・2012年2月〜7月、twitter上にて行っておりましたリレー企画のまとめです。
・参加者は「みずのほらあな」管理人のまきろンさん(主催)、「言ノ葉の庭」の港瀬さん、平上、セキゲツです。
・本文中、この色はセキゲツ、この色は平上、この色はまきろンさん、この色は港瀬さんが書いた部分です。




ストックは悩んでいた。
普段は表情を動かさず、親しい人間以外には感情の動きを悟らせないこの男だが、今は誰が見ても分かるほどはっきりと悩んでいた。
秀麗な眉の間には深い皺が刻まれ、瞳には濃い苦悩が滲み出ている。
どうしたものか、声には出さずに呟いて、大きく溜息を吐いた。
ストックがここまで悩むのは珍しい、頭脳においても肉体においても人並みを遥かに越えた能力を持つ男は、大抵の困難を苦もなく乗り越えてしまうのだ。
しかし才能だけが彼の長所ではない、彼は悩んでも立ち止まらない強さすら併せ持っている。
伏せていた顔を上げ、鋭い視線を投げた。

ロッシュは珍獣でも見ているかのような眼差しで目の前の親友を観察していた。
ストックを知る人間は誰しもがこの意見には同意してくれるだろう。
普段ならばロッシュも手を貸してやりたいところだ、だが今日という日に限ってしまえば易々と手を貸してやるわけにはいかなかった。
ストックは決して馬鹿ではない、寧ろ相当に聡い方だ。
その意見を先読みしてのこの強い視線なのだろう。
普段言葉の少ないストックも言うべき時には言うべきことを言うが、それと同じように行動でも示す男だ。
そんな親友に対し、ロッシュは重々しく口を開いた。

「だが断る」

そう言ってロッシュが立ち去ろうとし、ストックがそれを引き止めるよりも先に、二人の後方から誰かの声が跳んで来た。

「ストック、ロッシュさんも、どうしたのこんな所で立ち止まって」

二人が声のした方向を振り向くと、声の主であるマルコがぱたぱたとこちらに駆け寄って来た。
マルコは微妙な表情の二人に不思議そうな顔を向け、同時に、二人が振り向いた事でできた隙間から見える人物の姿に気づいた。

「あれ?あそこにいるのレイニーじゃないか」

マルコが少し離れた所にいる相棒の後ろ姿に向かって声をかけようとすると、ロッシュが慌ててマルコの口を塞ぐ。

口を塞がれたマルコが、驚いた表情でロッシュを見る。
だがしかし、巨漢の青年はその大きな掌を外してはくれない。
視線だけでストックに説明を求めても、何故か妙に深刻な顔をしているだけで、マルコを見てもいなかった。

「悪いな、呼ぶなよ?」

ぼそりとロッシュがマルコに告げた。
何故?と問う代わりにマルコは首を捻った。
ロッシュは苦笑を浮かべている。
何を困っているのかが解らない。
ついでに言えば、何故ストックが眉間に皺を寄せているのかも。

「だから、自分でやれっての」

呆れたようなロッシュの声がストックにかけられるのを、マルコはただ見ていた。

そう言われたストックは、殆ど睨み付けるのに近い目付きで、親友を見据えている。
しかしその目がふと、ロッシュに抱えられたままのマルコに移された。
嫌な予感がマルコの身を貫くが、退散しようにもロッシュの腕に押さえられて身動きが取れない。
本人に他意は無いのだろうが、やっていることは確実にストックの幇助である。
丸い目をぐりぐりと動かしてマルコが抵抗の意を示すが、その程度で結果が変わる訳もなく。

「マルコ、頼みがある」

お断りします、とロッシュの手の下から叫ぼうとしたが、残念ながら一瞬届かなかった。

「レイニーの行動を探ってくれ」

「な、なんで僕が…!」

マルコは必死に抗議をした。
露骨に顔を顰め、抗議の声も高めたつもりだ。
だが届かない。
実際に声が聞こえてるのかどうかはわからないが、届いた様子はない。
ストックは珍しくも切羽詰まった声で続ける。

「マルコ、お前にしか頼めないんだ」

横ではロッシュがうんうんと大きく頷いている。
俺なんかに頼むよりマルコの方が確実だぜ、とも。
その言葉は今の状況ではどう頑張っても責任逃れにしか思えないのだが、これも珍しいことだ。
腕の隙間からはまだレイニーの姿が見える。
どうやら誰かと話し込んでいるようだ。

顔が見えない為レイニーと話している相手がマルコの知っている人間かまではわからないが、服装から男性であるように見える。
自分が知らない相手と親しげに話すレイニーに不義が無いか調べて来いという事なのだろうか。

「……ストックが自分で聞きに行ったらいいじゃないか」
「……もし俺の勘違いだったら俺が馬鹿みたいじゃないか」
「勘違いだった方がいいじゃない。それに、レイニーはストックが直接聞いた方が喜ぶと思うよ?」

マルコのその発言は場を取り成す為の詭弁ではなく心からそう思っての物だったが、ストックの表情は依然として険しいままだ。

「俺からも頼む、マルコ。こいつ随分切羽詰ってるみたいなんだよ」

ロッシュが苦笑しつつ、それでも真剣な視線で、マルコに手を合わせた。

「でも……」
「何しろ最初は、俺に頼もうとしてたんだぜ?」

その言葉にマルコも考え込む、確かにロッシュ程この任務に向かない人材も居ない、
密かに調べるにしろ直接問いただすにしろ適性が無さ過ぎる。
普段のストックであれば絶対に行わないような人選だ、つまりそれ程追い詰められているとロッシュは言いたいのだろう。
二方向から注がれる視線に、マルコは溜息を吐いた。

「……レイニーから、話を聞けば良いんですか?」

「ああ、頼む。…すまないな、マルコ」
「いいよ、こうなったらもう何でもやるよ」
「すまんな」

ストックだけでなくロッシュにまで謝られてしまうと、むしろこちらの方が悪い気分になってくるのは何故だろう。
ともかく、とマルコは気を取り直して、ロッシュの腕を解いてもらった。

「じゃあ行って来ます。様子も見てくれば良いんですよね」
「ああ。さりげなく頼むぜ」
「任せといてくださいよ。僕だって一応、元情報部ですから。ストックよりは優秀じゃないかもしれないけど」

