「よ、邪魔するぜ」

ストックの執務室に顔を出したロッシュは、部屋の主を確認すると、手にした紙袋をひょいと掲げてみせた。唐突な訪問は別段珍しいことでもないが、存在を主張するかのように誇示された荷物に常と違う気配を感じたのか、ストックは不思議そうに首を傾げている。

「邪魔は良いが……それは何だ?」
「土産だよ、土産」

ロッシュはそんなストックの前に紙袋を置き、口を開いてみせた。途端に、甘く香ばしい小麦の香りが部屋に広がる。ストックが紙袋を覗き込む、と、その目が驚きに見開かれた。

「これは……」
「コルネパンだよ。好きだっつってただろ?」
「……売っていたのか?」
「ああ、最後の2個だったけどな」

袋の中には、特徴的な角笛形のパンが二つ入っている。最近人気のコルネパンが目の前の男の好物だと、以前に聞いたことがあった。この日業務で城外に出た際にたまたま販売しているところに行き合わせ、ふとストックの顔を思い出して買ってきたのだ。

「チョコとクリームが1個ずつしか無かったが、良いよな」
「ああ……十分だ」

ぐ、と拳を握りしめるストックの表情は変わらないが、纏う雰囲気が完全に浮かれたものになっている。よほど好きなのだろう、滅多に見ない程機嫌を上向かせたストックに、ロッシュは堪らず苦笑を浮かべた。

「そりゃ良かった。喜んでもらえて何よりだぜ」
「当たり前だ、何度行っても売り切れだったんだぞ。……お前は、よく買えたな」
「そういや直ぐ売り切れるとか何とか言ってたっけ。これも俺で終わりだったしな」
「ああ……俺は買えた試しが無い」

悲しげな顔で呟くストックだったが、目の前に置かれた念願のコルネパンが目に入れば、それも直ぐに明るい空気へと切り替わる。

「時間は大丈夫か?」
「ああ、視察から戻ったとこだからしばらくは平気だが」
「そうか、良かった。……少し待っていろ、紅茶を淹れてくる」
「うん、今食うのか?」

いそいそと机の上を片づけ始めたストックに、ロッシュは疑問符を飛ばした。しかしストックは、ロッシュのそんな言葉こそ疑問であるらしく、きょとんとした表情を浮かべている。

「いや、家に帰ってレイニーと食うんだと思ってたが」
「……ああ」

納得した様子で頷いたストックだが、直ぐに眉を顰めて首を振った。

「いいや、駄目だ。今日はソニアが遅いから、お前のところと一緒に夕飯を食べると言っていた」
「ああ、そうなのか。ってか何でそれで駄目なんだよ」
「4人居るんだ。2つあるにしても、半分しか食べられないだろう」
「……そういうことか」

妙に力を込めて語るストックを、ロッシュは呆れて眺める。ストックも基本的には愛妻家だし、あまり我欲の強い方ではないが、分け合う対象が滅多に食べられない好物となれば話は別になってしまうらしい。

「そんなに好きなら、1人で食って良いぞ? 俺は別に、そこまで食いたいってわけじゃねえし」
「態々買ってきてもらって、俺だけ食べるなんて出来るわけないだろう」
「んなこと気にしねえでも良いってのに」
「…………」

無言のまま否定の意を示され、ロッシュはまた苦笑しつつ、諦めて椅子に腰を下ろした。ストックはそれを見届けると、紅茶を淹れるために奥へと引っ込む。

「ストック、お前妙なところで律儀だよな」
「……悪いか」
「いや、そりゃ別に悪いことじゃねえけどな」
「…………それに、約束しただろう」
「ん、何をだ?」
「紅茶を淹れると」
「ああ」

言われてロッシュも思い出した、コルネパンの話を聞いた時の話だ。その時は何故かロッシュの好物を執拗に聞かれ、ふと思いついた紅茶を挙げたのだった。そう、確かに話の流れで、コルネパンを買ってきたら紅茶を淹れてもらうという約束をしたような覚えがある。

「よく覚えてたな、お前」
「……忘れる方がおかしい」
「まあ、コルネパンのことは覚えてたんだから、良いじゃねえか」
「…………」

納得したのかどうかは微妙な反応だったが、取り敢えずそれ以上の反論は無く、紅茶を淹れるのに集中しているような気配が伝わってくる。そしてさほど待つこともなく、湯気に乗った豊かな香りが室内に漂ってきた。余計な力を奪う柔らかな香気に、ロッシュが目を細める。

「……入ったぞ」
「ああ、ありがとよ」

2人分の茶器を持って戻ってきたストックが、改めて執務机の椅子に腰を下ろした。ロッシュが自分の前に置かれた紅茶を手に取る、と、それを待っていたかのようにストックがコルネパンを取り出し、二つに割る。

「…………」
「でかい方、やるよ」

不均等に割れたパンを前に考え込むストックに、ロッシュは溜まらず笑いだしてしまった。一応家庭を持つ成人男性であるのに、まるきり子供のような仕草だ。ストックは、ロッシュの笑みに些か憮然とした様子を見せたものの、目の前の誘惑には敵わなかったようだ。照れたような表情を浮かべ、片割れのうち小さな方をロッシュに渡してくる。

「……すまない」
「気にすんな、ってかお前に食わせるのに買ってきたんだぜ。遠慮せず食えって」
「……ああ。貰おう」

そう言って幸せそうにパンを頬張るストックを見ながら、ロッシュも渡されたそれに齧りついた。角笛の内側にたっぷり流し込まれたチョコレートが、口の中に広がる。当たり前だが甘い、肉体労働の後には心地よい味だが、大人が食べるには些か甘さが過ぎるようにも思える。子供は喜んで食べるだろうな、ロッシュは柔らかなパンを咀嚼しながら、ぼんやりと考えた。

「お前、甘いもん好きだったんだな」
「……まあ、そこそこといったところだが」
「ふうん? だが結構甘いよな、これ」
「…………そうだな」

ロッシュの言葉にストックは首を傾げる、そういえば彼は一体何処でこのパンを食べたのだろう。アリステルで売り出したのは極最近で、買えた試しが無いと言っていたのに。

「……コルネ村ってのは、グランオルグにあるんだっけか?」
「ああ、グラン平原の近くにある。土地が豊かで質のいい野菜を作る村だ」
「そうなのか。だから最近までアリステルじゃ聞かない名前だったんだな」
「そうだな、グランオルグではかなり有名な村なんだが」
「…………そうか」

いや、考えるまでもない、アリステルで売られていないのならば食べた場所は一箇所しか無いだろう。大体、今自分で考えたばかりではないか……これは甘く、子供が喜んで食べるような味だと。
ストックはこれをグランオルグで食べたことがあるのだ、そしてその時はもっと幼く、名前もきっと『ストック』ではなく。

「――まあ、美味いんだから何でも良いよな」
「ああ、そうだな」

言いながら最後の一欠片を口に押し込んだ、それを飲み下すと袋からもう一つのパンを取り出す。確かこれはクリーム味だったはずだ、これもきっと甘い味なのだろう、いつかどこかで彼が食べたのと同じに。
ロッシュが片手でパンを割ると、それはほぼ均等な半分になった。器用だな、とストックが感心した様子で呟く。

「また売ってたら、買ってきてやるよ」
「……ああ。楽しみにしている」

嬉しげに新たな味のパンを口に運ぶストックに、ロッシュは細かいことを気にする必要もないかという気になって。
今度は、家族の分も購入できると良いと、密かに希望を募らせるのだった。




セキゲツ作
2011.07.23 初出

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