「――こうしてアリステルよりの客人と卓を共にできることを、心より嬉しく思います」
 女王の美しい声が、高い天井に響いている。歴史を感じさせる重厚な装飾が、灯りに照らされて鮮やかに煌めいた。グランオルグ城の会食室、賓客をもてなすために造られた部屋には、現在その目的通りに人々が集っている。中央に置かれた卓に着いているのは、アリステルからの使節団と、グランオルグ側の代表者達だ。大規模な宴会ではなく、扱いとしては女王が主催する会食という形になり、参加者も十数人程度である。非公式の場という建前もあり、席についた者達の表情には、常の晩餐会に比べると幾分緩やかな表情が浮かんでいた。
 エルーカも、そんな場の空気は十分に感じているのだろう。食事前の演説は早々に打ち切ると、自分のグラスを手に取り、目の高さに掲げた。
「この善き日が迎えられたことを、我々と皆様方の祖に感謝して」
 他の者達もそれに倣い、杯を持ち上げる。そしてエルーカの声を合図として、一斉に傾けた。美しい色の酒が光を通して煌めき、人々の喉に滑り落ちる。
 それを期として室の扉が開き、料理が給仕され始めた。小規模な集まりではあるが、並んでいるのは国家の賓客達であり、出される料理も当然グランオルグの粋を尽くしたものだ。期待を込めて注がれる人々の視線の中、若い料理人の手にした一皿目の料理が、女王の前に捧げられる。恭しい手つきで覆いが外されると、参加者の口から感嘆の声が上がった。
 そこに居たのは、美しい一羽の鳥だった。茶の中に金と青を混じらせた立派な尾羽を身体の上に広げ、その隙間から鮮やかな色彩の身体を覗かせている。よく見ればその身体は、細く切られた野菜を、羽毛のように纏っていることが確認できた。優雅に伸ばされた首は野菜を細工して造られたもののようで、その見事な姿に、女王も口元を綻ばせる。
「それでは皆様、遠慮なく召し上がってください」
 女王に続いて全ての皿から覆いが外され、、改めて杯に酒が注がれると、エルーカの言葉と共に食事が始まる。見事な料理に対する賞賛とそれを端緒としての世間話、そして裏に潜められた政治的な応酬が、しばらくの間場に広がった。
 普段と何ら変わらない会食の風景。それに変化が訪れたのは、各々の料理が終わり近くまで減った頃だった。
「エルーカ女王、どうなさいましたか」
 初めに気付いたのは、エルーカと最も近い席に座っていた貴族だった。かけられた声に、付近の数人が女王へと視線を向ける。注目を集めて首を傾げるエルーカの顔色が悪いことに、他の者達も直ぐに気づいた。夜とはいえ、煌々と灯りに照らされた室内で、エルーカの頬は常より随分と青白く感じられる。
「……何でしょう?」
「いえ、お顔色が」
「あら……そうでしょうか。ご心配、有り難うございます」
 気を張って受け答えをしているようだが、声の張りも先ほどまでとは明らかに異なる、弱々しいものになりつつある。人々が困惑した様子で顔を見合わせ、女官達が慌てて女王の元へと近寄った。離れた席に着いている者達も、漏れ聞こえる異常に気付いて、ざわめきを発し始める。
「申し訳ありません、皆様。私、少し……」
 白い頬を一層白くさせたエルーカが、女官の一人に支えられながら立ち上がる。だがその判断は、少しばかり遅かったようだ。
「――エルーカ女王!」
 身体を支える力を失った脚をもつれさせ、女王の身体が床に崩れ落ちる。それを抱き止めた女官も支えきれずに倒れてしまい、二人分の体重が床にぶつかる派手な音が響いた。一瞬の静寂、そして爆発的な悲鳴。発作的に立ち上がった客の椅子が倒れる音に、衛兵の装備が奏でる金属音が重なった。
「エルーカ! 大丈夫か!」
 女王に駆け寄る者、逃げだそうと走り出す者、その場で立ち竦むもの。怒声と悲鳴、宮廷を揺るがすような騒ぎの中、エルーカは完全に意識を失った様子で、固く目を閉じ倒れたままでいる。

 その姿を、テーブルの上に残された皿の上の鳥が、じっと見詰めていた――



――――――



 嵐のような騒ぎから一夜明けた朝。ストックはオットーを従え、宮廷内の廊下を歩いていた。常からして愛想とは無縁の無表情を貫いている男だが、今はさらに厳しい、目の前の相手を睨み殺そうとでもしているかのような面相になっている。
「エルーカの容態は?」
「大丈夫だ、大事無いって連絡を受けてる。命にゃ別状無いし、後遺症が残る心配も無いってさ」
 オットーの返答に少しだけ眉間の皺が緩んだが、それでも険しさに変わりは感じられない。知らぬ人間が見れば近寄りたくすら無くなるであろう形相のストックの横に立ち、だがオットーはちらとも気にした様子では無かった。それも道理で、彼の顔も同じように険しく歪んでいるのだから、ストックの顔に文句を付けられる筈もない。さらに彼の場合は、表情で示すだけでは飽き足らないのか、その動きまでずいぶんと乱暴なものになっている。王宮の廊下に敷かれた高価な絨毯を、踏み抜く勢いで足を叩きつけ、ぼすぼすと気の抜けた音を発させていた。
「今はまだ寝てるが、そのうち意識も戻るだろう。会いにいくのはその後だな」
「ああ。……良かった、大事にならずに」
「本当にな。ったく、ふざけたことしやがる」
 基処らのちんぴらに肩を並べられるような所作は、普段であれば上品な貴族に眉のひとつも顰められているものだが、今だけは話が別だ。女王が毒殺されかけるという緊急事態において、警備頭が体裁を気にせず走り回っているのに、不快を示せる者は居ない。
 既に昨夜からオットーは、殆ど寝もせずに調査を行っていたが、今朝になってからはその横にストックの姿が加わっている。昨夜の会食に列席していたストックは、朝になるまで容疑者として拘束されてしまっていた。状況から見てエルーカは、何らかの毒を盛られた可能性が高い。犯人が同じ卓を囲んだ客の中に存在するかもしれないと、そう推測するのは自然な成り行きである。列席者達は、直接問いつめられこそしなかったが毒殺の容疑をかけられ、まとめて一つの部屋に入れられていた。
 だが今朝方その処置は、完全にではないが解除された。客だった者達は、帰還は止められているが、宮廷内であれば自由に動き回ることが許可されている。
 勿論、故無き処置ではない。彼らの他に、犯人と目される者が確保されたからだ。
「まさか、宮廷料理人が女王に毒を盛るとはな。暗殺者には注意してたが、内側までは目が行き届いてなかったぜ」
「料理人か。そいつが犯人だと?」
「ああ、そうだ。そいつ以外に、女王の料理に毒を盛れた奴は居ない」
 あの夜出された料理を作った、宮廷料理人ヒルスター。毒殺未遂の犯人として捕まり、牢に入れられた彼に会いに行くため、彼らは人気もまばらな早朝の廊下を歩いているのだった。険しい顔で考え込むストックが、前を向いたまま口を開く。
「……本人に会う前に、詳しい話を聞いておきたい。何故、ヒルスターが犯人だと分かった?」
「簡単なことだ、そいつ以外に料理に毒を盛れる機会が無いんだよ」
 オットーの語気は荒い、捕縛しても未だ怒りは収まらないのだろう、語り始める彼の拳は握り締められたままだ。
「会食の席に出す料理は、当たり前だが全部毒味が入ってる。だが奴の料理は、飾り付けが繊細だからとかって、皿に盛りつける前にそれが行われてるんだ」
「ああ、確かにあれは、崩さずに一部のみを取るのは難しいな」
 出席していたストックは、記憶の中から料理の姿を取り出す。美しい鳥を模した料理は、少しでも手を付ければその完成度が大きく損なわれる類のものだ。そして勿論、女王の前に供された皿には、完全な姿の鳥が乗っていた。
「だからあの料理の毒味は、盛り付け直前の材料でされたらしい。ソースから野菜から肉まで全部だ、そして当たり前だがその時点で毒は入っていなかった」
「だから盛り付ける時に入れられたのだと? 配膳している最中に混入されたのかもしれないだろう」
「いや、運んだのはあいつ自身だ。全部の皿ってわけじゃないが、エルーカ女王に出すものに関しては、ヒルスターが自分で運んでいる」
「盛りつけの最中、隙を見て行われた可能性は」
「厨房には常に複数人が居た、全員の目を盗んで皿に近づくのは難しかっただろう。それにヒルスターの奴、一品目を出し終わるまではそれに専念してたらしい。雑用で場所を移ることも無かったんだから、こっそり近づいて毒なんか入れた日にゃ、一発で気付かれただろうさ」
「……どうだろうな。その時その場に居なかった以上、憶測で断定することは危険だ」
「ストック、お前随分、犯人の肩を持つな」
 胡乱げなオットーの視線を受け、ストックは首を横に振る。
「まだ犯人と決まったわけじゃない。勿論、お前の推理通りという可能性もあるが……だが俺には、ヒルスターがやったとは信じられない」
「何だ、奴と知り合いなのか?」
「知り合いという程じゃ無いが、以前に少し、縁があってな」
 まだ戦争が終結する前、書を手にして歴史を渡り、様々な時と場所を行き来していた頃。グランオルグで出会った料理人志望の若い男を、ストックは思い出す。
「ヒルスターは王宮料理人になるために、全てを尽くしていた。それこそ、素性も知らぬ旅人に縋るまでにな……そこまでして得た地位を、生半なことで放りだすとは思えない」
「ふん、そりゃ奇遇ってもんだな。だがそれだけ苦労して王宮に入り込んだのも、最初から暗殺目的だったんじゃないか?」
「あいつが料理人を志していたのは、プロテアの統治時代だ」
「ならプロテアに心酔してて、その仇討ちのつもりでとか」
「……確かに、それも可能性としては皆無ではないが」
 プロテアは歴史に悪名を残した暗君だが、それを崇拝する者が皆無であったと、完全に言い切ることは出来ない。もっとも彼女が受けていた怨嗟を考えれば、限りなく低い可能性ではあるのだが。
「動機に関しちゃ、どんな理由だって考えられるし、いくらだって言いようがあるぜ。あいつ以外に毒を入れる機会が無いって、そっちの方が重要だろ」
「決めつけるのは危ないと、言っているだろう。他の誰の目にも留まらずに毒を混ぜられた機会が、本当に存在しないとは言い切れない」
「頑固だな、お前も。だが、人目があったって以外にも、奴が入れたって考えた理由はあるんだよ」
 口調はうんざりとした様子だが、顔を見ればその実、さほど気分を害しているわけではないことが分かる。オットーはストックに対して大きな信頼を置いている、その彼が言うのであれば、耳を傾けないわけにはいかないのだ。
 実際、警備の責任者はオットーなのだから、ストックの意見は無視してヒルスターを処分してしまっても問題は無い。だがそれをせずに、こうしてストックの行動を許しているのは、彼の声を重視している証だった。
「昨日出た料理、覚えてるよな」
「ああ、鳥の形をした前菜だな。随分凝った見た目をしていた」
 ストックは出席者の側だったから、同じ料理を口にしている。鶏の肉をスープで半円状に固め、その上を細く切った野菜で覆い、皿の上には広がる尾羽のように鮮やかなソースで線が描かれている、実に手のかかった料理だった。列席した国賓達の評判も良く、エルーカが倒れるまでは、和やかな席であったことが思い出される。
「その通りだ、あれはやたらと盛り付けが凝ってるから、上に何か加えられたら直ぐに分かる」
「……それはさすがに極論だろう。微量の粉末や液体ならば、混じってしまえば見分けられるまい」
「いや、それが難しいんだ。あの料理の一番外側は、張り付けられた野菜が落ちないように、ゼリーで固められてたんだからな」
 言われて、ストックも思い出した。確かに、不安定な半円系に張り付けられた野菜は、配膳の振動にも乱れることなくぴしりと形を保ち、皿の上を彩っていた記憶がある。内側のゼリー寄せと同じもので、外側も固められていたのだろう。
「水気が無いから粉を振っても溶けないし、液体はもっと目立つ。盛り付けられてからじゃ毒は入れられないんだ、バラバラの段階か、それとも盛り付ける最中かじゃないと」
「あの席で、エルーカ以外に倒れた人間は」
「居ないな、まあご婦人が何人か気分悪くなってはいるらしいが、毒を食らった程の症状じゃ無い。エルーカ女王の皿にだけ、毒が盛られてたんだよ」
 考え込むストックに、オットーは肩を竦めた。
「女王の皿を狙って毒を盛ろうと思ったら、機会があるのは毒味が終わってから盛りつけが終わるまでの間だけ。あいつが盛り付けながら仕込む以外には、どう頑張っても不可能だ」
「……今の段階での断言は危険だと、そう言っただろう」
 力説するオットーだが、ストックの態度はあくまで頑ななものだった。迷いのない目で、きっぱりと首を横に振る。
「ともかく、曖昧な状況証拠だけで決めつけることはできない。もう少し、決定的な理由が欲しい」
「ふん。俺には、今の理由だけで十分決定的に思えるがなあ」
「焦るな。もし犯人を間違ったら、一人の人生を台無しにするだけじゃない。エルーカに害を成そうとした奴を逃がすことにもなるんだぞ」
 淡々と語るストックの顔は相変わらずの無表情で、知らぬ者が見ればただ義務感だけで言葉を紡いでいるようにも見えただろう。だが今よりずっと前、名が変わる以前からストックを知っているオットーには、そこに込められた怒りの気配がはっきりと感じられた。そしてそれと同調出来るだけの感情を、オットーもまた持っているのである。
「確かにそいつは、その通りだが」
 二対の、冷えた怒りの眼差しが、虚空を彷徨った。いつの間にか彼らは地下に辿り着いており、簡素な廊下にはすれ違う者も少ない。それでも、普段よりは少しばかり人出が多いのは、軍が昨夜の処理に奔走している余波だ。
「まあいい。とにかく着いたぜ」
 オットーがそう言って、地下牢の扉を指し示す。
「ヒルスターの奴もここにぶち込んである、納得いくまで話を聞いてくれ。ただし」
 目的地を前にして、ストックの眼が鋭く光る。その勢いに、オットーはふと苦笑を零した。
「言いくるめられて馬鹿をやるのは、無しにしてくれよ」
「分かっている」
 ストックは頷くと、自ら扉に手をかける。
「まあ……お前なら、大丈夫だろうけどな」
 ぼそりと呟かれたその言葉は、戸が擦れる音に紛れて、ストックの耳に届いたかどうかは分からない。
 ともかく二人は、分厚い戸を潜り、その中へと足を踏み入れた。