微妙な顔をした二人を背後に、マルコはレイニーと疑惑の男性に近づいて行った。



「レイニー、何してるのこんな所で」

レイニーに声をかけると、二人がマルコの方を向く。
突然の闖入客に慌てるような素振りはない。

「随分話しこんでたみたいだね。じゃ、自分はこれで」
「あ、うん。付き合わせて悪かったね」

問題の人物はそう言うと、レイニーとマルコに背を向けた。
その声や立ち振る舞いにマルコは何か違和感を感じたが、その正体に気づく前に問題の人物は行ってしまった。

「……さてと、マル、何か食べに行かない?あたしが何してたか調べに来たんでしょ?」

立ち去る背中が小さくなった頃レイニーが放った言葉に、マルコの丸い目が更に丸くなる。



「レイニー、あの、本当にこの店入るの?」
「何?最近美味しいって評判なのよ」

躊躇いがちに訴えたマルコを無視するように、レイニーは店内に入っていく。
評判って誰に。
いや、聞かなくても解る。女性に評判の店なのだ。
周りの客は全て、女性ばかりだ。マルコは少し泣きたくなった。
早くもストックの頼みを聞いたことを後悔したマルコだった。
レイニーに話を聞く以前の問題で挫折しそうだ。

「大丈夫。マルなら問題ないって」

それってどういう意味とは聞けなかった。何となく怖くて。
小さく深呼吸をすると、マルコは覚悟を決めた。
店内で、レイニーに話を聞こうと。

マルコの戸惑いなど欠片たりとも考慮してくれないレイニーは、当たり前だが躊躇うことなく入店し、よりにもよって最も奥の席に陣取ってしまった。
店内は物の見事に女性ばかりで、何だか息苦しくすら感じてしまい、マルコは深く溜息を吐く。

「どうしたのさ?」
「……別に」

ストックとロッシュはまだ様子を伺っているのだろうか、もしそうだとしても、完全に店から締め出されている筈だ。
彼らが二人で入れる場所ではない、突然場所を変えたいと言われた時は驚いたが、それが目的だったのだろうか。
楽しげにメニューを覗く姿は、単に来たかっただけとも見えるのだが。

レイニーはメニューを見ながらどれにしようかと楽しそうに迷っている。

「ねえ、マルはどれにする?」
「ええ?ぼ、僕は…何でもいいよ」
「何でもいいってさあ」
「だってわからないよ、こういう店で何を注文したらいいかなんて」
「そう?じゃあこれにしようよ」

とりあえずレイニーの言う通りのものを注文し、後はそれが来るのを待つばかりだ。
マルコは大きく深呼吸して心を落ち着かせ、そして口を開いたのだが

「ねえレイ」
「あっマル、見てよあそこ」

言葉を遮られ、さらにレイニーの指差した先にあったものを見てマルコは息を呑んだ。



「おい、店に入っちまったぞ」

離れた所からレイニーとマルコが店内に消えるのを見ていたロッシュが隣のストックに声をかける。

「どうすんだよ?」

ロッシュがそう続けると、ストックは黙って二人が入った店に向かおうとした。

「待て待て、男だけでこんな店に入れる訳ねえだろうが」

ロッシュは慌ててストックの肩を掴んで引き止める。
ストックは険しい顔でロッシュを見たが、直ぐに何かに気付いたように視線を動かし呟いた。

「……女性が一緒ならいいのか」

その言葉とストックの視線に気付いたロッシュが振り向くと、そこにはソニアと、二人の上司の姿があった。

「そういう問題じゃねぇだろうが……」

見慣れた人々の姿よりも何よりも、真顔でズレまくったことを言う親友にロッシュは頭を抱えた。
こいつは頭が良いはずだというのに、何故時々ありえないほどにダメダメになるのだろうか。
ヒトはそれを天然とでも呼ぶのかもしれない。多分。
こいつは天然を通り越して規格外だ、とロッシュは決め付けた。

「どうかしたんですか、ロッシュ?」

険しい顔をしているロッシュに、ソニアが不思議そうに問いかける。

「ソニア、頼みがあるんだが」
「やめんか」

真顔で暴走するストックの首根っこを、ロッシュはかなり本気で掴んだ。

大槍を軽く振り回すロッシュの腕力で締められては、さすがのストックも苦しいらしく、言葉を切ってロッシュを睨み付ける。
愛しい妻を、親友とはいえ他人のもめごとに巻き込みたくないというロッシュの努力は、実を結びかけたかのように一瞬だけ思われた。
一瞬だけ、だったが。

「どうした、何かあったのか?」

それをあっさりと無にしたのは、ソニアに同行していたビオラだ。
言葉だけ聞けば単なる親切、あるいは社交辞令にも思えるが、目付きは明らかに面白がるそれだ。
戦女神の、ある意味非常に人間らしい一面を知るロッシュは、嫌な予感に顔を引きつらせた。

一瞬とは言え、ロッシュが固まっている間をストックが見逃すはずがない。

「あの店に用がある。男だけだと入りにくいんだ、一緒に行ってくれないか」

ビオラとソニアは互いに顔を合わせ、同時にストックが指差した店に視線を向けた。

「あそこに何かあるんですか?」

ソニアは当然の疑問を口にするが、ビオラは余り気にならなかったようだ。

「まあ、行くなら行こう。何か飲みたかったところだ」
「ちょっと待ってください、この人も連れて行くんですか」

ソニアは焦った様子でビオラを止めようとした。ロッシュを連れて行くことに不安があるのだろう。

「君達は夫婦なのだから恥じる事ないだろう、何か問題があるのか?それに、ストック一人が私たち二人を連れて入るよりは遥かに自然だろう」

ビオラがさらりとそう言い放つ。
ソニアは困ったような表情でロッシュを見たが、ロッシュもまた暴走しているストックと面白がっているビオラの両方を止める事はできないと、視線で訴えようとする事しか出来ずにいた。

「よし、では行こうか」
「すまない、助かる」

ストックが礼を言うと、ビオラはストックの顔を見てにやりと笑った。

「気にするな。だが……、そちらが頼んできたのだ、私とソニア君の分は君の奢りだからな?」

「良いだろう」
「……ヲイ」

真顔で答えるストックに、ロッシュはかなり本気で頭を抱えた。
いつもなら少しぐらい考えるだろうに、今は即答だった。
余程切羽詰っているのだろうと彼は思った。
その為に冷静な判断力を欠いているともいえるので、何一つ嬉しくなかったのだが。

「それでは、行こうか」

実に楽しげにビオラが微笑んだ。
類稀なる美貌の持ち主だけに、その微笑みは見る者全てを魅了するだろう。
こんな状況でなかったら、とロッシュは思う。
思って、その美貌に欠片も反応していない親友を見て、酷く疲れたように再びため息をつくのだった。

