良く晴れた日の朝。二人分の洗濯物を干し終えたレイニーは隣家の呼び鈴を鳴らしていた。
さして間も置かず、良く見知った住人が顔を出した。
「あら」
「おはようございます、ソニアさん」
挨拶したソニアの背には小さな赤子がいた。
言わずもがなロッシュとソニアの子供で、くりっとした丸い目がいつ見ても愛くるしい。
その赤子をおんぶ状態で背に負ったソニアは腕をまくって前掛けをし、玄関に続く廊下には水の入った桶とその縁に布がかけてあった。
「あ、ひょっとして掃除中でしたか?邪魔しちゃいました」
「大丈夫ですよ、今日は一日休みですからゆっくりやるつもりだったんです」
「それならよかった」
ほっと安心したところで、レイニーは本来の用事を思い出した。
「あっそうだ、これ、もらいものなんですけど」
手にした紙袋をソニアに手渡そうとして、あっと声をあげた。
「重いんで、中に運びましょうか?」
背に赤子をおぶった状態でさらなる荷物を預けるのは気が引けた。
ソニアはありがとうございます、と微笑んだ。
「あ、じゃあそこに置いてもらってもいいですか?あとはロッシュに運んでもらいますから」
「はーい」
玄関に繋がる廊下に紙袋を下ろすと、ソニアは紙袋の中身をのぞき込んだ。中には芋や根菜など、野菜がたくさん詰まっている。
「昨日、ストックが食堂のおばさんからもらったらしいんですよ、でもうちだけじゃあ食べきれない量で」
「お裾分けがこの量だとしたら、かなりの量になりますね」
「本当に」
そこで今度はソニアがあっと声をあげた。
つられてか、背中の赤子も単語にならない言葉を発している。
「うちも昨日、市場の方からおまけして頂いたりんごがあるんですよ。ちょっと待っててくださいね」
「え、いいんですか」
「もちろんですよ」
ソニアはさっと家の中に引っ込むと、手に二個のりんごを抱えて戻ってきた。
「これ良かったら持ってってくださいな」
「いつもありがとうございますー」
こうやってソニアとお裾分けをしあうのは楽しいことだ。
そこでふと先ほどソニアが、荷物は後でロッシュに運んでもらうと言っていたことを思い出した。
「あ、ひょっとして今日ロッシュさん休みですか?」
「ええ、今日は首相命令で休みなんですよ」
ロッシュが過労により倒れたのが一ヶ月前。
それ以来どんなに仕事が忙しくとも、週に一回は休みを取らされることになった。ロッシュは居残り作業が前よりは少なくなったから、休みなど二週に一度あれば十分だと言ってはいるが、今それを肯定する人間はアリステル軍にはいない。
「じゃあ悪いことしちゃったかも…呼び鈴鳴らしちゃったから起きちゃいましたよね」
「気にすることないですよ。そうじゃなくてもそろそろ起きる頃でしょうから」
「それなら良いんですけど……」
「レイニーさん、いつもありがとう。うちの人のことまで心配してくれて。ストックのことも心配でしょうに」
ロッシュほどではないにしろ、ストックとてかなりの激務である。
また、ストックは正常な人間ではないというとおかしな言い方だが、過去一度死んでいる人間なのだ。物は食べられるし、健康診断等でも何も異常値は出てないのだが、将来どうなるのかは医者であるソニアでもわからない。
「いえ、ソニアさんも将軍さんも皆ストックの心配してくれてますから」
少し照れながら言うレイニーをソニアは優しい眼差しで見つめている。
明るくて情が深い。
いつかストックがぼそりと言っていたことだ。
「あー」
赤子のその声で、レイニーは用事が済んだことを思い出した。
「あ、じゃああたしはこれで帰りますね。お邪魔しました」
「邪魔だなんてとんでもないですよ。野菜ありがとうございました、ストックにもよろしく言っといてくださいね」
「わかりました。こちらこそ、りんご美味しく頂きますね!」
じゃあ、と一度礼をして音を立てずにレイニーは扉を閉めた。
ソニアが家の中に戻ると、時を置かずして階段が軋む音がして、ロッシュが姿を現した。
やはり先ほどの呼び鈴で目を覚ましたのだろう。
ぼさぼさの頭をぼりぼりと掻いている。
「おはよう、ロッシュ」
「おう……おはようさん。今、誰か来てたのか」
「ええ、レイニーさんに野菜をたくさんもらっちゃいました」
ソニアは廊下に置かれた紙袋を指さしたが、ロッシュはその紙袋を見ると同時に掃除用具も視界に入ってしまったようで。
「なんだ、掃除してたのか。起こしてくれりゃあ手伝うってのに。こんな寝るつもり無かったのによ」
「こんな寝るつもりって、あなた、まだ9時にもなってませんよ。休みの日くらいもっと寝ててください」
「いや、おまえはもう起きて働いてんのに俺だけ寝るわけにもいかねえって。普段、家のことはほとんどやれてねえんだし」
いつものロッシュの気遣いにソニアは朗らかに笑いながら、
「じゃあ背中の子を頼みます。あなたは顔を洗ってきてください。すぐ朝ご飯の支度をしますから。一緒に食べましょう」
「おまえも食って無かったのかよ」
「すぐ起きると思ってましたし、それに休みの日くらい三人でゆっくり一緒に食べたいですからね」
「……ソニア」
朝食はいつも一緒に食べてはいるのだが、赤子も一緒に食べるとなるとどうしても時間はかかる。
時間の限りロッシュは家族の食事に付き合っていたのだが、ここ一ヶ月ほどは労働時間が制限されている分有効に使わなければと、ロッシュは朝食の時間を削り、その分早めに登城していた。
「わかった。じゃあおまえはこっちだ」
よっと、声をかけ、ロッシュが右腕一本でソニアの背中の赤子を引き受けると、ソニアは頼みますね、と台所へ消えていった。
それを見届けてから、ロッシュも洗面所に足を向ける。
「あーあー」
「こら、髪を引っ張るな。いてえって」
二人の赤子はロッシュの髪を引っ張るのが楽しいらしく、楽しげに声をあげていた。
* * *
次の日の朝。
「あなた。こんなゆっくりしていいんですか、遅くなりますよ。仕事進めたいんでしょう」
「いいんだよ、俺がしてえんだから」
「……食べてすぐの運動は勧められませんが」
「……何でわかるんだよ」
「わからないわけないでしょう」
「まあ……細かいことは気にすんな」
その日より毎朝、城に向かって猛ダッシュする将軍の姿が見受けられるようになり、「獅子将軍の猛突進」としてアリステルの名物になったとか、ならなかったとか。
平上作
2011.10.22 掲載
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