これといって説明できる程、筋道立った理由があったわけではない。
強いて言うなら、そこに花屋が居たから。そして荷台の上に、まだ大量の花が残っていたからと、それが理由だと言えるのだろうか。
花の山を見てふと妻の顔を思い出し、そう思った時には、花屋に声をかけていたと。
言ってしまえば、本当にそれだけのことなのだが。
――――――
そんな、理由と言えるものも無い衝動的な買い物に返された反応は、まず第一に絶句であった。ロッシュよりもかなり低い位置にあるソニアの顔が、驚きを示して目を見開いたまま、綺麗に固まっている。
「……おう。帰ったぞ」
瞬き程度にしか動きのない妻を、ロッシュはしばらく見守っていたが、やがて耐えかねて自ら声を発した。それを聞いて、ソニアもようやく我に返った様子で、慌てて動きを再開する。立ち尽くしたままのロッシュから花束と荷物を受け取り、軍靴の代わりにと室内履きを差し出した。
「すいません、おかえりなさい、あなた。どうしたんですか、これ」
靴を脱いだロッシュを室内に導きながらも、ソニアの目線は真っ直ぐに花束に固定されたままだ。元々実際の年齢に対して精練された精神を持つ女性で、母となってからはそれよりさらに落ち着きを増していたのだが、どうしてか今は随分と動揺しているようである。子供のこと以外では滅多に見られない姿に、ロッシュは密かに首を傾げた。
「どなたかに頂いたんですよね、何かあったんですか?」
「いや、貰ったわけじゃねえよ。帰りに花屋が居てな、そこで買ったんだ」
「え、あなたが自分で……? そんな、どうしたんですかいきなり」
「別に何ってことはねえが……お前、花好きだったよな」
ロッシュとしては別段、目的や理由があって行動したわけではない。単にそこに花屋があり、時間にしては珍しく花が売れ残っていた。そしてそんな光景を見て、妻が花を好んでいることを思い出したというだけだ。複雑な事情などは何一つ無い、むしろソニアがそう問うことこそが、彼にとっては不思議なのだが。
「え、ええ……好きですけど」
しかしソニアの側は、ロッシュが為した説明ではとても納得できないようだった。探るような、そして困ったような、何とも言えぬ目付きでロッシュと花を交互に見詰めている。
「何か、仕事で良いことがあったんですか?」
「は? いや何もねえよ、いつも通りだ」
「じゃあ、うちのことかしら。この間、あの子が喋ったお祝いとか」
「そりゃ二週間は前のことだろ、そりゃまあ確かに嬉しかったが」
妻の言葉にロッシュがちらりと奥の部屋を見遣る、彼らの子はまだ産まれて数ヶ月だ、ロッシュが帰る時間まで起きているのは中々難しい。夜中に乳を求めて泣き出すことはあっても、当然ながらそんな時に遊ぶことなど出来るわけがなかった。
だが存分に睡眠を取っているおかげか、身体は随分としっかりしてきている。首も据わり、先日からは言葉と取れなくもない、はっきりした声を発するようになってくれていた。我が子の健やかな成長は、子煩悩なロッシュにとって大変に喜ばしくはあるのだが、それはそれとしてこの花束とは全く関係がない。
「そ、そうですよね。それなら……今日、何か記念日だったかしら」
「記念日ねえ。そういうのはお前の方が詳しいだろ」
「……誕生日?」
「誰のだよ! 俺もお前もチビも、まだまだ先だろ」
一体何を考えているのやら、的外れな推測を繰り返すソニアに、ロッシュは困った様子で花束を見た。喜んでもらえると思った贈り物に、帰ってくるのが困惑ばかりでは、夫として立つ瀬がない。ロッシュとて自分が女心に精通しているとは思っていないが、それでもたった一人の妻も喜ばせられないようでは、あまりに情けなさが過ぎる。
「お前、花束は嫌いだったか?」
考えてみれば彼女が職場に置いているのは、鉢植えとはいえ根の付いたものばかりだ。あるいは彼女が好いているのは、そういった生きた花のみで、切り花にされたものは好まないのだろうかと考えたのだが。
