その時、レイニーはいつものようにアリステル二番街の酒場の前にいた。
最近はいつもちょっとした時間があれば、ここへ来る癖がついてしまった。そして特に何をするわけでもなく、ただ下の道を眺めるのだ。
手持ち無沙汰なのを誤魔化すように通りを行き交う人々を観察する。
何度も何度も注意深く観察しても彼女の望む人影は現れてくれなかった。

(あたし、何やってんだろ)

あの激しい戦争の後それぞれがそれぞれの思いを胸に、自分の出来ることをやり始めた。
ある人は一国を担う元首となり、またある人は世界のマナを安定させるための研究を。
レイニーもそのまま軍に残り、隊長に昇格して頑張ってはいるものの、どこか空虚な気持ちがあることを無視できなかった。
と、そこでレイニーの視界の右端に赤い人影が映った。
だがレイニーは驚かないし期待もしない。
今までに何度も、同じような影を見ては幻滅してきたのだ。
そんな思いを知りもしないその影は段々と姿を大きくし、レイニーの視界に入ってくる。
いつしかレイニーは瞬きも忘れてその影を凝視していた。
やがて、影は酒場へ通じる階段の手前で一瞬止まると上を見上げ、階段を軽快な足取りで上って来る。
その足音の大きさ。リズム。
レイニーがあの時からずっと、待ちに待っていた彼の人物のものだ。
レイニーは知らず、両手で口元を覆っていた。
階段を上りきったその人物が、レイニーの方を見つめている。
その姿は最後に会った時とさほど変わっていないように見える。
彼は何かを言おうとして、しかしそのまま口を閉じてしまった。
代わりに彼は普段張り付かせている無表情を一瞬崩し、彼女の名を呼んだ。
それがレイニーの硬直を解き、レイニーは名を呼びながら、あの日からずっと待っていた影に向かって駆け出した。




*      *      *




その時、マルコはアリステル城内で隊員たちに指示を出していた。
15分の休憩時間にふらりと姿を消したレイニーがまだ戻って来ないのを訝りながらも、いつものところにいるのだろうなと想像はついていた。
時間内に戻ってこないのはかなりの問題だから、後でみっちりと説教をする必要がある。

(まったく、レイニーにもしっかりしてもらわなきゃ困るんだから)

アリステル軍は戦後、著しい人手不足に陥った。
一兵卒ならばともかく、上の階級の人材不足は中々に深刻な状況だった。
そこで、戦争中に活躍していたレイニーやマルコにも部隊長という役職が回ってきたのだ。

「じゃあ全員持ち場について、しっかり警備するように。何かあったらすぐに報告、単独行動は厳禁。忘れないようにね」
「はっ」

隊員たちは敬礼すると、自分たちの持ち場に散っていった。
今日は大陸全土の要人がアリステルに集結してとある会議が行われる。
城内の慌ただしさも半端ではない。

(でもこんな時に戻ってこないなんて…なんかあったのかな)

レイニーもこの会議の重要性はきちんとわかっているはずなのだ。
マルコは少しレイニーのことが心配になり、彼女が行きそうなところを回ってみようかと城を出て城門の方へ向かった。
城門からは真っ直ぐ道が延びており、アリステル市街へと続いている。
今日は城門の警備も厳しく、出入りが自由にはできなくなっているはずだが、マルコならば当然フリーパスだ。
城門から出てすぐに気づいた。
レイニーがアリステル城に向かって歩いてきている。
それだけならば何も不思議なことはないが、彼女は一人ではなかった。
傍らの良く見知った赤い影。
マルコは瞬時にレイニーが遅れて帰ってきた理由を悟り、また、マルコもレイニーと同じように彼の名を呼びながら二人に駆け寄っていった。




*      *      *




その時、ロッシュは自身の執務室にいた。
今日の会議にはロッシュも出席することになっている。ロッシュはビオラ大将が出席するのであれば自分は出席する必要がないのではと遠回しに断ったのだが、ラウルの命令により強制的に出席することになってしまった。
重要な会議に出ることが決まったからと言って、普段の仕事が減るわけではない。
将軍職に就いてから爆発的に増えた書類仕事を時間ぎりぎりまでこなそうと、ロッシュはまた一枚机に置かれた紙を手に取った。
内容を確認し、慣れない筆で署名していく。
そこで、執務室の扉を叩く音が聞こえた。

「おう、開いてるぜ」

そう応えると、扉が開いて一人の兵士が姿を見せた。
兵士は敬礼すると、会議の時間が近付いていることを告げた。
ロッシュは壁にかけられた時計を見た。

「おぉもうこんな時間か」

急いで手に取っていた書類に自身の名を記名して、席を立つ。
兵士に会議が開かれる場所を聞くと、ロッシュは部屋を出た。

会議室に向かう途中で、城の外が騒がしい気がして、ロッシュは階段手前の廊下から窓の外を見た。
兵士たちがそんな大人数ではないが、集まっている。
その中にマルコの姿が見えた。
ロッシュの顔に疑問符が浮かぶ。
さらに兵士たちの合間からレイニーも見えた。
そして最後に、レイニーがその腕を取っている人物の姿が見えた。

