約束していた時刻を数分過ぎた頃、こんこん、と扉が二回叩かれた。
どうぞと声をかけると少し間があってから扉が開き、来訪者の姿が明らかになった。
「お邪魔します」
「すいません首相、お忙しいところ」
入ってきたのは、赤い鎧を着込んだ大男とそれに付き添う美しい女性。ロッシュとソニアだった。
ソニアが入ってきた扉を音を立てずに丁寧に閉める。
「あぁ、構わないよ。でも二人そろって僕のところに来るなんて珍しいね」
そこで漸くラウルは書類に取られていた手を止め、改めて二人の顔を机から見上げた。
二人とも服装はいつもと変わらないが、なんとなく様子がおかしい。
ソニアの方は落ち着いたものだが、いかんせんロッシュの様子は明らかに変だった。普段は相手が国のトップだろうが誰だろうが、決して物怖じしない雰囲気をまとっている彼が、今日に限っていえば少し緊張しているように見える。
大変わかりやすい。
事前情報を聞いていなかったらわからなかったかもしれないが、どうやら予想は当たったようだ。
そんなことは露知らず、二人は一瞬目を合わせて頷くと、背筋を伸ばしてロッシュの方が口を開いた。
「実はその、折り入って頼みがありまして」
「あ、もう少し待っておくれ」
「……首相?」
「あと1分くらいかな」
ロッシュとソニアは顔を見合わせ、疑問符を浮かべている。
「あの、首相。何か別にお約束でも……?そしたら私たちまた日を改めますけれど」
「いや違うんだ。彼にも関わりのあることだから」
「……彼?」
二人に再び訝しげな表情が浮かんだところで、タイミング良く来訪者が扉を叩く音がした。
「開いてるよ」
声をかけるとすぐに扉が開き、赤い衣をまとった男が入ってきた。
「ストック!」
「――やあ。時間ぴったりだね」
ストックは対象的な両者の顔を交互に見つめた。ロッシュとソニアも同じような表情でラウルとストックを見比べている。
次いでラウルが放った言葉は至極あっけないものだった。
「じゃ、後は頼んだよストック」
「何の話だ…?」
「ほら。君も聞いたことあるだろう、あの良くしゃべるロッシュの部下の子から」
「……キールか!」
ロッシュは当てはまる人物を即座に思い描き、顔に手を当てて嘆いた。
「それでロッシュとソニア君がそろって僕のところへ来るなんて、一個しかない」
「……」
「まあでも勘違いしないでおくれよ。それをやるのが嫌なわけじゃない」
書類をまとめて立ち上がったラウルはさらに続けた。
「聞けば、二人の仲立ちをしたのはストック、君だって言うじゃないか」
「…そうだな」
「じゃあ君が適任だ」
ストックの肩をぽんと叩き、ラウルは書類を片手に扉の方へと向かっていく。
「首相!」
「あ、一応これ首相命令だからね。後で命令書が届くと思うよ」
「………」
「君の復帰後初任務だ、しっかりやり遂げてくれ」
呆然とする三人を残し、取っ手に手をかける。
「あとそうだ、当然のことだけど僕もちゃんと出るから、いい席を用意しておいてね。楽しみにしているよロッシュたちの結婚式」
余計な、いや、一番大事なことをしっかりと伝え、ラウルは静かに扉を閉めた。
* * *
「――よろしかったのですか?」
「あぁ、いたんだ」
エレベーターを待っているところで、後ろから聞きなれた声がした。
「仕事ですので、当然首相の部屋の側にはおります」
「盗み聞きもかな」
「仕事ですので」
「……」
金属が擦れ合う音を立てて止まったエレベーターに乗り込むと、当然のように彼の秘書も乗り込んでくる。
「きちんと彼らの結婚式に出れるように、それまでにしっかりやるべきことを終わらせましょう」
「……」
「首相?」
「はいはいはい、わかってますって」
「『はい』は一度で結構です。三度もいりません」
代わりに、ラウルは長いため息を吐いたのだが。
「ため息も禁止です」
* * *
「えっ、じゃあロッシュさんたちの結婚式の立会人、ストックが務めることになったの?」
「ああ」
日が暮れてから、アリステル軍内部の食堂にて。ストック、レイニー、マルコの三人は同じテーブルを囲んでいた。
レイニーとマルコは一小隊の隊長となり、また、ストックは一応まだ軍部に属していることになっているので、内部の施設は自由に使っていいことになっている。
時間が合う時は三人で食事を取ることがいつの間にか通例になっていた。
アリステルに無事に戻ってきたストックは、各国の首脳陣より、『いいから休め』、と全力で釘を刺され、それによりただいま休職扱いとなっている。