 ――――――


 地下牢の脇にある小部屋でストックとオットーが座っていると、程なくして扉が開き、男が二人入ってきた。グランオルグ軍の装備を身につけた男と、覚束無い足取りで歩く若い男。手首を拘束されたその男は、やはりストックが知っているヒルスターだった。ただし青ざめた顔と充血した眼は、出会った頃の若さに溢れた彼とは、大分印象が違ってしまっているが。
 ヒルスターに、事情は何も説明されていなかったのだろう。待ちかまえている二人の姿に、一瞬びくりと身を震わせ、不思議そうな表情で眼を瞬かせている。
「座れ」
 牢番と思しき軍人に小突かれつつ、椅子に腰を下ろす。そして一拍の間を置いて、ああ、と声を上げた。
「あなた、ひょっとして、以前お会いした旅人さんでしょうか?」
 驚きと疑問の混じった視線を注がれ、ストックは素直に頷く。ヒルスターの側でも、ストックのことは記憶していたようだ。ストックの働きによって彼は父に認められ、夢であった王宮の料理人になれたのだから、それも当然かもしれないが。
「ああ、久し振りだな」
「本当に! いやあ、まさかこんな場所で貴方の顔を見るとは思いませんでした。グランオルグの方だったのですね、私はてっきり他の国から旅していらっしゃったのかと」
「いや、そうじゃない。俺はアリステルの人間だ、今回の事件について、アリステル側からも再調査を行うために来た」
 ストックの言葉に、ヒルスターはまた眼を瞬かせる。あまり頭が回っていないのかもしれない、数秒沈黙した後、わたしはやっていません、と間抜けな声を上げる。
「オットー。取り調べはもう行ったのか?」
「いや。夜中だったからな、こいつが病気だとかで寝込んでたってのもあって、引っ張って牢に入れただけだよ」
「そうか……それなら、事情は分かっていないわけだな」
「事情、って。私はやっていません、いくら私の作った料理に毒が入っていたからって、こんな乱暴な」
 二人のやりとりに、ヒルスターも徐々に状況を察し始めたようで、青ざめていた顔からさらに血の気が引いていく。睨み付けるオットーの視線に、びくりと身体を震わせて、だがここで押し負ければ人生の終わりだと言うことは理解しているのだろう。弱々しい表情のままでも、必死でその視線を受け止めて、首を横に振る。
「私はただ、料理を作っただけです。女王を暗殺だなんて、有り得ない」
「そりゃ、私がやりましたと素直に言う馬鹿ばっかりじゃないだろう」
「そんな!」
 悲鳴に近い声を上げるヒルスターに、オットーは冷たい表情のまま、唇の端を曲げた。
「お前以外に毒を盛れた奴は居ないんだ。神妙にお縄に付きな」
「オットー。目的を忘れたのか」
 青い顔色をさらに青くして、ぶるぶると震えるヒルスターは、卒倒していないのが不思議な程だ。脅して舌を滑らかにするにしてもやりすぎだと、ストックは大きく溜息を吐く。
「落ち着いてくれ。俺達は別に、お前を犯人と決めつけているわけじゃない」
 ストックが、殊更に穏やかな口調でそう語ると、ヒルスターも少しばかりは落ち着きを取り戻したようだった。青い顔は相変わらずだが、取り敢えずは震えを止め、不安そうな目付きでストックとオットーを交互に見ている。
「グランオルグ軍は、状況から見てお前が犯人だと判断している。先程オットーが言ったが、お前以外に毒を盛る機会が無いというのが、その理由だ」
「……私じゃない!」
「分かっている、落ち着け。……俺も、そう単純に決めつけるべきではないと思ったから、こうして話を聞きに来ているんだ」
 小さく舌打ちするオットーを、ストックは横目で睨み付けた。
「なら貴方は……ええと」
「ストックだ」
「ストックさんは、私のことを信じてくださるんですね」
 縋るようなヒルスターの視線に、だがストックは、あっさりと首を横に振る。
「それはまだ分からない。調査して、お前以外に犯人が有り得ないと分かれば、その時はグランオルグ側に処分を委ねるだろう」
 容赦のない物言いに、ヒルスターはまた顔を青ざめさせた。だが当面の無事が保証されただけでも、随分な救いであると理解したのか、反論することなく頷く。腕の筋肉が動き、机の下で拳が握られているのが分かった。
「そうならないためにも、話を聞かせてくれ」
 強張った表情のまま、ヒルスターはもう一度頷く。噛み締めていた唇が、恐るおそる開かれた。
「分かりました。何をお話すれば良いのでしょう」
「そうだな。まずは、当日料理を出すまでの、お前の動きを教えてくれ」
「はい。ええと」
 一瞬考え込む様子を見せたが、それは長い時間ではない。
「昨日は昼頃から、夜の会食のための準備に取りかかっていました。あの前菜は、一皿全部私に任せていただいていたんです。私が料理人になってから初めてのことだったので、嬉しかったのですがとにかく緊張して」
 その時の高揚を思い出したのか、青白かった頬に微かな血の気が上る。
「準備といっても、事前にそれほどすることは無い料理だったんですけど、とにかく何かをしていたくて」
「待ってくれ。あの料理は、かなり凝ったものに見えたが、時間がかかるんじゃないのか?」
「あ、はい、有り難うございます。いえ、手間がかかるのは野菜を切るのと盛り付けだけですから、直前になるまではやることは無いんです。野菜は早くに切ってしまうと味が落ちますし、スープなどは逆に前日の夜に仕込まないといけませんし。午後に入ってからは、鶏肉とスープを型に入れてしまえば、もうそれでやることはありません」
「見た目の割に、簡単なんだな」
「ああ、そう言って頂けると本当に嬉しいです」
 ストックの感想に、ヒルスターの顔が目に見えて輝いた。先程までの消沈は何処へやら、身を乗り出しかねない勢いで、満面の笑みをストックへと向けている。
「色々と考えたんです、とにかく見た目が美しくて、でも前菜だからあまり重くなくて、出来れば厨房の負担にならないようにって。あれでしたら、当日の仕込みにはさほど影響しないんです。盛り付けに少し時間がかかりますが、その次は大抵スープですから、それで相殺できますし」
「いや、んな話を聞きたいわけじゃないんだよ。お前、ここが何処だか忘れたんじゃないだろうな」
 話が自分の料理に至り、饒舌に語っていたヒルスターだが、低く潜められたオットーの声にさすがに状況を思い出したらしい。慌てて背を伸ばし、顔を白くする。
「す、すいません。私、料理のことになるとつい」
「いや、構わない。とにかくそれで、午後はずっと厨房に居たのか」
「そうですね、はい、殆ど厨房でうろうろしていました。やる事は無かったのですが落ち着かなくて、何度も皿を拭いたり、野菜の鮮度を確認したり」
「……皿か。皿の手入れも、料理人の仕事なのか」
「いいえ、普段はそんなことはありません。我々は料理を担当していまして、皿の側は用度品を専門に管理する者がおりますので。本来なら盛りつけまで触らせても貰えないのですが、今回は非公式の集まりなので、皿も少し安価なものを使っていたんですよ」
「成る程。普段の会食とは、違う皿を使っていたのか」
「公式に開かれる晩餐会では、もっと高価なものを使いますからね。今回使ったのは、それこそ女王の普段のお食事ですとか、極内々の会合に用いるための皿です」
「だが小規模といっても、一応は女王が賓客を招く食事会だろう。そんな品を使っても良かったのか」
「女王のご指示です。この集まりは私的なものと考えてもらいたいから、あまり格式張った風にはしないで欲しいと」
 ストックがちらりとオットーを見ると、無言のまま頷き返してくる。ヒルスターの語る女王の意向については、彼の側でも把握していたようだ。
「だからあの料理も、盛りつけにだけは懲りましたが、高価すぎる食材は使っていません。まあ……それでも料理長には、肩肘を張りすぎだと怒られましたが」
「そうか。……ひとつ聞いておきたいんだが、その皿は、一揃いの組だったのか。つまり、複数の種類の皿が混じって居なかったのかという意味だが」
「え? ああ、はい。参加者の方には全員、同じお皿でお出ししました」
「女王にも?」
「はい。普段でしたら、女王のものだけ変えるのですけど、それも止めるように指示がありまして」
 ストックとオットーが、視線を交わす。皿は全て同じ種類だった、ということはどれにエルーカの料理が乗せられるか、事前には判別が付かなかったということだ。さらにヒルスターは、盛りつける前に皿を拭いているという。毒を皿に仕込んでおくのは難しい、そう考えて良さそうだ。
 一瞬生じた沈黙に、居心地の悪い何かを感じたのか、ヒルスターが焦った様子で視線を泳がせる。
「その、何か……」
「いや。そうだな、もう一つ聞いておきたいんだが」
 だがストックは説明することはせず、そのまま話を進めた。ヒルスターも、一瞬顔を強張らせたが、諦めた表情で頷きを返す。
「盛りつけの最中、誰かが料理に近づくことはあったか」
「ええと、あの時はとにかく忙しかったから、はっきりとは分かりません。ただ、他の人たちはその後の料理を仕込んでいたので、盛りつけをしていたのが私だけというのは確かです」
「そうか。誰かに手伝ってもらったということは」
「ありません、あれは本当に私だけで作るように、料理長から指示されていたので。ああ、でも最後に、料理長と先輩が見にきてくれました」
「それは、盛りつけ中のことか?」
「いえ、全ての皿が盛りつけ終わった後です。出来を確認したかったんでしょう、いくら女王の命令とはいえ、あまりに酷い料理をお出しするわけにはいきませんから」
「ふむ。味は確認したのか、それとも見た目だけか」
「盛りつけに使わなかった材料で、少しだけ味を見られました。皿の側はそのままです、一度盛りつけてしまったら崩すことはできませんので」
「確かにそうだな。その他に、誰かが料理に手をつけたということは」
「分かりませんが、多分無いんじゃないかと思います。触ったら、盛りつけが崩れるでしょうし」
 ならばやはり、毒味から盛りつけが終わるまでの間に、料理に触れた者は居ないということになる。ストックは眉を顰めて考え込み、オットーはだから言っただろうと言いたげな顔で、ストックに視線を遣っている。
「……もう一つ。料理はお前が運んだと聞いているが」
「あ、はい。勿論全部ではありませんが、女王にお出しするものだけは、私が運ばせて頂きました」
「それは、いつもそうなのか? 配膳にも、専任の係りがいるんじゃないのか」
「いつもというわけじゃありませんが、偶にはあることです。皆様の前で最後の仕上げをする必要があったりすると、料理長や先輩がお出しして、そのまま作業してしまうこともあります。後は、大きな晩餐会などで、料理人をお客様にご紹介頂くこともありますね。今回は、どちらも違いますが」
 ストックの記憶を探ってみても、皿が供されてから何らかの手が加えられたり、ヒルスターが紹介された覚えは無い。生じた疑問符に、ヒルスターは恥ずかしげに身を縮める。
「その、私が頼み込んだんです。どうしても最後まで責任が持ちたいのと、ええと、反応が見たくて」
「反応か。自分の料理に対する客の反応、ということだな」
「はい。皆様に喜んで頂けたようで、大変嬉しかったです」
 照れくさそうに頬を染めるヒルスターは、それによってまた自分の容疑が強められたことを、分かっているのかいないのか。オットーも、さすがに指摘することに飽きたようで、無言のままヒルスターとストックを交互に見遣っている。
 ストックは、それまでに得た情報で何らかの考えが生み出せないかと、ひたすらに思考を巡らせているようだった。沈黙が流れる、それ以上に質問の声が挙がらないのをみて、オットーはひとつ瞬きすると、ストックの注意を引くために、殊更に大きく頷いた。
「よし。ストック、もう良いか? 何か聞きたいことがあったら今のうちだぜ」
「……いや、今はもう良い。次に行こう」
 その言葉を聞いて、控えていた牢番がヒルスターの腕を取り、立ち上がらせた。ヒルスターは諦めたのか、それとも抵抗するよりもストックに運命を託すべきだと判断したのか、抵抗はせずに大人しく椅子を立つ。ふらりとその脚がもつれ、倒れそうになるところを、牢番が乱暴に腕を引いて支えた。
「そういえば、病気だと言っていたな。大丈夫なのか」
「え? ああ、有り難うございます、少し昨日の夜から調子が悪くて。今朝になって大分楽になったので、大丈夫だと思います」
「そうか。……気をつけろ」
「はい。といっても牢の中ですからね、まあ、することも無いですから大人しく寝ていますよ」
 自嘲を含めた台詞を吐きながら、ヒルスターは牢番に引き摺られ、小部屋から出ていった。二人になったストックとオットーは、改めて視線を見交わす。
「どうだ、やっぱりあいつ以外に毒を盛るのは無理だろう」
「……まだ、分からない」
「お前も、石みたいに頑固だな」
 あくまで、ヒルスターが犯人だという態度を崩さないオットーに、ストックはちらりと苦笑を零した。
「一見、ヒルスター以外に犯行は不可能に見える。厨房で料理に近寄った者はおらず、皿は使用前にヒルスターが拭いており、それ以前にエルーカがどの皿を使うのかも分からない。さらにはヒルスター自身が申し出て、完成した料理を女王の前に運んでいる――」
「その状態で、他の奴が入り込める余地があるか?」
「分からない。だが、ヒルスターが犯人だとすれば、もう少し隙を残しておかなければ不自然だろう」
 ストックの主張に、オットーは目を瞬かせた。
「他の者が近寄れないとなると、捕縛されるのは当然自分自身だ。もし犯人なら、厨房を空けるなり配膳を他の者にさせるなりして、犯行に至る可能性を持つ者を増やすんじゃないか」
 数秒オットーが考え込み、ストックの言葉を咀嚼する。険しい表情でストックを見て、またその視線を前に戻した。
「逆に、そう思わせて疑いを逸らそうとしてるのかもしれないぜ」
「だが他に疑うべき者が居なければ、ヒルスターが犯人とされるのは間違いない。そんな危険な賭をするだろうか」
「ストック、確かにそりゃ一理ある、だがな」
「分かっている。明確な証拠が無ければ、全ては推測に過ぎない」
 きっぱりと言い切り、ストックは椅子から立ち上がった。オットーが続くのを待ち、迷いの無い態度で部屋から出る。止まれといっても止まらないであろうストックに、オットーは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。ひっそりとしたその動きがストックに気づかれることはない、恐らく気づかせる気も無かったのだろう。
「次はどうする気だ?」
 そして開かれた口から出るのも、制止の言葉ではない。ストックはそれに、少しだけ視線を返すと、表情を変えぬまま顔を前に向けた。
「厨房に行く。昨夜、働いていた者達の話を聞きたい」
「分かった。城からは誰も出してないからな、場所を確認して、厨房に集めておく」
 まだ昼飯には早いだろうが、と言い放ち、オットーは手近な警備兵を呼び寄せる。指示を聞いた男が走り去るのを確認し、彼らもまた厨房に向けて歩き出した。