「……!」

薄い金髪に、どこでも目立つ赤い服。見間違えたわけではない。
ロッシュは待ちに待っていた友を迎えるため、階段を駆け下りていった。




*      *      *




その時、アトはアリステル城内を探索していた。
アリステルに来るのは初めてではないが、こうして城の中をじっくり見て回ったことはなかった。
アトも会議の参加者の一人なのだが会議までは結構な時間があり、その時間ただ待っているのも退屈なので城内を探索することにしたのだ。
アトが誰なのかを知らない兵士は城内を走り回るアトを訝った目で見たり、或いはアトを捕らえようとする者もいたが、そこらの兵士に捕まるほどアトは鈍くさくない。むしろその逆で、それこそあっという間に兵士たちの視界から消えてしまっていた。
ある程度の階級以上の者は今日の賓客が誰かと言うことを知っている。
上官に報告すれば、当然その兵士たちは怒られるだろう。
そんなわけでアトは追っ手に追いかけられることもなく、自由にアリステル城内を散策していた。

(いつ見ても変なところなの)

アリステルとアトの住むセレスティアは正しく正反対とも言えるところだ。
アリステルの中心部、つまり城のあるここであるが、建物、壁、地面のほとんどが鉄板で覆われている。
セレスティアは緑豊かな土地であるから、その対比はとても面白かった。
一通り城内を見終わったアトは、城の外、裏手に周り、そしてまた表に戻ってきた。
そろそろ会議の時間だが、見知った野太い声が聞こえてきたのでアトはそちらへ振り返った。
城門を少し中に入った辺りに人溜まりができている。
周りを囲っているのはアリステル兵たちだが、その中に頭半分以上抜け出している見知った顔があった――旅の仲間だったロッシュだ。
彼の顔は笑顔で満ち、誰かに向かって話しかけている。
アトは兵士たちの間を抜けて、騒ぎの中心部に近付いた。
すると、人の波を抜けたその先で、その彼が誰かわかった。
ロッシュは彼の頭に手を乗せて、髪をくしゃくしゃにしている最中のようだった。
それで下を向いた彼と、ばっちり目が合った。
アトは目に涙を浮かべ、彼に抱きついた。




*      *      *




その時、ガフカはアトを探していた。
先ほどまで一緒に居たのだが、少し目を外した隙にどこかに行ってしまったらしい。
どこに行ったのかは大方見当はついている。

(まあ時間になったら戻るだろう)

アトがいなくなったことにより、ガフカはやることが無くなってしまった。
ガフカも今日の会議の参加者だ。アトの護衛としてくっついてきたのだが、そこではち合わせたガルヴァにより、参加するように言われたのだ。
今日の会議では、大陸のマナについての話し合いが行われる。各国で行っている研究や取り組み、そしてこれからどうしていけば良いのか、提案がなされる予定だ。
会議の参加者は世界の要人、あの日、何があったのかを知る者たちばかりだ。

(……赤いの)

参加者たちの誰もが、頭の中には彼のことを思い浮かべているだろう。
大陸のために自らの命を差し出した若者のことを。
ガフカは一つため息を吐くと、訓練室の方へと足を向けた。

(訓練室でも覗いてみるか)

今は警備のためにほとんどの兵は出払っているだろうが、熱心な新兵が訓練をしている可能性もある。
もし可能ならば助言の一つでもできれば良い。
そう思い正面玄関まで下りてきた時、突如アトの泣き声が聞こえてきた。

(……?)

甲高い声は外から聞こえてくる。
ガフカが振り返ると、人だかりができていた。兵士たちが集まり、どうやらその中心にアトがいるらしい。

「失礼する」

ガフカは兵士たちの中に分け入っていった。
兵士たちはあっさりと道を譲ってくれ、そしてガフカは、アトが泣きながら抱きついている人物を見ることができた。
彼は普段の無表情に少しだけ困ったような表情を乗せて、アトを宥めているようだった。
周りには以前一緒に戦った仲間が揃っている。
ガフカは彼に向かい、久方ぶりの言葉を掛けた。




*      *      *




その時、エルーカは応接室にいた。
傍らにはお供のマリーが控えている。エルーカは出された紅茶をすすりながら、物思いに耽っていた。

(ここがお兄様が暮らしていた国)

アリステルに来るのが初めて、というわけではない。
五カ国間で和平条約を結ぶためにアリステルだけでなく、他国に何度も行き来をしてきた。
しかしアリステルに来るといつも兄のことを思ってしまう。
世界のために消えた兄が数年間、暮らしてきた国だ。
ここはグランオルグとは全然違う。
まず景観。グランオルグには城に近い街中でもまだまだ緑が残っていたが、アリステルには緑が無い。
農村部に行けばまた別なのだろうが。
鉄の機械で埋め尽くされたこの街は、最初見たときには冷たい印象を持ったものだ。
今は動いている機械も少なく、緑化活動として鉢植えの花や木も増えてきた。
段々と人の温もりも感じられるようになってきている。