そしてそんな苦悩など一切気にせず、入店する気満々のストックに向けて、ロッシュはもう一度だけ制止の手を上げる。

「あのな、お前よく考えてみろ」
「……何をだ」
「この人は誰だ?」

急にロッシュに指し示され、ビオラが驚いて目を丸くした。

「私がどうした?」
「将軍……ご自分がどれだけ有名か、ご存知無いんですか」

戦女神と称えられた彼女を知らぬ者など居ない、道を歩いているだけでも視線を集める程の人物なのだ。

「確実に、騒がれますよ。そうしたら」

事情を知らぬソニアとビオラはきょとんとしているが、ストックは言いたいことを理解したようだった。

「確かに目立つな」
「だろ?もうちょい考えろって。バレたら終わりだろうが」

ビオラはそれを不思議そうな顔をして眺めた。

「何だ、私が行ってはいけないのか」
「いえ、そういうわけじゃねえんですが…ビオラ将軍は目立つんですよとにかく」
「ふむ、隠密行動が必要なのか」
「そんな大げさな」
「いや大事なことだ」

ストックは真顔で答えている。

「ならばどうするか。私が行かなくてもストック、君とソニアさんだけが行けば良いのかもしれないが、それではつまらない」

ストックとロッシュはビオラの茶目っ気に沈黙した。

「ってあれソニアはどこだ」
「おや」

辺りを見回すと、いつの間にその場を離れていたのかソニアが何かを腕に抱えてこちらに駆けてきた。

「ソニア、それは何だ?」

ストックがそう訊ねたが、ソニアが口を開く前に近くで何かが落ちる音が聞こえ全員の視線がそちらに移る。
見るとそこには白い服の青年が立ち尽くしており、青年の足元には野菜が入った紙袋が落ちていた。
青年は唖然とした顔でビオラとロッシュを見、我に返ると慌てて落とした荷物を拾いバタバタと店の裏口に消えて行った。
それを見届け、ストックがぼそりと呟く。

「……どうやら、二人がこの店に入らないという選択肢は無いらしいな」

「こうなっては仕方ないな。入店するとしよう」
「何でそんなに楽しそうなんですか…」

一人既に疲れ果てた顔をしているロッシュの突っ込みに、ビオラは答えなかった。
にこやかに微笑みながら足を踏み出している。入り口に向かうつもりらしい。
そしてストック達もそれに倣っていた。

「なぁ、どうするんだ」
「何がだ」
「何がって、お前」

どう考えても隠密行動は出来ない。
確実に店側の大仰な歓迎を受けて、レイニーに気づかれるに決まっている。

「俺達は店の前で偶然出会い、たまたま食事をしに来ただけだ」

幾らなんでもそんな言い訳があるか、とロッシュは思った。



――レイニーの指差した先を見て、マルコは息を呑んだ。

「ビオラ将軍じゃない」

アリステル国民に戦女神と称えられる将軍、いやそれは良い。
注目を集め、店の其処此処で潜めた声が交わされているが、それは全く構わない。
構うのは彼女と共に居る者たちの方だ。

「それに、ソニアさん……うわ、ロッシュさんも!」

妻の後につき、遠目にも分かる仏頂面で入店してきたロッシュの姿に、マルコは頭を抱えたくなる。
彼が居るということは、つまりあの後には、当然のような顔をしたストックが続くのだろう。
現にロッシュの陰には特徴的な赤い衣装が見え隠れしていた。

「ストックも」

いるし、と言葉を続けようとしてマルコは絶句した。
レイニーも同じく呆然となっている。
と言うのもいつも見ているストックの姿では無かったからだ。
いや、服装はいつもと同じではある。
だがただ一つ、顔の部分のみが徹底的に異なっていた。
普段は無表情を貼り付けているため人を近づけない雰囲気を漂わせているが、ストックは端整な顔の持ち主だ。
その顔の上に、何か異様なものが張り付いている。
その形を説明するならば、蝶を模した仮面だろうか。
マルコは混乱した。何故ストックがそんなものを付けているのか。

「ね、ねえレイニー、あれストックだよね……?」
「う、うん」

マルコは目をぱちくりしているレイニーに小声で尋ねた。
レイニーも一応それに答えたものの、視線はストックを見たまま固まっている。
当のストックは二人と同じく驚いて固まった店員を気にするそぶりも無く、当然のようにビオラやロッシュと同じテーブルについた。
将軍達に続いて現れた謎の仮面男に店内がざわめき、周囲の視線が自然とビオラからストックに移る。
女性客がひそひそと言葉を交わしている事はビオラ将軍が現れた時と変わらいないが、全体の雰囲気が打って変わって不穏なものになっていた。

誰も何も言わないのは、ビオラとロッシュの存在があるからだ。
彼らがこの不審人物を親しい相手として扱っているからこそ、誰も何も言えないでいる。
だがしかし、確実に空気は重いものになっている。
気にしていないのは当人ただ一人に違いない。
実際、ロッシュの顔は疲れ果てていた。
何があったんですか、とマルコは視線をロッシュに向けた。レイニーも同じく。だが、答えはなかった。
ロッシュは疲れた顔で首を左右に振ったのだ。
それはつまり、何も聞くなという意思表示だ。
ストックが時々ズレているのは理解していたが、コレはやりすぎじゃないかと二人は思った。

彼らを含めた店中の重苦しい視線を受けているにも関わらず、一団、というかストックとビオラは、表情ひとつ変える様子は無い。
それが当然のような顔で店員に導かれ、客席に――着くかと思いきや、案内されたそれをさらりと通り過ぎてしまった。

「……うわあ」

耐え切れずにマルコが呻く、彼らがやってきたのはよりにもよって、マルコとレイニーの真隣の席だった。
頭を抱えて突っ伏したい衝動に駆られ、マルコは深い溜息を吐く。
レイニーも俯き、どうしたものかと思考を巡らせているようだったが、やがてぐいと顔を上げ。

「で、話なんだけど」
「話すの!?」

「何言ってんの。そのためにここに来たんじゃないのさ」
「そ、そりゃそうだけど…」

言って、マルコは横の席に目を向ける。
四人席に座っているのは紛れも無くマルコたちの知り合いだ。
ソニアとビオラが何故そこにいるのかはわからないが、二人は割と楽しそうにメニューを開いている。
女性の適応能力というのは凄まじい。
マルコは妙なところで女性の本質を見たような気がした。

「マル!余所見しないでよ」
「わかってるよ。で、何なの話って」
「さっきあたしが話してた男の人なんだけど」

隣に座っているストックの耳が大きくなったように思えた。

「困ってるんだって」

「困ってるって、何に?」

マルコがそう聞き返すが、返ってきた答えは想像もしていなかった内容だった。

「男に見られる事に困ってるの」
「へ?」

すぐにはその言葉の意味を理解できず、マルコの口から間の抜けた声が出る。

「あの人、男ばかりの家の末っ子で、ほとんど兄弟が昔着てた服しか持ってないらしいの。で、そのせいでいつも男に間違われるんだけど、今から女らしい格好するにもどうしたらいいかわからなくて困ってるんだって」