――――――



 扉を開くと、様々な匂いの入り交じった、独特の空気が押し寄せてきた。王宮の裏側を支える厨房は城内に複数が用意されており、そのどれもが意外な程深部にある。出来た料理をさめないように提供するためには、会食が行われる付近に位置していなくてはならない。王宮の主と近く、だがけして彼らの訪れない隠れた場所に、それらの設備は作られていた。
 何度と無くグランオルグを訪れているストックだが、そこを訪れるのは初めてである。それは警備隊長であるオットーも同様のようで、物珍しげに辺りを見回した後、その一画に視線を留めた。
「あいつらだ」
 人気のない厨房に集められた彼らが、目的の者達なのだろう。服装から見て料理人らしき者が二人、女官の服装を地味にしたような服を着た年輩の女性が一人。彼らは一様に緊張した様子で、ストック達を見返していた。オットーが彼らの方向に歩を進めると、女性がびくりと肩を震わせ、スカートを握り締める。
「お前達、昨日厨房に居た奴らか?」
 オットーの直截な問いかけに、三人のうちで視線が見交わされ、一拍置いて揃って頷いた。男のうち年かさの方が、代表して口を開く。
「私は料理長のディランといいます。こいつらは、料理人のマックスと、仕入れ係のエリザベスです」
「ああ。俺は警備隊長のオットー、彼はアリステルの外交官で、ストックだ。突然呼び立てて悪かったな」
「とんでもありません、丁度朝飯の片づけが終わったところでしたから」
 言葉を交わしながらも、ディランの視線はどこか落ち着かなげに彷徨っている、と。
「申し訳ありませんっ!」
 突然ディランが、地に這いつくばる勢いで頭を下げた。あまりにも唐突なことに、ストックもオットーも、即座には反応できず硬直してしまう。ディランの、些か薄くなりかけた頭頂部を、二人は呆然と眺めた。
「愚息が、愚息が、とんでもないことをしでかして……私はもう、女王様にどうやってお詫びしたら良いか」
「――ああ。ヒルスターの父親も、王宮の料理人だったな」
 そういえば見覚えがある、とストックが呟く。直ぐには思い出せなかったが、ストックは以前、ディランとも顔を合わせたことがった。その時は名前も知らず、ただヒルスターの父親としか認識していなかったのだが、記憶の内の姿と目の前の男は確かに同一人物のようだった。
「申し訳ありませんオットー様、あれを料理人に推薦したのは私です。どうか、どうか私の首を斬ってやってください!」
「いや、いやいやいや。ちょっと落ち着いてくれ」
 剣を渡されればその場で自害しかねない勢いに、さすがにオットーも毒気を抜かれたらしい。やや引き気味の様子で、頭を机に擦りつけ続けるディランを宥める。
「何もまだ、ヒルスターが犯人だと決まったわけじゃないんだよ」
「……え?」
「その可能性が一番高いってのは確かだが」
 オットーの言葉に一瞬顔を上げかけたディランだが、続く内容に再びその頭が下げられる。机の天板と額がぶつかり、ごん、と派手な打音が響いた。
「やっぱりですか、申し訳ありません!」
「いや、だから、落ち着いてくれって」
「ずっとこの調子なのか?」
 ディラン以外の二人は、料理長の行動を前に、どう反応して良いかわからない様子だった。慰めるべきか否か迷っているように、エリザベスの手が持ち上げられ、また下げられる。ストックの言葉に二人は揃って頷き、救いを求めるように見詰めてきた。
 ディランの嘆きも理解はできる、エルーカは今や、グランオルグの希望そのものと言って良い存在だ。それを我が子が暗殺しかけた、しかも犯行が可能となったのは、己が料理人として推薦したから――全てが自分の責任だと世を儚んでも、仕方がないことだろう。
 だがこのまま頭を下げられ続けても、目的を果たすことはできない。ストックは一瞬考えると、取り敢えずディランのことは無視して、残りの二人に向き直った。
「昨日の今日で疲れているところをすまない。今回は、昨日の事件について話を聞かせてもらうために、集まってもらった」
 マックスもエリザベスも、ディランのことは気になるようだが、真っ向から話しかけられればそちらにも反応せざるを得ない。横に視線を遣りながらも、慌ててストックへと向き直る。
「話ですか、でも、私たちが知っていることは全部、警備隊の方々に話しましたが」
「それで構わない。すまないが、聞かれたら同じ話を繰り返してくれ」
 下げられた頭に構わず開始された会話に、ディランも居心地の悪さを感じたのか、おずおずと視線が覗く程度に頭を上げる。
「料理長も、協力を頼む。犯人を見付けるために、重要なことだ」
 そこにすかさず、オットーが言葉を重ねた。厳しい声音に、ディランが再び額をぶつけなかったのは、その台詞の内容故だろう。マックスとエリザベスも、驚いた様子で目を瞬かせている。
「犯人、って。ヒルスターが捕まったんじゃないんですか?」
「現時点では、第一の容疑者というのみだ。調査の余地が残っていると判断したから、こうして集まってもらっている」
 マックスの問いかけに、ストックがきっぱりと答えると、三人は目を見開いて視線を見交わす。本当ですか、と絞り出されたディランの呻きに、オットーは重々しく――恐らく、本音のところは不承不承――頷いてみせた。
「女王の暗殺を企てたんだから、未遂であっても大罪だ。怪しい奴を捕まえて終わりってわけにはいかない、確実に犯人を捕まえる必要がある」
 それまでの主張を背後に放り出した物言いだが、今初めてオットーの言葉を聞く三人が、それを知ることはない。真っ先にエリザベスが顔を輝かせ、次いでマックスも笑顔を浮かべた。
「まあ、まあ……そうですか! 良かった、ヒルスターさんがあんな恐ろしいことをする筈が無いって、私は思っていたんですよ」
「そうです、あいつが捕まったって聞いてから、何かの間違いだってずっと思ってたんです。ちゃんと調べてくれれば、あいつは潔白だって分かりますよ。お願いします警備隊長、ヒルスターの無実を晴らしてやってください」
 そう言ってマックスは、深々と礼をする。隣でエリザベスも、同様に深く頭を下げた。ディランは、そんな二人を横目でちらちらと見ていたが、やがて耐えかねたように二人に続いた――今度は、頭をぶつけることなく。
「お願いします。もしあいつが無実だってんなら――助けて、やってください」
 父親の、血を吐くような訴えに対して、否と言えるはずもなく。いや、そもそもストックの側には、それを否定する理由も一切無く。
「そのつもりだ」
 常の調子で淡々と言い切られたその言葉に、ディランの肩が、小さく震えた。


