ロッシュ隊が駐留している砂の砦、その厨房。食事時間の前ともなれば、料理当番となった者達の戦場と化す場所だが、中途半端な今の時間に人気は無い。外から聞こえてくる鍛錬の喧噪が微かに届いているだけで、最前線に位置する砦の中とは思えない程に静かな空間だった。
基本的に料理をする以外に用途が無い場所だが、静寂と落ち着きを求めて訪れる者も居ないではない。現在もティーセットを抱えた者が3人、休憩時間を過ごすために厨房を訪れたところだった。

「お、誰も居ないみたいだよ」
「ほんとだ、ラッキーだね。のんびりできるよ」
「……ああ、そうだな」
「じゃあ、あたしはお湯沸かしてくるから」
「うん、よろしく。お茶の準備は僕がするから、ストックは座っててよ」

笑顔のマルコによって椅子に押し込められそうになり、ストックは眉を顰めた。

「お前達だけに任せて、座っている訳にはいかないだろう」
「良いから、良いから。怪我人は大人しくしててよ」

そんなストックを睨みつつマルコが言う、3人は周囲の哨戒任務を終え、休憩時間に入ったところだった。他に数人の隊員を連れて行った任務で、敵兵の発見こそ無かったものの、魔物と遭遇してしまったのだ。その時ストックは、新兵の隊員達を補佐して戦った結果として、軽い怪我を負っていた。治療は既に済んでいるが、普段は長い前髪で覆われている額に、今は大きな布が当てられている。

「心配してもらうほど、大した怪我じゃない。茶の準備くらいはできる」
「結果的には、でしょ。たまたま掠めただけで済んだから良かったけど、場所が頭だよ? 一歩間違ってたら大怪我だったんだから」

良いからとにかく座ってて、と厳しい声で命じられ、ストックはしぶしぶといった態で腰を下ろした。怒ったマルコの恐ろしさは彼も知っている、叱りつける程度で済んでいるうちに従っておいたほうが良いと判断したのだろう。

「でも本当、大したことなくて良かったよ。出血が酷かったから、一瞬焦ったけど」
「額だからな。さほど深くなくとも、血は出る」
「分かってるんだけどさ、隊員さん達が皆真っ青になってたから、つい釣られちゃって」
「……慣れていない者にとっては、刺激が強い光景だったか」
「そうだね、ちょっと驚かせたかなあ」
「だが、従軍しているのだからな。これくらいで狼狽えて貰っては困る」
「あはは、それはそうだね。そういう意味じゃ、彼らも良い経験になったかな」

軽口を叩きながらも、マルコは慣れた手つきで紅茶の支度をしていく。そこへレイニーが、湯の入ったポットを持って戻ってきた。

「お待たせ、お湯沸いたよー!」
「有り難う、じゃ、レイニーも座ってて」
「お、今日はマルが淹れてくれるの?」
「うん、ストックにも大人しくしてて欲しいし」
「……そう念押ししなくても良いだろう。本当に、大した怪我じゃない」
「駄目だってば! 頭の怪我は怖いんだから」
「マルの言う通りだよ。少なくとも休憩の間くらいはじっとしててよね」

睨み付ける目が倍に増え、ストックは実に居心地が悪そうに肩を縮めた。そんな態度に取り敢えず満足したのか、マルコは紅茶を淹れる作業に戻り、レイニーはストックの向かいに腰を下ろす。
――そしてしばらくの後、食堂に紅茶の香気が漂い始めた。

「んー、良い香り。一仕事終わったって感じだよねえ」
「……そうだな」

神経を安らがせる暖かな湯気に、3人の顔も自然と綻んでいく。レイニーとストックが見守る前で、マルコが紅茶を注いだ。こぽこぽという微かな水音と共に、カップの中が濃い茶色の液体で満たされる。

「はい、2人とも、どうぞ」
「ああ、頂こう」
「ありがと、マル! じゃ、任務お疲れ様――」

最後にマルコが着席し、3人が揃ってカップを手に取った。そして待望の紅茶を口にしようた、その時。

「……おや、本当に居た」

食堂の扉ががらりと開き、1人の女性が顔を出した。発せられた声にストック達が視線を向ける、それを受けて穏やかな微笑を浮かべる優雅な姿。

「ビオラ准将!?」

無骨な鎧に身を包みながらもその美しさを損なわない、アリステルの誇る戦女神にしてこの砦の責任者であるビオラ准将が、そこに立っていた。慌てて立ち上がるレイニーとマルコに対して、彼女は制するように手を振ってみせる。

