「……では、お世話になりました」

アリステル、シグナス合同の魔物討伐が無事終わり、アリステル軍が自国へ帰還するその日。城門前にて整列した隊を後ろに控えさせ、ロッシュ少将はシグナス国王ガーランドへ最後の挨拶を行っているところだった。

「ああ、こちらこそ世話になったな。おかげで街道の安全も確保出来たぜ」
「それは何よりです」

派遣された軍隊の将と受け入れた国の王。儀礼的な、あるいは政治的なやり取りになってもおかしくない組み合わせだが、そこに漂う空気は不思議と親しげだ。それはストックという共通の知り合いがあるからかもしれないし、彼ら自身がお互いの力を認め合っているからかもしれない。だが今に限って言えば、最も大きな要因は。

「俺からもありがとよ、ロッシュ。おかげでシグナスに来やすくなったぜ!」

ガーランドの隣に立つ少年、大柄な王の腹ほどまでしか背が無いくせに態度ばかりは大きい彼こそ、今この場を和ませている中心人物だった。世界の命運をかけた戦争の折りに、ガーランドと出会い親しくなったグランオルグの少年リッキーは、戦いが終わった今も祖国とシグナスを行き来して頻繁にガーランドの元に押しかけている。そして今も、王の隣に陣取り他国の使節に語りかけるという、栄誉ある役目を立派にこなしているのであった。そのあまりに堂々とした態度に、大人たちの怒る気も失せてしまうらしい。本来なら咎めて追い出す立場の兵達も、苦笑して見守るばかりだった。勿論、彼らを統率する王と将軍が、どちらも少年の存在を容認しているのがその主たる理由ではあっただろうが。
小柄な体躯をものともせず、力強く胸を張るリッキーに向かって、ロッシュは豪快に笑ってみせた。

「おう、そりゃ良かったぜ。お前が来られなかったら、ガーランド王が寂しがるだろうからな」
「おいおい、勝手に話を作るなよ。調子に乗ったガキほど始末に負えんもんはねえんだぞ」
「誰がガキだよ、子供扱いすんな!」
「その言い草が既にガキだってんだ。……まあ、来るなっつっても来るんだから、危険が無くなったのは素直に有難いがな。余計な手間が減るってもんだ」

つまり、万が一リッキーに危険があれば、軍を動かして助けにいくつもりはあるということだ。乱暴な物言いに込められた親愛の意を正確に読み取って、ロッシュは暖かい眼差しを目の前の男に向ける。20近くも歳の離れた相手にそんな視線を送られては、豪放磊落なガーランドであってもさすがに居心地が悪いようだった。不機嫌そうに舌打ちをして、リッキーの頭をぐしゃりと撫でる。

「わっ、何すんだよ!」
「気にすんな、単なる八つ当たりだ」
「言い切りやがった、ひっでえ! ってか八つ当たりって、何のだよ?」
「気にすんなっつってんだろ、ほら、長話はここまでだ。こいつらも出発しねえと、予定が遅れちまう」
「そうですね、我々はそろそろ失礼します。」
「おう、そんじゃまたな、ロッシュ!」
「ああ、また会おうぜ。今度はアリステルにも遊びに来いよ」

にやりとリッキーに笑いかけると、ロッシュは改めて、ガーランド王に向けた最敬礼を行う。それに合わせて、背後に控えたアリステル軍も見事に揃った敬礼をして、王への敬意を示してみせた。

「おー、すっげえ!」

それを、少年らしいきらきらとした目で見詰めるリッキーに、ロッシュはもう一度笑顔を向けて。そして、自国へ向けた行軍を始めるべく、シグナス城を去っていった。
――その後ろ姿を、やや気落ちした表情で、リッキーが見詰める。

「……いっちまったなあ」
「そうだな、寂しいか?」
「まあな」

存外素直に認めたリッキーは、口を尖らせつつガーランドに視線を移した。その目が、悪戯っぽくきらりと光る。

「ロッシュって良い奴だからさ。どっかの王様と違って、子供を苛めたりしねえし」
「ほう、そんな王が居るのか、そりゃ酷え奴だ。一体何をされたんだ、たとえばこんなことか?」

意地の悪い笑みを浮かべたガーランドが、リッキーの首を固定して、ぐりぐりと頭をかき回す。その些か乱暴な手つきに、リッキーが悲鳴を上げて手足をばたつかせた。

「わー、馬鹿何すんだよ! 痛い、痛いって!」

からかいに対する抗議というよりは、もう少し本気の混乱に踏み込んだ声に、ガーランドは苦笑して手を離す。解放されたリッキーは、少々大げさに喉を押さえて咳をし、涙目でガーランドを見上げた。