――――――


 気分を落ち着けるためにディランが淹れた紅茶を含みながら、ストックとオットーは三人の話に耳を傾ける。といっても殆どは、オットーが部下から受けた報告と、ヒルスターが語っていたことと同様だ。先輩であるディランとマックスは、問題の皿の調理は手伝わず、ヒルスターが一人で料理していた。厨房への出入りは激しかったが、不審な者を見かけた覚えは無い。
 といってもそれらは概ね、ディランとマックスから語られたものだ。エリザベスは仕入れをと食材の管理を担当しているため、その日に使う分を運び入れてしまえば、それ以上厨房に出入りすることは無いのだという。
「そりゃ勿論、追加で食材を届けたりすることはありますがね。何か用事でもなければ、居たって邪魔になるばっかりですから」
 穏やかな調子でエリザベスが語るのに、オットーは納得した様子で頷いた。
「んじゃ、あんたは当日厨房に居なかったと。会食が始まる前、それと始まってからは、どこに居たんだ?」
 貯蔵庫の脇に書類部屋があるんですがね、そこで事務仕事をしてましたよ。厨房で仕事が無いったって、緊急で要請があるかもしれませんからね。直ぐに動ける場所には居ないと」
「成る程な。では、事件を知ったのはいつだ?」
「ちゃんと知らせが入ったのは、警備員の人が来た時ですよ。お城に残っていた人たちが、皆連れていかれてひとつの部屋に集められたんです。ただその前から、なんだか騒がしいなって思ってましたが」
 ストックも頷く、取り敢えず証言に不自然なところは無い。
「あんたの担当は仕入れと備蓄食材の管理だったな。今回の料理に使ったものも、あんたが仕入れたのか」
「ええ、勿論です」
「仕入れのルートは?」
「普通に、市場から買ってますよ。量が量ですから、注文したら城まで直接運び入れてもらってますが」
「それは、いつも同じ商人に頼んでいるのか?」
「はい。勿論一カ所じゃありませんがね、コルネ野菜なら誰それ、ワインなら誰それって具合です」
「昨日仕入れた品に、怪しい品物は無かったか」
「あったら、厨房に渡す前にはねてますよ」
 躊躇いつつも、念のためという気持ちで発せられた質問は、やはりと言うべきか一笑に付された。
「当たり前じゃないですか、エリザベスさんは若い頃からずっと厨房の裏方をしていらっしゃるんです。僕やヒルスターのような料理人より、よっぽど確かな目を持っていますよ」
「……城で働いて、長いのか」
「ええ、まあ、若い時分から城に入らせて頂いてますから。エルーカ女王がお産まれになるずっと前から、この城で働いています」
 その言葉にひやりと冷たいものを感じて、ストックは思わずエリザベスを見詰めた。だが彼女は、全く他意の無い様子で、不思議そうに首を傾げている。彼女と同年代と思われるディランもまた、同様の反応だ。
 ストックは、緊張した気配のオットーを、目線で制した。エルンストを見知っていても、そうと言われなければ、ストックとの相似性には気付かないようだ。
「あの、何かおかしなところでも」
「いや、大丈夫だ。……昨夜使った食材は、いつ頃厨房に運び込んだんだ」
「物によりますね。スープなんかは前日から煮込んでるでしょうから、一昨日の仕入れ分を使ってる筈です。後、飾りの羽根なんかも、腐るもんじゃないので前日の昼間に届けておいてもらいました。他の生鮮品は、夕方頃厨房に持っていきましたよ」
「……羽根か」
 一瞬オットーが不思議そうな顔をしたので、ストックは前日の料理に飾りの羽根が乗っていたことを説明した。蓋を開けると華やかに揺れている尾羽根は、あの料理の中でも非常に印象的な部分だった。
「ああいった飾りを料理に使うことは、よくあるのか」
「そうですな、いつもという程じゃありませんが、そう珍しいことでも無いです」
 ディランが考えながら応える。
「やはり、見た目が華やかになりますからな、舞踏会や正式な晩餐会のような場所では、好んで使われる傾向にあります」
「ふむ、だが基本的にはもっと大きな場で使うものなのか」
「ええ、軽く花を添えたりはしますが、ああいった特殊なものは。情けない話です、実力もまだ追いついていない癖に、見た目ばかりに凝って」
「まあまあ、料理長」
 仏頂面でグチめいたぼやきを零すディランを、マックスが窘める。
「初めて女王から一皿を任されたんです、気合いを入れて当然でしょう。彼の努力も認めてやってください」
「努力なんぞ、して当たり前だ、褒めるようなもんでもない」
 職人らしく、実の息子にも手厳しい評価のディランに、他の者達も慣れているのだろう。彼を見る視線には、苦笑と親愛が入り交じっている。
「大体、ちょっと飾りを付けるくらいならともかく、あんな立派なもんを……あれだけでも、随分高かっただろうに」
「確かに、かなり目を引く大きな羽だったな」
 ストックが記憶の中から、食べる前の料理の姿を引き出してくる。全体を覆う程に大きな尾羽根は、まだらの茶を基本としていたが、中には数本色のついた羽根が混じっていた。色は様々だったが、エルーカの皿に乗っていたものが美しい金と青だったことは、ストックもはっきり覚えている。金色の巻き毛と青い瞳は、エルーカのトレードマークだ。全ての客に対しては難しくとも、参加がはっきりしている女王だけでも、その色合いを揃えて飾り付けたのだろう。
「羽根は、私が選んだんですよ。ヒルスターさんの頑張りを見てましたからね、それに相応しいものを用意してあげたかったんです」
「そうなのか。あれは、ヒルスター自身が指定したわけじゃなかったんだな?」
 エリザベスの台詞に、ストックは目を瞬かせる。会食の規模の割に豪華な飾りは、仕入れ係の気遣いだったらしい。
「羽根を飾ると決めたのはヒルスターさんですよ、鳥に見せるために本物の羽根を添えたい、と頼まれましてね。でも、具体的な形までは指定されませんでしたから」
「でも、ああいった扇状の羽根が売っているわけじゃありません。あれは、エリザベスさんが細工なさったんですよ」
 横からマックスが、笑顔で声を上げる。名指しされたエリザベスは、一瞬驚きを見せたが、直ぐに朗らかな笑みを浮かべた。
「ええ、予算はそこまでありませんでしたからね。長めの羽根を買って、扇形に束ねておいたんです」
「ふむ……あの場に出た皿の分は全て?」
「はい。ええと、予備も含めて十五本作りました」
「随分、気合いが入ってるな」
 オットーが感心した調子で言う、本来であれば飾りを加工することなど、彼女の仕事では無い筈だ。ストックも彼の言葉に同調する、驚く二人に、エリザベスは笑いながら頷いてみせた。
「私というより、ヒルスターさんがね。本当に頑張っていらっしゃいましたから、何か応援したくて」
「……ヒルスターは、今回の一皿に対して、相当力を入れていたんだな」
「ええ、それはもう、根を詰めすぎて心配になるくらいでしたよ。マックスさんにも、何度も相談して」
 エリザベスに視線を向けられ、マックスは目を瞬かせると、照れた様子で視線を逸らす。
「本来なら、あの若さの料理人が皿を任せられるなんてことは有り得ませんから。女王の抜擢に応えようと必死だったんでしょう」
「私もそう思います、ヒルスターさんは本当に頑張っていました。だから――そんな大切な料理に、毒を入れるなんて」
 有り得ません、とエリザベスが呟く。途端に、その場に重い沈黙が落ちた。マックスが沈痛な顔で頷き、エリザベスに同意を示す。
「その通りです、警備隊長。誰がやったかは知りませんが、あいつが犯人ってことだけはあり得ない。他の誰か、ヒルスターの努力を台無しにした誰かが、この城の中に居るんです」
 悔しげに、噛み締めるように吐き出された言葉を、ストックは真剣な顔で聞く。
「お願いします、あいつの無実を晴らしてやってください」
「そのつもりだ、と言った」
 オットーは、何事か言いたげにわずかに眉を動かしたが、結局何も言葉は発さない。ただ、牽制するような視線をストックに送りつつ、ごほんと態とらしく咳払いをした。
「お前達は、ヒルスターの無実を信じてるんだな」
「ええ、勿論!」
 オットーの、問いかけとも独白ともつかぬ呟きに、エリザベスが大きく頷く。
「そりゃ腕はまだ未熟ですが、素直な良い子ですよ。料理に関しても真剣です、ディランさんの息子さんだからってだけじゃなくて、料理人としてちゃんと立派な心がけを持っています。暗殺なんて恐ろしいことする筈ありません」
「てことは、別にあいつが犯人じゃないって証拠があるわけじゃ無いんだろう」
「証拠なんて必要ありませんよ。大体エルーカ様は、料理に入っていた毒でお倒れになられたんでしょう? ちゃんとした料理人なら、自分の作った料理に毒を入れるなんて、恥知らずな真似をする筈ありません」
「まあ、そんな精神論をいくら積み重ねたところで、警備隊の皆さんは納得してくださらないんでしょうが」
 青ざめた顔に苦笑を浮かべて、マックスが呟く。
「僕たちはヒルスターのことを信じています、恐らく厨房周りで働く他の人達もそうでしょう。けど、それだけじゃあいつの疑いは晴れない。そうですよね」
「まあな。詳しいことは警備上の機密だが、あいつ以外の犯人が見付からない限り、暗殺を企んだのはヒルスターってことになる」
「分かってます。でも僕たちは、あいつが犯人じゃないって訴えることしか出来ないんです」
 マックスの言葉に、黙ったままだったディランが小さく頷いた。エリザベスも、沈鬱な表情で下を向き、スカートの布地を握り締めている。沈み込んだ雰囲気に、オットーは困った様子で視線を泳がせ、うめき声を上げた。
「まあ、さっきも言ったが、まだ犯人だって断定されたわけじゃないからな。調査で、あいつ以外の犯人が浮上するかもしれない」
「はい……それは、期待しても良いんですよね」
「勿論だ」
 恐るおそる、といったマックスの台詞に、ストックが応える。
「ヒルスターが本当に犯人でないなら、必ずどこかにその証左があるだろう。そのためにも、思い出したことがあったら、必ず言ってくれ」
「後になってからでも構わないからな。警備の兵に言ってくれりゃ、伝わるようにしておく」
 エリザベスが大きく頷き、有り難うございます、と付け加えた。
「本当に、昔は兵士さんなんて、横暴なばっかりだと思っていましたけど、こんなにきちんとしてくださって。それもこれもエルーカ様がこの国を纏めてくださっているからです」
 ぐすりと鼻を啜り、浮かんだ涙を手巾で拭う。見ればディランも、さすがに涙こそ浮かべないが、深く頷いてエリザベスの言葉に同意を示していた。
「そのエルーカ様に、あ、あんな恐ろしいことをする人がいるなんて。私、本当に信じられなくて」
 グランオルグの暗黒時代を打ち払ったエルーカに対する、国民の敬愛は深い。だから彼女の反応は極自然なものなのだが、それでも目の前で年輩の女性に泣かれるのは、男として居たたまれないものである。
「あー、ストック。何か他に、聞いとくことはあるか」
「……いや。今のところは、大丈夫だ」
「分かった、それじゃ次に行くぞ。協力感謝する」
「は、はい。あの、私たちはこの後、どうしたら」
「悪いがまだ帰ってもらうわけにはいかないんでな、さっきまでと同じように、他の奴と合流して待機しておいてくれ。居場所が把握できるなら、ある程度は自由に行動してもらって良いが」
「分かりました。……お待ちして、おります」
 マックスがエリザベスの背をさすり始める、それを期としてオットーは立ち上がり、扉に向かう。深く下げられたディランの頭に見送られながら、オットーもまた、彼を追って厨房を出ていった。



