今回行われたアリステル軍のシグナス遠征は、さほど規模の大きなものではなかった。派遣されたのは軍関係者のみで、外交担当であるストック内政官を始めとした政府関係者は同行していない。政治的な会合は抜きにした、純粋に魔物討伐のみを目的とした遠征だったのだが、それでも客人は大いにもてなすのがシグナスの流儀だ。当然のように開催された酒宴は、しかし外交的なやりとりが少ないためか、大分砕けた雰囲気のものとなっていた。席には将校だけでなく隊長、副隊長位の者達までが招かれ、国の壁を越えて言葉を交わしている。共に戦いを潜り抜けた者同士が交流を深め合う、その光景を楽しげに眺めながら、ガーランドは隣に座るロッシュ将軍に新たな酒を注いだ。

「……どうも」

苦笑に近い、微妙に困ったような笑いを浮かべつつ、ロッシュがそれを受ける。普段はシグナスの軍関係者や高官の挨拶に渡り歩いている彼だが、今回はその必要も無いため、ずっとガーランドの隣席に留めおかれていた。彼もアリステル代表として、それは当然のことと思っているのだろう。特に不自然や不満を感じた様子も無くガーランドと杯を酌み交わしていたが、しかし際限無く勧められる酒には、些か困惑の体を示していた。彼の杯が満たされるのもこれで何度目になるか、ロッシュは取り敢えずといった様子で口を付ける、しかし口元から離れた後もその中身はほとんど減っていない。それを視認したガーランドは、不満げに鼻を鳴らした。

「何だ、全然飲んでねえな」
「んなことありません、頂いてますよ」
「そう言いつつ減ってねえぜ。でかい身体してんだから、ぐっといけよ」
「勘弁してください、これ以上は動きが鈍っちまいます。一応まだ職務中なんですから、こっちは」
「仕事熱心なのは結構だがな、もう戦いは終わってるんだぜ」
「遠征中ですからね。城に戻るまで、気は抜けませんよ」

厳つい顔に生真面目な色を浮かべたロッシュは、他国の王に対する敬意はきちりと保ちつつ、それでもけしてガーランドの誘いには乗ろうとしない。その妙なところで頑なな態度は否応無く彼と関わりの深い誰かを思い出させ、ガーランドは堪らず苦笑を零した。

「ちっ、ストックと同じようなことを言いやがる」
「ストックと?」
「ああ。あいつも、仕事中だとか言って飲もうとしねえんだよ。自分が何に参加してると思ってやがるんだか」
「そりゃ当然でしょう、外交担当として着いて来てるんですから」

さらりと言い切るロッシュに、ガーランドは嘆息を零す。

「成る程、ストックの親友だな」
「何ですか、そりゃ」
「似た者同士ってことだよ。全く、くそ真面目が2人揃いやがって」

面白くねえ、とガーランドが零せば、ロッシュが困ったように身を縮めた。こういった反応は、いつでも図々しいほどに堂々としているストックとは随分異なる。ロッシュも気の小さい男というわけではないが、国を代表する立場でシグナスにやってきているということや、国王と将軍という立場の差も影響しているのだろう。しかしそれを言えばストックとて条件は同じはずで、それがどうしてこうも違ってくるのか、ガーランドは首を捻った。
とはいえロッシュの態度こそ一般的には真っ当と言えるもので、ストックの方がよほど不自然ではあるのだが。

「まあいいさ。今度、じっくり飲ませてやるよ」
「……覚悟しときます」

苦笑しながら杯を口に運ぶロッシュの顔を、ガーランドはふと見詰めた。

「……何ですか?」
「いや、お前、いくつだったか?」
「22……いや、23ですが。それが何か?」
「23か」

ロッシュの答えに、ガーランドは低く息を吐いた。彼の若さを知ってはいたが、ふとするとついそれを失念しそうになる。共に戦った後では尚更だ、他国に派遣される規模の大隊を指揮しつつ、自らも前線に飛び込んで戦うその手腕は実に見事で、20数年しか生きていない人間が行っているとにわかには信じ難いものである。ストックもまた誰もが認める非凡の才を持つが、ロッシュのそれもまさしく才能と言えるほどの高みに在った。
とはいえそれは主に戦線を駆け抜ける間の話で、こうしてガーランドの横で酒を飲んでいる限りは、年相応の物慣れなさを感じさせることも多い。

「若いな。だから無駄に真面目なのか」
「いや、無駄なことは無いでしょう」
「加減が分かってねえんだよ。もっと場数を踏めば、面倒な誘いも適当にあしらえるようになるぜ」
「自分で面倒って言っちまうんですかい」

