族に伝わるというその術は、セレスティアを覆っている結界を作っているものと同じ原理で行われている。勿論里のそれよりは遙かに小さい規模でしか展開できず、範囲は狭く時間もせいぜい一晩しか持たないが、少人数の旅には十分な規模だ。
「ほんと、いつも助かるよねえ」
「うん。この中で一番働いてもらってるかもね」
レイニーとマルコが、顔を見合わせて笑う。その後ろでストックとロッシュが、荷物から取り出した天幕をばさりと広げた。
「ほら、まだ準備は残ってんぞ。アトだけに働かせてねえで、お前らも動け!」
「レイニー、支柱を支えてくれ」
「あ、ごめんごめん! 支柱だね、分かったよ」
「じゃ、僕は水を汲んでくるね」
双方ばばたと動き始め、夜が始まる前の最後の慌ただしさが野営地に広がった。一日歩き続けてきた身体はすっかり重くなているが、目前まで迫った休息のためと思えばそれも苦にはならない。むしろ体力の配分を考える必要が無くなったため、口数も余計な動作も増えるというものだった。
「それにしてもマル、あんたほんと色んなことに詳しいよねえ」
今更だけど、と長い付き合いのレイニーが呟く。
「そうでもないよ。さっきも言ったけど、聞いた話の受け売りだし」
「自分で理解していなければ、人に説明することはできない。受け売りだろうと、あれだけ話せれば大したものだ」
「そ、そうかなあ?」
「ああ、立派なもんだと思うぜ。それに、話も分かり易かったしな」
杭で天幕を地面に固定しながら、生徒役だったロッシュが太鼓判を押した。
「ソニアの説明だと、何度聞いてもよく分からんからなあ。あれを分かりやすく説明できるってのは、大した才能だぜ」
「才能って、言い過ぎだってそんな」
「はは、もう勘弁してあげてよ、二人とも」
元上官のストックとロッシュに二人がかりで褒められ、謙遜が追い付かずに慌てるマルコに、先ほどの借りを返さんとばかりにレイニーが助け舟を出す。
「それに隊長さん、そんなこと言っちゃって良いの? ソニアさんに怒られるんじゃない」
「いや……そりゃあ無いだろ、もう諦められてるだろうし」
マルコのそれと違って少しばかりぎこちない話題の転換は、それでも取り敢えずは成功したらしい。乗せられたのか、それとも分かった上で乗ったのか、ともかくロッシュが情けない顔でぼやく。
「あいつの研究の話は、俺が付いていけるもんじゃねえよ。正直、わけが分からん」
「確かに、ソニアさんの話って専門的だから。知らない人には、単語からして分からないと思いますよ」
「そうなんだよなあ。たまに同じ言葉を喋ってるのかどうか、不安になることがあるぜ」
「……そこまで言うほどのことか?」
「何だよ、んなこと言ったらお前は理解できてんのか?」
「そうだな、恐らくお前よりは」
「……くそ、否定できねえ」
苦々しげに呟くロッシュの脇を、小さな影がすり抜けてストックの脚にしがみついた。勿論戻ってきたアトである、少し遅れたが続けてガフカも姿を見せる。
「ストック、終わったの!」
「アト。そうか、有難う。……頑張ったな」
「そちらはどうだ、手伝いは必要か?」
「大丈夫、こっちももう張り終わったよ」
「よし、今日はこれで終わりだね」
「ああ、皆、ゆっくり休んでくれ」
一日の仕事を全て終えた仲間たちに、ストックは少ないながらも暖かい言葉をかける。
そして、つと表情を引き締めて。
「さて、ロッシュ」
その妙に真剣な声音に、名を呼ばれたロッシュだけでなく、他の仲間も何事かと顔を向ける。その視線の中で、言い放たれた言葉に。
「脱げ」

……砂漠の一部が、かきんと凍り付いた。

「………………」
しかし正確に言えば、固まっているのはレイニーとマルコのみだ。声を発した本人であるストックが無反応なのは当然として、それにくっついているアトも特に驚いた様子はない――これは単に状況が分かっていないだけかもしれないが。常に落ち着いて動揺とは無縁に見えるガフカは、勿論今回も平然としたものだし、言われた当人であるロッシュに関しても。
「んだよ、いきなり……」
「ごちゃごちゃ言うな。良いから脱げ」
