ロッシュは自分の執務室に入り、椅子に腰掛けると机の上の書類を手に取った。
今朝は秘書であるキールより来るのが早かったようだ。真面目な秘書は大体がロッシュよりさらに早く来ていることが多い。
「最近あいつも帰るのが遅くなっているからな、無理させないように仕事量を調節しねえとな」
ぶつぶつと呟きつつ手の書類に目を通す。
昨日退城した後から今朝自分が来る前に新しい書類が無いか、緊急の要件は無いか確認する。
一通り確認してからロッシュは軽く息を吐いた。数枚増えていたものがあったがそこまで緊急ではないもので、今日中に処理すれば間に合うだろう。
と、そこで机の隅っこに今にも落ちそうな紙があるのを発見した。昨日までは無かった気がする。
ロッシュは腕を伸ばしその紙を手に取って、呆然となった。
カラフルな色で彩られたそれは、どうやら今度新兵を募集する時に張り出す紙の試し刷りのようだ。
確かに先週辺りにキールに適当に張り紙を作っておけと言っていた記憶はある、のだが。
それにしても。
改めて中身を確認し、ロッシュは震える手を抑えることができなかった。



ラウルは秘書と共に朝一番でロッシュの執務室に向かっていた。
ロッシュを呼び付けても良いのだが、今日はこの後すぐに軍議が開かれることになっていたのだ。
その会場はロッシュの執務室からの方が近い。
そうとなればこちらから出向いた方が話も早く済んで一石二鳥と言うわけだ。
そんなわけで早足で向かっていたのだが、ロッシュの執務室に通じる廊下まで出て、何やらざわついていることに気づいた。
「騒がしいですね」
「そうだね」
声はロッシュの執務室から聞こえてくるようだ。言い合いをしているらしい。
何があったのか気になるのだろう、執務室の前には兵たちの人だかりができている。
そこにラウルと秘書が通りかかると、おはようございます!と元気な声が返って来る。こちらも挨拶を返すと、扉の前を開けてくれた。
「ロッシュ、失礼するよ」
軽く扉を叩き、返事を待たずに中へと入った。
部屋の中にはロッシュとその秘書であるキールの二人だけだ。キールがロッシュの机の前に立っている。
「おはようございます!」
キールの声も外の兵たちに負けないほど溌剌としていたが、その声とロッシュの表情の対比は凄まじいものだった。
「……首相、おはようございます」
いつもより1.5倍ほど低い声を響かせてロッシュも立ち上がり挨拶してくる。
「おはよう。ロッシュ、その冴えない顔はどうしたんだい」
「いえ、その……これなんですが、首相も見られますか」
「ん、どれどれ」
ロッシュがラウルに差し出したのは一枚の紙だ。
見た瞬間、ラウルは固まった。
水分を口に含んでいたならば間違いなくそれを噴き出したことだろう。
「な、何だいこれは……」
「新兵募集の張り紙です!」
ラウルが震える声でそう聞くと、キールが元気すぎる声で応えてくれた。
「今度、久しぶりに新兵募集をするってことで、張り紙を作成したんです。そしたら将軍がこれじゃあ駄目だと」
「当たり前だろうが!」
ロッシュの怒鳴り声が響く。開け放たれた扉から部屋の様子を窺っていた兵たちがびくりと反応した。
「確かに作れって言ったが、こんなもん作れとは言ってねえ!」
「力作ですよ、とってもいいじゃないですか」
「どこが良いんだ、ちゃんと目え開けて見てんのか!」
「当たり前じゃないですか、僕が全部作ったんですよ!」
「だったら尚更悪い!さっさと作り直せ」
「何でですか!」
問題は全てその張り紙にあった。ラウルは改めて手の中の紙を見る。
中央に描かれているのはロッシュだ。実際はビオラが軍の大将ではあるが今は病気療養中なので、ロッシュが事実上のトップと言える。
なのでそこに描かれているのが間違いというわけではない。
その絵が問題なのであった。
「大体何だこの気持ち悪ぃ顔は!」
「気持ち悪くなんかないですよ、爽やかじゃないですか!」
普段のロッシュが爽やかではない、わけではない。
どこかの元情報部員と違い、笑う時は豪快に笑うし、その表情は見ている者を明るくさせるものでもある。
だが張り紙に描かれた絵は明らかにおかしかった。
そこのロッシュは歯を光らせながら爽やかそうに笑っているのだ。
しかも”キラリ”という擬音まで描いてある。
そして、張り紙の上側にはキャッチコピーのようなものがあり、『君もロッシュ将軍と一緒に働いて見ないか!?』
その下に『アリステル軍新兵募集のお知らせ』とある。
ロッシュの絵の後ろには斜体で”Captain ROCHE”と印字されている。スペースの間にロッシュの頭が入っている形だ。
ラウルはたまらず手で口を押さえた。
横を見れば、彼の秘書は頑張って表情を保とうと思っているようだが、いかんせん口の端が歪んでしまっている。
二人の様子など構うことなく、ロッシュの抗議は続いている。
「大体、新兵になったからって俺と仕事一緒にやれるってわけでもねえだろうが」
「何言ってるんですか、全ての仕事は将軍から下に流れてくんですよ。一緒に仕事してるも同然です!」
「あのなあ、そういう意味じゃなくてだな……!」
その矛の先がラウルに来た。
「首相も黙ってないで、何とか言ってやってくださいよ」