――――――



「やれやれ。やりづらいことこの上ないな」
 厨房から離れ、いつもの王宮へと戻ったところで、オットーは息を吐いて肩を回した。彼も元来、面倒見が良く情に篤い性質だ。犯人として処分しようしている相手を、ああまで擁護されてしまっては、非情を気取るのも難しいのだろう。
「あまり気にするな。お前の仕事は、本当の犯人を見つけだすことだ」
 ストックはあくまで淡々とした、それまでと変わらない表情で歩を進めている。料理人達と会う前からヒルスターが犯人でない可能性を指摘していたからか、それとも元々の性格で感情が表に出ていないだけか。どちらとも取れぬ、表情の無い整った横顔に、ちらりと微かな笑みが浮かんだ。オットーが護ろうと必死になっているエルーカは、ストックにとっても大切な女性だ。彼女のために奔走するオットーを、多少は労おうとでも思ったのかもしれない。
 その笑顔に気づいているのかどうか、オットーの側は疲れた様子で、ふんと鼻を慣らした。
「俺の、ってよりお前の仕事だがな」
「……俺は外部の人間だぞ。主導権はお前にある」
「まあ、表向きにはそうなんだがな。それで、次はどうするよ?」
 笑顔を消して渋い顔になったストックだが、それに構うことなく、オットーはあっさりとストックに舵取りを委ねる。ストックも、今更のことだと表情を戻し、数瞬考えを巡らせた。
「そうだな、厨房の様子は大体分かった。後は、料理が出来てから、席に運ばれるまでの間か」
「一番長く関わってるのは、当然だが運んだ当人のヒルスターだな」
「ああ。厨房から会食が行われた部屋まで、どれくらいかかる?」
「大した距離じゃないだろう、精々一、二分ってとこだ」
 今回使われた厨房があるのは王宮の奥、料理が冷めぬうちに運ぶため、晩餐会や会食が行われる一画とさほど遠くない箇所に作られている。王族や賓客が通る、豪華な廊下に平行して走る使用人用の通路を抜けて、ヒルスターは料理を運んでいた。
「会食は夕方から始まったから、通路も廊下も、人通りはあまり多くなかった。だが一緒に料理を運んでる奴らが居る、人目は常にあったと考えて良いな」
 ストックが頷く、監視していたわけではなくとも、怪しい者が近づけば当然気付いた筈だ。それ以前に、ヒルスターがしっかりと抱える料理に対して何かをするのは、ストックの技術があってさえ難しい。操魔の力を応用して完全に気配を消しても、覆いを持ち上げた時点で、ヒルスターは異常を察してしまう。
「会食会場の入り口には、番兵が居た。そいつらに話を聞いたが、料理を運び込む時点で、怪しいことは無かったらしい」
「怪しいとは、どんな点を指して言っているんだ」
「配膳係以外の人影が無かったか、人数は正しかったか、料理以外のものを持ち込む様子が無かったか……そんなとこだな」
 複数の人目がある廊下で、移動中の料理に対して細工をするのは、やはり不可能と言って良さそうだ。段々と歩く速度を緩めながら、ストックが考え込む。
「部屋に入ってからはどうだろうか」
「同じ、いや、もっと悪いな。ヒルスターは先頭で部屋に入って、女王に皿を捧げてる。その間ずっと、女王と客から注目されてるんだぜ」
 単純に視線の数でいえば、運んでいる間より遙かに多い。他の者は元より、ヒルスター自身ですら何か妙な動きをすれば、直ぐに気付かれる状況だ。かく言うストックもあの場に居た一人だが、料理がエルーカの元に運ばれるまでの間、何も起こっていなかったと断言できた。
「ならば、運んでいる間には、誰も何も出来なかったと仮定してよさそうだな」
「ああ。魔法使いだろうが魔動学者だろうが、あの場で何かしたら、必ず気付かれただろうさ」
「……魔動学者は違うと思うが」
 アリステルの誇る魔動工学も、慣れぬグランオルグの人間にとっては、魔法と大差ないということか。ちらりと零れた苦笑は、だが直ぐに、巡る思考に押し流された。
「運ばれた時点で、本当に料理に異常は無かったのか?」
「だから、何か細工する時間なんて無かったって、さっきから何度も言ってるだろ」
「機会の有無に関しては、一旦置いておく。俺の位置から、エルーカの料理ははっきり分からなかった。俺たちの元に運ばれた料理と、エルーカの元に運ばれた料理が、本当に同じ外観をしていたとも限らない」
 ストックの言葉に、オットーも言葉を切って考え込んだ。
「毒が加えられたらすぐ分かる、ってのは俺たちが思いこんでるだけだってことか」
「ああ。エルーカが料理を見たのは、テーブルに出された時が初めてだ。何かがかけられていたとしても、それが料理の一部だと考えるかもしれない」
「成る程な」
 ストックの言葉に一理を認めたようで、オットーは深く頷く。
「てなると、実際に女王の皿を見た奴に、話を聞いた方が良いな」
「ああ。エルーカは、もう話ができる状態なのか」
「いや、女王はまだ眠ってる筈だ。あまり無理もさせたくないし、取り敢えずは後回しにしておこうぜ」
「そうか、そうだな……」
「大丈夫だ、命には別状無いって、医者が何度も言ってたんだから」
 心配するな、と笑われて、ストックは苦笑を零した。今はこれでも無事を確約されるまでは、恐らくオットーも同じくらいに心配を表にしていたことだろう。何度も容態を確認されたであろう医者の心情を想像し、ストックは密かに同情の念を抱く。
「そうだな。テーブルで女王に付いてた女官なら、多少は様子が分かるんじゃないか」
 横道に逸れているストックの思考には気付かず、オットーは名案を思いついた様子で、ぱっと顔を輝かせた。ストックもその言葉に、意識を前に戻す。
「マリーか。確かに――」
「ああ、いやマリーじゃ無い。昨日はマリーは待機してて、別の女官がテーブル係になってたんだよ」
「……そうだったのか?」
「ああ、気付かなかったか?」
 観察力は人以上にあるストックだが、昨夜の席では、他に意識を向けるものが多すぎた。言われてみれば、エルーカの周囲に少し違和感があったような気もするが、それもはっきりと記憶に残ってはいない。女官の服装など皆揃いのお仕着せだし、見慣れたマリーの姿が無かったとしても、気付くことは難しかったのだろう。
「何かあったのか」
「いや、別に異常は何も無い。ただ、あんまりマリーばっかりを重用してると、他の女官の不満が高まっちまうらしくてなあ。最近じゃ、特に問題が起きそうな場所でなけりゃ、マリー以外の女官をつれていくことも多いんだよ」
「そうか。……面倒だな」
 マリーは、エルーカが王女であったころから女官として働いていた女性だ。レジスタンスと通じて活動する際にも行動を共にしていた程で、エルーカからの信頼はこの上無く篤い。出来れば常に傍らに居て欲しいし、マリーの側でもそれが望みだろうが、それでは他の者が納得しないのだろう。
 エルーカは現在、グランオルグ国民の敬愛を一身に集めている。そんな彼女の寵を得るのは、利点ばかりでは無いということだ。
「全くだ、女ってのは面倒臭いもんだぜ」
「別段、女に限ったことじゃないと思うがな。オットー、お前は大丈夫なのか」
「俺? が、どうしたって?」
「いや、マリーのように、他の者の嫉妬で面倒なことになっていないかと」
 言いかけた言葉をストックは途中で切り、納得した様子で首を横に振る。
「大丈夫そうだな。お前も、一応は英雄の一人だ」
 レジスタンスのリーダーであり、エルーカを助けてグランオルグ解放を導いたオットーも、国民にとっては救国の英雄である。利権を狙う貴族に疎まれることはあっても、労働者階級の者達に嫉妬されることは、まず無い筈だ。
「一応、ってのは余計だろうが。……まあ、心配してくれたのには、礼を言っとくけどな」
「ああ。で、昨日テーブルに付いていた女性に会うことはできるか」
 オットーの、照れの混じった発言を、ストックは軽く流す。オットーの顔に憮然とした表情が浮かんだが、それも一瞬のことだ。直ぐに感情を諦めに切り替えると、目当ての女性を捜し出させるため、警備の兵を呼び寄せた。



――――――



 手近な会議室に呼び出されたその女性は、どうやら体調を崩しているようだった。顔色の青さは、緊張のためだけとは思えぬ程ひどく、席に着く動作も動作もどことなく力弱く見える。
「おい、大丈夫か?」
 見かねてオットーが声をかけると、気丈に頷いてみせる。申し訳ありません、と発せられた声は、思いの外しっかりとしていた。
「少し、調子を悪くしておりまして。もう、大分よくなりましたので、お気になさらずとも結構ですわ」
「そうか、それならまあ良いんだがな。無理はするなよ、キツかったら言ってくれ」
 オットーの言葉にも、はっきり首肯を返す。女王付きの女官となり、会食の間のみとはいえ直接の給仕を任される程なのだから、かなり有能な女性なのだろう。毒殺未遂事件の後で、警備隊長に呼び出されてたという現状でも、臆せずに真っ直ぐ顔を上げている。その態度に感心したのか、それとも女性に弱いのかは分からないが、オットーの物言いも普段より柔らかくなっている。
「分かってると思うが、昨日の夜の会食について話を聞かせて欲しい。大丈夫か?」
「はい、勿論です。私で分かることでしたら、何でもお答えさせていただきます」
「ああ、頼む。それじゃ、まずはあんたの名前から教えてくれ」
「アリサと申します」
 宜しくお願いいたします、と頭を下げるアリサの所作は、やはり状況にそぐわず優雅なものだった。元々が労働者階級の出で、終戦までは王宮などに全く縁の無かったオットーにとって、やりづらい相手だろう。エルーカが王女となって以来は日常的に接しているものの筈だが、それでもやや及び腰の内心が、隣のストックにも伝わってくる。
「アリサ。昨夜はエルーカ女王の給仕を担当していた、間違いないな」
 ここは、自分が主導するべきだと判断したストックが、横から声を発した。例え記憶が無くなっても、身に染み込んだ習慣や性質は変わらない。王宮の人々の所作は、王子という身分で無くなった今でも、ストックにとって違和感のないものだ。
「はい、間違いはございません」
「その時の話を聞かせてくれ。そうだな、まず、料理が運ばれた時の様子を詳しく教えて欲しい」
 アリサは、質問の相手が見慣れた警備隊長でないことに、僅かに戸惑ったようだった。だが、オットーが傍らに連れている相手が、一般人ではないと判断したのだろう。直ぐに表情を切り替えて、真剣な様子でストックに向き直る。
「初めの料理ですね。エルーカ女王の挨拶が終わられて、直ぐに扉が開いて、料理の乗ったお皿が運び入れられました。扉から女王のお席まで、真っ直ぐに持ってこられたと思います」
「運んでいる最中、妙なことは無かったか」
「特には……ああ、ただ、昨日は運んでいるのが料理人の方でした。いつもは、給仕の担当が居るのですが」
 運んでいたのはヒルスター、それに関しては既に確認が取れている。己の記憶とも整合性が取れていることだ、ストックは頷いて先を促した。
「他には特に、何事も。普段の会食と同じように、女王のお席から順にお皿が置かれまして、全員の分が揃いましたら蓋が開けられました。鳥の形をした綺麗なお料理で、列席者の方々も皆様お喜びだったように思われます」
「皿の上か料理は、どんな外見をしていた。もう少し詳しく教えてくれ」
  問われて、アリサはしばらく考え込む。
「そうですね、まず、先程も申しました通りに鳥の形をしていました。あれは恐らく本物の羽根だったと思うのですが、それがお皿の上を、覆うように広がっていて。黄色と青に染められた羽根が、飾りとして差し込まれていた覚えがあります」
「ああ。他には」
「顔の部分は、野菜を削ったものに見えました。凝っているとは思いましたが、尾羽根や体の部分と色が合っていないので、どうにもちぐはぐだったのが残念かと。それに、顔の造形もいま一つ荒かったようですね」
 女性らしい細かい観点から欠点を列挙され、ストックは思わず苦笑する。ヒルスターが渾身の力を注いだ一皿も、目の肥えた宮廷の住人からすれば、まだまだ未熟ということだ。これはこれで、料理人にとっては貴重な情報だろうが、取り敢えず今欲しているものではない。
「羽根を取った後、胴体部分はどうだった」
「胴体ですか、確か、丸い形をしていました。外側を、細切りにした野菜で覆われていて」
「上に、何かかかっていたりしてなかったか?」
 堪えきれずにオットーが口を挟む。アリサはまた少し考え込んだ後に、迷った様子で首を傾げた。
「目に見えて分かるようなものは、何も。ただ、表面が光っているようでした。ソースか何かと思っていたのですが」
「そうか……皿が塗れていたりとか、そういったことは?」
「断言はできませんが、恐らく無かったと思います。凝った見た目をしておりますし、お皿の方はシンプルな白地のものでしたから、汚れがあったら気付いたのではないでしょうか」
 アリサの観察眼は確かなようだった、料理の特徴は、他の者から得た情報と一致している。異常が無かったという証言は、信憑性のある者だと判断しても構わないだろう。オットーに視線を遣ると、彼も同じ考えのようで、小さく頷き返してくる。
「料理が出てくるまでは分かった。その後のことも話してくれ」
「あ、はい。ええと、その後は皆様の杯に祖お酒を注ぎまして、それから食事が始まりました」
「酒か。注いだのは誰だ?」
「注いだのは、私を初めとしまして、各テーブルに付きました給仕の係です。ただ、栓を抜いたのは、酒蔵の管理人になります」
「管理人がその場で栓を抜いて飲み、毒が入っていないことを証明したんだったな」
「はい。杯に関しましても、その場で曇りを確認します。エルーカ様のものにも異常が無かったことは、私が間違いなく確認しておりますわ」
 酒を注ぐ前のこれらの手順は、グランオルグでの会食時には常に行われていることだ。勿論昨夜も滞り無く行われていたのを、ストック自身が確認している。
 ――勿論、杯を確認したというアリサが嘘を吐いていれば、話は別だが。
「間違いなく、です」
 ストックの目に宿る疑念を悟ってか、アリサが厳しい口調でつぶやいた。ストックもそれ以上は追求することはせず、、黙ったまま頷いて先を促す。
「その後は、特に何事も無く食事が進みました。皆様が一品目を食べ終わって、そろそろ次の料理が出てくる頃だと思っていたら、エルーカ様が」
 その時の衝撃を思い出したのか、それまで申し分なく気丈であったアリサですらも、言葉を接げずに肩を震わせている。話している間は少しばかり良くなっていた顔色も、また白さを増しているように思えた。
「大丈夫か?」
 オットーが心配げに声をかけると、震える肩はそのままに頷き返す。
「申し訳ありません、昨夜から少し、体調が思わしくなくて」
「まあ、無理もないさ。あれだけの事件に巻き込まれればな」
「有り難う御座います。私、エルーカ様に直接お付きさせていただくのは初めてでしたから」
 普段はマリーさんが付いていますし、と、少しばかり調子を低めた声で続けられる。
「緊張し過ぎて、調子が狂ってしまっていたのかもしれません。会食の最中から、少し気分が悪くて」
「そうだったのか。それは、無理をさせてすまなかったな」
「いえ、エルーカ様のためですから」
 青ざめた顔に、笑みが浮かべられた。
「私が担当の時にこんなことになってしまって、本当に悔しいんです。他の女官の中には、私が何かしたんじゃないかと疑っている人も居るくらいで」
 ストックの脳裏に、先程オットーに聞かされた話が頭を過る。マリーが嫉妬を受けるように、数居る女官の中から抜擢された彼女もまた、他の者から妬まれる対象となっているのだろう。強い女性だと思っていたが、そうならざるを得ない環境にあるのかもしれない。
 束の間二人が考え込み、部屋に沈黙が訪れる。それに気付いたストックが口を開こうとした、それに被さるようにして、外から扉を打つ音が響いた。
「失礼します、オットー隊長はいらっしゃいますか」
「おう、入れ!」
「はっ、失礼致します」
 扉を開けて顔を出したのは、オットーの部下であろう兵士だ。頬を紅潮させて敬礼をすると、返事も待たずに言葉を続ける。
「エルーカ女王がお目覚めになられました!」
「何だと! 本当だろうな!」
 その一言で一気に勢いを取り戻したオットーが、音を立てて椅子から立ち上がる。ストックも、珍しくはっきりとした喜色を浮かべて、それに続いた。
「容態はどうだ。もう、面会はできるのか」
「はい、面会許可は出ております。オットー隊長とストック内政官をお連れするようにとのことです」
「そうか。わかった、直ぐに向かう」
 オットーと頷き交わすと、やはり喜びを抑えきれずに立ち上がっているアリサへと視線を向けた。顔色は未だに悪いままだが、その顔には深い安堵が広がっている。
「エルーカ様、良かった……ご無事で」
 薄らと浮かんだ涙を手巾でふき取り、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。無理をするな、とストックが声をかける。
「話は以上だ。協力を感謝する」
「はい。エルーカ様のこと、宜しくお願いいたします」
 深い礼に頷いて応えると、今度こそエルーカの元へと赴くため、オットーと共に歩き出した。