「畏まらないでくれ、私も休憩中だ。邪魔しても構わないかな?」
「えええ勿論構いませんけど、どうしてこんなところに?」
「軍議は終わったのか。ロッシュは、一緒ではないようだが?」
「ああ、今し方な。ロッシュ少佐は、砦内の見回りに出てくれている……隣を失礼するよ」
「良かったら紅茶もいかがですか?」
「あ、そしたらあたし、お湯沸かしてきます!」

ビオラがストックの横に座ると、レイニーが慌てて竈に向かった。その姿を見て、ビオラが申し訳なさそうに眉を顰める。

「休んでいるところに、迷惑だったかな?」
「いえっ、そんなことはありませんけど……何かお話が、とか?」
「いや、本当にただの休憩なのだけどね。ロッシュ少佐が、今の時間であれば厨房で紅茶を飲んでいる隊員が居る、と勧めてくれて」
「……成る程、あいつの仕業か」

ストックが苦笑する、何だかんだと目配りの利く隊長は、彼らの密かな楽しみもしっかりと把握していたらしい。

「隊長は、1人で見回りに?」
「ああ。軍議で色々鬱憤が溜まっていたのだろうな、気晴らしも兼ねてと買って出てくれたのだよ」

ビオラの言葉に納得したのか、ストックが頷く。今回の軍議はアリステルからやって来た視察官を交えてのもので、そしてそんな役職を任されるものは、大概において軍人というより政治家に近い性質を持つものだ。裏や含みを持たせた駆け引きを好まない、真直ぐな気性のロッシュにとっては、さぞかし心労の溜まる時間となったのだろう。
――勿論それは口実の半分で、最前線の責任者という激務に就いているビオラを気遣ってという理由もあるのは、ストックならずとも簡単に推測できることだったが。

「見回りって、仕事ですよね。それで気晴らしになるのかな?」
「ああ。任務や鍛錬に励む隊員達を見るのは、良い気分転換になるものだよ。任務中の態度や練度を見ることで、状態を把握できているという安心感も持てるからな」
「……そういうものか」
「へえー、何か如何にも指揮官、って感じですね」
「そうかな? あまり意識したことはないが」

丸い目をさらに丸くして話を聞くマルコに、ビオラが微笑を浮かべた……と、そこにカップと沸いた湯を持ったレイニーが戻ってくる。

「ただいまー、准将、お待たせしました!」
「ああ、態々すまなかったな」
「今淹れますから、少し待っていてくださいね」
「おや、君が淹れてくれるのか?」
「はい、お口に合うか分かりませんけど……」
「マルはこう見えて器用だから、凄く美味しい紅茶を淹れてくれるんですよ。期待しててください!」
「もう、レイニーったら! 変なこと言わないでよ」

照れたような困ったような表情を浮かべながら、それでもマルコは見事な手際で紅茶を淹れてみせる。やがてビオラの前にも、液体で満たされたカップが並べられた。

「有り難う。ああ……良い香りだな、疲れが取れる」

彼女が手に取ったのを見て、ストック達3人も各々のカップを手に取り、口に運ぶ。少々冷めてはいたが、十分に香り高いその液体を、しばらく無言のまま楽しんだ。
――と、ビオラの視線が、ストックの額に留まる。

「そういえば、中尉。怪我をしているようだが?」
「……ああ。大したものじゃない」
「哨戒中に魔物と交戦したんですけど、そこでちょっと、攻撃を受けちゃったんです」
「そうか、それは大変だったな。しかし君が怪我とは珍しい」
「ストックは兜を着けてませんから、受けると怪我が大きくなっちゃうんですよね。避けられてるうちは良いんですけど」

心配と怒りがない交ぜになった表情をレイニーが浮かべる、向かい合う位置に居るストックは、微妙にきまりが悪そうなに紅茶を口に含んだ。マルコはそんなストックに苦笑しつつ、取り成すように声を上げる。

「そういえば、前から気になってたんですけど。ビオラ准将もロッシュ隊長も、兜は着けていらっしゃいませんよね」
「あ、言われてみれば!」

マルコの言葉に、レイニーもつられて声を上げた。

「2人とも、前線に出て戦ってるのに……もしかしてアリステル軍に、上官は兜を使っちゃ駄目、とかいう決まりでもあるんですか?」
「いや、まさか!」

レイニーの言葉があまりに頓狂だったのか、ビオラがたまらず吹き出す。零しそうになった紅茶を置くと、破顔しつつ話を続けた。

「軍隊なのだから、装備を薄くさせるような規則は無いよ。私に限って言うなら、兜を装備してしまうと、動き辛くなるから使っていないんだ」
「へえ、そうなんですか!」
「重心が上がりすぎると、素早く動く妨げになるからね。恐らく、ストック中尉も同じ理由で兜を使わないんじゃないかな?」
「ああ」