レイニーの説明を聞いて、マルコが確認するように尋ねる。

「えーと、じゃああれは女の人だったって事……?」
「そういうこと」

「でもさ」

水を一口飲んでから、マルコは口を開いた。

「レイニーに相談しても微妙じゃないの?」
「どういう意味よ」
「え?だってレイニーも」
「それはつまりあたしが女性らしくないって話?」
「……ゴメン」

うっかり地雷を踏みつけたことにマルコは気づいた。
つい、うっかりと、零れた本音だ。
レイニーは確かに女性らしいが、マルコに言わせれば、服装はそこまで女性的とは言えない。
むしろ機能重視に見える。まぁ、傭兵出身なので当然ともいえるが。

「とにかく、あたしは相談に乗ってたわけよ。質問は?」

少々不機嫌そうなレイニーだった。

しかしそれが本音の全てではないことくらい、マルコには容易に察することができる。

「質問っていうかさ、その説明するだけなら、場所移さなくても良かったじゃないか」

実にもっともな指摘に、レイニーの表情が固まる。
やはりこの話は嘘、いや全くの嘘ではないにしろ隠している部分があるのだろう。
ストックに聞かれないため口を噤んだのか、それで納得した振りをして帰ってしまっても良いが、関わってしまった以上途中で放り出すのも後味が悪い。

「まあ、良いけどさ。で、注文はどうするの?」

隣席から見えない位置で筆記具を取り出し、手早く文字を書き付ける。

「すいません、注文お願いします」

マルコは近くを通りかかった店員を呼びつけた。

「ほらレイニー、何か頼まないと」
「う、うん」
「僕はレイニーに任せるよ」

レイニーがメニューを広げている間に先ほどの紙を差し出す。
マルコが目で制するとレイニーも黙って受け取った。

「じゃあ、とりあえずこれとこれを一つずつ」
「ありがとうございます」

レイニーは注文した後メニューを戻す振りをして見えないように先ほどの紙を見る。
そこには『あの人、ストックに用があったんじゃないの』とあり、レイニーは動揺を知られないように紙を握りつぶした。



レイニーとマルコの隣のテーブルでストックは内心酷く焦っていた。
店に入り二人の姿を見つけた時点で事情を察したのかビオラからレイニーの隣に向かってくれた時は正直ビオラに感謝したし、二人の会話から当初の疑念は消えたのだが、まだ納得しきれずにいた。
だがレイニーもマルコも先程の会話以降は店員に注文を伝えた程度で問題の人物についての会話は無い。
様子を伺うにしても顔に被せた仮面が視界を奪い視線だけで隣のテーブルの状況を把握するのは難しかった。
焦るあまり隣に意識を向けすぎていたため、暫くストックは自分が呼ばれている事に気付かなかった。

「聞いてるのか?」
「あ?」
「だから、注文だっての」

呆れたようなロッシュの声に、ストックは瞬きを繰り返した。
ふと気づけば、困った顔をしている店員がいる。
ロッシュの発言から、自分以外の三人が注文を終わらせたことを彼は悟った。
そして、慌ててメニューに視線を落とす。
だがしかし、正直なところ何が食べたいと言うわけでもないのだ。
そんなことより隣が気になって仕方がないのだ。
とはいえ、注文しないという選択肢はないらしく、早くしろと親友の視線が急かしてくる。
しばらく悩んでストックは口を開いた。

「お前は何にしたんだ?」

他力本願である。

しかしロッシュは、そんな態度にも慣れたものだ。

「んじゃ、俺と同じで良いな。ハーブティー二つで」

他二人は既に注文を終えていたようで、それを聞き取ると店員は頭を下げ、厨房へと戻っていった。

「ふむ、良い店だな。君が来たがったのも分かる」

暢気なことをとビオラを睨む、その目がふと、妙な動きに気付いた。

「さすがに、軍の者達を連れてくるわけにはいかないがな」

何かを摘むような形で、ひらひらと動く手。
いや違う、あれは筆記の形だ。
勿論実際に何かを書いているわけではない、ストックの視線に気付いた彼女は、目立たぬように隣を指してみせた。

仮面を被っているので表情は他から見えないはずだ。
それを逆手に取って、ストックは椅子に座り直す素振りを見せながら、隣の様子を一瞬窺った。
見れば、レイニーが片手を握りしめている。
表情は強張っており、マルコが心配そうな目を向けている。
ビオラの先ほどの仕草を考えれば、何かレイニーとマルコとの間で何かしらの話をしたのかもしれない、例えば筆談などで。
二人とも元情報部だ、そのくらいはできるだろう。
そう考えたとき、ストックの心配が頂点に達し、彼は顔に貼り付けた仮面を床に剥ぎ捨て立ち上がった。

レイニーとマルコが驚いた顔でストックを見上げる。
突然仮面を外し立ち上がったストックは更に周囲の視線を集めていたが、そんな事は全く頭になかった。

「レイニー、一体何を隠している!?」

険しい表情で口を開くと、無意識に語気が荒くなる。

「べ、別に、何も隠してなんか……」
「今筆談をしていただろう!口に出せない程やましい事があるのか!」

レイニーがごまかそうとするも、ストックが即座に反論する。
実際に見てはいないが、先程の状況と今の二人の表情から筆談が行われた事をほぼ確信していた。
ストックの言葉に、レイニーが傷ついたような表情になる。

「ストック、言いすぎだよ」

突然怒鳴ったストックの剣幕に驚いていたマルコが、一瞬で自分を取り戻すとことさら落ち着いた声音で告げる。
それはストックに冷静さを取り戻させようという試みだったが、生憎この場合は逆効果だった。
案の定、ストックは鋭い視線でマルコを睨んだ。

「何の話をしていた、マルコ」
「特に何もないよ」
「そんな誤魔化しが通用すると思うのか?!」

不機嫌そうに声を荒げるストックにマルコはため息を付いた。
実際話は殆ど進んでいないのだ。
まだレイニーから何も聞き出せていないのにと、マルコは短気なストックに呆れるしかなかった。

「レイニー、マルコ」

黙ってしまった二人の名を、ストックが呼ぶ。
地を這うようなその声に、レイニーがびくりと身を震わせた。
脅えてしまっている彼女のためにもこの状況を何とかしてやりたいが、これ程怒りを高まらせているストックというのも初めてで、上手い知恵が浮かばない。