――――――


「ストック。オットーも」
 エルーカの自室へと駆け込んだ二人に、部屋の主は朗らかに微笑んでみせた。顔色は悪く、寝台から半身を起こした姿ではあるが、その仕草は常のエルーカと変わらない。兄と部下を安心させるように、殊更にしっかりとした様子を見せているのかもしれないが。
「エルーカ。良かった」
 その気遣いを理解してか、あるいは単に妹の顔を見て気が抜けたのか、ストックも相好を崩して駆け寄った。傍らに控えていたマリーが、気を利かせて椅子を寝台の横に移動させる。
「体はどうだ、大丈夫か? 何処か辛いところは無いか」
「大丈夫です、心配をかけましたね」
「そんなことは気にするな。お前が悪いわけじゃない」
「うむ。ストックの言う通りです」
「ウィル。あなたも、ずっとここを護ってくれていたんですね。有り難う御座います」
 彼らに引き続いて、警備を交代したウィルが入室してきた。エルーカが、自らを護ってくれていた部下に、労いの言葉をかける。
「勿体無いお言葉を、陛下」
「悪いな、任せちまって。妙なことは無かったか」
「今のところ、周辺に以上は無い。毒を仕込むような輩が、警備のただ中を襲撃することは無だろうしな」
「まあな、だがもしものことがあっちゃ困る」
「勿論だ、警戒に怠りは無い。で、お前達の方はどうなんだ、何か分かったのか」
「ああ、まあ、そうだな。取り敢えず、やっぱりヒルスター以外には無理そうだってのが分かったぜ」
 オットーの応えに、ウィルは苦々しい表情を浮かべた。進展無しか、と、噛み潰すように呟く。
「やはり、ヒルスターが犯人ということは間違いないようだな。女王への恩も忘れてお命を狙うとは、料理人の風上にも置けん奴」
「……まだ、そうと決まったわけじゃない」
「ストック、お前も大概頑固だな」
「ふむ、ストックはオットーと別意見か。どうなんだ、オットー」
「俺に聞くな。俺は最初っからヒルスターしかあり得んと思ったから、あいつを引っ張ったんだぞ」
 あれこれと言い合う男達を前に、エルーカは深く息を吐いた。三人の男は思わず視線を切り、女王に視線を向ける。
「やはり、ヒルスターが毒を盛ったということになるのでしょうか」
 その悲しげな声音に、語気荒く語っていたオットーですら二の句が接げず、黙ったまま目線を彷徨わせるばかりだ。数秒の沈黙の後、ストックが口を開く。
「まだ、分からない。他の者が行った可能性も、十分残っている」
「そうなのですか? ストック」
 エルーカから送られた真っ直ぐな視線に、ストックは臆せずに頷いてみせた。それは、妹を安心させるためだけではない、揺るぎ無い信念に基づいた所作である。
「確かに、他の者が毒を入れる機会は見あたらない。だが、ヒルスターが毒を入れたという証拠も、見付かっていない」
「……そうですね」
 それを感じ取ったのか、ストックの力強い言葉に、エルーカは納得した様子で頷いた。逆に、オットーは不審げな表情で首を傾げる。
「エルーカ様、ヒルスターの奴が犯人だと、何か不味いことでもあるんですかね」
「不味い、というわけではありませんが」
 憂い顔で溜息を吐き出すエルーカに、オットーの戸惑いはさらに増しているようだった。元々、関係者への聴取で揺らぎかけている確信に、女王の言葉が致命傷を与えたのだろう。先程までの強硬な態度は、むしろ迷い始めた自分を奮い立たせるものだったということか。
「彼には、期待していましたから。若い者を登用する前例になれば良いと」
「そういえば、会食の時に傍に付けていたのも、マリーではなかったな」
「ええ、同じ理由です。城仕えの者は随分削りましたが、それでもプロテア時代から勤めているものが中心になっている現状は変わりません。今は終戦の緊張もあって随分略式で通していますが、彼らの感覚はまだ、以前の豪奢なものが抜けていないようです」
「それに対抗するため、徐々に責任を移していきたいということか。だが、急すぎる気もするがな」
「それは分かっています、今回の会食にしても、現場からは不満の声が挙がっていたようです。ですが以前のように、頻繁に大きな宴席があるわけではありませんから、少し強引にでも他の者を取り立てないと、どうしても重要な役目を担当する者は固定されてしまうのです」
 エルーカの言葉は正しい、女王が入れ替わり戦争が終結しても、グランオルグの体制は大きく変わったわけではない。この国を支配する旧弊な価値観は、特に貴族階級やそれに仕える者達の中で、未だ消えることなく残っている。それを徐々にでも変えていかなければ、いずれかつてと同じ過ちが起きると、それはけして過度な危惧では無い。
 だが本来なら、それに対抗する細かい方策までを、国王が考えるべきではない。王が執るのは国全体を動かす政策であり、個々の仕事に対する指示ではないのだ。しかしグランオルグはどこまでも手が足りない、それにエルーカ本人の気質が合わさり、王の役目を越えた細かい事情まで彼女自身が目を配ることになってしまっている。
 国民の一人一人のことまで考え手を差し伸べる、その姿勢はエルーカが支持される所以だ。しかし反面、彼女一人に負担が掛かりすぎてしまう弊害も、現時点で間違いなく存在する。。頂点の一人がすべてを取り仕切ってしまうのは、ある程度の人数までは効果的だが、グランオルグという国の規模を考えれば正常な形とは言えない。
 心配げな表情を浮かべるストックに、エルーカは、殊更に朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫です。まだ、ヒルスターが犯人だと、決まったわけではないのでしょう?」
「……ああ」
「かといって、他の誰かが犯人だって分かったわけじゃないですがね。なあ、ストック」
 エルーカの身を案じているのは、勿論ストックだけではない。ともすれば全てを一人で背負おうとしてしまう女王に、常に彼女を護っている護衛二人も、やはり厳しい表情となっていた。直接諭さないのは、それでも一応、相手が病人だという意識が残っているからだろうか。ストックの肯定に反論するオットーは、傍から見て明らかな程憮然とした様子となっていた。ウィルも、相棒程に強いものではないが、やはり少しばかり不機嫌そうな気配を漂わせている。
「先程、こちらに連絡があった。毒はやはり、料理に入っていたということで間違いないらしい」
「ああ、そっちに行ってたか。んで、毒の種類は?」
「そこまでは調べが付かなかったそうだ。エルーカ女王の症状も、知られた毒のものとは重ならなかったということだが」
「そうか、そういや医者が言ってたな。まあ、料理に入ってたのが間違いないなら、やっぱり入れた奴は」
 と、そこで言葉を切ったのは、先程のエルーカの憂い顔を思い出したためか。しかし中途で止めたところで女王の反応は変わらない、再び悲しげな色を纏った女王の顔に、オットーは酷く慌てて言葉を濁す。
「いや、まあ、別に捜査もせずに決めつけてるってわけじゃあありませんよ。ただ、状況を考えると、奴以外に考えられないってだけで」
「分かっています、オットー、あなたは無実の人間を犯人に祭り上げて平然としていられる人ではありませんから。ですが、やはり残念なのです」
「エルーカ様。そうは言ってもですね」
「彼も、あんな料理が最後の一皿では、納得がいかないでしょう」
 小さく溜息を吐き、エルーカは瞼を伏せた。だがそこで、ふと何かに気付いた様子で目線を上げ、ストックを見た。
「そういえば、ストック。あなたも、昨日の料理を食べているのですよね」
「ああ、だが身体に異常は」
「そうではなくて。ええと、ひとつ聞きたいことがあるのですが、あの料理」
 小首を傾げて眉を潜めるエルーカの態度に、ストックもつられて首を傾げる。
「美味しかったですか?」
 その角度が、投げかけられた質問の不可解さに、さらに深まった。揃って頭を傾けた兄妹が、全く同じタイミングで瞼を瞬かせる。
「……どういう、意味だ?」
「そのままの意味です。あの料理は、美味しかったですか」
 ストックが質問の真意をしばし考えるが、見詰めるエルーカに、何かを企む気配は感じられない。数秒迷った後、単純に頷くことでその答えとする。
「そうですか、美味しかったですか」
「ああ。それが、どうかしたか」
「いえ、実は」
 兄の言葉にエルーカは考え込み、伝える言葉を選ぶように、ぎこちなく単語を続けた。
「私の印象では、あれはその、あまり美味しいものでは無かったんです」
「そりゃ、毒の味がしたってことですか」
 女王の告白に、オットーが顔色を変えて乗り出す。だがエルーカは、曖昧に首を横に振った。
「いえ、そうではない、と思います。刺激や異味であれば、食べることはせず吐き出していました。ただあの料理は、なんといったら良いか、少し味がぼやけている印象があったのです」
 仕草と同じくはっきりしない発言に、男三人は顔を見合わせる。エルーカも、自らの発言が分かりやすいものでないことは理解しているのだろう、そんな態度に怒るでもなく考えを巡らせていた。
「味気ないというか、風味が薄いというか。彼は、若いと言っても実力のある料理人だと聞いていましたから、あんな料理が出てくるとは思っていなかったのですが」
「……どういうことだ? 俺が食べた皿は、普通の味がしたぞ」
「そうですね、他の列席者の皆さんも、特におかしな反応は見せていなかったように思います」
「やっぱり毒のせいじゃないか? 料理に毒が入ってるのは間違いなかったんだろ、ウィル」
「そういった報告は受けている」
「異常を感じたのなら、途中で食べるのを止めれば良かったものを」
 ストックの口調が厳しくなってしまったのは、エルーカの身を案じるが故の怒りからだ。それと同様の険しさが、オットーとウィルの表情にも浮かんでいる。
「料理は殆ど食べちまったんですよね? どうして残さなかったんですか」
「ですから、その時はさしたる異常とは思わなかったのです。単純に、料理人が調理を失敗したものとばかり考えていました」
 エルーカの主張にも一理はある、特にあの時料理を担当していたのは、皿を任せられるのが初めてというヒルスターだ。彼の評判は聞いていたとしても、実力をその舌で確認したのはエルーカも初めてで、それが標準だったと受け取っても不自然では無い。だが例え満足のいく味でなかったとしても、美味くないという理由で、出された料理を残すことはできない。他の客を招待した側であるという立場、そしてエルーカのきまじめな性格を考えれば、自然なことだ。
「少しおかしいとは思ったのです。他の方々は皆、美味しそうに召し上がっていらっしゃいましたから」
「その時点で食べるのを止めといてくれりゃあ、危ないことも無かったんですがね」
「それは難しいだろう。一皿目からまともに手をつけないのでは、それこそ異常を疑われる」
 ストックの弁護に、エルーカもほっとした様子で頷いた。
「だが考えてみれば、料理を殆ど食べても、命に別状は無かったんだな。最初から、殺す気では無かったということか」
「ん、それはそうだな。本気で暗殺しようってんなら、それこそ一口食べたら終わりってくらいの量は入れるだろうし」
「あの、それはおそらく」
 ふと思いついた新たな疑問に首を傾げるストックとオットーに、横で待機していたマリーが、恐るおそるといった様子で声を上げた。
「エメラルドが理由ではないかと思います」
「エメラルド?」
「はい、エルーカ様は会食の時、こちらを身につけていらっしゃいました」
 そう言って傍らの棚から取り出したのは、大きなエメラルドがあしらわれたネックレスだ。ストックがしばし考え込み、ああ、と呟いて首肯する。
「確かに、エメラルドは毒を緩和するな」
「ええ、ですから、最悪の事態にならずに済んだのではないかと」
「エメラルドの効力で、致死量だった毒が和らげられたということか。だが」
 言葉を切ったままの形で、ストックの唇が固まった。不自然な硬直に、違和感を覚えたオットーが呼びかけても、反応せずに目を瞬かせている。
「そうか、あるいは。それならば手段は」
 零れた単語は、周囲に聞かせるためというよりも、ストック自身の内側との対話だったのだろう。取り残された人々は、何があったのかと視線を交わし合った。
「おい、ストック?」
「ストック、どうしたのです」
「ああ、すまない」
 エルーカの声でようやく硬直を解いたストックは、彷徨わせていた視線を定め、首を横に振る。
「どうした、何かあったのか?」
「ああ。――ひとつ、見過ごしていた可能性があった」
「何?」
 ストックの言葉に反応し、オットーは顔色を変えて居住まいを正した。警備隊長としての顔で、ストックを見詰める。
「事件に関してだな? ひょっとしてお前、犯人が分かったってのか」
「恐らくは。少なくとも、毒を仕込んだ手段に関しては、これしか考えられない」
「本当ですかストック。それは、ヒルスターではなく」
「ああ、だが、まだ証拠は無い、だから」
 ストックもまた、オットーを見た。
「調べてほしいことがある」
 強い視線と口調は、否を許すものではない。そしてオットーの側でもまた、否定を返すつもりなど無かった。
 淡々と告げられたストックの指示に、グランオルグの警備隊長は、しっかりと頷いてみせたのだった。