本人はもう体調も万全だから問題ないと訴えてはいるのだが、聞き入れてもらえる様子はなく。しばらく休養を余儀なくされていた。
そんな中の『復帰後初任務』なのだ。
「でもさすがはラウルさんだよね。ストックの復帰後最初の仕事にこんなに縁起の良い仕事持ってきてくれるなんてさ」
「だね」
レイニーは頷き、持っていたスプーンを上にぴっと持ち上げると一つの疑問点を口にした。
「そもそもさあ、あたしは良くわからないんだけど」
「何がさ」
「マルコは知ってるの?『結婚式の立会人』ってヤツが何をするのか」
「え……」
いやあさあ、とレイニーは申し訳なさそうに続ける。
「あたしはさあ、まあマルも知ってると思うけど、傭兵団でやってきて、しかもその後は情報部に入ったわけで。ずっと戦争にかかりっきりだったじゃん」
「うん」
「だからだろうけど、結婚式なんて傭兵団の皆で立ち寄った街で一回くらい通り過ぎ様に見かけた程度だよ」
「だよね…」
レイニーに同意したマルコが、はぁ、とため息を挟む。
「じゃあマルも当然知らないわけ」
「そりゃあそうだよ。僕だって結婚式なんて出たことないもん。見かけたのも多分同じだと思うよ」
「ついこの間までずっと戦争戦争で、それどころじゃなかったもんね」
そこまで話してようやく、目の前でもくもくとスプーンを運ぶ張本人に話が向いた。
「ストックはさぁ、結婚式とか出たことあるの?」
「……ないな」
しかしその答えは期待通りとはいかず、レイニーとマルコはいささか不安な顔になった。
「…大丈夫かなあ。わかってないのは心配だな」
「何言ってんのマル!協力してあげなきゃ」
「いやそりゃ協力はするけど!僕もレイニーもストックも何をすればいいのかわからないんじゃあ…」
「……」
「立会人って言っても文字通り単に立ってるだけじゃあ無いだろうし」
「……」
事態は思ったよりも深刻そうであった。
* * *
「でもきっと、人に聞けばどうにかなるよ!」
「そ、そうだね!誰か知ってる人はいるよねきっと…!」
「……」
三人が出口のわからない迷路にはまりかけたその時、野太い声が背後より響き、それに見合う体格の持ち主が現れた。
「なんだ、三人そろって変な顔して」
「あ、ロッシュさん」
「ソニアさんも!」
「お邪魔してもいいかしら」
「どうぞどうぞ」
ロッシュとソニアの二人は空いていた隣のテーブルに腰をかけた。
「今日は珍しいですね、家で食べなかったんですか」
「ちょっと遅くなったからここで済ましてしまおうと思って。そしたらあなたたちが見えたから」
「んで、何の話してたんだ?三人そろって妙な顔して」
「そ、そりゃあその…」
ソニアがおかしそうにくすくすと笑いながら、その先の言葉を続けた。
「立会人、の話ですか」
「そ、そうなんですよ!その…あたしたち、誰も結婚式に出たことなくて」
「だから、その立会人とかも何やったらいいのかわからなくて、今相談してたんです。いえ、あたしが頼まれたわけじゃないんで、余計なお節介かもしれないんですけど」
「そんなことはないわ、ねぇ」
「あぁ。ありがてぇことだ」
ロッシュはソニアの方を見やると、彼もまた愉快そうな笑みを浮かべ、
「式の流れとかはもちろん俺たちがわかってる。当日の進行役と前日までの準備を頼みたくてな」
「えぇ」
言ってソニアは自分の腹の辺りに手を当てた。
「私はほら、身重じゃないですか」
「そうですね…」
「一応、今安定期には入ってはいるのですが、ちょっと仕事も手を離せないところがあって」
「俺は無理すんなと言ってんだが…」
「私にしかできないことですから。それでも、できる範囲のことしかやってませんけどね」
笑顔で話すソニアには無理をしている気配は全く見えなかった。
「それで、ちょっと私たちだけだと忙しすぎて、肝心の結婚式まで手が回りそうになくて」
「でも…こういっちゃなんですけど、身重なのに結婚式も大変じゃないですか?安定期とは言え、もしお腹の子になんかあったら…」
レイニーはソニアとロッシュに目をやりながら続ける。
その表情は真剣そのもので。
それに応えるかのように、ソニアも真剣な眼差しでレイニーを見つめながら言った。
「そこは、何度も話し合って決めたことですから。大丈夫」
「ソニアに何かあったらすぐ中止にするしな。参列者全員に頭下げて回る覚悟もある」
「……そうですか、それなら」
