ロッシュは自分のために用意された天幕に入り、一息吐いた。
 本当はそんなものは要らないのだが、それでは周りへの示しがつかないと、部下だけでなく上司にも言われている。上司曰く、大体一番働くのは君なんだから、せめて前日くらい一人の空間でゆっくり休んでおくれよ。
 戦闘開始までには当然のように移動時間がある。その時の疲れが残っていて戦闘に支障が出たら、軍のためにもならない。そう説得されたのだ。
 移動くらいで疲れるほど柔でないつもりだが、最終的にはこれは上司命令だからと強権発動されてしまった。そうなってしまったらロッシュは命令に従うしかない。というわけでロッシュは一人用の天幕で身体を休めることにした。
 一人用の天幕と言っても天幕が一人用になっているだけで、後は特に何も特別なことはない。だからこそ、部下と一緒で構わないと言ったのだが――まあいい。
 ロッシュは簡易寝台に腰を掛け、左腕のガントレットに触れた。明日はまたこのガントレットに頑張ってもらわねばならない、とは言え実際に動かすのはロッシュ自身なのだが。左腕が生身の腕ではなくこのガントレットになってから何年が経っただろうか。何度となく命を救われてきた。
 ガントレットはアリステルの魔道技術の結晶だ。あの戦いから数年が経ち、アリステルの魔道技術が制限されるようになってからも、ロッシュのこの左腕のガントレットは開発を許されている。できる限りマナを消費しない形で、だが。
 ロッシュは右腕でガントレットを外した。何かがあった時、自分でも外せるようにと開発者がそう設計してくれたのだ。ガントレットは軽い金属を使ってはいるものの、それなりの重さはある。しかし何なくロッシュは手に取って、点検を始めた。明朝、目覚めてからももう一度やるつもりであるが、今夜何も起こらないとも限らない。家で眠る時はさすがに外しているが、こういう行軍の時は何かが起こってもすぐに対処できるよう、ガントレットを付けっぱなしで寝ることにしている。ロッシュの妻であり、ガントレット開発者の妹であり、現在のガントレット開発の中心人物たるソニアは余りいい顔はしないが。
 ある程度の重さがある故に、寝ながら付けていると身体に負担がかかるのだ。それをソニアはわかっていて、いい顔をしない。だがまあ行軍の時くらいは仕方ないだろうと説得している。
 ともかくロッシュはガントレットの接続部などを一通り見終わってからもう一度左腕に付け直した。それから寝台に横になった。言葉に出すほど疲れてはいないが、睡眠は必要だ。
 明日最大限の力が出せるように。部下を守るために。アリステルを守るために。
 そこでふと親友の顔が浮かんだ。
 軍を辞したストックはロッシュが未だに戦っていることに余りいい顔をしない。が、特別に何かを言ってくるわけでもない。
 ただ、気を付けろ、油断はするな、それだけだ。毎回同じことを言ってくるので、わかってるってと軽くいなそうとしてもストックがその時の表情を緩めることはない。やたら真剣な眼差しで同じことを繰り返すのだ。
 さすがにそう言われたらロッシュもわかった、と言うしか無いのだが。
 しかしソニアやストックにどれだけ心配をかけたとしても、これがロッシュにとって一番やりたいことなのだ。
 身体を張って守りたいものを守る。これくらいしかロッシュには出来ることがない。
 ロッシュは仰向けになったまま己の右手を開き、観察してみた。我ながらごつごつしていると思う。いくつか傷も残っている。傷痕は一生消えることはないだろう。
 残った傷はそれだけのものを守ってきた証となる。
 自分はこれからも戦場に立ち続けるだろう。残念ながら全国家間で和平条約が結ばれたとしても戦闘が消えるわけではない。ならず者はどこにでもいる。そいつらを野放しにしておくわけにはいかない。
 これから先、ひょっとしたらその和平条約も取り消されることもあるかもしれない。
 そうなってもロッシュは戦場に立つつもりだ、もちろん軍を率いる将軍として。後方に回るのではなく先陣を切るために。
 ロッシュは開いた手を握り締めた。この右手と左腕のガントレットで守らなければならない、何としても。
 ストックが魂を投げ出しても守ろうとした世界だ。ロッシュはアリステルと言うただ一国のためにしか今は働いてないが、それでも守らねばならないこの国を、一生かけて。
 そのためにもまずは明日のために休息を取ることだ。
 ロッシュは握ったままの右手を額に当て、眠る姿勢に入った。
 しかし横になると明日の戦闘のことを考えてしまい頭が冴えてしまう。部下を失うことなくアリステルに帰すには明日どのように戦えば良いのか考えてしまうのだ。それは昔からの目標で、今も当然のように薄れることはない。
 そういえば最近もう一つ贅沢な目標が出来た。
 己も無事にアリステルに戻る。戻って周囲を安心させてやる。
 高望みしすぎだろうか。家族が出来たから、考えが甘くなっているのかもしれない。戦争で亡くなったソニアの兄にも笑われてしまうだろうか。
 だがロッシュは大真面目だ。今の生活をちょっとやそっとで投げ出したくはない。
 この手で守りたいものを守るために戦うのだ。気を引き締め、慢心を外に追い出し、常に色んなことに気を配る。明日の戦闘もそうやって切り抜け、そしてアリステルに無事戻るのだ。
 ある程度考えが煮詰まると、眠気が襲ってきた。これで眠れる。
 ロッシュは目を閉じた。




 ロッシュは気づいているだろうか。
 守りたいものの中にいつの間にか己が含まれていることを。
 それが良いのか悪いのか、判断することは誰にもできない。



平上作
2012.10.14 掲載

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