苦笑しつつ、ロッシュはまた少しだけ、杯を傾けた。先ほどから彼に注いでいるのはシグナス名産の蒸留酒で、独特の香りと高い度数を持つ。軽く割ってはあるが、それでも酒の苦手な者がまともに飲めるものではなく、それを普通に口にしている以上格別酒に弱いわけではないはずだ。本気で飲ませたらどうなるかもいずれ確かめてやろうと、ガーランドは口に出さずに考える。

「しかし、今回も無事終わりましたね」
「ああ。双方被害が無くて何よりだったな」
「本当に。あの大熊がでてきた時には、肝が冷えましたが」

今回の遠征は比較的小規模なもので、アリステル側が派遣したのも大隊が1隊のみだ。行う討伐もあまり奥地には踏み込まず、集落近辺の魔物を減らすだけの予定だった――だがそこに、本来その地域には生息していないはずのグランドベアが現れたのだ。幸い出くわしたのは一頭のみ、ガーランドとロッシュが協力し退けて事なきを得たが、死亡者が出てもおかしくない危険な状況であった。その時の危機感と戦いの高揚を思い出し、ガーランドは勢い良く酒を煽る。

「あいつも本当なら、フォルガの奥地に居る魔物なんだがな。どうしてあんなところをふらふらしてたんだか」
「砂漠化の進行は止まっている、はずなんですがね」
「ああ。砂漠部と緑地の境界は安定してる、むしろ研究のおかげで緑化が始まってるくらいだ」

かつて大陸の砂漠化が進行していた時期は、マナの乱れによる魔物の凶暴化が各地で発生し、大きな問題になっていた。しかし今はエルーカ女王によって儀式が執り行われ、世界のマナは安定している。魔物の凶暴化も取り敢えずは収まっているはずなのだが、そこに来て今回の熊騒ぎだ。一個体が生息地から迷い出ただけなら良いが、何か不測の事態によってマナの安定が乱されている可能性もある、ロッシュが心配しているのはそのことだろう。

「フォルガに、というか深淵の森にも人間が踏み込むようになったから、その影響かもしれんな」
「……それなら、良いんですがね」

難しい顔でロッシュが考え込む、その横顔をガーランドは少々呆れつつ眺めた。

「深刻な顔しやがって、お前も大概心配性だな」
「よく言われますよ。で、その後に『身体に似合わず』と続くんでしょう」
「おお、分かってんじゃねえか」

にやりと笑うガーランドに対して、ロッシュは真面目な表情……あるいは仏頂面を崩そうとしない。彼に釈明させれば職務中だからと言うのだろうが、しかしそれにしてもあまりに愛想の無い態度に、ガーランドは呆れを通り越して愉快になってきてしまう。他の者に対した時は、ほぼ誰であっても快活に振る舞うことを知っているから尚更だ。実に面白い、大きく笑い出したくなるがそれは内心のみに抑え、表面上はからかうような笑みを浮かべるに留めておく。

「勿論、やばい兆候があれば直ぐにアリステルにも連絡する。大体、また砂漠化が始まったら、一番先に被害を受けるのはシグナスだ――頼まれなくたって大声で騒ぎ立てるから、安心しろ」
「……そうですね。失礼しました」
「失礼なんてこたあねえがな。あんまり気を張り過ぎると、寿命が縮むぜ?」

心配しているのか馬鹿にしているのか微妙なガーランドの発言に、ロッシュの口元が苦笑の形に歪む。

「そう言われましてもね。性分でして」
「ふん、戦場では勢い良く先陣切って飛び込むくせにな。武器を置いたら別人みたいになりやがる」

こちらも表情を苦笑に変えて、ガーランドが杯を干した。礼儀に従いロッシュが酒を満たす、その姿を眺めるガーランドの瞳に、不穏な喜色が浮かんだ。

「そうだ、お前シグナスに来い」
「…………は?」

その発言があまりに唐突だったためか、ロッシュは理解が遅れた様子で、目を瞬かせている。それに構わず、ガーランドは楽しげに言葉を続けた。

「アリステルみてえに面倒臭いことが多い国に居るから、そんなんになるんだよ。シグナスに来い、問題は多いがどれもこれも分かり易いぜ。目の前のごたごたを片づけてるうちに、悩んでる暇なんて無くなるってもんだ」
「いや……冗談言わないでくださいよ」

やや引き攣った笑いを零すロッシュを、ガーランドは不適に笑って見据える。喜色が宿っていたはずの目付きはいつの間にか、不穏な気配は残したままで、刺すようなそれに変化していた。縫い止める鋭さで視線を送りつつ酒を飲み下すと、強い酒精が喉を焼きつつ喉を滑り落ちる。その感覚を心地よく味わいながら、ガーランドはまた口を開いた。