ビオラに視線を向けられたストックが頷き、頭に手を遣る。

「あまり意識してはいなかったが……敢えて使おうと思ったことは無いし、あれば動きづらくはなるだろうな」
「ふうん、初めて聞いたかも、そんな話」
「……初めて言ったからな」

レイニーとマルコに揃って見詰められ、ストックは誤魔化すように肩を竦めた。ビオラはそんな3人を楽しげに眺めていたが、その視線がふと、レイニーに向けられた。

「しかし、それを言うなら君も、随分軽装なようだが?」
「あたしですか? あー、確かに軍の人に比べたら、そうかもしれません」

レイニーが頷く、彼女の装備は喉や胴などの急所を皮で覆ったもので、金属が使われているのは僅かに手甲部分のみである。金属製の部品を主に使っている軍の支給装備と並ぶと、驚くほど軽装に見えるのは事実だった。

「君も前線に出ていくのだから、その装備では不足ではないのかな」
「まあ、怪我が多くなっちゃうのはその通りなんですけど……でも普通の鎧だと、戦い以外のところで都合が悪くて」
「戦い以外?」

不思議そうに見返すビオラに、何と説明したものかを考え込むように、レイニーの瞳が揺れる。

「えーっと、私とマルは元々傭兵団に所属してたんですよ」
「ふむ」
「で、うちの団ってあんまり大きなところじゃなかったから……その、貧乏で」

何故か申し訳なさそうに言うレイニーに、ビオラがきょとんとした表情になる。

「金属の装備って、結構高いんですよ。入ったばっかりの頃は特にお金が無かったから、武器を買ったら皮の装備しか買えなくて」
「そうか、特に君は女性だからな。身体に合うものを作ってもらうとなると、値段も上がるだろう」
「そう、そうなんですよ! 皮だったら自分で調節できますからね、そっちの方がずっと楽だし安いし……」

その頃の苦労を思い出したのか、レイニーが拳を握りしめて語り出す。そんな様子に、マルコとストックが苦笑を浮かべているが、取り敢えず双方共に止めるつもりは無いようだった。案外、彼ら自身も面白く聞いているのかもしれない。

「では、その頃から同じ装備を使っているということかな?  君はもう軍属なのだから、申請すれば装備を受給することも可能だが……」
「あ、変えてないのにも理由があるんです。傭兵団だと、基本的に荷物は自分で運ばなきゃいけないから」
「そうか、金属鎧の重量は邪魔になるんだな」
「そうなんです。戦いの時だけなら良いんですけど、移動の時についていくのが大変で、ちゃんとした鎧を買うのを諦めたんですよ」
「ふむ……」
「あたしは魔法も使えるし、武器も槍だし、間合いを取って戦えるんですよね。だから、この装備の方が最終的には都合がよくて」
「成る程。環境によって、最良というのは変わるものだな」
「今はそんなに移動もないし、もう少し重装備にしても良いんですけどね。でも転戦続きで、新しい装備に身体を慣らす暇が無くって」

感心した風にビオラが頷く、レイニーも一緒になって頷いていたが、ふとその表情に疑問の色が浮かんだ。

「でも、そしたら隊長さんが兜を被らない理由って何だろう?」

一瞬、場に沈黙が落ちる。そこに居る全員が考え込み、しかし答えを導き出した者は無いようだった。確かに、というビオラの呟きが無言を破って発せられる。

「私の理由もレイニー君の理由も、彼には当てはまらないな」
「そうですね、あんなに大きな鎧を着るのに、兜程度で動き辛くなるってことは無いだろうし。軍人なんだから、装備は支給されてるんですよね」
「ああ。もっとも、彼の場合は特別に申請してあの鎧を受給しているはずだが」
「ならば、兜が無いのは敢えて指定してのことだろうな。何も無ければ、全身鎧に兜が付かないとは考え辛い」

ストック言葉に、他の者達も頷きを返す。アリステルに重装歩兵は殆ど居ないために気付き難いが、あれほど堅牢な鎧を着用していて兜のみを外しているというのは、明らかに不自然だった。

「行軍の時に邪魔にならないように、っていうのも」
「無いだろうな。物資の輸送は専門の部隊が組まれるのが普通だし、そもそも重量が障害となるなら鎧自体をもう少し軽装にするだろう」
「ですよねえ……」