「まだ安心だね。油断は駄目だろうけど」
「というか、そうだ。何でこの時期にやろうと思ったんですか?」
先ほどからレイニーの質問攻めにあっているのだが、二人ともいやな顔一つせず丁寧に応えていく。
ロッシュは少し気まずそうに言った。
「いや、大した理由はないんだがな」
「産まれてからだとそれどころじゃなくて、機会を失ってしまいそうで」
「だから今のうちにやってしまおうと思ったんですか」
「えぇ…」
それに、と。その先の言葉は呑みこんで、ソニアは視線だけをストックに移した。
ストックはそれには気づかず、手元の料理をゆっくりと口に運んでいる。いや気づいていないふりをしているだけなのかはわからないが。
しかしレイニーの質問攻めはそれに構うことなく続いている。
「じゃあとりあえずそれは良いとしても、またまたお言葉ですけど、首相には無理じゃないんですか?進行役とか準備とかは」
「えぇ、そこは元からストックやあなたがたにも協力をお願いしようとは思ってて」
「なるほど、そうだったんですか」
レイニーとマルコは得心がいったような表情でそろって頷いたが、二人の表情とは逆に、ソニアは少し顔を曇らせる。
「でも首相には最初のご挨拶をお願いしたかったのですが。うまくかわされてしまって」
「一言でもお願いすればいいんじゃないですか?その場で」
「でも首相の場合、一言って言ったら本当に一言で終わりそうな気もするなあ…」
「そうかも……」
「じゃあそれをストックがやるの?」
「そういうことになるな」
全員の視線がストックに集まったが、ストックの表情はいつもと変わらず涼しいままだ。
もっとも内心どう思っているのかはわからないが。
案外焦ってたらおもしれぇのにな。
そんなことをロッシュが思っていると、レイニーがいたずらっ子のような眼差しでこんなことを聞いてきた。
「ところで、結婚式って無礼講なんですよね?」
「ん、そりゃまあ、後半はな」
「それだったら、皆で一芸大会でもすりゃあいいじゃないですか。首相も例外なく。そうすれば不公平じゃないですよ」
「不公平って…」
「一芸?」
レイニーは満面の笑みで大きく頷く。
「参列者はお二人の前で全員芸をすること」
「えー…そ、それは平気なのかなあ」
「あ、ストック!こっそり笑ったってことは自分は大丈夫だとでも思ってるんでしょ」
「笑ってなどいない」
「自分は剣舞があるから余裕だと思ってるんでしょー」
「思ってない」
「思ってる!じゃあ条件は他人に披露したことのない芸であること」
「見事にハードルが上がったな」
「……」
結婚式の主役であるロッシュとソニアは突然のレイニーの提案にただ笑うばかりだ。
しかしそれがレイニーの勘に触ってしまったようで。
「あ、お二人とも、まさか自分たちは主役だから…なんて思ってないでしょうね。確かにソニアさんはいいですけど」
「…まさか」
「主役なんですから、当然自ら盛り上げてもらわないと」
「れ、レイニーちょっと…!」
「マルは黙ってて!」
マルコを圧倒し、レイニーは気迫のこもった眼差しで、目の前の困った表情をしている二人の若獅子を睨み付けた。
ロッシュはストックに助けを求めたが、それはストックも同じだったようで、肩を軽くすくめるのが精一杯だった。
「むぅぅ……」
しばらくレイニーに睨まれながらの何とも奇妙な食事時間が続いたが、聞きなれた鐘の音がその呪縛を解き放ってくれた。
一日の定刻を知らせる最後の鐘が食堂にも大きく鳴り響く。
その機会をマルコは逃がさなかった。
「あ、ほらレイニー、僕らそろそろ行かなきゃ!隊員たちに明日の予定を伝えるの忘れてたでしょ」
「は、そういえば…何でこんな時に限って忘れるのさ!」
「それはレイニーだって同じでしょ…!」
言い合いをしながらもレイニーは手早く食器を片付け、立ち上がった。
マルコも同じく席を立つ。
「んじゃ、すいませんがお先に失礼します」
「ソニアさんも無理しないでくださいね」
「ありがとう」
「ストックもまた明日ね!」
「あぁ」
二人はそれぞれに挨拶を済ませると、慌ただしく食堂を出ていった。
「また明日か」
「……」
意味ありげにロッシュが呟いたが、ストックは何も応えず、また肩をすくませるだけで。
ジト目になって、ロッシュは問い詰めた。
「おまえ、ほんとにわかってるのか」
「…わかってるさ」
そんな親友の姿にストックは苦笑を浮かべて応える。
「今後のこと、だろう」
「……まあな」