「え? 好きに決まってるじゃないですか」
しかしロッシュの思考を、ソニアはあっさりと否定する。そう言われて見てみれば、抱えた花束に触れる手つきはとても優しいものだし、見詰める表情には仄かな笑みが浮かんでいる気もする。だがやはり、予想していた反応と違うのには変わりない。
「……そうか。いや、なんつーか、切った花は嫌いなのかと」
「何言ってるんですか!」
ぼそぼそとしたロッシュの言葉に、ソニアは驚いたように目を見開く。
「嬉しくないわけないでしょう、こんなに綺麗な花を、あなたが買ってきてくれたんですから」
きっぱりとそう言い切られ、ロッシュは些か気圧されて、脱いだ上着を手にしたまま視線を泳がせた。
「そ、そうなのか? それならまあ、その」
「驚きすぎて反応できなかっただけです。だって、あんまりいきなりでしたから」
何故か怒られるような形になってしまい、ロッシュは知らず首を縮めて防御態勢を取る。花を買ってきて責められるなど、相当に理不尽な話ではあるのだが、それを抗議する能など新婚にして既に無くなっていた。だがソニアも頭の悪い女性ではない、夫の態度で己の反応の間違いを悟ったのか、慌てた様子で笑顔を浮かべる。
「とにかく、本当に嬉しかったんです」
「そうか……それなら良かったぜ」
「ええ」
妻の微笑に、ロッシュもようやく安心して、自分もにこりと笑顔になる。肩の荷が降りたかのようなその顔に、ソニアはまた一際深い笑みを浮かべた。
「そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね。……有り難うございます」
そう言って、幸せそうに咲き誇る花に手を触ると、彼女はついと踵を返す。
「それじゃ私、先にこの花を生けてしまいますね。あなた、着替えたらあの子の様子を見てあげてください」
そろそろ起きる頃ですから、と言われれば、己の子を愛するロッシュに否などある筈もない。二つ返事で任務を引き受けると、いそいそと子供の眠る部屋へと足を向けた。
――そんなことがあってから、数日後。
「おう、帰ったぞ」
ロッシュの声にぱたぱたという足音が応える、と思った次の瞬間家の奥から二人の女性が顔を出していた。
「おかえりなさい、ロッシュ、ストック。それに、マルコさんも」
「皆お帰り、お仕事お疲れ様!」
この家の女主人と共に顔を出したのは、彼らの友人、そして今はストックの妻でもあるレイニーだ。今日はストック達と夕飯を共にする予定と聞かされ、ストックと共に、まだ独身のマルコを連れて帰ってきたのだった。レイニーが腕を振るってくれたのか、普段とは違う料理の香りが、台所の方から漂ってくる。食欲をそそるそれに抗うことは難しく、よく見ればストックも微かに頬を緩め、微笑と言える表情を浮かべていた。
「ほら早く上がって、着替えちゃって。ご飯、もう出来てるんだよ」
「ああ、そのようだな」
「それじゃ、お邪魔します。すいませんソニアさん、いつもお言葉に甘えちゃって」
「とんでもありません、食事は大勢の方が美味しいですから」
恐縮して頭を下げるマルコに、ソニアが優しく微笑む。夫婦二組が食事を共にする時には、毎回とは言わないがそれなりの確率で、マルコが誘われていた。独り身のマルコを気遣ってのそれは、彼に恋人の一人も出来れば行われなくなることかもしれないが、残念ながら今のところその気配はみられない。マルコ自身も、一人の味気ない食卓よりは仲間達と食べる方が余程楽しいと、招きがあれば喜んで応じるのが常だった。
それは人によっては不自然に思える光景かもしれないが、少なくともここに、疑問に思う者は一人もいない。レイニーも、上機嫌にストックとマルコの上着を受け取り、彼らを食堂へと追い立てていた。
「えへへ、今日は自信作なんだよ。コルネ村の野菜があったから、奮発しちゃった」