そこでエルーカは一つ息を吐く。
兄が守った世界を守り抜かなければならない、という思いは日々エルーカの肩に重くのしかかってくる。
結果的に自分の身代わりとなり、ニエとなって犠牲になった兄のことを思うと、未だに夜眠れなくなることさえあった。
しかし、こんな体たらくではまた兄に叱られてしまうだろう。
しっかりしなければ。
兄は兄で義務を果たした。
自分は自分で、グランオルグ王家の正当なる後継者として、この大陸とグランオルグを守る責務がある。
そこで、応接室の扉が叩かれた。
マリーがはい、と返事をして扉を開ける。
なんだか先ほどから廊下が騒がしい。
何かあったのだろうか。

「エルーカ様に、ご来客です」
「お客様ですか……?」
「廊下に出てほしいと」
「廊下に?」

すると、小さな悲鳴を一つ残してマリーは廊下に消えてしまった。扉も同時に閉められる。

「マリー?」

しん、と室内が静まり返る。
廊下の騒ぎも今は聞こえない。
暗殺者だろうか。エルーカの背筋に冷たいものが走る。
落ち着いて行動をしなければ。
エルーカはまず、扉に背をつけて、外の気配を探った。
少なくとも人の動く気配はしない。しかし敵は扉の陰に潜んでいるのかもしれない。
エルーカは一つ大きく息を吸った。
意を決して、扉を大きく蹴り破る。
愛用の銃を扉の外に向け、向けたその先にいた人物にエルーカの目が点になった。
彼は苦笑を浮かべ、両手を挙げて降参のポーズを取っている。
エルーカの手から銃が滑り落ち、固い音が鳴った。
周りには、かつての仲間たちが彼と同じような表情を浮かべて見守っている。
アトが口火を切った。

「エルーカ!ヒドいの、銃向けるなんて!」
「まあ無理もなかろう。こんな演出ではな」
「むしろ軍人としては正しい反応だぜ」
「エルーカ女王は軍人じゃないよ…」
「実際撃っちゃったら笑い話じゃ済まないでしょうが!やっぱもっと穏便にいった方が良かったんじゃないの?」

ぎゃーぎゃー騒ぎ出した仲間の言葉などほとんど頭に入らずに、エルーカは信じられない思いで兄の顔を見つめた。
彼もエルーカを静かに見つめている。
仲間たちもそれに気づくと、言葉を噤み静かになった。
エルーカは譫言のように兄の名前を呼んだ。

「ストック……」

彼はうっすらと柔らかい笑みを浮かべ妹の名を呼び、それを合図としてエルーカは兄の懐へ飛び込んでいった。




*      *      *




そしてその日、ストックはアリステルに帰ってきた。
帰ってくるのは久しぶりなわけではないが、今まで見てきたアリステルとは明らかに様子が異なった。
一番の大きな違いは人だった。
あの戦いが終わり、和平条約が結ばれてから各国間では人の行き来が活発になった。
その結果が、このアリステルでも如実に現れている。
今もサテュロス族の子供がストックの横を走り去って行った。
立ち止まって後ろを振り返ると、その子供の親だろう、二人のサテュロス族の男女が笑顔で通り過ぎていく。
その先にはプルート族の男性が立ち止まって、アリステル人だろうか、人間と何やら楽しげに会話をしている。
目を疑うような光景だった。
数年前はこんなことは断じて有り得なかった。
グランオルグとの戦争の真っ最中だったアリステルでは街中がぎすぎすし、子供もどこか怯えた目で大人の不安を感じ取っていた。
それが今はどうだろう。
もちろん、表面上はそう見えたところで全てが解決したとは言えない。見えないところでの種族間の諍いもあるだろう。
マナの問題もある。今のままならばまたいずれニエが必要になり、また誰か、それこそ自分かエルーカの子供を犠牲にしなければならない時が来るのかもしれない。
それでも、今のこの街の空気。戦争が終わり、種族間の誤解が少しずつ解けていき、その人々の表情の明るさが全てだ。
ストックは一番街の通りをいつものリズムで歩いて行った。
まもなく、二番街に入る。
そして視界に映る長い黒髪の女性。ため息を吐いているようだ。
こちらには気づいただろうか。
彼女のいる酒場の前に通じる階段で立ち止まると上を見上げた。
もう確実に目に入っているだろう。
いつもと同じ足取りで階段を上りきる。
そして酒場の方へ体を向けると、目の前に彼女がいた。
両手で口を覆い、目元には涙が浮かんでいるように見える。
何かを言おうとして、ストックは言うべき言葉が思い当たらず、口を閉じた。
代わりに余り得意ではない笑みを浮かべようとした。
上手くできただろうか。

そしてストックは彼女の名を呼んだ。



平上作
2011.07.23 掲載

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