「……ロッシュ」
「……言うな」

ロッシュは呻きながらストックの言葉を遮った。

事の始まりはなんだったか。
思い出して見れば、最初は飯の盛りつけだったように思う。
今思えばあの頃は平和――でもなかったかもしれない。今が戦時中だということはさておき。
ともかく到底理解できない感覚だったのだが、隊の士気保持のためと思えば我慢ができた。

しかし彼らの暴走は配膳だけでは足りなかったようで、まさか『あれ』さえも賭けの対象にするとは。
そして、つい、つい、勢いであんなことを口走ってしまった。
今はそれを猛烈に後悔している最中である。
後悔とは、後に悔いると書いて後悔だ。先に悔いることはできない。



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事の顛末はこうだ。

まずは一般論であるが、戦場で重厚な鎧を着ている重装兵などの身体への負荷は大変なものがある。
だからこそ重装兵は持って生まれた体格が重視され、誰でも希望すればなれるというものではない。
さらに左腕に魔動機械で動くガントレットを身に付けているロッシュは、一般の重装兵よりも負担が大きい。
彼のガントレットはできる限り負荷を軽くするように作られてはいるが、肩やその周囲に掛かる負荷がゼロになることなどは有り得ない。
鍛えて補うにしても、、人間の身体だからこそ限度があるのだ。
アリステルに居る時はいつも医務室で解してもらっていたが、いつ出撃するのかわからない今の状況では、さらに気を配っておく必要がある。
砂の砦では作戦会議に参加することが多いロッシュでも、その期間が長ければそれなりに疲労は蓄積する。
その日も空き時間を狙って簡易医務室に行き、台の上に寝転がったままいつものように肩を解してもらっていた。
別に何も悪いことはしていないのだが――その時、ロッシュ隊の誰かがそこに居たらしい。
良く考えてみれば、その時になるまで誰も思い付きもしなかったというのも奇妙な話ではあるのだが。
勿論そんなことは欠片もわからないロッシュが隊員たちの集まる部屋に戻ると、ちょっとした騒ぎになっていた。

「おい、何を騒いでる」
「あ、ロッシュ隊長!」

キールがこちらに気づいて、小走りでやってきた。
他の隊員も敬礼し、皆一様にこちらを見ている。この時、ロッシュは嫌な予感を覚えた。
どこかで同じような感覚を味わったことがあるような――既視感、というやつだ。

「隊長!我々にも隊長をお手伝いさせてください!」
「…何をだ?一応やってもらうことは毎日言ってあるだろが」
「それは勿論毎日全力でやらせていただきますが。そうではなく…これですこれ」

言って、キールは肩を叩くような仕草をした。

「…これって?」

訝る表情のロッシュに、キールは嬉しそうに告げた。

「マッサージですマッサージ!」
「……はぁ?」
「我々も隊長のお役に立ちたいんです、負担を軽くしたいんです!」

そう言うキールと後ろの隊員たちの目線は異様とも思えるほど輝いている。
ロッシュは苦虫を噛み潰したような表情になったが、思ったのはごく普通のことだった。
彼らが言うことにも一理ある。彼らはろくに戦場に立ったこともない新兵としてロッシュの下に就いているのだ。
専門の知識ではないにしろ、仲間を助けることになるスキルは知っていても損は無いかもしれない。

(どうする?)

ロッシュはもう一度キールとその後ろに控える隊員たちをざっと見回した。
皆、期待の眼差しでロッシュの方を見ている。そう、いつもの食事前風景と同じような感じだ。
何故だか、そう本当に何故だかわからないが――ロッシュは無性にむかっ腹が立ってきた。