「分かったよ、分かったからそう睨むなって」
抗議の声を上げてはいた、だがそれ以上の抵抗を示すことはない。ぶつぶつとぼやきながら、それでもストックが促すまま己の鎧に手をかけ、そして手慣れた様子でそれを取り外し始めた。
「っと、危ないから離れてろ」
身体から剥がされた鎧が荷物の横に投げ出され、砂が金属を擦る嫌な音が鳴る。その響きに、硬直していた二人ははたと正気に戻り、計ったように同じ動きでわたわたと慌て始めた。
「ちょちょちょ、ちょっとええ、いきなり何!」
「お、落ち着こうよレイニー。ストック、どうしたのさ突然そんな――ってうわ」
突然の奇行に引き起こされたマルコの驚きだが、鎧を外したロッシュの身体を見た途端、それが別種の驚きに取って代わる。
「凄い汗じゃないか!」
砂漠の上に曝け出された逞しい身体には、鎧下の上からでも分かるほど大量の汗が吹き出していた。厚手の肌着でも吸い込み切れないの発汗にマルコの目が丸くなり、次いでそれが真剣な色に変わる。しかしロッシュ自身は気にした素振りもなく、むしろ彼の慌てぶりに戸惑っっているようだった。
「ん? そりゃまあ、砂漠だからな」
「そんな、呑気なこと言ってる場合じゃないですよ! レイニー、ちょっとそこの水を取って」
「う、うん分かった」
言いながら自分の荷物から塩を取り出す、そしてレイニーから手渡された水筒になにやらを混ぜて、ロッシュに押し付けた。
「取り敢えずこれを飲んで。で、涼しいところに座って身体を冷やして」
「んな大げさにすることねえと思うが。お前らだって普通に汗くらいはかいてるだろ?」
「普通の発汗量じゃないから言ってるんです」
「そうかねえ。水ならちゃんと摂ってたぜ」
「これだけ汗が出てたら、水分補給だけじゃ危ないんですよ! 良いからちゃんと飲んでくださいってば」
噛み付くような剣幕でマルコが捲くし立てる、その勢いに圧されたのか、ロッシュは渋々座り込んで水筒に口を付ける――と、その眉根が微妙に寄せられた。
「……しょっぱくねえか? これ」
「うん、塩を混ぜたから」
「塩!? マルってば何考えてるの、隊長さんこんなに汗かいてるのに!」
「だからだよ、汗をかきすぎると塩分が欠乏して、身体が動かなくなっちゃうんだ。水を十分飲んでても、塩分が足りなくて倒れることはあるんだからね」
「そ、そうなんだ……」
「だから、そんなに騒ぐほどのことじゃねえって。鎧だから目立つだけだろ」
「ロッシュ! そんなこと言っちゃ駄目なの、マルコが言ってるんだからちゃんと休まないとなの!」
「アトの言う通りだ。ガフカ、すまないがもう一杯水を汲んできてくれ」
「ああ、承知した」
常から柔らかくはない表情をさらに厳しく顰めながら、ストックは布巾を水に浸す。アトにまで攻められたからか、取り敢えずは大人しくなったロッシュの左袖を左腕を捲り上げると、義手の接合部に視線を走らせた。金属の部品が埋め込まれた周囲の皮膚は、熱に浮かされたようにほんのりと赤い。鎧や布の隙間から入り込んだ砂の粒を拭き取りながら、ストックはじっとその部分を検分した。
「とりあえず、火傷は無いようだな」
「あ、そうかガントレットって金属だから……大丈夫なの?」
「ああ、それは大丈夫だ。本体の温度が上下しても、腕の近くは変わらないようになってる」
「そうなのか?」
「本来は冬に行軍する時の対策だがな。凍傷防止にって、コアパーツに温度を調整する機能が付いてる、らしいぜ」
「らしい、って何です、それ。そんな曖昧でいいんですか?」
「中身についちゃ、それこそ俺に理解できる範疇じゃねえしな。ソニアだったら詳しい説明もできるんだろうが……つーかストックそれよこせ、自分でやるから」
自由な生身の右手を差し出して解放を求めたロッシュの訴えは、当然のように無視される。むしろストックの手に篭る力が強くなったのは、その反抗すら気に食わなかったということか。赤くなった腕の肉へと加えられる力に、ロッシュの顔が僅かに歪んだ。
「っつ……せめて、もうちょい丁寧にやれって」
「痛むのか?」
「お前が乱暴にやるからだ」