にこにこと、笑顔を絶やさぬ女性達に引き摺られるようにして、男三人で家の奥へと導かれる。彼らが帰るのを待ちかまえていたのだろう、真っ直ぐに通された食堂には、既に食卓の準備が万端に整えられていた。清潔なテーブルクロスの上には小綺麗に磨かれた食器が並べられ、そしてその中央には華やかな生花が活けられている。見慣れぬ光景に、驚いた様子でマルコが目を見開いた。
「わあ、随分立派な花ですね」
そこに置かれていたのは勿論、先日ロッシュが買ってきた花束だ。ソニアの手によって活けられたそれは、幾分か花を落としてはいたが、未だ華やかな美しさを保っていた。夫の贈り物を褒められたソニアと、そして何故か関係のない筈のレイニーまでもが、誇らしさの混じった喜びの笑顔を浮かべる。
「有り難うございます、マルコさん」
「これ、ロッシュさんが買ってきてくれたんだって」
「え、そうなんですか! 凄いなあ、良い旦那さんって感じですね」
笑顔と共に送られる賛辞に、しかしロッシュはどう反応して良いか分からず、明後日の方向に視線を逸らした。その反応がおかしかったのか、レイニー達が声を上げて笑い出し、つられたのか隣のストックまでもが意地の悪い笑みを浮かべてロッシュを眺めている。取り敢えず親友にだけは拳をお見舞いしておくと、返礼の攻撃が帰ってくる前に、どさりと自分の席に着いた。
「別に大したもんじゃないんだがなあ。売れ残りを買っただけだぜ」
「もう、そんな言い方しなくたって良いじゃないですか! ソニアさん、すっごく喜んでたんですよ」
「そ、そうか……?」
その言葉にちらりと妻を見ると、彼女は薄らと頬を染めて、照れたように視線を逸らしてくる。確かに嬉しそうではある、第一渡した時に本人の口から嬉しいと告げられてもいるのだが、ロッシュはどうしても腑に落ちずに首を傾げた。
「そんなに喜ぶようなことかね」
「当たり前じゃないですか、嬉しいに決まってますよ! ねえソニアさん?」
「ええ、勿論です」
解説を加えてくれないものかと頭の良い親友に視線を投げても、殴られた直後に親切を働く気は無いのか、意地悪げに笑うばかりだ。納得からは遙かに遠い顔付きに、レイニーが呆れた調子で嘆息を零す。
「何でそんな変な顔するんですか、もう」
「変なってな……だが本当に、大したもんじゃないし」
「何言ってるんですか、そんなの関係ありませんよ!」
そしてびしりと人差し指を立て、ロッシュに突きつけた。彼女も、傭兵生活が長いため些か言動が荒くはあるが、その実心根はとても女らしい。ソニアの気持ちはよく分かるのだろう、怒っている気配は無いがそうと勘違いされかねない勢いで、ずいとロッシュに詰め寄る。
「自分のことを思って買ってきてくれたっていうのが大事なんですから。物が何かって問題じゃないんです」
その言葉にマルコは深く、ソニアは控えめながらも頷いている。ストックはロッシュと同じく考え込んでいるようだ、彼も女性心理に詳しい方ではない、妻の言ったことをしっかりと刻み込んでいるのだろう。
「そういうもんか……」
「そうですよ。お花を見た時に自分のことを思い出して、自分のことを考えながら買ってくれたっていう、それが嬉しいんです」
そう主張されるとレイニーもやはり女性なのだと、場違いな感慨が浮かぶのだが、それはともかく。心を込めた丁寧な説明により、さすがのロッシュも半ばまで理解に到り、曖昧な首肯を返した。だがそれでもまだ、完全に分かったというわけではない。
「だが、それの何が嬉しいんだ?」
朴念仁にも程がある、という返しに、さすがにレイニーの怒りが露わになった。冷静に考えれば、彼女が怒る筋合いではないと分かる筈だが、感情的になっている女性に理論は通用しないのが常だ。ソニアはそんな二人を眺めながら、こちらは慣れているのか怒るでもなく、苦笑に近い微笑を浮かべて夫の窮地を見守っている。
「――もう! ロッシュさん、酷いですよそんな言い方!」