――――――



 後少しで上手くいく。

 夜の間中騒がしかった城は、この数時間でようやく少し落ち着きを取り戻してきている。走り回る兵士の数が減ったのは、捕まえるべき犯人が牢の中に居るからだ。城内で交わされる言葉からは、明らかに緊張感が失せてきている。警備隊はまだ調査を続けているが、それももうすぐ打ち切られるだろう。
 己に言い聞かせる、その中には希望も随分含まれている。だがけして都合のいい妄想ばかりではない、ヒルスターは牢の中で伏せ、彼自身ははこうして自由に歩き回っている。それは、誰が何と言おうと間違いのない事実だ。
 よほどのことが無ければ、この現状が覆されることはない。そして後少しだけ時間が経てば、ヒルスターが犯人だという評価は確定され、罪に応じた処分が下される。
 その筈だ。
「本当に良いんだよな、もう始末しても」
 耳に飛び込んできた会話に、彼は反射的に聞き耳を立てた。怪しまれぬ程度に足を早め、角を曲がってその姿を確認しすれば、そこに居るのは警備の兵が二人。共にずた袋を手にして歩いている。
「隊長からの指示だ、構わんだろうよ」
「だが、あのアリステルからの客人は、まだ調べ足りないような顔をしていたがな」
「まあな、だがあの部屋、今日も使う予定があるんだよ。だから詰め所に移したんだが、それにしたって昨日の夜作った料理をそのまま置いとくのもな」
「確かにな、腐った飯と一緒に仕事するのは御免だ」
 手に持っているのは、昨日の晩の料理のようだ。事件があった会食会場に置かれたままだったらしいが、ようやく始末する気になったのか。
「それで、取り敢えず裏庭に置いとけってことか」
「だろうな。直ぐ運び込めるように、目立たない陰に置いとこうぜ」
「了解」
 時間は彼の味方だ、時が過ぎれば痕跡は薄まり、調べたところで彼の犯行が発覚することは難しくなる。だがどうしても不安は残る、出来れば痕跡自体を始末してしまい、そしてその機会が意図せずして訪れたのだ。
 兵達に気付かれていないことを確認すると、出来るだけそっと向きを変え、荷物を置いた部屋へと戻る。怪しまれぬよう家に置いてこようかとも思ったが、持ってきたのは正解だったと、内心で胸を撫で下ろした。取り出した包みを手に、走り出したいのを耐えて裏庭に向かう。途中、先程の警備兵と擦れ違ったのには肝が冷えたが、兵達の目は彼を見ていない。当然だ、使用人が城の中を歩いていたところで、何も不自然は無い。大丈夫だ、全て上手く行くと、彼は自分に言い聞かせる。
 辿り着いた裏庭には、誰の姿も無かった。木立の茂る裏庭は、視線を遮る障害物も多く、人目を忍んだ作業には最適の環境だ。兵達が置いていったであろう袋も、さして探すことなく見付かった。彼はそれを低木の影に引き込むと、座り込んで袋の口を開ける。
 後少し、本当に後少しで、彼の安全は盤石なものとなる。彼は牢の中に入った青年のことを思う、可哀想なヒルスター、分を越えた栄誉など与えられなければ、こんな風に罪を着せられることなど無かったのに。だがもう遅い、これで彼の無実を証明することは出来なくなるだろう。袋の中を漁ると、目当てのものは直ぐに見付かった。彼は震える手でそれを取り出すと、懐に忍ばせておいたものを取り出し。
「そこまでだ!」
 ――鋭い声。同時に響く、金属がぶつかる音。飛び出した警備兵が、硬直した彼の体を捕らえ、その場から引き離す。
「やはり、お前が犯人だったか」
 そう言って現れた顔には見覚えがあった。つい先程、彼らを取り調べた、アリステルの役人。
「マックス」
 その男の口から紡がれた己の名を、料理人マックスは、呆然と聞いていた。
「マックスさん? 一体何を、どういうことなんですか」
 マックスに劣らぬ程驚愕しているヒルスターが、震える脚と声で中庭に姿を現した。彼を見張っている兵が続けて現れる、だが彼らの意識も、マックスへと移りつつあった。
「お前が、犯人だったか」
 今直ぐにでも切りかかりそうな殺気を纏い、オットーが一歩を踏み出す。恐怖に震えたマックスは、だがそれで、逆に多少の正気を取り戻したようだった。怯えを滲ませ、救いを求める視線を、周囲の人々へと振りまく。
「ど、どういうことって、それはこっちが聞きたい。一体何なんですか、これは」
「どういうことも何もあるか。ヒルスターじゃない、お前がエルーカ女王を暗殺しようとしてたって、そういうことだろう」
 オットーの怒声に、マックスは首を縮めて恐怖を訴える。
「とんでもないことを仰らないでください! 私が女王を暗殺するだなんて、そんな恐ろしいことをする筈が無い」
「とぼけるな! 何もないなら何でこんなところに」
「私は単に、捨て忘れたゴミを置きにきただけです。厨房に残っていましたのでね」
「この後に及んでしらばっくれるつもりか?」
「おっしゃる意味がわかりません。大体、暗殺犯はそこにいるヒルスターなんでしょう。どうして、こんなところをうろうろしているんですか」
 マックスに名指しされ、ヒルスターが身体を震わせた。違う、と悲痛な声を上げて、必死で首を横に振る。
「違いますマックスさん、僕は」
「恐ろしい奴だな、料理のこと以外頭に無いような顔をして、裏でこんなとんでもない計画を練っていただなんて。ディランさんも、息子に裏切られて気落ちしていらっしゃったよ」
「……父さん。違います、僕はやっていない、本当に」
「何が違うと言うんだ、お前以外に毒を入れる機会は無いんだろう? さっき彼らが話しているのを聞いたんだ、毒味の後に毒を仕込めたのはヒルスター、お前だけだって」
 語るうちに調子が戻ってきたのか、あるいは追いつめられた獣の空虚な威嚇なのか、マックスは畳みかけるようにヒルスターを詰り続けている。反論を許さない勢いのそれを、しかしストックは、手を挙げて遮った。
「そのことだが」
 マックスの顔が、ストックを見る。敵意の込められた視線を、ストックは真正面から受け止める。
「調査によって、毒を仕込んだ可能性があるのは、ヒルスターに限らないことが分かってきた。つまり、ヒルスターが犯人と決めることは出来ない」
「……どういうことですか?」
「元々ヒルスターが犯人と目されているのは、彼以外に料理に触れた者が居なかったからだ。正確に言えば、女王の料理に――他の者が毒を入れるとすれば、どの皿に入るか確定できず、無差別の犯行になってしまう。狙って女王に毒が盛れるのは、ヒルスターだけだと考えられていた」
 マックスが大きく頷く、その顔色は目に見えて分かる程青い。
「だが逆に言えば、ヒルスターが犯人だという論拠は、それが全てだ。他の者が毒を盛る手段さえ見付かれば、彼が犯人だと確定することはできなくなる」
「それが何だか、あなたには分かっていると」
 発した声も、取り繕いようが無く震えていた。対照的に静かな、感情の動きを思わせない声音で、ストックが言葉を紡ぐ。
「ああ。お前は、それを」
 ストックがマックスの手元を指さす、そこに握られているのは、料理の上に被せられていた尾羽がふたつ。片方は料理に汚れ、片方は綺麗なままだったが、その色合いと形状はそっくり同じものだ。
「それを使って、お前は料理に毒を仕込んだんだ」
「言い逃れは出来ないぜ、ここに運ぶ前に、その羽をアリステルの学者に調査してもらった。弱まりかけてはいたが、毒の痕跡がはっきり検出されたよ」
 オットーの言葉に、ついに逃れられないと悟ったのか。マックスはその場に、がくりと膝を付いた――