レイニーとビオラが揃って考え込む、今まで出てきた理由が全て否定されてしまい、新しい理由を考えても思い付かない。すっきりと納得できない気持ちの悪さからか、ビオラが秀麗な眉を顰めた。

「迂闊だったな、確かにあの装備は不自然だ。あまりに彼が堂々としているから、完全に見過ごしていたよ」
「あたしもですよ、全然疑問に思ったこともありませんでしたもん。……ストックも、理由は知らないんだよね?」
「ああ。聞いたことはないな」
「そっかあ……」
「……後で、直接聞いてみてはどうだ?」
「うーん、それはそうだけど、でも気になるよ! あんなにおかしいのに、誰も気にしてなかったのも含めて!」
「そうだな、一度気付くと気になるものだ」
「……」

妙に盛り上がる女性2人を、ストックは少々呆れた表情で眺めている。そんな中で、1人黙っていたマルコが、おずおずと手を挙げた。

「あの……僕、分かるかも」
「えっ!?」

途端に集まる視線に、マルコは小さな身体をさらに小さく縮めた。丸い目が困惑を示してくるりと回る。

「マル、どういうこと?」
「推論があるということかな?」
「は、はい。その、勘っていうか何となくそうかなって感じのことなんですけど」
「構わない、聞かせてくれ」

ビオラに促され、マルコはひとつ頷いて話し始めた。

「えーっと、僕も兜、っていうか帽子を被ってるじゃないですか。だから分かるんですけど、こういう……頭の横まで被さるような防具を着けてると、左右が見難くなっちゃうんですよ」
「……そうか、視界か!」
「えー、視界が狭くなるから甲は着けないってこと?」

ビオラが、得心した様子で大きく頷く。しかしレイニーは未だ腑に落ちないようで、傾げた首はそのまま戻っていない。

「でも、それは他の人も同じだよね。それで困るなら皆着けてないんじゃないかなあ、マルだって問題無いから被ってるんでしょ?」
「うーん、でも僕の場合は後方支援に回ることが多いからね。前線に出る隊長さんとは、条件が違うよ」
「それに、動き方の問題もある」

そこで言葉を引き取ったのは、ストックだった。レイニーの視線が、彼の方へと向けられる。

「通常の兵は、当たり前だが集団戦闘――多ければ小隊、少なくとも数人単位の行動を前提として動いている。自分が把握できない部分は、他の者が補えば済むことだ」
「隊長さんは違うの?」
「ああ、あいつが得意としているのは、単身切り込んで突破口を開く戦い方だ。振り回す武器の長さがあるから、あまり周囲に味方が居ては邪魔になるからということもあるだろうが」
「そっか……言われてみれば隊長さん、敵の多いところに飛び込んでいってるよね。うちが新兵部隊で、危ないところを潰してるだけかと思ってたけど」
「勿論それはあるだろう、しかし俺の知る限り、昔からあの戦い方は変わっていない」
「単騎突撃を主とするなら、視界が狭いのは致命的なことだな。危険を冒して頭部を曝しているのも、理屈の通らないことではない、か」
「へえー……」

ようやく納得できたらしいレイニーが首を振る、そしてふいに何かを思いついた様子で目を光らせた。

「ね、マル。ちょっと貸してよ、それ」

そういってひょいと手を伸ばすと、マルコの帽子を奪い、自分の頭に乗せた。

「ちょっとレイニー! 何するのさ、いきなり!」
「うわ、ほんとだ! かなり見辛いね、これ」

レイニーが驚きの声を上げる、普段は頭部装備を使わない彼女であれば、尚更その不自由さは際立って感じられたことだろう。感心したように視線をあちこちに走らせる彼女の横から、己の持ち物を取り戻そうとマルコが手を伸ばす、しかし。

「…………」

それよりも速く、テーブル越しからストックが帽子を奪取してしまった。ストックってば、とマルコが呆れた声を上げるが、マイペースなストックは気にした風も無く略奪品を頭に乗せる。と、その表情が驚きに顰められた。

「……重いな」
「僕のはちゃんとした兜じゃないから、そこまででも無いけどね」
「だが、重い。鉄板が入っているのか?」
「うん。一応防具だからさ」
「そうか……確かに、着けると分かるな。動くのには邪魔になりそうだ」
「もう良いでしょ、返して……」
「どれ」