「い、いや、だがなあ」
ロッシュが周囲を見渡しても、マルコもソニアと似たようなものだし、ストックに至っては完全に傍観の態度を決め込んでいた。似たもの同士の親友だ、近い状況で同様に見捨てられたことがあってもおかしくはなく、あるいはその復讐といったつもりもあるのかもしれない。味方も無く、後はやり込められるだけという窮地に立たされたロッシュが、困ったようにぼやく。
「あいつのことを思い出すだの考えるだの、そんなのいつだってそうだぞ。それで一々喜ぶってのも、忙しい話だと思うんだが」
――本人にとっては何も意識などない、それこそ当たり前のこととして零された呟きなのだろう。しかし他人が見ればその破壊力は絶大なものがあり、一瞬にしてその場に、誰も破れぬ完全な沈黙が落ちる。ストックとマルコが驚いたように目を見開き、レイニーの顔が真っ赤に染まり、そしてソニアは。
「…………!!」
耳から首筋まで綺麗に赤くしただけでは、まだ足りなかったのか。持っていた荷物を抱えたまま、頬に手を当てて顔を隠すようにすると、そのまま踵を返して隣の部屋へと走り去ってしまった。室内履きを鳴らして走っていった妻を、状況の掴めないロッシュが、呆然と見送る。
「な、何だ……俺、何かまずいことでも言ったか?」
部下の心を堅く掴んでいる将軍だが、女心の洞察力は皆無に等しい。何故妻が去ってしまったのか、本当にさっぱり分かっていない様子で、レイニーとストックの顔を交互に見る。親友の困惑を前にして、ストックもさすがに傍観を止め、厳しい顔でロッシュを睨みつけた。
「ロッシュ」
「お、おう」
「さっさと後を追え」
端から見ればこれ以上無い程端的で的確な指示だったが、ロッシュは混乱から抜け出せていない様子で、躊躇いがちにソニアが出ていった扉に視線を投げる。
「……やっぱ、何か変なこと言っちまったかな」
「それは後で説明する。とにかく今は行って、ソニアと話をしてこい」
「ああ、そりゃ勿論だ、だが何が悪かったのか分からんままでまた怒らせでもしたら」
「考えるのは後で良い、とにかく行け。手遅れになるぞ!」
「わ……分かったよ」
ストックの剣幕に押されたのか、はたまたその脅し文句に怯えたのか、それは分からないが。ともかくロッシュは、その声を機に椅子を立ち、慌てた様子でソニアと同じ扉を出ていく。
室内履きの足音が少しの距離を進み、やがて停止してどこかの扉が開いたのを確認すると、残された三人は大きく溜息を吐き出した。
「っはあ……びっくりした」
ようやく衝撃から立ち直ったレイニーは、ぼんやりと呟きながら、上がった血を下ろすように掌で頬を叩く。
「ロッシュさん、いきなりとんでもないこと言うんだから」
「そうだねえ、しかも本人全然分かってないからね」
マルコも、呆れと微笑ましさの中間に位置する実に微妙な笑顔で、レイニーに同意する。ストックも、先程までの険しさを引っ込め、苦笑めいた笑みを浮かべて肩を竦めた。
「あいつらしい、とも言えるが。……ともかく、今日は解散だな」
「そうだね、お邪魔したら悪いもんね。あーあ、折角自信作だったのにな」
軽くぼやきつつ、レイニーは料理を取り分けるため、台所へと向かった。ロッシュの無意識かつ盛大な惚気によって、夫婦は今頃、親友にすらも見せられないようなやり取りを交わしていることだろう。それが終わった後にまだ家の中に他人が居るのは、例えロッシュ達が気にしないにしろ、一般的に望ましいものではない。
「ストックも、咄嗟によくあんな言葉が出てくるよね」
「……付き合いが長いだけだ」
「それはよく分かるよ、動かし方を心得てるっていうかさ。僕だったらあんなとんでもない勘違いしてるのを見て、慌てないで説得できるかどうか分からないなあ」