「……どうしても言いたくないのなら」

一層険しくなったストックの目つきに、マルコはレイニーを庇おうと、反射的に手を伸ばす。
だがそれが役に立つより前に、ストックの背後に影が現れ、そこからぬっと腕が伸ばされた。

「いい加減にしろっ!」

次の瞬間鈍い殴打の音が響き渡る。

店内は一瞬で凍りついた。
マルコはただでさえ丸い目を精一杯丸くして目の前のストックとロッシュを見ていた。

「……何をする」
「何ももないだろうが。今、レイニーに何しようとしてた」
「お前には関係ないだろう!」

ストックは低い声でそう言い、やり返そうと拳を振り被った。
しかしその拳がロッシュに届くことはなかった。

「はい、そこまでだ君たち」

いつの間に立ち上がったのか、ビオラが二人の間に割って入っていた。

「周りのお譲さんたちの気持ちも考えてやってくれ。ロッシュ将軍」
「はっ」
「気持ちはわかるが公衆の面前で人を叩くのは感心しないな」

ロッシュを窘めるビオラは振り上げられたストックの腕を力強く握っていた。

「それに、だ」

ストックの腕を握ったまま不意にビオラが鋭い闘気を放ち始め、ロッシュが僅かに身を引く。

「せっかくの食事なのだ、もっと静かに落ち着いて楽しみたいものだ」

そう話すビオラはにこやかな笑みを浮かべていたが、彼女が放つ肌を刺すような空気は、明らかに軍人としてのそれだった。

「レイニー君達の事情は、食後に場所を変えてゆっくり聞こうじゃないか。二人共、それでいいな?」
「は、はい」

ビオラの提案にマルコが応え、レイニーも小さく頷くことで了承の意を示した。

まだ納得がいかないのか、何かを言おうとしたストックの肩を、ロッシュが掴んだ。
振り返ったストックが見たのは、止めておけと言うように首を振るロッシュの姿。
ここでうかつなことを言ったりしたら、怒れる将軍様が何をされるかわからない。
頭に血が上りすぎているストックはまだそこまで意識が向かわないようだ。

「お待たせいたしました。ハーブティーでございます」

殺伐としかけている場の空気を読めないのか、営業スマイルでカップを差し出すウェイター。
この時ばかりは、気配に疎い一般人というものの存在に、ロッシュはかなり本気で感謝した。

「では皆、一先ずはお茶を楽しもうか。君達も、折角だから一緒のテーブルでどうだ?」

淡々と並べられる注文の品と、妙に上機嫌に見えるビオラを、一同は交互に見遣る。
この状況で和やかに茶を飲めるとは思えないが、さりとて彼女に逆らえる者は居ない。

「……じゃあ、失礼します」

おずおずとマルコが席を移る、レイニーは迷っている様子だったが、結局は彼に続いて隣のテーブルに移動した。
それを見ているうちに、ストックも少しは落ち着いたのか、ロッシュに促されるまま椅子へと戻る。
こうして、実に微妙な空気のまま、おかしな茶会が始まった。

そうして周囲に微妙な雰囲気を撒き散らした茶会も、ビオラが場を取り成したことによって平静を取り戻していった。
と言うよりも、先ほどの乱闘まがいのやり取りが落ち着けばビオラがこの店に来た事の方が気になるようだ。
いつの間にか店の前にも人だかりが出来ている。

「じゃあそろそろ出ようか」

程よい頃合にビオラは面々に声を掛けた。
誰も異論を唱える者はいない。
各々が立ち上がりソニアが先頭を切って言った。

「お金は私がまとめて払っておきますね。後で精算しましょう」
「すいません」

レイニーは謝りながら、とぼとぼと店の外へ出た。

マルコもレイニーを追い、足早に店を出る。
ストックは多少こちらを目で追いはするものの、茶会を挟んだことで大分落ち着いたのか追いかけては来なかった。

「レイニー、大丈夫?」
「……うん」

店の前の人混みから少し離れた所でそう訪ねると、暗い声の返事が返って来る。
やはり先程の激昂したストックの態度にショックを受けているようだった。

「ごめんね。 ボク、こんな事になるなんて思わなかったんだ」

自分が行った筆談がストックを怒らせる一因となった事に少なからず責任を感じ、マルコが詫びる。

「マルが謝ることないよ。 隠してたのはあたしなんだし」

笑顔で答えるものの、レイニーの表情は暗い。
まさかストックがあそこまで怒るとは思わなかった、とマルコは思う。
レイニーが絡むと少々理性が飛ぶとは思っていたが、まさか話を聞かなくなるほどとは。
この後のことを考えて、マルコは頭が痛いとか、胃が痛いとか思った。

「大丈夫。ちゃんと全部話すよ」

マルコに対するレイニーの表情はいつものそれに戻りつつある。
だが、視線を一瞬だけストックに向けたときは、強張ってしまっているのだ。
無理しないで、とマルコは言葉にせずに伝える為に、レイニーの手を握った。
その温もりにレイニーは安堵した。

「……」

そんな柔らかな安らぎも、目敏いストックの視線の前では、儚く消えてしまうのだが。
しかし幸いにも、身を縮こまらせるレイニーを見過ごせなかったのはマルコだけでは無いようで、彼女を庇うようにソニアが前に進み出た。

「ストック、レイニーさん。話し合いのことですが」
「……ああ」
「うちに来てはどうです? 第三者が居た方が、お互い冷静でいられるでしょうし」

その提案に、レイニーはぱっと顔を輝かせた。
ストックは顔をしかめているが、頭の上がらない親友が相手では、さすがの彼も拒絶を貫けないらしい。
渋々といった様子で、肯定の意を示す。

「では私は城に戻ろう。ロッシュ将軍」
「はっ」

ビオラはロッシュに向き直った。

「事の次第は後で私に報告するように」
「……というか俺も仕事が」
「これも仕事だ。後で報告しに来たまえ」
「……わかりました」



そんなわけで一同はソニアの家にやってきた。
メンバーはビオラを除いた面々だ。
各々難しい顔をしてテーブルに向かっている。
ソニアが一通り口直しの紅茶を入れ終わり、席に着いた。
暫く誰も何も口にしなかったが、マルコが最初に口を開き、「ストックが怒ってたのはこれだよね」先ほどのくしゃくしゃになった紙切れを差し出した

ストックが黙ってそれを受け取り広げると、ロッシュもストックの横から紙切れを覗き込んだ。

「……これだけか?」
「これだけだよ。レイニーが直接話したくなさそうだったから筆談でこっそり聞こうと思ってたんだ」

そこに書かれた字を見たストックが尋ねると、マルコがそう応えた。

「何だよ、まだ全然話進んでなかったんじゃねえか」

それを聞いてロッシュが呆れたように言う。
ストックは暫く何か考えこんでいたが、レイニーの方を向き問い掛けた。

「……レイニー、ここに書いてある事についてはどうなんだ?」

レイニーは僅かに躊躇したが、意を決し口を開いた。

「そのままの意味だよ」

いつもの顔を作ろうとして、レイニーは失敗した。
くしゃくしゃになった紙と同じくらい、彼女の顔も歪んでいる。
泣くのではないか、とマルコが焦るほどに。
勿論、それを見て焦ったのはマルコだけではない。

「レイニー…」

泣きそうな顔をした彼女に、ストックは手を伸ばした。
だが、彼の手が彼女に触れるより先に、柔らかな指先がレイニーの肩を叩いた。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべるソニア。
くしゃり、とレイニーの顔が本格的に泣き顔になった。

(これ……解決した、ってことで良いのか?)