「俺はいつだって本気だぜ。お前の腕は見せてもらった、シグナスの軍を任せるに足る実力は十分有る」
「……そりゃどうも、有り難うございます」
「まあ多少肝は小さいが、そこはストックが補えば良いしな」
「な、そこで何でストックが出てくるんですか!」
「あん、当たり前だろう? お前がシグナスに来れば、ストックも付いて来るに決まってるじゃねえか」
「決まりませんよ、いやそもそも俺も行きゃあしませんし……」
「まあ、そう即断するもんじゃねえよ」

にやりとガーランドが笑えば、ロッシュの表情の強張りが一段と強くなる。どうやって交わそうかと頭を巡らせているのだろう、動揺した彼の内心がそのまま伝わってくるようで、ガーランドはまた笑みを深くした。

「お前、出身はアリステルか?」
「……ええ、まあ」
「故国にそのまま身を捧げたってか。まあ、分かり易い動機ではあるがな」
「そんなんじゃありませんよ」
「ほう、じゃあどんなんだ?」
「……それが今何か関係あるんですかい」
「あるさ。お前さんを説得してシグナスに引っ張らなきゃいかんからな」

あけすけなガーランドの物言いに、ロッシュが渋面をつくる。

「勘弁してください。俺はアリステルを離れる気はありませんて」
「良いじゃねえか、産まれた国じゃなくたって、守り立てる喜びは変わらんぜ。ストックだって、今は故郷を離れてるじゃねえか」
「だから、何で一々ストックを引き合いに出すんですか!」
「何でも何も、お前ら親友だろう」
「そりゃその通りですが、話と関係が無いでしょう」
「関係無いたあ、また冷たい言い種だな」

ガーランドが、ふ、と鼻で笑うが、ロッシュの様子に変化は無い。……しかし続けられた言葉に、ぴしりとその表情が動いた。

「ストックはお前が居るからアリステルに残ってるってのによ」
「……何ですか、そりゃあ」

嘲笑に近い色を乗せて放たれたそれに、ロッシュの声が一段低くなる。あまりにも分かり易い反応、ガーランドは笑い出したい衝動を必死で抑えなくてはならなかった。

「何だもなにも、そのままの意味さ」
「妙なことを言わんでください。何でストックが、そんな理由で国を選ぶってんですか」
「おいおい、自覚が無いにも程があるな。ストックはあんなに熱烈だってのに」

そんな理由、とまで言い切られ、ガーランドは挑発のためだけではなく呆れの色を浮かべる。

「そりゃ、あいつは親友ですがね。だからってそんなにべったりくっついてる訳じゃありませんよ」
「ま、そりゃそうだろうがな」
「あいつも色々考えてアリステルに残ることを選んだんです。変な言い方は止めてやってください」

厳しい顔で言い切るロッシュの態度からは、そういえば先までの遠慮がすっかり抜け落ちていて。これまた実に直接的な変化に、気付いた途端どうしようもなく愉快な心持になる。

「……いや、やっぱりお前ら、良い組み合わせだな」
「へ? 何ですか、唐突に」
「どっちも欲しくなった、ってことだよ」

にい、とガーランドが笑みを浮かべる。それは何処か、狩りの対象を定めた獣のようにも感じられた。

「どうだ、シグナスに来い。アリステルよりずっと面白い思いができるぜ」
「まだ言いますか……」
「ああ、何度でも言ってやるぜ。お前も将なら、至高の王に仕えてみたくはねえか?」

発せられた単語の大仰さに、ロッシュの表情が微妙に歪む。笑い飛ばしてしまいたいのかもしれないが礼を失するので出来ない、そんな様子だ。

「至高の王、ですか。随分と、大きく出ますね」
「ふん、言っとくが俺のことじゃねえ」

それをガーランドは一息で笑い飛ばし、獰猛な笑みを一層深める。そして、力を込めた声音で、決定的なその名を口にした。

「――ストックだよ」

ふ、とロッシュの表情から色が失せる。親友のそれに似た、いやそれよりも遙かに感情を殺ぎ落とした顔を、ガーランドは構わず見据えた。シグナスではあまり見かけない色の瞳に、凝視に近い強さの視線を注ぐ。

「分かるだろう? あいつは、王になれる男だ」
「……あいつが昔、グランオルグの王子だったから、ですか」
「そうじゃない、素質の問題さ。ストックには王たる器がある……それも極上の、だ」