――――――



「やはり、ヒルスターは犯人では無かったのですね」
 真犯人を牢に収め、取り調べも終えて一息吐いた二人は、エルーカの部屋で紅茶を振る舞われていた。ずっと警戒を続けていたウィルも、ようやく犯人が捕まったということで、力を抜いて彼らに肩を並べている。臣下達をねぎらうエルーカの顔色も、今朝に比べて随分と良くなっていた。優雅に紅茶を口にする女王の姿を前に、皆が安心した様子で寛いでいる。
「だがしかし、料理人の中に真犯人が居たとは」
「とんでもない話ですわ、エルーカ様に仕えていながら、そのお命を狙うだなんて」
 ウィルが真剣な様子で呟き、オットーが頷く。普段は主人達の会話に口を挟まないマリーも、自分と同じ使用人の蛮行に、いつになく怒りを露わにしていた。憤るマリーをエルーカが宥めるが、彼女の中にも、悲しみと不安が色濃く巣くっているようである。
「誰かに依頼されてのことだったのでしょうか、あるいは何かの組織に属していたのか。オットー、ウィル、調査は行っているのですか」
「奴の取り調べについては、既に終わってます。黒幕がいるってわけじゃなくて、奴自身の恨みが理由だったって言ってましたよ」
「エルーカ様に恨みですって!?」
 色を成すマリーにオットーは一瞬たじろいだが、直ぐに平静を繕い、紅茶を口に運んだ。
「恨み、って言っていいもんかわかりませんがね。勤めて間もないヒルスターの奴ばかり取り立てられるのが、どうしても許せなかったってんで、今回の犯行に及んだそうです」
 彼はプロテア時代から城に勤める料理人だ、経験してきた苦労も相当のものがあっただろう。それを乗り越えて地位を高めてきた彼にとって、平和な時代で一足飛びに出世するヒルスターは、許しがたく感じたのかもしれない。
「女王を害するよりは、ヒルスターを陥れたかったそうですよ。女王の暗殺を企てたとあっちゃ、まず間違いなく死罪ですからねえ」
「――そんな理由で、エルーカ様のお命を危険に晒すだなんて!」
 拳を握りしめて震えるマリーの態度は、この城の多くの者が共有できる姿だ。しかし中にはそうでない者もいる、マックスのように変化に不満を持ち、それをエルーカのせいだと逆恨みする輩が。エルーカに対する国民の支持は絶大なものだ、だが絶対ではあり得ないことが、図らずも今回のことで証明されてしまった。
「私のやり方も、よくなかったのでしょう」
 エルーカも、沈んだ表情で俯いてしまっている。彼女は常に国民の、そして臣下のことを考えている。だがそれは必ずしも良い方向に進むとは限らないのだ。
「早期の改革が必要だと、そう思って強引に事を進めすぎていました。反発を、恨みをかうのは、当然のことです」
「お前の考えは間違っていない、そして人の心は難しい。あまり気に病むな」
 ストックが静かに呟き、エルーカのカップへと紅茶を足した。兄の優しさに、エルーカは少しだけ頬に血の気を戻し、柔らかく微笑む。
「――そういえば、ストック。犯人は、一体どうやって料理に毒を入れたのだ」
 暗くなってしまった場の雰囲気を変えようとしてか、あるいは単に気になってか、ウィルがふとそう呟く。
「……ああ、そうか。お前には説明してなかったか」
「うむ。話すよりも前に、お前達は行ってしまったからな」
 ウィルは結局、ずっとエルーカの部屋を護っていたから、未だ詳しい事情を聞いていなかったのだ。それはエルーカもマリーも同じことで、興味深げに目を輝かせている。
「そうですね、私の見た限り、料理の上には何も加えられていないように見えました。やはり何らかの手段で、盛りつける前に毒を仕込んでおいたのでしょうか」
「いや、そうじゃない。そもそも毒は、料理に仕込まれたわけじゃなかったんだ」
 ストックの説明に、エルーカは目を瞬かせ、ウィルも僅かに眉を上げた。
「だが医療部からは、確かに料理に異常があったと報告を受けたが」
「それは結果に過ぎない。エルーカ、料理の上に尾羽が飾られていたのを覚えているか?」
「ええ、勿論。あれに毒が塗られていたと?」
「その羽は、食べるものではなかったのですよね。粉か何かがまぶされていて、運ばれている間に料理の上に落ちたとか」
「半分は合っている、だが毒が物質――粉末や液体であれば、落ちた時に見た目でわかってしまっただろう。だがあの羽にかけられていたのは、全く別の種類の毒だった」
「別の種類?」
「マリーが言っていただろう、あの時エメラルドを付けていたから、毒の効果を軽減できたと。確かにエメラルドには毒を中和する効力がある、だがそれが影響するのは――」
「要するにな、あの尾羽の中に、『毒の翼』が混ぜられてたんだよ」
 ストックの説明に焦れたオットーが、横から口を出す。聞き覚えのある、だが予想外の単語に、エルーカは目を丸くした。結論を先に語られてしまったストックは、苦笑して頷く。
「そういうことだ。あの尾羽は最初から扇状になっていたわけではなく、羽単体の状態で仕入れた後に形を整えられていた。後から手を加えても、容易に元の状態に戻すことが出来る。羽が揃って厨房に置かれた後、隙を見て抜き出し、毒の翼から抜いた羽を混ぜておけばいい。これなら料理自体に触らなくても、完成した皿の近くに寄って、効果を発動させるだけで目的を達することができる」
「ご存じか分かりませんが、毒の魔法ってのは基本的に、対象のマナに働きかけてその調子を崩すってもんです。ただ今回みたいに、発動した後手元から離す場合、魔法が影響する相手を絞れなくなる。その場合、周囲の物質だのなんだのに無差別に効果が出て、それを毒化しちまうんだそうです」
 つい先程受けた説明を思い出しつつ、オットーが語る。彼の本業は剣士で、魔法とは縁が無いのだが、これも職務と必死になって記憶したのだ。付け焼き刃の知識を、大真面目に語る彼の姿は、健気と言えなくもない。
「それが、あの羽の中に」
「ああ、保存されていた料理から取り出して、アリステルの調査団に調べてもらった」
 調査団は本来、グランオルグ王宮の地下に隠されていた操魔の力を解析するために派遣されていたものだ。彼らがこのタイミングで駐在していたのは、ストック達にとって幸運であった。魔動工学という分野の存在しないグランオルグでは、彼らが居なければ満足な調査は出来ず、毒の翼が使われた確証を得るのは難しくなっていただろう。
「痕跡は、薄れてはいたがはっきりと残っていた。あの羽を使って毒を入れたという、十分な証拠だ」
「けどそれだけじゃ、誰がやったかってことまでは証明できない、まあ状況を考えれば奴以外にはあり得ないと思ったんですがね」
「一度思い込みで間違った相手を逮捕している以上、軽はずみな行動はできなかった」
 さらりと己の誤認逮捕を指摘され、オットーが罰の悪そうな様子を見せる。
「反省してますよ。ストックがいなかったら、あのまま犯人を見逃しちまうとこでしたから」
 まったくだ、と小声でウィルが呟いたのは、誰かの耳に入っただろうか。少なくともオットーには聞こえてしまったようで、表情が益々暗くなる。
「自分を攻めないでください、オットー。最終的に犯人を確保できた、それで十分です」
「ああ。お前が適切に対応してくれていたから、犯人に繋がる証拠を得られたんだ。もし料理が処分されてしまっていたら、あるいは誰でも入れる場所に保存していたら、最後に犯人をおびき出すことは出来なかった」
 凶器だけでは犯人特定する証拠にならない、だが犯人としてみれば、そのままにしておきたいものでは無いだろう。そう考えたストックが、怪しい者達に情報を伝え、おびき寄せようとしたのだ。結果、敢えて人気の無い裏庭に放置した凶器に、真犯人は疑いもせず近寄ってしまった。しかも、問題のものと入れ替えるための羽を手にして――
 あるいは彼も、それだけ追いつめられていたのかもしれない。犯人を捕まえても調査を止めないストック達は、彼にとって脅威だっただろう。いつ自分の元に辿り着いてしまうか、それに怯えて証拠を隠滅しようと焦るのも仕方のないことだ。
「本当は、もっと早くに処分してしまいたかったのだろう。それをさせなかったのは、間違いなくお前の手柄だ」
「……何だ、今日は随分優しいな。お前の飯にも毒が入ってたのか?」
「オットー、そうひねくれないでください」
 分かりやすく拗ねるオットーに、エルーカが苦笑する。年下の護るべき女王に諭され、しょげるのにも怒るのにも逃げられなくなったオットーは、決まり悪げな様子で頭を下げた。
「すいませんね、エルーカ様」
 頼れる部下の些か情けない姿に、兄妹の口元に、堪え切れぬ笑みが浮かぶ。
「それに、ヒルスター以外の容疑者が居なくなるように、犯人は周到に条件を整えていたんだ。騙されてしまうのも、無理は無い」
「毒を仕込みづらい料理に、ヒルスター当人が皿を運んだという事実。これも全て、奴が画策したことだと?」
「ああ、ヒルスターは役目を受けてから、何度もマックスに相談していた。その時、アドバイスを与える陰で、自分の都合の良いように誘導したんだろう」
「皿を運べってのも、奴の指示だったって?」
「指示ではなく、心理的な誘導だな。ヒルスターによれば、マックスから、始めて担当した皿を自分で運んだという話を聞かされていたそうだ。そしてそれに憧れたヒルスターは、今回女王の皿を運ばせてもらうようにと願い出た」
「それが全て計算づくだった、ってわけか。ぞっとしねえな」
「そうですね、それだけ、相手のことを尊敬していたということでしょうに。そんな相手を裏切るなんて」
「……人間、悪心に呑まれれば、正常な感覚すらも失ってしまうということだ。奴だけではない、誰しもこうなることは有り得る」
 ウィルの言葉に、それぞれ考え込む様子で、口を閉じて目線を伏せる。言葉が途切れて沈黙が生まれる、重くなりかけたそれに差し込むようにして、おずおずとマリーが声を上げた。
「あのう、宜しいでしょうか。私、ひとつ気になるのですけれど」
「あら、どうしたの、マリー?」
 投げられた疑問の声に、四人の視線が集中し、マリーが一瞬身を縮める。
「申し訳ありません、その、大したことではないのですが。ええとその、犯人が料理のお飾りに毒を入れたとしまして、それをどのようにエルーカ様のお皿に使わせたのかと思ったのです」
「……ああ。そうか、そういえばお前は、昨夜エルーカについていなかったのだったな」
 納得した様子でストックが頷いた。
「ならば分からなくても無理は無い。昨日、エルーカの料理にだけ、見た目にはっきりとした特徴があった」
「羽の色、ですね」
「ああ。犯人は毒を仕込んだ羽に、黄と青の色を付けておいたんだ」
 言いながらストックは、エルーカの顔を見る。美しい金色の巻き毛と、澄んだ青い瞳。
「並んだ中にひとつだけそれが混じっていたら、他とは違う特別な用途、即ち女王に捧げるための羽だと受け取るのが自然だろう」
「それは確かに、その通りです。私でもそう考えると思いますわ」
「ああ、実際ヒルスターもそうしたし、列席者も誰も不自然に思わなかった。全く自然にエルーカの皿に毒の羽を使わせられ、尚且つ自分が効果を発動させる時の目印にもなる」
 毒の羽の効果は長続きしないし、あまり早くから毒をまき散らしていては、料理がエルーカの口に入るよりも先に誰かが毒で倒れてしまう。毒の効果は、出来るだけ運ばれる直前に発動させる必要があった。
「発動させたのは恐らく、料理長と共に料理の出来を検分した時だろう。完成度を確かめるという名目があれば、羽の部分を多少触っても不自然にはならない」
 料理自体に触れればさすがに不自然だが、料理に毒を盛るわけではないのだから、それは必要無い。羽の安定を確かめるなどと言って、根本のあたりにでも軽く触れれば、目的は果たせるのだ。
 そうして毒を発するようになった翼は、その後直ぐに覆いを被せられ、エルーカの元に運ばれた。その効果によって毒化した料理や、空気と共に。
「だが、いくら効果を発動させたのが直前だとしても、完全にエルーカのみを狙うことは出来ない。エルーカの元まで料理を運んだヒルスターや、運ばれた料理の近くに居た女官などには、毒の影響があったようだな」
「その二人は会食の後、どっちも体調崩して寝込んでたな。緊張だのなんだのじゃなくて、それが原因だったのか」
「恐らくは。あるいは狙われたのがエルーカでなかったら、料理を食べるよりも前に倒れていたかもしれない」
 グランオルグ王家の人間は代々強い魔力を持っている、それは自ら魔法を行使する場合だけでなく、他者からかけられた魔法に抗する場合にも類稀な力を発揮するものだ。今回の場合は直接魔法で攻撃されたわけではないが、マナを乱して身体を壊そうとする外力に対して、その強力な魔法防御がある程度の防壁となっていたのだろう。
 エルーカは頷き、しかしふっと顔を曇らせて、静かに目を伏せる。 
「そうなったら、もっと早く犯人が分かっていたでしょうか」
「……それは、分からないが」
 ストックはそんなエルーカの頭に手を乗せ、その巻き毛を柔らかく梳いた。唐突に与えられた体温に、エルーカが目を丸くし、次いでその頬が赤く染まる。
「お前が無事で、良かった」
「お兄様」
 その言葉は、きっとストックの心底からの気持ちであっただろう。女王であるエルーカには敵が多く、暗殺を試みられることも稀ではない。ストックは、記憶は無くとも兄として、常に命の危険に晒される妹を心配し続けてきたのだ。
「持つ力、使う力が大きくなれば、それに対する恨みも増える。例えどんなに正しいことをしていても、だ」
「……はい」
 静かに諭すストックに、エルーカも反発することなく静かに頷く。
「先のことを考えれば、黙っていられないのは分かる。だがお前は、女王であっても一人の人間だ。お前だけで全てを決めることは出来ないし、するべきじゃない」
 優しく頭を撫でながら、言い聞かせるように語るその態度は、一国の女王に対して相応しいものでは無かっただろう。だがエルーカはそれを拒まない、いやむしろ安らいだ喜びに満ちて、兄の言葉に耳を傾けている。
 そして周りの者達も、止めることなく兄妹を見守っていた。マリーが彼らのカップに新たな紅茶を満たし、そっと脇に置く。男達も、互いに目を見交わすと、笑みを含んだまま立ち上がった。
「よし、大体事情は整理できましたんで、俺は仕事に戻りますよ。さっさと事後処理をしちまわないと」
「うむ、自分も警備に戻ろう。エルーカ女王、ご予定は明日まで空けてありますので、後はゆっくりお休みください」
「そんじゃストック、後は頼んだぜ」
「……何を」
 頼むんだ、という指摘が口から発せられるよりも前に、彼らの姿は扉の向こうへと消えてしまう。呆気に取られた二人に、マリーが笑顔で一礼した。
「私も、下がらせて頂きます。ご用がありましたらお呼びください」
 そう言い残して、侍女が控えの間に下がるのを、ストックとエルーカは揃って見送る。扉が閉まり、二人きりになった部屋に静寂が満ちてからようやく、動きを取り戻して視線を交わした。
「皆、私に甘すぎると思うんですが」
「そんなことはない。臣下として当然の行動だ」
 長椅子に腰を下ろしていたストックが、身体をずらして空間を作る。何かを言われる前にエルーカがそこに座り、ストックと並んで椅子に身体を預けた。
「今日は公務は進められそうにありませんね」
「そうだな。たまの休日と思って、ゆっくりすればいい」
「ええ。……ストック、あなたは仕事は大丈夫なのですか」
「職務外のことで散々働いたからな。少しはサボっても構わないさ」
「そうですか。それなら少し、ここで休んでいってください」
 そしてエルーカの身体が傾き、ストックの胸にもたれ掛かる。
「――お兄様」
 躊躇いがちの接触を、ストックが柔らかな強さで受け止める。言葉を無くした静かな空気の中、ふいに訪れた兄妹としての時間を、二人はゆっくりと過ごしていった。






セキゲツ作
2013.05.20 初出

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