「皆心配なのですよ。あなたがまたどこかへ行ってしまうんじゃないかって」
だからこそレイニーとマルコは毎日何かと理由をつけてストックを食事に誘うのだ。
「とりあえず、おまえたちの式が済んでもうしばらくしたら、大陸を見て回ろうと思っている。もう一度、礼も言いたいしな」
「それは……一人でか?」
親友とその伴侶の真剣な目に見つめられて、ストックはもう一度苦笑した。
「…いや。レイニーと行こうと思っている」
「まあ」
「マルコの方はどうすんだ」
「隊長が両方ともいなくなったら困るだろう」
「でもレイニーさんは喜びそうね」
その様を容易に想像できてソニアは思わず笑ってしまったが、ロッシュの方はそれでは満足していなかったようで。
「だがよ…それが終わったらどうするつもりだ?」
「……」
「ロッシュ」
子供を嗜めるような口調で、ソニアが止める。
「あなたがそんなに心配したってしょうがないでしょう。おまけにレイニーさんも一緒なのよ」
しかしソニアに制止されてもまだ納得はいかない様子の親友に苦笑して、ストックは口を開いた。
「黙っていなくなることはないさ」
「…じゃあ何か言って消えるってことか」
「……」
「あーあーわかってるって!さすがにそこまでは疑ってねえよ」
「…おまえはそんな鎧を楽々と着こなすくせに、本当に心配性だな」
戦場では一騎当千と恐れられていたロッシュに呆れたような目線で返すと、すぐに反論が返って来る。
「それ関係あるのか。つーかおまえにだけは言われたかねぇよ、こんなすました顔しやがって」
「生まれつきだ」
「俺だってそうだ」
「あなた、生まれた時から鎧を着ていたんですか」
思わず噴き出したソニアにつられてか、ストックの無表情な顔にも笑みが浮かんでいた。
「〜〜あのなあ!俺が言ったのは鎧じゃなくて」
「あ、将軍!とストックさん!と先生!」
ロッシュが立ち上がりかけたその時、店の入り口から姿を現した若い青年が元気な声で彼等に呼びかけてきた。
「あら、キール君。こんばんは」
「こんばんは先生!今日はご自宅じゃなかったんですか」
「……遅くなっちまったからな」
明らかに剣呑としたロッシュの言い方に違和感を覚えたのか、青年――キールはストックにこの距離では効果のない耳打ちをした。
「あの、将軍、どうかしたんですか?何かすっごい不機嫌っぽいんですけど」
「直接本人に聞いてみたらどうだ」
「そ、そんな滅相も無い!」
本気で慌てているキールの言葉にソニアがまた笑い出した途端、ロッシュは今度は立ち上がった。
立ち上がる際に思わず左手にも力を入れていたから、テーブルが軋む音がした。
「ソニア、もう帰るぞ」
「えー、将軍もう少し付きあってくださいよ〜。せめて自分の夕飯が終わるまでくらい…!」
「ストックに付きあってもらえ」
「ごめんなさいね、ストックにキール君も。明日も朝早いから」
ソニアがストックとキールに柔らかく笑いかけるのを見ながら、ロッシュは最後にこう皮肉るのがせいぜいだった。
「ストック、また明日、な」
ストックは口の端に笑みを浮かべながら、二人が完全に姿を消すまで後ろ姿を見送り続けた。
今までこの場にいなかったキールは、当然の疑問を口にしたのだが。
「ストックさん、明日、将軍と約束でもしてるんですか」
「いや、特にはしてないが」
「?」
ストックはそれ以上は何も告げず、代わりに自分の任務を果たすことにした。
「それよりもキール。芸とかはできるか?儀礼用の剣舞以外で」
「…あれ?自分ストックさんに剣舞ができるとか言いましたっけ…あれ」
「……」
「とりあえず、うーん。それ以外はあんまり何もできないんですけど」
「……そうか。大変だな」
「え、何がですか?」
それまでの経緯をキールに話してやりながら。
その日の夜はゆっくりと更けていったl
* * *
それから数週間後の良く晴れたある日。
アリステルにて、一つの結婚式が執り行われた。
その式には、アリステルの中枢を担う面々から諸外国の要人たちまで、様々な人々が参列したが、前半は厳かに行われていた結婚式も後半になって宴会が始まると、それこそ歴史に残るような大変なお祭り騒ぎとなった。
とにもかくにも、それはどこまでも笑顔と幸せに包まれた式となり、立会人もほっと胸を撫で下ろしたという。
平上作
2011.04.04 掲載
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