「いや、僕は悪くないと思うんだけど」
「本気で言ってんですか!?」
ロッシュの声が大きくなった。
「こんなふざけた張り紙で新兵が集まってくるとでも言うんですか!」
「ふざけてなんて無いですよ!僕は誠心誠意、真心込めて一生懸命作ったんですよ!」
「過程がどうであろうが、結果がふざけて見えてんなら同じだ!」
キールも負けじと言い返してはいるがロッシュの剣幕のが強い。
よほど抵抗感があるのだろう、当然のことではあるが。
ラウルは助け舟を出してやることにした。
「まあまあ落ち着くんだロッシュ。確かに個人的には面白いと思うけど、さすがに公に出すのはまずいから」
「個人的にはって……」
ロッシュはその言葉で多少は落ち着きを取り戻したように見えた、のだが。
「自分は納得いきません!」
キールの方はまだ諦めていないようだった。
「何でそんなに将軍が嫌がるのか、自分にはわかりかねます!」
「だったらおまえがこの紙の中央に配置されてみろ!どう思う」
「え、えーと……その。恥ずかしいです」
はああ、とロッシュが大きなため息を吐いた。
「ですが、自分と違って将軍は実績もおありですし、国民皆が知ってる英雄です!」
「国民の認知度はそりゃ僕だってあるけど、人気と言ったら君とビオラ将軍のが高いかもしれないね」
既にノアが亡くなっていたと言う事実と、ヒューゴがノアを利用して国民を騙していた事実は今もまだ国民たちの傷となっている。
ノアを心の拠り所にしていた国民たちの失望はそれは大きいものだったが、残った者たちの働きによって国は確実に息を吹き返しつつある。
その中心となっているのがラウルでありビオラであり、ロッシュなのだ。
軍所属であるビオラとロッシュは特にその功績が大きく報じられ、国民にも知られている。
「だからそれが……あんまりいいもんじゃないと思うんですよ」
しかしロッシュは不機嫌そうに言った。
「まあ気持ちはわかるけれどね……」
ロッシュはノアのようになることを恐れているのだ。勿論その範囲がノアと同等になるなどとは思っていないだろうが、盲目的な信心は何を引き起こすかわからない。
「ですが、ロッシュ将軍に憧れるのは間違いではないと思います」
「だからってなあ……」
そこでキールは少し俯いて言った。
「雪解け水……」
「あ?」
「……自分たちはヒューゴを信じ切ってました。自分たちが雪解け水だって言われて、その通りだって。使命に燃えてました」
「うっ」
それは確かに事実で、キール達新兵、いやロッシュも含めたアリステル軍はヒューゴの手の上で踊らされていたのだ。
もっともヒューゴとて、歴史から消えた誰かの手の上で踊らされていたのだが。
「それも全部ノア様のためになると思って……自分たちは首相や将軍がいたからこそ、今ここにいられるんです」
でも、とキールは声を強める。
「最初の、ノア様のために国のために、何かをしたかったって気持ちだけは嘘じゃないんです」
「…………」
「そりゃ確かに将軍は気味が悪いかもしれません。ですが、自分だけじゃないはずです。将軍なら絶対に、ノア様の代わりとしてじゃなく、アリステルを良い方向に……実際もっていってくれてるんですから!」
「だったら尚更却下だ」
それでもロッシュは厳しい声でキールの訴えを却下した。
「どうしてですか!」
「今のがお前の本心だとしても、これ作ってる時はそんなこと微塵も考えてなかっただろ」
「そんなことありません」
「だったら何でこんなふざけた張り紙になるんだ!」
「ふざけてません!」
ロッシュがキールに近づいて、その胸倉を掴んだ。
「ちょ、ちょっと落ち着くんだロッシュ」
「これが落ち着いていられますか!いいかキール、もういっぺん良く見てみろ、どう考えてもふざけてるだろうが!すいませんちょっと紙借りますよ」
一度手を離してラウルから紙を受け取り、それをキールの目の前へと突きつける。
「何度も見てますから!……って、あ!」
目の前のポスターをロッシュから奪い取って、キールはおもむろに言った。
「間違えてましたここ!そうか、ここが気に入らなかったんですね……!すいません気づかなくて」
「……は?何言ってんだおまえ」
「やだなあ。ここですよここ」
と言って、キールは文字の部分を指差した。『Captain』のところだ。
「今は隊長じゃなくて将軍なので、『Captain』でなくて『General』でしたよね!まさか階級を間違えるとは……迂闊」
全部を言い切る前にキールはロッシュの拳を頭に受けた。
「ど、どうして殴るんですか!」
「ほんとにわからねえんだな」
「いえ、その……わかりますがわかりません!」
実力行使されてもなお諦める素振りのないキールに、ロッシュより先にラウルの方が諦めた。
「とりあえず僕は先に行くよ。君にちょっと相談したい件があったけど、軍議が終わってからにするよ。君たちも会議に参加するんだろう、遅れないようにね」
「あ、ちょ、首相!」
「じゃあまた後で」
ラウルは逃げるようにロッシュの執務室を出た。彼の秘書もその後に続く。
まだロッシュの執務室付近をうろついていた兵士たちに持ち場に戻るように言い、ラウルは改めて会議室へと向かった。