「ったく、乱暴な奴だなあ、王様のくせにさ」
「王は王でも武王だからな、力は有り余ってるんだよ」
「ちぇっ、適当なこと言いやがって」

小生意気な表情で文句を言う姿は、本人の意図はともかく、大人から見れば非常に可愛らしいものだ。王や周囲の兵から暖かく見守られている気配を、リッキー自身も感じたのだろう。不満の色を強めて、ガーランドを睨み付ける。

「あーあ、今度はアリステルに行ってみようかなあ。ロッシュも来いって言ってくれたしさ」
「ああ、良いんじゃねえか?」

本気か、それとも少年にできる精一杯の駆け引きか。挑発的に発せられた内容に、しかしガーランドは動じた様子を見せない。むしろ積極的に同意するような態度で応じ、そしてさらりと言葉を続けた。

「あいつも、しばらくシグナスにゃ来ねえだろうしな」

その発言に、リッキーは不機嫌を放り出し、驚いた表情を浮かべる。

「え、何でだよ? 魔物討伐しねえと、皆が困るだろ」
「勿論、討伐は行うさ」
「んじゃ、アリステルの奴らを呼ばねえってことか?」
「いや、そうじゃねえよ。派遣される隊の隊長が、ロッシュじゃ無くなるって言ってんだ」
「…………何で?」

きょとんとした様子のリッキーを促し、城の中に戻りながら、ガーランドは話を続けた。

「お前は気付かなかったか? あいつ、偉いこと顔色悪かっただろ」
「え? ……えーっと、どうだっけ」

そう言われて、つい先ほどの記憶をたどっている様子のリッキーだったが、しかし思い至ることは出来なかったようだ。戸惑いが消えぬまま、問いかける意図の視線をガーランドに投げる。

「お前はチビだから、顔なんぞよく見えなかったかもしれんな。見事に真っ青……いや、真っ白だったぜ、今倒れて無いのが不思議なくらいだ」
「え、真っ白って、何でそんなに……俺、全然気付かなかった」
「あいつ、今回は大分酷い怪我しやがったからな。魔法で塞いだって体力まで回復はしねえって、自分でも分かってるだろうに」

苦々しく吐き捨てるガーランドに、リッキーもようやく事態が飲み込めたようだった。その表情が、見る間に真剣なものへと変わっていく。

「なあガーランド、そんなん行かせたら不味かったんじゃねえのか? 調子悪いのに砂漠なんて歩いたら、死んじまうよ」
「いや、普通の人間ならともかく、あの体力馬鹿が相手だからな。死にゃあしないさ、どっかで倒れるかもしれねえが」
「十分危ないだろ、何で休ませてやらなかったんだよ!」

相手が王であることも構わず、勢いよく食ってかかるリッキーをいなして、ガーランドは玉座に腰を下ろした。その隣に用意された椅子には、当然のようにリッキーが座っている。

「良いんだよ。ああいう奴は一回くらい倒れといた方が、本人のためだ」
「何だよそれ、どういう意味だよ……」
「あれだけガタイが良くて体力もある奴だとな、本人も周りも、いくら動かしても大丈夫だとか思うようになっちまうのさ」

軍人として、最低限本人だけは自分の体調を把握していなくてはならないはずだが、見たところそれすらも出来ていないようだった。蒼白と言っていい程に血の気を無くした顔は、怪我による出血が直接の原因だろうが、そのダメージを受け止めるだけの体力を彼が持っていないことの証左でもある。本来ならばもっと身体を休めるように言って聞かせるべきなのだろう。しかし……表情を険しくして、ガーランドは溜息を吐いた。彼もロッシュと知り合って長いわけではないが、その真面目で不器用な性質は、それなりに分かっているつもりである。だからこそ、他国の王が忠告したところで、素直に受け止めることはしないと容易に予測できた。その場では殊勝に耳を傾けるだろうが、実際に生活態度を改めるかと言えば、断じて否だ。
だから多少のダメージがあろうとも、事を起こして思い知らせてやるのが一番なのだ――本人と、そして周囲に。

「でも、だからって倒れた方が良いなんて、乱暴過ぎるよ。何かあったらどうすんだ」
「大丈夫だ、倒れるにしても軍で行動してる間だろうからな。他の奴が補佐できる環境なら何の問題も無え」
「でも、行軍が終わってから倒れたら?」
「そしたらアリステルに戻ってるってことだから、もっと安心だ。直ぐに治療されてめでたしめでたし、だな」
「全然めでたくねえだろ……」