ストックの隣から白い手が伸ばされ、頭上の帽子を奪い去った。さすがに驚いた顔を見せるストックを余所に、手にしたそれを被る。

「ふむ、皆の言う通りだな。これはかなり視界が狭い」
「もう、准将まで……」

小作りな頭部に対してマルコの帽子は少々大きかったが、それは気にしないことにしたらしい。レイニーがしていたのと同じように視線を動かし、かと思えば身体ごと回して視界を移動させたり、妙に細かく具合を確かめている。

「ね、見辛いでしょう? これは着けてるの大変そうですよねえ」
「そうだな。それに、視野も狭くなりそうだ」
「視野?」
「えーっと……それって、視界とは違うんですか?」
「ああ、まあ言葉の意味としては同じようなものだが」

きょとんとするマルコとレイニーに対して、ビオラが説明を始める。その頭には未だマルコの帽子が乗ったままという、少々不思議な光景ではあったが。

「今のは、戦場の状態を探る感覚、というように使ったんだ」
「戦場の、ですか」
「ああ。自分の周りだけではない、戦闘の起こっている位置やその状態、戦線の何処に綻びがあるか――部隊を指揮するために必要な、現状把握能力とでも言うべきものだな」
「へえ。それが、帽子があると狭くなる、ってことですか」
「やっぱり、広く見渡せなくなるから?」
「勿論それもあるが、他の感覚も関係がある。戦場では、視覚だけではなく聴覚や嗅覚……それこそ肌に当たる風の感覚まで全てを使って、推移を読み取っているものでな」

帽子の、横に膨らんだ部分を撫でながら、ビオラが言葉を続ける。

「これを着けていると、視界だけでなく耳も塞がれてしまう。それに頬から首にかけてが覆われているから、皮膚の感覚も減衰するだろう」
「うわあ……繊細なものなんですねえ」
「僕、それ着けててそんなこと気にしたこと無かったですよ」
「繊細というと少し違う気がするがな。ともあれ、ロッシュ少佐が頭部に装備を着けないのもこれが関係あるのかもしれないな」
「うーん、隊長さんってそこまで考えてるのかなあ?」
「レイニーったら、そんなこと言ったら失礼だよ」
「そうだ、彼を見くびってはいけないよ。君たちは軍に入って浅いから実感が沸かないだろうが、あの年で隊長を勤めて、且つ新兵部隊にも関わらずこれだけの武功を立てているというのは凄まじいことだ」
「確かに、それはそうでしょうけど……何だか隊長さんて、そんな印象じゃないんですよね」
「ふふ、ストック中尉、君なら分かるんじゃないか?」
「……どうして俺に聞く」
「どうしても何も、君は彼の副官だろう」
「…………」

ビオラの笑みに対して、ストックの表情は些か憮然としたものだった。言葉が途切れて一瞬落ちた沈黙、それを丁度破るように、扉が開き。

「ビオラ准将、いらっしゃいますか……お、やっぱりお前ら、ここだったか」

噂をすれば、というわけでもないだろうが、顔を覗かせたのは今まさに話題に上っていた姿だった。剥き出しの頭部に、何となく全員の視線が集中する。しかしロッシュはそれにも怯まない、というかそれ以上にビオラの姿に気を取られた様子だった。

「……准将、何ですかそりゃ」
「ああ。似合うだろう?」
「いや、とりあえずそれ、うちの隊員の装備ですよね。返してやってくださいよ」
「ふむ……しかしなあ」
「……失礼しますよ」

4人が座るテーブルに歩み寄ると、ロッシュはひょいとビオラが被る帽子を取り去った。そしてそのまま、本来の持ち主の頭に乗せてしまう。

「ほらよ、ちゃんと被っとけ」
「あ、有り難う御座います!」
「何だ、中々良いと思ったのだがな」
「冗談は適当にしてくださいって。で、見回りの報告をしたいんですが、良いですかね?」
「あ、その前に隊長さんも、紅茶はどうですか?」
「ああ、そりゃ有り難いな、貰うよ」
「……では、湯を沸かしてこよう」
「あ、あたしも行く!」

ストックとレイニーが立ち上がり竈へと向かった、背後からはロッシュがビオラに報告を行っている声が届いてくる。レイニーはそれを聞きながら、気付かれぬ程度に笑いを零して、呟いた。

「ビオラ准将って、意外とお茶目なんだね」
「……そうだな」
「また、お茶に呼んでみようかな?」

楽しげに笑うレイニーに対して、ストックのそれは苦笑に近いものであったが。
それでも彼女の言葉を否定はせずに、ただ曖昧な同意とも取れる頷きを返し、後は湯を沸かすために厨房に急ぐのだった。




セキゲツ作
2011.06.4 初出

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