ロッシュが耳打ちすると、ソニアは笑いながら頷く。

(私達が出る間でもありませんでしたね)
(だから最初から自分で聞けっつってたのに……)

呆れたロッシュの呟きが聞こえたのだろう、ストックが二人の方を向き、素直に頭を下げた。

「……騒がせて、すまなかった」
「馬鹿。謝る相手が違うだろ」

ロッシュが指した先――レイニーの顔を、ストックは気まずそうに見遣る。

「ストック」

しかしマルコに名を呼ばれ、意を決した様子でレイニーと向き合う、そして泣き出しそうなレイニーを、真っ直ぐに見詰めた。

「レイニー」

ストックに呼ばれたレイニーは顔を上げる。
その顔はやはりまだ泣き顔で、ストックはさらに気まずそうな顔をしたがきちんと言葉を吐き出した。

「すまない。……泣かせるつもりは無かった」
「……『まだ』泣いてないよ!」

レイニーはそこでやっと笑ってみせた。
ロッシュたちは互いに目を合わせ頷きあった。
やれやれと息を吐く。

「で、結局その紙は何なんだ。いまいち話が見えねえんだが…」

レイニーは今度はしっかりと顔を引きしめて首を縦に振った。

「本当にそのままの意味なんだ。あの人はストックに用があったんだよ、あたしじゃなくて」

目尻に溜まった涙を拭いながら話すレイニーの言葉に、ロッシュが軽く首を捻る。

「じゃあ、服装のことで相談に乗ってたってのはなんだったんだ?」
「それも別に嘘をついたわけじゃないよ。あの人、憧れの人に会うために女らしい格好ができるようになりたいって言ってて……その憧れの人が、ストックなんだって」

そこまで話し終えると、レイニーは深く息を吐いた。

「ねえレイニー、あの人がストックに憧れてるって言うのはあの人が直接そう言ってたの?その、レイニーの勘違いとかじゃなくて」

少しの間を置いてマルコが控えめに尋ねると、レイニーは首を縦に振った。

「まぁ、ストックがモテるなんて、珍しいこともあるんですね」
「ソニア」

見も蓋もないことを言い出した嫁に対して、ロッシュは脱力しながら名前を呼ぶしか出来なかった。
仮にもヒトの親友を、と言いかけて、やめる。
確かにソニアの言うことも一理あった。
見た目は極上でも、中身は色々とぶっ飛んでいるストックなので。
そしてまた、彼女が場の空気を和ませる為にこんな発言をしたのだということも、その目を見ればわかるロッシュだった。
ただ、その程度では重くなった空気を全て払拭することは出来なかったらしい。
ストックは未だに眉間に皺を寄せていた。

「それで、どうするのさ?」

そんな雰囲気を吹き飛ばすためというわけでもなかろうが、マルコが上げた声に、皆の視線が集まった。

「レイニーの誤解は解けたとして、その人。そのままにしておくわけにはいかないでしょ」

ストックの持つ紙を指して言われ、その場に一瞬沈黙が落ちる。

「レイニーから本当のこと言うんじゃ、角が立つよな。ストック、お前がちゃんと言ったらどうだ」
「駄目ですよ、ロッシュ」

ロッシュの提案に否を唱えたのは、女性であるソニアだ。

「その女性とストックが関わることになってしまうじゃないですか。レイニーさんが可哀想です」

「じゃあどうすりゃ良いんだ。誰か第三者が言ってやりゃいいのか」

ロッシュは唸りながらアイデアを口にした。

「それもそれで何かお節介すぎるというか、ボクたちがやりすぎてる気が……」

しかしその案にはマルコが難色を示す。
そんな面々を見て、レイニーは強い声で言った。

「やっぱりあたしが言った方が良い気がする。そもそも最初から断ってればこんなに皆に迷惑かけることもなかったわけだし」
「迷惑なんてことはないよ!」
「そうですよ。誰のせいでもないんですから」
「……そのとおりだ」

今まで黙っていたストックが口を開いた。

「その女性の感情についてはここにいる誰にも責任は無い。皆に迷惑をかけたという点では、俺にも非がある」
「……うん」

ストックの言葉にレイニーが頷く。

「それで、結局その人の事はどうするの?」
「……考えはある」

マルコが話を戻そうと声を上げると、ストックはそう切り返した。
ストックは顰めていた顔をわずかに緩め、だが直ぐに真剣な表情に戻ると真っ直ぐにレイニーを見据え口を開いた。