リッキーはまだ納得し切ってはいないようだったが、それでも少しは話が分かってきたのか、ガーランドに向ける視線も緩みつつある。あるいは、彼も何処かで、ロッシュが溜めていた疲労の気配を感じ取っていたのだろうか。そうだとすれば酷い話だ、こんな幼い少年ですら察するほどの過労を、まだ年若い青年が背負わなければいけないのだから。

「そうだな、めでたくはねえか。……ったく、20そこそこの若造一人に、どんだけおっ被せてやがんだ」

舌打ちしかねない口調でガーランドが呟けば、リッキーはきょとんと王の横顔を見詰める。

「……ガーランド。ひょっとして、ロッシュのことすげえ心配してたりする?」

そして、真剣な面持ちで発せられた問いに、ガーランドは思わず苦笑を浮かべた。全く、子供というのは妙なところで直接的なものだ。

「ああ、当たり前だろう。いずれシグナスに来る予定の、大事な将軍候補だからな」

しかし、それに対して真っ正面から答えてやる程に、ガーランドも若くは無い。本音で無いとは言わないが、茶化す意図が全くないと言っても嘘になる、そんな微妙な答えを返せば案の定リッキーの浮かべる表情に呆れが混じった。

「ガーランド、まだそんなこと言ってんのか? こないだ、思いっきりストックに断られてただろ」
「まあな、だが時間が経てば気も変わるかもしれん」
「どうかなあ……」
「それに、説得の方法だっていくらでもあるさ」

例えばこれでロッシュが倒れて、それでも彼の忙しさが変わらないとしたら。その時ストックや、もしくはロッシュの妻のソニアに、こう言ってやるのだ……このままアリステルに居て、あの男の命をすり減らせても良いのか、と。自分自身よりも互いのことを大切にする彼らのこと、きっと効果があるに違いない。
そしてそれは、けしてガーランドの我欲だけから来たものではない、正当な主張でもある。若く才能のある将を使い潰すような真似など、断じて許すわけにはいかないのだ。脳裏に彼の国の首相、穏やかな中にも食えない腹を持つ政治家の顔が浮かぶ。あれも抜け目のない男だ、そう簡単に有能な駒を壊すことはしないだろう。しかし、もしも加減を間違えるようなら、ガーランドとて容赦するつもりはない。

「ガーランド、あんた今すっげえ悪い顔してんだけど」

思考を巡らせる王に、リッキーが渋面を浮かべ、冷たい声を投げる。しかしガーランドも、それくらいで怯むほど面の皮は薄くない。逆に挑発するような、不適な笑みを向けてやった。

「そりゃ当たり前だ、悪いことを考えてたからな」
「やっぱりかよ! 何考えてたんだよ、世界征服でも企んでそうな顔だったぜ?」
「世界征服か、まあ……当たらずといえど遠からず、だな」

実際、ストックとロッシュの2人が共に本気を出せば、世界征服くらいは十分に可能だろう。残念ながら、本人達には一切その気が無いようで、実際に試すことはできないが。
若いくせに枯れやがって、とガーランドは少々理不尽なぼやきを、心中で零す。

「えー、やめとけよそんなの! 俺、エルーカ女王とガーランドが戦争するとこなんて、見たくねえよ」

しかし、そんなガーランドの内心は、当然リッキーに伝わることはない。ガーランドの言葉を、極表面的に受け取った少年は、かなり本気の異議を王に向けて唱えている。そんなリッキーの真っ直ぐな思いを、ガーランドはまた好ましいものとして受け止めていた。揺らぎのない目に、様々な者への愛情を湛えたこの少年は、きっと立派な男に育つことだろう……それこそ、ストックやロッシュに負けない程にも。

「ああ、分かってるよ。冗談だ、冗談」
「ほんとだろうな? ヘンなこと考えたら、俺もストックも容赦しねえからな」
「そりゃ困るな、お前はともかくストックが敵になったら中々しんどそうだ」
「何だよ、俺だってちゃんと鍛えんだからな、馬鹿にすんなよ!」
「分かった、分かった」

才能ある若者たちが紡ぐ未来、それを自分はどこまで見届けられるのかと。柄にもなくそんなことを思いながら、隣に座るリッキーの頭を、ガーランドはまたぐしゃりと撫でるのだった。




セキゲツ作
2011.09.05 初出

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