感心したように頷くマルコに、ストックが苦笑を零す。女心の機微に疎いことには、ロッシュに勝るとも劣らないと言われているストックだが、さすがに傍から見ている立場ならばある程度のことは感じられるものだ。むしろ自分に経験があるからこそ、的確な誘導ができたとも言える――そんなところで役立たせたところで、情けない経験であることには代わりはないのだが。
深くを語ろうとはしないストックに、マルコは朗らかな笑いを返すと、丸い目を悪戯っぽく煌めかせた。
「でも、ストックも覚悟しておいた方が良いよ」
「……何をだ」
「レイニー、絶対羨ましいと思ってるよ。機嫌損ねないように、何かしてあげないと不味いんじゃないかな」
相棒として長く行動を共にし、レイニーの性情をよく知っているマルコから見れば、仲睦まじい夫婦を前にしてどう思うかなど分かりすぎるほどよく分かる。指摘された未来予想に、ストックもまた正当性を感じたのか、困ったように眉を顰めた。
「――そんなことを心配してもらう必要はない」
だが沈思黙考は一瞬のことで、直ぐに元の無表情へと戻り、レイニーの居る台所へと視線を向ける。その目付きがとても優しいことに、マルコも直ぐに気付いて、珍しいものを見た気分で目を瞬かせた。仲間思いで友人思いの男ではあるが、今の彼の目に浮かんでいるのは、友愛とはまた違った色のように感じられる。
「お待たせ、はい、これマルの分!」
しかし、マルコがそれを追う前に、準備を終えたレイニーが戻ってきて、男達は口を閉じることを余儀なくされた。彼女が手にした籠をマルコが受け取る、中には料理とパンが入っているのだろう、熱気と共に食欲をそそる香りが漂ってきていた。
「有り難う、レイニー。家でゆっくり味わわせてもらうよ」
「一人で寂しくさせてごめんね、また今度一緒に食べよ」
「大丈夫だって、そんなの。ご馳走になれるだけで有り難いんだからさ」
気にせぬ風で手を振ったマルコだが、ロッシュ達夫婦の仲の良さを見せつけられた後では、一人の食卓が味気なく感じてしまうのも確かである。
「マルも早く良い人見付けなよ! いつまでも一人じゃ、色々大変でしょ」
そんな内心を見透かしたかのようなレイニーの言葉には、さすがに苦笑を返すことしか出来ない。長い友人であり、マルコのことを分かっているのは、彼女も同じだ。
「ソニアさんみたいに素敵な人が居ると良いんだけどね。ほんとあの二人、理想の夫婦って感じだし」
だがそう言いながら、飾られた花に視線を遣っているところを見ると、マルコの洞察もけして外れてはいなかったのだろう。彼女の性格を考えれば、直ぐに騒ぎだすことはしないだろうが、何処かで解消してやらなければそのうち爆発しないとも限らない。
「……そうだね。羨ましいよねえ」
健闘を祈ってストックを見遣ると、彼の側でもちらりとマルコを見て、しかし何を言うでもなく自分の妻へと視線を戻した。
「ともかく、帰るぞ」
そしてレイニーが持っていたもう一つの籠を受け取り、ついでのように自然な動作で彼女の手を取って動き出す。そのさりげない動きに、レイニーも咄嗟には反応できず、数瞬無言のまま目を瞬かせ。しかし状況を理解した瞬間、折角色の戻った頬が、またしても一気に朱に染まった。
「う、うん……!」
恐らくその心からは、友人夫婦への憧憬など、綺麗さっぱり消えていることだろう。あまりにも鮮やかな手際に、驚きを通り越して呆れた気分で、マルコは嘆息をかみ殺した。よく見ればストックの皮膚も、仄かに赤く染まっているのだから、余計に同じ空間に居るのがいたたまれない。
「じゃあマル、また今度ね」
「うん、有り難う。また誘ってよ」
「早くマルも、奥さんと一緒に来られると良いね!」
無邪気なレイニーの言葉をあしらう余裕も、さすがに今は無く。力無く笑ったマルコは、久々に本当に心から、一人の夜を寂しいと思ってしまったのだった。
セキゲツ作
2012.07.03 初出
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