仕事前に一杯の紅茶を飲むことはラウルの習慣となっている。
ラウルが登城するのは始業開始の合図である鐘が鳴る随分前だが、それ以上に早く来ている秘書が挨拶と共に紅茶を置いてくれるのだ。
いつもどおり礼を言い、ひと息を吐く。まだ仕事前だがこうしてひと息入れる時間は必要だった。
最初の頃は秘書に家で飲んできてくださいと言われたりしたが、最近は諦められたのか何も言われない。
紅茶を飲み干して、秘書に話しかける。
「確か今日は朝から会議だったよね。そろそろ移動しようか」
「はい」
椅子から立ち上がり、資料を片手に部屋を出る。
ラウルは昨日まで大陸各国を訪問していた。会議はその結果報告のためのものだ。
昨日は午後には戻ったので、資料はすでにまとめてある。
廊下を歩きながらふと窓の外に目をやって、ラウルは目を疑った。
「……なんだい、あれは」
つられて彼の秘書も窓に目を向けた。
「ああ、そういえば首相はご存じなかったかもしれませんね。私も自分で目にするのは初めてですが」
ラウルとその秘書が目にしたのは、砂埃を舞いあげて城に向かって猛ダッシュしている部下たちの姿だった。
一番目立っているのはラウルも良く知っているロッシュ少将だ。長めの髪を振り回し、遠くから見てもわかるほど必死の形相で城へ向かっている。
先頭を走っているのは彼ではない。ロッシュの走りを突進というならば、颯爽と駆けている、そんな感じだ。先頭は同じくラウルの部下であるストック内政官、彼が集団を先導する形になっている。
しかしラウルが驚愕したのは何もストックとロッシュが競うように走っているからではない。
その後ろに、推測するにロッシュの部下たちだろう――がわらわらと二人の後に続いている。何人いるだろうか。
それはもう正しく、軍団のようだった。ロッシュの部下であれば彼らは全員アリステル軍所属だ、表現は間違っていない。もっとも実際は軍団というのは大げさで一小隊にも満たない十人ほどの人数だったが、ラウルにはまるで軍団のように見えた。
そうこうしているうちに彼らは城門を抜けて城の玄関前まで来て止まった。するとロッシュの部下たちはびしっと整列したではないか、まるで軍の演習時のときのように。
整列した隊列にロッシュが一言二言告げる。
「――、――、解散っ」
その言葉で隊員たちは一斉に自分たちの持ち場へと小走りで向かっていく。ロッシュとストックも城の中に消えていった。
「……あのさあ」
「なんでしょう」
「君のことだから、何であんなことになっちゃったのかは当然知ってるよね」
「ええ、まあ。ですが首相の方がその理由はおわかりじゃないんですか」
「……やっぱりそれかなあ」
「それしかないでしょう」
ロッシュが過労により倒れてからラウルはロッシュにある程度の労働時間を制限をした。
それによりラウルやその他の人間が行うべき仕事が増えているのだが、それは予測済のことで。問題は影響を受けた周りの人間のことではなく、そのことをロッシュ自身が大変恐縮していることだ。
労働時間を制限したといっても終業時間を制限しただけで始業時間を制限したわけではない。彼は愛妻家だから、できる限り朝の家族で過ごせる時間はきちんと取ってきている、そう思っていたのだが。
「そういえば、最近朝早くの時間にロッシュを見かけたこと多かったよね」
「確かにそうですね」
きっと夜のが時間はあるからと、朝の時間を削って仕事に充てていたのだろう。
そういう事態が暫く続いて、ひょっとしたら彼の妻からやんわり何かを言われたのかもしれない。言われた結果こうなったと。
ストックや他の部下たちもそれに便乗したのだろう。彼等の考えていることは良くわからないが。
「どうしたもんかな」
「今のところ、あれによる被害などは出ておりません」
「被害って」
「あの将軍のやっていることですから、これから益々参加者が増えていくでしょう。そうなれば、一般市民への影響も懸念されます」
「だよね……」
例え大通りであっても鍛えている軍人が大勢で走り抜けて行くのだ、歩行者との接触で怪我人が出るなど有り得ないことではない。
はあ、とラウルは多少大げさにため息を吐いた。
「徐々に勤務時間を戻してあげる他ないのかな」
「戻してあげてもいいんじゃないですか。首相が今までどおり仕事をされていれば、彼の仕事は少なくなった状態のままなわけですから」
「……努力するよ」
秘書の手痛い一言を何とか呑み込んでラウルは視線を廊下の奥に移した。
平上作
2011.11.06 掲載
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