「ん、それって……ストックごめん、ちょっと退けて」
そんなロッシュの挙動に反応したのはやはりマルコだった、ストックを押し退けてロッシュの前に座ると、ガントレットと腕の接合部を確認する。真剣な表情で目を走らせ、微妙な力で指先を皮膚に走らせる、医者が患者を診るような姿をストックも邪魔はせずに見守っている。
「ロッシュさん、触ると痛い?」
「そんなに酷くはねえがな。ひりひりする、って程度か」
「うーん……今言ってたガントレットの温度調節って、具体的には何度くらいになるんですか?」
「んん? それは、どうだったかな」
「熱くはないけど、結構暖かいですよね。四十度くらいはあるかな」
手袋を外したマルコの指がガントレットのパーツに触れ、また少し考え込む。そして上げられたその顔に浮かんでいたのは、彼にしては珍しく厳しい表情だった。
「これ、ひょっとして、低温火傷になっちゃってるかも」
「低温火傷って、凍傷!? え、だって砂漠なのに?」
「違うよ、低温火傷。火傷するほど高い温度じゃなくても、長い時間皮膚に接触させてるとなる火傷なんだ」
「……そんなものがあるのか」
「うん、そんなには起こらないことだけどね。でもガントレットがずっとこの温度だったとすると、可能性は高いよ」
「ロッシュ、大丈夫なの……?」
話の内容を全て理解できずとも、仲間たちの様子に普段とは違う気配を感じているのだろう。泣きそうな顔でロッシュを見上げるアトの頭に、大きな手がばさりと乗せられる。
「心配すんなって、大丈夫に決まってんだろ」
「アトちゃん、隊長さんに回復魔法をかけてあげてくれないかな? 火傷だから、大したことが無ければそれで回復すると思うんだ」
「はいなの! ロッシュ、じっとしてるの」
低温火傷と診断された腕の末端近くに手を当て、アトは真剣な表情で目を閉じた。その身体がふわりとした緑色の光に包まれたと思うと、次の瞬間光は手のひらに移動し、ロッシュの身体に染み込んでいく。――そして全ての光が消えた後、赤味がかっていた皮膚はすっかり元の色に戻っていた。
「お、治ったみてえだ」
「ほんと? ロッシュ、もう痛くないの?」
「おう、ばっちりだぜ。ありがとな、アト」
にこりと笑ってアトの頭を撫でるロッシュの左腕を、ストックが改めて検分する。そこに異常が無いことを自らの目で確認すると、ようやく安心した様子で息を吐いた。
「……どうやら、本当に大丈夫なようだな」
「おいおい、どこまで信用ねえんだよ」
「そりゃそうだよ、隊長さん、怪我してても口に出さないんだから。平気って言ったって、信じられないでしょ」
レイニーの容赦のない指摘にストックも黙って同意を示し、ついでにアトまで大きく頷いている。三方向から責められ渋面を浮かべたロッシュを、辛うじてフォローしたのはマルコだった。
「後、低温火傷っていうのは、かなり酷くなるまで痛みが出ないことも多いんです。だから自己申告じゃ判断できないんですよ」
「そ、そうか」
「でもほんと、魔法で治る程度で良かった。気づかないまま悪化すると、細胞が壊死して、その部分を切除するしかなくなる場合もあるから」
「ええっ……何それ、怖いじゃない」
「そんなに深刻なもんなのか、そりゃちょっと対策を考えないとな。これ以上腕が短くなったら、さすがに困る」
何気なくロッシュが零した言葉に、アトが驚いて目を見開く。そしてロッシュに飛びかかると、小さな拳でぽかぽかと叩き始めた。
「ロッシュの馬鹿! そんな怖いこと言ったら駄目なの、冗談でも駄目なの!」
「い、いや冗談で言ってるわけじゃなくてだな」
「ほんとならもっと駄目なの、そんなの駄目なの!」
駄々を捏ねるのと大差ない挙動でロッシュを叩き続ける、そんなアトを引き剥がしたのは、今まで黙って見守っていたガフカだった。アトの両手をひょいと掴み、軽々と彼女の身体を傍に引き寄せてしまう。
「アト、そのくらいにしておけ。拳を痛める」
「うー……」
「すまんな、ガフカ。アトも、心配かけて悪かったよ」
「アトだけ? 皆に、でしょ」
「おう……すまなかったな」