「レイニー、結婚しよう」

はっきりとした声で放たれたその言葉に、全員が一寸水を打ったように静まり返る。
が、次の瞬間にはレイニーの顔が耳まで赤くなった。

「ちょ、ちょっと待て、ストック」
「何だ、ロッシュ」
「何だじゃねぇよ。お前いきなりすぎるだろう!?」
「何故だ?」

慌てて突っ込むロッシュの言葉に、ストックは意味が分からないと言いたげに首をかしげた。
彼は大真面目だった。
今日も大真面目に会話が通じないのであった。

「お前何考えてんだ?」
「何って、これが一番穏便だと思ったからだ」
「「何処が穏便!?」」

異口同音に叫んだ周囲に、ストックは眉間に皺を寄せた。

「相手に会わなくても事情を説明できるだろう」
「そんな理由で結婚を申し込むな!」

ロッシュは力いっぱいストックの頭を殴った。

「そうですよ、大体こんなに大勢の前でなんてあんまりです」

重ねるようにソニアが叫ぶ、滅多に無い険しい口調に、ロッシュの拳にすら怯まなかったストックが僅かに動揺を見せた。

「女性にとっては一生に一度の、大切な思い出なんですよ!それを……ロッシュでさえ、少なくとも一応は二人の時に言ってくれたのに!」

その言葉にストックとロッシュが揃って顔を歪める。

「いや、その……すまん、いつも」
「何がですか?」
「あの、それはともかく」

頭を下げるロッシュに、きょとんとした顔を浮かべるソニアから視線を外して、マルコが何度目かの軌道修正を試みた。

「と、とにかく。…レイニー大丈夫?」

マルコは心配そうにレイニーを見やり、一同も揃ってレイニーを注視する。

「…えーっとうん、大丈夫だけど」

一気に視線が集まるのを感じたレイニーは頭に手をやりながら戸惑った。
それを見たストックがすっと前に出て、レイニーの目を見つめる。
そして言った。

「返事を聞かせてくれ」
「ちょ、ちょっと待て!」

ロッシュが慌てて止める。

「せめて二人っきりになってからそれを聞け!」
「何を言っている。今更だろう」
「そりゃ今更だが…!」

ロッシュは急いでマルコを抱えあげ、ソニアの腕を引いてその部屋を出た。

半ば強引に二人きりにされたストックが改めてレイニーを見ると、レイニーは戸惑ったような表情で口を開いた。

「ストック、あのさ、ちょっと一人にしてくれない?」

それを聞いたストックが怪訝そうな顔をすると、レイニーは慌てて弁解を始める。

「あ、ストックが嫌なわけじゃないよ?ストックの気持ちはすごく嬉しい。それは間違いないんだけど……、その、色々ありすぎて頭が追い付いてないから、暫く一人で考えさせて」

暴走しがちなストックといえど、そう言われて無理に答えを出させる程馬鹿ではない。

「……わかった」

素直にそう言い、黙って部屋を後にした。



(何か悪かっただろうか?)

部屋の外に出たストックは、真剣な顔をして考え込んだ。
レイニーの困ったような笑顔を思い出す。
自分は何か間違えただろうか。
考え込んでも答えは出なかった。

「最初から全部間違いまくってただろうが」
「ロッシュ?」
「暴走しすぎなんだよ、お前は」

呆れたように呟く親友の顔を、ストックは驚いたように見つめた。

「何だよ」
「お前は読心術でも使えるのか?」
「阿呆か。全部口に出してたんだよ」
「……そうか。それは気づかなかった」

俺もまだまだだな、とストックは真面目な顔をして締め括る。
その場にいた三人は脱力した。

「つーか、何で出てきてんだよ。話し合うんじゃなかったのか」

それでも一応、この男にツッコめるのは自分であるという自負はあるのか、疲れたような顔をしつつロッシュがストックを小突いた。
力は極軽いものだったが、ストックは不愉快そうに顔を顰め、ロッシュを睨み返す。

「一人にしてくれと言われたんだ。お前達こそ何故ここに居る、盗み聞きでもしていたのか」
「んなわけあるか、こっちはこっちで話し合ってたんだよ」
「もう、二人とも……碌なこと言わないなら黙っててよ」

場を弁えず言い争う親友二人に苛立ったのか、マルコから黒い気配が立ち上る。

「それでストック。レイニーは何て言ってたの?」

有無を言わせないようなマルコの口調に、ストックは不服そうにしながらもぼそぼそと先ほどと同じことを言った。

「だから、一人にしてくれと言われたから出てきたんだ。……二人とも何だ、同じような顔して」

そこにはソニアとマルコが同じような表情でため息を吐いていたのだった。

「何だも何も……」
「全くですよ、ストック。そこでレイニーさんを一人にしてどうするんですか」

意味がわからないのか、ストックとロッシュはお互いに顔を見合わせている。

「色々な事が起こりすぎて混乱しているからしばらく一人で考えたいと言われたんだ」
「そう言われるだけレイニーを混乱させたのはお前だろうが」
「それでもレイニーを一人にしてはいけなかったのか?」

すかさず浴びせられたロッシュの突っ込みは無視してストックはそう話した。
ストックの話に、今度はソニアとマルコが顔を見合わせる。

「まったくもう、ストックってたまにすごく暴走するのに変に真面目だよね」
「まあ、真面目だからこそあれだけ暴走するのでしょうが」

二人はまたため息をつきぶつぶつとそんな事を言うと、ストックとロッシュに説明を始めた。

「確かに、一人にしてくれと言われて素直に出てくるのを悪いとは言い切れませんけど、考えが足りません、ストック」
「足りない?」
「レイニーさんを混乱させた自覚があるのなら、きちんと貴方の気持ちを伝えなければいけないでしょう?」
「それなら既に」
「少しも伝わってません」

ソニアの遠慮容赦の無い一刀両断に、ストックは思わず沈黙した。
助けを求めるようにマルコを見ても、ニコニコと黒微笑を浮かべているので救いにはならなかった。
ロッシュも神妙な顔でソニアの言葉を待っているらしい。
つまり、ストックは完全なる四面楚歌状態だった。

「今貴方がするべきことは何ですか? ここで話すことですか、違うでしょう?」

静かではあるがきっぱりとしたソニアに、ストックは気まずげに出てきたばかりの扉を見遣る。

「……分かった、もう少ししたら」
「ストック」
「今出てきたばかりだぞ。どんな顔をして戻れば良い」
「普通の顔をしていれば良いでしょう」

ストックの抵抗など一切意に解さず、ソニアはにこりと微笑んだ。

「さ、レイニーちゃんも待っていますよ」
「……本当に、そう思うか?」

どうしても納得できないストックが親友に問いかけるが、彼も妻を敵に回す度胸は無いようで、黙って首を振っている。

「もーストックってほんとに鈍感なんだから」

まだ煮え切らない態度のストックに珍しくマルコが普段よりは強い口調で返す。

「……ならお前はわかるのか」
「そりゃあ全部はわからないけど、ストックよりはわかるよ」
「……」

マルコの言葉にストックとロッシュがたじろいだ。
マルコが先ほどストックが出てきた扉を指し示す。
仕方なくストックはレイニーの居る部屋へと一歩を踏み出した。
ちら、と後ろを振り返ると、ロッシュは気まずそうな表情で、マルコとソニアはにこやかな笑顔で見送ってくれた。
ため息一つついたストックはドアノブに手をかけた。



「……レイニー、入るぞ」

そう言ながらドアを開け部屋に入ると、驚いた顔でストックを見ているレイニーが目に入る。

「す、ストック?」
「……ソニアとマルコに、部屋に戻って俺の気持ちをもっときちんと伝えて来いと言われた」

ストックがそう説明すると、レイニーはぽかんとした 顔になり、その後小さく吹き出した。

「ぷっ……、なんだ、急に入って来たからどうしたのかと思った」
「……すまない」

レイニーにそう言われて、ストックはばつが悪そうな顔をした。

「ううん、確かに、あたしもストックの考えをもっとちゃんと聞いておきたいかも」

「その場の勢いや、状況だけで言ったわけじゃない」

レイニーの顔を真っ直ぐと見つめながら、ストックは静かに告げた。
それこそ、何より最初に伝えなければいけない言葉だったはずだ。
ストックは綺麗さっぱり失念していたために、こんな不思議な形になってしまっていたが。