こいつら、いっぺんしめたほうがいいかもしれない。


大丈夫、そのくらいで士気が落ちたりはしないだろう。何故なら自分が相手をするのだから。

「よし、わかった」
「本当ですか!じゃあ」
「待て。条件は俺が決める」
「隊長が……?配膳のときみたいに勝ち抜きじゃないんですか」

隊員たちがざわめく中、ロッシュは獰猛な笑みを浮かべて言い放った。

「俺から一本取ったやつにやらせる」

その場は一気に騒然となった。

「い、いいんですか隊長!」
「これから一時間は空いてるからな、その間に俺から一本取ったやつにやり方を教えてやる。少しはわかるからな」
「本当ですか……!」
「あぁ。致命傷になるような部分にどちらかの木剣が入ったら負けだ。力は加減するから遠慮なくかかってこい。俺はガントレットは武器としては使わないが盾としては使う。そのつもりでな」

あと、と、ロッシュは付け足した。

「逆に一本取られたやつは、日頃の鍛錬メニュー二倍増しだ」

うげ……という誰かの呟きが聞こえた気がした。

「よし、じゃあ先着順だ。一番は誰だ?」

それでも勇気のある従順な新米兵士達は、我先にと手を挙げ始めた。



それから数十分後。
ロッシュ隊が使用している部屋は呻き声で満ちていた。

「……やっと終わりか」

さすがのロッシュでもこれだけの人数を短時間で相手すれば、息もきれぎれだ。
手にした木剣を置こうかと部屋の隅に行きかけたその時、一番厄介な相手が姿を現した。

「あ、ストック副隊長!」
「?何をしている」
「まあ…稽古だ稽古。見りゃわかんだろ」

ロッシュはそれでおしまいにしたつもりだったが、そこでへたりこんで息を整えていたキールが余計なことを言い出した。

「そうだ!す、ストック副隊長もどうですか…!」
「……?」
「おい、余計なこというな!」
「いいえ!副隊長も気持ちは同じはずです!」
「お前たち……俺になんか恨みでもあんのか?」
「と、とんでもない、全く逆です…!ただお役に立ちたいだけで!」

キールに同調する隊員が多いことに、ロッシュは本当に心の心の底からため息を吐いた。
親しく思われるのは結構なことだが、もう少し放っておいてはくれないものか。
しかし、キールから事の詳細を聞いたストックがそこで終わらせはしなかった。

「逃げるのか」
「……んだと?」

そのたった一言で。
表現方法が全く違うとは言え、熱くなりやすい体質の二人は一気に戦闘モードへと突入した。



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結論から言うと、決着はつかなかった。

途中で会議の知らせが入り、模擬戦は中断を余儀なくされたのだ。
しかし隊員たちの総意により、ロッシュの肩をマッサージする権利はストック副隊長に与えられた。
理由はただ一つ。ロッシュ隊長と一番長い時間やりあえたからだ。

「……つーかストック。何であんな話に乗ったんだよ」
「あれだけ期待されていたら、やらざるを得ないだろう」
「止めろよ!」
「止める権利など無いさ。そもそもお前が吹っかけたんだろう…素直に隊員たちに身体の解し方を教えていれば良かっただけの話だ。全員に教えたって悪いことじゃない。寧ろ全員に教えてやって然るべきだった」
「ぐっ…」

ぐうの音も出ないロッシュだったが、そこで一つだけ、ストックの鼻を明かしてやれそうなことに思い当たった。

「……待てよ。お前だってその可能性はあるんだからな、明日から覚悟しとけよ」
「…可能性ってなんだ」
「マッサージ権争いだよ。なあストック副隊長」
「……」
「その前に、もうちっと右上を頼む」
「……」
「いってぇ!」



これも当然のことだが、後で騒ぎを知ったビオラ准将にロッシュ(とストックも)はたっぷりと搾られることになった。
また、隊員たちが深刻な怪我をする危険性があるという理由でこの大会は中止となり、ロッシュが危惧したようにはならなかった。
幻の隊長対副隊長の模擬戦は、隊員たちの間で伝説になったとかならなかったとか。

それでもしばらくは、互いの肩をマッサージしあうロッシュ隊の面々の姿が其処此処で見られたという。



平上作
2011.04.10 掲載

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