それからすぐに、秘書はラウルに問い掛けた。
「首相、お気づきになられましたか」
「え、何をだい?あの張り紙のことかな」
「そうなのですが……気づかれなかったのならば良いです」
「その言い方気になるね」
彼の秘書は先ほどの張り紙をもう一度頭の中に再生した。
実はあの張り紙の中にはロッシュ以外にもう一人登場人物がいた。
ロッシュの絵とその迫力に本人もラウルも気づかなかっただろうが、ロッシュの肩の後ろ辺りに小さく目立たないようにキールと思われる人物が描かれていたのだ。表情は非常に嬉しげで、傍らには小さい文字で『一緒に働きませんか!』とあった。
いやひょっとしたら気づいているのかもしれないが、中央のロッシュの絵よりは大した問題ではないと思われたのかもしれない。
「いえ、あの張り紙は結局没にされるのでしょうから。変なことを言ってしまいました。申し訳ありません」
「……そういうことにしておいた方が良さそうだね」
秘書の言い方に深追いしない方が良いと感じたのか、ラウルは心底疲れたようにそう言った。
まだロッシュの執務室からは言い合う声が聞こえてくる気がしたが、二人は無視を決め込むことにした。

後日、改めて提出された張り紙は極めて無難なものになっていたと言う。



平上作
2012.04.24 掲載

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