ガーランドの言葉に、ロッシュは表情ひとつ動かしはしなかったが、しかし同様に否定の意思も見せない。僅かに落ちた沈黙、それを破ったのはロッシュの側だった。感情を示さぬ顔の口元だけが動き、笑いに近いものを形作る。

「……それじゃあ、うちは王様を内政官にしちまってるってことですか」
「ああ、全く勿体無い話だぜ」
「それどころか、俺は昔、あいつを副官にしてたこともあるんですがね」
「今となっちゃあ、考えられないだろう? あいつに補佐をさせるなんざ……逆ならともかく、な」

獣の目を炯々と輝かせながらロッシュを見据える、それでもロッシュの表情は動かない。薄青色の瞳は淡々として僅かにも揺れる様子がなく、それは何処か戦場で見せる揺るぎ無い強さを連想させた。
しかしガーランドは引かない、自分の言葉がロッシュにとって酷い蠱惑であることを、彼は確信に近い強さで感じ取っていた。

「ストックが王になり、お前が将となってそれに仕える。……どうだ、何とも魅力的な形じゃねえか」
「そのためにシグナスに来い、って言いたいんですか」
「勿論だ。アリステルに王は居ない、ストックが王になれない。だがシグナスに移れば別だ、俺はあいつを後継の王とする用意がある」

人は集団で生き、その中で役割を求める生物だ。一塊の組織の中で地位を決め、それを果たすことに本能的な渇望がある……ことに優秀な者には、その傾向が強い。王の器を持てば王たることを望み、将たる者はそれを支えることに根元的な喜びを覚える、人とはそういうものだ。この上無く優秀な将であるロッシュが、その本能と縁遠いなど有り得ない。現に彼は、ガーランドの言葉を交わしこそすれ、真っ向から否定することは出来ずにいた。

「だが、俺だけシグナスに行ったって何もならんでしょう。順番が違います、まずはストックを口説いてくださいよ」

無表情を崩さぬまま、口調だけはどこか笑うような音程で語られた台詞に、ガーランドはふと唇を歪める。

「本当なら、そうしたいんだがな。言っただろう、ストックはお前が居るからアリステルにしがみついてるんだよ」
「……また、それですかい」
「俺も正直理解出来んがな、事実なんだから仕方ないだろう。あいつがお前を残してシグナスに……いや、他の何処かに移るのは有り得ない」
「何で、王がそれを言い切れるんですか。本人がそう言ったわけでもないでしょう」
「言葉にせんでも、見てりゃあ分かる」

それは執着なのかもしれない、だがガーランドの目から見るに、それよりもう少し温度が低いようにも思える。ロッシュの存在を欲しているというより、ただ純粋に彼と別の場所に立つことを嫌がっているように見えた。その感情の由来が何なのかまではガーランドには分からない、彼らが友として過ごした時間の中に理由となる出来事があったのかもしれない。ストック自身が語らない限り真実を知ることは出来ないが、ガーランドにとってそれはどうでもいいことだった。重要なのは、ストックがロッシュと共に在ることを望んでいる……その一点のみだ。

「お前がそれを分かってないのが不思議なくらいだがな。ストックは絶対にお前と別の国に仕えない、だからお前がシグナスに来れば、ストックもまたシグナスに来る。間違いなく、な」
「言い切りますね。その自信は何処から来てるんですか、一体」
「人を見る目は、王としての生命線なんだよ」

そしてその観察眼は、ロッシュの心中に、微かではあるが動揺が生まれていることも見抜いていた。表情は動かない、その目も確固たる強さでガーランドの視線を受け止めている。しかし意識で制御できぬ綻び……例えばほんの少しだけ上昇した体温や、それに伴い滲み出た汗の気配。そんな、本人すらも気付かぬ変化の重なりが、ガーランドの知覚にロッシュの内心を伝えていた。

「どうだ、ストックを王にする気はねえか? お前が応と言えば、あいつもシグナスに来る――そしていずれ、俺の後を継いで王になる」
「……馬鹿言わねえでください」
「馬鹿なんかじゃねえと、これだけ言っても分からんか?」

くくく、と笑い声を立てると、ロッシュが目元だけを僅かに歪めた。その形は恐らく不快と拒絶を表しているのであろう、しかしガーランドにとってはそれすらも彼の感情の動きを示す記号でしかない。明らかにロッシュの心は動いている、それがストックを王にするという未来に対してか、己のストックに対する重要性を指摘されてのことかは分からない。だが、王の戯れ言と切り捨てられない何かを、彼は確実に感じているのだ。
それを承知の上で、ガーランドは言葉を繰り返す。薄めた毒のように蠱惑的な像を、ロッシュの思考に流し込むために。