「レイニーが好きだから、結婚を申し込んだ」
「ストック……」
「それだけだ」
「それだけ?」
「あぁ、それだけだ」

妙に自信満々のストックを見て、レイニーは思わず小さく噴出した。
妙なところで生真面目なストックらしいと言えた。
それでも、混乱した頭に、その言葉は優しく響いた。

「レイニー」

名を呼ぶと共に、ストックがレイニーの傍らへと歩み寄る。
座ったままのレイニーを見下ろして立つ、と思った瞬間、すとんと膝をついて見上げる高さに身体を落とした。
作り物のように整った顔を向けられ、レイニーの頬が染まる。

「俺と、結婚してくれ」

両手を掌で 包み込まれ、真っ直ぐに見詰めながらの言葉に、その朱が一層濃くなった。

「あ、あたし……女らしくないし、がさつだし」
「そんなことはない」
「……戦いしか、知らないし」

何処かの歴史で自分が言ったのと同じ言葉に、ストックの目元がふと優しくなる。

「それは俺も同じだ」

「だからこそ、二人でやっていきたいんだ。慣れないことも二人なら楽しいさ。違うか?」
「……ストック」

レイニーを握る手に自然と力が込められる。
とはいえ、ストックは圧迫感を与えるつもりは無かった。
あくまでも選ぶのはレイニーなのだから。
圧迫感を与えずに気持ちは伝わるように。
だからストックはレイニーの手を一度持ち上げ、その甲に口付ける。
レイニーが驚いて椅子の上で身じろぎした。
ストックはその様子を見つめつつも一度手を離し、レイニーの目の前に改めて差出し、言った。

「これから共に歩んで欲しい」

「ほ、本当に……あたしなんかでいいの?」

頬を赤く染めたままのレイニーがためらいがちに尋ねる。

「レイニーでいいんじゃない、レイニーがいいんだ。俺は、他の誰でもなく、レイニーに傍に居てほしい」

差し出した手はそのままに、ストックはそう答えた。
自分が伝えたい事は伝えた、
次に自分がするべき事は、どんな答えだろうとレイニーの選択を受け入れる事だと、ストックは考えていた。

「あ、あたし……あたしも、ストックと一緒に生きていきたい」
「ならば、共に生きよう、レイニー」
「……うん」

レイニーはそう言うと、ゆっくりとストックの手を取った。

おずおずと両手でストックの手を握り締めるレイニー。
掌から伝わる温もりに、ストックは知らず笑みを浮かべていた。
ごく自然に浮かべられたその笑みに、レイニーもまた、笑った。
泣き笑い似た、けれどどこまでも幸せそうな笑顔は、戦士としての彼女しか知らないストックにとって、ひどく大切なモノに思えた。
それまでも思っていたが、強く思う。
『護りたい』と。
彼女の笑顔を、彼女の幸福を、彼女の未来を、ただ護りたいのだと気づいた。

「レイニー」
「何、ストック?」
「お前は、俺が護る」

何から、とは告げなかった。
それは解らなかったのだから。

ストックの精一杯を注がれたレイニーは、少しの間言葉を失い、そして。

「ストック」
「……」
「私も、ストックを護る」

言い切られた言葉に、ストックは目を丸くした。
だがレイニーは真剣な表情を崩さぬまま、じっとストックを見詰めている。

「護られてるだけなんて嫌だよ。私だって ストックのことを護りたい。だって……夫婦、なんだから」

そう言って、頬を赤く染めて恥じらうレイニーに、ストックは暖かな笑みを浮かべて。

「そうだな。有難う……レイニー」

深い感謝と愛情を込めて、そっと耳元に囁くと、レイニーの身体を優しく抱き寄せた。



「うまくやったかなアイツ」

再び部屋に篭った二人がどうなったのか。残されたロッシュは落ち着かない様子だった。

「あなたも心配性ですねえ」
「そりゃ当たり前だろが。あのストックが、だぞ」
「……その気持ちはわかります」

苦笑しつつマルコも同意する。

「まあ確かにそうなんですけどね」

それにつられてか、ソニアまで苦笑した。

「とりあえず今は待ちましょう。私たちにできるのはそれだけです」
「だな」
「はい」

場が静まり返る。
部屋の中からは物音も話声も聞こえない。
それから間もなくして、扉が開く音がした。

「………」

部屋から出て来た二人を見て、ロッシュ達は揃って口を噤んだ。
レイニーは顔を真っ赤にしており、少しだけ怒ったような表情をしている。
ストックは涼しい顔をしているが、その頬には赤い手形がくっきりとついていた。

「あー……、なんだ、その、あんまり気を落とすなよ?」
「勝手に人を振られた事にするな」

頬の手形を見て告白が上手く行かなかったのだと考えたロッシュがストックに話しかけると、ストックは間髪入れずそう言った。

「じゃあお前、その手形はどうしたんだよ」

ロッシュがそう尋ねると、黙っていたレイニーの顔が先程より更に赤くなった。

「細かいことを気にする男だな」
「何だよ、それは」
「別に」

ふいっと視線をそらしたストックに、ロッシュは眉間に皺を寄せた。
何だお前、どうした、と言葉を重ねるロッシュを、ストックは面倒そうに無視していた。
どうやら言いたくないらしい。
本当に何があったんだ、とロッシュは 不思議そうに親友を見た。
だがしかし、ストックは答えなかった。
既にソニアと微笑ましく会話をしているので、聞いても答えてくれないのが解っていた。
ちらりとレイニーに視線を向ければ、マルコと話している。
会話相手を喪ったロッシュは、何をするでなく4人を見ていた。

「ともかくおめでとうございます、ストック」
「おめでとう、レイニー」

しかしとにかく、そうして上がる祝福の声を聞くと、全てがうまくいったのだという実感が湧いてくるから不思議だ。
皆が笑顔で言葉を交す、その様子を眺めるロッシュの口元にも、自然と笑みが浮かんでくる。
ふとストックの顔が、話し相手のソニアから逸れ、ロッシュへと向けられた。
親友同士の視線がかちりと合わさり、一瞬、言葉にならぬ部分で意識が通じ合う。

「……おめでとう、ストック」
「ああ、有難う」

そうして交わされた言葉に、他の者達も皆新たな笑顔を浮かべるのだった。






まきろン様・港瀬様・平上・セキゲツ競作
2012.07.30 まとめ初出

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