眉を顰めたレイニーに睨まれ、バツが悪そうにロッシュが謝罪する。ひとつ息を吐き、可愛らしい顔を半分泣きそうに歪めているアトの頭を、もう一度くしゃりと撫でた。
「セレスティアで迷惑かけた分、手伝えたらと思ってたんだがな。余計足手まといになっちまったみたいだなあ」
「……ごついのよ」
アトを抱えるような姿勢のまま、ガフカがうっそりと喋り出す。
「皆が怒っているのは、何故だと思う?」
「あ? そりゃあ、要らん心配だの手間だの、掛けちまっったし」
「そうか、そう考えるか……だが、それは間違っている」
多くを語らない男の言葉に、怒っていたレイニーやアトも、矛先を一旦収めて様子を見守っていた。大人しくなったアトをガフカが離すと、アトはストックの傍に寄り、彼の手をぎゅっと握る。
「先ほど、女が言っていただろう」
「レイニーが?」
「うむ。お前は、怪我をしても口に出さないと」
レイニーと、何故かマルコも大きく頷いて同意を示した。その様子を見てロッシュはしばし考え込み、ガフカはさらに言葉を続ける。
「皆が怒っているのは、お前が迷惑をかけているからではない。苦しいときに訴えないことを、怒っているのだ」
「…………」
考える表情のままロッシュが視線を向けると、ストックは無言で首肯を返した。その姿に何を感じたものか、ロッシュはああ、と低い声を漏らす。
「そうか。……悪かったな、心配かけて」
「そうなの、ちゃんと反省するの!」
殊勝な謝罪にも容赦をしないアトの可愛らしくも厳しい言葉に、誰からともなく笑いが零れた。神妙になりかけた空気が明るく浮上し、ロッシュも苦笑しながら頭を掻く。
「ああ、反省してる。ほんと、悪かったよ」
「そうですよ、大変な時はちゃんと言ってくれないと。無理して倒れたりしたら、もっと大事になっちゃうんですから」
「そういうことだ、己の力を過信するのは戦士として最も忌むべきことだぞ、ごついの」
次々と浴びせられる苦言も、当然反論などできずに拝聴するのみだ。仲間達に囲まれて、小さく縮まるロッシュを、ストックも苦笑しながら眺めている。そんなストックに、レイニーが明るい笑みを零した。
「ストックも、これで安心だね」
「……ああ、だが」
しかしストックは、その言葉にふと眉を顰める。そして動かない表情に、分かるものには分かる程度の不満を表して、ぼそりと呟いた。
「俺がいくら言っても聞かなかったんだが……ガフカからなら聞くのか」
小さいはずのその声は、しかし存外よく通ったようで、仲間達が一斉にストックへと視線を向ける。
――一瞬沈黙が降りた、その場の空気を叩き割るように。
「あったりまえじゃないの!」
レイニーが言い、同時にびしりとストックに指を突きつけた。
「……何がだ?」
「ストックだって、いつも大変な時に言ってくれないじゃない。同じことしてる人が注意したって、聞くわけないよ!」
「それはそうだね、ストックも辛い時はちゃんと言って欲しいよ」
マルコとレイニーが顔を見合わせて頷けば、アトもロッシュからストックへと向き直り、レイニーの真似をしてぴしりと指を突きつけて。
「レイニーとマルコの言う通りなの! ストックも、もっとアトやみんなを頼るの!」
「うむ、赤いの、お主も人のことは言っておれんぞ」
止めとばかりにガフカにまで窘められてしまえば、もはや聞こえぬふりで逃げることもできない。渋面になったストックを、ロッシュは同情半分、冷やかし半分の苦笑を浮かべて見守るばかりだ。
「まあ、何だ。ストックも無理するなよ?」
「……それはこっちの台詞だろう」
「どっちもなの、ストックもロッシュも無理しちゃ駄目なの!」
仏頂面でロッシュを睨むストックの脚に、アトが思い切り抱きついて。反省の色が足りない男たちには、マルコとレイニーの雷がさらに炸裂する。
砂が支配する土地に、時ならぬ喧噪を持ち込みつつ。一行の砂漠の旅は、こうして進んでいくのであった。



セキゲツ作
2011.04.14 初出

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