「考えて見ろ、ストックが王になる未来を。良いもんだと思わねえか?」
「……だから、そういうことは本人に言ってやってくださいって」
「今はお前の望みについて話してるんだよ。どうだ、王となったストックに仕えたいと思わんか? お前の意思一つで実現できる未来だぜ」

その答えが否ではないことを知り、さらに彼が否としか答えられないことを知りながら、それでも尚積み重ねられる問い。

「自分の本心から逃げるなって。……冠を頂いたストックに額突いてみたい。それが本音だろう?」

ロッシュは口を閉じたまま何も言おうとしない、それが可能な抵抗の全てだと、ガーランドには分かる。堅固に保たれていた視線が、耐えかねたのか僅かに揺らいだ。何かを紡ごうと、その口が開く――と。

「…………!」

ざわ、と下座で喧噪が高まり、その間を縫って野太い叫びが響いた。ガーランドとロッシュが視線を向けると、2人の男たちが立ち上がり、互いの胸ぐらを掴み合って一触即発の態を示している。酒の勢いで言い争いにでもなったのだろうか、撒き散らされる喧嘩の気配に、ロッシュが慌てて席を立った。

「お前ら、何してる!」

広い宴会場の末席まで届くような怒号に、アリステル軍の兵が一斉に縮みあがった……が、当の本人達は頭に血が上っているのか、反応する様子が無い。

「っち、仕方ねえな。……ガーランド王、申し訳ありませんがちょっと中座しますよ」
「おう、任せたぜ」

舌打ちと共に椅子を蹴って仲裁に向かう、その後ろ姿にガーランドはひらりと手を振って送り出す。ロッシュにとっては礼を言いたくなるような出来事だっただろう――あのまま折れるとはさすがに思わないが、上手く話を逸らせるような話術の持ち主ではない、席を立つ口実が出来たのは彼にとって非常な幸運と言えた。ガーランドが見ている前でロッシュは当事者2人の首根っこを掴み、ずるずると宴会場の外に連れ出して行く。手荒いことだ、ガーランドは笑みを零した。

「……やれやれ、場が冷めちまったな。仕切直しだ、新しい酒を持ってこい!」

何となく静まり返ってしまった宴席を盛り立てるため、ガーランドが席を立ち、先のロッシュを上回る大音声を張り上げた。反射的にシグナスの兵が叫びを返し、一瞬遅れてアリステル兵もそれに追随する。それで先程までの喧噪を取り戻した宴会場に満足し、ガーランドは改めて席に腰を下ろした。
ロッシュは戻らない、あのまま外に出て、兵達の頭に上った血を徹底的に搾り取っているのだろう。礼儀を気にする彼のことだから宴席が閉じるまでには戻ってくるはずだ、そう考えて取り敢えずは席を空けさせたままにしておくことにする。
とはいえ、戻ったところで先程の話を続ける気は無い。どちらにしてもそろそろ打ち切るつもりではあった、既に目的は達したのだ。

「…………」

杯に満たした酒を口に含み、焼けるようなそれを味わう。彼に植え付けた起こりうる未来の映像は、強い酒精にも似た酩酊をもたらしたことだろう。至高の王と最強の将、軍を率いて戦う者にとってこれ以上無く惹かれる姿だ。まして自身のの意志ひとつでそれを実現できるとあれば、尚更のこと。
後は本人がそれを信じようとしないのが、問題といえば問題か。

「まあ、まずは仕込み完了、ってとこか」

勿論、今日明日にどうこうできる事でないのは承知の上だ。そもそも落ち着いたばかりの世界情勢では、他国の重鎮を引き抜いて自国の王にするなど、紛争の火種になりかねない危険な行為である。様々な問題がある程度落ち着き、平和が人々の間に根付くまで、行動に移すことは出来ない――実際に動けるまで、少なく見積もっても後5年、というところか。
だからそれまでに、少しずつ足場を固めていけばいい。

全ては、シグナスに至高の王を据えるために。

そう考えて、ふとガーランドは首を振った。シグナスのため、そう言いながら本当は、ガーランド個人の願望に過ぎないのかもしれなかった。至高の王と最強の将、それを頂くシグナスが、どんな姿に変容するか。

(ただ、それが見たいだけだ)

夢想の果てに実現された世界が、どんな形をしているか。
ガーランドはふと笑みを零し、手にした杯を一気に干す。喉を焼く強い酒が、まるで蠱毒のように感じられた。




セキゲツ作
2011.06.17 初出

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